第8話 月蝕
「僕がカウンセラーになろうと思ったのは、久保先生から勧められたからなんだ」
という。
留美子は久保先生とは直接話をしたことはあまりなかった。確かに担任の先生ではあったが、自分から何かを相談しに行ったりすることもなく、留美子から見て、
「ごく普通のどこにでもいる担任」
としてしか思っていなかった。
進路指導の三者面談でも、余計なことはまったく喋らなかった。久保先生は別にそれでいいと思っていたのか、言葉を促すこともない。
逆に留美子の親の方が、
「あなたのことでしょう。ちゃんとハッキリ言いなさい」
とせかしているくらいだった。
留美子の母親は、どちらかというと、まわりに気を遣う方だった。どうしてなのかというと、留美子が考えるに、
「自分の思っていることをハッキリと言える立場になりたいがため」
ということではないかと思っている。
――そんなことのために、まわりに気を遣わなければいけないのなら、余計なことを言わない方がマシだ――
と考えている留美子だったので、高校時代は特に余計なことを言わないように学校内ではしていた。
そのせいもあってか、門倉と一緒にいる時には、
――言わなくてもいいのではないか?
と感じるほどのことでも、どんどん口からついて出る。
相手に嫌われるかも知れないと、他の人になら感じることでも、門倉の前では何とも思わない。気心が知れているからなのだろうと思っていたがある日。
「留美子ちゃんとは、一緒にいるだけでいろいろ感じることができるんだ。余計なことを言わない留美子ちゃんは、その考えを貫いた方がいいかも知れないね」
と言われた。
――あれ? 私は余計なこと以外も話しているつもりなのに――
と思ったのだが、門倉にすれば、留美子は必要以上なことを話さないその雰囲気が、大人を感じさせたのだった。
「大人って、いったい何なんでしょうね?」
と門倉に聞いてみたが、
「少々のわがままを言ったつもりでも、相手にはそれがわがままだとは思えない、そんな魅力を持った人という感じを僕は受けるかな?」
と言っていた。
それは、大人の門倉がまだ子供の留美子が質問したことに対して、考えて出した答えだったのかも知れない。
しかし、留美子はその言葉を素直に受け取り、
「私も、門倉さんが今言ったような女性になれればいいな」
というと、
「大丈夫さ。僕は今、留美子ちゃんがそういう大人の女性になった雰囲気を想像することができるんだ。だから、十分その素質があるということさ。あまり意識せずに心の片隅に置いておく程度で、大丈夫なんじゃないかって僕は思っているよ」
と、門倉は言っていた。
その時の笑顔が今でも思い出されるようで、今の自分が少しでも門倉の想像に近づいていれば嬉しいと感じたのだ。
留美子は門倉という男性が、叙述的な話し方を時々するような気がしていた。曖昧な感じもするが、何よりも知的である。だから、相手によって同じような言葉を使っても、まったく印象が違うのが、叙述的な言葉ではないだろうか。
理論的と言えばそれまでだが、普通の人がそんな言い方をすれば、堅苦しく聞こえる。やはり叙述的な言葉には、説得力が必要だ。叙述というものの意味としては、
「何かをするという物事について順を追って述べること」
というのが、叙述と言う意味なのだそうだ。
門倉刑事にしても、鎌倉探偵にしても、推理して事件を解決する立場の人には、叙述的なことがどれほど大切なことか分かるだろう。単に時系列というだけでなく、論理的に満たしていなければ、叙述とは言わなおのだろうから。
そういう意味では、久保先生という人も、実に理路整然とした表現をする人だった。説得力の強さはまさに誰もが認めるところであり、三角が先生の意見を取り入れてカウンセリングの道を選んだというのも、分かる気がした。
「僕は、人から何かを言われると、すぐにそれを信じ込んでしまう性格だったんだ。だから言われたことを嫌とは言えない。相手にとって、実に都合のいい人間だったんだよ。でもね、それでいて、人に気を遣うということが嫌いだったんだ。実際にはいつも人の顔色を見ていたくせにね。そんな僕の性格を一番分かってくれたのが、久保先生だったんだ。門倉刑事に僕のことを紹介してくれたのも久保先生で、久保先生は元々門倉刑事よりも、鎌倉さんの方に親しかったんだって言ってたよ」
