婚約破棄されたのでグルメ旅に出ます。後悔したって知りませんと言いましたよ、王子様。

みらいつりびと

第1話 婚約破棄されたのでグルメ旅に出ます。後悔したって知りませんと言いましたよ、王子様。 

「汚らわしい魔女め! 即刻王宮から出て行け! おまえとの婚約は破棄する!」

 月光と魔族の返り血を浴びているわたしに、ルカ王子が罵声を浴びせかけます。

 魔女に見える格好かもしれませんが、完全に誤解です。

 でも、わたしにはこの誤解をとくつもりがない。

 婚約者をないがしろにして、女遊びを繰り返すルカ殿下にはほとほと愛想が尽きています。

「よろしいのですか? 一度破棄した婚約を再度結び直すつもりはありませんよ?」

「そんなことをするものか! リナ、おまえとは二度と会うつもりはない」

「わかりました。残念ですが、宮殿を去ることといたしましょう。わたしもルカ殿下とはもう会いたくありません。婚約破棄のこと、後悔しても知りませんからね?」

 わたしは変身を解除し、真の姿を彼に見せました。

 輝く光輪を頭上に頂き、純白の羽を背中に生やす天使の姿……。

「なんだ、その姿は……。美しい……」

 ルカ王子は呆然として、わたしに見惚れていました。

 わたしは残忍に微笑み、彼に告げました。

「我が名はリナエル。天界のアークエンジェルにして、スパニエル王家の守護天使。ですが、わたしをないがしろにする者に大天使の守護は与えられません」

 王子が床にぺたんと座り込むのを、わたしは冷たく見下ろしました……。


 ◇ ◇ ◇


 わたしは人間のふりをしているリナエルという天使です。年齢は極秘。

 人間名はリナ・カーリッジ。カーリッジ伯爵家の人たちの記憶を操作して、その令嬢になりました。

 人間界でのわたしは十七歳の見目麗しい乙女。金髪碧眼ですが、青の瞳は右目だけ。左の瞳は紅です。

 カーリッジ伯爵は魔王国の隣にあるスパニエル王国の貴族。

 わたしの使命は魔族からスパニエルの王族を護ること。

 カーリッジ伯爵令嬢として王国の社交界に入り込み、スパニエルの宮殿を魔族から秘かに護っています。


 スパニエル王国にはふたりの王子がいらっしゃいます。

 第一王子のナギ・スパニエル殿下は王族勇者で、二年前から魔王討伐の旅に出ています。きりりとした凛々しいお顔、艶やかなストレートの黒髪を持つ素敵な方との評判が高く、お会いしたかったのですが、わたしが人間界に降臨したときは、すでに旅に出た後でした。彼は十九歳です。


 第二王子はルカ・スパニエル殿下。銀髪くせっ毛の十六歳。愛らしい童顔をしていらっしゃるのですが、この方、女癖が悪いのです。でもそれを知ったのは、わたしが彼と婚約した後のことでした。

 ルカ殿下とは、王宮で催された舞踏会で初めてお会いしました。彼はわたしにひと目惚れしたみたいで、わたしに踊りを申し込み、なんとダンスが終わった直後に、「あなたと結婚したい」と言われたのです。

 ちょっと早すぎない、とわたしは驚きましたが、スパニエル王家を護るのがわたしの使命。第二王子の婚約者という地位は都合がよいと思いました。

 ルカ殿下の願いを受けて、国王様とカーリッジ伯爵が会談し、第二王子とわたしの婚約は早々に決まりました。

 実は陛下はルカ様の軟派ぶりを知っていて、さっさと身を固めて、落ち着いてもらいたいと思っていたそうなのです。この婚約で、王子が女遊びを控え目にすることを期待されていたのです。目に余るほど貴族の娘をとっかえひっかえしていたので……。

 でも陛下の目論見ははずれました。 


 わたしと婚約し、わたしが宮殿で住まうようになっても、ルカ殿下の女遊びは少しもやみませんでした。彼はチャラ男のクソ野郎だったのです。婚約者であるわたしをないがしろにして、他の女と遊んでばかり。

 一昨日はルノー公爵令嬢とオペラ鑑賞。昨日はペール子爵令嬢と馬車で海へ。今日はファンク伯爵令嬢とどこへともなく消えました。いつもそんな感じなのです。お帰りは夜遅くなってから。

