第8話 優しさだけがその人の武器
二人を見送ってから、辺りの空気はピリピリとしたものになった。私の長い人生の中でも人と人が戦う状況というのは数少ないものだ。何せ、争う理由が無いのだから。
いにしえと比べれば資源も無い、取ったところで名誉も意味がない、私は『大魔導士』の名誉に固執したが…。直接、殺そうなどとは考えもしなかった。この星では殺し合う理由があまりにも少なすぎるのだ。
彼は十分すぎるくらいの殺意に満ちていた。セイバ・ユリーシィ…。齢にして40を超え、50に近いであろうにも関わらずノーエルに向けた殺気と闘志は歳を感じさせなかった。歯を食いしばり、喉元を食いちぎらんばかりに両腕に力を込めている。片手で抑えているノーエルがどこかおかしいのだと思わせるが。
「戦う理由はないはずだ。見逃してくれと許しを請えば事情によっては許されるだろう…。何故、勝ち目のない戦いを挑む?」
ノーエルと戦っても勝算は一ミリにも満たない。彼に勝った、勝ちそうになった、僅かでも傷を付けた人間、生物は存在していないのだ。20年近くこちらの情報を聞いてないセイバにも分かっているはずだ。だって、5歳の頃にライトに並んでいた…いや、勝っていたのだ。
「彼女を…!ミリアムを生かしたいからだ!!俺が護らなければ、星の為に君は彼女を殺すだろう!?」
有り得ない、ノーエルが人を傷つけるはずがない。
口に出したかったが、思われても仕方ないのだ。
「…星の害になるものなら、殺さなければならない。だが、その判断をするのは…」
「少しでも…!彼女を救いたいんだ!!俺は!!」
更に押し込もうと、両足に力が入っているのが見える。普通であれば、これだけ力を入れたのならと思える。相手がノーエルでさえなければ。
「『救う』…か」
言葉にはほんの少しだけ、空虚のような、虚無の感情が込められていた気がした。
「そうだ、『救世主』!お前には誰も…!」
それ以上は、言わせては――!
「おい!リオン!!お前そんなとこで突っ立ってないで手伝えよ!!」
ふと、反対側から声が響く。ペスケくんの声だ。
「無理ですよ!!いつ、彼女から攻撃が来るか…」
「リオンくん。『キャストキャンセル』は射程距離がある。私の始祖も1キロが限度と資料にあった」
「え?そうなんですか…?…始祖…?」
『キャストキャンセル』の技術自体は『魔王の力』ではない。いわば副作用だ。かつて、『ミリル・アートヴァンス』の名前を持った『大魔導士』が『魔王』から分け与えられた力を研究していった結果、応用して編み出した技術だ。『魔王』自体が使えた…という記述は今のところ見つかっていない。
だとすると、何故ミリアムが使えているのかには疑問が残るが…。恐らくは、『魔王』の『記憶』から無理矢理再現したのかも…。
「血は繋がってないから正確な始祖とは言えないが…。あの技術は『ミリル・アートヴァンス』のものなのだよ」
「…だから知ってたんですね。もぅ…」
リオンくんは少し力を抜いたようだが、まだ動きが不明な者が一人いる。警戒を解いてもらっては困るな。
「ペスケ。一人で十分相手できるだろう」
半ば呆れるようにノーエルが呟いた。先ほどは不意を突かれたが、ペスケくんの実力であれば十二分に相手ができる…と思われる。
「嫌だなー?ノーエル。私は楽がしたいのさ、両方やってくれよ」
「…俺は…」
ノーエルはまだ、何か悩んでいる。言われかけた事を飲み込めていないのだ。
まったく同じ事を言われようとしたのだからな…。あの時と。
「…俺の目的は『救世主』の足止めだ。二人ほど追いかけたようだが、戦う意思がないのなら帰って貰おうか」
呟きながら、手慣れた所作で剣を収めた。立派な心掛けだ。勝てないと分かっているからこそ、覚悟が決まっているからこそ足止めだけに留めた。説得しなければならないのはこちら側のはずなのに向こうから持ち掛けられてしまうとはな。
「…ったく。仕方ねぇなー。おい!お前!!名乗りな」
「………」
『デスサイズ』を肩に乗せながら、ペスケくんは見知らぬ女性に話しかける。顔立ちは…やや幼いように見えるが、子供である訳はない。状況や年齢を逆算して考えればそうなってしまうからだ。予想でしかないが、恐らくは24か25…になるだろうか。
左腕に奇妙な鱗がびっしりと張り付いているが、肌の上から被せたようにも防具を装備しているようにも見えない。まるで、地肌から生えているかのように…。
「その子はフェイヲンだ。俺のボートに乗りこんできた」
…だろうな。ミリアムが誰かを連れてくる事は考えられない。有り得るとしたら、追いかけて船を出した君の荷物の中に紛れる…。間違いないだろう。
「はっ!喋らないなー?言葉は一番のコミュニケーション手段だ。喉は潰れてねーだろ?ちょっとは喋ってみな!」
「………」
ペスケくんの挑発にもまったく乗る様子はない。言葉が聞こえてない、という様子が一番正しい気がする。だが、最初から聞こえてない、という風ではない。
「…うるさいのは、…きらい…」
左手を強く握りしめていた。
そう、聞く価値がない、と判断されているのだ。
「奇遇だな。私も本心を喋らないやつはきらいなんだ」
気のせいだろうか、視線は彼女…フェイヲンに向いてなかった気がする。
「……俺か」
小さくノーエルが何事か呟いた。君の名誉の為に聞かなかった事にしよう。
「さっきの一発は中々効いたぜぇ…?格闘スタイルは魔導錬気か封気連打のどっちかだろ?」
小さく、フェイヲンは反応した。どちらかに正解があったようだ。
魔導錬気は掌打による打撃を基本とし、相手の魔力を奪いながら自分の気として練り上げる自己強化型の戦法だ。
封気連打は相手の魔力の流れを堰き止めるツボを刺激する事で弱体化させながら、堰き止めて貯めた魔力を攻撃に転用させる相手弱化の戦法だ。
共通点は拳をよく使う事だ。どちらも繊細な動きを要求される。魔力に関しても肉体に関しても、意識を集中させるのに手という部分はよく働く。人体でこれほど精密に動かせる場所もそうそう無いものだ。
「まぁ…あの腕を見ればわかりますよね」
リオンは小さく呟いた。フェイヲンの強みは…恐らくではあるが、あの異形の腕だ。長所を伸ばそうと思うのなら拳主体の戦法には自然となるだろう。
「冷めるような事言うなよなー?喋らないからこっちからお喋りしてやろうってのに」
「………」
フェイヲンは口を開こうとしない。「こちらにはその気はない」。視線だけでそう発しているような気がする。
「当ててやろう。小さい頃から武道に精通してた訳じゃないな…。ここに来てから2~3年後くらいだろう。型を意識した動きだった」
ペスケくんは自分の戦闘スタイル以外にも見聞が広い。少しでも戦法が違う者がいると興味深く観察し、僅かでも効率良く戦えないか日夜研究している様な人物だ。
「ユリーシィのやつもそういうタイプだった…。師はこいつで間違い無いだろう。剣に予備があるほど資材に余裕があるようには見えないし…、別の戦い方を教える事に違和感は持てないな。何より」
『デスサイズ』を持ったまま、人差し指で、ある部分を指さした。落としたら危ないからその持ち方はやめろ、と何度も言ったはずだが。
「コンプレックスを武器に出来る。その腕…、見た覚えがあるぞ」
…見た覚えがある?私は知らない…はずだが…。
「…おいおい、ミリルさん。全然知らないって顔じゃねーかよ」
「え?あぁ…えーっと。すまない、心当たりが…」
あの鱗は龍に近い。というのも、つい最近に似たような鱗を見たからだ。同一とは違う、とは言い切れるから『滅竜』とは違うのだろう。何より、そういった呪いの類の話を聞いた事がない。
呪い…呪い?…。
…確証は持てないが…。
「……龍殺しの…呪い…」
遥か昔、龍殺しの一族…というのがいたらしい。その一族はかつて、神であると崇められた龍を殺し、怒った龍は死に際に一族の子供の体が徐々に龍へと変わるように呪いをかけた…という。呪いは血にかけられており、一族が子供を残そうとすると一定の確率で忌み子として生まれ落ちてしまう。伝承によれば…完全に龍になった子供は一族を滅ぼす力を持つと書かれていた。
私が引っかかっているのはそこではない。そんな伝承があった、という事を忘れていた訳ではない。一番の問題は…。
「だが…龍殺しの呪いは『外』の話だったはず…」
現代に残された文献には粗さがある。この伝承もその一つである。
全てが全て、正しいとは限らないのである。これはどんな時代においても当たり前の事で、この伝承は創作である可能性だってある。何せ、発端は『外』だ。『外』とは文字通り『外』である。
あの文献を見つけたのは『マギニカ』の北部にある『観測所』内部だった。巨大な望遠鏡があり、そこには特に…支離滅裂な文章が多かった。現代において、理解するには時間がかかる代物ばかりだ。
我々がいる世界は『多元異世界群』の六番目とされていて、正確な名称が無かった為、便宜上この星の事を『シックス』と呼んでいる。もっとも、そんな名称を使うのは私やペスケくんみたいな研究家気質なものだけで星に名前を付けるのはもっと人が多くなってからの方がいいだろう。
龍殺しの呪いは『多元異世界群』の十番目にあたる世界のお話で、この星の話ではない。私には『多元異世界群』の構造を理解できないが…、文面通りに受け取るのなら、遥か昔にはこの星と同じような人が住める環境を世界として一単位にして、自由に他の世界へ行けるようになっていて、異世界同士の交流によってこの話が残された…と考えるのが自然である。
『シリウス』は『外』へ売り出す為のものなのも『多元異世界群』を裏付ける話の一つだ。『シリウス』は量産を目的に設計されていたことが『マギニカ』の資料から判明している。だが、この星一つに量産した所で意味が無い。『シリウス』には発展性がないのだ。最初から完璧に設計された生き物であるが為に、それ以上大きくなる事はない。中規模の街を何個も一から作るよりは小規模の街を拡大していく事の方がよっぽど楽であるし合理的である。何より、今より豊かであった古代においても『シリウス』にかかる予算は莫大だ。
『外』は確実に存在した。確かめる方法もない空論に近い存在ではあるが。『外』へ行くための施設とされるものが『観測所』と『カントリーヒル』南の方に残されている。そこにも『外』に関する記述が複数存在している。
だとすると…。『外』にあったはずの呪いがこの星に…?龍殺しの一族は『フォーアス』達の伝記には残っていなかった。他の文献から一族の情報を察するにあれほどの影響力を持った一族がいるのなら『フォーアス』と関わりがあるはずなのだ。呪いが今の時代に現れたのは…血が受け継がれたからのはずがない。
「しかし…。私には納得できない部分がいくつかある。仮に…仮に再現したのだとしても…」
「知ってるはずだぜ。ミリルさん、そういうのが好きな男がいる」
「…何の話…ですか?」
『外』の事について詳しく調べていたのは…ラムダだ。元々、彼はそういった事に憑りつかれていた。ノーエルやベクルからラムダの姿を見たことがほとんどないという話を聞いた時もそうだろうな、と薄々思っていた。彼は今のこの星に興味がないのだ。
「君も知ってるだろう。ラムダくんの事だよ、彼は魔物関係の研究にも精通していた」
「ラムダが…。じゃあ、本当に『行方不明者』って…」
ラムダの名を出した時、僅かにフェイヲンが反応したような気がした。知っているはずだ、同年代で『マギニカ』に住んでいたものなら知らない人はいない。
「……っ!」
構えた。フェイヲンはペスケくんに対して、真っ直ぐに。苛立ちを今すぐにでも、誰かにぶつけてやりたいと言わんばかりにだ。殺気立っているのが私程度にもはっきりと分かる。
「知ってるんだろ?お前も…私はあいつの…」
――「姉だよ」
ガキィン!
