第7話 『海棲都市シリウス』
「だから、私はお医者さんごっこしてる訳じゃねぇって言ってるだろ!?」
「お前が一番知識があるんだ。何とかならないのか」
「頭を開かせてくれんならどうにかやらない事もないが…」
「ペスケくん!さすがに、それは、ちょっと…!」
遠くで声がする…。
私は…なんで…。
寝てた?覚えてない…。
確か…
メリュー…?
――「『滅』」
「――っ!!」
「レスティ!大丈夫!?」
息を荒げながら上体を起こすと、どこか知らない場所にいる事に気が付いた。…たぶん、『小さな翼』の中だ。部屋の構造はなんだか見たような…覚えがある。
呼吸を整えようとしていると、私の手をそっと握る人がいた。…ベックだ。
「なんだ。目が覚めたのか。折角『勇気』の解明に役立つ何かが得られると…」
「自分の知識欲の為に頭を開こうとしたのか君は!?」
「じゃあミリルさんは気にならないのか?」
「…そっ…それとこれとは…話が別で…!」
「はぁ…研究家たちはこれだから」
ベクルは小さくため息を吐くと私の汗を拭ってくれた。いつの間に、こんなに。
「時間にして約一日。中々に重症だな、認知機能の確認をするぞ。自分の名前は言えるか?」
「…えっ。えっと…レスト・フォーアス…です…」
ペスケは次に隣のベクルを指さした。
「…ベック」
次にミリルさんを指さした。
「ミリルさん」
次に自分を指さした。
「ペスケ」
「なーんでみんな私の事呼び捨てにすんだよ…年上だぞ?」
不貞腐れながらもノーエルを指さした。
「…兄さん…ノーエル・フォーアス」
「問題…無さそうだな。あっ、一応確認するか、こいつは?」
机の上で草を食んでいる兎…。
「…ロップ」
「うむ。気を失っただけで頭に深いダメージは負わなかったようだな」
「よかったぁ…。ペスケったら最悪の想定ばっか喋って!記憶障害の可能性…とかなんとか!」
「常に最悪は想定すべきだろー?『勇気』の使い方を忘れられたら困るしな!」
『勇気』…。どうだろう。もう一度、使えと言われると自信はないけれど。
私の手はいつも通りだ。頭も…ぼやけた感じはしない。眠っている間は何か…ぐらぐらしててずっと怖かったような気がする。あとはおなか…。
――ぐぅぅうう~。
「…誰の腹の音だ?」
「…レスト、だな」
私は思わず頭を掻いて笑った。
「えへへ…。ごめん、ご飯食べる前に気を失っちゃったから…」
「冷めないように火にかけてあるから。すぐにとって…」
「その必要はありません!!」
閉じられたドアから颯爽と現れたのはリオンだった。なんだか久しぶりに見る気がする。
「あの馬鹿の名前は?」
「…リオンさん」
「目覚めたらすぐに食べられるよう、僕が魔法で温めながらドアの前で待機してましたから!」
湯気がたった容器を手袋をしながら持っている。匂いからして、たぶんシチューだ。
「回りくどいことしてないで部屋の中で待ってろよ…」
ベクルは頭を押さえながら座った。ドアの向こうにはラウドの姿も見える。
「キャプテン、そこで何をしている。船は飛んでるのだから機関室で作業を…」
「うるせぇな!!俺だって心配だったんだよ!!レストさん!だいじょう…」
「大声出すんじゃないよ!レスティの頭に響くだろ!」
何だか急に賑やかになってしまった。ベクルはこちらに飛び掛かりそうなラウドの頭を床に押さえつけている。
「…飛んでるの?まだ飛び立つには…」
「君が中々目を覚まさないから、ペスケくんが最悪を想定して『マギニカ』で検査しようと言い出したんだ」
『マギニカ』…確か、まだ生きてる古代装置が多くある所だ。たぶん、そこでなら今の医療技術よりも進んだ事が出来ると踏んだのだろう。薄っすらと覚えているけれど、頭を開こうとしてたような気がする…。傷も付けずに同じような事ができる装置でも、もしかしたらあるのかもしれない。
