心理の共鳴
森本 晃次
第1話 聞き違い
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。
人間の耳が曖昧だということは、誰もが何となくであるが感じていることだろう。普通に生活していれば、一度や二度の利き間違えなどないという人間はほぼいないだろう。中には、
「そんなの日常茶飯事だと」
という人も少なくはない。
それだけ似たような言葉が乱立しているということで、言葉の多さというものに、いまさらながらに思い知らされる。
音楽の歌詞などによく見られることであるが、人によって歌詞を知らない人がふいに聴くとまったく違った言葉でも納得できると思って聴いていることがある。きっと誰にでも一度はその経験はあるだろう。自分にはなくとも知り合いにあったりと、そんな経験をしたとしても、耳が感じる錯覚に対して別に不思議な思いを感じることもなく、当たり前のことのように意識しないだろう、まるで、
「路傍の石」
のようではないか。
路傍の石というと、誰の目にも触れられるところにあるにも関わらず、その光景があまりにも違和感がないため、意識することをしない感覚だと言っていいのではないだろうか。
聞き違いも同じようなものであり、人に悟られると冷やかされてしまう。きっと自分の中で、
「誰だって意識していないはずなのに、自分だけが恥ずかしい思いをするのは理不尽ではないか」
と感じるからなのかも知れないが、恥ずかしい思いをする必然性を感じない。
この心の中のジレンマが、
「聞き違いをしたことを、まわりに悟られたくはない」
という感情を引き起こすのではないだろうか。
特に聞き違いがあると、結構まわりから弄られる。
「自分にはそんなことはない」
という自覚があるからなのか、それとも、そう思いたいという強い気持ちがあるからなのか、自分のことではなく人のことだと思うと、必要以上に弄ってしまうのだ。
普通に弄られる分には、そこまで嫌な感じはしないが、聞き違いのように、誰にでもあるはずのものを、必要以上に弄られることは嫌である。その思いは自分だけではないと思うのも無理もないことであった。
大学生の梅崎綾乃も同じように思っていた。今年二十歳になる綾乃は、大学では文学部に所属し、ゼミは日本史を選択していた。なぜ日本史を選択したのかというと、綾乃が好きになった福間恵三という男子学生が日本史が好きで、二年生になってから付き合い始めた綾乃は、恵三の影響もあってか、日本史が好きになった。
今では彼氏の福間恵三よりも熱心に勉強している。二人は同じゼミに所属し、教授の山下修一郎先生とも歴史の話に花を咲かせることができるくらいになっていた。
綾乃は本を読むのが好きだったので、歴史小説や歴史上の人物の伝記小説などをたくさん読むことで、幅が広がっていった。
事件の本を読むと、そこに出てくる人物のことを深く掘り下げて知りたいと思うし、逆に人物を集中して読むとそこに出てきた歴史上の事件を掘り下げてみようと考えるのも当たり前だ。
つまり歴史の勉強は、
「平面で見るわけではなく、立体で学ぶことができるというのが、大きな魅力なのではないか」
ということに気付いた綾乃は、どんどん歴史が好きになっていき、今では、
「歴史が好きだ」
と、豪語していた福間すら、足元にも及ばないほどになっていた。
とはいっても、恵三が歴史にそれほど詳しくないというわけではなく、彼としても、豪語するだけの知識は十分にあった。それは教授も認めていて、福間と綾乃の二人に対して、敬意を表しているくらいだった。
「歴史というものは学べば学ぶほど奥が深い」
という言葉をあの二人なら口にしても、おこがましいという感じがまったくしないほどである。
歴史サークルは基本的にゼミのメンバーで構成されていた。歴史サークルは、
「来る者は拒まず」
であったが、どうしてもゼミのメンバーしかいないところに、いきなり他なら入ってくるような度胸のある人はいなかった。そのため、歴史サークルは必然的にゼミの人間で固まってしまった。
歴史サークルでは、ラジオの配信もやっていた。歴史を話題にした話を物語にしての配信だった。構成や台本を作るのは、同じサークルの加倉井裕子であり、裕子は歴史の勉強というよりも、ラジオ配信に興味があったので、入部してきたのだった。
