第4話 予期せぬ出会い

 ◇


 多くのあやかし、神霊、珍獣等で賑わう十三番街・巨大ターミナル。


 鈴と孤弥太が降り立ったのは、そのターミナル内の末端にある人気の少ない噴水広場だ。


 孤弥太がそこを選んだのは他でもない。ターミナルの中心部ともなると現世と幽世を行き来する者、あるいは幽世内の様々な街を行き来するあやかし達でごった返しているため、混雑回避はもちろんのこと、何より二人の安全を確保するために、あえて末端の広場を選んだのである。


「さ、鈴殿。こちらです」


「(すごい……)」


 行き交う者たちの様相もさることながら、噴水の水が宙で踊っていたり、植物の葉が不思議な音で合唱していたり、光り輝く蝶がふわふわ舞っていたりと、その幻想的な風景に心奪われつつも、鈴は孤弥太の後に続いて広場を歩き始める。


 人気は少ないものの、すれ違おうとする幾許かの者達は皆、鈴や孤弥太が身に纏っている羽織りの神紋を見ては慌てて道を開けたり恭しくお辞儀をしたりと、折り目正しく敬意を示している。


「あれは帝様の……!」


「まあ、お美しい!」


「わあ! 孤弥太さまだわ。ほら、しっかり頭下げて!」


 至るところからわずかに漏れ聞こえてくる声。


 今までずっと、奉公先の屋敷で憂さ晴らしのように虐げられてきた鈴にとってなんとも落ち着かない心地ではあったが、天帝の体裁を保つためにも毅然と振る舞わなければなるまい。


 孤弥太に倣い顔をあげ、胸をしゃんと張りつつもあまり音を立てないよう静々と歩く。


 ――ふと、その道の途中の噴水脇ベンチにて。


 紺色の甚平を着た半妖の少年が、両腕に何かを抱えて一人静かに泣いている姿が鈴の目に入った。


「ひっぐ」


 イタチのような丸い耳に美しい黄金色の髪。ベンチに腰掛けている少年のお尻辺りからは、するりと細長い猫のようなしっぽが飛び出している。


 体の大きさ、肉の付き方からして、外見はおよそ五、六歳前後の幼い男の子に見受けられるのだが……。


「……」


「ええと鈴殿。これからの予定なのだが、まずは軽くターミナルロータリー付近を視察した後、専用のタクシーでセンター通りに向かい、周辺を散策後、神々御用達の甘味処で一息ついてから……」


 前をゆく孤弥太が、不思議な形の手帳に視線を落としながらつらつら予定を語るなか、鈴はサッと着物の裾を翻し、泣きじゃくる少年の元へ歩み寄る。


「あの、もし」


「……っ⁉︎」


 少年は顔を上げて鈴を――厳密には鈴が身に纏う羽織の紋をだが――見て、目を見開いてから慌てて立ち上がり、いそいそと跪いてみせる。


「てっ、天帝さまの神紋……! ご、ごめんなさいっ。ぼく、気づかなくてっ。母上に神族のひとに遭遇したらちゃんと挨拶しないとってキツく言われてたのにっ」


「驚かせてすみません。どうか頭をお上げください」


「え、でもっ」


「わたくしは先達て天帝様に娶られました鈴と申します。まだこの世界へ足を踏み入れたばかりで……正直なところ、人様から頭を下げていただくような所以は何一つないのです」


「……」


「ですから、本当に頭を上げていただいて構いません」


 極力穏やかな声色で諭すようにそう願い出ると、少年はおずおずと顔を上げる。


 不安そうに鈴を見つめるそのつぶらな瞳は、泣き腫らした後のようにしょぼくれていた。


 鈴はキョロキョロとあたりを見渡すと、少年とともに人気のない木陰のベンチに移動する。


 ここであれば人目にもつきにくいし、遠慮なく喋ることができるだろう。


 ひと息ついたところで、鈴は改めて尋ねてみることにした。


「あの。貴方はイタチのあやかしさんですか?」


「……」


 こくん。両腕に何かを抱えたまま、肯定を示すよう弱々しく頷く少年。


「ぼく、〝鎌鼬かまいたち〟の伊丸いまる。あやかし幼稚園の年長組」


「そうですか。伊丸さん……素敵なお名前ですね」


 鈴は笑うのが得意ではない。だが、相手を怖がらせないよう精一杯目を細めて見せると、伊丸はやや嬉しそうに頬を赤らめた。


「かか様がつけてくれた名前なんだ。ぼくもすごく気に入ってる」


「お母様も伊丸さんのような愛らしいお子さんが生まれて、さぞや喜ばれていることでしょうね」


「へへ。うん! かか様はとおおおっても優しくて、いつもたああああっくさん僕と遊んでくれたり、いいいいいっぱい御本読んでくれたり、毎日すっっっごく美味しいご飯作ってくれたりして、僕、かか様がだああい好きなんだ! でも……」


「でも……?」


 自身の母親について語る伊丸は、それはそれは嬉々と目を輝かせてその偉大さを強調していたのが……ふいに声を顰めて、俯きがちにぽつりと溢す。


「でも最近のかか様はちょっと変なの」


「何かあったのですか?」


「わからない。でも、いつもお外でたくさん走り回って一緒に遊んでたのに、今は『ちょっと休憩』ってそればっかりで全然遊んでくれないし、御本読んでてもすぐに『ちょっと厠に』って言ってどこかにいなくなっちゃうし、ご飯も……お店で買ってきたものとかすぐにできるようなものばっかりで、あまり作ってくれなくなっちゃった」


