白き旗手とスイカの暗号

鐘古こよみ

【三題噺 #21】「記憶」「スイカ」「旗」&【三題噺 #19】「兄弟」「金」「タブー」


 服役中の兄が突然死したとの報せを受けた時、俺はニューヨークのオフィスで勤務中だった。両親は既に他界しており、遺骨を受け取る肉親は俺しかいない。

 ボスに相談し、早めの夏季休暇を取ることにした。

 二年ぶりに降り立った日本は、まだ七月の初旬だというのに、殺人的な暑さと湿気で煮えている。ワイシャツの袖を肘の上まで捲り上げ、刑務所へと向かった。


 箱に収められた骨壺は思ったより軽く、紙袋に纏められた遺品も、こんなものかと拍子抜けする少なさだ。

 兄は、刑務作業中に突然倒れたらしい。すぐに救急車が呼ばれたが、手遅れだった。死因は心筋梗塞。享年五十三歳。あと半年で刑期終了だった。


 遺骨を携えたまま電車やバスに乗る気にはなれず、タクシーを呼び出す。

 行き先を告げると、高速を使いますがと念を押された。

 何があったか、一目瞭然だからだろう。運転手はバックミラー越しにチラチラ見てくるだけで、話しかけようとはしてこない。こいつは犯罪者の家族なのだなと、その眼差しの裏で呟いている気がした。


 両親の暮らしていた小さなマンションの一室は地方都市の郊外にあり、墓もその近くにある。売らずに残しておいたのは、刑期を終えた兄が住むのにちょうどいい場所だと思ったからだ。俺も日本への帰国時に、たまに使っていた。


 よく冷えた車内で人心地つき、俺は紙袋の中の遺品を探る。

 封筒が出てきた。

 宛名には俺の名が書かれているが、住所はない。

 最近のものではないのだろう。端が少し黄ばんでいる。

 検閲済みなのか、封は閉じられていなかった。中には一枚の便箋が入っていた。

 

 二つ折りされたその便箋を開くと、鉛筆で濃淡のつけられたスイカの絵が現れた。半分に切られたスイカで、断面をこちらに見せている。

 表面にはたくさんの種が、二列で弧を描くように並んでいた。

 

 ――シード暗号だよ。

 懐かしい兄の声が、耳元で囁いた気がした。

 途端に俺の脳裏には、幼い日の懐かしい光景がいっぱいに広がっていた。


     *


 仲の良い兄弟だった。

 少なくとも俺は、昔も今も、兄を本心から慕っている。

 記憶の底で色褪せずに最も輝いている光景は、あの、小学校の運動会の日だ。


 俺は小一、兄は小六。

 快活な優等生だった兄は、白組応援団の旗手を務めていた。

 太鼓の音と共に入場する応援団。白袴を履いた団長以外は、男女共に学ランを着ている。兄は白手袋を嵌めた手で大きな団旗の竿を握り、先頭を駆けてくる。

 

 その勇ましさ、爽やかさ、微笑ましさに、会場が湧いた。

 背の小さかった俺は、一年応援席の最前列でそれを見ていた。

 すぐ近くまで兄が来て俺に気付き、日焼けした顔にえくぼを浮かべて笑った。


 白手袋に白い旗、白い鉢巻き、口元から覗いた白い八重歯。


 兄は眩しい人だった。頭が良く、教師にまで勧められて、難関中学の受験をすることになった。受かったのは中高一貫の男子校で、家から通うには遠く、寮に入ることになるというので、俺は泣いた。


