音楽室のベートーベンは目が光る

Azuma

音楽室のベートーベンは目が光る

音楽室のベートーベンは目が光る


覗き穴から見えるセカイ。

ぎょろぎょろと目を動かして教室の中を見渡す。

いつもここから教室の中を動き回る子供たちをみている。

今は暗い。

夜だ。

やることがないのでぎょろぎょろ目を動かす。

ガチャ、と音がした。

わたしはそちらにぎょろりと目を動かした。

ヒッ、と悲鳴が聞こえる。

「あ、子供だあ」

わたしは思わず嬉しそうな声をあげた。




「音楽室のベートーベンは目が光る。」

ありがちなネタだなと上川太友かみかわたゆうはそのハガキを見て思った。

「こんなネタを今更喜ぶ人います?」

「私かな。」

何を言ってるんだと半笑いでそちらを見れば、死んだ魚の目はしているものの嬉しげにしている和田砕刃わださいはの横顔が目に入る。

嬉しげにしている、と表現はしたが実際には弧を引くように薄っすらと不気味な笑みを浮かべているのだ。きつい眦は光を宿しておらず、こちらの方が持ち込まれた「怖い話」よりも視覚情報として怖いのである。

「…でも怖くはないでしょ?」

「知らん。見てみない限りは。」

「はあ…またそれですか…えっ、どこ行くんですか?」

姿勢がいいなあ、と長い黒髪をはらいながら椅子から立ち上がる砕刃さいはに目をやり一瞬見惚れそうになるものの、嫌な予感がしてハガキ越しに相手を見る。すると砕刃は魔王のように不遜な笑みを浮かべながら仁王立ちしてまるでこの世を掌握するかのように拳を握り締めながら言葉を発した。

「見に行くに決まっているだろ…その小学校で最も怖いっていう話の根源をよ…!」

カカカ…とおおよそ女子とは思えない笑い声をあげる砕刃に、太友たゆうはゆっくりと背後からこの誉坂学園の校舎に差す、なんなら教室内を赤く染め上げる夕日を見つめた。そして引きつった笑みを浮かべながら砕刃に告げる。

「…夕方ですよ?」

「そうだぞ、もうすぐ日が暮れるな。」

「……夜になるんですよ?」

「そうだな、真っ暗になるわな。」

「…あ!それって俺行かなくてもいい案件」

「いや?お前も行かんでどうするんだ?」

「なんでだよ!!!!!」

太友は思い切りよく机に突っ伏す。しかし容赦なく砕刃は薄ら笑みを浮かべて太友の首根っこを掴んだ。この女子、腕力が強い。そのままずるずると引きずっていこうとする。

「いやです!!俺、いやです!!」

「なんでだ、怖いのか?」

こちらを伺うような声音がした。太友は嫌がるなら今しかないことを知り顔の前で両手を合わせる。

「いやです!ごめんなさい!砕刃さん俺には無理です!今日は帰らせて!バイトあるし!」

とってつけたようにバイトの話を持ち出す。その瞬間この嘘はすぐバレる!と思うものの動きが止まった砕刃に畳み掛けるように言葉を発そうとする。

「ほら!俺んとこのコンビニの店長こわいって話したじゃないですか!行かないと殺されるし!ね!だからさ」

「…太友よ。」

「はい?」

「私が嘘は嫌いだという話も前にしたよな。」

ざっと顔が青ざめるのを感じた。現状首根っこを捕まれ引きずられているだけなので顔は見えない、見えないがめちゃくちゃ冷たい目をしている気がする。これを怖い話の体験談のひとつにしてもらいたいと思いつつ太友はぐったりと体から力を抜いて両手をあげた。観念しました、の意だ。