「……」


 しょんぼりとした声色で、そうぼやく伊丸。


 鈴は小さく頷きながら、伊丸の背をそっと撫でる。


「なるほど。どこかお体が悪いのではないでしょうか?」


「僕もそう思ってかか様に聞いたんだけど、『病気じゃない』『あなたは心配しなくていい』ってそればっかりで……。でも、やっぱり心配だから、僕、かか様の好きなお酒や、おにくやおさかなを準備して、さぷらいずしたの。喜んでくれるかと思ってたんだけど……かか様、結局ほとんど食べてくれなかった」


「まあ。そんなことが」


「うん。かか様、おさしみとか、しんせんな生にくが大好きだから、隣のおうちのおばちゃんに手伝ってもらって、せっかく一生懸命さばいたのに……。すごく嫌そうな顔してた」


「……」


「それでね、これ……」


 ふとそこで、伊丸はしょぼくれていた顔をあげ、腕の中に抱えていた布を鈴に向かって差し出す。小首を傾げながら受け取って広げると、それはぼろぼろに引き裂かれた美しい紫陽花柄の着物だった。


「これは……」


「かか様が一番大事にしている着物なの。最近のかか様、いつもごろごろしててお洗濯もしなくなっちゃったから、僕がやろうと思って本当はお家で洗ってたんだけど……僕たちの手って、こんなでしょ?」


 そう言って握りしめた両手を差し出す伊丸。幼い彼の手は人間とイタチを足して二で割ったような様相をしており、彼がおずおずと両掌を広げると、それに連なるように手の甲の下あたりから鋭い鎌のような刃がしゅるりと姿を現した。


「鎌……」


「うん。僕たち鎌鼬だから。この刃、大人になるとちゃんと仕舞ったままにできるんだけど、僕みたいな子どもだと、ちょっとびっくりしたり〝かんじょう〟が動いただけで、いつのまにかパッと出てきちゃうことがあるの。それで、僕、お洗濯してる時に、うっかりかか様の着物を傷つけちゃって。慌ててお直し屋さんに直してもらおうと思って十三番街にきたんだけど、ガラの悪い奴らに着物を盗まれそうになって、必死に抵抗してたら、悪い奴らは撃退できたけど、いつのまにか着物がボロボロになっちゃって……」


 そういうことか、と、鈴はようやく合点がいったように深く頷いて見せる。


「なるほど。それで泣いていらしたのですね」


「うん……。もうこれじゃあこの着物、着られないし、かか様、きっとすごく悲しむ……」


 再び涙ぐんだ両目を腕で擦る伊丸。


 鈴はそんな伊丸を横目で見遣ったあと、今一度、手元の着物に視線を落とす。


 着物の中心部から背中にかけて、二、三、大きめな裂け目がある。糸はひきつれ、大きな裂け目以外にも細かな破れがいくつかある。一見、修復は絶望的に見えるが……うまくやれば縫合できないこともない。見栄え良く治すにはかなりの技量を必要とするだろうけれど、幸い、鈴には地獄のような女中生活で会得し、培ってきた裁縫スキルがある。


「お話はわかりました。では、お母様が大切にされていたというこのお着物が、見栄え良く修繕されれば良いというわけですね?」


「え⁉︎ それはそうだけど……でも、もうボロボロだから無理だと思うし、今日、夕刻から二人で一緒にご飯を食べに行こうってお話ししてて、かか様、とと様からもらったこの着物を着て行くって言ってたから、夕刻までに直さなきゃきっとバレちゃうよ……?」


「制限時間は夕刻まで……承知いたしました。でしたら取り急ぎ、参りましょう」


「へ? へ? へ……⁉︎」


 着物を大切に両手に抱えたまま、すっくと立ち上がる鈴。


 伊丸は目を瞬いてキョトンとしていたが、鈴が機敏な速さで元の場所に向かって歩き出すと、彼も慌てて立ち上がり、その後をついていく。


「――……というわけでして。えー、こほん。長くなりましたがね、天様の温情と計らいがあって今から数千年前にこの噴水広場が完成したというわけで……」


「申し訳ございません孤弥太さん。ちょっと急用ができまして、一度、お屋敷に戻らせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」


「……って、え? ええ⁉︎ いや、その鎌鼬の子はいったい⁉︎」


「誠に申し訳ございません。急ぎますのでご説明は牛車の中で……。視察の件も、後日改めてご一緒させていただければと存じております。……伊丸さん、お足元気をつけて、どうぞこちらにお乗りください」


「ええええ⁉︎ い、いやいやいやいや命令とあらば従わないわけにはいかぬのですが、それにしたって……って、ちょ、ま、鈴殿⁉︎ ちょっと待たれい鈴殿ォーーーーー‼︎」


 鈴、鈴に連れられた伊丸、そして慌てて追従する孤弥太は慌ただしくも牛車に乗り込み、着いたばかりの十三番街を飛び出すと、再び元の神々の庭に引き返す。


 あれだけ言動には注意しようと心していたものの、結局、予期せぬ騒動に進んで片足を突っ込んでしまった鈴は、その牛車の中で孤弥太に『天帝の妻とはなんたるや』を滔々と説き続けられるのであった。


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