第3話 科学の知識

 少ししてから警察が到着し、それぞれに事情聴取の時間が設けられた。ただ、人によってはまだ少し呼吸困難の症状が残っているので、その人たちは安全のため、病院で治療を受けてからの聴取ということになったが、今のところ苦しくなかったということと、最初にこの部屋にいたということで、福間ともう一人の友達は順番に聴取を受けた。

 最初に受けたのは友達の方で、その次が福間だった。

「福間恵三さんですね? こちらは、門倉刑事と言われる今回の事件を担当する刑事さんだ。ご質問があるようなので、捜査にご協力をお願いいたします」

 と言って、制服警官が説明した。

「はい、私は福間恵三です。よろしくお願いします」

 と頭を下げると。

「さっそくですが、先ほどの方にも聞いたんですが、最初から何かが起こるというような雰囲気はなかったんですよね?」

 と門倉と呼ばれた刑事に質問されると、

「ええ、ありませんでした。ただ私が閉所恐怖症なところがあったので、彼が気を掛けてくれたいたんですが、私の方は大丈夫だったんです。でもそのうちに彼が気持ち悪いと言ったんです。それは一瞬のことだったと思いました。急に苦しみ出して床に倒れたんです。それを見て、表のスタッフルームで掃除をしていた連中が助けようと入ってきてくれたんですが、彼らも気持ち悪くなったようで、同じような感じでした」

 というと、

「福間さんはどうだったんですか? 苦しくはなかったんですか?」

「ええ、それほどは感じませんでした。そのうちに誰かが、何かの音がすると言い出したんです。その音の正体は分かりません、私には聞こえなかった気がするんです。するとそこに山下教授が入ってきて、教授も同じように大丈夫かと声を掛けていて、これは大変なことが起こったと思って、人を呼ぶために、非常ベルを鳴らしました。するとさらに皆がそれまで以上に苦しみ出したんです。ただ、その時の教授は、変な音は聞こえていないと言っていたんですけどね」

「臭いとかはどうですか?」

「私にはわかりませんでしたが、もし臭かったとしても、ひょっとすると、苦しみから息をたくさん吸おうとしている状態で無理に息を吸い込もうとすると、臭いがなくても嫌な臭いを感じてしまうことになるんじゃないでしょうか?」

 と、福間は答えた。

「ということは、無臭だった可能性もあるということですね」

「ええ、臭いはあまり感じませんでした。硫黄のような臭いがすれば、何かの毒ガスのような気もするんですが、何しろラジオの放送ブースという、いわゆる防音設備の整った完全な密室ですからね、そんなところで毒ガスのようなものを巻いたら、今頃皆あの世行きですよ」

「それもそうですね。確かにあの部屋は密室に違いなかったですが、では何か普段と違ったことに気付きませんでしたか? 普段はないものが置かれているとか、あるいは、誰かがいたとか」

「それもなかったですね。私は結構神経質な方なので、明らかに普段と違えば気が付きます。それに私が神経質なことを皆知ってくれているおかげか、皆小綺麗に使ってくれているんです。ありがたいものですよ。だから、あまり余計なものもないし、普段同じところにあるものしか、よほどのことがない限り置いていません。第一そんなものが最初から会ったら、私が指摘していると思います」

 と、福間は言った。

 なるほど、話を聞いているうちに急に逆上してきたようにも見え、神経質というよりも、自分に酔うタイプなのかも知れないと、門倉刑事は感じた。きっとまわりの連中も厄介者を相手にしているというつもりでいるのかも知れない。