「…や、やばいとちょっとでも感じたら逃げますからね!いいですね?!」

「頼りにしてる」

「行きたくない!!」

太友の叫び声が夕日差す校舎に木霊した。




怖いのか、と聞かれれば「いやなだけです」と答える捻くれ者だという自覚はある。

ただ今は聞かれずともこう言う。

「怖い…」

心の中で思うだけにしようとしていたのに口から言葉が出ていた。

「怖いんじゃないか、カカカ…」

前を歩く砕刃が愉しげに嗤っている。正直その逞しい背中に縋り付きたい。逞しいとは言っても自分より一回りも小さい女性の身体なのだが。

「砕刃さん怖くないんですよね。」

暗い廊下は、月明かりでぼんやり数メートル先が見えるぐらいだ。砕刃を見失うということはないが、ただ心細く感じる。それはここが夜の小学校だからだろう。

「今のところ怖さは感じない。お前は?」

「俺も特には…ベートーベンってことは音楽室ですよね」

「ハガキにはそう書いてあったな」

特に早足でもないが、太友は置いていかれてしまうような気持ちになった。暗い、怖い、と気分が滅入ってくる。なんで夜の学校とはこんなにも恐怖感を煽るのか。たかだか17年しか生きていないというのに、その17年の間にどれだけの学校にまつわる怖い話を聞いたというのか。七不思議であれ、噂であれ、ホラー映像であれ、ドラマであれ、映画であれ心霊写真であれなんであれ。怖い話と学校は引き離せないテーマである。

靴音は冷たくコンクリートの床に染み込んで落ちていく。砕刃はどこに向かっているのだろう。いや音楽室だというのは解ってはいる。足が重い。進みたくない。4階の音楽室に行きたくない。

「太友、飲まれているな」

気がつけば暗く長い廊下の真ん中で一人ぼっちになっていた。

行きたくない、行かねばならない。

「太友」

目が光る、ベートーベンの目が。

動いて、こちらを見る。

「太友!」

パアン!という破裂音と共に心臓を突き抜ける閃光が見えた。背中から真っ直ぐ入る衝撃が掌底から与えられたものだと気付くまで数瞬かかる。次に訪れたものは。

「カッ…ゲホッ、ゲホゲホゲェッ!!」

咳。膝から崩折れて白い涎を吐き出すと、先ほどとは打って変わって優しげに背中を撫でる手があった。

「お、俺…砕刃さん…」

「環境に影響を受けただけだろう、お前は感受性が強い。大方、いじめにあっていた子供がここにいて、その子は学校に行きたくなかったのでは、という不安でも想像していたのではないか」

あ、適当だ、と抑揚のない早口な言葉に、聞いていて少し笑ってしまう。先ほどまで黒く淀むような空気の長く暗かった廊下の様子は一変して、窓から溢れんばかりに月明かりの差す明るい校内に変わっていた。背中を撫でる手が離れていく。

「ありがとうございます…」

その優しさに嬉しさかみ締め口元を拭いながら立ち上がると砕刃が目の前で不思議そうに目を細めた。がすぐに視線をはずし廊下の先を見据えた。

「あそこだな」

特に感慨もなさそうに言う割りには横顔が嬉しそうに見える。目は死んでいるが。

砕刃の差す方向に教室があった。今までとは違う防音仕様めいた扉、そして「音楽室」と書かれたプレート。

今の今まで迷惑をかけていたのだ、と今度は自分が先を歩かねばと気を引き締めて太友は砕刃の前に進む。砕刃は相変わらず仁王立ちだ。

「今日は月の光が綺麗だ」

それはよく聞く口説き文句では、と驚いて砕刃を見た。数歩下がって廊下に並ぶ窓枠に背を預けている砕刃はモデルのような凛とした佇まいだ。そんなことに気をとられて扉をあけたものだから中の様子に気を配るのに一瞬間があく。

暗闇だった。

余りの暗さにぎくりと身が強張る。廊下は明るいのになぜ、と目を凝らすと暗幕のように黒く重たいカーテンが窓に引かれていた。

「これがあるから…」

一人ごちながらカーテンを開けにいこうと教室内に入っていった。何故かよくわからないがそっと足を忍ばせて。

空気が重い、このカーテンを引いているからか、とカーテンに手を伸ばす。

「太友、待て」

静かに背後から砕刃の静止の声がかかる。左は多分後ろの黒板になっていて、その上に歴々の作曲家たちの肖像画が飾られているはずだ。右は言わずもがな教室の前部分、机や椅子があり、前には授業で使われる黒板と黒板の上には見やすい時計が置かれているのだろう。

