生まれたら使い捨ての人工生物だったので命の使い道について考えます

黒葉 傘

使い捨ての命

 …………


 ………………?


 ……何だろう?……どこかで電子音が鳴っている……


 …………うるさいな……


「…………う……ん……」


 寒い……私は目を瞬かせる。……変だな……身体が怠いし、重い。いつも寝起きはいい方なのに。


 …………いつもって何だ……?


 ヨロヨロと上体を起すと、枕元に見慣れない機械が転がっていた。先ほどから鳴っている耳障りな電子音はこいつから発せられていたようだ。


「ぅるさいなぁ……」


 目を擦りながらそれを手に取る。すると電子音が止まり、代わりに独特な起動音と共に画面が灯った。


『おはようございますOZ04! 無事五体満足でロールアウトを完了したようですね。嬉しく思います』


「ぅん?」


 画面に見知らぬ女性が映る。


『地上の浄化作業は順調に進んでいます。光栄なことにあなたもその一端を担うのです』


 女性の声に合わせて目の前の映像が変わる。荒廃した大地に瓦礫の山。見慣れない植物、ありえないほど巨大な建造物……


『汚染が進んだ地球を掃除し、人類の住める星に戻す。それがあなたたちPURIFIER清掃員の使命です』


 言葉と共に黒い隊服に身を包んだ男女が映し出される。その整った顔は左右対象すぎて作り物めいていた。


『よりよい人類の未来のために! 全てを浄化せよ!!』


 彼らが敬礼をすると壮大な音楽が流れ、ロゴが大きく表示される。


「地球浄化計画………プロジェクトアーク…?」


 なんだそれは?


 首を傾けていると、空気の漏れる音と共に頭上の扉が開き、冷たい風が中に入ってきた。扉の向こうは外につながっているようだ。


 扉の外を覗き込むと、そこには荒廃した世界が広がっていた。廃墟の街。所々崩れた建物や倒壊した高層ビル群。アスファルトを砕きそびえ立つ木々が年月の経過を感じさせる。私の記憶にある都市の風景とは全く違う。


 記憶……そもそもそれがはっきりしない。自分の身体を見下ろす。華奢な身体、視界に入る長い白髪と胸のわずかな膨らみ。デバイスに映った女性と同じような黒を基調とした隊服に身を包んでいる。


 私はそもそも女性だっただろうか……?どうにも記憶があやふやだ。自分が誰なのかすら分からない。分かるのは、ここが知らない場所だということ。


 デバイスから再び電子音が鳴る。


『汚染生物の反応を検知しました。直ちに浄化を開始してください』


 画面に地図が表示された。ここに向かえばいいのだろうか?私は荒廃した世界へと一歩を踏み出した。









 この世界で目覚めてから、一ヶ月が経過した。目覚めた直後は混乱していたものの、今ではだいぶ落ち着いてきたと思う。デバイスからは過去のPURIFIERの活動記録や報告書にアクセスできたため、大体のことは把握することができた。


 まず大事な話なのだが、私はどうやら使い捨ての人工生物らしい。


 その見た目から当初自分を人間だと考えていたのだが、デバイスに記された私のスペックは人間と呼ぶには痴がましいものだった。


 汚染除去のため汚染環境でも活動できるよう作られた人型生物、それが私だ。


 人工生物であるPURIFIERは短命だ。どの個体の記録を見ても長生きはしていない。耐久年数は1〜3年といったところか、長い個体でも5年以内には活動を停止している。活動を停止した個体からは種が発芽し、その亡骸を栄養源に木が生える。デバイスも、着ている隊服も、土に分解される素材でできているらしい。つまり私たちは生きている内は地上を浄化し、死んでも大地を汚さず木々を育てる、まさに理想の使い捨て掃除用具というわけだ。


「オズ、こんなところにいたの。また寝袋に入って、まだ夜じゃないわよ」


 私がぼんやりと考え事をしてると不意に声をかけられる。オズ、私のロットナンバーであるOZ04を元に付けられた私の名前。


 見上げればそこにいるのは黒い髪をショートカットにした女性。彼女の名前は小鳥遊 夕。私と違い、歴とした人間だ。





 あの日私がマップに記された汚染生物の反応へ向かうとそこにいたのは彼女だった。私の姿を見た彼女は銃を構えた。私はそんな彼女をただ眺めていた。銃を向けられる、という事態に慣れていなかったこともあるし……まさか人間が駆除すべき汚染生物に指定されているとは思ってもいなかったのだ。