 寮から手紙を出すと言って、兄は入学前の春休み中、自分で考案した秘密の暗号を教えてくれた。

 シード暗号だよ。シードって、英語で種のこと。シーザー暗号という昔ながらの古い暗号があってね。そこからヒントをもらったんだ。

 そう言いながら、鉛筆で紙にすらすらと描いたのが、スイカの断面だった。


 色鉛筆で皮を緑に、果肉を赤く塗る。あえて先端を尖らせ、涙型にデフォルメした種の輪郭をぽつぽつと並べていく。

 種はスイカの断面に合わせて円を描くように、外側と内側の二列に並んだ。

 尖った先端の向きと種の色、外と内の区別に、秘密があった。


 外側の種はひらがな五十音を表す。種の先端が上を向いていてたら母音が「あ」、右に向くと「い」、下は「う」で左は「え」、先端が尖っていないものは「お」。

 色が真っ黒に塗られていたら「あ行」、白ければ「か行」、真ん中だけ丸く塗られていたら「さ行」……こんな調子で続く。


 内側の種は、外側の種で判明したひらがなを、後方にいくつずらして読むべきかという数字を表していた。外側で「あ」を表していた種は、内側では「一」を表すから、もしこの二つが上下に並んでいたら、「『あ』を一つ後方にずらす」という意味になり、「い」と読むのが正しい。


 兄お手製の暗号解読表を握りしめ、俺は毎日のように家のポストを覗いた。

 実際に手紙は月に一度か二度、届けばいい方だ。それでも毎朝、来ていなければ夕方の便かもしれないと、心を躍らせた。


 俺は兄のお陰で言語の構造や数学的思考に興味を抱き、英語とプログラミングを積極的に学ぶようになった。今の職場であるIT系の大手外資系企業に就職が決まったのも、元を辿れば兄の影響がかなり大きい。


 兄は俺の旗手だ。大きな白い旗を振りかざし、先導するように駆けてゆく。

 たまにこちらを振り向き、俺に気付くと、白い歯を見せて笑ってくれる。


     *


 タクシーはまだ高速を走っており、道のりは遠い。

 俺は鞄から自分の手帳を取り出し、その革表紙の内ポケットに常に挟み込んでいる、すっかり茶色くなった古い紙きれを取り出した。

 兄お手製の、シード暗号の解読表だ。

 几帳面に並んだ種の絵と文字を見ると、これを中学校に入る前の少年が生み出し、書き記したのかと、未だに驚嘆の思いに駆られる。


 封筒に入っていたスイカの絵と、解読表を見比べる。

 懐かしさに頬を緩めながら、一つずつ読み解いていった。


 お・ま・え・が


 ふと、顔の筋肉が強張る。

 次の種に人差し指を移動させ、解読表を確認する。


 お・ま・え・が・こ


 思わず便箋を折りたたみ、俺はシートに深く腰掛け直した。

 残りの種は三組だ。つまりあと三文字で文章が終わる。


 ――ろ・し・た


 そう続くのではないかと、頭が勝手に想像する。

 いや、そんなはずは。

 目を瞑り、動悸する胸に手を置いて、俺は少し眠ることにした。


     *


 兄が高三、俺が中一の秋に事件が起きた。


 突然、兄が大荷物を抱えて、寮から家に戻ってきたのだ。

 自主退学したのだという。

 疲れきった顔で帰宅するなり、兄は部屋に引きこもってしまった。


 後から聞いた話によれば、こういう顛末だったらしい。


 兄は当時、他校の女子と付き合っていた。

 夏休み明け、その女子が妊娠していることが発覚した。

 親友だと思っていた同級生が、子どもの父親だと判明した。

 兄はその同級生を殴った。

 学校側は、痴情のもつれの末の暴行事件だと断じ、双方に自主退学を促した。


 それまで順風満帆な人生を歩んできた兄の思わぬ転落に、両親は慌てふためいていた。兄の部屋へ行きたがる俺を引き留め、しばらく関わるなと命じた。

 家の外で兄の話題を出すことは、禁忌タブーとなった。


 夜、兄の部屋の扉が開き、足音が玄関へと向かうのを、布団に潜り込んだまま耳にしたことがある。

 すぐに母が追いすがり、買い物なら自分が行くから、頼むから家から出ないでくれと懇願しているのが聞こえた。

 いつの間にか兄は、留学していることになっていたのだ。

 