ただ、暗くてよくわからないから、カーテンを開けようとしている。それをなぜ止めるのか解らない。カーテンに手をかけたまま左側から砕刃へと声をかけようとした。

一瞬何の音がしたのか理解ができなかった。

それが自分の悲鳴だと気付くのに数拍置いた。

ベートーベンの、目がぎょろぎょろと動いていた。

うわぁ、だとか、ひぃっ、だとか情けない声をあげたかと思う。

ベートーベンの目は確かに光った。そして動いた!しばらくそのベートーベンの目から差す光を口を開けた状態で見ていた。

砕刃、砕刃さんを守らなければ!はっとして傍にあった机だろうか椅子だろうかを蹴飛ばして転がるように砕刃の元へ向かう。砕刃は変わらず腕を組んだ状態で物怖じせず扉近くに立っていた。

「さっ、さいっ、さいはさん!」

ばたばたと走りよって肩を掴んで外に連れ出そうとした、はずだった。

「いた!あいだだだだ!?」

砕刃は他愛もない、と言った様子で太友から伸ばされた腕を軽く捻り、何が起きているのか理解できていない太友は腕を軽く捻られているだけで床に今にでも伏せそうな勢いだ。

「これは面白いかもしれん」

俺を床に伏せようとしている事実がか?!とどうやら合気道の技かなにかかけているらしい砕刃の腕を捻る手を素早く叩いてギブアップの意思を表明しながら逃げようとする。するとあっさり腕は開放された。

「くそー!いてえ!って砕刃さん!逃げなくていいんですか?!」

「今はいらんと思う。見れば解る」

砕刃が先ほどから見つめているのはベートーベンの肖像画のほうだろう。恐る恐るそちらに目をやると、

「光ってる…」

光っているのだ、目が。青く、薄ぼんやりと。腰を抜かしそうになっている太友の横をさっさと歩いて砕刃は通り過ぎ、窓へと近づいた。

「光が差している、が正解かな。」

そう言ってカーテンを勢いよく開けた。

窓から差す青白い月の光に、あれ、と太友は既視感を覚える。

「デジャヴではない、さっきから月光浴してるだろ」

太友の心の内を読んだかのような砕刃の言葉に驚いて月明かりの下で冷ややかな表情の相手を見つめた。

「あれは、月明かりだ。」

一瞬何を言ってるのか解らない、と太友は目を見開いたまま眉を跳ね上がらせる。そして自分が床にへたりついていたままだと気付いてすぐさま立ち上がった。立ち上がる頃には砕刃はカーテンを次々開けて、教室内は淡い月光で電気をつけなくても室内を自由に見通せるぐらいの明るさで満ちていた。そして窓際を音もなく歩いて戻ってきながらに砕刃は淡々と喋る。

「穴が開いているのだ。そしてあちら側は壁ではなく、大方音楽準備室か何かがあるのだろう。目が動いているように見えたのは音楽準備室の窓が開いていて、白いカーテンが揺らめき影の差す方向がたびたび変わるので…目が動いているように見えた。」

あ!と太友は気付いて声をあげる。そういえば目が暗くなったり明るくなったりしている。カーテンが中で翻っているのだとすれば説明もつく。

「廊下には準備室への扉は無かったが、ここにある。」

窓の終わり、教室の一番隅に、主張もあまりない扉があった。覗き窓はあるものの汚れていて中は見えない。ということは恐らく中からもこちらは見えないだろう。

種明かしがされていけば、なんだ、と太友は安堵からため息と共に笑い声を漏らした。

すると一瞬こちらを見た砕刃がなんとも言いがたい表情をした後、にた、と笑った気がした。不審げになんです?と尋ねようとするも砕刃は音楽準備室らしき場所への扉をあけてしまった。

「鍵ないんですね」

「いや、あるかな。単純にかかっていないだけだ。」

砕刃がドアノブを注視している。鍵は確かについていて、外から鍵穴を通して鍵をかけるか、中から鍵を捻ってかけるタイプのようだ。

手前に引いてあけたドアの中に入ると、奥は行き止まりになっているものの、使えるのか使えないのか解らない鉄琴や木琴、オルガンなどの楽器が並んでおり、どこか古めかしくも懐かしい内装だ。ただ勿論狭い。教室ほどの広さはないように思う。そして砕刃が言った通り窓があいていて、白いカーテンが揺れてちらちらと光の差す角度が変わっている。