甲高い音が響く、鱗と、金属が叩き合った音だ。左手は真っ直ぐに、『デスサイズ』を砕かんばかりにぶつけられていた。防御に武器を選ぶのは危険でもあるが有効打ではある。素手であれば刃で受けられると殴った勢いのままに自分の手を傷つけてしまうだろう。だが、それが金属より硬いものを纏っていたら武器の方にも危険性がある。『デスサイズ』は簡単に砕ける代物ではないはずだが。
技はないように見えた、純粋に苛ついたから殴ったのだ。競り合いの力みなのか、怒りなのか断言は出来ないが青筋が立っているように見えた。
「悪かったなぁ!弟があれこれしちまって!言い訳すっと私でも制御できなかったんだわ!」
「…っ!!」
更に力みが入ったようだった。左手は僅かにペスケくんを押した。単純な力比べで彼女に勝ったのだ。それだけで驚異的だ。
「はっ!随分ときつい稽古を付けられたな…?あのユリーシィから鍛えられただけでここまでになる筈がない…」
ペスケくんはあれでもこの星の中では指折りの実力者だ。ここ最近は戦闘に関してサボっているようだが…。地力というものは簡単に落ちるものではない。
何より、彼女もまた、ノーエルと同じ天才型なのだ。力の使い方を幼い頃より感覚だけで伸ばしてきた。そこから先は知識だけだ。体の使い方を知り、より効率よく、より敵をいたぶれるように能力を向上させてきた。
「だけど、分かるか?私がこうやって相手してやってるって事は!」
そう、彼女がわざわざ戦いにのっているという事は。
「――お前が雑魚だって事だよ!!」
弾き返した、左腕を持ってかれたフェイヲンは体勢を崩すと素早く、地面を蹴って後ろへ飛び退こうとした。
「遅い!!」
もう地面を蹴ってしまったフェイヲンは、一回転して払った『デスサイズ』を左手に、右手で詰めてきたペスケくんに対応できなかった。
空中で取れる防御姿勢は限られている。払われた腕は即座には使えない。出そうとした右腕は右手を捉えるに至らなかった。左腕は払われて遠心力が働いている、右腕だけで正面を防御するのは至難の業だった。
胸元を抑えたペスケくんは、そのままフェイヲンを地面に押し付けた。立場は一瞬の内に逆転した。まるで、そう計算していたかのように。
「いいか、力ってのは自分より弱い相手に振るうのが正解なんだよ」
笑いながら勝ち誇る彼女は、とてもじゃないが正義の味方には見えなかった。元々、そういうキャラではないだろうが。
ペスケくんの性根はその一言に凝縮されている。自分より強い相手と戦う事はしない。少しでも勝ち目が無いと判断すれば絶対に戦わない。勝率を計算して必ず勝てる相手としか彼女は戦わないのだ。
「…っ!!っ!!」
両手で何とか引きはがそうとしているが、右手一本で抑えられている。実力差ではない、胸元を上手く圧迫する事で呼吸を難しくしている。恐らく、右手が見えた時、首を抑えられると思っていたはずだ。絞められないようにずらす事は防御法として練習済みであろう事を想定して胸元を狙ったのだ。
「どうする、ノーエル。こいつ、やっちゃっていいか?」
褒められるべきではないが、彼女は命が崩れゆく様を観察する事に興味を持っている。どのように切り刻む事で、どのようにして命が消えゆくのか。
もちろん、有効活用する為に知りたがっているのだ。どこが限界点で、どうすれば命が繋げるのか。精一杯のフォローをしようと思うとこれくらいしか思いつかないのだが…。
「…いや…」
ノーエルは曖昧な返事をした。今は、それどころではないと言った所だ。彼自身も悩んでいる所があるからこそだろう。
「おい!せめてふん縛るか遊んでいいのか言ってくれよ!」
あくまで判断はノーエルに任せた。これが彼女の良心からなのか、自分より強い相手に伺いを立てるべきだと思ったからなのかは本人に聞かなければ分からないだろう。
「縛るって言ったって…紐の類は持ってきてませんし…」
「よく言った!リオン!じゃあ…」
リオンが選択肢の一つを潰してしまった。
残った選択肢は一つだ。
「遊んで…!」
『デスサイズ』を掲げた瞬間、ペスケくんは自分の違和感に気づいた。
「…『封』」
「こいつ…!」
腕にいつの間にか、フェイヲンの指が刺さっていた。その場所は確か…!
「『激』!」
撫でるように前腕をなぞると、ペスケくんの体が自然と後ろへ傾いた。
「『破』!」
まだ少し、前に伸びていた前腕を両手で挟んで叩くと、ペスケくんの上腕の辺りから魔力が逆流した。無色の光はペスケくんの体を大きく吹き飛ばし、拘束を解くには十分すぎる反撃となった。
この戦闘スタイルは間違いない…!
「てめぇ!封気連打かよ!!」
『封』で体の中に流れる魔力を止め、上腕部分に堰き止めて『激』で流れを変えて体の中央へ向かわせて『破』で止めていた部分を解放する。この反撃には力は必要ない。繊細な魔力操作と、人体の仕組みを知っていればあらゆる敵に対抗できるとされている。何せ、反撃しているのは自分自身の魔力なのだから。
ペスケくんの右腕は内部から攻撃されて、僅かに出血が見られる。本来なら、腕を破壊されてもおかしくはない決まり方をしたが、あの程度で済んでいるのは彼女自身が強いからだ。自分の身体の耐久力だけで何とか耐えた。だが…。
「…ちっ!傷つくのは趣味じゃねえんだよな…」
ダメージは大した事が無いはずだ。だが、相手が封気連打だと分が悪い。
ツボを突かれるのは簡単に防げるものではない。触れられたら終わり、くらいの心持で相対せねばならない。恐らく、この戦法にしたのは…。
「『救世主』サマになら通用するかも…って事か」
試された事が無いが、彼に通用…するとは思えない。もちろん、これは私の常識であって運用しようと考えるのは自然な話である。
人体の仕組みはいかにノーエルといえど変える事が出来ない。ましてや、彼の内部にある魔力は膨大だ。この星の中で、彼を傷つけられるのは彼しかいない。であれば相手の魔力を利用する封気連打は好相性と言えなくもない。
「………」
フェイヲンは無言で構えた。次の動きは予測できない。
「…はっ!余裕を取り戻した目付きだ…。一個出来る事が見つかって安心したか?」
ペスケくんは相変わらずだ。次の動きは予測できる。
間違いない、挑発しながら突っ込む。
「いいか?弱いのが強いのに勝つ為には油断を突いた時に一回で勝たなきゃダメなんだ…。つまり、お前はもう…」
『デスサイズ』を構えた。やはり、仕掛けるなら君からだろうな。
「勝てねぇよ!!」
両手で『デスサイズ』を振り上げ、一瞬でフェイヲンの目の前まで詰めて見せた。
…ペスケくんにしては遅い…?
「…っ!」
振り下ろした『デスサイズ』を間一髪で避け、目線はペスケくんの足元へ向かっていた。
「『封』!」
フェイヲンの指が右足に向かう。有効打だ、間違いなく『封』のツボに入った。
右足に狙いを絞ったのも彼女の狙いだろう、片側を集中的に崩す腹づもりに違いない。と、なれば次は…打撃を入れずに距離を取る…か?
「この野郎!!」
振り下ろした『デスサイズ』から手を離し、右腕で払って飛び退かした。
ペスケくんの右足は『封』によって封じられた。魔力で強化する事が出来ない状態では、フェイヲンの素早い動きに対応できない。
「おかしいな…。あんな苦戦するはずは」
私にも違和感はあった。リオンが改めて口にしてくれた事で確信に変わった。間違いない、手加減している…?しかし、何のために?
彼女はその性質上、手加減というものを嫌うはずだ。弱い相手は被害を受ける前にいたぶり尽くして何もさせずに勝つのを信条としていたような人間だ。思っていたよりもダメージは深いのか…?私は知識だけしかないから封気連打がどれだけ人体に有効なのかを文字上でしか知らない。周りに使い手もいなかった…対人体に特化した戦法は人対人の環境が無かった今の時代では未知の戦法である。
だが、それを差し引いてもペスケくんの戦闘力が落ちすぎているきらいはある。弟の事で負い目でもあるのか…?まさか、そんな事を気にする人間では…。
「ペスケ…。お前…」
ノーエルは戦いをじっと見つめていた。彼にだって思う所はあるだろう。彼女の強さは彼が一番知っているはずだ。
「はっ…!思ったよりきついな…」
右足が僅かに震えているように見える。普段、力を込められていた部位が不調をきたせばバランスというものはどうやって崩れてしまう。ましてや、右腕もやられているのだ。片側だけで立っていられるのは彼女がそれだけ強いから…としか言い様がない。
「…あなたは…」
「あ?」
こちらに聞こえないくらいの声でフェイヲンが口を開いた。ペスケくんの距離ならば聞こえるだろうが、私達までは聞こえてこない。
「本当に…ラムダの姉なの…」
ペスケくんはニヤリと笑った。質問の内容はある程度、予想が付くような気がした。
「…ああそうだよ。ラムダ・ツインランサーの姉、ペスケード・ツインランサーだ」
「何故…。彼をあそこまで放っておいたの」
両方共、小声で聞こえてこないが、ペスケくんはこちらの方に視線を送った。
「放っておいた?んなこたぁ無いさ。重力に引かれた物はいくら引っ張ろうとも落ちていくもんだ」
「あの人は…『死後の世界』を本気で信じてる」
「だろうな。じゃなきゃ龍殺しの呪いなんて再現しようと思わねぇだろ」
「あなたも…そうなんでしょう?」
ペスケくんはフッと笑った。小馬鹿にしたような笑い方ではない、優しい、年少者に向けるような微笑みだ。
「教えといてやるよ。死はもっとも無意味だ」
今まで聞こえてこなかった話し声が、ここだけハッキリと聞こえた。まるで私達に聞かせたいかのように。
「私のやり方は生きているものに価値を見出す事さ。死ぬのは価値を全部引き出してからでいい。お前を生かしているのも…まだ価値があるからさ」
笑みに攻撃性が増した。口角が引きあがり、視線は刺すようにフェイヲンの…左腕に向かっている。まさか、まさかとは思うが…。
フェイヲンは視線に気づくと動きは速かった。
次に攻撃しようとしたのは左腕。右足は封じたままでいい、それは最も正しいやり方だ。先の攻撃では有効打を与えたが、完全に機能を奪った訳ではない。右足よりも反撃の可能性がある左腕を破壊した方が確実に相手を倒す事が出来る。
何より、右腕にダメージを負ったペスケくんは左手に『デスサイズ』を持っている。ペスケくんの左側に回った方が『デスサイズ』による反撃を受けづらい。右側に力が入らない今の状態では右から左への攻撃がとても難しいのだ。
私の計算通り、ペスケくんは簡単に左をとられた。反応は出来ても、体は追いついていない。フェイヲンの手は、すぐそこまで伸びている。
「攻撃するのは…右手…」
当然だ、向かい合っている相手の内側を攻撃しない限りは右手で腕のツボを攻撃しにいくだろう。何より、『デスサイズ』による反撃を避けにいっているのだ。左手での攻撃は弾かれる確率が高く、万が一『デスサイズ』を振られた時に左手で抑える事を考えると右手での攻撃が効果的だろう。
だとすれば、これで決着だ。ペスケくんはこの時の為だけに、今までの行動を計算立てていたのだから。
「…っ!」
フェイヲンの右手は真っ直ぐにペスケくんの左腕に伸びた。ここからの反撃ルートはこうだ。まず、向かってくる右手を左腕で迎えに行く。
「なっ!?」
自分から相手の右手を受けにいく事で攻撃の着弾位置をずらす。ツボから少しずらしてしまえば『封』の影響は軽微に抑えられる。まだ攻撃を受けておらず、万全に動かせる左腕だからこそ出来る方法だ。
左手に持った『デスサイズ』を空中に手放す。受けた左腕をフェイヲンに押し付けるようにして左に払うとフェイヲンの体勢が崩れる。右手を払われたフェイヲンは正面が無防備になる。咄嗟に防御しようと思えば左腕を使う事になる。
ペスケくんの狙いは…恐らく最初からずっと左腕だ。払った後、左足で踏み込んで左手を伸ばすと、フェイヲンの左腕を防御に使われるより先に取った。
二の腕辺りはまだ人体の部分だ。肘の部分を上から押さえつければ左腕での反撃は出来ない。体勢を崩していたフェイヲンはそのまま取られた左腕に引っ張られて倒れ込む。手放された『デスサイズ』は、空中にある。
後は、右腕で落ちてくる『デスサイズ』を取ってしまえば…。勝負はそこで終わりだ。
「嘘…っ?!」
私は目を瞑った。その後に何をするか、分かっていたからだ。今までの危険な冒険の中で、そういったシーンに出くわさなかった訳ではない。血を見るのに今更抵抗などあるものか。
ただ、慣れ切ってしまってはいけない。それだけは心の中で思っていた事でもあり、ライトからも言われていた言葉だ。
重い、金属が地面にたたきつけられる音が響く。何が起こったかは、自分の中で振り返りたくはない。
