第2話 目付役と元女中の新米花嫁

 ◇



「二十歳を迎えるまでの一年間、子作りはせずに花嫁修行ォ⁉︎」


 翌朝の御座敷にて。


 恭しく室内に入ってきた従者と思しき少年――外見は十二、三歳ほどの狐耳をした男の子だ――に、昨晩、布団の中で天帝と交わした会話の内容を伝えると、少年はたいそう目を丸くして素っ頓狂な声をあげた。


「……はい。妻や母になることへの不安を問われ、未熟者ゆえ今はまだどちらも自信がない旨を正直にお伝えしましたところ、とりあえず二十歳を迎えるまではそういうつもりでいこうと主さまが仰ってくださって……」


「ななな、なんと……。ぐぬぬう、せえっかくあの働き虫のてんさまが妻を娶られ、これでようやくお世継ぎが期待できる(そしてあわよくば天さまの仕事量が減って少しでも体が休められるようになるのでは)と期待していたというのに! はあああ……もう、まあああったくあの御方という人は……!」


 今はここに姿のない天帝に向けて、きいきい言いながら地団駄を踏む狐の少年。


 噂の天帝はといえば、寝室で目を覚ました時にはすでに隣の布団から姿を消しており、『やはり全ては自分にとって都合の良い夢だったのか』とぼんやり納得しかけたところで、昨日同様、花嫁支度を手伝ってくれた狐耳の少年少女(こちらは今目の前にいる少年と違って、いずれも五〜七歳ぐらいの幼子に見える)が襖を開けて登場し、夢ではなかったことを自覚させられた。


 そして彼らにああでもないこうでもないと着物をあてがわれた後、最終的に今着ている薄紫色の着物にあれよあれよと着替えさせられ、移動の後、しばらくこの部屋で待つよう言われて待機していると、今目の前にいる従者らしき狐耳の少年が恭しくやってきて、この地団駄に至った、というわけなのだ。


「むう……禁忌破りをおかしてまで人の子を拾ってきたかと思えば、妻にするだの子作りはしないだのと申して……いったい何を考えておられるのか……」


「……」


 さも懐疑的な眼差しでちらりと鈴のことをチラリと見やる少年。


 虐げられることには慣れているが、迷惑をかけることには未だ慣れない。鈴がすまなそうに視線を落とすと、彼はふう、と長い息を吐き出した後に言った。


「まあ、鈴殿に申しても仕方がないか。……っと、挨拶が遅れたな。それがしは天さまの側近中の側近、孤弥太こやたと申す。天さまは普段屋敷におらぬことが多い御方ゆえ、某が鈴殿の目付役を任された」


「……そうだったのですね。孤弥太様、不束者ですがどうぞよろしくお願い申し上げます」


「まっ、待て待て鈴殿! 某、態度はでかいが位は鈴殿よりも下だ。孤弥太ではなく『孤弥太』と呼び捨てにしてもらって構わぬ」


「でも……」


「良いから! でないと天さまに絞られる……。ああ見えて天さまは怒らせるとげにも恐ろしい御方なのだぞ」


「そうなのですか。では……孤弥太……さん」


「いや、〝さん〟も不要なのだが……まあ、そこは追々でも構わぬか。とにもかくにも、今後、何か困ったことや入り用の際は気兼ねなく某に申しつけて貰って構わない」


「……わかりました。ご丁寧にありがとうございます」


 鈴が床に手をつき深々と頭を下げると、「だから鈴殿、貴女はもう人に頭を下げるような身分ではないのだから……」と、天を仰がれ呆れられてしまった。


 女中としての心構えが染み付いてしまっている鈴にとって、神の妻としての立ち振る舞い――これが、何よりも難しい試練だといえる。


「すみません……」


「まあよい。それよりも鈴殿に見合う着物がないと、身支度を担当した御小姓達から先ほど報告を受けた。立ち振る舞いもさることながら、まずは身なりに気を遣わなければ天帝の妻として示しがつかぬだろう」


「……? 今着ている着物で私は充分に満足しているのですが」


「なりませぬ。それは間に合わせで見繕った部屋着のようなもの。屋敷内ならともかく、その格好で外に出るなど言語道断。鈴殿には相応の召物を纏って頂かなければならぬ」


「そう……ですか」


「うむ。まあ、そこで屋敷に仕立て屋を呼ぼうとしたのだが……思えば鈴殿はまだ幽世に来てまもない元・現世うつしよの住人」


「うつしよ……」


 そういえば天帝も『この幽世で』と仰っていたっけと、鈴は今さらながらにその言葉を思い馳せていると、孤弥太がことのついでに詳細を解いた。


「今いるこの世界が『幽世』。鈴殿が先達てまで暮らしていた世界が『現世』だ。貴殿は水害で死んだわけではなく、天さまに救われ、〝人間〟としてこの『幽世』にやってきた。本来ならそれは禁忌タブーとして絶対にやってはならぬことではあったが、天さまが鈴殿を娶る、という形でことなきを得たのだ」


「そうだったのですか……」


 昨晩言われた『制約』の二文字が鈴の頭の中によぎる。


 そうか。そういうことだったのかと、鈴はいまだ半信半疑な気持ちでその説明を一旦は受け止めながら、ではなぜ天帝が初対面である自分を救おうと思ったのか非常に気になった。


 しかし、それを尋ねるタイミングもなく、孤弥太は話の先を続ける。


「多少話が逸れたが、つまり現世人である鈴殿は、まだこの幽世のことを何も知らないでいる。天帝の妻ともなれば、当然この世界のことについてはしかと把握しておかねばなるまい。よって、今日は仕立て屋を呼ぶのではなく某と共に外へ出て、着物を見繕うと同時に幽世見学でもされてはどうかなと」


「……まあ。お外に出られるのですね?」


「さよう。鈴殿に異論がなければ、すぐに出立の準備に入る」


「喜んでお供いたします」


「いや、だからだな。お供するのは某の方で……」


「準備して参ります。お出口はどちらでしょうか」


「⁉︎」


 大きなお屋敷を静かに速やかに移動することには手慣れている鈴は、正座から無駄のない動きで立ち上がると、着物の裾を片手で押さえながら機敏な動きで部屋を飛び出していく。――それも、


「いや待て待て待てちょっと待てい! だから鈴殿、なぜ貴女が先に……って、歩くの早すぎますぞ鈴殿! いやだから、ちょ、待たれい鈴殿ーーー!」


 孤弥太の叫びも届かぬほどの速さで。


 かくして、先行きが不安になる孤弥太のため息と共に、鈴の花嫁修行生活第一日目が始まったのであった。


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