「これかあ…」

窓側に扉があるから仕方ないのだがカーテンをひらひらさせとくのもなんだろうと窓を閉めようと手を伸ばす。

「やめろ。触るな。」

叱咤するかのような声音にびくっとして窓に触れようとしていた手を止めた。

砕刃はベートーベンの絵のあるほうを見ている。気配だけで自分が窓に触れようとしたのを見抜いたのだ、と知ると流石だなあと感心する。

「今は、触るな。」

「なんでです?そんな現場検証みたいな…」

「現場検証には道具と人が足りん。」

そう言いつつ上の方を眺めている。そこには穴が二つあいていた。丁度誰かが覗けるようにと言った態である。子供がいたずらであけたのだろうか、と微笑ましい気持ちになる。どうやらこの音楽準備室には音は入ってもいいということなのか、壁がえらく薄いようで。ただ行き止まりになっている壁の方は鉄筋であり防音してあるようだが。

砕刃は壁に二つあいている穴から縦に何かを目算しているようだった。棚の上に指を滑らせ積もった埃などを調べている。そして何の関係があるのかしゃがんで床の埃などを見ている。

太友は、つまるところ私が触りたいからお前は触るな、という意味であろうと部屋の中の物に触れないでいたが、春がすぎ初夏のはじまりに差し掛かっているとは言え若干夜は寒いと腰に巻いていたカーディガンを砕刃の肩にかけてやる。すると砕刃がぱちくりと目を瞬かせて太友を見つめる。呆気にとられた、と言った表情が珍しく、思わず砕刃の顔をまじまじと見つめていたが、はっとして慌てて手を顔の前で振りながら言い訳のように照れ笑いした。なんだかこれでは自分がフェミニストのようだと恥ずかしくなる。

「寒くないかな?と思って!」

「…寒いのか?」

「なんだか冷えてきたじゃないですか、砕刃さんも風邪くらいは引くでしょ」

そう冗句めかして笑うと砕刃から表情が消えた、と思った。実際目はいつも死んでいるのだが普段以上に表情がないと言った方が正しいかもしれない。同時に砕刃は太友の手首を掴み外に出ようとつかつかと歩き出す。

「もういい、帰る」

「ええっ!いやそりゃ俺は嬉しいけど!」

唐突だなあ、と思いはすれど帰れるとなると嬉しくなり早くこんなところは退散しようとスキップで音楽室から出る。ごとんずるずず、と準備室の中からだろう、何か音がしたが太友はあれだけ物があるのだから何か音を立てるものがあってもおかしくはない、と特に気にせず次の瞬間には帰りのコンビニでアイスを買おうと思考をめぐらせた。




次の日。

授業が終わって生徒会室にいくと生徒会長とはおおよそ見えない海外のモデルのような姿をしている上山季世也かみやまきよなりと砕刃が言い争いをしている最中だった。

正確には季世也きよなりだけがぎゃんぎゃん喚いて砕刃はうるさそうに聞いているだけである。こういう時に大体その仲裁に入るのは自分の役目なので教室に入り次第「なにがあったんだよー」とへらへら笑いながら近づこうとした。

するとこちらを威嚇するように見た季世也が、うっと言葉を詰まらせる。

「なァに、おまえらホントどこいったの?!今が旬とばかりに最高に大盛り上がりしてる心霊スポットでも行ったワケ?!」

心霊スポット、という言葉に一瞬昨日行った小学校のことが浮かんでこず、「行ってないけど?」と当たり前のように否定の言葉を返した。砕刃に同意を求めようとするも、砕刃は面白い体験をしましたが怒られると面倒なので言いたくありません、といった顔をしている。