「あああああぁぁぁあああっ!!!!」
フェイヲンの悲鳴が響く。間違いない、これで勝負アリだ。
左腕は…ペスケくんのものだ。狙った通りだな。
「はっ!…これでもうお前の価値は無しだ」
最初から左腕を取る為だけにわざと苦戦したのだ。ノーエルに止められる可能性を極限まで減らすには自分が追い込まれ、戦闘力を奪うしかない、という所まで説得力を持たせなければならない。この結果を、ノーエルは責められない。
「フェイヲン!!…くっ…!」
セイバは歯を食いしばりながらペスケくんを睨みつけていた。
「…ペスケ…」
ノーエルは呆然としてペスケくんを見つめていた。彼がこの戦闘を請け負おうと思えば出来たのだ。二人を相手に一人でも圧倒出来るし、それが最善だった。
しかし、出来なかった。彼には人を傷つける事など出来ないから。いわば『呪い』だ。父親から、星の皆からかけられてしまった『呪い』。
「…あぁ…っ!!うっ…!」
「どうする?私はもう、処理した方が良いと思うんだがな?」
ペスケくんは明らかにノーエルに向けて話しかけた。決定権は彼にある。この場で一番強いのは彼で、生殺与奪を決められるのは彼だけだからだ。
「…俺の答えを聞くまでもないだろう」
ノーエルは『陽光灼蘭』に手をかけた。戦うつもりだ、セイバと。
「…はっ。仕方ねぇなぁ」
小さく呟くと、私に向かって手招きをした。治療道具を持っているのは荷物持ちの私だからだ。大き目の鞄に手を突っ込みながら、リオンの身体を叩いて共に向かうように指示した。
「ペスケくん…。大分無茶をしたな。そこまでしてあの腕が必要だったか?」
縫合用の糸と包帯、医療器具のハサミに針に消毒液。レストくんから念のため預かっていた薬草を取り出して磨り潰しておいた薬液も出して準備をしておく。
私が鞄をあさっている間にペスケくんは自分の太腿辺りを指でなぞって場所を探している。…そういえば、まだ『封』を受けたままだったな。『解』をゆっくりと突くと右足を曲げて、伸ばして感覚を確かめている。
「必要だったんじゃない。不要だったから斬ったのさ。ったく…ラムダの野郎」
ぼやきながら右腕を振っている。『デスサイズ』の重みと残っていた力で叩き切ったがダメージは確実に入っているはずだ。リオンは私が指示を出すよりも早く治癒魔法の準備に入った。
魔法で回復出来る範囲は限られている。細胞を活性化させ、内部の傷や外傷を塞ぐのが主なやり方だが塞がるからといって乱用は出来ない。通常では時間がかかるものを速めているのだ。魔力だけで塞げるのなら、それに越した事はないが。
ふと、視線を動かした時。フェイヲンは右手で左腕を抑えながらもなんとか立ち上がろうとしていた。まだ戦闘しようと思っているのか。
「死にたくないのなら動かない事だ。その傷を塞げるのはこの場に私しかいないんだぜ?」
フェイヲンの目にはまだ闘志が宿っている。まだ腕一本、そう言いかえる事は出来るがこれ以上の戦闘は無意味だ。
「利き腕を怪我してますからね…。こっちの治療を優先させてください」
当然だが、ペスケくんが治療を行うのだから彼女の腕が満足に動かなければ治療は出来ない。左腕という心臓に近い部分を損傷したのだからその治療には万全を期さなければ。
「足止めが目的ならば君はそこで寝転がってるだけで達成できる。彼女の腕が治らないと君の傷も広がってしまう可能性がある…。堪えてくれ」
手が空いている私が出血を抑える為に圧迫したいのだが、残念ながらこの場では私が一番弱い。これだけの手負い相手でも簡単に振り払われてしまうだろう。まずは彼女から反抗の気勢を削がなければならない。
私が両手を挙げて危害を加えるつもりはない事を示すと、フェイヲンは目の力を少しだけ緩めた。私が非戦闘員である事はセイバから聞いているはずだ。見た目も…こんなだしな。
「…正直、僕は腕を見た時からラムダの仕業じゃないか…というのは気づいていました。魔物や呪術には詳しかったですから」
リオンは視線をあの左腕に送る。間近で改めて見ると、鱗はビッシリと張り巡らされていて、とても外から付けたようには見えない。内部から変容している、と表現するのが正しいのだろう。人体を魔物化する…、というのは私の祖先が行った事である。かつての『大魔導士ミリル・アートヴァンス』は『魔王』から分け与えられた力によって自分の人体を魔物化させて永遠の命を得たらしい。…それならば、今もどこかで生きていなければおかしいのだが、確かめる術はない。だが、そこから『シリウス』の開発までしっかり携わっていたらしい事は資料には残っている。
恐らくだが…。ラムダに先を越されたのだろう。『マギニカ』にはまだ私も読破していない魔導書が幾らでも残っている。私が生きた年月は百に近いくらいしか無い。この星に残された全ての知識を吸収するには時間が足りなさすぎる。
「まったく…。あいつは馬鹿でしかないよ。んなことしたって何にもならない事を分かって実行に移すのは」
彼が行おうとしていた事を考えてみる…。龍殺しの一族にかけられたという呪い。わざわざそれを狙って再現しようとしたのには意味があるはずだ。ペスケくんは無意味だとまず断じたが、その奥には何を考えて実行し、どんな結果を出力しようとしたのかの真意を汲み取ってから無意味だと言ったのだろう。彼女は私には知らないラムダの一面を知っている。それに、先ほどのフェイヲンとの聞こえなかった会話…。
彼女が無意味だと言い切るのは『死』に関する事が多い。確率論から探るのは論者としては根拠が少なすぎるが…。龍殺しの一族への呪いは『死』によって打ち切られる事がある。記述によるとお腹の中にいる時から体の一部が龍に変異していて、その子を間引いたり流産によって命を落とすと、次に宿った命には呪いがかかりづらいのだという。呪いが絶対ではない、というのは原因が不明だ。殺された恨みから呪いをかける、というのは筋が通っているが確実に一族を滅ぼそうと思うのなら呪いは絶対であるべきだ。命の散り際にかけた、というのを信じるとそこまで高度なものをかけられなかったと考える事も出来るが…、実際にそうとしか書かれていないのでそう信じるしかない。…『死』によって回避できる、とも捉えられるのなら一族を増やし過ぎないようにする呪いであった?滅ぼすのではなく、抑制の呪いだと考えれば辻褄はあう。
『死』が関係する呪いである事が確定であるのなら、ラムダは…もしかしたら、フェイヲンを…。
「…まさか、とは思うが。ラムダはこの子を殺そうとしていたのか?」
この星には『死後の世界』についての記述が幾つかある。それは、『外』にも存在するもので、記述によればごくありふれたものであるとどの記述にも共通していた。人間というものは『死』を恐れる。生きているものであれば当たり前の感情であり、逃げ道を求めるのも当然の道理だ。そこで、人々は『死後の世界』を求めだした。『死』によって終わるのではなく、『死』によって始まる事を望んだのだ。
一族にかけられた呪いは『死』によって回避でき、『死』だけでは消滅できない呪いである。血を絶えさせれば消えるだろうが、それは呪いの外の話だ。滅びを最初の目標とされていない限り、これは続く事に意味がある。最終到着点は見えないが、滅亡は呪いをかけた龍自体が望んでいないのだろう。そこから計算できそうな所は…。
『死』によって何かを始めようとしていた…。それは、ある程度何かを集める為のものかもしれない。呪いが『死』で回避できると分かれば必要最低限の犠牲を払おうと考えるのは当然の摂理だ。龍殺しの一族がある程度死ぬ事を許容し、その事が必要だったと考えるのであれば、我々が生きているこの生者の世界ではなく『死後の世界』にそれが必要だったと考える事が出来る。だとすれば、その呪いを再現しようとした意味は…。
『死後の世界』を見つける事だ。同じ呪いにかかれば、魂か魔力かは分からないが何かの力が『死後の世界』へ向かう。足跡を辿ろうと思えば…今の設備では難しいが、何らかの痕跡は残るかもしれない。だが、それが残る事は『死後の世界』の実在を意味する。
「生かそうと思ってたのならこんな事しねぇよ…。再現性だって中途半端だ。ただ、人の身体の一部を竜のように変質させただけ…」
上腕を縛り付けて簡単な止血を済ませると、空いた手で傍らに落ちた…左腕を触ってみた。つい最近、本物の竜の鱗を触ったばかりだ。どこまで再現されているかを正確に判定できるだろう。流石に生きた竜を触った事はないが。
鱗の質感は本物そっくりだ…。『滅竜』には及ばないが、硬度、感触、材質…。自分の手先の感覚を信じるのであれば、本当に竜に変質させたのだろう。外観や、表面の質感をここまで再現するだけでも私より優れている。生体変化は私の管轄外でもあるから追い抜かれて当然でもあるのだが…。
「…完全に魔物に変質したら、どうなるんですか?」
リオンが私も思っていた事を口に出した。呪いを再現したとあれば、身体の一部が竜となって、やがてそれは全身に至るはずだ。人の姿をした竜に変質したとしたら、どうなってしまうかは記述に無かった。そうなる前に間引かれているからだ。
「頭の中身まで書き換わったら、同じ人間であると思えるか?」
魔物とは魔力で生きる物である。『魔力』は意思を持っていて、それが考えている通りに動く。機械と大差はない。いにしえの機械は自分で考えて、自分で行動できたという。自我の芽生えなど様々な小話が記述されていたのを何度か閲覧しているが、現代において確認できた事は一つもない。つまり、人の身体が魔物に書き換わった場合、元からあった自我や意思はどこへ行くのかという問題だ。
…私の祖先にも通じる問題だな。『大魔導士』は魔物と定義しているのなら、私は…私達は魔物の意思を継いでいる事になるのだろうか。
「まさか、あなた…」
フェイヲンが突然、口を開いた。
「私が…竜になる前に…」
呪いの進行速度は比較的遅いと結論付ける事が出来る。どんなに短くともかけられてから16年はかかっているのだから。それだけの年月で前腕のみの変質であれば全身に至るまでにどれだけかかるかは不明だ。急速に進行する可能性だってある。
出来る対処として考えられるのは…早急に切り離す事だ。そうすればそれ以上の進行を食い止められる。解呪の方法なんてかけた本人以外に分かりようがなく、こんなものをかけた時点で解くつもりなんてないのだから…これが最善と言えば最善である。
「はっ!さっき言った言葉忘れたのか?お前はもう無価値だ。ラムダの奴がした事は馬鹿野郎だが、やっちまったものは有効活用すべきだ。サンプルとして切り取ってな?」
ペスケくんは右手を閉じては開く事を繰り返すと、フェイヲンの傍へ寄った。これから治療を始めるつもりらしい。
「お前には言ってなかったが、私は他人に迷惑をかける事に喜びを感じない性質なんだ。『救世主』サマが殺すなと言うのならそうするしかねぇんだよ」
自分勝手に動きはするが、どこまでも奔放という訳ではない。良識を手放さないのは彼女を彼女たらしめる大事な部分である。これは、彼女が臆病だからではない。本当に、心の底から他者を害するのが楽しくないからやってないだけなのである。やっても楽しくない事はやらない。だが自分の意見と行動は指針としてはっきり明示する。彼女がノーエルに気に入られている一番の部分だ。
「そんな事…一言も…」
「人殺しだけは絶対にするなと言われてるんでね。じゃなけりゃ、このまま放置して何分後に死ぬのか計ってやりたい所さ」
ペスケくんなら…やりかねない。今はノーエルの目の届く所にいるから悪さはしないだろうが…。
「…ミリルさん?たぶんですけど…冗談ですよ?」
「んだよ。冗談に聞こえたのか?」
へらへらと笑いながらもその手を止めず、事に当たる彼女はある種、頼もしく見えるのだった。
「ラムダの奴、お前に何をした?」
「…子供のころ、一緒に遊んでた。私の名前を気に入ったとか…そんな事を言ってた」
「名前…?フェイヲン…。特別、何か引っかかるものはねぇ気がするんだが…」
「私には適正が無い…って言ってた…。もしかしたら、呪いが進行する前に死ぬかもって…」
「…はっ。大事な部分を聞きそびれたな。それはやられたのか?それとも望んだのか?」
「…友達だと、思ってた。占いでよく遊んでくれた…。あの日も、新しい占いを見つけたって…」
「………」
「自分の身体が変わっていくのが怖くって…。他の人に見つかったらどうなるか…怖くって…逃げ出して…たまたまあった船の中に隠れた…」
「……占いに興味があったのは事実だな。私が教えたからな」
「…『死後の世界』の事なんて、占いの一環だと思ってた…。実際にあるだなんて確認できる手段はないんだから…」
