あふれ出る

武江成緒

あふれ出る




 裏庭のドア、と呼ばれていました。



 ばぁばのお家の奥の奥。

 窓もなくて日もささない、お昼になってもうす暗い、北側の廊下。

 その廊下のまたいちばん奥に、古い木のドアがありました。


 裏庭のドアなんて言っても、お家の裏にまわるためには、子供のころの私でも通るのに苦労するような、家と塀とのせまいすき間を通らねばなりませんでした。

 そこには古いバケツや箱やら置いてあったり、荒地あれち野菊のぎく昔蓬むかしよもぎ、ぺんぺん草が腰の高さにしげっていたりしたものでした。

 ですから、お家の裏というのを目にしたことはないのです。


 ばぁばのお家は、キッチンも、お風呂もトイレも、リフォームしてきれいで明るくしてあるのに、裏庭のドアのある廊下だけがちがいます。

 そこだけが何十年もむかしに戻りでもしたみたいに、別の建物をむりやり継ぎでもしたみたいに、古くて、暗くて、かび臭くって、そして、つめたい空気に満ちていました。




 それ以外の場所はすべて新築のようにきれいにリフォームしていたばぁばは、きれい好きで元気なお婆さんでした。

 でしたけど、やはりあんな古い廊下とドアをそのままにしている人ではありました。

 ときどき、妙に頑固で意味のわからないことを言ったりしたりすることがありました。


 いちばん最初に覚えているのは幼稚園の年長のころのことでした。

 バザーか何かで買ってもらったお菓子をそのまま、ばぁばのお家へもっていって、開けて食べていたのです。

 いきなりそれを取り上げられて『結菜ゆなちゃん! ぺぇしなさい! ぺぇ、って!!』と大声でいわれ。

 吐きだすというよりも、わぁわぁ泣いて、そのお菓子 ――― チューインガムが口からこぼれ落ちました。




 そんなことをしたわけをばぁばの口から聞いたのは、それから四年もたったころでした。


『このお家はなぁ、もともとは、お父さんが ――― 結菜ちゃんのひいじぃじが建てたもんが最初なんじゃ』


『いまは跡形もないけんど、むかしはそこの左の角、いまは整体のお店が建っとるとこに、うちのやってたお店があってな。お父さんだけじゃのうて、お母さんもそこに行って働いとった』


『結菜ちゃんくらいの歳になったころは、かんたんな家事やら、弟の世話は、ばぁばのお仕事みたいなもんじゃった。

 まあ手が回るはずもないわな。弟はほとんどひとりで勝手に遊ばせとった』


 そう言ってばぁばは、北の廊下のほうへと顔をむけました。


『あの子は裏庭で遊ぶか、そうでなかったら ――― そこの四つ辻のコンビニな、あそこにむかし駄菓子屋があって、弟はようそこでお菓子を買うとった』


『むかしの品は、意外とええ加減なもんでな。弟がまだ小さかったころもあったじゃろけど。

 店で買うたガムのみこんだんじゃ。それがにつっかえてなぁ』


『裏庭で遊んどるかおもうて、あの廊下、通ってな。

 ドア開けたら、そこに倒れとったんじゃ。

 ちょうど、廊下へのぼって来ようとしよるみたいになぁ』


 ここまで話しおわるころには、ばぁばの声も表情も、なんだかうつろになっていて。

 南むきの掃きだし窓とテラスのついたリビングが、まるであの北の廊下になったような気分がして。

 ばぁばは年寄りだったんだ、と、当たり前のようなことを思いました。




 中学になると忙しくなって、ばぁばのお家に足をむけるのもだんだんと少なくなって。

 高校受験の最終日に、ばぁばがお家で足を折ったと聞きました。




 受験が終わって、一年ぶりにばぁばのお家に行ってみると。

 綺麗だったあのお庭は、草木が荒れた雑木林のような姿で。

 お家の中はあちこちくすんで、散らかって、どこかえたようなにおいまでしていました。


 いま入院しているばぁばは、ここへ帰って来られるのかな。

 またここで暮らせるのかな。


 そんなことを思いながら、お家のなかを見て回っているうちに、まだ見てないのは、あの北の廊下と『裏庭のドア』だけなんだって気がつきました。




 北の廊下の入り口の、きれいなフローリングの床がニスもほとんど塗ってない古い板にかわる手前で立ちすくみました。

 その板張りの廊下にも、あちこちはげた砂壁にも、カビがはびこり出しています。

 見ていると、なにかイヤなものが浮かび上がって来そうな黒や灰色のまだら模様のその上から。


 廊下のぜんぶをおおい隠そうとしているみたいに、何枚も、いや何十枚ものお札がベタベタ貼られていました。


 筆で書いたものではありません。

 大きさが、プリントのB5サイズとそっくりなこと。

 書いてある、文字や模様の見た目から、もとのお札をプリントアウトしたものでしょう。

 そうでもなければ、こんなにたくさんお札を用意できるはずがありません。

 最後にばぁばの家に行った去年、なぜかリビングにデスクトップパソコンと立派なプリンターが置いてあったのを、今さらみたいに思い出しました。


 何十枚ものプリントのお札は、廊下の奥から迫ってくるかのように貼られています。

 その中心は、ああ、やっぱり。

『裏庭のドア』のあった場所を塗りこめようとしたみたいに、プリントが貼り重ねられて、埋め尽くされているんです。


 気味のわるい文字や絵がインクジェットでプリントされた、紙の壁。

 その向こうから、なにか、ねばつくものをにつまらせでもしたかのようなうめき声が聞こえてきました。

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あふれ出る 武江成緒 @kamorun2018

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