その顔を見て悟った太友は眉間の皺を濃くするしかない。

「……砕刃さん、全部話すこと!俺にも説明して!一緒に叱られてあげるから!」

と言うと砕刃は面倒くさそうにはするものの、話したくて仕方なかった、といった態でわくわくと話し始めた。

「まず最初に。あの小学校では最近女の子が死んでいる。」

その言葉に太友は絶句する。季世也がトスするように腕を組んだまま質問を砕刃に投げる。

「自殺か?」

「それが解らなかったんだ。自殺するような子ではなかった、というクラスメートや教師からの報告がある。だから行って見たかった。そしてどれぐらい前からなのかわからないが、ベートーベンの目が光る、という噂が立ち始める。」

季世也が目を細くして砕刃の話す様を見ている。

「事故、だとはっきり言わないが、自殺ではない、とも言えない。そんなはっきりしない事って気持ち悪いだろう。」

机の上で砕刃が指先で撫でているのはなんだ、ハガキか?と太友は指先に視線をやった。

「事前に私と太友を通すように、と守衛には話をしてあった。」

そういえば守衛さん、あっさり通してくれたな。

「中に入ったらほどなくして太友に異変が起きた。周りが見えていないように思えたし私の声が聞こえていないようだった。歩けるようではあったし、試しに一人で歩かせたら案内もしないのに音楽室の方へ歩いていく。」

暗い廊下を歩いていると思ったら唐突に視界が開けた、あれは砕刃さんが助けてくれたのではなかったか。

「感受性が強いのだ、太友は。見えずとも感じている、と考えた。負の感情でもなんでも。なので、音楽室の近くについたと同時に背中から掌底を食らわせて正気に戻した。」

それまでハガキを撫でている指を俺に向ける。

「太友、あの時お前、私にありがとうと言ったが」

太友は嫌な予感がするものの、うなずくしかできない。

「私は、あの時お前の顔を覗きに前に回りこんでいて、後ろにはいなかっただろう」

冷水を浴びせられたかのように頭が真っ白になる。じゃあ背中を撫でていたものはなんだったのだと恐ろしい思いに支配されそうになると季世也が指をパチンと鳴らした。はっとしてそちらを見ると頭を撫でられる。そしてその事はただの確認のようなものだったらしい。問題はないのか気になるところはそこではない、と前置きして音楽室の話に入る。