そもそもラジオ配信の発想は、教授の言葉からだった。
「昔のラジオは、今のように誰もができるようなことはなかったからな。ネットもそうだけど、本当にいろいろ発信できる時代になったものだ」
という言葉から、
「だったら、ラジオ配信を考えてみませんか?」
と言い出したのが、福間だった。
福間は、結構新しいものに飛びつく癖があり、そんなところに好意を持っていた綾乃が反対するわけもない。ただ、あまりにも突飛な話だったので、実現させるためには、まだまだ障害が多かった。
「まずは、構成や台本が書ける人がいないとな」
という話になり、ラジオのシナリオが書ける人を探すことになった。
だが、探してみると結構すぐに見つかるもので、白羽の矢が立ったのが、加倉井裕子だった。
彼女はゼミは違ったが、
「将来、放送作家になりたい」
という目的を持って大学に入ってきたことを知っていた福間がスカウトしたのだった。
なぜ、福間がそのことを知っていたのかというと、普段からまわりに自分の目標を豪語していることで、普通に福間の耳に入ってきただけのことだった。
「俺たち、歴史サークルなんだけど、ラジオ配信を考えていて、だけど、皆素人で、何から手を付けていいのかという段階なんですが、よかったら協力してくれると助かるんだけどな」
というと、
「ええ、いいわよ。私もやってみたいと思っていたの」
と、二つ返事で快く了解してくれた。
加倉井裕子は歴史に対しての知識はほとんどなかった。中途半端に知らないのであれば、サークルに所属した時点で、
――もう少しいろいろ知りたいな――
という思いから、歴史を勉強する気にもなるのだろうが、彼女のようにまったく歴史に興味のなかった人間が、いきなり興味を持つということはなく、完全にラジオ配信にだけ参加するメンバーという位置づけになっていた。
実際に歴史サークルに所属している人で、最初から歴史に詳しかった人というと半分くらいではないだろうか。
興味はあるのだが、知識としてはあまりなかったのだが、歴史サークルのまわりの人に感化されることで、
「知らないことは恥だ」
という錯覚を与えられるようになった。
それはいい意味でのことで、恥ずかしい思いをしたくないことで勉強するというのは、嫌ではないことだ。
勉強というものを、
「やらされている」
と思うから、自分から受け入れようとしないのだ。
「受け入れるもの」
として最初から考えていると、勉強するということに、自分の中で伸びしろを感じるのだった。
歴史も同じで、まわりが知っているのを見ると、それだけで、
「物知りだ」
と素直に感じられることが、歴史を勉強する醍醐味に感じられた。
もちろん、意義は別にあるのだろうが、醍醐味と意義が違っていることで、その幅は広がるというものである。それを思うと、歴史の勉強は他の勉強にはない大きな魅力があると思わせるのだった。
このサークルは、ゼミのメンバーでほとんど構成されている関係で、顧問のような形で教授も参加している。運営は生徒が行っているので、どちらかというと、
「監修」
という感じであろうか。
アドバイザーのような感覚だといえばいいのだろうが、教授が他の学生と違っているのは、
「目の付け所が違う」
というところであろうか。
普通の感覚とは違っていることで、感性の違いを感じるのだが、実際には目の付け所が違うというだけで、実際には、
「見えているものが違っているわけではない」
と言えるのではないだろうか。
「これが教授と一般の学生の違いないなんだ」
と感じたが、果たしてどれだけの経験と時間が必要なのか、誰にも分からなかった。
当の本人である教授にも分かっていないだろう。
ただ、教授も自分が学生の時、同じことを考えたのであり、今このことを感じている学生がいるとすれば、その学生は教授になれる素質を有していると言えるのではないだろうか。
教授は名前を、山下修一郎という。年齢は四十歳代後半ということだが、学生から見れば、父親とほぼ変わらない年齢なので、年齢的にも雲の上の人に思えて、しかも相手は教授、近づきがたいと思っている人もいるだろう。
しかし、このサークルに所属している人の中に、近づきがたいと思っている人はほとんどいない。それはきっと教授のアドバイスの目の付け所の違いを感じているからだろう。アドバイスを与えてくれるのは、きっと頭で考えてのことではなく、感性から、それぞれの人によって意見が違っていることが、教授の教授たるゆえんなのではないだろうか。