と、三角が話してくれた。
三角はまだカウンセラーとしては新米であり、今は先輩のカウンセラーから指導を受けているところだという。ある程度一人前になると、カウンセラー募集が掛かっている学校に配属されることになるのだろうが、それももう少しだろうと言っていた。
「久保先生って、私はあまり印象に残っているわけじゃないかな?」
というと、
「うん、そうかも知れない。普通に学生生活を過ごしてきた人にはあまり印象に残らない先生なんだろうね。僕のように少し道を踏み外しかけた生徒には、本当に印象に残っているはずだ」
三角はそう言って、虚空を見つめた。
自分の高校時代を思い出しているのかも知れない。
「でも、印象に残っていないのは学生時代だけのことであって、今では久保先生とはちょくちょく取材を引き受けてもらったりしているのよ」
「それはどういうことで?」
「久保先生って、歴史に造詣が深いので、私のところの雑誌で取材に応じてもらったことがあったの。私はまだ新人で、先輩の後ろにくっついていただけなんだけど、久保先生は私のことを覚えていてくれたようなのよね。きっと高校時代に門倉さんと再会した時のイメージで私のことを覚えてくれていたのかも知れないんだけどね」
「そうだね。そういう意味ではあの時の門倉さんの講習には、いろいろな意味があったんだろうね」
「やっぱり、刑事さんだから、防犯にしても、刑事としての経験を少しでも織り交ぜようとしてくれているのが分かったので、親しみやすさが感じられたのかも知れないわね」
と、自分のことよりも、三角がどう感じるかということを思っているようだった。
「門倉さんと、鎌倉さんだったら、僕は門倉さんの方が人情深いような気がするな。特に僕たちのような学生に対しては、本当に気を遣ってくれていたと思うんだ。あの人は気を遣うことが、相手に対して重荷になることが分かっている人ではないかな? 普通なら重荷になりそうなら、気を遣わないようにしようと思うはずなんだけど、そんなことはお構いなしなんだ。きっと正直な気持ちを表に出そうという気持ちが強いからなのかも知れないな」
と、三角は言った。
「自分の気持ちを正直に出す人が人情深いとばかり言えないんじゃないの?」
と聞くと、
「いやいや、気を遣っているという意識を持ったうえでというところが重要なんだよ。普通なら、いい意味にもよくない意味にも取られそうな、どっちつかずのことであれば、敬遠しがちな人が多い中で、門倉さんは、それを理解したうえで、それを使おうとする。それが他の人と違って正直な気持ちと結びついているからで、そんな考え方ができる人の方が、僕は人情深いと言えるとお思うんだよ」
「そうなのかしら?」
「僕はそうだと思う。だけどね、だからと言って、人情深い人が本当にいい人なのかというとそこは難しい。人情の深さといい人間という基準がそもそも違っているからね」
と三角は言った。
「鎌倉さんに対しては、どう思うの?」
「鎌倉さんという人は、かつて小説家だったんだけど、何か出版社のいいように使われそうになったことで、小説を書くのをやめて、そして何かの事件を解決したことをきっかけに探偵業を本格的に始めたって聞いたことがあったんだ。元々頭の回転がすごく早くて、小説家だけに感性も鋭かったんだろうね。探偵として成功を収めていて、いくつもの難事件を解決に導いたということなんだ。もちろん、相棒として、門倉刑事の力があることは当然なんだけど、ただのワトソンのような感じではないのではないかな?」
と三角は言った。
「門倉さんが話していたけど、鎌倉探偵は、いつも何かにこだわっているんですって、いわゆるマイブームのようなものなんでしょうけど、その時々で何にこだわっているのか、いつも楽しみにしているって言っていたわ」
「なるほど、それは楽しい話を聞いたな。僕は気付かなかったよ。今度、そのあたりを気にして見ていると楽しいカモ知れないな」
と、三角はいう。
普段からカウンセラーのような人の心の奥底を見る仕事をしていると、見たくないものだって嫌でも見なければいけない。それは、刑事や探偵にも言えることで、いくら気持ち悪いからといって、殺害現場を見ないわけにもいかないだろう。