 視界に映る彼女の髪は一部が変色し、腕の長さも左右で違う。私の知識にある人間とは違い、汚染により形を歪められていた。でも、確かに人間だった。


 私は攻撃の意思がないと伝えるため、手を上げた。彼女はしばらく私を警戒していたが、攻撃してこないと分かると踵を返しその場を後にした。


 私は彼女に黙ってついて歩いた。彼女が足を止めると私も止め、歩き出せば私もついて歩いた。黙々と彼女について行った。他の人間に会えるのではないかと思った。私は人間的で、文化的暮らしを求めていた。


 それから半日ほど歩いて、廃材に囲まれた街にたどり着いた。見た目は廃墟のように見えたが、そこには確かに文明の明かりが灯っていた。





 今、寝袋にくるまっている私は夕の家に居候させてもらっている。粘り強く敵意がないことを主張した結果街へ入れてもらえたのだ。夕は私の身元を引き受けてくれた。元々、PURIFIERは人を攻撃しない個体が多く、私はそんな大人しい個体だと判断されたのだ。


 この一ヶ月の間、私は力仕事や農作業を手伝いつつ自分や世界のことを調べていた。それによると夕を含め、今地上にいる人間はみな汚染された大地に取り残された人々の生き残りのようだ。地球が汚染された時、選ばれた人間は宇宙と地下へ逃げた。


 宇宙に逃げた人々の記録はないが、地下に逃げた人々の記録は残っている。地下へ逃げた人々は地下都市を建造し、そこに地上を再現した。でも、彼らは偽物の空を憂い大地へ帰ることを夢見て、私たちPURIFIERを作った。汚染された大地を一掃し、また一から地球をやり直そうとしたのだ。しかし、彼らもまさか地上に残された人間が生き延びていたとは思わなかったのだろう。


 人間のため地上を浄化する計画なのに、その抹消する汚染生物の中に人間が入ってしまっている。これは一体どういう皮肉だろうか?


「ほらオズ、起きてー」


 夕の声で思考を中断させられる。彼女は私を抱き起こし、寝袋から引きずり出した。幼子のように扱うのはやめて貰いたいものだ。


 PURIFIERには地上で活動するのに支障がないよう、ランダムに選ばれた数人分の人間の記憶が埋め込まれる。そのせいか、自分の輪郭がはっきりしない。私は男なのか、女なのか。女性型ではあるがそんなものは作られた入れ物でしかない。だからか同性として接してくる彼女には妙な引け目を感じていた。


「大丈夫、起きてる」


 彼女をやんわりと押し返す。


「そう、集会が始まるから早く行きましょう」


 この街では定期的に集会が開かれている。この世界は過酷だ。食料の確保、危険生物の対策、生活必需品の調達など課題は山ほどある。そのための話し合いだ。


 集会所に入ると既に多くの人たちが席についていた。夕の隣の席に座り静かに目を閉じる。しばらくすると、リーダーの男が壇上に立ち集会が始まった。私は目を閉じながらその議論に耳を傾ける。


 先ほど寝袋に入っていたり、今も目を閉じているのはなにも睡眠が足りていないからではない。むしろPURIFIERは睡眠を取らずに3日ぶっ通しで稼働できる。私がこうしているのは自分の稼働年数を少しでも伸ばすためだ。過去の記録を探ってみると、よく働いた個体ほど耐久年数が短い。特にPURIFIER固有の武装兵器、血塊炉を使った個体は寿命が短い。


 勝手に生み出され、製作者のためにその命を使うのはごめんだ。私の命は私の物だ、どう使うかは私が決める。だから私はできる限り長く生きてこの人生を謳歌してやると決めていた。そのため動きは最小限、口数は少なく、自由時間には寝袋に包まりジッと体を休める。そうして私は自分の寿命を少しでも伸ばそうとしていた。


 目は閉じていても話はちゃんと聞いているから問題はない。ふと、気になる話題が議題に上がり目を開ける。


「私以外の、PURIFIER?」


 思わず声に出してしまった。いつもは静かにしている私の反応に、周りの視線が集まる。私は慌てて何でもないように首を振った。


 私以外のPURIFIERにあったことはない。どんな感じなのだろうか?まぁ私とはだいぶ違うだろうな……記録を見る限り人に協力的な個体であっても、最低限の浄化作業はこなしているみたいだし。私ほど自己中心的な個体はなかなかいないだろう。


