第9話 クラシックの答え

 月というものは、古来からいろいろな謂れがあるものだ。中傷的に見る見方もあれば、月をテーマにしたいろいろな芸術作品もある。太陽のように灼熱に覆われているため、近づきにくいものではなく、

「冷たく光る」

 というイメージもあり、人にとっては馴染みやすい存在なのかも知れない。

 月という表現は、同意語として、

「衛星」

 を示す場合がある。

 つまり、惑星のまわりをまわるものを象徴して、「月」と表現するのだ。

 何かに従属していると捉えればいいのか、寄生しているように見ればいいのか、そのあたりは感じる人の自由であろうが、ハッキリとしない部分でもある。

 月というものは、暦とも関係がある。特に一か月周期のものとして、女性の身体と密接に結びつき、

「月経」

 と呼ばれているではない、あ

 また物理学的には、

「潮の満ち引きは、月の引力が関係している」

 とも言われているではないか。

 あるいは、都市伝説的なオカルト系の話として、

「月というのは、精神異常者の意味である」

 というものであったり、

「満月の時には異常な事象、自殺、殺人、交通事故などが多い」

 とも言われている。考えてみれば満月を見て変身するオオカミ男の話なども、ここからの都市伝説が発展したものではないだろうか。

 そもそも、これらの都市伝説は、証明されたという説と、まったく関連性がないという説の両方が存在し、あくまでも都市伝説として考える方がいいだろう。

 日本にも竹取物語などの月をテーマにした話も少なくない。そうやって考えると、太陽よりもたくさんの謂れを持っているのではないだろうか。

 そんな月を路傍の石のように、目の前にあっても、その存在を意識しないという考え方は、少し危険ではないかと思われる。

 しかし、満月の時に何かが起こるという話は都市伝説と言われながら、中学時代にはクラスメイトが証明しようとしていて、実際に交通事故に遭ったという事件が発生した。

 その日が本当に満月だったので、交通事故に遭ったクラスメイトはすっかり覚えてしまい、今では月を見るのも怖いそうである。

 夜出かけることはほどんどなく、引きこもっているようだが、高校生の時に見てもらった霊媒師から、

「あと、十年経てば、その意識が抜けるであろう」

 と言われていたが、その十年まで後一年か二年というところであろうか。留美子が知らないところで治っているのかも知れないし、ひょっとすると、じっとあと一年か二年をひたすら待ちわびているのかも知れない。

 彼の家庭は、本当に満月の日に何かが起こる家族であった。

 彼のお兄さんが奥さんから離婚を切り打差Sれ多日も満月だったというし、さらに、そのきっかけになった日、満員電車で冤罪の濡れ衣をきせられたのも、暗月の朝だった。

 すぐに誤解は解けたようだが、奥さんがなぜか離婚にこだわったという。ひょっとして、冤罪はただのいいわけで、実際には離婚を以前から考えていたのかも知れない。

「俺たちは、月に呪われた家族なんだ」

 と、そう言っていたが、その顔色は真っ青で、げっそりと痩せたその顔は、普段から眠れていないことを証明しているかのようだった。

「そういえば、一か月単位で、ろくなことが起こらなかったな」

 と言って、話をしてくれたが、確かに彼がけがをしたり、人から疑われたりと、普通なら一年に一度あるかないかという災難を、毎月一つは味わっていたのだ。

 そんな彼なのに、誰からも心配されることもなければ、意識されることもない。本当に月のような存在で、気にされないことが彼の特徴であり、しかも、ちょうど一月に一度、自分が精神異常ではないかと思うことがあるようだ。

 それも無意識のことなのであるが、その時の自分を、

「何かの動物が乗り移っているかのような気がしていた」

 と感じていた。

 留美子が自分を月としてイメージして小説を書いていると、三角も自分で小説を書いてみたいと思うようになった。

 子供の頃から文章を書くのは苦手で、論文などが一番嫌いだった。実際に本を読むのも嫌いだし、カウンセリングをするのだから、理路整然とした理屈を頭に思い描くことはできるはずだ。

 しかも、思いついたことはいつもメモにとって控えておく。後から見た時に分からなくなるのであれば、それも仕方がないのだろうが、覚えていないということもない。何のつもりで書いたのかということも自覚している。それなどに、その内容を文章にするのが苦手なのだ。