しかし、
「何が見たくないって、人間の奥に潜んでいる犯罪の火種のようなものは本当にいたたまれないものがある。それは犯人だから持っているというわけではなくて、むしろ被害者だったり、犯人に影響を与えた人だったりする。それを理解していないで事件を軽く見て、その気持ちで人間を見ると、見たくないものを、まともに見てしまうことになって、下手をすれば、事件が解決すると、一気に鬱状態に陥ってしまうことだってありかねないんだ」
というのが、門倉刑事の話であった。
「そういえば、探偵小説に出てくる、いわゆる名探偵と言われる人でも、事件を解決すると、急に鬱状態になってしまう人もいたりするよね。事件の渦中にいる間は、事件に集中しているので、そんな鬱にはなりえないんだが、事件がある程度警察の捜査だけで解決するところまできて、自分の出番がなくなったことを悟ると、言い知れぬ孤独感に襲われるんだそうだ」
と三角がいうと、
「その名探偵さんの本、私何冊か読んでいるわよ。その人は自分が気に入った事件しか引き受けないといういわゆる変わり者の探偵さんなんだけど、結構人懐っこい性格で、警察関係者からも人気があるんだって。とにかく人間らしいというか、元々、探偵になる前には、警察の厄介になったことが何度かあるらしいのよ。いわゆる『前科探偵』とでも言えばいいのか、だから、犯罪者の考えも分かるのかも知れないわね」
と、留美子は言った。
「それは面白い探偵だね。さぞや、お金には困っているような雰囲気だけど」
「うん、いつもよれよれの服を着ているんだって。でも、それはあくまでも探偵としてのキャラクターで、愛着を感じるというのは、そのあたりからなのかも知れないわ。鎌倉探偵とは似ても似つかない感じの探偵ではあるけど、人情味があるのは、鎌倉探偵の方かも知れないわね」
「鎌倉探偵さんは人情深さという点では門倉刑事には及ばないと思うんだけど、それも探偵という職業からなのかも知れない。門倉さんが刑事という職業でいながら、素直なのに対して、鎌倉さんは、冷静沈着なのかも知れないな」
留美子は自分でも小説を書いているが、最近では探偵小説も多い。その中で探偵が出てくるのだが、その探偵のイメージは、鎌倉探偵というよりも、門倉刑事を探偵にして、逆に鎌倉探偵を刑事にするという逆転の発想からの小説であった。
元々性格が似通っているわけではないので、今までしっくりきていたキャラクターを入れ替えると、かなり二人の関係が変わって見えてくるのではないかと思われたが、その関係性においては、別に変わった感じのところはないようだった。
鎌倉探偵と門倉刑事、留美子と三角の二人からこんな話をされているなどとは夢にも思っていないだろう。しかも、そこに絡んでくる久保先生という存在、この四人の中で今一番久保先生のことを意識しているのは、留美子だった。
三角にしても、門倉刑事にしても、久保先生から助けてもらったという経験があるにも関わらず、
「かつて、生徒だった」
というだけの留美子だったが、どうやら今頃になって先生の良さを認識しているようだった。
門倉を探偵に見立てると、以前小説で読んだいかにもヒューマニズムの塊りのような探偵が出来上がるそうな気がする。ただ、彼は人情味が溢れているため、却って何をするか分からないくらいになってしまいそうだ。
フィクションなのだから、なるべくそんな探偵をイメージして書いてみた。おおよそのイメージは本で読んだ探偵にソックリに書いている。
つまり、自分が気に入った事件でなければ、着手しないということ。事件が始まれば、警察関係者たちは、門倉の意見をほぼ信用するくらいの頭脳明晰であるということ。そして事件がほぼ先が見えてくると、急に鬱状態になり、さっさと事件から手を引いて、フラッと旅行に出かけるという、そんな探偵蔵だ。
それも、読んだ小説よりも、もっとあからさまに書こうと思った。前に読んだ小説に出てきた探偵に誰かモデルのような人がいるかどうかは分からないが、自分が書く小説には門倉刑事というれっきとしたモデルがいるのだ。
――犯人は誰にしよう?
