第3話 老婆心ながら

 ◇


 不思議な紋印が刻まれた空飛ぶ牛車に乗り、今いる『神々の庭』(通称〝一番街〟というらしい)の領域を出、『歓楽の庭』(通称〝十三番街〟)と呼ばれる街の区域に入っていく。


 孤弥太いわく、なんでもこの〝幽世〟と呼ばれる世界は、複数の街で構成されているそうで、


 零番街は死者が住まう『黄泉の庭』。

 鈴達のいた一番街は神様が住まう『神々の庭』。

 二番街は霊獣や精霊が住まう『精霊獣の庭』。

 三番街はあやかし達が住まう『あやかしの庭』。

 四番街は大罪者が堕ちる『奈落の底(地獄)』。

 五番〜十二番にもそれぞれ街があって、

 そして今、向かっている十三番街は、幽世内の全種族が自由に行き来できる『歓楽の庭』といい、様々なあやかしや神霊たちが商業や観光、学問を目的に集う場所なのだという。


「孤弥太さま。十三番街が見えてまいりました。指定の降下位置もまもなくでございます」


「……うむ」


 運転手の声に導かれるよう窓の外を覗き込むと、真下には朱い摩天楼を中心とした莫大な領域、十三番街が広がっている。


 厳かで落ち着いた雰囲気の一番街とは違って、十三番街は様々な色や人、物、建物、明かりで賑わっているように鈴には見えた。


(綺麗……)


 いずれにしても、空から見下ろす幽世の世界は微睡むほど幻想的で、食い入るように物見窓の外を見つめる鈴と、その向かいに座るやや不貞腐顔の孤弥太。


「いやしかし本当に頼みますぞ鈴殿……。その羽織には天帝の眷族を示す神紋が施されている。くれぐれも粗相の……いや、鈴殿の場合は天上人らしからぬ粗野な振る舞いをせぬよう肝に銘じて欲しいのだが……」


「承知し……最善を尽くさせて頂きます」


「……」


 明らかに孤弥太の顔には『不安だ』といった、憂鬱と苦慮を足して二で割ったような表情が浮かんでいる。


 申し訳ないなと思いつつも、染み付いた女中癖は早々抜けるものでもない。


 可能な限り余計な口は開かないでおこうと心に誓いつつ……牛車に揺られながら、再び逡巡する鈴。


「……」


 ごとごと。ごとごと。


 やはりどうしても気になることがあり、鈴はそろりと孤弥太の顔色を窺う。


「あの」


「……む? 十三番街のターミナルならもう間もなくだ。ターミナルは幽世内だけでなく、現世と幽世をつなぐ玄関のような役割も担っておってな。まずはその辺りを見物してから……」


「いえ。一つ、天帝さまについてお訊きしたいことがあるのですが」


「ふむ? 某は天さまとの付き合いが長い。何なりと伺いましょうぞ」


「その……なぜ天帝さまは、私のような普通の人間の娘を花嫁に選ばれたのでしょうか」


 鈴が尋ねると、それまで自信満々といった表情をしていた孤弥太は表情を曇らせた。


「それは某の方が問い詰めたいぐらいなのだが……まあ、個人的感情はさておき、天さまが鈴殿を見初めた〝きっかけ〟であれば某も把握している」


「きっかけ、ですか?」


「うむ。鈴殿は女中として奉公する前、『月神村』のとある神社に身を寄せておっただろう?」


「……はい」


 孤弥太の指摘の通り、鈴は生まれてすぐ、月神村唯一の神社であった『月神神社』に捨てられ、そこの神主に拾われて育てられてきた娘だ。


 しかし十四の頃に育ての親が病気で他界し、神社は敢えなく衰退。身寄りをなくした鈴は村で一番の名家である屋敷に『女中』として引き取られ、そこで虐げられて暮らしてきたというわけなのだが……。


