第7話 母の隠しごと

 ◇



 ――かくして、始まった晩餐会。


「どうぞお召し上がりください」


「わーい、いっただっきまーす!」


「こら伊丸、そんなにがっつかないの!」


「では私も。いただきます」


「どれ、お言葉に甘えて某もいただきますかな」


 鈴の一言で皆が一斉に箸を持ち、各々に食事を進める。


 シャキッとした水菜の歯応えと熟成した果肉感のあるトマト、コシのある麺が絶妙な相性を奏でている冷やしうどんは、かつおと昆布の出汁でさっぱりと仕上げられていて優しく食欲をかきたてられ、ほどよい酸味の効いた鮭ときのこのマリネは、疲れた体に染み込むような味わいだ。

 

 また、ひじきとちくわの白和とかぼちゃの煮物は、どちらもほんのり甘くなめらかな口当たりで子どもにも食べやすい味付けとなっていて、伊丸がたいそう気に入ったように貪り、あっという間に器を空にしている。


「美味しい……! ねえかか様、すごい美味しいよこれ!」


「ええ、どれもこれも本当に美味しいわ……。ああ、いつぶりでしょう、こんなに味わってお食事ができるなんて……」


 伊丸に同意を求められると、伊丸の母親――名は丸菜まるなというらしい――は破顔して、鈴の手料理に心からの舌鼓を打つ。


「いやはや本当に……天帝の妻にしておくのには勿体ないほど、見事な料理の腕前ですな」


 丸菜の右隣では、孤弥太が賛同を示すようにうんうんと頷いている。


 普段であれば重臣が帝と共に食事をするなどあり得ない光景ではあるが、夫婦の気さくな歓迎と家庭的な雰囲気に流されて、堅物の孤弥太はすっかりこの晩餐会に馴染んでいる様子。


 鶏肉と白菜のスープを味わうように啜っていた天帝は、器から顔を挙げると、不満そうな面持ちで孤弥太を窘めた。


「……いや待て。私の妻にしておくのが勿体ないとは、それはどういう意味だ孤弥太」


「おっと……い、いやあ、今日一日を共にして分かったことですがね、鈴殿は元女中だけあって非常に家事能力に長けている。これほどの技量があれば、幽世一着任が難しいとされる我が屋敷で召し抱えていたとしても難なくやっていけたのではと思いましてね」


「いいたいことはわかるが、鈴は私の〝妻〟だ。〝召し抱える〟などと無礼な物言いは……」


「あっ。いや、はは。それはあくまで喩え話でありましてですな」


 天帝がややむくれ顔で再び孤弥太を睨みつけると、慌てて弁明に回る孤弥太。


 そんな二人の小気味良いやりとりを見て伊丸の母親である丸菜はくすくす笑い、それを見ていた鈴も静かに目を細めた。


 ――ふと。


「でもほんと、鈴様はすごいや。かか様、ここのところずっと体の調子が悪そうでごはんもろくに食べていなかったのに、今日はぺろりと平らげてる。顔色もよさそうだし、この料理には何か秘密があるの?」


 目を爛々と輝かせて、そんなことを尋ねる伊丸。


「あ、それは……」


 するとここで、丸菜がハッとしたように口を挟もうとしたのだが、


「そういえば坊主、牛車の中でも母君の調子が良くないと、ずっと心配しておったな。……まあ、最近、幽世でも暑い日が続いているからのう、暑さにやられてバテておるのでは? 万一、不調が続くようなら腕利きの妖医を紹介するが……」


 天帝の追及から逃れるように、身を乗り出して提案する孤弥太。


「いえ、その、えっと」


「! そっかあ! ならかか様、孤弥太様にお願いしてお医者さま紹介してもらおうよ! お仕事でなかなか会えないとと様もきっと心配してると思うし、絶対それがいいと思う!」


 丸菜は恐縮したように口ごもり、伊丸は早くも目を嬉々と輝かせて受診を勧めている。


「ふむ。ならばすぐにでも連絡を取ってやるぞ。特に妖医は数が少ないからな。我々神族と違って一般のあやかしはうんと待たされてしまう。かかると決めたならば早めに予約を入れておかぬと」


「わあ、いいの⁉︎ ありがとうございます孤弥太様! 孤弥太様のいう通り、僕たちの住むあやかしの街だとお医者様の数が少なくてなかなか診てもらえないし、そこにつけ込んで悪さをする人もいるから、待たされた挙句にハズレだった……みたいなことも多いんだ。でも、神族の方の紹介ならきっといいお医者様だと思うし、かか様のためにもすぐにでも診てもらいたい!」