と考えたが、門倉刑事を探偵役にしようと思った時から、この小説はフィクションであるが、登場人物は自分のまわりにいる人にしようと思っていた。
しかも、その配役は、実際像とは違う状況を描き出そうと思ったので、この際の犯人役としては、久保先生が最適ではないかと思った。
小説を書いている自分も、どこかで登場することになるだろうが、実際の自分は久保先生とはさほど仲が良かったわけでもなく、しかも先生と生徒という立場で、先生の事情を分かるはずもなかった。本当にただ担任だったというだけの関係である。
小説を書いているうちに、いよいよ犯人が門倉探偵の頭の中に浮かんでくる。ここでの門倉探偵と久保先生とは、探偵と犯人という関係性があるだけなので、別に犯人に同情する必要もないはずなのに、久保先生の動機が分かってくると、久保先生という人間性を理解できるようになった。
ここからが門倉探偵の悪いところで、相手がいくら犯人であっても、いや、犯人であるからこそ、同情心が浮かんでくると、その思いは強くなってくる。門倉探偵にとっての事件がある程度解決してくると、彼がすぐに手を惹きたがるのが、そこに原因があった。
事件に深入りしてしまうと、犯人が誰なのか、自分だけで分かっている時間が長くなってしまうのだ。自分の口から警察に謎解きして見せるという探偵小説のクライマックス、つまりは探偵の一番の目立ちどころを彼が嫌うからであった。
もちろん、探偵をやっている以上、自分の活躍を表に出したいという気持ちは強く持っている。しかし、犯人への思い入れが強いと、相手に対する同情との葛藤が襲ってきて、普通の探偵ではあまり考えられないことをしてしまうのが、門倉探偵のヒューマニズムの真骨頂であった。
犯人がいよいよ追い詰められて、
「もうダメだ」
と思った時に、自殺を試みるというのは、探偵小説などではよくあることだが、たいていの場合は、探偵や警部がすぐに気付いて、相手の手から毒薬やナイフなどを叩き落とすというシーンを、ドラマなどで何度となく見たことだろう。
しかし、ヒューマニズムの塊りのような門倉探偵には、相手に対しての同情心から、本来は分かっていることなので、普通に行動すれば自殺を止めることができるはずなのに、どうしても身体が動かない。犯人に自殺をされてしまうということが多かったりするのが門倉探偵なのだ。
彼の気持ちを分かっている警察関係の捜査員たちも、さすがにまさか門倉探偵が身体が動かないから止めることができなかったとは考えていない。
「あの人は、すぐに相手に同情するところがあるので、自殺をわざと見逃してしまうというところがある」
と思われている。
その感情が、彼を鬱状態に叩き落し、人と会うのを極端に嫌うような状態にしてしまい、最後には旅に出るという、少しベタな演出になってしまうのだ。
留美子も小説の内容やトリック、謎解き部分などはまだこれからではああったが、門倉探偵を中心にした登場人物のそれぞれの人物像は、完全に固まっていたのだ。
小説の内容は、それぞれの登場人物を想像しているとおのずから出来上がってくるような気がする。探偵小説も結構読み込んできているので、トリックをある程度思いつけば、そこから先はスムーズに書けるだろうと思っていた。
プロットもさほど時間を掛けずにできあがり、いよいよ門倉探偵を中心とした物語を考えようと思っていた矢先、頭に浮かんでくるのが、犯人像だった。
久保先生を犯人役に据えようと思った時、久保先生という人間の存在を、誰が生かすことができるかと考えた時、三角を登場させることを思いついた。しかも、三角の立ち位置や性格は、今の彼をそのまま踏襲しようと思っていた。
それは、三角という人間に他の性格が思いつかなったという発想と、カウンセラーという登場人物を想像したこと、そして、久保先生との関係を描くには、今のままの三角の登場がしっくりくると考えたからだった。
三角とは最近一番よく話をしている。
門倉刑事も鎌倉探偵も最近は忙しいようで、なかなか会うこともなくなってしまった。ただ二人ともインパクトは強烈なので、小説の中の登場人物としての外見的な意識には、寸分の狂いはないはずだった。
――門倉刑事を探偵として、いかに描くかは、鎌倉さんを警部にして、冷静沈着でさらに統率力のある捜査責任者として描くことが大切なのかも知れない――
と、留美子は考えていた。
久保先生の立ち位置が一番決まらなかった。性格はハッキリしているはずなのに、いざ犯人として描こうとすると、そこに何か矛盾が含まれる。
――この矛盾を猟奇殺人として描くことができないかしら?