 件のPURIFIERは赤黒い鎧を纏い、街の外周部にいる危険生物を掃除していたところを目撃されたらしい。赤黒い鎧……かわいそうに、血塊炉を使ったな。それも黒ずんでいるということはかなり汚染が進んでいる、おそらく後一年も持たないだろう。私は見ず知らずの同胞に同情した。結局、そのPURIFIERには近寄らない方がいいという結論になり、その日の集会は終わった。


「オズ、帰るよ〜」


 夕が私を抱えて立たせようとしてくる。


「夕、起きている、私は」


 だから、抱き抱えるのをやめてくれ。私は幼子じゃないぞ………まぁ、まだ生後一ヶ月だけど。私は夕に連れられて集会所を出ると、そのまま家路についた。









 私は人工生物ではあるが、食事を必要としないわけではない。むしろ寿命を考えるなら、栄養価の高いものを食べなければならない。そういう訳で私は家畜や農作物の世話は積極的にしている。


 でも街で育てるには限界がある。外で食料を調達する必要があるのだ。今日はそんな調達日だ。私の持つデバイスは汚染生物を探知できるので、このような調達に同行することは多い。ちなみに、私は血塊炉を使うつもりはないため護身用に銃を貸してもらっている。


 今回の獲物は木の根元に群生するキノコだ。夕達の後をついて歩く。この荒廃した景色にも少しは慣れてきた。私の記憶よりもはるかに大きい建造物、その中に木々が生え森のようになっている。PURIFIERの亡骸から生えた木々だろう、すごい数だ。


 何人かのグループに分かれて、キノコの採取を行う。私にキノコの知識はない、後で確認すればいいだろうと、とりあえず取れるだけ取る。この収穫が私の栄養になるのだからやる気も出るというものだ。


 しばらく黙々と作業をしていると、夕がこちらに近づいてきた。彼女は私の隣にしゃがみ込むと、私の持つキノコを指差しバツ印を作った。どうやらこれは食べられないらしい。


 街の外はどんな危険が潜んでいるかわからないため、極力音は立てない。意思疎通はこのようにジェスチャーで行うことが多い。私は夕に頷くとキノコを地面に捨てた。すると彼女は笑顔を浮かべて、私の頭を撫でてくる。だから私を子供扱いするな。


 そうやってしばらく二人で森の中を散策していると………遠くから銃声が響いた。銃声……食べられそうな動物がいたのか、それとも危険生物か?私達は顔を見合わせると音の方向を見る。


 鬱蒼とした森が広がり見通しが悪い。デバイスを起動して汚染生物の有無を確認。汚染生物の反応が6つ。これは夕を含めた人間の反応なので問題ない。


 また響く銃声。デバイスが探知していないということは危険生物と遭遇した訳ではなさそうだが。


 その時、6つあった生態反応の1つが消失する。


「…………え?」


 思わず私は驚きの声を上げた。生態反応が消えた、それはつまり生命活動がなくなったということで……


 死んだ……?……なんで?


 呆然と立ち尽くしていると、銃声が激しく響き渡り……また反応が1つ消失した。何かと戦っている?


 銃声の方向に駆け出そうとする夕の手を掴んで引き留めた。夕は私の手を振り払おうと腕を動かすが離さない。私は夕に視線を向けると首を横に振った。夕はそれでも嫌がったけど、私は絶対に手を離さなかった。


 銃声と断末魔のような悲鳴。今までに感じたこともない生命の危機に心臓が早鐘のように打つ。銃を持つ手が震える。うるさい、心音が。


 音が止んだ。何も聞こえない、ただ静かな森が広がっているだけ。


 デバイスを確認すると汚染生物の反応は1つ。夕の反応以外は……全て消失していた。


 緊張で息が詰まる。今この森に人間を殺した何かがいるのだ。


 夕の手を握る力が強くなる。


 ふと、私の耳が音を拾う。何か硬質なものが擦れる音、それがこちらに向かってくる。瞬時に私は夕を近くの茂みに突き飛ばした。


 草木を押し退け、現れたのは赤黒い鎧を纏った少女だった。


「アれ〜汚染生物の反応ガあると思ったら、同僚じゃん!」


 私と同じPURIFIERだった。道理でデバイスが反応しないわけだ、この機械は私の生体反応を探知しない。PURIFIERの生体反応は探知していないのだ。


 彼女は陽気な様子でこちらに歩み寄ってくる。その首元はバックリと裂け、そこから流れ出る血がまるで生き物のようにうねり彼女を纏う鎧へと変化している。


 血塊炉だ。彼女の血塊炉は既に稼働しており、汚染された大気に触れた血は黒く濁っている。


「……仲間は初めて見たよ」


 作り笑いを浮かべ彼女へと話しかける。敵対はされていない。幸い夕の生体反応も私のものだと勘違いしてくれている。このまま、夕のことは誤魔化し通すしかない。私は夕を庇いながら、いつでも逃げ出せるように体勢を整える。