教授がアドバイザーとして君臨してくれていることで、ラジオ配信にも幅が広がるのであって、教授は何も歴史だけしかアドバイスをくれないわけではない。
「私は歴史しか分からないが」
という前置きをしておきながら、実際には歴史以外のことでも、どうしてそんなに簡単に思いつくのだろうと感じることを、どんどんアドバイスしてくれる。
ただ、それも基本は歴史の知識があるからでって、
「歴史を知るということは、他の人から見れば奇抜なアイデアと感じることを思いつく者なのかも知れない」
と感じる。
「歴史というのは、一つの大きな物語であり、ただ、その中に無数の物語が存在する。物語という意味で、文学に近いともいえるが、一歩間違えれば無数の可能性が広がっている歴史が変わってしまうという意味でのパラレルワールドという考え方から、科学にも感じる。また四則演算子が影響してくる数学にも見える。奥が深いはずだよね」
と教授が言っていた。
ゼミの中には教授のウワサを聞いて、いずれ教授のゼミに入ることを目指してこの大学に入学してくる学生もいた。
梅崎綾乃は、その中の一人であり、そのことは最初から公表していた。教授の方も、
「私のゼミに入りたくて入学してくれるのを聞くと、実に光栄に感じるよ」
と言っていた。
「いいえ、そんな。教授のゼミに入れてよかったです」
と、綾乃も素直に喜んでいた。
「高校の頃に思い描いていた私のゼミと、実際では違うかい?」
と聞かれて、
「あの時の心境はハッキリと思い出すことはできないけど、少なくとも、間違っていなかったということはハッキリということができます」
これが、綾乃の本心であろう。
この言葉は教授にも感動を与えた。教授にとっての生徒は、
「こうあってほしい」
という思いがあるが、その思いをまともに証言してくれたような気がして、、嬉しかった。
「私も大学時代、尊敬する教授がいて、その人のゼミに入りたいと思ったことで、今の自分があると思うので、その時の教授の立場に自分もなれたと思うと嬉しいですよ。あとは、教え子の中から誰か一人でも私の後の教授の椅子を目指してみようと思ってくれる人が出てくれば最高だよね」
と、教授は言った。
「私が大学時代というと、当時はまだ、平成に入った頃で、時代としては、まだパソコンも普及していないような時代で、ラジオ局も一つの県に少々大きな局が二つか三つというところだったかな? 大学時代にラジオ放送の見学の応募が当たって見に行ったんだけど、その時に見たラジオのスタジオがすごく新鮮に感じたんだよね。だから、いぜれできるなら自分でもこういうラジオ放送ができればった思っていたんだ」
と言っていた。
念願かなって、自分の教え子が、ラジオをやりたいと言い出した時、教授は本当に喜んでいた。
教え子の言っているものは、自分が創造しているものとだいぶ違っているようだったが、それでも、ラジオのスタジオを借りて、配信という形で発信しようというのだから、そこまで違和感を覚えるほどのものではない。ただ、自分が思っているよりも年を重ねてしまったということだろう。
教授は歴史の研究においては、ある程度第一人者として学会からも敬意を表されているが、教授本人という一人の人間としては、どこか時代錯誤なところがあった。世間日版的に、教授の時間はどこかで止まっているのか、意識していないというべきなのか、今の世の中の変化のスピードは、それを意識していないと、取り残されてしまう。
実際に教授もそのスピードに取り残されたしまったのか、年齢の割には最新の情報には疎かったりしている。
他の人のように新しいものに飛びつくことはなく、頑なに昔から使っているものに個室するとことがあった。
古くは、学生時代にはキャッシュカードを持っていなかった時代があったというからビックリだ。毎回、インカと通帳を持って、窓口から手書きの申請書を書いて引き出していた。何ともアナログな人である。通帳でも、ATMの機械が使えるということすら知っていたが、どうしてもどんなに時間が掛かっても窓口で受け取っていた。その時期は一年ほどしかなかったが、何度も窓口の人から、