「それにしても、歴史サークルでラジオの配信とは、これは面白いことをしていますね」

 と言って話題を逸らすと、さっそく福間が食いついてきた。

「ええ、これは私のアイデアなんですが、せっかく歴史を勉強しているんだから、歴史がどれほど面白いものなのかを配信できたらいいなと思ってですね。実は昔から放送ということには憧れがあったんですが、中学時代の放送部がどうにも好きになれなかったのと、自分があまり人前で話すのが苦手だということがあったので、断念しました。でも、大学に入って結構オープンな雰囲気があるのと、今は誰もが気楽にネット配信ができるじゃないですか。どうせやるなら、昔やりたかったラジオの配信ができればいいなと思いましてね。デジタルとアナログの融合というのもいいんじゃないかと思ったわけです」

 と、自慢げに話した。

 自慢しながら話していると、まるで別人のようだ。普通に話していると、まず保身が最初にあるからなのか、相手が刑事だということで身構えてしまい。何も言えなくなってしまうかのように見えていたのに、自分の得意分野になると、それまでの受け身がまったく消えて、攻撃的になる。

 この男の攻撃的な感覚は、表に自分の気持ちを発信させる時であり、保身で身構えている時ではない。しかし、実際に見えてくるのは、保身の時の攻撃的な態度で、犬同士が威嚇しあうかのようであり、本当は攻撃する気などまったくなかったのだ。

 そのことを看破した門倉刑事は、

――とにかくこの男は自分から何かを言いたいと思わせなければダメなんだろうな――

 ということで、彼が饒舌になる話題を探したところで、まずはラジオ放送について聞いてみようと思ったところでうまくヒットし、

「ビンゴ!」

 と、思わず叫びたかったくらいかも知れない。

「歴史というと、最近ではレキジョなどという言葉もあるらしく、テレビ番組などでも結構特集していることが多いですよね」

「そうですね。歴史というのは、ある意味ミステリーですからね。しかも犯人がいない、そして答えのないミステリーです。よくドラマや映画などを見ていて、クーデターに失敗した人たちが無念な気持ちの中で、『今は我々の負けだが、きっと歴史が答えを出してくれる』というシーンがあって、感動したのを覚えています」

「ええ、その言葉は感動を呼ぶ言葉の一つですよね。でもですね。歴史に答えなんかないんですよ。もし、今の時代のことが五十年後には否定されるような世の中が来て、その時に、これが歴史の答えだったのかと思った人がいたとしても、さらに歴史が進んで、またその時代が否定されると、否定した人は、同じことを思う。しかし、もっと面白いのは、五十年経ってまったく違う世の中になり、そしてさらに時代が進んで五十年経てばまたまったく違う世界が広がったとしても、百年前と同じだとは限らないんですよ。もっと捻くれた世界なのかも知れない。もっというと、百年前にはそんな時代なんて誰もが想像もしなかった時代かも知れない。未来のことは一秒後であっても、百年先のことであっても、予想することができたとしても分かる人なんかいないんですよね」

「私もそう思います。一秒後であればすぐに答えが分かるというだけで、一秒前に分かることはないんです。世の中は無数の可能性によって成り立っています。一瞬ごとにネズミ算式に増えていく。だから、一つ一つを予想するなんてできないんです。でも、なぜか人間は無意識にそれができている。本当に不思議ですよね」

 と、門倉刑事がいうと、福間恵三も調子に乗って、

「それはロボット工学で研究されていることですね。私は歴史の研究もしていますが。実はロボットという発想にも結構うるさいんですよ。アニメの世界のロボットというのは、元はそういう発想から出てきていますからね。いわゆる『ロボット工学三原則』というものに対する考え方ですよ」

「それはどういうものなんですか?」

「元々はロボットというものを人間が作り出した時、ロボットがおかしな行動に走ってしまい、人間を滅ぼすかも知れないという発想から来ています。いわゆる『フランケンシュタイン症候群』と呼ばれるものですね。だから人間がロボットが暴走しないように、最初から人間に都合のいい回路を組み込むというところから出た発想です。でも、これは実際にロボット工学の博士や研究者が提唱したものではないんですお。いわゆるSF作家と呼ばれる人が、今から六十年くらい前に提唱しているんですよね」