「音楽室はカーテンが閉まっていたな。だから光の漏れる穴に気付いたのだが」

「なぜカーテンが閉まっていたか、とか?」

季世也がまた質問を投げる。すると緩く首を振って砕刃が否とした。

「それはどの教室もそうだったから、帰りの会で全部カーテンを閉めさせるとか、教室を使った後は閉めさせるなどの対策をしているのだろう」

「じゃあ何が問題なんだ?」

季世也の質問に砕刃は胡乱にも見える顔で問い返した。

「穴が開いてるのは問題じゃないのか?」

「「あ」」

そう言われるとそうだ。穴がそもそも壁に開いてるから目が動くなどというハガキが着ているのだ。

「誰が、何のために、と考えるだろう」

「それは子供たちがいたずらのために、じゃないんですか?」

太友は不安を呼び起こしていく砕刃の話しぶりに教室の明かりが一個ずつ消えていくかのような錯覚を起こす。季世也がそんな太友の様子に気付いたのか椅子に座らせた。

「…全国の小学生の平均身長が男子で150cmほどだ。例外はあるかもしれないが。」

またハガキを撫でている。

「学校の教室の天井の高さは大体3mほどであるらしい。1m50cmを引いて、残り1m50cm。あの穴は天井から下へ30cmほど。残り何cmだ?」

「270cmから150cm引いた方が早い。」

「120cm…」

砕刃がにや、と口角を上げて嗤った。

「150cmから上へ120cmほどだ。誤差は勿論あると思う。ただあそこには棚があった。」

棚は確かにあった。じゃああれに乗って穴を開けたのか!と合点がいった。じゃあやはり小学生だ、と安堵する。

「棚は1mほど。残り20cmを埋めれるか?そして何より、棚の上は埃だらけで誰かが乗った形跡はなかった。」

「大人って可能性は?」

「それは勿論考えた。だがあの棚は大人が乗って耐えれる強度ではない。」

季世也の間髪いれない案を間髪いれずに砕刃が否定する。

「じゃあ…誰が穴あけたっていうんですか!」

「わからん。」

しれっと砕刃は言ってのけた。

「誰が、というより、何が、かな。」

季世也は砕刃のその言葉に思い至るところがあるのか黙っている。

「大人であれ、あんなところに穴をあけて中を覗こうとする心理がわからん。子供ならわかる。机に彫刻刀で穴あけたりカッターで文字彫ったりする馬鹿いたもんな。」

「俺か……学校の備品をごめんなさい!アーメン!」

季世也が懺悔をはじめるも砕刃は意にも介さない。

「あの穴は中から開けられたものだろう、引っ掻き傷のようなものが周りについていた。関係あるかわからんが、掃除をまめにしているわけではないらしい、何かを引きずったような跡もあった。そして死んだ女子はあの準備室の窓から、背中側を下に頭を打った後に落ちて死んでいる」

その説明に違和感を感じる。季世也が考えつつ質問する。

「落ちて頭を打って死んだんじゃなくて?」

「違う、落ちる前に頭を打っているんだ。まるで何かにびっくりして棚から落ち、木琴で頭を打って痛みに床でのたうちまわったかのように」

「それは想像?」

季世也が質問している。

「そうかもしれない。そしてこのハガキは誰からきていると思う?不思議なことばかり…」

その返事を遠く聞きながら、太友はあの音楽準備室の前にいた。昼間だというのに音楽室の中には人がいない。校庭から遠く子供たちの笑い声が聞こえる。

カリ。

カリリ…カリ。

ず、ずず…。

何かを引っ掻くような音とずるずると引きずるような音がした。覗き窓からは何も見えない。

開くだろうか、ドアノブを捻る。すると開いた。

手前に引いて中を覗き込む。

そこには誰もいない。おそるおそる中に入ってきょろきょろとあたりを見回す。誰も掃除しない部屋だそういえば。埃くさいな、と窓をあけた。

太友はベートーベンの目の穴に気付く。

あれがおばけベートーベンの正体だ!そう思いつつもっとよく見たい、ちょっと覗いてみれないかなと近づいて、棚の一段目に足をかけた。誰かが穴が開いている、ということに気がついた。そして瞬く間に誰かが中から覗いている、という噂が広がった。そしてベートーベンが中から覗いているのだ、という結論に落ち着いたのだ。

そんな馬鹿なことってあるかな、と太友はスカートの裾を気にしながら赤いラインの入った上靴が棚に乗るのを眺め、なんだか物凄くいけないことをしている気分だと思った。

誰があの穴をあけたのだろう。本当にベートーベンなのかな。

二段目に足をかける。

上靴を脱いだほうがよかったかな。先生にバレたら絶対怒られるよね。そんなことを考えつつ三段目に足をかけようとした。

「ナにしてるノォ」

赤ん坊のような老婆のような声がしたほうに顔を向けると目をぎょろつかせて赤く口を大きくあけた嗤っているかのような白い顔があった。

甲高い悲鳴は防音室の中にひっそり閉じ込められた。





「太友!!」

意識を取り戻すとそこは小学校の音楽準備室などではなく、生徒会室の明るい教室内だった。そして背中の柔らかい感触はソファだろう。何が起きたのか解らずにいると冷たいものが頬に触れる。どうやら水に濡らしたハンカチのようだ。

「物凄い悲鳴あげて気絶したんだよ」

季世也の整った顔がやけに近くにあってぎょっとする。

「……まあその前に太友に一発、砕刃チャンがいれてんだけどネ」

「…俺、また捕らわれてたのか」

「うん。太友もうそういうとこ行っちゃダメ。砕刃チャンもしぼっといた」

「効いてんのかなそれ」

「どーだろ、砕刃チャンだしね」

ハハハと笑いあうと少しほのぼのした空気が流れる。

「でも太友」

「なに?」

頬が痛いなとさすりながら季世也を見る。季世也は困ったような顔で笑いながら太友が逃げ出したくなるようなことを言った。

「その、白い顔の口の大きい変なでっかいのに、返事しちゃダメだよ」

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音楽室のベートーベンは目が光る Azuma @azukir

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