第9話 神様の花嫁(※一部完結)
◇
「鈴」
「……はい」
「覚えているか? 私と鈴が出会った時のこと」
思いもよらぬ投げかけに、鈴はどきりとして目を瞬く。
天帝の横顔は少し照れたように赤く染まっており、彼の視線は今なお空の器にとどまっていた。
「もちろん、忘れるわけがございません」
真っ直ぐに天帝を見つめ、はっきりとそう答える鈴。
忘れもしない。あれは月神神社で巫女として育ての親を手伝っていた十四の頃だ。
境内にどしんと幹を構えるご神木のそばで、鈴は、今にも消え失せそうなほど弱々しく輝く光の塊と出会った。
「――あの時の私は、人の子の身勝手さや強欲さに当てられることが続いていて、どこか精神を病んでいた。疲労も相当溜まっていたのだが、やらねばならぬことが尽きず体を酷使し続けた結果、いつのまにか神としての力を失い、何の役にも立たない無益な存在に成り下がってしまっていたんだ」
鈴は当時のことをくっきりと脳裏に思い浮かべる。
確かにあの時に見た〝光〟はひどく澱んで、消え入りそうなほど弱く儚げに揺らめいているように鈴の目には映っていた。
「私は現世入りする際、孤弥太にさえ行き先を告げずあちこちを飛び回る。だから、ともすればそのまま誰に見つかることなく消え失せてしまっていても、なんらおかしくはない状態だった。しかし……奇跡的にそなたには私の姿が視えた」
「……」
こくん、と頷く。鈴は生まれつき、視えてはいけないもの――人ならざる者――の姿が視える体質だった。
そのため、神主であった育ての親にさえ視えていなかったそれを、奇跡的に感じ取り、視ることができたのだ。
「光を失いかけ、弱りきった私の存在に気づいたそなたは、手料理を振る舞い、酒を振る舞い、ほどよく語りかけ、励まし続け、雨風を凌ぐよう傘を差し、寒い日が続けばそばに寄り添い、懐で温め、それでも光に輝きが戻らないと、歌を歌い、巫女舞を舞い、思いつく限りのもてなしを尽くし、そして言ったのだ」
『特別な力などなくても、あなたがそばに寄り添ってくれているだけで心が救われている人間も数多にいる』
『だから、けっして、あなたは無益な存在なんかではありません』
『どんな姿であろうと、どんなあなたであろうと、私たち人間にとってあなたは、なくてはならない大切な存在なのです』
天帝は静かに自分と向き合う鈴の顔を見つめながら、言葉を続ける。
「その言葉は、万能でなければならないと肩肘張っていた私の心を慰め、解くほぐし、再起のため、そして力を取り戻すための原動力となった。あの言葉がなければ、今の私は存在していなかっただろう」
「……」
「改めて礼を言う。……ありがとう。心優しきそなたを妻として娶れることができて、私は幸せだ」
そう呟く天帝の眼差しは、鈴への愛おしさで溢れていた。
「主さま……」
小さく呟けば、女中として虐げられてきた日々が脳裏をよぎる。
『ちょっと鈴! この味噌汁不味い! 捨てといて!』
『なによこの埃。本当に掃除したの? 目が節穴なんじゃないの。ほんっと役に立たないわね!』
『ねえ、笑ってんの怒ってんの? 散々こき下ろしてんのに泣き言一つ言わないなんて、アンタ本当に人間? ちょっと可愛い顔してるからってすかしやがって……アンタみたいな能面女、気持ち悪いし嫁の貰い手もないわ。生きてる価値ないんじゃないの!』
ひどく澱んで、重たい、心の底に沈んでじわじわと魂を蝕んでいくような、残酷な言葉の数々。
しかしそんな凄惨な言葉が一瞬にして吹き飛んでしまうほど、天帝の優しさに溢れた言葉には力があり、胸が熱くなるようだった。
「こちらこそ……ありがとうございます」
「……いや、その。つい勢いづいてしまったが、こんなところで言う台詞でもなかったな。……すまぬ」
澄んだ瞳で自身を見つめ返している鈴を見て、急に照れたように言葉尻を濁す天帝。
相変わらず、普段の凛々しさや厳格さとは正反対の無垢な一面を垣間見せてくれる夫だなと改めてくすぐったい気持ちになりながらも、これだけは言っておかねばと、鈴は、向きを変えようとした天帝の着物の裾をそっとつかまえる。
「……っと⁉︎」
そして、心から感謝するように告げた。
「こちらこそ、何事にも誠実で思いやりに溢れる主様の妻にしていただくことができて、心より幸せでございます」
「鈴……」
「どうか末長く、貴方様のおそばに寄り添わせてくださいませ」
鈴は深々と頭を下げる。
顔を上げると目が合い、天帝は心から嬉しそうに目を細めた。
「それはこちらの台詞だ。どうか末長く頼む」
「……はい」
はにかみながらも、笑顔を交わす二人。
突然連れてこられた不思議な世界で、いきなり神と名乗る人の花嫁にされ、初めは戸惑うばかりの鈴だったが、人間となんら変わらない強さと弱さを併せ持ち、いつだって真摯に他者や妻と向き合うこのお方とならば、共に明るい未来を築いていける気がして、自然と頬が緩んでいた。