 と福間がいうと、

「それはすごいですね。でも、それとさっきの話とどう繋がるんですか?」

「さっき言ったように、一寸先は無限の可能性が広がっていますよね? 例えばロボットに、目の前にある箱の中に、ロボットを動かす燃料、つまり人間でいうと食料が入っている。その箱を取ってきて、燃料を補給しなさいと命令したとしますよね。ロボットはその命令にしたがって、箱を取ってこようとします。しかし、実際にはその下に爆弾が仕掛けてあって、箱を動かすと爆発するようになっています。あなたならどうしますか?」

 と聞かれて、

「普通に考えれば、爆弾の起爆を外してから、上の箱を動かします」

 というので、

「そうですよね? それをロボットにいいます。するとロボットは、迷ってしまうんですよ。単純な命令だけならいいのですが、そこに条件が付いた。するとロボットは考えるんですよ。いろいろなことをね。もし、起爆に失敗したらどうなるか? 起爆を恐れて、箱を持ってこずに、燃料は他から手に入れた方がいいのかな? とかですね。でも、そこまでは人間と同じなんですが、ロボットはまったく関係のないことも考え始めます。起爆を外そうとすると、壁が壊れてくるんじゃないかとか、起爆を外すと燃料が腐ってしまうんじゃないかとかですね。下手をすれば、壁の色が変わってしまうのではないかというまったく別のことも考え始めます。それは高性能なロボットほどそうなんだと思います。でも、ロボットが考えることは無理もないんです。人間であれば、この場合どこまで考えればいいかということは、ほぼ予想がつきますが、ロボットにはそれができません。したがって、ロボットは袋小路に入り込み、回路が堂々巡りを繰り返し、何もできないという状態に陥ります。ロボットによってはそのまま自爆してしまうものもいるかも知れませんね。一種のジレンマというやつです。でも、その問題を解決させる手段として、『フレーム』という考えがあります。つまり可能性を人間が考えているような枠に収めようという考えなのですが、その考えを進めていくと大きな壁にぶつかります。何が問題なのかと思うでしょう? それがさっき話したことなんです。無限の可能性の次にはまた無限の可能性が広がっている。したがって、可能性をフレームに押し込むこと自体がそもそも無理なことなんですよ。これがいわゆるロボット工学における『フレーム問題』と呼ばれるものになるんです」

 と、福間は熱弁をふるった。

「なるほど、よく分かりました。だから人間というのはすごい生き物なんでしょうね。そのフレーム問題をものともせず。しかも無意識に判断することができる。それこそ神秘なんでしょうね。神様が人間を作ることができたとしても、人間が人間を人工的に作るということはできないということなんでしょうね」

 と門倉刑事がいうと、

「それこそ宗教的な発想になり、我々歴史研究家の研究材料でもあるんですよね。そういう意味でいくと、一つの理論がたくさんの学問から成り立っているということも分かってきます。だから、学問って面白いものなんだと思います。ジャンル分けなんかする必要ないんじゃないかってほどですね」

 という福間の理論は理路整然としていた。

 さすがの門倉刑事も話についていくのがやっとであった。

「それにしても福間さんは、科学がお好きなんですね。歴史もお詳しいのに、すごいと思います。さすがにこれぞ大学生という気がしますね」

 と、門倉刑事はお世辞に見せかけた皮肉を言ったが、

「いやあ、それほどでもありませんよ。私は自分の興味のあることには結構勉強熱心な方ですが、興味のないことはこれでも結構まったくなんですよ。だから、高校までの頃の成績も興味のあることは満点に近かったのに、興味のなかったり嫌いな科目は赤点だったりしたものですよ」

