第5話 神的新婚生活の決まりごと

 ◇



 八百万の神達が住まう『神々の庭』へ蜻蛉返りで戻ってきた鈴は、いそいそと自室に戻るなりさっそく破れた着物を広げ始める。


「孤弥太しゃま。お針道具をお持ちしました」


「孤弥太たま。こちら、補修用の布地になります。鈴様にお渡ししてもよろしいでしょうか」


「孤弥太さま、事前連絡がありました通り、調理人への伝達と御台所の準備が整っております。いつでもご利用になれます」


「……」


 次々とやってくる幼い狐耳の少年少女の従者たち――ここでは小姓、女小姓と呼ばれているらしい――が、鈴の指定した品々を差し出すと、孤弥太はその都度不満顔で鈴を、そしてその後ろに張り付いている金髪の少年・伊丸をじろりと見る。


「……これで良いのですな?」


「はい。充分です。ありがとうございます、孤弥太さん。お借りしますね」


 一つずつ受け取りながら、鈴はさっそく破れた着物の修繕に取り掛かる。


 不満顔の孤弥太はといえば、


「全く……。一般のあやかしを特殊な事由もなく『神々の庭』に立ち入らせること自体あるまじき行為だというに、ぼろになった着物を修繕するだの、職人にしか立ち入りを許されていない台所を利用したいなどと、天帝の妻とあろうものがなんと嘆かわしい……。そもそもどこの馬の骨ともわからぬあやかしの幼児の泣き言など放っておけば良いものを……いや、百歩譲って屋敷に入れたとて着物の修繕など下々の者に任せれば良いものを……ううむ、かように下人さながらのお姿を天さまに見られては……」


 周囲に聞こえるか聞こえないかわからぬほどの声量でボソボソ愚痴を垂れ流しながらも、着物の修繕に向かい合う鈴と伊丸の様子をちらちらと窺っている。


 鈴は孤弥太経由で小姓たちから受け取った裁縫道具を目の前に広げ、手慣れた手つきで寸法を測ったり、補修布を裁断したり、てきぱき修繕を進めていく。


 裁断、縫合作業のそのスピードは、文句を垂れていた孤弥太ですら目を見張るような速さだ。心配そうに見守っていた伊丸はもちろん、室内に待機していた小姓たちですら息を呑んで鈴の手元を凝視している。


「孤弥太さん」


「……」


「あの、孤弥太さん?」


「うぬっ⁉︎ あ、ああ、すまぬ。何なりと」


「すみません。こちらの補修布、もう少し追加でいただきたいのですが」


 鈴が要望を出せば孤弥太は速やかに指示を出し、小姓たちがさらなる端切れを持ってくる。


 丁寧にお辞儀をしてそれを受け取ると、鈴は再び一心不乱に修繕中の着物と向かい合った。


 しばらくそうして、黙々と作業すること数時間――。


「できました」


「わ……」


 やがて、まるで破れていた着物だとは思えぬような、一片のほつれも無い見事なまでの修繕済み着物が仕上がり、固唾を飲んで成り行きを見守っていた伊丸、孤弥太、そして小姓たちは、揃いも揃って「おお」と感嘆の声をあげた。


「す、すごいっ。すごいや鈴様っ! かか様の着物、綺麗に直ってる!」


「い、いやはやおみそれしましたぞ鈴殿、さすがは元女中……。とはいえしかし、これは褒めるべきところなのか、どうなのか……ううむ」


 興奮気味に着物を抱きしめる伊丸と、腕を組んでウンウン唸っている伊丸の他に、部屋に残ったままになっていた三人の小姓たちも、畏まった口調をといて「鈴しゃま凄い!」「鈴たま早い!」「鈴さまお見事!」と、子どもらしさを押し出してきゃっきゃと賑わっている。