「正しい判断ができてるみたいだな。脳にダメージは無いと診断してやる」
「僕は行けないから…君が行ってくれって…。笑いながら…そう言ってた…」
「…変わんねぇな。あの野郎…」
「逃げた時…『やっぱり救世主しかいない』って…」
「………」
ノーエルは既に『陽光灼蘭』を抜いていた。セイバと相対し、にらみ合っている。こちらから仕掛ける道理はないからだ。話し合いで解決できれば何よりだが…、彼の態度から考えるに、強硬手段を取らざるを得ない…気がしている。
「俺はあなたに世話になった事も憶えている。小さい頃、『マギニカ』を案内してもらったな」
「ああ…。ライトさんの息子だからな。あの人は正しく、『勇者』に相応しかった…」
「…『勇者』…」
それは、いにしえの『勇者』が『フォーアス』だからではなく、彼が『勇者』であるに相応しいと皆が判断したからこその称号だ。彼を知るものであれば、誰もが『勇者』と呼ぶことであろう。
「相応しすぎた…。それ以上は向こう百年…千年は生まれないだろうと皆が口を揃えた」
「………」
「常に無欲で他者を気遣い、突出した能力は無く己を立てず、名誉を仲間に分けて貰えるものはたった一つでいいと言った…。それが『勇者』の称号」
彼は理想の英雄だった。『エーワンス』にいる数百人の冒険者達全ての能力を把握して適切な指示を出し、被害は最小限に、功績は最大限に出来た。得られたものは己のものにせず、ただ一つ望んだのは『勇者』の称号。彼と一緒にいれば何でも出来る気がした。それは私だけでなく、共に冒険したみんなが思い描いていたものであろう。
「俺も…父さんを尊敬していた。あの人のようになりたいと…常に思っていた」
「なら分かるだろう?ライトさんは、彼女に『役割』があると言ったんだ」
その通りだ。ライトは『培養槽』の中のミリアムを見て、「取り出そう」と言ったんだ。この命には『役割』があると。
私は正直、反対した。処分されていない、という事は確かに『役割』がある事を示唆していた。この星が滅びに向かう時、ほとんどの『培養槽』の中身が処分された。残っていたのは『勇者』に関する記述のあるものと『魔王』に関する記述があるものだ。この内、『勇者』に関するものだけ取り出されていた。『マギニカ』に残されていたこれまでの過去の資料から察するに、一万年前から既に取り出されていた事が確認されている。処分の記録と参照したので間違いない、ミリアムは処分されずに残されたのだ。
ただ…、書かれている事があまりに不穏過ぎた。『魔王の力』の再現を狙って作られた…と読み取れる資料が見つかっていたからだ。この資料は、何故か古代言語の中でも複雑に暗号化されていて…まるで誰かに知られるのを恐れるかのように奥深くに隠されていたからだ。中身が私の解読内容で合っているのかどうかも分からない。それで正解だと言ってくれる人も資料も何も見つかっていないのだから。『滅竜』なら何か知っているかもしれなかったが…、彼女と話す時間は余りにも短すぎた。何より、私としてはミリアムは死んだものだと思っていたからだ。もっと早く察する事が出来れば間違いなく聞いていたものだが…。
「『役割』…。『シリウス』を蘇らせる事か?」
今の彼女の目的は間違いなくそれだ。この星の『魔力』を全て食らい尽くして『シリウス』を復活させる事。『シリウス』の上部には海中に潜った時に緊急浮上用のコントロールエリアがある。この街のライフラインは入口近くに集中しているが、そこが故障した時や何らかの非常時には上部のコントロールエリアの命令が優先される。
これらを悪用しようと思うならこうだ。通常の方法では過剰に『魔力』を集める事が不可能な設計になっている。だが、非常時だと『シリウス』に誤認させる事が出来るのなら、その命令は何よりも優先される。今でこそ人は住んでいないが平時であればここは街で、多くの人が生きているはずだからだ。
「違う…。彼女はその使命に惹かれて生きている訳じゃない」
セイバの顔はどこか悲し気だった。彼女を護ろうと思うのならば、その考えに同調したからこそではなかったのか。
「今の彼女は…いや、それ以前から。彼女は何かに憑りつかれているんだ」
「憑りつかれている…?」
「破壊衝動の事か…?確かに、そう表現してもおかしくない子だった」
ハッキリ言って異常だった。子供ならば誰しもが気に食わないものを壊したくなる衝動を覚えたことはあるはずだ。我慢できるのが正常とは言わない。我慢できない時があっても正常と言える。ただ、彼女の言った言葉の中で…いくつか引っかかるものがあったのは事実だ。
「俺は…。彼女にただ生きていて欲しいだけなんだ。そんな『役割』があってもおかしくないはずだ」
「ただ…生きているだけ…」
それは奇しくも、ノーエルの望んでいるものと近しいものがあった。
ノーエルは、他の人にはただ生きていて欲しい。それ以外の仕事は全て自分が請け負えればいい。艱難辛苦は全て自分の元に。痛みや苦しみは自分だけでいい。
何故なら、彼を傷つけるものはこの星に何一つないから。
他の人に耐えられないものも自分が耐えられるなら、全て自分が受ければいい。
「この場所はある意味で天啓だった。ここならいくら壊しても文句は言われない」
そうだろう。何せ、誰も住んでいないしどこにも干渉しないのだから。
「ならば、ここでただ生きていればいい。三人が生きているだけならば俺たちに止める理由なんてない」
その通りだ。生きる権利を止めに来た訳ではない。
「君ならば…。ライトさんの息子である君ならば、彼女を救えるというのか?」
「憑りつかれているものの正体は分からない…。だが、少なくとも、殺しにきた訳ではない」
「…そうだ!ノーエルくんに人殺しはできない!私が保証しよう!」
絶対だ。ノーエルに出来るはずがないと断言しよう。
複雑な言葉で飾り立てる事はしたくない。一言でいい。
ノーエルに人殺しはできない。
「だから…!我々が戦う理由は…」
信じてくれ、としか言い様がない。セイバが知っているのは旅立ち前のノーエルでしかない。子供の頃、無邪気に父親の強さに憧れて目指していた幼きノーエルならば、力の加減を誤る可能性があったかもしれない。
でも、今の彼は違う。それだけは断言できるんだ。
――「駄目だ…」
セイバは小さく言葉を漏らした。
「ただ強いだけの君に…彼女を救えるとは思えない」
ノーエルが一番聞きたくないであろう言葉が、小さく響いた。
「…そうか」
「彼女は俺の制止も聞かないほどになってしまった…。完全に止めるには、力で抑えつけるしかない。だとしたら…君は…」
「…しない!彼に人殺しはできないんだ!セイバ!」
セイバは最悪を想定している。この星の事を考えるのであれば、最悪の手段はミリアムの殺害だ。たった一人の我儘のために星が滅びるなどという事を許してはいけない。その結論に至った場合、誰が殺せるのかと考えたらノーエルだ。今の彼女は通常の戦力では討つ事は出来ない。
だとしても。
だとしてもだ。
「ミリルさん…。いいんだ」
「だが!!」
「最悪…そうしなければ止められないと言うのなら…。それも俺の『役割』なのだろう」
駄目だ、君がそんな事を言っては。
「…やはり、そうだ!君は強いだけの『救世主』!ライトさんのようにみんなを救う事は出来ない!!」
「やめろ…ノーエルくん…!やめるんだ…!」
また、自分の身を削ろうとしている。
君の悪い癖だ、そんなところだけ父親に似る必要なんてない。
「俺の力では救えないと、そう判断したのなら。お前には救えると言うのか?」
セイバは剣を抜いた。言葉は無くとも、それが答えだ。
「救えるかどうかは結果でしかない…。俺は彼女を救いたい!!」
「試してみろ。俺に一太刀でも浴びせる事が出来るのならお前が『救世主』だ」
彼はノーエルがどんな想いで戦ってきたのかを知らない。『勇者』の息子として、『救世主』の称号を与えられたものとして、何を背負おうとしてきたのかを。
「俺にそんな称号はいらない!彼女一人を救う事が出来るのなら!!」
セイバが踏み込んだ瞬間、姿が消えた。『疾風剣』だ。素早い斬撃でまずは先手を取ろうとした。正しい判断だ。初撃は素早く、相手の力を少しでも削ぐ攻撃をしたほうが効果的になる。
――相手がノーエルでさえなければ。
「……っ!」
セイバが剣をノーエルの首筋に当てている。
滑稽だ。何も知らない人が見れば、直前で寸止めしているかのように見えるだろう。
相対した人間だけが、何が起きているのかを把握できるのだ。その先には行けないと。
「…なんだ…っ!これは!!」
右手一本では刃が通らない事を知ったセイバは両手で握りこんで押し込もうとした。だが、鋭く磨かれ、剣先が光を眩しく反射するほど手入れされた剣であってもその先には行けないのだ。
それはまるで、岩を斬ろうと木の棒をふるうようなもの。意識だけは強く持っていたとしても、手の先の感覚で「出来ない」と脳が判断してしまうくらいの強度を持っている。例えばこれが、小高い土の山であったのなら、僅かに沈む事から「もう少し力があれば」と思う事が出来てしまう。だけど、ノーエル相手にはそれが無いのだ。
「これは無理だ」。直感が体全体に警鐘を鳴らし、本当なら諦めたくないのに本能がやめろと叫ぶような。
「一太刀でいい、と言ったんだ。やってみろ」
セイバは思わず距離を取った。妥当だ。無理をする必要なんてどこにもない。
「…どうした?救いたいんじゃないのか?」
「…いや、これは…」
明らかに動揺している。いくら強いと言っても、彼が知ってる上限はライトくらいなものだろう。今のセイバの力は…恐らくではあるが、ライトに並ぶか超えているだろう。私が見ていた時はそこまではいかなかったが、彼女…ミリアムを救いたいという気持ちで強くなったのは確かだ。歳も既に50近いはずだが、その齢になっても尚、成長しているのは驚嘆の一言に値する。
だが、相手が悪すぎる。セイバの成長は傍から見れば異常な曲線を描いて伸びているはずなのにノーエルを追い越す事はできないのだ。
「なら、お前に救えるモノなんて一つもない。後は俺に任せていればいい」
「…っ!まだだ!!」
もう一度、セイバは勢いよく斬りこんだ。今度はさっきよりも鋭く。
今度こそ、本気で。そういう事ではない。超えられない壁を見て、今まで出せなかった力を一段階超えているのだろう。
その壁は、たった一段では超えられない。
――「……っ!!何故だ!!」
何度も、何度も剣をノーエルに向かって…叩きつける。斬りつけるではない、だって、何も斬れていないのだから。
「過去に…!ライトさんに一太刀浴びせた事ならあった!あの時より強くなった…!今なら…!!」
ただ、ひたすらに叩かれ続けているノーエルは僅かに体を動かすと、セイバの剣が弾かれて飛んで行った。
「…俺は父さんの様に、やられてあげるなんて事は出来ない。髪の毛一本ですら、自分では簡単に切れないのだから」
ノーエルの長髪は好んで伸ばしている訳ではない。彼自身が、生まれつきの体質を制御できていないのだ。自分が傷つこうとすると、『魔力』による身体強化が発生してしまう。まるでセンサーによって正確に判定されているかのように、自分の視界に捉えていなくとも受ける衝撃を自動で抑えてしまうのだ。
これによって不都合が起きている訳ではないし、改善する必要もない。それがノーエルの見解だった。仮にこれを解除する方法が見つかった所で、それが癖になってしまうといざという時に困ってしまう。このモードは常にONの状態が好ましいのだ。
「…まさか、そんな…」
セイバは打ちひしがれていた。挫折を経験したのは一度や二度ではないだろう。彼ほどの歳になれば尚更だ。
ただ、彼の目の中の火は、まだ消えていないように見えた。
「折れていないというのなら、剣を持て」
ノーエルは抜いていた『陽光灼蘭』で、弾き飛ばした剣を指した。
「撃ちあってやる。その目から光が無くなるまで、徹底的に」
セイバは心のどこかで諦めていない。ミリアムを救いたいという気持ちは本物なのだ。でなければ、これ程の相手を前にして降参しないという選択を取らない。普通ならば、初撃で全てが決まっていたのだ。確かに、全力を出していなかったかもしれないと思い直す事はあれど、斬ろうと思って振り切った刃があそこまで完全に止まってしまえば逃げる、諦めるが選択肢に入るのが当然なのだ。
だが、セイバは逃げも諦めもしなかった。立ち向かおうとしているのだ、この圧倒的なまでの壁に。
弾き飛ばされた剣を拾い、構え直すとノーエルを正面に睨んだ。闘志は枯れていない。彼をここまで動かすものは、何だ。
