第8話 宴もたけなわ

 ◇



「えええっ。僕、お兄ちゃんになるの⁉︎ ほっ、本当に⁉︎」


〝悪阻〟の意味を幼な子にもわかるように伝えると、伊丸は素っ頓狂な声をあげつつも、目をきらきらと輝かせた。


「いやぁ驚いた……。まさか身籠もっておったとは。鈴殿、よくぞ会話だけでそれを見抜きましたな」


 驚いた様子の孤弥太が不思議そうに鈴を見つめると、鈴は静かに目を細めて告げる。


「伊丸さんのお話の中に、全ての答えが含まれておりました」


「へっ⁉︎ 僕の?」


「はい。いつも遊んでくれていたという丸菜さんが、最近は一緒に走り回って遊べなくなったというお話を聞いて……もしもその原因が、身重だったら? と、考えてみたんです。そうしたら全てが一本の線で繋がったといいますか」


「ふむふむ?」


「厠に行く機会が多かったりお洗濯ができずごろごろしているというのは、妊娠の影響や悪阻で気分がすぐれないため。お料理ができなくなったのは〝匂い悪阻〟のためで、また、どこまであやかしと人間の構造が同じかはわかりませんが、生のお肉・お魚を避けていたのは感染症予防のためとも考えられますし、お好きだったというお酒を控えているのも、お腹の子への影響を考えてなのかなと思いまして」


 丸菜は口元を手拭いで拭いつつ、感心したように相槌を打つ。


「まさに……鈴様の仰る通りです」


「ふむう。では、今日の献立に冷製系のものが多かったり、控えめな量とさっぱりした味付けだったのも、丸菜殿のためというわけですかな?」


「ええ。〝匂い悪阻〟があると、ご飯の炊き上がりの香りすら受け付けない方がいらっしゃることは存じておりましたので。体が冷えすぎない程度に、栄養素を考えつつ、なるべく匂いの少ないさっぱりした料理で、無理のない分量でご用意させて頂きました」


「本当に、細部にまで気を遣っていただいて鈴様には頭が下がります」


 感服するように再び頭を下げる丸菜に、鈴は「頭をお上げください」と恐縮してみせる。


 孤弥太もようやく納得したように「なるほどのう」と、感嘆の声を上げていた。


 大人たちの会話が一旦そこで途切れると、目を輝かせた伊丸がここぞとばかりに身を乗り出した。


「わああ、どうしよう。僕、お兄ちゃんになるんだよね? 本当にお兄ちゃんになれるんだよね?? 家族が増えるのすっごく嬉しいっ!」


「ふふっ。そんなにはしゃいだらお腹の子がびっくりするわよ」


「えへへ〜! だって僕、ずっとお兄ちゃんになりたいって思ってたから。嬉しいんだもん!」


「そう。喜んでくれて嬉しいわ。でもね、立派なお兄ちゃんになりたいなら嫌いなお野菜も残さず食べないといけないわよ?」


「うっ。わ、分かってるよう。僕、残さず食べる!!」


 母親の体調不良の原因を把握した途端にはしゃぎ始めた伊丸は、器の端っこに寄せていたトマトを一生懸命口に運び、丸菜はそれを微笑ましげにそれを眺める。


 仲睦まじい鎌鼬親子のやりとりを見届けた天帝は、優しく目を細めた後、ふいに鈴を見た。


「鈴、こちらへ」


「……はい」


 そばへ歩み寄り、正座する。


 すると天帝は、賑やかな鎌鼬親子や、食事を再開した孤弥太を再度一瞥してから、妙に改まった声色で告げた。


「本来であれば〝天帝〟という立場にある私が、現世の民だけでなく幽世の民にまで気を回さなければならなかったところ、悩めるあやかしの救済に率先して動いてくれて、心より感謝するぞ」


「主さま……」


 目が合えば、優しく微笑む天帝。


 鈴は、まさか礼を言われるとは思っておらず、恐縮したように頭を下げる。


「いえ、あの。これもひとえに、お屋敷で晩餐を開くことにお許しをくださった主様や、私の我儘に付き合ってくださった孤弥太さんのおかげでございます」


「ふ、そう畏まらなくていい。まあ、謙虚な姿勢も貴女らしいといえばそうなのだが」


「すみません。あまり褒められ慣れていないもので……」


 戸惑うように呟く鈴に、天帝は少し照れたように配慮を滲ませる。


「私自身も久しぶりに鈴の手料理が食べられて、嬉しかったぞ」


 その一言は鈴にとって何よりもの報いだ。鈴は安堵したように胸元を撫で下ろし、ややはにかんだ表情で微笑んだ。


「ありがとうございます。伊丸さんたちはもちろん、主様まで喜んでくださったのなら、本望です」


 視線を交わす二人は、静かに見つめ合う。


 室内は賑やかに和んでいて、伊丸の幼子らしい陽気な声や、「にしてもこのキノコは美味だの。鈴殿に調理方法を聞いて、我が台所の調理人にも作らせるか……」などといった絶賛の声が、遠い彼方の出来事のように聞こえてくる。


 ふと、はにかんだ表情で視線を外した天帝は、しばらく空になった器を手の中で弄んでから、ポツンと言った。

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