異世界に転生したけどトウモロコシを育てて静かに暮らしたい。

*****

「はい、言ってた食材、ここに置いとくから」

 赤髪の少女は言った。どっさりと野菜だのたまごだのの乗ったかごを重い音を立ててテーブルの上に置いた。

「人使い荒いわねまったく。わざわざ運ばされるこっちの身にもなれってのよ」

 少女は溜め息を吐いた。少女の赤髪が風に揺らぎ隙間から尖った耳が見えた。

 空は青かった。ここは街から少し離れた小さな農耕地で、実ったトウモロコシが畑に整然と並び、風にそよいでいた。

 空には大きな雲が浮かび、強い日射しが少女が居るこの小さな東屋を照らしている。

「すまない。でも、それが使い魔の君の仕事なんだろう?」

「まぁ、そういう契約だけどさ」

 そう言ったのは少女の前の男だった。中年の男だった。無精髭を生やし、やぼったい格好の男だ。笑顔には力はなく、その目はやけに静かだった。

 彼がこの小さな農園の主であり、小悪魔たる少女の主だった。

「せっかくこの世界に転生出来たって言うのに、毎日毎日トウモロコシ育てるだけでつまらなくないわけ?」

「正直つまらないけどこれでいいよ。このトウモロコシを育てるスキルを選んだのは僕なんだから」

 男は元々この世界の住人ではなかった。こことは別の世界でこの年になるまで生きてきた人間だった。その世界のニホンという国のある家庭の子供として生まれ、その環境で大人になり、そしてこの年になるまで生きてきた。その折り唐突に事故で死んだのだ。

 死んでから男はふたつの世界の狭間でこの世界の女神にこの世界に招かれたのだ。

 この世界には余所からの存在がどうしても必要で呼ばれたのだ。存在が世界の柱になると言う話だった。

 だから、別に世界を冒険しても、魔王を倒しても、逆に悪党として名を上げてもなにをしても自由だという話だった。

 そして、死してなお世界に呼ばれる見返りとして、特殊な能力をひとつもらえることになっていた。

『殴殺』『蹂躙』『執行』『踏破』『調律』。何かを打ち倒すための能力、管理するための能力、そして冒険するための能力。様々なものがあった。全部で100以上はあっただろう。

 そして、女神が最後にあまりものとして紹介したのが『トウモロコシを栽培する能力』だった。

 完全な余り物だった。広大な土地にトウモロコシをいくらでも生やせるというわけではない。本当に標準的な、小さな農家が持つ小さな畑一面分にトウモロコシを育てられる能力だった。

 あまりにも地味で、あまりにも魅力が薄かった。少なくとも普通の人間には。

 しかし、男はそれが良いと言った。

「冒険も討伐もなにもしなくて良いならそれが良い」

 男は生気のない目で女神にそう言った。

 そして、女神は了承し、ガイドとして使い魔を一体授け、男をこの世界に送り出したのだ。

「まぁ、トウモロコシを年がら年中作れるから食うに困らないのは良いけどさ。販売ルートも見つかって軌道に乗ってきたし」

「一年中トウモロコシを食べれるのは良いことだからね。いや、良いのかな。トウモロコシってそんなに良いものかな」

「知らないわよ。でも一応ちゃんと売れてるんだしみんなにとってはそうなんでしょう」

 少女は買ってきた岩にしか見えない果実を皮ごと丸かじりした。岩にしか見えない皮が砕け、中からトロトロした身が流れ出て少女はそれを飲んだ。

 男は手に入れた能力でトウモロコシを育てて売り、そして生活していた。

 ただそれだけだった。男が異世界にやってきて特殊な力を手に入れてやっているのはただそれだけだった。

 男がやっているのはただ『静かに生きる』、それだけのことだった。

 そういう風にしてもうじき2年だった。

「変なやつ。あのクソ女神の話だと、転生者っていうのは大体『攻撃寄りの力』を選んで冒険するもんだって話だけど。正義のやり方か悪党のやり方かは別として」

「そうなのか。みんなアグレッシブだな」

「あんたが枯れすぎなのよ」

「そうは言ってももう40過ぎてるからなぁ。40のおじさんが勇者名乗って綺麗な女の子と冒険するの結構苦しくないかな」

「知らないわよそんなこと」

 少女はガリゴリと中身がなくなった果実の岩のような皮を噛み砕いて呑みこんだ。

「僕はこれで良いんだ。これが良い。おだやかで良いよ」

「大体、こんな能力じゃ誰か攻めて来たらどうするのよ」

「そこはほら、上級悪魔の君が居るから。大丈夫」

「つまんないやつ」

「ごめん」

 はは、と男は笑った。

 しかし、少女は知っていた。主として契約した男、悪魔の力でその頭の中をのぞいて知っていた。

 前の世界で男の人生にはなにもなかった。

 親は一人しかいなかった。母親だった。男が生まれた時から病弱で、男は母親を支えながら育った。当然家は貧しく、ガッコウというところにもまるで居場所はなかった。

 そして母は男が13の時に他界し、親戚の家で腫れ物扱いされながら暮らして大人に。

 シンガクはせずに職に就いた男だったが、居場所がないのは社会でも同じだった。

 男に能力らしいものはなく、ただ毎日罵倒され、酷いときには蹴りつけられ、そんな制度は男の国にはないのにまるで奴隷だった。

 それがずっと続く毎日だったのだ。それがずっと続いて、おじさんになってから男は死んだのだ。ただそれだけの人生だったのだ。

 男の毎日には苦しみしかなかった。男の毎日に救いはなかった。男の毎日に終わりはなかった。

 ただ漠然とずっと苦しみが続いた人生だったのだ。

「つまんないやつ」

 少女はまた言うのだった。

「そう? でも結構好きだよこの能力。トウモロコシを育てるだけだって大したもんだよ。こんなすごいこと出来なかったから」

 はは、とまた男は笑った。

 男の顔は力ない笑顔だったが、その笑顔の裏にどれだけの感情があるのか少女には分からなかった。人間の考えることは分からなかった。

「はぁ、静かで良いね。穏やかな気分だよ。ずっとこれが続くだけで良いんだ僕は」

 そして、男は風にそよぐトウモロコシ畑を眺めて言うのだった。

「本当につまんないやつ」

 少女はまた溜め息混じりに言うのだった。

 しかし、少女はそんな男を見ると、どこか寂しくて悲しくなるのだった。そして、言葉とは裏腹にこの平穏を護ってやりたいとも思うのだった。

 空は晴れて、遠くに大きな雲が浮いている。日射しは強く、うだるような暑さだった。

 時折風が吹き、さわさわと心地良い音が辺りには響いている。

 そんな農園の東屋で、一人のおじさんと少女が佇んでいる。

 トウモロコシの葉は穏やかに揺れていた。

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異世界に転生したけどトウモロコシを育てて静かに暮らしたい。 @kamome008

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