 わたしとの婚約後、公爵令嬢のラーニャ・ルノー様と特に親しくしていて、夢中になっているみたいです。

「今日はわたしと遊んでくださらないのですか」と言っても、「ぼくは忙しいんだ」とつれない返事ばかり。

 天使だって女です。

 こんな男と結婚なんてしたくないと思うのは自然のなりゆきというものです。

 わたしはルカ王子をうとましく感じるようになっていきました。

 ナギ殿下に見初められたかったなあ、と後悔することしきり。第一王子とお会いする機会がないまま、ルカ様と婚約してしまったのは、痛恨の極みです。

 

 ルカ王子にはむかついていましたが、使命をおろそかにするわけにもいきません。

 夜な夜な宮殿に侵入してくる魔族の気配を察知し、わたしは秘かに戦っていました。

 天使の剣を空中から生み出して斬り殺し、王族の方々を襲おうとする魔族を未然に倒していたのです。

 わたしの前にこの使命に従事していたのは、アークエンジェルのルナエル様。王妃でもありました。30年間王様を護るというお役目を果たし、王妃は亡くなられたということにして、天界へ帰られたのです。

 代わりに来たのがこのわたしというわけです。


 ある夜、王宮の廊下でわたしはオークを殺しました。窓からは満月の光が射し込み、わたしはオークの返り血を浴びていました。こんな血は魔法ですぐ消せるのですが、間が悪く、すぐ近くの部屋から、物音を聞いたルカ王子が扉を開けて、顔をのぞかせました。その背後にはラーニャ様がいました。血を浴びたわたしの姿が王子に見られたわけですが、わたしは同時に浮気の現場を目撃したのです。わたしの心は完全にルカ王子から離れました。

「殿下、わたしという婚約者がいながら、ラーニャ様となにをされていたのですか」

 王子はそれには答えず、月光と魔族の返り血を浴びているわたしに、罵声を浴びせかけたのです。

「汚らわしい魔女め! 即刻王宮から出て行け! おまえとの婚約は破棄する!」 

 望むところです。

 こんな人とは付き合えないし、守護したくもありません。

 天使にも感情があるのです。

 わたしは正体を彼に見せました。ラーニャ様もわたしの姿を見て、唖然とされていました。

「我が名はリナエル。天界のアークエンジェルにして、スパニエル王家の守護天使。ですが、わたしをないがしろにする者に大天使の守護は与えられません」

 わたしは羽をはばたかせて、宮殿の窓から外へと飛び立ちました。


 ◇ ◇ ◇


 わたしが去り、魔族からスパニエル王家を守護する天使が宮殿からいなくなったわけです。

 王様とルカ王子は大変なことになるでしょうが、もう知ったことではありません。魔族が徘徊する王宮でせいぜい苦労なさってください。人間の戦士でも、魔族と戦えないことはありません。がんばって自衛してくださいませ。


 わたしは人間のリナ・カーリッジの姿で旅をすることにしました。

 ルカ王子の浮気に耐えながら、宮殿で魔族を秘かに倒す生活はもうこりごり。嫌な男のために戦うなんて、うんざりです。やってられません。

 これからは自由に生きるつもりです。

 スパニエル王家の守護はやめます。

 だって浮気して、婚約破棄したのは、向こうなのですから。

 使命を果たす義務はその瞬間になくなったのです。

 はあ、せいせいした。


 人間の姿で、わたしは旅をしました。

 世界は美しい。

 人間界を旅することはわたしの長年の憧れでした。

 雲上の天界ももちろん美しいところですが、やや面白味に欠けるのです。人間界は自然も文化も多様で飽きることがありません。

 美味しい海鮮料理が食べられて、波の音が素敵な海辺。

 山菜とジビエが楽しめて涼しい高原。

 古き良き街並みが残り、洗練されたフルコースが食べられる古都。

 旅は最高です。

 絶景を眺めるのは楽しい。でも実のところ、一番の楽しみは食事でした。

 天使の姿でいると、空腹を感じることはありません。苦しくはないけれど、美食を味わう楽しみもない。

 人間でいると、お腹が減ります。味覚を楽しみ、満腹感という至上の悦楽を味わうことができるのです。

 人間界に来て、わたしは自分が食いしんぼうだということを知りました。

 グルメ最高。

 パスタもピザもステーキもサラダもスープもシチューもパンもお菓子もなにもかも大好きです。


 旅の途中で、宮殿は夜ごと魔族に襲撃され、阿鼻叫喚の巷になっているという噂を聞きました。

 ルカ王子が死ぬほど後悔し、わたしに帰ってきてほしいと望んでいるらしいことも。

 帰ってあげるつもりはまったくありません。

 いい気味だと思っています。

 とある港街で、わたしがレストランでロブスターとムール貝のシチューを味わい、白ワインを飲んでいるとき、ルカ王子が現れました。彼の旅装束は汚れ、その顔はやつれていました。