「鈴殿が親代わりの神主を手伝い、巫女として月神神社に奉仕していた頃、天さまは所用により一度、そこへ出向いておる」


「……!」


「その時にお主と対面しているのだが……まあ、この幽世とは違って現世での出来事だからな。天さまから鈴殿の顔は見えても、鈴殿から神である天さまのご尊顔は拝せぬ状態だったはずだ。視えたとしてもそれはおそらく光の塊のようなもの。覚えていなくて当然だ」


 言われてみて気がつく。あやかしなどが視える体質の鈴は、確かに過去に一度、神社で光り輝く神様のような存在と遭遇したことがあった。


 今にも消えそうな弱々しい光を目にして、鈴は慌てて自炊した料理や御供えであった神酒を振る舞い、数日間にわたって甲斐甲斐しく世話を焼いた記憶がある。


 まさかその時のご縁が今日に繋がるだなんて……と、鈴は未だ信じられないような気持ちで孤弥太を見る。


「天さまはとにかく休むことを知らず他者のことばかりを気にされて常に現世を飛び回っているような御方だから、気を緩めると一気に疲労や疲弊が出てしまわれるんだ。そんな時に振る舞われた料理や気遣いはたまらなく天さまの心を癒したのであろうな」


「……」


「その後しばらく、口にせずとも目に見えて鈴殿のことを気にかけておって……やがて某が忘れかけていた頃にあの村で水害が起き、天さまは鈴殿を救うため、とっさに禁忌を破ってしまわれたというわけだ」


「そうだったのですか……」


 孤弥太の話で、鈴はようやく自分がここに行き着いた理由を把握する。


(天さま……)


 素直にありがたいと思う気持ちが半分、禁忌を破らせてしまって申し訳ないと思う気持ちが半分。鈴は天帝の優しさをしっかりと胸に刻む。


「今のお話で、私が幽世ここへきた理由を概ね理解することができました。ありがとうございます、孤弥太さん」


「構わぬ。シャイな天さまのことだから、某が言わぬ限りお主へは延々と伝わらなかっただろうしな。じじいの老婆心としては、鈴殿と天さまには少しでも……いや一分一秒でも早く絆を深めて貰って、すぐにでも子作りに入って貰いたいところなのだが……」


「……え?」


「ゴフン。あ、いや、こっちの話だ」


「あ、いや、その……」


「ん? なんだ?」


「失礼を承知でもう一点お伺いしたいのですが……」


「何なりと伺いますぞ」


「孤弥太さまはおいくつなのでしょうか?」


 おずおずと尋ねる鈴に、孤弥太は一瞬きょとんと目を丸くしてから何食わぬ顔で答える。


「歳か……。某は天さまが生まれて間もない頃に、天さまのお力によって生み出された眷属だからな。もう幾つになったかなど覚えておらぬし、数えてすらおらぬ」


「……」


「もしやお主、見た目が幼いからといって某のことを年端もいかぬ幼な子だと思っていたのではあるまいな⁉︎」


「十二、三ほどの少年だと思っておりました」


 正直に伝えると、孤弥太は額に手を当てて「カアーッ」と嘆きながら天を仰いだ。


「ぬううん。だからやっぱり外見にはもっと貫禄を持たせるべきだというのに……。天さまめ……。威厳のある老成した外見にしてくれと何度口酸っぱく申し上げても『態度の大きい孤弥太が見た目まで老成したら皆が萎縮してしまうし、その姿の方が癒しと愛着があって良いからそのままで』と仰られて一向に受け入れてくれようとしないのだ。ぐぬぬ、解せぬ……」


「……」


 渋い顔でそうぼやく孤弥太はやはり可愛いくて癒やしがあるなと鈴は思ってしまったりもして……。


 そうこうしてるうちに、目的地である十三番街のターミナルが見えてくる。


 牛車は緩やかに上空を下降し、やがて多くのあやかしで賑わうそこへ着陸・停車して、鈴は幽世へきて初めての外の世界へゆっくりと降り立ったのだった。

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