第4話 水色の糸




 ***



 からりとヨモツが社会科準備室のドアを開け中に入る。ユウヒもそれに続いた。


「失礼します」


 会釈してから一歩を踏み出した室内は、相も変わらず雑多に資料が積み上げられていた。かすかなほこりと印刷物の匂い。そしてヨモツのあとに続く柑橘の香りがユウヒの鼻孔をくすぐる。


「きて、こっちよ」


 ヨモツは自身のデスクの前に立っていた。見ればその上に乗せられているのは小さな茶封筒ひとつのみ。

 あれ、と困惑する。


「先生あの、造花は?」

「ごめんなさいね。あれ届くの午後なの。これをあなたに渡さないといけなくて」

「これ?」


 ヨモツのすらりとした指先が茶封筒を持ち上げ、それをユウヒに差し出した。


「あの、先生これ」

「シュカ先輩から、あなたに」


 ざわり、とユウヒの身の内に焦燥が走る。


「先生」


 シュカ、というのは継母の名だ。

 ヨモツはこくりと頷くと、もう一度「ごめんなさいね」とささやいた。

 母と継母、それからヨモツもまた、かつてこの白玉はくぎょく女学園に通っていた。一学年ずつへだて、三人は同じ時間と空間を共有している。


「下の妹さんの留学に、シュカ先輩も一緒についていくんでしょ?」

「――はい」


 父と継母の間にはもう一人、メイという妹がいる。メイの海外留学が決まり、継母がそれについていく事は以前からユウヒもシエンも聞いていた。


「その前に、あなたにこれを渡しておきたいって。預かったの。あなたたち、休日も家に帰らないからって」

「わたしに、ですか? シエンじゃなく?」


 困惑しながら受け取ると、ヨモツはユウヒの右肩をぽん、と叩いてその横を通り過ぎた。そのまま準備室を出ていこうとするので慌てて振り返ると、ヨモツも髪をさらりと流しながらこちらへ視線を向けていた。


「ここ、使ってくれていいから。カギはいつも通り引き出しの中ね」


 さみしげに薄く微笑むと、ヨモツは本当にそのまま準備室を出て行ってしまった。

 意図も意味も分からず、ユウヒは手の中の茶封筒を見降ろす。軽くやわらかな膨らみを感じるそれに、一体何が入っているというのか。継母の冷たい泥のような眼差しを思い出し、背筋につうっと寒いものが走る。

 迷いの時間をおいて、ユウヒは心を決めると封をあけた。



 中からするりと零れ落ちたのは、一葉の一筆箋と、きれいにアイロンがけしてたたまれた黄色いタイだった。



 はっとしてタイのタグを見る。

 そこに水色の糸で刺繍されていたのは、母の名と継母の名だった。


 恐る恐る、裏になっていた一筆箋を表にかえす。

 そして、わずか二行にまとめられた言葉に視線を奪われた。



『ユウヒさんへ。あなたのお母さんのタイをお返しします。

 あなた達は、どうか自由に、しあわせに生きてください』




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