従姉妹のみねちゃん【百合】

環月紅人

本編(3900文字)

 六月。親元の影響で急な転校が決まり、地元の高校では二ヶ月足らずの滞在期間で大したお別れをすることなく去り、二ヶ月遅れで新しい土地の高校へ通うことになった。

 貴重な高校一年生一学期、まさかの出遅れだ。


 私は人見知りだからただでさえ友達を作るのが下手だし、初めての転校に緊張もしている。

 新しい場所で、興味本位にクラスメイトから質問されても、面白い返しが出来る気はしない。


 とすれば、いずれは転校生バフもなくなって、私はぼっち街道を突き進むことに……。


「はぁーあ」

「ため息多いわねえ」


 引越し業者の車を追いかける時間。だんだんと見知った風景が遠ざかるさまを車窓越しに眺めていると、漠然とした不安からため息も吐きたくなる。


 こっちも気が滅入るからやめて、とでも言いたげな眼差しをする母と目が合ってしまい、私は「だって……」とぐじゅぐじゅ項垂れた。文句を言うのさえ苦手だ。

 私は、相当内気な性格をしている。


「学校が心配?」

「……………。心配」

「大丈夫よ」


 その慰めは信じられない。

 不満をアピールするように頬を膨らませてもう一度外の景色を眺める。気休めのようなことを口にする母に、対話を諦めようとした。

 だけど母は、言葉を続ける。


「従姉妹のみねちゃん覚えてる?」

「えっ?」


 どきりとした。五年ぶりくらいに聞く名前だ。

 一瞬で幼い頃の思い出がぱあっと溢れ返り、私は頬を紅潮させて振り向く。


「あの子、貴女が転校するところの学校の先生をしてるらしいわよ」

「えっ!」

「うるさい」


 たしなめられてバッと口を塞ぐ。

 どんどんどんどん頭の上からクエスチョンマークが飛び出して、ぽろぽろぽろぽろと車内に転がっていく感覚がした。埋め尽くされそうだ。

 丸くなるように両足を上げていると、はしたない、と母に叱られる。ずっと運転してくれる父は、私の大きな声に集中を乱されたか、心配するようにバックミラーでチラチラと様子を伺ってくれていた。

 私の視線は母に釘付けだ。


 その言葉が、嘘か本当か知りたかった。


「じ、じゃ、じゃあ、っ、みねちゃんに会えるってこと……!?」

「そうなるんじゃない? 貴女の学年の教師かどうかは知らないけど、数日前に引越すことを伝えたら、同じ反応をしてたわね」

「なんで言ってくれないの!?」


 数日前にそれを知ったら、私はその日のうちに荷物をまとめていつでも飛び出せるような心構えをしただろう。大して仲良くもないクラスメイトのお見送り会なんてやっていられない。


 母は肩をすくめる反応を見せる。


 まあ、私とみねちゃんの親密さは、私とみねちゃんの間にしかないものなので、この件の深刻さが伝わらなくても仕方ない……。


「えっ、えーっ、どうしよう……」


 急に、体が温まってきた。ぱたぱたと手で仰ぐ。ひらひらと襟を広げて新鮮な空気を取り込む。頬に添えた手で頬の温度を感じて、これからのことをたくさん妄想してしまう。


「引越し先ってみねちゃんのお家に近い?」

「んー。車で十分、十五分くらいじゃないかしら」


 それなら、歩いてでも会いに行ける。


「だめよ? 今日は忙しいんだから。それに知らない土地で迷子になったらどうするの」

「みねちゃんがいるもん」

「連絡先知らないでしょ?」

「うがー! もう! 私もスマホが欲しい!」


「「いやいや、まだ早い」」


 父と母が言葉を合わせる。大人たちが和やかに笑うなか、子どもの私はむすーっと膨れる。この令和の時代に? 高校生にもなって? スマホを与えられないなんてすっごくおかしい。事実、それで地元の高校ではあまり話についていけなかったし、次の高校でも同じ目に遭うかもしれない。私はそういう意味でも憂鬱な気持ちをしているのに、父と母はそれが分かっていない。


 ……………。


 まあ、白状すると、小学四年生のときに自宅のパソコンでめちゃくちゃポルノサイトとか検索してウイルスに感染させて壊してしまい、「なんかわかんないけどこわれた……」と涙ながらに贖罪した結果、尋常じゃない機械オンチという認識を両親共々に植え付けてしまった過去がある。(怪しまれないように機械オンチを演じ続けたせいもある)

 一概に、両親を責められない理由もあった。


「はぁーあ」

「またため息して……」


 母がこめかみに手を添える。私はまたも外の景色を眺め続けた。長い高速道路を渡り、山を一つ越え、新しい舞台が近づいて来ている。


 この町にはみねちゃんがいる。

 それだけで、キラキラしているように見えた。


「まあ、落ち着いたらみねちゃんにも挨拶に行きましょう」

「私が新しい学校で会うのとどっちが早い?」

「うぅーん……」


 母は煮え切らない反応を見せた。


 ♢


 結局、登校日のほうが早かった。

 色々手続きはしているけどみねちゃんとはまだ会えていない。五年以上、会っていない。新しい制服を着て、目深にハットを被る。サングラスとマスク。お忍びスタイル。先に気付かれるより、先に気付きたい。