「私は、箇条書きをしていたりしても、何を書いたのか、後になって思い返したら、すぐには思い出せないのに、どうして、三角君は文章にできないのかしらね?」

 と、留美子は言った。

 さすがに、自分でも困ってしまい、元小説家だった鎌倉氏に、小説を書く極意を教えてもらおうと感じていた。

「理路整然とした頭を持っているにも関わらず、文章にすると、先に進まないというわけだね?」

 と、鎌倉氏にそう言われて、

「ええ、そうなんですよ。纏めるということにはそれなりに自信はあるんだけど、それを論文にしてみたり、まとまった文章にしようと思うと、どうしても途中からわからなるんですよ」

 それを聞いて、鎌倉氏は、

「途中で分からなくなるということは、途中までは分かっていたということだよね。そのことについて、君が深く考えようとしないところが、問題なんじゃないかな?」

 というのだった。

「それはどういう意味ですか?」

「いわゆる思い込みなんだろうけど、君は一種の減算法なのかも知れないね」

「減算法というと?」

「君は資料を集めてくるのもうまければ、纏めることにもたけている。だからこそ、たくさんある材料をどんどん狭めていこうとするんだよ。しかも、君は頭がいいから、前もって、どれくらいの大きさまで狭まればうまく書けるかというところまで分かっているんだ。でも分かっているだけに、まわりから責めてくる自分と、途中に結界を儲けた自分とが、結界付近で試行錯誤を繰り返すんじゃないかな? だから見えているはずのゴールを見逃してしまったり、結界があると分からずに入り込んでしまって、その結界の存在が見えているわけではないので、見えないものに対しての対応をしようとしてしまう。だから近くにゴールがあるのに、それを見逃して、生部行くほど深みに嵌るコースを自分から進んでいるんじゃないかな?」

 かなり難しい話をしているように思うが、

「どうにかならないんですかね?」

 と、自分でもお手上げ状態なので、きっと鎌倉氏が助けてくれると思ったが、意外なことに、

「君は僕に助けを求めても、それはお門違いだよ。君にはもっと理解しあえる人がいるじゃないか。その人も君が来るのを待っていると思うんだ。ゆっくり話してみるといい」

 と、鎌倉氏は敢えて、その名前を言わなかったが、言わなかったということで、それが誰なのか、確定していたのだ。

「留美子さんは、やはり僕の意識の中にいる存在なんでしょうか?」

 と鎌倉氏に聞いてみると、

「それは君が感じたそのままを自覚すればいい。君は感じることはできるのに、いわゆる自覚ができないんだ。そんなに自分に自信のないという気持ちにある必要なんかないんだよ」

 と鎌倉氏は言った。

「僕も、門倉君とはいつも一緒にいていつも話をしているんだけど、飽きることはないのさ。お互いに求めているものが同じであったり、違ったとしても、相手が求めているものを自分が与えられたりという考えが頭をもたげるんだよね」

 と、鎌倉氏は、話を続けた。

「この間、門倉君と話をした時、出題者と回答者の話になったことがあったんだよね」

「というと?」

「僕は門倉君との話の中で、出題者と回答者がまるで一人二役なんかを構成していたら面白いと思うんだよな」

 と鎌倉氏は言った。

 三角は、何か頭の中を見透かされた気がした。この間の話を聞いていたことを知っていたのだろうか?

 三角はこうなったら、隠して置こうという気にはなれず、ここまでくれば白状した方がいいと思った。

「実はこの間、門倉さんとお二人がお話しているのを僕も聞いていたんですよ。その時は確かに一人二役のお話をしていたと思うんですよ」

 と正直にいうと、

「そうですか、それは僕も誰かに聞かれているとは思っていたんですが、別にまずいことを話していたわけではない。探偵と刑事の会話ですからね、これくらいの会話は普通のこととしてお許しいただけると思っているんですよ。でも、僕はあれから、なぜかあの時に門倉君と話をした内容を半分以上忘れてしまっているんですよ。内容と言っても、そんなに犯罪に関係がある話だったのかすら、覚えていないんだよ。たぶん、元々は、算数は時として問題を作るよりも回答の方が難しいことがあるというような話から入ったような気がする。そして、算数と数学について話したというような意識は残っているんだけどね」

 と、鎌倉探偵は言ったが、三角が聞いた話もほぼそれに近いような話しかしていなかったような気がするので、鎌倉探偵が忘れてしまったと思っているのは勘違いで、本当はほとんど覚えているのかも知れない。