「ほんと!人をおちょくって脅かして、適当な事いってばっか!!」
「おいおい。そんなに拗ねることないだろ?そうならなくってよかったじゃないか」
「…まぁ、それはそうだけど」
「とはいえ、『マギニカ』で色々やりたい事が増えたのも事実だ。検査には協力してくれよ?」
私は無言で頷いた。数少ない、役立てる事だ。私にできることなら幾らでも協力したい。それが…きっと。
「これ、さっさと機関室に連れてって!」
「離せぇぇえ!!無事を確認して!手を取ってもらって!「私は大丈夫だよ、ラウドくん♥」って微笑んで貰うまで俺はぁぁああ!!」
「後で俺からいくらでも頼んでやる。船が安全に飛ばないと全員に迷惑がかかるだろ」
ノーエルが片手でラウドを持ち上げると、奥へとさっさと引っ込んでいった。とりあえず私は手を振っておくことにした。
「あっ!?おい!ノーエル!!ちょっと待て!!俺も手を振り返さないと…!!」
開いたドアの向こうへ運ばれるとベクルが素早くドアを閉めた。何かその後も言ってるような声が聞こえるが聞き取れない。
今は飛んでいるらしいが不思議なくらいに揺れる事はない。空を飛ぶ仕組み自体、私には分かってないのだがもう少し揺れるものだと思っていた。操縦は荒いとか、そういうのは時々聞いていたから。
机の上に置かれたシチューはいつも通りの匂いがして、こぼれる心配がないほどトロトロだった。美味しそう…。
「あっ!?リオン!あんたスプーン持ってきてないじゃないの!?」
「…!そうだ!!しまった!!僕としたことが!!あぁ~!!すぐに持ってきます!」
勢いよくリオンは部屋から飛び出していった。たぶん、温めることに夢中でそこまで気が回らなかったのだろう。ベクルもたまにやる、だから気づいたんだろうけど。
「早めに食べ物は腹に入れておいたほうがいいだろう。私のパンを浸ければ少し食べられるんじゃないか?」
大き目の鞄から準備よくミリルさんがパンを取り出した。焼きたて、という訳ではないが焼き目がついた美味しそうなパンだ。
「ミリルさん!いいんですか…?」
「構わないよ。元よりそのつもりでこっそり持ってきたからな。君が目覚めなかったら船にとまる鳥にでも配ろうと思ってた」
ベクルはちょっとムッとした顔をしたけれどその準備の良さがミリルさんの素晴らしさだ。ありがたくいただくとしよう。
湯気が漂う暖かいシチューの中にちぎったパンを少しだけ浸す。味を想像する、いつもの味でひたひたになったいつものパン。いつも美味しいと思っていたような味がするのだろう。
それなら今すぐにでも口に入れたい。何せもう、お腹はぺこぺこだから。きっといつも以上の味がする、そう期待して口に運んだ。
…いつもの味だ。
「うん…。美味しい」
いつも通りで良かった。ちょっとだけそう思った。
「私は改善した方がいい、って言ったんだがな?ベクルのやつ変に頑固で…」
「レスティは美味しいって言ってるでしょお!?なんでケチつけるのよ!?」
「わわ!喧嘩しないで…!」
ベクルとペスケは喧嘩してばかりだ。昔はそれなりに仲が良かったらしいんだけど。何度か理由を聞いてみたけれどなんとなく気に入らないらしい。はぐらかされたような気もするけれど、理由の一つでもあるような気がした。
「だいたい!そういうあんただって味変えてないでしょ!」
「そりゃそうだ。栄養と味のバランスを考えたらあれでいい」
「ほら見なさい!絶対そうだと思った!!」
「はっ!分かってないなー?食事はその時、その時で変える必要がある。ましてやレストは療養が必要なんだ、ちゃんと頭に入れて料理をしたかー?」
「ぐっ…!いや…っ!それでも!いつもの味の方がいいと思って…!」
「わ、私はいつもの味で安心したよ…?」