と考えたが、やはり猟奇殺人のイメージは久保先生からは浮かんでこない。
久保先生という人は、どこか幻想的なイメージがあった。どこにいても目立つ存在ではない。それなのに、皆の心には最後に残っているというタイプの人である。それなのに、留美子はあまり印象にない。
――まるで日食のような感じかしら?
と感じたが、何かが違っているような気がした。
先生の雰囲気から考えると、月蝕ではないだろうか。先生は自らが光を発してまわりを照らすというイメージではなく、まわりの光を浴びて、そこで光るというイメージだ。つまり、悩みを持った人が光を発しようとしても、まわりの人に吸収されてしまうことで、その人の回復には至らないが、先生に対して浴びせられた光は、綺麗に反射し、光を放つことで、他の人にもその人の存在を認識させることができる。自ら光を発することなく、他人の存在を他の人に意識させるという力を持っている「月」のような存在ではないだろうか。
ただ、その人がどのような光り方をしているのかは、誰に分かるというわけではない。それだけに反射するにも光が中途半端だ。しかし、その分、幻想的な光を放っていて、その幻影に欲する光が、まさに「月光」というものなのだろう。
月光は限りなく白に近いものである。それを証明しているのが久保先生が放つ光であった。
光というものが、あるのとないのとでは世界がまったく違って見える。そして、光があるところには必ず影というものも存在する。久保先生の場合、影も光の一種に思えてくるから不思議だった。
これは小説を書いている時に久保先生に感じるイメージであった。月をイメージしていると、白色蛍光なので、本来浮かんでいるはずの影がまったく見えてこない。
「ウサギが餅をついているような」
そんな姿は皆無であった。
そんな先生が突然見えなくなる。地球によって太陽が完全に隠された状態の皆既月食を想像するのだが、その時、留美子は久保先生のつもりになって、月の側から地球を見ていた。
この場合は地球における日食と同じ感覚だ。地球の影に太陽が入ってしまい、太陽がすっぽりと隠れている。見えるはずの明かりが見えないと思っているのは先生一人、先生だけが日食だと思っているが、地球上にいる他の人には月蝕としてしか見えない。先生が見た日食は、まわりをダイアモンドリングが包んでいるという金環日食に見えているに違いない。
先生以外には皆既月食が見えていて、先生には金環日食が見える。先生はこんな思いを果てしなくしているのではないだろうか。他の人には見えるものが見えなくて、自分にしか見えないものが見えている。どちらが多いのかというと、きっと先生が見えている方が果てしなく多いように思われる。
先生がイメージしている月は、浴びた光によって輝きを増す。その光の元は、地球にいる人間は直接太陽から受けるものであるにも関わらず、先生の場合は自分と太陽の間に、地球という存在が介在している。先生の姿が見えない時は、ある意味平和なのかも知れない。先生が光り輝いてくると、そこかで何か悪いことが起こってしまうのではないかと、そんな発想が、先生を小説の中での犯人として配役させたのではないだろうか。
決して先生のことを悪い人だと思っているわけではない。探偵小説における犯人というものが、必ずしも悪い人間ばかりではなく、むしろまわりによって追い詰められた人間が、復讐や狂気によって、犯罪を犯してしまう。それこそがある意味、犯罪心理の真骨頂と言えるのではないだろうか。
月というものの存在をいかにイメージするかが、これから書こうとする小説のキーポイントになりそうな気がするのだった。
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