「撃ちあう…だと…?」
「体を斬りはしない。その剣と心が折れるまで、いくらでもかかってくるといい」
本当に人が諦める時は、相手に負けた時ではない。自分に負けた時だ。
例えば、ここでノーエルが一閃して深手を負わせればセイバの負けだ。だが、それだけでセイバが諦めるはずがない。心に火が灯っている人間は、相手に負かされたくらいでは諦める事はない。次には、或いは、まだ何か、出来る事があるはずだと思わせてしまうのは諦めた内に入らない。
ここからどこまで背伸びしても届かない、何か小細工しても、相手が無抵抗でも勝てはしない。脳髄の奥深くに不可能を刻み込んだ時、人は正しく諦める。もう挑戦しようと思わなくなる。ノーエルはそれを狙っている。
「剣…。俺の剣の方が折れるのは早い。材質からしても…」
セイバが持っている剣は、手入れこそよくされているように見えるが上質な支給品程度に過ぎない。硬度で言えば間違いなく劣っているのだ。
「使えばいい」
ノーエルは持っていた『陽光灼蘭』を放り投げた。それが君のスタイルだものな。
ただ…、それを折られたら困るのだが。予備を持ってきておいて良かったと心の中で思ったのだった。
「実力から言えば、ペスケやリオンに並ぶくらいにお前は強い。使えない訳ではないはずだ」
「……。与えられる、最大級のハンデ。って事か…」
与えたハンデはこうだ。絶対にセイバを斬らない。武器を交換する。諦めるまでいくらでも撃ちこんでいい。そして…恐らくもう一つ。
「お前が諦めるまで、ペスケ達にはあいつを追わせない」
いくら自由に撃ちこんでいいと言っても、その間は私達はフリーになる。セイバの目的自体は私達の足止めだ。二人が争っている間に私達が動いていたら集中力を削いでしまうだろう。ノーエルはそれを嫌った。
「勝手に決めんなよ!『救世主』サマ!」
「いいんですか?ノーエル…」
レストとベクルが既に追いかけているが、これ以上人数が増えてしまえばミリアムにとって負担になるだろう。二人だけでも足りるかどうか分からないが…。
「…『救世主』として、出来る事をやるだけだ」
ノーエルは…恐らくセイバを救おうとしている。セイバも何かに憑りつかれているからだ。ミリアムという人間になのか、それとも…優しさ、という概念にか。
「ノーエルくん…。私は君の事を信じている。が…」
君を信じすぎたくない。君のやる事、全てを肯定したくないのだ。
それが私が、ライトに与えられた『役割』なのだから。
「絶対に傷つけてはいけない…。いいな?」
改めて、確認した。出来ない事は知っている。だが、私から言う事で君に意識して貰いたい。
自分は絶対ではないと。
まだ君は、人間であると。
「…分かってる」
セイバは落ちていた『陽光灼蘭』を取った。派手な装飾のついた、光をよく反射する如何にも英雄が持つ武器である。『天光斬月』とは正反対に位置する。ライトから聞いた話では、あえてそうしたと言っていたな。
持っていたもう片方の、名も無き剣をノーエルの近くに放り投げた。これで武器の交換は完了だ。ノーエルはそれを右手で拾うと、一回、二回と片手で振るって感触を確かめた。
「これが…『陽光灼蘭』」
重量は剣の中でも重めに設計されている。何故なら、ノーエルが使う剣だからだ。重い方が振り回した時に威力を増す。強度も高くなっているはずだ。『魔力』を通した時の切れ味は『天光斬月』よりその分、高くなっている。後に作られたものだから当然といえば当然なのだが…。
やろうと思えばもっと重く、もっと硬くというのは出来るのだが…。いかんせん資源が足りない。いま採掘できるだけの鉱石では剣を成形するだけの金属は精錬できないのだ。これ以降に武器について更新された事はない。だから、『陽光灼蘭』が現時点で最高の武器なのだ。
「話には聞いていた…。けれど、ここまで…」
「好きなだけ振ればいい。馴染むには時間がかかるだろう」
これは本人の経験からではない。他の人はそうだから、という伝聞からだ。
「いや…。もう十分だ」
セイバは剣を構えた。闘志が目に宿っていくのがよく分かる。あれほどの実力差を見せつけられて尚、これだけのハンデをつけられて尚、戦おうとしている。
「一太刀入れれば俺は踵を返して帰る事を約束しよう」
ノーエルは希望を与えている。それが必要だからだ。
「絶対に、殺すつもりで来い」
疑念や不安は必要ない。希望と勇気をもって戦い、その全てをもってしても負けた時に人は諦める。あの時、ああ考えていなければ。もっと力を出そうという理由があったのなら。後からいくらでも理由は付けられる。その全てを先につけてやる。
これでもダメなのだ。どうやってもダメなのだと深く刻み付ける為に、ノーエルはいくらでも己を悪く見せる事が出来る。そこに『勇気』は無い。ひたすらに臆病な…自己犠牲の精神だけしかない。
「ライトさんには恩義もあるし…。この星を滅ぼしたい、みんなを敵に回したいと思っている訳じゃない」
『陽光灼蘭』は持ち主を変えてもなお、剣身に輝きを湛えている。本来の持ち主であるノーエルを、その身に写しながら。
「ただ、俺は!!星を敵に回してでも彼女を救いたい!!」
鋭く、踏み込んだ。踏み込みの速さは速度だけで言うのならベクル並みだ。この短時間にも成長しているのかもしれない。本来なら有り得ないと断じる事が出来るのだが。
初撃はまたしても『疾風剣』だ。右に溜めた剣を素早く左に薙ぎ払った。
「キィン!」
薙ぎ払う、フリが見えた瞬間にその剣は弾かれた。正確に言えば、薙ぎ払えなかった。
剣は大きく弾かれて、セイバは体勢を崩した。振ろうと思った瞬間に強い力で弾かれたのだ。転ばないだけでも彼は強い。それか、そこまでノーエルが手加減をしたか。
「ぐっ…!」
ギリギリで踏ん張ったセイバは持ち直すと、またしても右に振りかぶった。
判断としては正しい。ノーエルは右手で剣を持っているのだ。相対しているのならばノーエルの左から剣が振られる事になる。左から来る剣をノーエルは右手で弾くのだから普通なら困難だ。
セイバは判断を間違えていない。至って正常だ。対処が難しい場所から、最適な方法で攻めている。自分が最も得意とする剣術を使い、武器に振り回される事も無く、今もなお成長しようとしている底知れの無さを見せている。彼は今、褒め称えられるべきだ。
才能と努力はよく比較対象にされる。この構図は図らずもその二つとよく似ている。ノーエルは天性の才能をもってして、セイバはここまで積んできた努力をもってして戦おうとしている。ライトの姿を見てきて、憧れ、恋焦がれたものとしては努力をするものこそ勝つべきだ。その考えが頭にある事を否定する事はできない。
だが、どうしても超えられない才能というものは存在し、それしか価値が無い…という人間も存在する。これも認めなければならない。
彼は、人間だ。
「キィン!!」
今度は先ほどよりも強く弾かれた。思わずセイバが後ろに二歩、三歩ほど後退しなければならないほどに。またしても剣を振る事は許されなかった。
セイバは理解が出来ていないはずだ。対角線にある自分の剣を、どうやってノーエルが弾いているのか、軌道がまったく見えていないのだ。計算する事すらできていないだろう。
「ど、どうなっている…?!」
ノーエルは自分の言った事をまだ曲げていない。剣で弾いているだけだ。
セイバは選択を間違えていない。ただ、届かないだけだ。
「確かに…ライトさんを大きく超える可能性があるとは聞いていた!だが、これは…!こんな力は…!」
強すぎる。とても同次元とは思えない。
それがノーエルの才能だから。
今度は左に振りかぶった。無理だと分かっていても違う手段を試さずにはいられない。何か、違う事をしなければ突破の手段はないのだ。
「キィン!」
振ろうとした瞬間にまたしても弾かれた。当然だ。ノーエルが持っている剣は右にあって、左に振りかぶったという事は近いからだ。
今度は上に振りかぶった。剣を大きく振りかぶれば剣身は頭と体の後ろに隠れる。これなら自分ごと斬られない限りは簡単に弾かれない。
「キィン!!」
それだけでは、ノーエルの剣は鈍らない。振り下ろすのなら剣はどうしても姿を現してしまう。僅かに頭の上に現れた『陽光灼蘭』を、射線が通った瞬間に弾いたのだ。
上に振りかぶって下に振り下ろそうとしている以上、後ろに重心を移動させている。前に移動させるよりも前に弾かれたセイバは盛大に尻もちをついた。恥ずかしい事ではない。まだ『陽光灼蘭』を手放していないのだから。
「見えない…!まったく…!剣筋が見えない…!!」
私から見ても、ノーエルはまったく動いていない。どうやって弾いているのかは私の推測でしかない。たいていの常人は理解を放棄し、諦める。それが最短だからだ。
「くそっ…!まだだ!!」
立ち上がった。傍から見れば、セイバこそが正義のヒーローだ。どんなに圧倒的な力を見せつけられても何度でも立ち上がる。諦めようと落ち込む姿が一瞬たりとも見えない。それが勝負の条件である事を考えれば何もおかしくはないのだが、セイバは本当にダメだ、と心の中で考えていない。
ノーエルの言う事を馬鹿正直に飲み込んでしまえば「諦めてない」事を演じてひたすら撃ちこむだけで足止めは成功する。この勝負の勝利条件は「ノーエルに一太刀でも入れる事」であるがセイバの目的から言えば勝利する必要はないのだ。これだけの戦力、怪物を足止め出来るだけでミリアムの助けには十分過ぎるだろう。逆に言えば、こいつだけは絶対にミリアムに近づけてはならないというセイバの目論見は正しく、足止めに失敗すればミリアムは間違いなく敗北するだろう。今の状態を維持するのが何よりも正しいのだ。
だが、セイバはちゃんと諦めていない。ノーエルが強大な壁である事を認識しているからこそ、ミリアムにとっての最大の障害になる事を理解してこそ勝利を模索しようとしている。ノーエルはあまりにも強すぎる。突然、勝負に飽きて自分を一刀の下に斬れ伏す可能性はゼロではないのだ。演技は余りにもリスクが高すぎる。悟られた瞬間に斬られたら全てに敗北してしまう。分かってて諦めてないのだ。
「『救世主』…!越えられなくとも、お前が間違っていると証明してみせる!!」
ノーエルは僅かに反応した。
間違っている…?ノーエルは間違っていない。
ずっと、彼は…。彼にとって正しいと思う事をやっているのだ。
「間違っている…。何をだ。俺が何を間違えている」
聞かずにはいられなかっただろう。『救世主』として否定されたのは一度や二度ではない。その度に力を示しては間違いを正してきた。
彼以上に強い人間は、この星に存在しないのだ。
「力だけでは何も解決できはしない。ライトさんは、いつだって最善を選んでみんなを導いた!」
「俺がいたづらに力を振るっている…そう思っているのか?」
「あの人は全部に意味があると教えてくれた!君が振るう力は…全てを無意味にする力だ!!」
そう、彼以上に強い人間はこの星に存在しない。
だから、それ以外の力は無意味だ。
「俺は最初、剣なんか向いてないと思ってた…。でも!あの人はこう言ったんだ!「冗談でもいいから鍛えてみろ」って!「可能性を自ら閉ざすな」って!」
セイバの事は一から十まで知っている訳ではない。調査隊の中で、優秀な部類には入るが目立たない男。その程度の認識で私はいた。
だが、今ここにいる男はどうだ。どこまでも伸びしろを感じさせる。これだけの歳を経て尚、成長しようとしている。ライトはそれすらも見抜いて鍛錬を勧めたというのか。末恐ろしい男だ。
「ここまで成長した事を…!無意味だとは言わせたくない!!」
踏み込んだ。先ほどよりも鋭く。
成長しているのだ。ハッキリと分かる。自分の限界を一歩、一歩と超えている。歩みは止まっていない。断言できる、この男にペスケくんとリオンは絶対に勝てないだろう。ここまでの男では無かったはずだ。
今度は下から、切り上げようと低く剣を構えたまま詰め寄った。余りにも早くて私はセイバの体勢を確認するのがやっとだった。
ノーエルはどこか、心ここに非ずといった顔をしていた。
「キィン!!」
またしても、振り払う前に弾かれた。ノーエルは約束を守っている。
頼む。そのままでいてくれ。
私だけは、君を信じなくてはならん。
「ノーエルくん!!諦めるな!!」
頼むから、君だけは諦めてくれるな。間違っていると、認めてくれるな。
応援しなければならない。声をかけてやらなければ、ならない。
「君はまごう事無き『救世主』だ!!自分が正しいと信じろ!!」
君にしか出来ない事がある。君が全てを奪っている訳ではないんだ。
君がいなければ、この星は救えない。断言してやる。
「ミリルさん…」