「通帳であっても、機械が使えますよ」
と言われていたのに、それでも一年近く窓口に通ったのは、教授のこだわりがあったからなのかも知れない。
だが、そのこだわりがどこから来るのか分からない。
大学の研究室に研究生として残るようになってからも、大学への原稿は手書きだった。正式書類はパソコンでの入力が必須というもの以外は極力手書きを使っていた。
論文であったり、研究報告書などはすべて手書き、教授はくせ字だったので、その読解にはかなりの労力が言ったという。
そんな話を聞き伝えとして聴いていた今の学生たちは、教授が新しいものに飛びつかないのは分かっていたので、いまだに形態もガラケーで、スマホを触ったこともないというではないか。
「ええ、私はスマホはやっていませんから」
と言って、他の先生や研究員からLINEの申し込みがあっても、
「私ガラケーですよ。そもそもLINEって、なんですか?」
という始末だった。
ガラケーであっても、メールを何とか簡単な報告程度に打てるだけで、それ以外の使い道も知らず、ほとんどがケイタイもさわることがなかった。
ガラケーに比べれば、どれほどスマホが便利であるか、そのことを知ろうともしないのだ。
そうやって考えてくると、教授がどれほど単純な性格なのか分かるような気がしてくるではないか。
確かに歴史研究の第一人者としては誰もが認めるのだが、それは、教授が歴史に対して愛を持って自分で必死に勉強したからだ。しかし、その熱意があまりにも興味のあることにだけ注がれるので、それ以外のことは眼中にないと言ってもいい、まるで、
「路傍の石」
のごとく、目の前にあっても、その存在を意識することすらない。
パソコンにしても、スマホにしても、LINEにしても、覚えるの緒が面倒くさいのだ。もっというと、
「そんな時間があるなら、もっと歴史を研究する時間を持ちたい」
と思っている。
歴史の研究を放っておいて、別に興味もないようなことを覚える時間を使うことが、自分で許せないと言ってもいい。
この考え方は、
「ものぐさ」
と言ってもいいのだろうか。
「食わず嫌い」
という言葉があるが、まわりの人は十人が十人までもそう思っていることだろう。
教授は自分が、自分の専門分野以外は苦手だという意識があったからなのだろうか、ラジオ関係で、一応、監修のような形を取っているが、ほとんど何もやることはなかった。歴史的な話のネタを探してくることや、その内容を吟味する時には参加もするが、それ以外はほとんどしない。
「教授にももう少し参加してほしいな」
と思っているのは綾乃だけで、他のメンバーは、
「教授はアドバイザーとしていてくれるだけで、それだけでいい。言い方は悪いけど、邪魔になるよりも、何もしないでいてくれた方がいい」
と思っていた。
綾乃は、どちらからというと、あまりまわりのことを分かる方ではなく、苦手な方だった。天真爛漫というか、楽天的なところがあり、教授に対しては尊敬の念が強すぎるという面も手伝ってか、短所がほとんど見えていなかった。
「短所と長所は紙一重」
という言葉があるからなのか、長所だけを見ていると、短所が見えてこないようだ。
ただ、紙一重でありながら、裏返しという意味もあり、
「違う次元で同じ場所にある」
と考えると、なかなか両方を意識するのは難しい。
ただし人間は、別の時間には一人の人間の別の次元を見ることができるようで、そのことで、その人の長所と短所を別々に把握できるものであるようだ。そう思うと、綾乃には、教授のことが分かり切れている理由は、他の人には見えても、綾乃自身で自覚することはできないのではないだろうか。自分の姿を鏡を通して見なければ見ることができないように、綾乃はこの場合の鏡という相手もを持ち合わせていないのかも知れない。
人の裏表が見えないというのは、明らかにその人にとっての損なことなのだろうが、今のところ、そのことで損をしたことはない。今後どうなるか分からないが、綾乃を知っている人が見ると、
「彼女は、今のままでいい」
と感じていることだろう。
それが彼女の性格であり、自分が彼女と仲良くしている一番の理由がそこにあると思っているからだ。
裏表というのは、誰にでもあるもので、綾乃も自分の中にあるはずである。人のものが見えないということは、綾乃も自分の裏面も分かっていないということであり、これは本当にそれでいいのかどうか、考えさせられるというものだ。
