第10話 正悪の狭間
ゆっくり歩いていくと、そこには断頭台が見えた。まわりからは外国語で大勢が罵声を浴びせている。何を言っているのか分からないが、想像するに、
「早く殺せ」
「さっさと処刑しちまえ」
などと言っていることだろう。
まわりにいるのは金髪の外人ばかりだ。自分の馴染みになる人など一人もいない。
どうやら、衆人監修の下で、自分はこれからギロチンにかけられて処刑されるようだ。まわりの騒然とした雰囲気と、自分をここに引き出した役人と思しき人の実に事務的で冷めた目を見ていると、何ら疑いようのないものであった。
なぜ、自分が断頭台の餌食になって、首をはねられなければいけないのか、そんなこと分かるはずもない。正直この場面はまったくの想像していなかった光景だったのだが、テレビドラマなどで見たことのあるものだった。
「マリーアントワネットの処刑」
そう、あのフランス革命で庶民の手に寄って処刑されたフランス皇帝、ルイ十六世の王妃である、あのマリーアントワネットの処刑である。
そう思うと、この場面はマリーアントワネットの処刑以外には考えられないものとなってしまった。
「殺せ、殺せ」
と、まわりは喚いている。
「どうして、そんなに私が憎いの? 私が何をしたというの?」
想定外の出来事であるにも関わらず、留美子はまるでマリーアントワネットになったかのように断頭台で声なき声を挙げていた。
すると、群衆の一番前で、冷たい視線を浴びせている一組の男女の姿が見えた。
「あれは、私と三角君じゃない?」
二人は現代の日本の服装、普通ならまったく違和感がないが、この光景で誰も何も言わないことが不思議に思える服装で、こちらを見ている。その目は哀れみというよりも、憎しみすらあった。
だが、自分の目は憎しみとも哀れみとも違う。早く処刑されて、楽になればいいというイメージだ。
――どうしてそんな目をするの?
と思いながら、どうして自分がそんな複雑な心境になっていることに気付けたのかという方が不思議だったが、今はそんな感情を抱いている場合ではない。
だが、逃れることはもはや不可能だった。
自分は完全にアントワネットになっていて、このまま処刑されるだけであった。
――死にたくない――
と思ったが後の祭りである。
まわりの声が次第に耳に入らなくなってきた。耳鳴りがしているような感覚もあり、それ以上に、まわりの雰囲気が緊張し、固唾を飲んでいるのが感じられたのだ。
――ああ、いよいよ処刑が近いのかも知れない――
と思い、それでも皆が緊張しているのだとすれば、理屈は通る気がした。
首に掛かっている抑えの板も、足や手首にかけられた手枷、足枷、痛くてたまらなかったはずなのに、今は感覚がマヒしたのか、痛みも感じらくなった。
このまま死んでいくとなると、何かを思い出しそうな気がしているのに、こんな時に限って頭をもたげるものは何もない。
考えてみれば、自分は精神だけがマリーアントワネットの処刑の場面にやってきたのであって、痛みや苦しみとは別のもののはずだ。痛みの感覚がマヒしたのではなく、最初から感じていないのかも知れないと思うと、このまま首を切られても、自分には痛みがないと思えてきた。
すると、今度はどこに行くというのか、まるで自分がこのまま、処刑の場面を巡り巡っていきそうな気がするのだ。
処刑というと最初に思い浮かんだのが、誰もがそうだろうが、このマリーアントワネットの処刑の場面だった。自分が女性だということもあるが、もし、自分が男性であっても同じであったような気がする。
では、次に処刑を思い浮かべるとすれば誰なのか? 他の時ならいざ知らず、今思い噛んできたのは、幕末の幕府側の志士というべき、新選組の組長、近藤勇の処刑場面であった。
武士としての切腹も許されず、まるで見せしめのように処刑された近藤勇、それを考えると、
「一体、正義って何なのかしら?」
と思い知らされる。
「歴史は勝者によって作られる」
と言われるが、まさしくその通りだ。
今は敗れ去り散っていった人も研究が行われ、栄光とはいかないが、脚光を浴びる研究結果も出てきている。
それだけに、今の自分たちは、勝者の理屈も敗者の理屈も分かっている。だからこそ、余計に歴史に興味が湧いて、敗者からの勝者からも見ることができる。
――待てよ。これって、出題者であったり、回答者と同じように、正対する二人を考えていることになるのかしら?