「アタシも他のPURIFIERハ初めて見たヨォ。ねぇネぇロットナンバーはいくつ?」


「OZ04だ、君は?」


「OY92だヨ〜、君私の次のロットだね。やっぱり性能高いのカナァ?」


 そう言って彼女はケラケラと笑う。


 次のロット……?ああ、OYが99体以上になったから繰り上がってOZのロットになったということか。


「知らナイの〜、私たちはロットが切り替わるごとにアップデートが入ルンダよぉ!つまり君は最新型とイウわけだよ後輩君」


 OY92は得意げに胸を張る。私はそれに曖昧に微笑み返す。彼女はまるで子供のように陽気で無邪気に見える。でもOY92は人間を屠ってここに来ているのだ。彼女の態度と、その事実のギャップに吐き気がする。


「ところでサァ、後輩君。大量の汚染生物の反応があるんだけど……ナンデ浄化シテナイノ?」


 OY92がかざすデバイスに映った何十もの汚染生物の反応、……街だ。冷や汗が背中を伝う。もう、街の存在に気づかれている。


「汚染生物……違う、これは人間だろ」


 声を絞り出す。相手はその手で人間を殺している、こんな反論無意味だろう。


「人間?ニンゲン?にんげぇんん〜???」


 OY92は不快な声音でケラケラと笑った。


「知らないのぉぉ〜?こいつらノDNAはもう汚染し尽くされちゃっテ本物とハ全然違ウ。人間じゃナイんだよ!大地を汚ス汚染された生き物だ!掃除シナキャ!!」


 彼女は無邪気な笑みを浮かべて言い放つ。狂っている。私は恐怖に駆られそうになる心を必死に押さえつけた。


「だとしても……自分と同じ姿で、同じように思考する生き物を殺すなんて……心が、痛まないのか?」


 私は精一杯の抵抗として、彼女に問いかけた。すると彼女はキョトンとした表情になる。そして、腹を抱えてまた笑い始めた。


 何がおかしいんだ?私は何も間違ったことは言っていないはずだ。


「心!ワカンないよそんなモノ。生き物ヲ傷つけるのはイケナイと心がカンじる、でも同時に傷つけるノハ楽しいとモ感じる。心が矛盾シテル、甘いものはスキ? 嫌い?暴力は好き?キライ?私ノ中の記憶が噛み合わナイ」


 OY92は笑顔のまま首を傾げる。その顔に浮かんだ笑顔は自分の記憶の矛盾によって酷く歪んでいた。


 ああ、そうか……


 PURIFIERには地上で活動するのに支障がないよう、ランダムに数人分の人間の記憶が埋め込まれる。彼女に埋め込まれた記憶は全て価値観の異なるものだったのだろう。だから記憶を頼りに判断しようとしても、記憶は別々の回答を吐き出す。その結果、彼女の答えはいつも矛盾だらけになってしまい、その矛盾に耐えきれず、彼女は壊れてしまったのだろう。


 私は運良く埋め込まれた記憶が似たもの同士だっただけ。埋め込まれた記憶がちぐはぐだったのなら、私も彼女と同じように狂っていたのかもしれない。


「アハハ!よりヨイ人類の未来のためニ!全てを浄化せよ!!」


 そう言うと、彼女は踵を返して立ち去った。


 私は、彼女を止めなかった。彼女を止めなければ、街が襲われる。たった一ヶ月、それでも愛着を持ち始めていた街が、人が壊される。それが分かっていても、私は震えることしかできなかった。彼女の中に私を見た、私と彼女の違いは埋め込まれた記憶の差でしかない。


 自分の手にしたちっぽけな銃で彼女を止められるとは思えない。なにより、私は死ぬのが怖かった。できるだけ……長く生きたいと思ってしまった。街の人々と自分の耐久年数を天秤にかけ、私は浅ましくも後者を選んだのだ。