 と答えた。

 門倉刑事は苦笑いをした。

――この男の神経質さは本当なのかも知れない。皮肉も通用しない堅物というイメージがあるな――

 と感じた。

「ところで福間さんは今回のこの騒動は何かの事件だとお考えですか?」

「事件なのかも知れませんが、事故なのかも知れないとも思うんですよ。まずどうして皆が苦しみ出したのか、その理由が分からないと、話は進展しないと思うんですよね」

「なるほど、福間さんはこの件について、何かお考えでしょうか?」

「そうですね、何とも言えませんね。あの時のことを思い出そうとしても、何かうっすらと雲がかかったかのようにあの時の記憶が曖昧なんですよ。それは私だけではないような気がします」

「そうですか」

 と言って門倉刑事は少し考えたようだが、またすぐに質問を続けた。

「じゃあ、何か気付かれた点はありませんでしたか?」

 と質問したが、それは少し考えてみたが、これ以上の質問がなかったことで、最後の補足の質問を繰り出してきたということであろう。

「いや、私の中ではありませんでした。あの時、吐き気を催すような感じで、最初に頭痛と呼吸困難が襲ってきたような気がします。呼吸困難が頭痛を誘発したのか、頭痛がするので呼吸困難に陥ったのかはよく分からないんですが、急に鼻が通った時間があったんですよ。その時には私の鼻の感覚がマヒしていたかどうか分かりませんが、先ほどの質問のような臭いは感じませんでした。しいていえば頭痛がしたことで、アンモニアのような臭いがしたのは感じましたが、これは頭痛がする時、今までにも何度かあったことです。だから私は無臭だったと申し気たんですよ」

 と、またさっきの異臭の話に戻ってきた。

 これは、福間という男が異臭について先ほどの話だけでは説明不足だったということに途中で気付いたからなのか、それとも話の流れで必然的にもう一度念を押すことになったのか、そこまでは門倉刑事には分からなかったが、この話はもう一度他の人に話しを聴く時、徹底した方がいいのではないかと思った。

「いやあ、なかなか興味深いお話をありがとうございました。ところで、福間さんは性格的には神経質なところがあると、他の方から伺ったのですが、そのあたりはいかがでしょう?」

 と本当は、詳しい話を聞いたわけではなく、事件のあと、他の関係者が軽く会話をしている中でウワサのように聞こえてきただけのことで、尋問による回答ではなかった。

 その時、他の話も伝え聞こえてきたのだが、どうも、神経質な性格に話が至ったのは、福間氏の彼女というのが、どうも他の男性と付き合っているようなウワサがあることから、福間氏の性格を言及していたというのが流れだったようだ。

 ただ、これもその人の話の前置きで、

「これはあくまでも信憑性のないウワサでしかないんだけどね」

 という程度のものだったことで、実際にまだ誰とも面識がない間でのウワサだったので、門倉刑事も頭の片隅に置いていただけだった。

 この話を鵜呑みにして思い込みでの事情聴取は危険だということも分かっていたので、なるべく思い出さないようにしていたが、実際に話をしてみて神経質なところは、もしウワサを聞いていなくても、すぐに分かったということを考えれば、あの時の話もまんざら信憑性のないウワサとして片づけられるものではないような気がしてきたのだ。

 だから、聞いてみたくなったわけで、実際に聴いたわけではなく、ウワサだったというのは、そういうことだったのだ。

「まあ、皆さんも僕のことをよく分かってくれているということでしょうね。私は分かりやすい性格だと言われますし、自分でもそう思います。だから門倉さんも、ウワサなどを聴かずとも、こうやって面と向かって話をしていれば、すぐに分かったことではありませんか?」