 それも少しおかしな気がするのだが、なぜ忘れてしまったと感じたのか、話し終わった時の充実感のようなものが、記憶よりも大きかったからなのかも知れない。そう思うと三角は、自分にも似たような感覚を覚えたことが、かつてあったような気がして仕方がなかった。

 三角は、高校時代から、留美子のことが好きだった。最初はあまり気にしていたわけではない。正直言って、タイプでもなければ、どうしても話をしてみたいと思うような相手でもなかった。

 ただ、気になる存在であり、そこにはきっと話をしなくても通じ合える何かがあるように感じたのではないか、そして、相手も自分を同じような目で見ている。ひょっとして自分に話しかけてほしいという目を向けているのかも知れないが、それを三角は察知できないでいた。

「そういえば、最初に何の話をしたんだっけ?」

 最初に話をしたのは、もう三年生になっていたのではなかったか、勉強はそれほど嫌いではなかったが、受験のためにしなければいけない勉強を考えると、自分が好きな勉強も、どこを好きになったのか、自分でも分からなくなっていそうだった。

 受験のための図書館、受験のために立ち寄るカフェやファーストフードの店。そう思うだけで何となく嫌な気分になるのに、さらに気分が滅入るだけではなく逆なでさせられるのは、試験勉強を大人数で行おうと、ファミレスやファーストフードの店に屯して、一応はノートや教科書、参考書などを広げてはいるが、実際に勉強をしている様子はない。スマホを見たり、ゲームをしたりと、何しに来ているのか分かったものでもない。

 しかも、大音量で、まわりを憚ることなく大声で話をしている。まわりの客も大迷惑だ。

「受験勉強をしているんだから、しょうがないか」

 と思ってくれているのか、それとも、バカな連中と関わり合いになることを嫌だとするのか、まわりの大人は、近寄ろうともしない。

 それをいいことに、彼らは自分たちは受験生で、毎日が大変だということを言わんとしているのだろうが、社会に出れば、どれほど理不尽なことも待っているか、まだ知らない青二才として、大人は冷めた目で見ていることだろう。

 それは同じ年の真面目に受験勉強をしている連中から見ても、同じである。いや、もっと露骨に嫌がっているかも知れない、

 なぜなら、

「俺たちは、真面目にやっているのに、あんな連中と同じに見られることになるじゃないか」

 ということであった。

 最近では、法律で決まっているわけではないが、路上喫煙はマナー違反ということで、ほとんど今は誰もしていない。だが、たまにしている連中を見ると、禁煙車が怒るであろう。

 実は本当に怒っているのは禁煙車よりも、喫煙者の方かも知れない。

「あいつらのせいで、俺たち迄白い目で見られる」

 として、真面目にルールを守っている人間も、同じ人種だと思われるすれば、実に心外だ。

 だから、マナー違反をする連中には、まず味方はいない。まわりがすべて敵だらけだと思ってもいいだろう。

 留美子と最初に話をしたのは、普通とは違う会話だったような気がする。

「そうだ、確か音楽の話ではなかったか」

 三角は、高校に入ってから洋楽を聞き始めたが、小学生の頃から中学生の間くらいまではずっとクラシックを聞いていた。

 ベートーベン、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、とジャンルは結構幅広いものであったが、それは小学生の時に、学校内の音楽といえば、そのほとんどがクラシックだったということもある。

 ただ、クラシックというと、大げさなオーケストラを従えて、指揮者が中央にいて、タクトを振っているという印象がある。

「一度くらいはクラシックコンサートにもいってみたいな」

 と思っていたが、なかなかそんな機会もなかった。

 しかし、クラシックコンサートというと、どうも昔の上流階級のお嬢さんが聞きに行くものという偏ったイメージがあったことから、なかなか実現しなかったのではないかと自分で感じていた。