だが教授に対しては、裏表を感じるわけではなく、何か一つの世界だけではなく、いくつかの世界観を持っているように感じられた。そこが綾乃が教授を気に入った理由でもあるし、教授も綾乃を可愛がっている理由でもある。
綾乃は、父親を小学生の時に亡くしていた。年齢的にも父親と近いと思っている教授に自分の父親を見ているのかも知れない。
「私のお父さんだったら、好き嫌いがハッキリしていて、自分の隙でもないことを一生懸命にはできないんだろう。それだけ好きなことだけに集中したいのだろう」
と思っていた。
そもそも大学教授というのは、大なり小なり、そういうところがあると思う。
大学は完全に大きな総合研究所のようなところで、教授たちの世界では、自分の研究をまっとうし、社会に貢献する結果を残すことこそが、正義であり、意義なのだと思えるからだ。
そういう意味で、山下教授は、十分に社会にも貢献しているし、大学というところの、
「正義」
を貫いていると言えるだろう。
教授の中には、山下教授よりももっと露骨に自分のことだけしか考えていないと思える人もいる。とても尊敬に値しないと思えるような教授だったが、案の定、後になって不正が発覚したか何かで、学会を追われることになるのだが、その時はまだ誰もそのことに気付いていなかった。
「何か胡散臭い教授だな」
と思っている人は少なくなかっただろうが、学会を追われたという話を聞いた時、
「やっぱりな」
と思った人もいれば、
「青天の霹靂だ」
と言って、まさかと思った人もいただろう。
両極端ではあるがそれだけ大学教授という人種は、そばにいながら結構な距離感を感じさせる存在なのかも知れない。
そんなある日、山下教授が面白い話をしていたことがあった。あれは者かいの時だろうか、ラジオの話になった時だったような気がする。
「皆は、モスキート音という言葉を聞いたことがあるかね?」
と言われて、その場に参加した十人くらいの人のうち、八割くらいの人が手を挙げた。
「じゃあ、どういうことだが、ご存じであろうか?」
と聞かれると、数人が顔を見合わせて、一人が代表で答えた。
「確か、超高周波のようなものだったと思います。確か『蚊』が飛ぶ音のことだったような気がするんですが」
というと、
「ああ、その通りだよ。私も最近、初めてその名前を聞いたので、どういうことかってネットで調べてみたんだよ。すると、そこで私は自分が聞き違いをしていることに気が付いたんだ」
「というと?」
「モスキート音というのが、音に関係していることだというのは、その言葉を聞いた時に分かっていたんだけど、音だから、耳で聞いた時咄嗟に出てきた言葉は、『モスキートーン』だったんだ」
というと、
「どこが違うんですか?」
と皆、不思議そうな顔で聞いてきた。
「ん? 若干、アクセントが違って聞こえてくるだろう?」
と、まわりもひょっとすると、自分と同じ聞き違いをしていて、今でも聞き違いを正しいと思い込んでいる人がいるのではないかと思った。
それを見て、教授は話を続けた。
「要するに。『もスキー』で切って、『トーン』で締めるというように聞こえていたんだよね」
というと、
「え、そうじゃないんですか?」
と、やはり教授が想像していた通りの人もいた。
「うん、違うんだ。本当は、『モスキート』で切って、『音』つまり、音という言葉でしめるんだ。モスキートが蚊という意味らしいんだけどね、紛らわしいだろう? 今ここでも、私を含めて聞き違えていた人が何人もいたということなんだ。ひょっとすると世の中にはまだ聞き違えている人はいっぱいいるんだろうけどね」
というと、別の一人が、
「その前に、モスキート音という言葉すら、そんなにたくさんの人が知っているとは思えないですけどね」
と言って笑っていた。
「まさしくその通りだ。これと同じように、言葉を聞き違えるということは往々にしてあるのだろうから、気を付けた方がいいよね」
と教授が言っていた。
このことが、今後に起こった事件を暗示させることになろうなど、果たして神のみぞ知るというところであろうか。
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