第6話 たまたま腹が減っていただけ

 ◇



 広々とした客間の中央に不思議な紋様入りの食卓が用意され、その上には、今しがた鈴が仕上げたばかりの現世料理が人数分こぢんまりと並べられている。


 ツナと水菜とトマトのさっぱり冷やしうどん、鮭ときのこのマリネ、ひじきとちくわの白和、かぼちゃの煮物、鶏肉と白菜のスープ、ヨーグルトのフルーツゼリー。


 品数はそれなりにあるものの、すべてがほどよく食べきれる量で小分けされていて、見栄えはどちらかというと質素な方だ。神の屋敷で開かれる晩餐料理であるなら、なおさら地味なラインナップと言える。


「これはこれは……ふむ。なかなか家庭的で美味そうな献立ではあるが、神の食卓にしては少々派手さに欠けるのでは?」


 やはり孤弥太もそこが気になったようだ。彼は準備された料理を吟味しながらそう漏らすが、鈴は静かに微笑むだけ。


「本日のおもてなしは伊丸さんのお母様を主役に据えた献立となっているため、このような形となりました。お母様の嗜好については伊丸さんにも事前に確認済みですので、おそらくこちらでご満足いただけるかと思います」


「ふむう。そうか。まあ、客人の好みなら仕方ないし、どれもこれも美味そうだから別に良いのだが……」


 孤弥太はごにょごにょと口ごもりつつ、味見をしようとこっそり手を伸ばしたところで、近くにいた女小姓にペし、と手を叩かれている。


「それでは、まもなく伊丸さんのお母様がお越しになる時間ですので、主様をお呼びして参りますね」


「ああ、天様なら先ほど某が……」


「おお。ずいぶん美味そうな料理が揃っているな」


「っと、噂をすれば」


「主様」


 やりとりをしていた鈴と孤弥太の元に、今やってきたと思しき天帝が姿を現した。


 恭しく頭を下げる鈴に、天帝はにっこりと微笑む。


「慣れない台所での調理はつつがなく進められたか?」


「はい。御台所の勝手も特に問題はありませんでしたし、現世の食材が豊富に揃っていたおかげで予定通りの品数を用意することができました。色々とお取り計らいくださり、孤弥太さんをはじめ主様にも心より感謝しております」


「礼などよい。嫁入りした鈴のために調達していた食材もあるだろうが、私が現世料理好きだということを、皆、よく知っているからな。献立の研究やいつ帰って来るかもわからぬ私のために、日々、現世食材を蓄えていてくれたんだろう」


 天帝は目を細めて頷き、今一度、鈴の拵えた手料理を眺める。


 するとすかさず、


「天様の現世料理好きは有名ですからなあ。……っと、それはそうと。普段ならいっくら呼びかけてもなかなか仕事を切り上げてこないというのに、今日はやけにお早い到着ですな」


 にまにました顔つきの孤弥太が間に入ってきて、さりげない皮肉を飛ばした。


 天帝はこほんと咳払いして、赤らんだ顔を背けつつも冷静に切り返す。


「たまたま腹が減っていただけだ。それに……せっかく仕上げた手料理の鮮度が落ちてしまっては、作り手の鈴に申し訳ないだろう」


「主様……」


「加えて言えば今日は客人も来ることだしな。しっかりと〝夫婦〟揃って出迎えなければ失礼にあたるじゃないか」


「ぬふ。まあ、そういうことにしておきましょう」


 恐縮する鈴の傍で、孤弥太がにやにやしながら話を区切る。天帝はややジト目で孤弥太を牽制しつつ、きょろきょろと辺りを見渡した。


「ところで。その客人とやらはまだ見えないのか?」


「つい先ほど、迎えに出した牛車より『神々の庭』入りしたとの連絡があったので、もう間もなくかと……」


 天帝と孤弥太がちょうどそう話していた時のこと、襖がスッと開き、小姓の一人が顔を出して言った。


「客人がお見えになりました。ただいま、迎えに出られていた伊丸様とご一緒にこちらの部屋へ向かわれています」


 そんなやりとりを交わしてすぐ、廊下が騒がしくなったかと思えば、子どもらしい足音を立てて鎌鼬の少年が室内に飛び込んできた。それも――。


「こちらです、かか様! 早く、早く!」


「これ伊丸、落ち着きなさい。ここは天帝様のお屋敷ですよ。そんなに足音を立てては……っ」


 伊丸は自分の母親と思しき二十代半ばくらいの女性――金色の長い髪に丸い耳、伊丸同様、鎌鼬と人間の半妖で、先ほど修繕したばかりの着物を纏っている――の腕を引っ張っていて、部屋に入るなり、女性はすでに入室済みであった天帝の姿を認め、ひどく驚いたように目を見張っている。


「てっ、てててて天て――」


「わっ。わーっっ! すっっっっごいオーラの人がいるう! ねえねえ孤弥太さま、鈴さま、このキラキラした綺麗な人はだあれ? 神様? 神様だよね? でも一体、なんの神様?? 天帝様のお屋敷にはいろいろな神様がくるんだよね? ……って、あっ、ごあいさつがおくれてすみません。ぼくは鎌鼬の伊丸って言っ……ふぎゃっ」


「こらこらこら坊主! 天帝様相手に頭が高いわッッ!」


「うっ、うえええええ⁉︎ てっ、天帝様⁉︎」


「もっ、申し訳ございません天帝様! この子はまだ常識もわからぬ幼な子でして、ととととととんだご無礼を……!」


 伊丸の天真爛漫な振る舞いに、孤弥太は即座に身を乗り出して伊丸の頭を押さえつけ、また、伊丸の母親と思しき女性も慌てて平身低頭して非礼を詫びる。


 おたおたと四人の間に割って入ろうとした鈴だが、それを片手で制した天帝は、穏やかな微笑を浮かべながらも、心地よい声色でその場をとりなした。


「頭を上げてください。今日は私の〝妻〟からの招待で、あなた方は立派な客人なんだ。無礼講で構わない」


「……っ。て、天帝様……」


「肩肘張っていては楽しめるものも楽しめなくなるしな。せっかく遠いところから参られたんだし、今日一日くらいはどうかゆるりと寛いでいって欲しい。……ほら孤弥太! 早く伊丸くんの頭を離しなさい、客人に向かって失礼じゃないか」


「ぬぬっ⁉︎ しっ、しかし……!」


 困惑気味に顔を見合わせる鎌鼬親子と、不満そうになおも食い下がろうとする孤弥太。


 しかし天帝がじろりと一瞥すれば、当然のことながら孤弥太は伊丸の頭を速やかに解放する。


 伊丸と伊丸の母親の動揺するような視線が寄せられると、鈴はくすくすと笑って、空気を和ごますように言った。


「天帝様の仰る通りです。長旅でさぞやお疲れでしょう。孤弥太さんの分も用意してありますので、今日はここにいる皆さんで、楽しいひとときを過ごしましょう」


 鈴の提案に、深い頷きを見せる天帝。夫婦が一丸となってもてなしの心を指し示すと、恐縮しながらも安堵の表情を見せて微笑む鎌鼬親子と、口を尖らせながらも渋々承知する孤弥太。


 そうして、人間と、あやかしと、神族の、未だかつてない垣根をこえた賑やかな晩餐が始まるのであった。


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