 と言われた。

「まさにその通りですね。私もそう思いましたいい悪いは別にして、福間さんとは普通にお話をしていたいという感じですよ」

 と門倉刑事は答えたが、この場合は皮肉というよりも本心であった。それを福間氏はどのように解釈したであろうか、少し気になるところであった。

 門倉刑事もとりあえずの聴取としてはこの程度でいいだろうと思った。他にも聴取しないといけない人もいることだし、

「それでは、今日のところはこのあたりでいいでしょう。またお話をお伺いすることもあるかも知れませんので、その時はよろしくお願いします」

「いいえ、こちらこそです。ご参考になれば幸いです」

 という社交辞令の挨拶を終え、二人は別れた。

 これと言って重要な話が聞けたわけではなかったが、福間氏という人間の性格的なものは分かった気がした。

 しかし、この事件は何か不思議な気がした。謎は深いのに、誰かが殺されたとか、命に別条があると言ったような話ではない。かと言って、事故という雰囲気ではない。事故であったならば、もう少し科学的な発見があってもよさそうだった。少なくとも原因が複数考えられる中で、どれが原因なのか、選択するというイメージであろう。だが、今回の事件では原因らしいものがまったく想像がつかない。科学班からも、新たな発見がなされたわけではない。しいて言えば、

「まだ何も発見されておりません」

 という報告が、今のところの事実というわけだ。

 事実はあっても、真実が分からない、何しろ分からないということが事実だというだけだからである。

 門倉刑事が次に話を聞いてみたいと思ったのは、加倉井裕子だった。

 彼女は事件の時、表のスタッフルームで、機械を操作している後ろに座っていた。表には出てきていないのだが、このラジオの裏方スタッフの長のような立場である。

 部屋に行ってみると、加倉井裕子は門倉刑事を見て一瞬驚いたようだったが、気にしなければ気が付かないほどのリアクションに、さほどの驚きを感じなかった門倉だった。

「加倉井裕子さんですね? 私は門倉と言います。少しお話よろしいでしょうか?」

 というと、裕子は表情を変えることもなく、

「ええ」

 と答えた。

 果たして彼女がこの事情聴取をウザいと思っているのかどうなのか? その表情から計り知ることはできなかった。

――これは少し骨が折れる相手かも知れないな――

 と門倉刑事は考えたが、逆にいえば、話を聞き出せなくて元々、聞き出すことができれば御の字ということでもある。

「さっそくですが、加倉井さんはこのラジオ放送の中では、裏方スタッフのような感じだと思っていいのでしょうか?」

 と聞くと、何にカチンときたのか、少し怪訝な表情になった裕子だったが、すぐに無表情に戻り、

「ええ、そうですね。私は構成や台本を書いたりしています。オーケストラでいえば、コンダクターのような立場ですね」

 と言った。

 これは、自分が要であり、自分がいなければこのラジオは成立しないという自負によるものに感じた。最初に見せた怪訝な表情は、

「裏方」

 という言葉に反応したのかも知れない。

 そう思うと、この女性はかなりのプライドの高さを持っている女性だと言えそうだ。

「自分は他の人とは違う」

 という考えを心の奥に持っていて、本人が隠そうとしているのかどうかは分からないが、見る人が見れば、その心境は明らかである。

「編集なんかもされるんですか?」

 と聞くと、

「ええ、やりますよ。実際に機械を使うのは他の人の方がうまいのかも知れませんが、指示するのは私の役目ですから、出版社でいえば、編集長のような感じなんでしょうかね」

 と言った。

「加倉井さんは、編集者とかご存じなんですか?」

 と聞くと、

「私は二年生の時、編集者でアルバイトをしていたことがあったんです。その時に覚えたノウハウで今の構成や台本を書く役割をしているようなものですね。元々が好きだったので、まったく抵抗はありませんでしたが、いずれはそういう道に進めればいいなと思いながら、ここでのお手伝いをさせてもらっています」

「ラジオの構成や台本を書く作家というのは、他の作家さんとは少し違っているんでしょうか?」

「そうですね、やはり映像で見せるものでも、自分の目で見るものでもないので、ひょっとすると一番想像力が必要なものではないでしょうか? それだけに想像に必要な情報は必ずリスナーに与えなければいけない。そうしないとルール違反ですからね。そのうえで想像してもらうわけなので、誤解がないということはありえないと思いながら、なるべく誤解のないように組み立てていくのが難しいんです」

