第5話 祝福だけを



 ***



 後輩のヨモツにタイをたくすと、シュカは独り公園へ向かった。


 遠いむかし、まだ白玉はくぎょくの学生だったころ、彼女とよく立ち寄った公園だ。


 うっすらと寒い。鮮やかなペイズリーの柄の印刷されたスカーフをそっと巻き直す。ホワイトムスクの香は、彼女が愛していたもので、それを真似た。スカーフも彼女からの贈り物で、これ以外は身につけないと決めていた。

 公園の中央には、枯葉を浮かべ冷たくこごった小さな池がある。

 そのほとりにあるいつものベンチに独り腰掛け、シュカは小さく溜息をいた。



 自分の青春は、何も、どれも、全然キレイじゃなかった。



 一学年上の彼女が同性を愛さないことなんて知っていた。それでも追いかけ続けた。結婚式で純白のドレスをまとって微笑む彼女は本当にしあわせそうで、苦しくて恋しくてこのまま死んでしまえればいいのにと願ったのに、投げられたブーケはこの手に落ちた。


 あの時シュカは、ヨモツに渡すべきだったろう黄色のタイを、ポケットの中に忍ばせていた。あれだけは、どうしても渡せなかった。あのタグに名前を並べるのは、彼女と自分だけにしておきたかった。


 諦めようと紹介された相手とした結婚は瞬く間に破綻した。あれは自分が悪かったと思うけれど、暴力を受け入れる理由にはならなかった。


 選んだ職業が産婦人科の看護師で、その勤め先にしあわせそうな彼女が来たのはなんの運命のいたずらだったのだろう。

 半年以上、その大きくなってゆくお腹を見守った。寿ことほぐべきことなのに、かつての苦く甘く愛おしかった時代が、現実に握り潰されてゆくかのようで呪わしかった。



 だのに。



 分娩後の出血が止まらず、彼女の酸素飽和度サチュレーションが下がってゆくのを血の気が引く思いで見ていた。急遽子宮摘出手術が行われる事になり、シュカも走った。取り出された彼女の子宮と胎盤を運んだのはシュカだった。


 どうして。

 どうしてこんなことになるの。


 神様。私からこの人を取り上げないで下さい。

 人生も命も何もかも差し出すから、この人の為に戦って散るならそれでいいから、お願いします。

 神様。

 どうか神様。

 奪って行かないで。



 そう願ったのに――。



 電子音が心停止を告げる。その瞬間に居合わせたのが、彼女の夫でなくてシュカだったというのは、一体なんの皮肉だろうか。そもそも分娩に立ち会う気すらなかった彼女の夫は、その日遠方に出張に行っていた。


 彼女の命を奪い、代わりに産まれた美しくてやわらかな命を、愛すればいいのか憎めばいいのか、シュカには分からなかった。


 その時既にお腹にいた子を抱えて夫とは離婚。後に彼女の夫と再婚し、シュカはユウヒと生まれたシエンを育てた。


 二人は、どんどんとあの頃の自分達に似てくる。

 ただ違ったのは、娘達の間にあったのは、自分と彼女の間には生まれなかった、そしてシュカが死ぬほど欲しかったものだった。


 何に対する嫉妬だったのか。

 それとも福音だったのか。


 シュカは小さく微笑むと、ゆっくり立ち上がった。


 水鳥が水面みなもを叩きながら羽ばたいてゆく。


『シュカみて! とんだ!』


 かつて、彼女が笑いながらそう言った記憶がよみがえる。

 ああ、本当にキレイで鮮やかな人だった。一生をかけても忘れられない、たった一人の人だった。



 この先に何があるのかは、もうわからないけれど、もう娘達に自分達を投影するのはやめよう。

 同じ子宮という内臓オルガンをもつ姉妹に、戦い行く者達に、祝福だけを残そう。



 そう決めて、公園をあとにした。



                          (了)


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オルガンの姉妹 珠邑ミト @mitotamamura

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