 高校に入ってから、クラシックとは遠ざかっていたが、それを思い出させてくれたのが留美子だった。

 留美子とは、街の図書館で一緒になった。ちょうど勉強の休憩にと、彼女は音響室で、クラシックを聞いていたようだった。

 彼女がクラシックを好きだということはその時に知ったのだが、自分も中学時代までずっとクラシックを聴いていたことを彼女にも話した。すると、

「じゃあ、お勉強が終わったら、ご一緒してくれません? お連れしたいところがあるんですよ」

 と、クラシックを聴いていたからか、言葉遣いまで、上品に聞こえてくるから不思議だった。

 勉強が一段落すると、図書館を出た二人は、そこから十分ほど歩いたところにある、古風な喫茶店にやってきた。

 赤レンガで彩られた作りに、蔦が薄く絡まっている。中に入ると、表からは想像もできないような木造のまるでペンションのような建物で、ただ、明かりは乏しかった。わざと暗い雰囲気を醸し刺していて、店内は申し訳程度にクラシックがBGMとして流れていた。

 中に入ると、彼女はマスターに挨拶をすると、マスターも分かっているかのような挨拶を返した。どうやら顔見知りのようだ。

――人を連れてこようというのだから、顔見知りなのも当然というものだろう――

 と思うと、彼女は先に進んで、奥のテーブル席に腰を掛けた。

 テーブル席の上にはヘッドホンが人数分置いてあって、その向こうに小さめのステレオのようなものがあった。

「ここはクラシック喫茶なの。この奥のカウンターにはクラシックのCDがいっぱい置いてあるので、好きなものを取ってきて聴けるようになっているの」

 というではないか、

 それではということで、一つのCDをゆっくりした気分で聞いていると、すっかり落ち着いた気分になって、

「ねえ、ここいいでしょう? 私には隠れ家のようなお店なのよ。テーブル席もあるんだけど、結構一人でくるお客さんが多いので、カウンターも結構広く作ってあるのよ」

 と言っていた。

 お品書きは多少根が張ったが、これだけのサービスであれば、十分である。音楽を聴くコンセプトなので、一時間、二時間は当たり前の滞在時間、常連お客が多いだろうというのは十分に飲み込めた。

 音楽を聴いた後は、ゆっくり会話をしようと思った。

「クラシックって、聞いているだけで、情景が浮かんでくるでしょう? 行ったこともない場所に、自分がいるような雰囲気よね」

 と彼女が言うと、

「僕は、西洋のお城を上から見ているような錯覚に陥ることがあるんだ。その時は、煙突のように天の伸びた細長い塔に、誰かがいて、こちらを覗いているように思えてくるんだけど、何とそれが自分なんだ。空を覗いている自分が、下を見ている自分を意識しているとは思えないんだけど、こっちは見られているという意識があるので、隠れなくてもいいのに隠れてしまう。隠れる場所もないのにね。何とも滑稽な感じなんだけど、想像するだけで滑稽な中に不気味な感じが味わえてしまうんだ。何か心理的にあるのかも知れないな」

 と三角は言った。

「それに近いことを私も感じたことがあるわ。私の場合は、森の中にある湖畔なんだけど、風も吹いていない湖畔に、なぜか波紋が出ているのよ。しかも実に周波の狭いもので、小刻みとでもいうのか、そよ風程度のものなんだけど、身体には感じないの。そして見えないけど、向こう岸から誰かが私を見ているの。本当なら気持ち悪いんでしょうけど、どうもそこかでの気分ではないのね」

 と、留美子が言うと、」

「そうだね。それに僕たちは、何かにつけて感動した時には、誰かに見つめられているという感覚を持つのかも知れないな」

 と、三角は答えたが、その通りだと留美子は思った。

 留美子は自分が、まわりに与える影響が少なからずあるということをこの時知った。自分が他の人にはない発想を持っているということから、この間、門倉刑事と鎌倉探偵が話をしていたものが自分と同じ発想をしていたからだと感じるようになった。それは自分だけではなく、同じ能力というか、持って生まれた才能のようなものを三角も持っていることぉ知った。

――いや、そんな二人だから出会ったのかな?

 だとすれば、これから自分たちが行う行動は、後の三人には分かってしまうということになるような気がする。

 少し気持ち悪い気もしたが、基本的には誰も自分のことを分かってくれる人をまったく皆死んでいくのだ。それを思えばまだ自分は幸せなのかも知れない。

 以心伝心という言葉だけでは表すことのできないものを留美子は感じていた。クラシックを聴いていて感じた森の湖畔で向こう岸に見えたのは、果たして三角か、門倉刑事か、鎌倉探偵か、そのうちの誰かなのだろうと思った。そんなことを留美子が考えているなど誰が感じていただろう。もし感じていたとすれば、三角だけだったのではないだろうか……。

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