と感じた。
それぞれに正対するものであれば、その二つですべてのものを満たすという考えが留美子にはあった。
例えば、正義と悪という感覚でものを見てみるとすれば、普通なら、
「それ以外にもたくさんいるでしょう、普通の人が。言い方は悪いけど、その他大勢とでも言えばいいのかね」
と言われるかも知れないが、苛めについて考えてみると、留美子には正か悪かのどちらかしかないと思うのだった。
苛めというのは、苛めっ子がいていじめられっ子がいるという構図で、それ以外には見てみぬふりをする、いわゆる「傍観者」がいるわけだが、留美子のように苛められている側から見れば、傍観者はすべからく「悪」である。
では、苛めている側からすればどうであろうか? 彼らからすれば、悪ではないという単純理論から、正義と判断するかも知れない。立場によって、どっちつかずの人は本当にどっちつかずで、
「まるでコウモリのような存在ではないか」
と思わせる。
コウモリというのは、その生態上の容姿からか、それとも身を守るための知恵からなのか、
「鳥に遭遇すれば自分を獣だといい、獣に遭えば、自分は鳥だという。そうやって窮地を乗り越えていくのがコウモリという動物だ」
と言われているが、まさにその通りであろう。
そんなコウモリを悪なのか正義なのかを判断する資格など自分にはないと思っている留美子であったが、少なくともこの世には、
「正義と悪しか存在しない」
ということは言えるのではないだろうか。
そんな世の中を創造していると、今自分がいる世界が、翻弄に想像ではなく、「創造」なのだと思うようになっていた。
自分が今までに何度死を意識したことか。
「どうして死にきれなかったのだろう?」
死にきれなかったから、今ここにいるということを棚に上げて、まるで死のうとした自分を他人事のように見つめる自分が何か怪しい人間のように思えてならなかった。
そんなことを考えていると、いよいよ首にギロチンが見事に食い込んで、首が吹っ飛んでしまい、断末魔の形相があの世界の恋人とも謳われた絶世の美女の面影はまったくなく、何を訴えているのか、虚空を見つめるその目は恐ろしさで身を切られるような思いがしていた。
ゾッとするほどの気持ち悪さとは裏腹に、まわりでは殺された人間など、もうどうでもいいと言わんばかりにバカ騒ぎをしている。
悪政から解放されたというべき状況なので、もっと冷静になればいいものを、しょせん庶民は低能であり、世の中を収めるべき人間を甘く見ているだけの、
「使われる人間」
としての技量しか持ち合わせていないのだ。
そんな連中に、どうせ政治などできるはずもない。それは歴史が証明しているではないか。今までにいくつもの市民革命というものが行われてきたが、その結果、訪れた世界が果たして平和で穏やかな。少なくとも革命を起こした連中が望んだことであろうか?
著名人であれば、革命の後の混乱くらいは想像もできたであろうが、普通のその他大勢の連中に想像ができるはずもない・
そんな世界においてどこに正義があるというのか、そんな甘ちゃんな連中のために、自分が首を切られたのかと思うと、さぞやマリーアントワネットもルイ十六世も無念であっただろう。
そう思うと、何が正義で何が悪なのか、歴史になってしまわないと分かるものではない。
また、新たに出来上がった政権が長持ちしたかどうかであったり、すぐに衰退したのかということだけで正悪を判断していいものなのかというのも難しい発想である。
留美子がそんなことを、どれほど感じていたのか、三角や門倉刑事も鎌倉探偵も予期していないようだ。
留美子が、それからしばらくしてどうなったのか、それを知っている人は、案外と少なかった。
冬の気配がそろそろという十一月のある日、静かに留美子はこの世を去った。
睡眠薬を大量に服用し、浴室で手首を切ったのだ。
浴室の前にある洗面台には、一枚の絵が置いてあった。
「ギロチンにかけられるマリーアントワネットの処刑」
というような内容が書かれていた。
留美子はマリーアントワネットになったのだ。観衆は誰もおらず、看取るものもいなかった。そんな中で彼女は覚悟を決めたのだ。
ハッキリとした遺書はなく、彼女がなぜ自殺をしたのか、誰にも分からなかった。彼女の自殺の報告を受け、一番ショックを受けたのは、門倉刑事だった。
「どうして、なぜ……」
普段の情熱的なオニ刑事からは想像もできないような憔悴に、まわりは誰も声を掛けることができなかった。
とりあえず捜査員に、
「三角君に連絡を取ってくれないか」
という指示を出した門倉だったが、その時に何とも言えない寒気のようなものが襲ってきたのを感じた。
――三角も、この世にいないのでは?
という予感だったが、報告が入った内容は少し違った。
「三角という人物は数日前から帰っていないようです」
という報告を聞いて、最初は想像していなかったつもりだったが、改めて考えると、分かっていたことのように思えてならなかった。
――一体どこへ……
と思ったが、自分から探してみようとは思わなかった。
たぶん、見つかることはないように思えたからだ。もし見つかったとしても、死体との対面であれば、ウンザリするだけなので、今からそれを想像したくはなかった。
留美子がなぜ自殺をしたのか分からなかったが、
「何か、彼女は自分の中で、今だけ生殺与奪の権利を感じたんじゃないかな? 自殺をするなら今しかないというようなね。それでも普通なら自殺などしようとは思わないはずだけど、正義と悪としかいないこの世で、本当の正義なんかないち思ったのが一番の理由ではないかと僕は思うんだ」
と鎌倉探偵が言った。
「生殺与奪ですか……」
それが正しいのか悪なのか、誰に分かるはずがない。四人の中、そしてその中で二人ずつがそれぞれ考えたことが一人になった時、生殺与奪をもたらしたとすれば、それは恐ろしいことだが、自殺をする人のほとんどが、最後は生殺与奪に左右されたのではないかと門倉は思った。
「自殺って本当に悪なんだろうか?」
門倉は静かに目を閉じたのだった……。
( 完 )
正悪の生殺与奪 森本 晃次 @kakku
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