「…はっ!すっかり悪者だな?『救世主』サマよ?」
ペスケくんは治療を終えたようで、フェイヲンの左腕はしっかりと包帯で巻かれていた。あれだけ派手にぶった切っておいて丁寧な仕事だ。
「諦めない凡才に跳ねのける天才…。こういうのは得てして凡才の勝利になるな?ミリルさんよ」
「君までそんな事を言うな!?確かに、創作や古文書にはそういったお話の類が多かったが…」
彼女の発言の真意は見えない。私が思ってても言わなかった事を、ペスケくんは平然と言ってのける。だからこそ、ノーエルに気に入られているのだが。
「じゃあノーエルが負けるとでも?僕はそうは…」
「お前の意見は聞いてないんだよ。いいか、どっちが勝つかなんてこの際重要じゃない。勝負の内容自体がくそくらえみたいなもんだからな」
ここまでの経過を見ていれば分かる。この勝負はいくらセイバが成長しても勝てないのだ。
なにせ、まだ剣を振る事すら許されていない。振った後も問題だ。一太刀、僅かでもノーエルに傷を付ける事はその先にある。万全の状態で振り切って、そこから力を入れても尚、ノーエルの肌は傷つかなかったのだ。確かに今もセイバは成長している。それを含めても、一体いつになったらそこまで辿りつけるのかという話だ。余りにも距離が遠すぎる。かなりの速さで縮めようとしているが、月と地面ほどの距離…あるいは、太陽と地面ほどの距離なのか。
「一番大事なのは自分で言ったはずだ。心の折れた方の負け。今まで何人の心を折ってきたよ?」
「やめろ!!そういう言い方は…!」
ノーエルが一番傷つく。彼は、そんな『救世主』を、目指したくてなった訳じゃないのだ。
「よく知ってんだろ?何をどうすれば、人が諦めるのか。勝ち負けの問題じゃねぇんだよ」
セイバは諦めない。あの瞳に宿った火は、簡単には消えそうもない。何より、彼自身が正しいのだ。自分が信じた事を、どこまでも信じぬいている。間違っていると否定する事は、簡単にはできない。
ノーエルは自ら難しくしたのだ。最初に迫ってきた時に鬼気迫る剣筋を感じ取ったからこそ、そうしなければ彼を救えないと判断して一番難しい方法でセイバを倒す事に決めた。でなければ切り捨てればいいだけの話だ。
ノーエルは救おうとしている。それを諦めて欲しくはない。
「……俺の力は、確かに正しいとは言えないのかもしれない」
ぽつりと呟いた、その言葉は、若干の諦めが入っているような気がした。
「産まれた時から持ってた力だ。…偶然、最初からあっただけの…」
努力という言葉は彼には似合わない。もちろん、しなかった訳ではない。
父のようになるのだ、と毎日のように家を抜け出していた事を知っている。ひたすらに剣を振り、己を高めようとしていた事も知っている。『救世主』となるべく、みんなを導こうと私の長話に眠りもせずに付き合ってくれたのを知っている。
ただ、それらは努力ではないのだ。何故なら、これだけ強いのならこれだけの能力があって当然だと考えているからだ。無い方がおかしいと言われるからだ。誰よりも強いのなら、みんなを導かなくてはならない。自分勝手にふるまってはならない。そして何より、敵になってはならない。
味方であると、みんなに示さなければならない。僅かでも疑われる事があってはならない。自分は害を為す存在ではないのだと、理解して貰わなければ。
「だが、これが間違っているとは思わない」
ノーエルは前を向いた。
「父さんと母さんがくれた、この命が間違っていると…。誰にも言わせはしない」
君には君の、信じるものがある。
誰も間違ってはいない。だからこそ、こうやってぶつかるのだ。
「…本当に、その命はライトさんがくれたのか?」
セイバは、ぼそりと呟いた。
――「本当は…『培養槽』から取り出されたもう一つの…」
それは、ノーエルが生まれた時からずっと囁かれていた事だった。あれはライトの子ではないのではないか。というのは。
いくら『勇者』の息子だからといっても強すぎる。偶然にも、『培養槽』にはもう一人いたらしい事が読み取れている。この噂は、ノーエルが5つの頃からずっと言われてきていた。子供は親を超えていくものだ、といっても簡単に超えすぎだ。順番で言えば、5つの時に短い木刀を振り回し、12の時に鉄剣を持てるようになり、16の時にようやく魔物を打ち倒せるようになる。これが正しい成長だ。
ノーエルはこのステップを簡単に飛ばしてきた。撃ちあいを実際に見てきた訳ではないが、ライトから話には聞いていた。話していた時の様子が、少しおかしかったから印象によく残っている。
(俺は…負けたよ)
確かにそう言っていた。ノーエルは「互角に撃ちあった」と言っていた。他のみんなにはノーエルの言葉が信じられた。「子供に花を持たせたのだろう」と口を揃えて言っていた。私も、それが一番しっくり来た。
ライトが5歳の子供に負ける訳がないと思っていたし、全力で戦う訳もない。子供に手加減もしない男では無かった。これが10を超えた歳ならば全力を見せて成長を促すのだろうが、相手は初めて鉄剣を持った5歳の子供だ。危険だからそれまで重い剣は持たせた事がなかった。撃ちあいのきっかけは、目を離した時に『天光斬月』を持っていた事からだったという。5歳にも関わらず、鉄で出来た長剣を平然と持っていた事から試しに手合わせを申し出たのだという。本気で戦う訳がない。
「強さがライトさんの比ではない…。古代技術の産物とでも言わないと説明がつかない。今の時代に、君が生まれるのは異常なんだ」
世代交代を否定したい訳ではない。次の世代が強い事に越したことはない。
進化を否定したい訳ではない。でなければ停滞してしまうから。
ただ、一人だけ異常なのだ。通常の進化から飛び過ぎている。順当ではない。
理からあまりにも離れすぎている。何か、別のせいにしないと納得ができないのだ。
「…そんな事は、『カントリーヒル』でいくらでも言われてきた」
「血の繋がりを証明する手段は現代にない。ライトさんを疑う訳ではないが、あの人なら取り出した子供を自分の子だと言う事に違和感はない」
「…君の言い分には致命的な欠点がある」
私は口を挟まずにはいられなかった。
「まず、資料には『天光斬月』が共にセットしてある事が明示されていた。古代の武器が『培養槽』の横…あるいは前に繋いでおく事で使用者の登録をしていたと予測されている」
『天光斬月』とは『培養槽』にセットされた『勇者』に関連する何かの命、それの専用の武器である事が推測されている。他者に安易に使われないようにロックをかけていた。正しい情報はその時代の人間でないと分からないがこれが一番確度が高いと思われている。それだけ強く、絶対的な武器なのだ。不正があってはならないと。
「その『天光斬月』はどこにも無い…。君もライトの知り合いなら十分に知っているはずだ。現存している『天光斬月』はライトがそこから名付けた…いわば偽物だ。取り出したと言い張るのなら、その武器もあってしかるべきである」
仮に取り出したのが正しいのだとしたら、『天光斬月』はノーエルにしか使えない専用の武器である。使えなかったとしても、ライトが本物を手に取っていないとおかしい。ノーエルが使っている『陽光灼蘭』は…正直、彼に合っていない。武器が彼に追いついていない。そんな武器を使うくらいなら、セットされているはずの『天光斬月』を使うべきだ。わざわざ性能の低い武器を使う理由なんてない。
なにより、一番の理由は…。
「…何より、私は出産に立ち会った。ノーエルが…彼女から産まれる所をしっかりと見ていたよ」
自分の出産経験こそないが…年長者であり、『大魔導士』という称号を持ち、『勇者』の第一子が生まれるとなれば立ち会わない訳が無かった。
…出来れば、他の人に頼みたかったのだがな。
出てきた時の顔はよく覚えている。ライトによく似ていた。小さな手を握った感触だって思い出せるさ。
「しかし!普通の人間の進化を超えている!!ライトさんは確かに強かった。それを踏まえてなお…!」
「認められない、という気持ちは諦めるのと同様だよセイバくん」
「っ!?!」
君の気持ちは非常によく分かる。目の前に不条理を突きつけられたら否定から入ってしまうのは当然の反応で正しいものだ。そこに異論を唱える訳もない。
「目の前に聳え立つのは現実だ。後からどんな理屈をこねようとそこに存在している。ノーエルくんはそこにいるだろう?超えたまえ、それが出来ないのならこの勝負は、君が折れた事で勝ちになる」
相手にイニシアチブを取られてはならない。私は『大魔導士』として、『救世主』の邪魔にならないよう支えなければならない。
それが私の『役割』だ。
「そうだぜ、それとも『救世主』サマが古代技術の産物だったとしたら「諦めます」って言ってくれんのか?「ずるいから勝負は無効だ!」って駄々でもごねんのか?」
ならば勝負は君の負けだ、セイバ。
もう、君の心は折れている。
「…いや――。そんなはずはない!!」
「何があっても救いたいのだろう」
ノーエルの目から、迷いが消えた。
透き通るような赤い眼に見える。
瞳の奥に、彼の大好きな花が咲いている。
「ならば、耐えてみろ。俺より正しいというのなら」
ノーエルが剣を左手に持ち替えた。
本気だ。
「左に!?まさか手加減…!?」
「そうだ。していた。いつもならしない…。だが、その心を折る為ならば…」
そうだ。それが君の。
「これが本気だ」
――「キィン!!」
弾かれた。たった一閃で、『陽光灼蘭』は宙へ舞い、その刃を地面へと突き刺した。
「…拾え」
「……っ?な…なにを…?」
「正しいのだろう。拾え」
まだ『陽光灼蘭』は折れていない。勝負はついていないのだ。
「ぐっ…!」
セイバ、まだ自分が正しいと思っているのなら。彼女を救いたいのなら。その剣だけは折ってはならない。
「まだだ!まだ!!」
セイバは地面に突き刺さった『陽光灼蘭』に手をかけた。
――その瞬間。
――「キィン!!」
「…拾え」
「…!!化け物め!!」
まったく目で捉えられない。防ぐことも、躱す事もできない斬撃が剣を取った瞬間に襲い来る。正確に、手を、腕を傷つけないように。しかし、その心には的確にダメージを与えていく。
セイバは今度は飛び込みながら『陽光灼蘭』に手を伸ばした。勢いのままに何とか剣を手に収めようとしたのだろう。咄嗟に思いつく判断力と先ほどからまったく衰えていない踏み込みの速さは並大抵の戦士ではない。
だが、ノーエルには届かない。
――「キィン!!」
セイバが手で柄を握ったその瞬間に『陽光灼蘭』は弾け飛んだ。遠くへ、更に遠くへ。ノーエルはまったく動いていないというのに。
「…ぐっ!まだ…!まだだ…!!」
ここまでされて尚、諦めないという根性を見せるのは驚嘆の一言に尽きる。足は止まっていない。手は伸ばしたままだ。尋常ならざる精神力…。ライトが気にかけたのも頷ける。きっと、その奥底にあるのは…。
「彼女は…!!俺が救わないとダメなんだ!!」
「…!」
「セイバ!君は…」
泣いていた。涙がぽろぽろと、零れ落ちていた。だろうな、あの時の君は余りにも目立たな過ぎた。いくらライトと言えど、奥底に秘めた才能を簡単に見抜いた訳ではない。きっと、それは君が『優しすぎる』から…。
「知ってるだろう…、ミリルさん。彼女は人には理解されないハンデを背負っている。それも、仕組まれて」
………。そうだ。だから、救いたいのだろうと、予測はついた。
「ミリアムには…『魔王』についての記述が多かった。特に目をひいたのが『魔王の力』によるもの…。これは古代技術で復元が不可能だったと明記されていた」
遥か古代には『魔王』が存在し、それは『魔力の王』。彼が作りしものが『法』になり『魔法』の基礎になったという。『魔力』は『王』の言う事に従い、ありとあらゆる事象を引き起こす事が出来た…とされている。
当然、そんな力があるのなら自分たちで制御したくなるのが人間という生き物だ。過去には何回も予想をつけ、似たような能力の作成に挑んでは失敗した記録が山のように存在している。そう、全て失敗しているのだ。『ミリアム』を含めて。
「ミリアムは『魔王の力』を再現する為に…過去の『魔王』の記憶と性質を詰め込んだ。『魔力』は生き物だと考えれば、人格で制御できるのではないか、という仮説だな。結果は失敗だった。彼女は結局…」
「『魔王』のどす黒い性格だけ引き継いで生まれた…ってことか?」
彼女の『破壊衝動』はそれによるものだろう。過去の『魔王』に『破壊衝動』を抑えられないモノがいた。生まれつき、そうなるよう設計されて作られてしまったのだ。だから、私は反対だった。