 ある日、兄の部屋はもぬけの殻になっていた。

 お世話になりました、との両親宛てのメモと共に、スイカの絵が残されていた。

 俺はその絵を自室に持ち帰り、暗号解読表と見比べた。

「おれのかわりにおやをたのむ」と、書かれていた。


 突然消えたところで、兄が俺の旗手であることは変わらない。


 俺は立派に兄の代わりを務め、親を安心させるべく、勉強に精を出し始めた。

 お陰で高校は、そこそこ有名な進学校へ進むことができた。

 世間で一流と呼ばれる大学にも滑り込めた。

 就職活動も順調に進み、インターンを経て大手外資系企業に就職を決めた。


 三十歳の時、転機が訪れた。

 同期の中で最も評価されていた俺は、ニューヨークの本社へ移籍することになったのだ。誰がどう見ても栄転で、あの平凡だった子がと、親も親戚も驚いた。

 だが、俺から言わせれば当然のことだ。

 俺は兄が歩むはずだった道を、代わりに歩んでいるだけなのだから。


 俺のアメリカ行きは、地元の田舎でちょっとした話題を呼んだらしい。

 俄かに昔の友人から連絡が舞い込むようになり、同窓会めいた催しが立て続けに開かれた。特に参加を断る理由もなく、片端から参加しては、大して昵懇じっこんとも言えない連中を相手に大げさに別れを惜しんだ。


 頭の中には常に、兄の顔がちらついていた。

 あれきり本当に姿を消し、手紙の一つも寄越さず、生きているのか死んでいるのかもわからない。

 アメリカへ行く前に一度だけでも、会うことができたなら。


 ある時、都内でビルの解体作業をしている現場を通りかかった俺は、耳を疑った。

「ご安全に!」

 そう叫ぶ声が脳髄の懐かしい場所に飛び込んできて、心臓を揺さぶったのだ。

 工事現場は高い塀に隔てられていて、中を見ることはできない。

 周辺をうろついていると、金属製の扉が不意に開いて、ヘルメットを被った背の高い男が出てきた。首にかけたタオルで日に焼けた頬を擦り、脇を通り過ぎようとした彼は、ふと立ち止まって俺を見た。

 そして頬にえくぼを浮かべ、白い歯を見せて笑った。


 久しぶりに会った兄は、屈託がなかった。

 工事現場で鍛えた体は生命力に溢れ、大きく口を開けて笑う表情は輝いている。

 俺は都内にある自宅マンションの場所と電話番号を教えた。

 兄はその日暮らしで、現場次第で住む場所を変えていた。寮生活みたいなもので、慣れれば悪くないんだと、うちに泊まるよう説得する俺の言葉をかわした。

 

 翌日が休みの日、兄は酒瓶を持って、うちへ遊びに来るようになった。

 親への連絡は渋ったが、アメリカ行きを打ち明けると、目を丸くして喜んでくれた。地元の話を懐かしみ、家を出てからの顛末については言葉を濁した。

 シード暗号の解読表を見せると、まだ持っていたのかと微笑んだ。


 あっという間に時が過ぎ、渡米前に兄と会う最後の日がやってきた。

 翌日にはマンションを引き払い、実家に一泊し、その足で空港へ向かう予定だ。 

 一緒に実家へ帰らないかと、兄を誘うつもりだった。

 これが家族全員揃う最後のチャンスかもしれないから、と。


 その切実な夜、日本での全ての業務を終え、早めに帰宅した俺は、マンションのエントランスで奇妙な女に捕まった。

 やけに馴れ馴れしく名前を呼び、駆け寄ってきた女は、大事な話があるからと部屋に上がりたがった。最初はまったく知らない相手だと思い警戒したが、話すうちに、とある同窓会の後に泥酔し、ホテルで関係を持ってしまった女だと気付いた。

 嫌な予感がした。

 エントランスでは人目に付きすぎる。仕方なく、部屋まで連れていった。

 

 玄関先で靴を脱ごうとする女を制し、この場で話すよう促した。女は不満げな顔をしたものの、想像通りの話を始めた。お腹にあなたの赤ちゃんがいると。


 証拠は?

 訊くと女は、傷ついた顔をした。逃げるの?

 俺は苛ついた。そうじゃない。大切な話だからこそ、証拠が必要なんだ。


 もうじき兄が来るのに、余計なことで時間を費やしたくない。

 

 おろしてくれ。金と慰謝料なら払う。

 面倒になって端的に言うと、女は大仰に眉尻を下げた。

 財布から万札の束を無造作に掴み出し、当面の費用にと手渡した。

 施術に当たって俺のサインが必要なら書く。早めに算段をつけてくれ。

 

 待って。私、産みたいの。

 とんでもないことを言い出した。俺は却下した。俺が父親だと言うのなら、俺の意見も聞いてくれ。俺は産んでほしくない。


 そんなの、無責任じゃない?