「お聞きしている分には確かにそうですね。特にどういうところに気を付けられているんですか?」

「私は、リスナーというものは、誤解をするものだという意識をこちらが持って放送は作らないといけないと思っています。そうでなければこちらが迷ってしまいます。その時々で、勘違いされたらどうしようなどと思ってしまうと、先に進まなくなるんですよ。私は構成や台本を作る時は、一気に作ってしまいます。時間を空けると、考えがまとまらないんですよ」

「それはどういうことですか?」

「考えをまとめようとすると、集中力を高めますよね。つまりはその間、自分の世界を作って、そこに入り込むというのが重要だと思っています。だから、我に返ってしまうと、それまで考えていたことがリセットされるので、短い時間のインターバルでも、またもう一度自分の世界を作り出そうとすると、そこまでに時間が掛かってしまう。しかも、前とまったく同じというのは不可能だと思っているので、どれだけ前のことの想像に近づけるかがカギなんです。年季が入っているかどうかというのは、そのあたりに関わってくるんじゃないですか?」

「なるほど、よく分かります。それだけ自分の言葉にできるというのも、きっと加倉井さんはいつもそういう意識で構成や台本を作られているということなんでしょうね」

「ありがとうございます。なかなか分かってくれる人は少ないので、私も話をしていて疑問に感じることもあったんですが、刑事さんのように分かってくれる人がいると思うと、私もやりがいがまた生まれてくるというものですよ」

 という彼女のセリフは本音であろう。

 それだけ今までに分かってくれると思える人が少なかったのか、やはり同じラジオに携わっている人が相手でも、まったく違った感性を持っていると、同じものを目指しているだけに見る方向が違っているのかも知れない。

 それはそうだろう。同じ場所を見つめるのに、別の場所に立っているのだから、方向が違っているのは当たり前、平行線であれば、決して交わるということがないのだから、当然といえば当然のことである。

「ラジオの台本で難しいのはどういうところですか?」

 と門倉刑事が聞くと、

「私はプロではないので、プロの人とは意見が違うかも知れませんが」

 と言って前置きを入れてから。

「まずは、いろいろな制約があると思うんですよ。何と言っても視野に関係のあることではないんですからね。一つは時間との闘いというものですよ。例えば野球中継などで、ラジオ放送の時には結構いろいろな条件があるんです。時間に関してですね。何秒か置きにということで、点数を告知する。あるいは、カウントの告知、そして、選手の名前などですね。つまり、途中から聞いた人が少しでもすぐに分かる必要があるということです。テレビなどでは見れば分かるようになっていますので、チャンネルを合わせたらすぐに、会うとカウントやイニング、ピッチャーバッターの情報は出ますよね。つまりすぐに状況が把握できるわけです。しかし、ラジオではアナウンサーが口にしないと分かりません。最初に説明しても、分かっているのは最初から聞いた人ばかりです。だから途中から聞いた人が分からないと言って切ってしまわないように、情報をこまめに説明することは必須なんです。ある程度決まった時間内に言わないと、いわゆる放送事故とみなされてしまうので、ラジオ放送でのスポーツ中継などは、かなりの神経を遣うんじゃないでしょうか?」

「なるほど、それが制約というものなんですね。よく分かりました。今はなかなかラジオを聴く人というのも珍しくなっているので、逆にラジオを真剣に聞いている人も多いんでしょうね。そう思うと、気の抜けないお仕事なんだろうと思います。私などにはできないでしょうね」

 と門倉刑事がいうと、

「研究熱心であれば、大丈夫だと思いますよ。刑事さんは真面目そうに見えるので、そういう人がこの仕事には向いているような気がします」

「加倉井さんもそうなんですか?」

「ええ、私はそうだと思います。そう思っているからできるのであって、どんなことでも自分はしていることをできないなんて思ってしていれば、苦痛でしかないですよね。私は少なくとも苦痛と感じたことはありません。楽しんでやっているんだと自分で信じています」