「おーっと!レスト、助け舟は不要だ。こいつは結構甘やかされてきたからな。厳しめの教育が必要なんだよ」
ベクルは今にも噛みつきそうな顔でペスケを睨んでいる。…なんか、今でも仲が良いのかもしれない。
「ペスケくんはノーエルくんの一つ上…という事もあって二人を先導する姉みたいな役割だったのだよ」
姉…。兄はよく知っているけど、姉はよく分かっていない。私は妹だし、知り合いに姉はいなかった。
いや、忘れがちだったけどペスケは本当の弟もいる姉だった。紹介もされなかったから分からなかったけど…。
「私はノーエルと違って12の頃から『星の左手』に潜っていた。ずっと『マギニカ』で育っていた調査隊生まれだよ」
『魔法特区マギニカ』は現在、人が住める第二の都市だ。あそこでは一定量だけ、今でも植物の自動栽培が生きているらしい。それ以外は相変わらず死の土地だ。選ばれた調査隊だけがそこで生活する事を許されている。それ以上は生きられないから。向こうでもそれなりに人の営みがあって、子供が生まれて一定以上になると『カントリーヒル』に送られてくる。こっちならまだ土地が生きているから、多少人が増えても問題なく受け入れられる。
「だから最初、『救世主』サマなんて大したことないだろうって思ってたのさ。むしろ私こそが『救世主』だと思ってたね」
「それは…」
ベクルが何か、挟もうとした。彼女も期待されてた側だから自分もそう思ってた、と言おうとしたのかもしれない。
「いやー!甘く見てたね!最下層の扉を手でこじ開けるだなんて発想すらなかったからさ!」
私は実際、見たことが無かったのだけど『星の左手』の最下層は頑丈な扉で封印されていたらしい。魔法か何かで鍵がかかっているから、お父さん達はそれ以上先には進めなかった。壊すことを試さなかった訳じゃないと思うけど、開かないから進めなかったのを開けたのが兄さんだ。話だけ聞いたけど扉の僅かな隙間に指を突っ込んで力で開けたらしい。
まぁ兄さんならできるだろうな、と思った。
「自分の発想が凝り固まっていると気づかされたよ!まー私がその後に動かそうとしてもビクともしなかったんだけどさ!あの扉」
「あれは…なんか『救世主』とは違うでしょ…」
らしいかと言われればらしくないかもしれない。力で解決する、っていうのはどっちかというと悪い感じがする。
「怖い…とかは感じなかったの?」
率直に聞いてしまった。今は兄さんも近くにいないし、一度聞いてみたかった。
ペスケは眼鏡を外し、拭きながらニヤケ顔で答えた。
「いや?むしろ面白いと思ったね。私の世界には私が最高点だったからさ、それより強いのが二人もいたなんて!」
ベクルの方は一瞥もしないけど、たぶんベクルの事だ。
「私が何でも出来たから私が何とかしなきゃいけないのかよーって思ってたが自分の仕事が無くなると思うと嬉しくて仕方なかったね!」
「ほんと、そういうとこだよね…」
この呆れ顔も、強い信頼あってのものだろう。
「君が好き勝手やってくれるお陰で君自身もレベルアップしている。二人には出来ない事、技術の面でね」
ペスケは自分の事を好き勝手やる自由人だと豪語している。実際、その通りでそのお陰で役に立っている部分はある。だからこそ、兄さんも信頼してるんだろう。
「何度も言うが、私はお医者さんじゃないからな?医療技術には興味があって知りたいだけで誰かを治したくて勉強してる訳じゃない」
「…でも、断れないから私の事も診てくれたんだよね?」
私がペスケに笑いかけると、面倒くさそうに頭を掻いた。
「…私は弟と違って、人に迷惑をかけることで愉悦を感じる性質じゃない。助けてくれと言われれば損じゃない限りはやるさ」
なんだかんだで、やっぱりいい人だ。少なくとも悪い人ではない。弟さんをどういう目で見てるのか気になる言い回しではあったけど。