「完全に同じ人格を作り出す事など出来はしない…。理論は仮に正しかったとしても、再現性に難があるとされていたのが当時に残されていた資料だった」
要は似たナニカでしかないのだ。彼女は。『魔王』のように『破壊衝動』こそあれど、『魔王の力』を引き出す所まではいけなかった。人格再現にリソースを取られたせいで『魔力』の扱いにも難があると評価されていた。作られ、後に改良する為にか分からないが廃棄せずにたまたま残されていただけの命なのだ。『勇者』の側は完全再現に成功したと高い評価が書かれていた。だから『天光斬月』という専用の武器まで作られていたのだ。その真逆に、彼女は位置している。
だからこそ、ライトは放っておけなかったのだろう。
だからこそ、セイバも…救いたいと思うのだろう。
「彼女は救われなければならない!ライトさんが取り出したのなら!生きていいと言われたのなら!他人に幕引きさせてはならないはずだ!!」
君の言う事もよく分かる。だが、あまり責めないであげてくれ。
「ライトが面倒を見る予定だった!だが、病を制御する事など出来なかった!」
「俺が面倒を見るから」、そう言っていた。だから私だって折れたのだ。君になら安心して任せられると。だが、この時からライトの体調は優れていなかった。念のために『カントリーヒル』に一度帰って医者に診てもらった方がいいと私は言った。取り出したばかりのミリアムは赤ん坊だったからだ。うつってしまっては元も子もない。大きな流行り病も無かったし、彼自身がそれまで健康体そのものだったから心配など微塵もしていなかった。
でも、それっきり。ライトが『マギニカ』へ行く事などなかった。ミリアムは『マギニカ』に置き去りにされる形になってしまった。
「ならば!誰かが救わなければならない!!死は救済などになりはしない!!」
セイバは強く、鋭く、激しく踏み込んだ。
一瞬、空間が歪んだのかと誤認するほどに空気が揺れた。
いつの間にか、私が確認できないほどに早く、『陽光灼蘭』がその手にあった。
――『超えてはならない一線』…?
頭の中に言葉が浮かぶ。
人であるのならば、絶対に超えてはいけない。
人であり続けたいのなら、生きていたいのなら。
その一線を、『超えてはいけない』。
「駄目だ…!『超えるな』!!」
言葉よりも早かった。
圧倒的に早く、重い斬撃はノーエルの首元に向かって真っすぐに伸びて――。
――「ガキィンン!!!」
重い、重すぎる金属音が辺り一帯に響いた。
キリキリと擦れ合う音が二人の力の拮抗具合を示していた。
私には…、たった一瞬だが、たった一瞬だけでも並んだ気がした。
紙一重で、本当に紙一重で防御したかのように。
「…なるほど。『覚悟』は伝わった。剣を出すのがあと、一寸…遅れるかずれていたら、お前の勝ちだっただろう」
「…ぐっ!!」
届かなかった。如何にそこまで手を伸ばせたとしても、如何に近くまで詰められたとしても、それが結果だ。
「その強さ、老いてなお伸び続ける才、決して諦めない『覚悟』…。敬意を払おう。だからこそ、折ってやる。その『覚悟』」
払って弾いた。ノーエルの目は本気だ。
彼のこんな目は、久しぶりに見た。
赤い、紅い、朱い、その目は父にも母にも無かった目だ。
彼だけの、特異の目だ。
構えから察する。『灼蘭業火』ではない…。あれは敵を倒す為の技。人に使うものではない。で、あれば。人に対する技を用意していたのだろうか。
「全て防ぎきれたら勝ちにしてやる。これから8回、技を出す。それまでの間に剣が折れなければ勝ちだ」
『陽光灼蘭』はこの星で、今現在、最高の武器だ。壊すという発想はない。予備は確かに船にあるが…流石にこの場には持ってきていないぞ。
「折れなければ…?君は折れてもいいというのか?自分の武器が…」
「…武器は何でもいい。その辺の棒きれだろうが同じだ。俺にとってはな」
剣の切れ味というのは単純な硬度の他にも魔力による強化具合によっても決まる。集中して構えれば大概の武器は切れ味と硬度が増す。武器の優劣は、如何に少ない魔力で最大の効果を得られるかで決まる。『陽光灼蘭』はそれに加え、流せる魔力の許容量も多いので通常の武器よりも強度の限界値が高いのだ。故に最高の武器足りえる。
「心配などするな。前だけ見ていろ。今からお前…、セイバに最大の試練を与える。超える事だけ考えていればいい」
「…っ!!ならば!来いっ!!」
セイバの言葉が終わり、静寂が訪れる。
お互いに真っ直ぐに構えた剣身には、お互いの姿が映っていた。
辺りの空気がピリピリしている。まるで、空気中全てに電気が流れているかのようだ。二人の間合いに入ってないのにまったく体が動かない。
気迫だけで言うなら互角。さっき、セイバは何かを『超えた』。
もし、もし、そこから先へ行けるのなら。間違いなく、君が『救世主』だ。
「トンッ」
踏み込んだ音がした。重い音ではない。軽くステップしたような何でもない音だ。
ノーエルは瞬時にセイバの前に来ていた。構えは左に溜めたまま、ここから推測できるのは、右への払いだ。
「『雪下!』」
低めの切り払い。セイバは問題なくついていった。体勢に不安はない、まずは一つ。
「『白景!』」
右へ流れた体を左に回す切り払い。体の中央へ向かう刃を防いだ。これで二つ。
「『月閃!』」
そのまま回転して下へ回した剣を上へ二回転。まだ余裕がある。まだ三つ。
「『光射!』」
上へ流した剣を下へ、斬り返して上への二撃。若干、崩れた。四つ目だ。
「『柳桜!』」
上段にある剣を下へ振って勢いのまま二回転。まだついていけている。五つ。
「『花嵐!』」
剣を上から左右へ二回振り下ろし。何かが欠けた音がした。もう六つ。
「『一迅!』」
手前へ引いた剣で真っ直ぐに突き。完全に体勢を崩した。だが、あと一つ…!
「『吹雪!』」
もう一度突いた。予想できなかったはずだ。これまで突きは多用してこなかった。連続での突きは反応でしか回避する事はできない。
「ガキィン!!」
なんと。防いだ。最初の突きで体勢を崩していたはずだ。無理矢理に体を動かして、左手で剣身を支えて、両手で防いだのだ。
これで八つ。セイバは完全に防いだ。耐えきったら、セイバの勝ちにしていたはずだ。だとしたら…この勝負は…。
「俺の…」
――「俺の…負けか…?」
「パキィン!!」
涙を流していた。完全に耐えて、確かに防ぎ切ったはずのセイバが、涙を流していたのだ。剣身は完全に砕け、空に舞った。さながら雪のように、或いは花のように。光を反射しながら舞う『陽光灼蘭』は月明りに照らされた星のようで、そこには間違いのない絶景が広がっていたのだ。
ノーエルは、自分の持っていた剣を地面に二回、叩きつけた。「コンコン」と小気味いい音がする。強度になんら問題がない事を音が示していた。
何をしようとしているのか、と思っているとノーエルはその剣をセイバの目の前に投げ捨てた。
「拾え」
「…あっ…ああ…っ…!」
セイバは藁にも縋るかのように剣を握った。しばらくは振り上げる事もできず、嗚咽を漏らしていたが、少し経って、覚悟を決めたように前を向くと、剣を振り上げた。
「パキィン!!」
振り上げた剣は、真ん中の辺りから真っ二つになった。ノーエルにもう武器はない。あるのは、己の身体だけだ。
「…勝てない…っ。俺は…『救世主』には……っ!!」
完全な敗北だ。もう、これ以上はない。
使える武器は全て砕かれた。もう、これ以上は…。
「まだ…その身体がある。殴る覚悟があるのなら、やってみればいい」
それでも尚、ノーエルはチャンスを与える。
そこに救いがあるから。
「…もう…これ以上は…!十分だ…っ!!」
自身の敗北を認めた。力一杯、拳を握りしめて。
『陽光灼蘭』は粉々に砕けた。これから戦う事になるであろう、ミリアムに向けて不安が少しあるが…。彼自身が言うように、武器は何でも構わないだろう。何より、何をされても大丈夫という安心感がある。彼が傷つく事はこれまでに一度も無かったのだから。
「セイバ…。君は…」
まずは彼を落ち着かせなければならない。涙を流し、ずっと苦しそうに声を上げている。事情の一つや二つを聞いて、平静を保たせねばならないだろう。
セイバはすっかりへたれこんでいた。膝をつき、両手を地面に真っ直ぐ立てる事でなんとか崩れないでいるが、体にかかった負担を考えるとすぐにでも治療が必要だ。あれだけの急成長をしたからには、相当な負担が…。
「セイバ…?どうした…立てるか?」
少しだけ、様子がおかしい。まるで、全身に力が入らないかのように力感がない。
もちろん、負けた事にショックを受けているのは分かるのだが…、それにしたっておかしい。今にも倒れそうなのを我慢しているのではないかと見えてしまったのだ。
「お…、俺は…」
セイバが顔を僅かに上げた瞬間、サーっと血の気が引いた。
彼の口の両端、鼻、両目から出血が見られたからだ。
後ろからペスケくんが素早く駆ける音が聞こえた。
倒れ込みそうになるセイバを間一髪のところでペスケくんは抱えた。
「はっ!とんだ馬鹿野郎だ。自分の身の丈に合わない事すりゃ代償がある」
「だ、大丈夫なんですか?こんな症状見たことが…」
私だって見たことがない。これまで、限界を超えようとして、超えた人間は何人か見てきた。ライトだってその一人だ。強さの先へ行く事に多少の代償は必要なのは分かるがここまでの傷は初めてだ。
「ちょい腕見せろ。…足も、腹も」
付けていた軽鎧を手際よく外していき、服を小さなナイフで切り裂いていく。ペスケくんはそこに傷があると判断したようだ。
外傷はなかった。当然だ、ノーエルが人を傷つける訳がない。だが、体のどこもかしこも真っ赤になっていて見ていられるものでは到底なかった。
「腫れてる訳じゃない…内出血が酷い。手作業で止血なんて到底出来ないぞ」
一か所、二か所ならすぐにでも止められるだろう。だが、これは全身だ。体のありとあらゆる場所が耐えられなかったのだ。全てが限界を超えたからこそ、あの一瞬に迫れたのだ。
「死なせる訳にはいかない…。『救世主』サマが死人を出したとあっちゃな…」
その通りだ。例え、直接的でなくとも、彼が人を殺したとなってはまずい。
「リオン!魔法で何とか止血できないか!?塞げれば何とか持ちそうだ!」
「本当ですか?!ほら…あれ…輸血とか…」
「そんなもん持ってきてる訳ねぇだろ!?早く止めないと本当に必要になるぞ!!」
ペスケくんはリオンの頭をはたきながら血を拭いていく。私に出来る事は…彼を落ち着ける事…だろうか。
「セイバ…君の『覚悟』は伝わった。本当に彼女を…守りたいのだな」
セイバは朦朧としているであろう意識の中、僅かに頷いた。
「ああ…。彼女は…、もう彼女じゃないんだ…」
「彼女ではない…?」
薄っすらと予想していた事ではあった。『シリウス』の再起動は『破壊衝動』とは無縁のものである。もちろん、それは主目的ではあるが現実的ではない。彼女は恐らくだが『シリウス』に愛着があり、『蘇らせたい』と考えているのは事実だ。
「『シリウス』の奥…。ある機械に触れた時に、彼女は…、何かに乗っ取られた」
そうだろう。乗っ取った者の名は…。
「『魔王』…だな」
セイバは頷いた。彼にも心当たりがあったようだ。
「ミリルさん…。あなたの事も知っていたようだった。制御室にいるみんなを…カメラで確認した時に貴女の名前を言い当てた…」
私の名前を…?確かに、彼女は私を知っていたように言っていたが…セイバが教えた訳ではなかったのか。
「『時戻しの秘薬』…。貴女が作っている事を知っていたから、俺はすぐには疑わなかった…。ただ、ミリアムも何故か知っていた…」
『時戻しの秘薬』は『大魔導士』である『ミリル・アートヴァンス』の悲願であったと聞いている。彼女にはどうしても時を戻して、やらなければならない事があったようなのだ。彼女に直接に力を与えた『魔王』ならば何か知っていてもおかしくはない。
「『フォーアス』…。さっき走っていった子はたぶん…レスト・フォーアス…だろう?」
静かに頷いた。セイバも名前だけなら知っているだろう。
「ああ…。だが、安心しろ。彼女は…」
「分かってる…。ノーエルの名前に比べたら、聞くことはなかった…」
レストの真価をセイバに知らせるのは得策ではない。彼女が『勇気』を使えて、唯一…、『魔王の力』を探知できるであろう感性の持ち主である事は伏せたままのほうがいい。知らないままでいれば不安になることはない。
「ただ…。彼女の姿を見た時に、ミリアムが…わずかに震えたような…気がしたんだ…」
「ミリアムが?…それは…」
『シリウス』内部は快適な温度だ。寒がり、という情報も聞いた事がないな。であれば、無意識の内にレストに恐怖を抱いた…?
