第5話 松島にて

 白石での日々が10年過ぎた。伊兵衛は30才になっていた。片倉家家臣の娘を嫁にもらい、一男一女に恵まれていた。3代目片倉小十郎景長も元服し、伊兵衛の指導でたくましくなっている。

 そんなある日、松島瑞巌寺に陽徳院という修験堂ができた。仙台藩2代目当主忠宗が母愛姫(仏門に入り陽徳院と称している)のために建てた寺院である。いずれ墓所となるとのことであった。

 その落成式に片倉家からは重綱(2代目)と景長が参列した。当然、伊兵衛もお付きの一人として同行している。陽徳院の前に忠宗をはじめとした仙台藩の面々が左右に整列し、中央を瑞巌寺の雲居禅師(うんごぜんし)とその弟子たちが通り、読経を始めた。参列した面々もそれにならっている。読経が終わり、禅師と弟子たちがもどる際に、景長はびっくりした。伊兵衛そっくりのお坊さまがいたからである。

「父上、伊兵衛殿とそっくりのお坊さまがいました」

「何を言っておる。他人の空似ではないか。わしにはお坊さまの顔はみな同じに見える」

「そんなことはありませぬ。誠に伊兵衛殿そっくりだったのです」

そのやりとりを伊兵衛は聞いていた。そして、かつて綱元殿から聞いた僧籍に入った兄がいることを思い出した。急に会ってみたい衝動にかられた。しかし、会ってどうなる? 兄は弟の存在を知らぬ。弟だと名乗りでても信じてはくれぬではないか。ただの顔が似ている人物だけで終わるのではないか。そう思いながら歩いていると、先ほどの僧の一行が瑞巌寺の庫裏に入っていくのを見かけた。小十郎親子が茶屋に入るということで、伊兵衛はしばし時をもらい庫裏に入った。そこでは5人ほどの僧が茶を飲んでいた。その内の一人が

「お武家さま、えらく幽清殿に似ておられるな」

と言い出した。他の僧も「そうだ、そうだ」と言い出し、二人を並べて立たせた。背格好もほとんど同じである。違うのはまげがあるかないかと着物だけである。

 そこに二人の尼が、客に出す茶を取りに座敷からやってきた。その内の一人が

「なんと!」

と場にそぐわぬ声をだした。もう一人の尼も驚いた顔をしている。

「これは陽徳院さま、申しつけていただければ、こちらからお持ちしたものを」

本日の主人ともいえる陽徳院とその娘天麟院(五郎八姫・いろはひめ)である。

「よいのじゃ。そちらのお二人、しばし待たれよ。今、忠宗公に茶をさしあげてくるでな」

伊兵衛と幽清という僧は庫裏の中で待つこととなった。他の僧たちは、ただならぬ雰囲気でいたたまれず、庫裏を後にした。伊兵衛はその内の一人に、茶屋にいる小十郎に伝言を頼んだ。

「陽徳院さまから、庫裏で待つように言われたと伝えてくだされ」

 四半刻(30分)ほどで、陽徳院と天麟院はもどってきた。天麟院が二人の顔を見比べて、

「まさに幽清殿とうりふたつです。母上、これはどういうことでしょうか?」

「あわてるではない。わたしに心あたりがある。まずは、そちの名前は?」

「木村伊兵衛と申します」

「茂庭綱元殿をご存じか?」

「はっ、子どものころから20歳まで仕えておりました。綱元殿が隠居されたので、今は片倉家に仕えております」

「やはり・・・・」

陽徳院は、しばし言葉に詰まった。

「・・わたしが悪いのじゃ。今まで心にひっかかっていたのが、やっと晴らす機会なのじゃな」

「母上、なにをおっしゃっているのですか?」

「実は、・・・五郎八(いろは)が江戸屋敷で子を産んだ時・・・産まれたのは二人じゃった」

「幽清だけではなかったのですか!」

「五郎八は気を失っていた。双子は不吉ということで、侍女に始末するように指示した。だが、大殿(政宗)に知れ、大殿が連れていかれた。後で、茂庭綱元に預けたということを聞いた。その後は、そのことにふれなかった。五郎八が正気にもどってからも、二人産んだという自覚がなかったし、なんといっても流人の子ゆえ、わかればどうなるかわかったものではない」

(流人とは、政宗公の娘婿、松平忠輝公のことか!)伊兵衛は、胸の高まりを感じていた。そこに、片倉小十郎親子が入ってきた。

「陽徳院さま、天麟院さま、お久しゅうございます。片倉小十郎でございます」

「来ておられたのだな。ありがとう」

「おそれいりますが、今のお話、何気なく聞こえてきたのですが、伊兵衛殿は天麟院さまのお子ということですか?」

「おそらくな。これだけ似ているし、綱元殿の元で育てられたということであれば、亡き大殿の話に合致している」

「ということは、伊兵衛殿は政宗公の孫、その上、家康公の孫。なんという血筋。伊兵衛殿、知らなかったこととはいえ、今までのご無礼、平にご容赦を」

と頭をさげた。

「小十郎さま、そんなことはなさらずに、あなたさまは、私の主君です」

「そうです。小十郎、幽清殿と伊兵衛殿は身分を明かすことができぬ。幕府ににらまれたら何を言われるかわからん。今のままでよいのじゃ。よいな五郎八」

「はい、母上。わたしは子たちが成長した姿を見られただけで充分です」

と天麟院は目に涙をためていた。

「わたしも長年胸に詰まっていたのが、やっと晴れた気がする。これも瑞巌寺を建ててくれた大殿のおかげだの」

陽徳院が手を合わせるのを見て、そこにいた全員が手を合わせた。

 3年後、陽徳院は天に召された。仏門には入ったが、首には十字架がまかれていた。その顔は晴れやかな慈愛に満ちたマリア像のようだった。

 その8年後、天麟院も天に召された。陽徳院近くに墓所が建てられ、住職に幽清がついた。天麟院も十字架をもって墓にはいったということである。二人とも太閤の人質になっていた京都・伏見時代にキリシタンとなっていた。幕府の禁教令が厳しくなったので、政宗の指示で仏門には入ったが、心までは変えることはなかったのである。

 木村伊兵衛は片倉家の重臣として活躍した。その子孫も重臣として厚く用いられ、中には温泉宿を経営する者も出てきた。片倉家は後に白石を離れるが、木村家は白石で長く存続するのである。二人の傑物の子孫とは誰にも知られずに。


あとがき


 空想時代小説を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。以前、松島に行った際に、天麟院にお参りしたことがあります。その際に、初の住職が天麟院の子だという言い伝えがあることを知りました。その話を受けて、その子が双子だったらという空想を膨らませて書いたものです。

 次作は、「真田の郷 始末記」です。今回の小説に出てきた大八の子孫が活躍する空想時代小説です。興味があったら読んでみてください。

                    2023.7.3  飛鳥竜二


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われ、家康と政宗の孫なり 飛鳥 竜二 @taryuji

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