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中西家は木谷家の公営住宅とは異なり、豪邸だった。亜子だけではなく、田中もキョロキョロと広い大理石の廊下を歩きながら、もの珍しそうに見ている。
「現世の奥様も裕福なご家庭のお嬢様だったのですね。ご主人様も幸せそうで何よりです。安心致しました」
「現世? ですか?」
「いえ、入院中に暇だったので、奥様からお借りた四角い箱、ほら、スマートなんちゃらで噂の乙女ゲームを拝見致しまして、あれでは亜子様が困惑されでも仕方がないと納得致しました。だって登場人物が皆そっくりですものね。現世とはまことに摩訶不思議な世界でございますね。こちらが客室でしょうか。亜子様どうぞ」
客室の掃き出し窓から中庭が見えた。美しい薔薇が咲き誇る見事な庭に、亜子はパープル王国の王宮の庭を思い出した。
乙女ゲームではトーマス王太子殿下とルリアンはハッピーエンドで結ばれた。亜子にとってこんな幸せなことはない。
窓からはテラスに出ることができる。窓を開けるとふわっと薔薇の優しい香りが鼻腔を掠めた。
「なんと見事な。素晴らしい中庭ですこと。亜子様、ベッドにおやすみ下さい。転移とやらは体が疲労しますゆえ。疲れますよね」
「そうなんです。想像以上でした。田中さん、乙女ゲームでローザさんが『コールドスリープ』したところまでやりました? コールドスリープだなんて、まだ現代でも開発段階で医学的には未承認なんですよ。それをするなんてローザさんって凄いですよね。私、乙女ゲームのローザさんのこと大好きだから、ルリアンみたいに目覚めて欲しいですが、ゲームにローザさんが目覚める選択肢がないんですよ。そういえば、田中さんの名前もローザさんでしたね。凄い偶然ですよね」
「そうですね。ローザ・キャッツアイが異世界に戻るには、いつになるかわからないため、コールドスリープを契約したのでしょう。なんせローザ・キャッツアイは好奇心旺盛ですからね。ゲームの世界にキャッツアイが不在でもルル・アクアマロンがいますから。ここだけの話、アクアマロンは脳に最新式のAIを搭載したアンドロイドなのです。しかもその正体は要人警護の警察官。なーんてね」
「えっ? アンドロイド!? まさか!? あのう……ローザ・キャッツアイはまだゲームの世界にいますよね?」
――その時、いきなり客室のドアが開いた。そこに立っていたのは昂幸だった。
「これ、トーマス王太子殿下、女性のお部屋をノックなしで開けるとは何事ですか。おや、ゲームの話で盛り上がっていたので、失礼致しました。もしかしてあなたが三田昂幸様ですか? これは驚きです。トーマス王太子殿下に瓜二つでございます」
「田中さん、大丈夫ですか? 私とは何度も逢ってるのに。今日退院したばかりなんだよね。暫く休暇を取るといい。これは田中さんに退院祝いです。自転車とバイクの接触事故で黒いパンプスを片方無くしたそうですね。サイズは母から聞いているので多分ピッタリかと」
「まあこの私にガラスの靴ですか? おほほっ、亜子様とお間違えでは?」
「亜子には……他に用意しています」
急にモジモジし始めた昂幸の臀部を田中は右手でバシッと叩いた。亜子はその振る舞いに見覚えがあり、一瞬ハッとした。
「王太子殿下ならシャンとなさい。おっと、それでは昂幸様、亜子様、失礼します」
「嘘だよね……」
「亜子? 嘘って? 田中さん、何か変だよね? 久しぶりにお尻叩かれたよ。俺のことを王太子殿下とか、事故で頭打ったのかな? それとも乙女ゲームのやり過ぎじゃない? 父さんも木谷さんも乙女ゲームの話で盛り上がり過ぎだよ。男なのに信じられないよ」
「クスッ、やっぱりそうだわ。だからコールドスリープなんだ」
「やっぱりって、何のこと? コールドスリープって何のこと?」
「何でもない。昂幸、来るの遅いよ。すごく逢いたかったんだから」
「亜子、お帰り。俺も逢いたかったよ。今日は頭取が早退させてくれたんだ」
「三田様が……」
昂幸と亜子は強く抱き合った。
「本当によかった……。亜子が昏睡状態に陥ったあと、ずっと生きた心地がしなかった」
「バカね。私は死んだりしないわ。義父さんが迎えに来てくれたから」
「木谷さんが……? どこに?」
亜子は昂幸の言葉を封じるために、自分からキスをした。
「昂幸、私にガラスの靴はないの?」
昂幸はスーツのポケットから指輪のケースを取り出した。亜子の目の前で指輪のケースを開けて、ダイヤのエンゲージリングを見せた。
「ガラスの靴はないけど。亜子、俺と結婚してくれないか? 俺はまだ新入行員だけど、もうひとときも離れたくないんだ」
「なーんだ。ガラスの靴じゃないんだ。赤いハイヒールでもないのね」
「……えっ? 赤いハイヒール? ダイヤじゃダメ? 俺、今プロポーズしたんだけど。ヤバい、このプロポーズでは三十点?」
「クスッ、三十点のわけないでしょう。昂幸、本当に私でいいの? 私はセレブなお嬢様じゃないよ。三田様やお義母様が猛反対するかもしれないわよ」
「反対なんてさせないよ。俺は亜子しか愛せない。亜子を一生守るから、まだ新入行員で社会人としては三十点だけど、俺の傍にいて欲しい」
亜子の左手の薬指にダイヤのエンゲージリングが光る。
「ありがとう。私も昂幸を愛してる」
開け放たれた窓から、爽やかな風が吹き込む。甘い薔薇の香りに包まれて、二人は何度もキスを交わした。
―THE END―
転移したら三十点王太子殿下の秘書になり寵愛されて求婚されましたが、私は現世に恋人がいます。 ayane @secret-A1
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