 その様子があまりにも愛らしく、鈴は照れ臭さを覚えつつもほんのりと微笑んでみせる。


「わがままを聞き、道具を揃えてくださった皆様のおかげです。無事に修繕ができ、ホッとしました」


「ありがとうございます、ありがとうございます鈴様っ! これでかか様を悲しませないで済む……! うう、なんてお礼をいったらいいか……」


「お礼など良いのです。それよりも伊丸さん。これからお母様とお食事のお約束があるのですよね?」


「へ? えっと……はい!」


 鈴に問われると、伊丸は一瞬きょとんとしつつも勢いよく頷いて見せる。


 小さく頷きを返した鈴は、次いで感心したように着物を吟味している孤弥太を見やって言った。


「孤弥太さん、あの」


「むむ?」


「このお屋敷に、伊丸さんのお母様をお呼びたてしてもよろしいでしょうか?」


「なっ。なななななんと⁉︎ ただでさえ身元不明なあやかしを特別に招き入れているというのになぜに母親まで⁉︎」


「今から十三番街に戻るのでは約束のお時間に間に合うかわかりませんし、伊丸さんのお母様が着る予定だったお着物は、今、こちらにあります。おそらくお母様は着るものにも困っていることでしょうし、ちょっと気になる点もございまして」


「き、気になる点⁉︎ いや、しかしですな、鈴殿、」


「えっ⁉︎ かか様を呼んでいいの⁉︎ 神々の庭にっ⁉︎ すごいっ。すごいっっ。わーい、わーい! きっとかか様喜ぶ! 通信機どこ⁉︎ ぼく、かか様に連絡してくるっ」


「ちょ、まっ、待て坊主! まだ某はその件を許したわけじゃっ」


 言うが早いか、伊丸は素早い動きで旋風のように部屋を飛び出していく。


 目を丸くしてそれを見送る小姓たち。尻餅をついていた孤弥太は慌てて飛び起き、


「こっ、こら待てぃ坊主! 人の話は最後まで……」


 と、慌てて追いかけようとするも、すでに伊丸の足音は遠い彼方に消えている。


「ぬぬぬぬうう! 困りますぞ鈴殿! ここは神聖なる『神々の庭』。先達ては確かにあやかしの一部をこの屋敷に招いたりもしたが、それは天様の婚礼に伴い各種族の代表者を呼び立てたというだけであって、通常は特殊な事情がない限り下々の者をこの地に招き入れるなどあってはならないことで……っ」


「――こら孤弥太。そんなに声を荒げてどうした」


「……⁉︎」


「……!」


 興奮する孤弥太の声を、透明感のある美しい声がぴしゃりと遮った。


 驚いて背後を振り返る孤弥太と、目を瞬かせながら孤弥太の後ろに視線を投げる鈴。


 二人が投げた視線の先には、腕を組み、窘めるような顔つきで孤弥太を見下ろす天帝の姿があった。


「てっ……天様⁉︎⁉︎」


「主様……」


「孤弥太よ。鈴さんが……こほん、いや、〝私の妻〟が困っているだろう。何をそんなに息巻いている」


 天帝はどこか気恥ずかしそうに言い直してから、目を丸くしている鈴を庇い立てる。


「い、いや、これにはですな、色々とワケがありまして……って、そんなことよりも!」


 慌てる孤弥太はおたおたとしながらも、声をひっくり返して問いただした。


「天さまがなぜここに⁉︎」


「なぜって……自分の屋敷なのだから主人である私がいたって構わぬだろう」


「そ、それはそうですけども‼︎‼︎ て、天様、いつも一度ひとたび仕事で現世に出れば、人の子の願いを聞き入れようとあちこちを飛び回り、どんなに早くても一月ひとつき、放っておけばゆうに半年から一年は幽世に戻ってこぬではありませんかっっ!」


「鼻息が荒いぞ孤弥太。……独身時代の私と今の私を一緒にされては困る。私にはもう〝妻〟がいるのだからな。まだ幽世に慣れぬ妻の精神を支えるのは当然のことながら〝夫〟である私の役目。一日に一回……あ、いや、それは言い過ぎか。どんなに忙しくても二日に一度は必ず屋敷に帰って、鈴との対話の時間を設けると決めている」