そう考えるのが自然にも思えるが、だとしたら真っ先に排除すべき存在であるはずだ。だが、ミリアムはそこまでレストを敵視していたようには見えなかった…。
本当に脅威なのか、計りかねているのか?レストが何かを持っている事は感知しているが、それが何なのかまでは分からない…。
「ライト…さんの…娘ってことは…。何か、何かが出来るはず…」
「…流石に君でも気づくか」
隠し通すのは不可能だが、深く聞かれない限りは答えないようにしよう。
「…彼女は…可哀想、なんだ…」
セイバは遠くを見つめていた。まるで過去を今、見ているかのように。
「気をしっかり持て。我々が彼女を救ってみせる…!」
「『悪魔の子』…なんて、呼ばれて…。ミリルさん…あなたがいない内に流そうって…」
16年前。ノーエルがライトに旅立ちを許可された時。『大魔導士』がいないのでは話にならないと呼ばれていたのだ。国王が形式としては存在しているのだが、実質的な権力は知識と誰からも認められる才能を持つ『大魔導士』が持っていた。その…『大魔導士』はその呼び出しがあるまで何年も『マギニカ』に引きこもっていたのだ。あの頃の事はあまり思い出したくないが…。
死んだ事にするのならそのタイミングだろうとは思っていた。『滅竜』から話を聞いた時にはその可能性がよぎっていたのだ。「ミリアムは死んだ、という事にして海に流した」。そうすれば自然と『シリウス』に辿り着く。『フォーアス』の血縁になりそうなのは、この時代に彼女しかいない。
いないタイミングを狙ったのは…。私がミリアムを取り出したから、私がいるうちに、そういった処分は避けるべきだという良心がまだあったのだろう。死んだという報告も手紙の文面でしか知らせなかったからな。確認はしてないが、恐らく墓まで作っているかもしれない。
「俺は…慌てて追いかけて…。小さな女の子一人を、海に流すなんて…って…」
運よく『シリウス』に辿り着きはしたが、運が悪ければどこにも上陸する事なく、海の上で死んでいた未来だってあり得る。セイバの判断は間違っていない。ただ、君は優しすぎる。
「ちょっと…、馴染めなかっただけなんだ…。それも、昔の人が、そう作ってしまった、っていう、だけ、で…」
資料通りに読み解くのならば、ミリアムは設計された通りに動いているに過ぎない。
それは果たして、本当にミリアムという人間なのか。セイバはそう、問いかけているのだろう。
「彼女には、彼女の。生き方を、示して…あげたかった…」
セイバはそれだけ呟くと、静かに目を閉じた。
「…大丈夫だ。気を失っただけだな」
ペスケくんが脈を計り、まだ生きている事を確認した。私はひとまず、ほっとした。
「ったく…。まさか、こんな事をしてのけるとはな…」
「一体、何が起こったんですか?一瞬だけではあるんですけど、ノーエルに追いついたかのような鋭さが…」
どうやら、あの圧倒的なまでの気迫と勢いを感じていたのは私だけではなかったらしい。現役の戦士たちも感じている事ならば、間違いない事なのだろう。
「こいつは…。何か、『超えちゃいけない線』を超えた。肉体が『魔力』による身体強化の限界に達して、なお、超えようとした」
「…予測ではあるが、オーバークロックのようなものを起こしたのではないだろうか…。限界を超えた処理を行った結果、体の内部が決壊した…」
普通の人間では到達できない事だ。あのノーエルに長期間の激しい特訓も無しに覚悟だけでここまで迫ったのだ。現代に生きる人間の辿り着ける境地の果てである。セイバが示した可能性は、僅かではあるが私の心にも火を灯した。ノーエルが弾くより前に剣を突き出すなど、ベクルでも難しい事で…。
ノーエル。ノーエルはどうしているだろうか。そう思って振り向くと、少し苦い顔をしていた。
「……そこまでしても、俺には追い付けない」
ノーエルは自分の左手を見ていた。傷一つない手袋に、父が付けたであろう傷だらけの篭手が被さっている。彼は生まれてから一度も、自分の血を流した事がない。
「ノーエル…」
「俺は少し、期待し過ぎたのかもしれない。もっと、手加減をしていれば…」
手加減…?十分したじゃないか。一番の必殺技である『灼蘭業火』を使わなかった。あの8つの技は私も初めてみたが、攻撃の回数からして十分に手を抜いたと見えた。君が本気であれば、あと数百は斬撃の嵐を見舞っていたであろう。私はそう、からかってやりたかった。
ノーエルの視線が気になって、ふと、地面を見た。
8つの技による斬りこみは計10回、突きが2回だ。見た情報と数を照らし合わせれば計算は間違っていないはず。
地面には無数の斬撃の跡があった。降り積もる雪のような、咲き乱れる花のような、空に輝く月のような…。まさか、これを、あの一瞬で…?
「俺は、非凡ではないのかもしれない。僅かにそう思ってしまった」
セイバが迫ったあの一瞬、ノーエルが感じたのは恐らく、喜びだった。自分と対等な人間がいるかもしれない。そう喜んだのだろう。
「一回で剣を折るべきだった。防いでくるのが嬉しくて、子供のように技に溺れた…」
「ノーエル。だが、セイバは『超えた』時点でこうなっていたさ」
私と同じだ。自分についてこれる人間がいるのが嬉しくって、派手に見せる技で遊んでしまったのだ。確かに、それについていくのは負荷が高かっただろう。だが。
「何より、セイバはここまでしないと折れなかったさ」
君は間違っていない。そう言ってあげなければ。
「見ろよ『救世主』サマ、腕の損傷が特にひどい。どっかの誰かさんがー」
「ペスケさん!?話聞いてましたか?!」
…まぁ、相変わらず仲間はどこか頼りないが。彼らがいるからこそ、ノーエルもノーエルでいられるだろう。
「………ミリアムを、追わなければな」
ノーエルはその辺に落ちていた鉄パイプのような棒を拾うと、強度を確かめて何度か素振りをした。武器はこれでいいらしい。…君の事だから、さっきの技のさなかにでもついでに斬ったのか?
「おいおい、ちゃんと治療を終えないと移動なんて出来ないぜ。そこの腕を斬ったのだってさー」
「私なら…大丈夫」
フェイヲンはもう、立ち上がり歩く程度には回復しているようだ。若干のふらつきは見えるが、仕方のないことだろう。
「手当てが終わったのなら…。セイバは置いて、あなた達で追いかけて…」
全員で追いかけていいのなら、これ以上はない。ミリアムはセイバ以上に諦めが悪い事だろう。治療の心得があるペスケくんは連れて行かないと、どんな大怪我をさせなければいけないか分からない。
リオンだって必要だ。彼しか『魔法』を正しく使える人間は他にいないし『結界式』による防御だって必要になる。使う事はないだろうが…、石板を最も効率よく使えるのはリオンしかいない。
ノーエルは必要不可欠だ。彼がいないと何も始められない。レストが如何に感知できると仮定しても、ベクルとのコンビネーションが如何にハマっていたとしても。現段階で切り札である『勇気』はノーエルとレストがいないと使えないのだ。
「…だってさ。『救世主』サマ。どうするよ?」
「ノーエルくん。行くのなら全員で、だ。レストくんとベクルくんが先行しているが、焦る必要はない。彼女たちは彼女たちで時間を稼いでくれるだろう」
確実に倒す、とは言えないし倒す可能性がある、とも言えない。ただ、簡単には倒されないしベクルがついているのなら生存最優先で動いてくれるだろう。私にはそれだけの計算が立っていた。
「………そうだな。必要な手当てが終わったのなら、俺たちも動こう」
ゆっくりしている暇もないが、焦る必要もない。仮に、『魔王の力』をミリアムがモノにしていたとしてもノーエル相手に勝ち目はないのだ。生半可な出力では彼を傷つける事は出来ない。
…自分にそう言い聞かせているだけ、かもしれないが。彼女の秘めた力は未知数だ。万が一は何重にも備えておいて損ではない。
レストは大丈夫だろうか…。彼女はエスト、という謎の人物について感知したらしい。何か意味がある事のはずだとは思うが…。私の知識の中にはその名前は存在しない。
存在しない…。確か、『最初の魔王』は名前が忘れられたと記述があった。その名前がエスト…だったとすると。ミリアムの中に、もしかしているのか?
『魔王の力』は恐らく『魔王自身の魔力』だ。『記憶』も引き継いでいるのなら私の名前を知っているのも納得するし、レストに恐れを抱いたのも『勇気』を察知したからかもしれない。で、あれば。レストが彼女に触れる事で…、『最初の魔王』の『記憶』を読む事が出来るかもしれない…?
何故、名前が無くなったのか。予測はついているが、触れてはいけない気がする…。あくまで、予感でしかないのだが。
薬草摘みのフォーアスさん ふみんちょう @ssr00514
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