「すまなかった、リナ。あやまる、このとおりだ」

 殿下が衆人環視の前で頭を下げました。

「婚約破棄はなかったことにして、王宮に帰ってきてくれ。ぼくにはあなたが必要だ」

 わたしは虫けらのように彼を見下げました。冷酷に微笑んで、告げます。

「あなたとはもう会いたくないって言ったよね。婚約破棄のこと、後悔しても知らないって。そのつらをわたしに見せるな!」

 王子は屈辱で震えていました。

「きさま、このぼくに向かってなんて無礼な物言いを……!」

「無礼なのはあなたよ。わたしが大天使だってことを忘れないで。あなたの力でわたしをどうこうしようなんて、不可能なんだからね」

 わたしは敬語を使いませんでした。こんなやつに敬意を表する必要はありません。


 ◇ ◇ ◇


 その後、わたしは魔王城をめざしました。

 魔王討伐なんて、実はさほど興味はなかったけれど、王族勇者のナギ王子にお会いしたかったのです。

 彼の率いるパーティが魔族四天王を倒し、魔王城にまもなく到達しようというあたりで、わたしは彼に追いつきました。

「わたしはリナ・カーリッジ。剣士です。魔王討伐の戦いに加えてください」

 そうわたしが言うと、ナギ殿下は驚いた顔をしました。

「あなたのように美しい女性が、魔王城に行くと言うのですか。もし捕らえられたら、大変な辱めを受けることになります。無謀です」

「無謀かどうか、あなたの腕でお確かめください、王族勇者のナギ王子」

 わたしは空中から剣を取り出し、王族勇者に挑みました。

 わたしの剣技はナギ様と同等か、それ以上でした。

「あなたはお強いですね。ぜひ同行してください。ともに魔王を倒しましょう」


 魔王城ではいろいろと大変な戦いが繰り広げられましたが、わたしが書き残したい愛とグルメの物語にはあまり関係ないので、詳細は割愛させていただきます。

 重要なのは、魔王討伐の過程で、わたしとナギ王子が恋仲になったこと。

 わたしたちは助け合い、愛を育んだのです。

 わたしと彼の剣が同時に魔王を刺し、かの強大で邪悪な者はこの世から消えました。

「魔王を倒したら、きみに言いたいことがあったんだ」

 第一王子の青い瞳がわたしを熱く見つめ、わたしは青と紅の瞳で見つめ返しました。

「付き合ってください」

「はい!」


 美しくて、強くて、誠実な方。ルカ王子なんかは比較対象になりません。兄弟なのが不思議なほど人格がちがいます。

 そして、ナギ王子は旅を愛していました。

 わたしと彼は、趣味も一緒だったのです。

 魔王を倒した後、わたしたちは世界を旅して周りました。

 ふたりで美味しい物をたくさん食べました。 

 わたしたちはしあわせな旅をつづけました。

 美味しいごはんと美しい景色、そして素敵な恋人。

 その上、彼と一緒にいると、スパニエル王家の守護という使命も果たせるのです。

 これ以上の幸福があるでしょうか。


 魔王が死んでも、魔族がすべて滅んだわけではありません。

 王宮は魔族に常時狙われ、王様とルカ王子は困り果てているようでした。

 わたしは注意深くその情報をナギ王子に知られないようにしていました。

 王子は自由を好む人で、魔王を倒したら王位を継がず、好きなように生きていいと王様から言われて、魔王討伐の旅に出ていました。王宮の危機を知らないでいたら、彼はわたしと旅をつづけてくれるのです。

 ある日、救援を懇願するルカ王子からの手紙が、わたしたちの常宿に届きました。

 わたしはそれを読み、ナギ様には知られないように、さっと暖炉に放り投げました。

「燃やしてしまうのかい? 誰からの手紙だったの?」とナギ王子から訊かれました。

「昔ちょっと知り合ったことのある嫌な男性からの手紙です。彼のことはもう思い出したくありません」

「そうか。無理に思い出すことはないよ」

 ナギ王子はそのたくましい腕で、わたしを抱きしめてくれました。

 あんな王宮には戻るものか。

 わたしはぺろっと舌を出し、ナギ王子の背中に腕を回しました。

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