「なっ、なんと……!」


 あいも変わらず〝妻〟や〝夫〟という文言を口にするときだけは目に見えてはにかみ、ほんのり頬を染めてそう宣言する天帝。孤弥太はそんな神の頂点と、ぱちくりと目を瞬く鈴を交互に見ながら嬉々として言った。


「それはよきお心構えっっ‼︎ いやはやまさかここまで天様が鈴殿に惚れ込んでいたとは……いやね、なぜに人の子相手にという疑問は残るもののそこはさておいて、ただでさえ天様は過重労働がすぎるのですから、この際、細々とした雑務は他の神々に任せ、しばらく長期休暇をとって新婚旅行、あるいはご静養がてら鈴殿と子作り旅にでも行かれてはどうで……ふぎゃっ」


「ゴホンッ。口を慎め孤弥太……。夫婦のことに関して、お主は余計な口出しをしなくていい」


 赤らめた顔を背けた天帝は、前のめりになっている孤弥太の頭をテシと押さえつけ、一刀両断する。しかしめげない孤弥太は短い腕でペシペシと帝の手を払いのけて尚も食い下がろうとする。


「ぬぐぐっ。でっ、ですがっ……」


「よいから。……それよりも話を戻そう。先ほどはいったい何を息巻いていたのだ?」


「むむっ。そうだ、忘れておりました。ええと、先ほどはですな……」


 まるで照れを隠すように話題を変える天帝。事情を問われれば、孤弥太は速やかに事の次第を報告する。


 十三番街へ視察をしに行ったが、そこで剽賊に遭って困っていた鎌鼬のあやかしに出会い、破れた着物を修繕するためにこの屋敷へ戻ってきたこと。


 そして、その鎌鼬と、鎌鼬の縁者のために鈴が料理を振る舞いたいと願い出ていることなど。


 鈴が緊張した面持ちで二人のやりとりを静観していると、天帝は不安そうな面持ちの鈴を一瞥してから、即答した。


「別にあやかしの一人や二人、屋敷に招き入れるぐらい良いではないか」


「なっ」


「……!」


「鈴」


「はい」


「その招いた客人に、其方が手料理を振る舞おうというのだろう?」


 天帝に返事を促された鈴は、すぐさまこくりと頷いてみせる。


 すると彼は、心なしか頬を緩めて「そうか」と相槌を打った。


「ならば私も、共にその料理を食そう。それなら孤弥太も、文句はないだろう?」


「なななっ、なんと! たっ、確かにそれならば文句はないのですがっ、で、ですが、天帝の妻とあろうものが炊事などと……」


「私は鈴の作る現世料理が好きなのだ。それに、ここはもう私と鈴、二人の屋敷でもある。彼女が料理をしたいというのなら自由にしてもらっていいし、屋敷周辺に配備している警護用付喪神さえ異常反応しなければ、適宜客人を呼んでもらって構わない。私の目に狂いがなければ、彼女には悪きものを見極める力がきちんと備わっているはずだからな。……違うか?」


「ぬ、ぬう」


「主様……」


 釘を刺すよう、ジト目で見やる天帝に、もはや何も言えなくなった孤弥太は「し、承知いたしました」と、首を垂れている。


「ならば決まりだ。……鈴」


「はい」


「私は自室で仕事をしている。料理ができたら呼んでくれ」


「畏まりました。ありがとうございます、主様」


「楽しみにしているぞ」


 深々と頭を下げる鈴に天帝は柔らかく微笑み、その場から春風のように立ち去っていく。


 残されたのは、やきもきしたようにそれを見送る孤弥太と、


「すみません孤弥太さん。……では、時間もないことですし、早速調理してまいりますね。御台所はどちらでしょうか」


 心なしか頬が上気し、高鳴る鼓動を隠すよう胸に手を当てて立ち上がる鈴。


 ――かくして鈴は、神の調理人だけが立ち入ることを許された広い台所に立ち、鎌鼬の親子をもてなすべく料理の準備を始めるのであった。


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