「あ、いや、違うの伊丸。その、これはね」


「……」


 勢いづいて話を進めようとする孤弥太と伊丸。そんな二人を慌てて諌めようとあたふたしながらも口をまごつかせている丸菜の様子を認めた鈴は、スッと立ち上がるとしずしず進んで丸菜のそばに腰を下ろす。そして、


「あの、丸菜さん。一点、確認させていただきたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」


「え? あ、はいっ」


 きょとんとする丸菜に、「では」と、ひそひそ耳打ちする鈴。


 天帝は二人が密談する様子を黙って見守り、孤弥太と伊丸は神付き妖医について前のめりであれこれと語らっている。


「……まあ。どうしてそれを?」


 話の区切りがついたところで、丸菜が驚いたように鈴を見た。


 静かに微笑む鈴は、どこか安堵したような気持ちで彼女に視線を返す。


「伊丸さんのお話を聞いて、恐らくそうではないかと」


「そうだったんですか。どうりでお料理が食べやすいものばかりだと思っておりました」


「お口にあってよかったです。お辛いことかと思いますが、たとえ少量でも栄養をたっぷりとって、無理はなさらないでくださいね」


「ご配慮、本当に感謝いたします……」


「いえ、お礼を言われるようなことはなにも。どうか頭をお上げください」


 深々と頭を下げる丸菜を、鈴は慌てて制す。


 ゆっくりと顔をあげた彼女は、苦笑を滲ませながら言い添えた。


「情けない話ですよね……。伊丸にも伝えなきゃとずっと思ってはいたんですが、なかなか改まって話す機会もなくてついずるずると……。まさかこんなに伊丸に心配されていたなんて思ってもみませんでした」


 すぐ隣に座る伊丸を見やり、申し訳なさそうに頬をかく丸菜。


「……?」


 その視線に気がついた伊丸は、きょとんとしたように首を捻っている。


「むむ? いったいなんの話ですかな?」


 妙に改まった空気を感じ取った孤弥太が妖医の話を切り上げて疑問を口にすると、鈴と丸菜は顔を見合わせた。丸菜がはにかみながら小さく頷いてみせたので、彼女の代わりに鈴が口を開く。


「伊丸さん、孤弥太さん。丸菜さんはご病気というわけではありませんので、急ぎ、お医者様に診てもらう必要はないかと」


「へっ? そうなの、かか様?」


「なぬっ? そうなのですか?」


 同時に声を発する伊丸と孤弥太。視線が集中すると、丸菜は照れたように「ええ」と相槌を打ってみせた。


「で、でも、いつもかか様が具合悪そうにしてるのは本当なんだ! 今日はたまたま顔色もいいし、お料理も……すごく美味しいからいっぱい食べてるけど、普段はほとんど口にしてないし、ちょっとでも食べてもらおうとすると、すぐにオエってなって……」


「それはね、伊丸。体調が悪いわけではなくて……っと、すみませ、……うっぷ」


 ――と、いっているそばから吐き気を催したように、口元を抑える丸菜。


「! かか様! 大丈夫ですか⁉︎」


「ぬぬぬ! これは大変ではないか! すぐに医者を、妖医をつれて参らねば!」


 伊丸は慌てたように母の背をさすり、孤弥太は若干取り乱したように腰を浮かせているが、鈴は落ち着いた仕草で手拭いを差し出し、そっと丸菜の着物の帯を緩める。そして、場をとりなすように穏やかな声色で告げた。


「落ち着いてください、孤弥太さん。これは病気ではなく、悪阻つわりだと思います」


「へっ⁉︎」


「……!」


「ほへ?」


「ですから、少し様子を見ましょう。場合によってはお医者様にかかることも必要かとは思いますが、おそらくは、安静にしていればいずれおさまるかと……」


 目を細めてそう告げる鈴に、唖然と口を開けて言葉を失う孤弥太、天帝、そして不思議そうに目を瞬く伊丸の男三人衆。


 視線を投げられた丸菜は、はにかみながらも確かにこくりと頷いて、


「鈴様のおっしゃる通りです。じきに治りますので、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんが、今しばらくはこのままで……うぷっ」


 嘔吐きながらも、愛おしそうな顔つきで自身の腹を優しく撫でつけたのだった。

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