 背後から茂みの揺れる音、夕が木の葉を払いながら立ち上がる。


「あいつを、止めなきゃ」


 私と違い、彼女の目には強い意思が宿っていた。街を、彼女の仲間を守りたいのだろう。でも………


「………どうやって?」


 銃で武装した五人の人間がなす術もなく殺されたのに、彼女にどうにかできるとは思わなかった。私の問いに思案するように彼女は黙り込む。


「私が……あいつの足止めをする。オズは街に戻ってみんなに危機を知らせて。逃げるのよ」


 その答えに、私は心のどこかで安堵していた。自分はあの化け物に立ち向かわなくていいと言われたから。その自己本位な考えに嫌悪感が湧き上がる。私は卑怯者だ、自分の命ばかり大切にしている。彼女は自分の命を賭けようとしているというのに。


「死ぬよ?」


 そう呟いた私の声は震えていた。彼女は少し困ったような顔をしたが、すぐに決意を固めたような表情に戻った。


「みんなを守らなきゃ」


 強い言葉。


 ああ、もう彼女は命を捨てる覚悟をしてる。頭が痛い、嫌悪感に胃液がせり上がってくる。怖い、死にたくない。でも、私は見捨てるのか?生まれて初めて会った人間を……この世界で唯一友人と呼べる人を。


「……逆……だよ」


 掠れた、小さな、小さな声だった。それでも私は言った、言ってしまった。


 そうだ逆だ、あいつを止めるなら私が行くべきなのだ。だって私はあの化け物と同じ人工生物なのだから。私も血塊炉を稼働すれば互角に戦えるはずだ。


 でもそれは、OY92のように血液を垂れ流し、汚染に蝕まれるということだ。血塊炉を使った個体は特に寿命が短い。その事実に、絶望に涙が溢れる。


「オズは戦わなくていいよ」


 優しい声、頭を撫でられる。暖かい手だった。


「オズが短い寿命を気にしているの、知ってたよ」


 彼女は優しく微笑む。


「オズは私の妹に似ているの、あの子は病弱でいつも寝袋にくるまっていた。最後まで、生きたいって全力で足掻いてた。冷たくなるあの日まで」


 ああ、そうか夕が私を幼子みたいに扱う理由……彼女は私と幼い妹を重ねていたんだな。


「オズには生きて欲しい。だから逃げて」


 それは甘い誘惑、この誘惑に流されれば、私は生き長らえるかもしれない。でも、どこか……納得できなかった。


「なんで、そんなに簡単に命を捨てるの」


 私はこんなにも醜く足掻いて、自分のその短い寿命を伸ばそうとしている。なのに、彼女は私よりはるかに長い寿命を投げ捨てようとしている。それが、理解できない。


「命令すればいい、私に……あいつと戦えって……そうすれば、死なずにすむのに」


 私は泣きながら、情けない声で彼女に問いかけた。命令して欲しい、私に。そうすればこの恐怖も葛藤も全て忘れられるのに。


「オズには、私の妹みたいになって欲しくないの……」


「私はあなたの妹じゃない!」


 夕の言葉を遮る。


「それどころか、あなたと同じ人間ですらない!使い捨ての!人工生物で!すぐ死ぬ命なのに……なぜ私を守ろうとする?


なぜ命を捨てる!?


生きたくないのか!?


死が怖くないのか!?



…………怖いと言ってくれ




…………………………夕が死ぬと私は悲しい」


 悲しかった、彼女を殺して、私だけ長らえるなんて。夕の体が震える。


「私だって……私だって怖い……よ……」


 ああ、やっぱり夕だって怖かったのだ。それでも、彼女はこの私を、街の人々を守りたかったのだ。


 夕を抱きしめる。彼女の心臓が力強く脈打つのを感じる。彼女の体温が、熱が私に勇気をくれた。


「ありがとう、守ろうとしてくれて。ごめんなさい、私の命にそんな価値はないよ」


 私はそのちっぽけな命を、彼女のために使うと決めた。私が生きた証を残すために。


 彼女から体を離し、走り出す。後ろから私の名前を呼ぶ声がする。後悔を振り払うように、加速する。人間のスペックをはるかに凌駕した身体は木々の間を駆け抜け、一瞬で森の出口へと到達した。