 と裕子は言った。

「ところで加倉井さんはこの事件をどのように考えますか?」

 と門倉刑事の質問に、

「そうですね、もし、誰かが暗躍したのだとすれば、かなり科学の知識のある人ではないでしょうかね」

「というと?」

「自分も途中で気持ち悪くなってきたんですが、その時、少しだけですけど、硫黄のような臭いがしたんです。最初はガス化何かではないかと思ったんですが、それ以降、鼻や喉に痛みはありませんでした。ただ目だけはハッキリ見えなかったので、ガスではないと思いましたが、何か科学的なものがこの状況を作り出したのではないかと思いました。もちろん目には見えないものなんでしょうが、それはガスや毒素のような物質ではないんじゃないかと思ってもみたんですが、そのあたりは微妙な気がしました」

「というと?」

「物質としてハッキリ分かるものであれば、警察が捜査すれば出てくるものでしょう? それが発見されていないということだから、こうやってその時の事情を再度皆に確認されているんですよね。ハッキリとした物質が分かっているのであれば、それ用の質問がありそうなものですが、門倉刑事の質問は、その核心部分に一向に触れようとしない。だから、警察でもその原因を分かりかねているので、科学捜査だけではなく、実際に事情を聴くことで、それを総合して何が起こったのかを分析しようとしていると感じたんです。違いますでしょうか?」

 と言われて、門倉刑事はビックリした。

「いや、これは恐れ入りました。まさしくその通りです。我々は何も得ていないので、まずは情報収集というところからだったんですが、よくお分かりですね」

 と言って、

――分かりすぎているくらいだ――

 と考えてもみた。

 まるで、捜査がこのように進むのを願ってでもいるかのように感じたが。それは考えすぎであろうか。少なくとも頭の切れるこの加倉井裕子という女性と話していると、下手をすると彼女の術中に嵌ってしまって。そのことに気付かないまま事件の捜査が進んでいくのが怖い気がした。

「私は、これでも放送作家を目指しているので、理論的に物事を考えるのは好きなんです。だから私は刑事さんの立場に立って考えてみたんですよ」

「なるほど、ますます恐れ入りますね。ところで加倉井さんは、科学的なところで何か思い当たるふしはありませんか?」

 と聞いてみたが、

「私は科学には疎いので、よく分かりませんが、科学の専門家は警察にいっぱいおられるでしょう。それに私よりも実際の経験が豊富ですからね。そちらの意見を伺った方が早いと思いますよ」

 と彼女はいったが、これを本音ととってもいいのだろうか?

 本音というべきなのか、それとも話したくない何かがあるのか、それとも、またどこかにミスリードを企んでいるのか、いろいろ考えてみたが、考えれば考えるほど、彼女がフィクサーに見えてきて仕方がない。

「まだ今の段階で彼女一人をフィクサーとして決めつけるのは実に危険である」

 そう思うと、門倉はこれ以上の質問に意味があるのかということを考えてしまった。

 本当は科学の話まで入ろうとは思っていなかったのに、結局彼女に誘導されて入ってしまった彼女の話。非の打ち所がないように見えるが、誘導されたという意識がある以上、すべてを鵜呑みにするわけにはいかない。彼女も一癖も二癖もある人物として考える必要があるようだった。

「いや、なかなかためになるお話ありがとうございました。またお伺いするかも知れませんが、その時はよろしく」

 と言って、席を立った。

 彼女は微笑みもせずに座っていたが、社交辞令など彼女には必要のないことなのだろう。それだけ自分の世界を作っているということになる。

 それにしても、このサークルには個性豊かな人が揃っているのがよく分かった。特に加倉井裕子などは、どこに感情があるのかも分からず、

「誰か好きになったことなんかあるのだろうか?」

 ということすら考えてしまうほどだった。

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