 そんな登校の準備をしていると、全力で父に「いじめられるぞ」と止められたのでなくなく顔出しで登校することにした。


 教わった通りに通学路を行く。ちなみに、みねちゃんの家は通学路にはない。教えたら絶対徒歩で行く、と思ったのか、両親が具体的な場所を教えてくれることもなかった。

 みねちゃんと会えたら、真っ先に教えてもらおうと思っている。


 登校し、校長室へ挨拶をしに行き、職員室でお話をしてもらい、待っていたという担任教師と連れ立って教室の入り口まで向かう。時刻としてはホームルームの途中。今日は副担任が担当し、転校生が来る旨を伝える。

 ちなみに、みねちゃんはその副担任らしい。何度も手続きで顔を合わせていた担任教師から、しっかり情報は掴んでいる。しかも、私とみねちゃんが従姉妹で、まだ再会していなくて、せっかくならサプライズにしたい、と大胆なお願いをした私に協力してくれる優しい担任の先生だ。

 コロコロと気持ちよく幸せが転がっているのを感じる。やっぱり、私たちは運命で繋がっている。


 教室の前、「準備はよろしいですか?」とやわらかく先生が促してくれる。私はこくん、と神妙に頷いて、「はい」と小さく返事をした。


 こんこん、と先生がまずノック。

 少しだけ扉を開けて、先生が顔を覗かせる。私はその背中を緊張しながら見つめる。


「転校生が来てくださりましたよ」


 教室のなかがざわっと湧き立つのを感じる。廊下側の内窓には換気のためか隙間が空いていて、そこからすでに後ろの席の生徒と目が合ったりしていた。ひそひそ、と女の子たちが耳打ちしていて、余計緊張する。彼女たちは今から一分後のクラスメイトだ。友達になれるかな、なんて思考がブレることはない。


 私の目標は、ただ一人。


「良かった。それでは入って来てください」


 甘く、優しい、美しい女性の声が、扉の向かい側の教卓から聞こえる。一気に心臓が跳ねる。それは副担任からの誘導でしかないけど、私には別の意味を孕む。

 これはみねちゃんの声だ。


 すぅー、と大きく息を吸い込み、私は一歩目を踏み込む。


 千葉県からやってきました、足利鈴音です。よろしくお願いします!


 挨拶は決まっている。その通りに名乗る。


 ガラリ。バンッ!!


「――みねちゃん!」


 扉を開けて仁王立ちする私。

 威勢のいい転校生の登場に、面食らったように副担任の先生――記憶のなかよりも随分と大人びた綺麗なみねちゃんが目を丸くする。「えっ」と驚きを込めた小さな声すら聞き逃さない。みねちゃんの美しい声は、全て澱みなく耳から脳に伝達し、体の中心を伝って心の宝物箱のなかに収納される。


 五年間、みねちゃんの些細な一言を思い返して私は生きてきたんだ。新鮮な彼女の声に、私の心臓の高まりは止まない。


「すずちゃん……?」


 さぐるように、彼女が私の名前を呼ぶ。

 全身の毛穴がばっと開いて、小踊りするちっちゃな私が肌の上に現れたのかと思うくらい、肌がくすぐったく感じる。

 ――そう、そうだよ。

 すずちゃんだよ。

 私、すずちゃん。みねちゃんの従姉妹だよ。


 こく、こくこく、こくこくこくっ! と私は全身で答える。

 感動の再会。みねちゃんは涙ぐみそうだ。

 そんな表情を見ていると、私も堪らない気分になってくる。


 従姉妹のみねちゃんとはたまにしか会わない関係。だけどお互い特別に思っているのは、幼少期から特別なシンパシーがあったから。子どもの頃なら従姉妹と一緒にお風呂に入るのも普通でしょ。別にその頃は知識があったわけでもないし、健全だし、やましいことは何一つ起きてない。そもそも、みねちゃんは教職者になれる立派な人だし。

 ただ、私とみねちゃんは距離が近かったから。


 お互い、セクシャリティーが、男の子に向いてないなって、認め合えただけである。


 無粋な言い方をすると、私は幼ながらにみねちゃんの裸が大好きでおっぱい触りたいなってすっごく思ってたエロガキで、みねちゃんはそんな私を見て(この子も……?)と当時自分が葛藤していた感情を分かち合える妹を見つけられたのが嬉しかったんだと思う。


 だから、これは二人だけの秘密の共有であり、私とみねちゃんが特別、親密な関係にある理由。母も父も、親戚もそれを知ることはない。


 環境の変化で、随分と会えない時期が続いた。

 素直に寂しかった。

 だから、いま、ものすごく嬉しい。


 その喜びが、いまこの瞬間、この神秘的で広大な宇宙を生み出した歴史の一ページ目のビッグバンのように、私という小宇宙のなかでまたたいていた。


「――千葉県から、みねちゃんに、会いに来ました!」


 クラスメイトなんてそっちのけ。

 私の視線はみねちゃんに釘付け。


 私は、みねちゃんただ一人が欲しかった。

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