 OY92の姿を探す、彼女は街に向かっているはずだ。走った、街を目指して、地面を踏み砕き、空気を切り裂きただひたすらに。そうして街へ続く道の半ばでOY92の姿を見つけた。


「OY92!!」


 叫びながら、彼女の前に立ち塞がるように着地する。OY92は少し驚いたような顔をしたが、すぐに怪訝な表情を浮かべた。


「後輩君〜どウしたの」


「やっぱり……人間は殺させない」


 もう迷いはない、守ると決めた。


「どうしたのォ? 汚染生物をかばうなんてサァ」


 OY92の纏った鎧が蠢き、彼女の顔を覆っていく。


「ヤル?」


 殺気が放たれる。恐怖が私の全身を駆け巡る、それでも引けない理由があった。


 私も血塊炉を稼働する。血液が沸騰するように全身を循環し始めた。

体中の血管が、筋肉が、細胞一つ一つが燃え上がり視界が赤く染まる。


 メリッ


 背中の肉が裂ける感覚に私は絶叫する。背中から、私の血が、命の源流が流れ出し、形作った。


「へェ、これガ最新型の血塊炉か!」


 それは翼だった。背中を裂き、溢れ出る血によって形成された赤い翼。血の粒子が煌めきながら、舞い踊る。私の身体が瓦礫を巻き込みながら宙に浮く。


 初めて使うのに、私の頭はこの力の使い方を理解していた。全能感が私を支配する。恐怖は消えていた。


 宙に浮く瓦礫の塊をOY92に向けて射出する。弾丸のように高速で迫る岩の礫を彼女は避けようとする。でも避けられない、避けさせない。だって私が足止めするから。彼女の体が普段よりもはるかに重い自重により地面に沈む。予想外の事態にOY92はバランスを崩す。


 着弾、血で形成された彼女の鎧が砕け、黒ずんだ赤が舞い散る。瓦礫が、鉄屑が、浮き上がり彼女へと狙いを定める。


「重力を操るなんてェ、どんな性能シテルのよ!ロットが一つ違うだけなのニぃぃぃ!!」


 OY92が吠える。でも私は動くことさえも許さない。力を高め彼女を地面へと押しつぶす。そうして磔にした彼女へと……無数の鉄とコンクリートの塊を放つ。


「ごめんなさい………」


 その日私はこの世界に生まれて初めて命を奪った。









 流れる雲を私はぼんやり眺める。私はもう以前のように寝袋に包まるのをやめた。その代わり、こうやって屋根の上で街の人々を眺めることが多くなった。そよ風が羽を揺らす感触がくすぐったい。この鮮やかな赤い羽が濁って黒く染まった時、私の命は潰える。それはそう遠くない未来だろう。


「おーい、オズー」


 私を呼ぶ声がする。夕が私を探していた。私はヒラリと地上へ着地する。


「こんなところにいたの。外は冷えるわよ」


 夕が私の手を取り家の中へと導く。彼女は血の羽を生やした私を見ても嫌な顔ひとつせずに、受け入れてくれた。その手は温かかった。


「どうしたの?まだ集会には時間があるけど」


「これを見て欲しいの!」


 彼女はカバンを漁るとあるものを机に広げた。


「これは……地図?」


 彼女が見せてくれたのは、この辺り一帯の地図だ。かなり古いものなのか、所々が擦り切れている。巨大な建造物を中心に十字に延びる都市、かなり詳細だ。夕が巨大建築物の付近の一点を指す。


「ここには大規模シェルターの痕跡が発見されているわ」


 シェルター?地上が汚染されているのだ、シェルターぐらい珍しいものじゃないだろう。私が疑問符を浮かべている中彼女は続ける。


「ここになら、まだ地下都市への連絡口が残されているかも」


 地下都市、地下へ逃げた人間の暮らす街。そして私が作られた場所……


「PURIFIERを作った人なら、もしかしたらオズを延命できるかもしれない」


 延命、寿命を伸ばす……そんなこと考えもしなかった。短くなった寿命で何ができるか、そればかり考えていた。もう私は自分の死を受け入れていた。以前のように足掻くのを、やめていた。


「私生きたいよ、オズと一緒に。あなたと一緒に歳をとって老いて死にたい」


 夕のその一言が、涙が出るほど嬉しかった。彼女はこんな作り物の命と生きたいと言ってくれた………価値を見出してくれた。


「うん……私も生きたいよ……夕と一緒に………」


 私はまだ、死ねそうになかった。

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