――いつぶりだろう。こんなに穏やかな気持ちになれたのは。
目の前にいる夫に対し、徐々に膨らんでいく確かな好意を感じ始めていたところで、ふいにちょいちょいと着物の裾を引っ張られた。
「ねえねえ鈴さま、天帝さま!」
「……っ」
「……は、はいっ」
完全に二人の世界に入っていたところに不意打ちで掛けられた声だったため、二人はどきりとして慌てて居住いを正す。
鈴の着物の裾を引っ張っていたのは、愛らしい顔でこちらを見上げている伊丸だ。
伊丸は仲睦まじく見つめあっていた――そして今は恥じらうように顔を背けあっている二人――を見て、屈託のない表情でにこやかに尋ねる。
「鈴様もいつか、天帝様の子を授かるんだよね⁉︎」
「……っ」
「ぶっ」
天帝が、気持ちを落ち着けるために啜っていた茶を吹いた。
驚いた孤弥太が「て、天様ァ‼︎ まさか毒か? 茶に毒でも⁉︎」と半狂乱状態で腰を浮かせ、比較的近くにいて話を聞いていた丸菜は「こら伊丸!」と、顔を真っ赤にして我が子を制している。
「と、とんだご無礼を……!」
「いえ、構いませんよ丸菜さん。えと、その……伊丸さん。私はまだ、花嫁修行中の身ですし、体質や種族差の問題もあります。それに、子は授かり物ですので、確実に授かれるかどうかまでは……」
珍しくしどろもどろになりながらも、つとめて冷静にそう返答する鈴。
すると伊丸は、母親に押さえつけながらも顔をぱあっと輝かせて声高に宣言した。
「そっかあ! 大丈夫だよ鈴様! だって鈴様の相手は世界一最高の神様、天様だもん! いつかきっと鈴様は、お二人に似たとびっきり可愛い赤ちゃんを授かるはずだから、その時は僕が、その子のお友達か従者になって、幼稚園や学校でその子を守ってあげるからねっ!」
純粋で、無垢で、無邪気な明るい笑顔が向けられると、鈴は思わず頬を染める。
取り乱す重鎮の孤弥太を押さえつけて口元を拭っていた天帝も、子の無邪気さに絆されるように頬を緩め、また、丸菜は申し訳なさそうにしつつも、心から二人を祝福、そして応援するように深々と頭を下げていた。
「ありがとうございます。まだ少し先の話になるとは思いますが……その……」
「うん……?」
「いつか修行を終え、妻としての自信がついた暁には……そのようなありがたい日が来ることを、私自身も心より願っています」
小さな声でこそりと付け足すと、天帝は驚いたように妻を見て、ぼっと顔を赤らめた。
「……」
「むむ? むむむむ? 鈴殿、それはまだ先の話とはいえ、前向きに子作りを考えておられるという意思表示とうけとってよいのですな?」
「……えと、その、いずれは、のお話ですが」
「……っ、」
「おお! なんと……! 料理に夢中で話の流れがよくわからんのですが、お二方ともなかなかよい雰囲気ではないですかっ。なんならこの先はお二人きりで今後の具体的な子づくり計画を練るなり、お世継ぎの話は別としても、人間の鈴殿には早期に神の寵愛とご加護を受けてもらって、子を成しやすい体に……ふがっ」
「孤弥太。もうそなたは黙っていてくれ……」
孤弥太が余計な口を挟めばすぐさま天帝がそれを制し、神の屋敷はわっと賑やかな笑いで満ち溢れ、鈴の催した晩餐会は大成功におさまった。
かくして――。
人と、神と、あやかしが共存するこの世界で、突如として始まった鈴の嫁入りセカンドライフ。
「大変だっ! 大変だーーーー!」
「むむ。なにやら外が騒がしいな。何かあったのか?」
「ああ孤弥太様っっ! お食事中すみません……隣の屋敷で火の神が蔵造りに失敗して大暴れしているんです! ど、どなたか加勢した方がっっ」
「な、なんだって⁉︎」
「それは大変だな。もちろんすぐにでも助けを向かわせよう。誰か大工の心得があるものは……」
「……わたくし、以前奉公しておりましたお屋敷にてお部屋の改修作業や野陣の経験があり、多少の心得がありますので行って参ります」
「え、ちょ! いや鈴⁉︎」
「女中が改修作業に野陣⁉︎ そ、そういえば鈴殿は女中期間、奴隷のように扱き使われていたためあらゆる分野に精通していると、先ほど確認した神の台帳にも記してあったような……って、早っ! もうあんなところにっ! いやいやいやいやちょっと待たれい鈴殿ーーーー!」
波瀾万丈な幽世生活には苦難や受難も多々あれど、鈴は神の寵愛に幾度となく励まされ、絆されながらも、神様の妻として、一人の女性として、鈴は逞しく成長していくのであった。
――神様の花嫁/一部完結――
※本作品はコンテスト参加用作品のため一旦こちらで完結としますが、場合によっては長編として連載を再開する可能性があります。
神様の花嫁 三柴 ヲト @oto_mishiba
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