慌ただしい足音がドタドタと響くと、ドアが勢いよく開かれた。
「レストさん!スプーン!この通り持って…」
話を聞いている間、自分では意識してなかったけどだいぶ食べていたらしい。言われてからどれくらい残っているか確認すると、シチューはほとんど無くなっていた。パンは形も無い。
お腹空いてたからなー…。
「おかわり、持ってきて」
「…え?えーっと…。あ、その…分かり…ました…」
ベクルに言われるままに踵を返してトボトボと部屋から出て行った。ちょっとかわいそう。早く食べちゃった私も悪いんだけど…。
空容器を持って行ったリオンを見送るとミリルさんは近くの机に何かを広げ始めた。
「それは?」
「ああ、『シリウス』の地図だ。私が見たものを書き写した。ノーエルくんもそろそろ帰ってくるだろうから…」
「『マギニカ』にデータだけ残ってたのさ。紙に残ってなかったから運ぶには書き写ししかなかった」
データ…。よく分からないけど、紙に複製したらしい。少し体を前に突き出して見てみると、綺麗な線と字がびっしりと書き込まれていた。
「と言っても…開発初期の設計図を写しただけなんだ。内部は変わっている可能性がある」
『海棲都市シリウス』は海に浮かぶ孤高の都市。予言にも触れられてないし都市機能は遥か昔に完全に死んでいるという記述があったらしい。何か重要なものがあるとかそういうのもない。だから今の今まで、注目される事は皆無に等しかった…とミリルさんは言っていた。
「私はその場にいなかったから疑わしいんだがな?その…『滅竜』が言うように『シリウス』に人がいんのか?」
「…彼女の言う事を信じるのなら。だが…あそこに辿り着けるのは『小さな翼』で乗り込むしか…」
空を飛ぶ船『小さな翼』は今のこの星において唯一の移動手段だ。私は他に船というものを見たことがない。海は途方もなく広く、一度投げ出されたら陸に上がるのは困難という話も本でだけなら見たことがある。泳いで行くのも不可能…だろう。
だとすれば、過去に『小さな翼』で運んだことがあるか…それか元々、あそこには人が生き残っていて…とか?ろくに調査されてなかったらしいから有り得る可能性ではある。
「そこにレスティの兄妹がいる…ねぇ…。見てきたって言われても…」
目撃したのは『滅竜』だ。正確には感知した…みたいな感じだったと思う。彼女の言う事を一から十まで全て信じていいのか、という部分はあるが。私と…ミリルさんは信じていい、という結論には達したようだ。
「…可能性だけなら頭の中に浮かんでいる。ペスケくんはもしかしたら知っているかもしれないが…」
「あー?私が??」
明らかに素っ頓狂な声を出した。完全に気を抜いていたようだ、それか頭の中で可能性としてゼロと置いていたのか。
「ただ…。まだ結論には至らない。何せ、彼女が『フォーアス』を名乗る訳もない…」
「言うだけならタダなんだから聞かせて貰おうか?その…」
ペスケがミリルさんに詰め寄ろうとしたとき、ドアが静かに開かれた。リオンかと思ったが、体の大きさから違う。ノーエルだ。
「…何の話だ?」
「ちょうど良かった。今から作戦会議を始めようと…」
「…あー!!ちょっと待ってくれ!今から20年くらい記憶を振り返るから!!」
ペスケは部屋の片隅にあった椅子を引っ張り出して乱暴に座った。ミリルさんが話を逸らしたから自分で思い出す事にしたらしい。
「ヒントをあげると20年より前10年より後だ。ペスケくん」
「そんなガキの頃覚えてられるかよー…。こちとら30年は本を読んでは積み重ねてきたんだぞ…」
ミリルさんは少し笑いながら地図の前に体を運んだ。小さい体では机の上の地図を眺めるのは難しいようで、ロップが乗っている机を近くまで引きずって運ぶと椅子から足をかけて机の上に登った。立つのは少し不安なようで、膝を付けて座りながら地図の上に指を運んだ。