 女が泣き喚き始めた。チャイムが鳴った。兄が来たのだ。


 俺は部屋に上がり、インターホン越しに兄の顔を確認して、エントランスの解錠ボタンを押した。玄関へ戻ると、あろうことか女が靴を脱ぎ、上がり込もうとしていた。口元に手を当て、気分が悪いから少し休ませて、などと言っている。

 冗談じゃない。こちらは家族だけで話したいことがある。

 

 タクシーを呼ぶから帰ってくれと押し戻すと、女は般若のような顔つきになった。

 女が来たのね。そうでしょう。他に女がいるんだわ!


 溜め息が漏れた。

 来るのは兄だ。家族の大切な話があるんだ。頼むから帰ってくれ。

 刺激しないよう丁寧に説明すると、女の目つきが変わった。


 それなら私、お兄さんにご挨拶をして、この件をどう思うか聞いてみるわ。

 あなたのお兄さんって、あの秀才だった彼でしょう?

 彼女を寝取られて相手の男を殴った、真面目な人でしょう?


 そういえばこの女は、地元の人間なのだと思い出した。兄のことを知っているのだ。喉元から頭のてっぺんまで火柱が上がるかのような怒りを覚えた。

 こいつが兄を味方につけようと話しかけるところなど、見たくもない。


 帰れ! 叫んで肩の辺りを突き飛ばした。

 たったそれだけで女はたたらを踏み、上がり框と玄関土間の段差に足を取られて、後ろ向きにひっくり返った。

 花瓶の割れるような鈍い湿った音が響き、スチール製の傘立てが倒れる。仰向けに寝たまま起きない女の頭の後ろから、赤黒い液体がじわじわと染み出した。


 玄関ドアが開き、兄が顔を覗かせる。

 茫然とする俺を訝し気に見て、玄関に足を踏み入れた兄は、足元の惨状に気付いて、手に持った紙袋を取り落とした。

 ガチャンと音がして、酒瓶が数本転がり出る。


 救急車は呼んだのか。問われて俺は初めて、そうしなければいけない事態なのだと思い当たった。脈は。時間は。心臓マッサージは。


 救急車は出払っていて、到着までに時間がかかりそうだった。

 俺はぽつぽつと事実をありのままに話した。肩を突き飛ばしたら勝手にひっくり返ったのだと聞き、兄は頭を掻きむしった。


 死んだのは、俺が来る直前だな。

 ぽつりと聞かれ、頷く。

 中で何か口論しているのが聞こえたから、俺は、玄関ドアの前で少し待っていたんだ。このマンションの防犯カメラは、どこについているんだ?


 エントランスとエレベーター内、共用廊下の一部。

 各部屋の玄関前を見張っているカメラは?

 プライバシーの侵害になるから、それはない。

 なら、大丈夫だ。


 頷くなり兄は、転がっている酒瓶のうち割れていないものを手に取って蓋を開け、直接口をつけて呷った。

 遠くから救急車の音が聞こえてきた。


     *


 予め墓地には連絡しておいたから、石材屋を呼んで両親の墓石をずらし、骨壺を収められるようにしておいてくれていた。


 僧侶はいない。兄は、宗教にこだわるタイプではない。

 最近はそんな人も多いですよと、石材屋が訳知り顔で言った。

 すぐ蓋するってわけじゃないなら、あたしらは向こうで待機しとりますが。


 十分ほど時間をもらうことにして、俺は三つ並んだ骨壺を見つめた。


 兄ちゃん、ようやく戻って来られたな。

 父さん、母さん、やっと家族が揃ったよ。


 そんな風に相応しい言葉を胸の中で並べてはみたが、やはり脳裏にちらつくのは、兄が残したスイカの絵だった。


 お・ま・え・が・こ


 あの後に続く言葉は。


 蓋閉めますか?

 早くも十分経ったらしい。石材屋が近づいてきた。

 俺は頷きかけ――


「いや、もう少しだけ待ってください。あと十分」


 思い切って、兄の骨壺に手を伸ばした。

 蓋を開け、一番上に乗せた二つ折りの紙を取り出す。

 大急ぎで手帳から、解読表の載った古い紙を抜き出す。


 もしも兄が、俺が思った通りの言葉を告げようとしていたなら。

 スイカの絵と解読表に指を滑らせ、俺は頭の片隅で決意した。


 もう俺には、守るべき人はいない。

 兄との約束も、十分に果たした。

 兄と俺の人生を、元に戻していい時期だということだ。


     *


 近付く救急車の音を聞きながら、兄が言った。


 警察に聞かれたら、俺の言う通りに話せ。

 女と玄関先で話していたら、酔っぱらった兄が訪ねてきて、急に二人の間に割って入り、女の肩を突き飛ばした。女は足を滑らせて後頭部を打った。

 兄は手土産の酒を紙袋ごと玄関に投げつけた。怒っているようだった。

 わかったか?


 俺の旗手。

 その導きに、異議を唱える必要なんてない。

 

 足を滑らせただけでは説明のつかない衝撃が、検視結果に出た。

 刑事事件として立件され、兄は逮捕された。


 ――自分にないものを持っている弟が羨ましく、滅茶苦茶にしてやろうと思った。

 ――妊娠している女に嫌悪感があった。


 公判中に兄が語った言葉だ。


 判決は有罪。懲役十八年、執行猶予なし。

 酔って判断力が鈍っており、肩を突き飛ばしただけで明確な殺意があったとは言えないが、重大な結末をもたらした。未必の故意にあたる。そう裁判所は判断した。


 両親は土地と家を売った金を賠償に充て、縁もゆかりもない地方都市の小さなマンションに移り住んだ。

 連日メディアを騒がせる他の事件に比べたら、地味な案件だったのだろう。

 マスコミの張り付きは数日だけで、俺たちは時と共に忘れ去られた。


 俺は勤め先が外資系の企業だったことが幸いし、渡米が予定よりも遅れただけで他に支障はなく、予定通りにニューヨーク本社への移籍を済ませた。

 日本社会は加害者家族への当たりが強く、時にその悪影響は親戚にまで及ぶが、アメリカ社会では全くの逆で、加害者家族は励ましを受ける例も多いほどなのだ。


 ――おれのかわりにおやをたのむ。


 裁判を終え、手錠を掛けられて連れていかれる兄が、俺の方を見てそう唇を動かした。いつかのシード暗号と同じだ。

 俺たちの人生は、まだ交換継続中なのだと、俺は理解した。

 弟よりも自分が逮捕された方が、家族に影響が少ない。

 兄はそう判断し、的確に俺という駒を動かしたのだ。


 兄を旗手に。俺はその後ろを。

 俺たちは団結して、同じチームで走っていく。


 でも、もし兄が、その終焉を告げる日が来たのなら。

 ――おまえがころした。

 そう、まるで俺への恨みを晴らすように、真実を告げる日が来たのなら。


 お・ま・え・が・こ


 スイカの絵と解読表に指を滑らせ、確認しながら読み進める。

 指先が震えた。残る文字はあと三文字。

 い、し、い。


 ――おまえがこいしい。


 手と膝から力が抜け、便箋と解読表がはらりと地面に落ちた。

 タクシーの中からずっと、公判中に語った言葉のように、兄は本当に俺に恨みを抱いていたのではないかと、恐れていた。

 自分の人生を丸ごと乗っ取りながら、口を拭って生き続けている弟を。


「あのー、蓋閉めますか?」


 石材屋が声をかけてくる。

 はい。

 俺は頷いた。お願いします。


 元通りに閉められた墓の前に、俺は花を供え、線香に火を灯す。

 束になった線香はよく燃えた。風がないので、煙が真っ直ぐに空へ向かう。

 手の中に残ったシード暗号と解読表を、そっと線香に乗せた。

 たなびく煙は、兄の握り締める、あの白い旗のようだった。



<了>

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白き旗手とスイカの暗号 鐘古こよみ @kanekoyomi

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