「我々はまず、発着場に乗り込む。『シリウス』の口にあたる部分だな」
ちょっとだけ教えてもらったけど、『海棲都市シリウス』は大きい魔物をそのまま街にしたもの…らしい。地図の外側だけ見ていると大きな狼のようにも見える。
口の中に舌のようなものがあり、そこが発着場になっているらしい。見たところ、そこ以外に入れそうな場所はない。どうやっても空からしか入れそうにはないけれど…。
「…正直、俺はこの地図も初めて見た。本当にこの街は…、というかこの生き物の中は大丈夫なのか?」
「というと?何か心配なの?ノーエル」
「海に浮かぶ都市…。それが死んでいるという事は内部は水没しているのではないかと思った。発着場は沈んでいないのは空から何度か見たことがあるが」
確かに、中身が水没していたとしたら調べる意味がない。だってそこには人が住める環境がないのだから。そもそも、どういう環境なのかが想像できないのだけど…。
「内部の排水施設はまだ死んでいないはずだ。半永久的に稼働するよう設計されているからな」
ミリルさんがお腹の辺りを指さす。そこから指を外へ向けて何度か振ったので大体その辺りから水が出ていくのだろう。
「『海棲都市』はメンテナンス不要、完全な循環を目的に開発された。都市機能の一部が死んでも完全には死なないように考えられている」
「むかーしに教えてもらった気がするけど…何だったかなぁ。これを量産して売り捌こうとしてたとか何とか言ってなかった?」
ミリルさんは手を叩いたあとベクルの方を指さした。
「よく覚えていたね!ベクルくん!『魔物』を人工的に作り出すのに成功していた古代の人々は街を量産して『外』へ売り出そうとしていた!『シリウス』はそのモデルハウスの一つで昼は海の中に沈み、夜には海上に浮かんで光り輝いていたという…!」
ミリルさんは何だか嬉しそうだ。自分が知ってる事を他人も憶えていてくれると嬉しいものだ。ミリルさんはよくそう言ってる。いっぱい勉強したから自分が知ってるつもりでも他人は憶えてくれない事がいっぱいあったのだろう。こういう時は本当の少女のように嬉しそうだ。
実際、容姿は子供なんだけど。
「はいはい…」
「街を量産する、という計画が立ち上がった時、人々は生き物の中に街を作るという答えに辿り着いた。これは我々、人体の中身も小さな街として捉える事が出来るからである」
私達の体は小さな物が積み重なってできているものらしい。私達はただ、ご飯を食べて寝ているだけでも体の色んな所で小さな物が仕事をして、栄養を送って、駄目になった所を治して成り立っているもの…だと聞いた。
生き物が街になる、という事はこれらが自動的に行われる、という事だ。海に浮かぶ都市…という事は水や魚だけで生きる街…なのだろうか。
「『シリウス』は海に流れ出ている『魔力』だけで生きている街だ。それを様々なエネルギーに変換する事で内部の電力や農耕施設、果ては住居すら生体の一部であり自動的に修復されるという。正直、本格的に調査ができるのならずっと籠っても面白い場所なのだが…」
「『魔力』だけで…。だから水は内部に貯まらないってこと?」
「そうだ!その通り!!正確には海上に浮かぶために水を貯めておく場所があるのだが…、それすらも飲み水にできるよう濾過処理の設備があってだな…」
「ミリルさん。内部が安全なのは分かったから今は『シリウス』の解説よりも…」
「…?……あぁ~!!そうだった!すまない…」
ミリルさんは頭に手を当ててうなだれた。教えてくれるのなら知りたい所だけど、作戦会議だもんね、一応。
「と…ともかく!発着場から乗り込んで真っ直ぐに奥へ向かう。入口付近は街のライフライン設備が多い。あっ、えーっと…水道や電気といったものを管理している場所で…いや…水道も電気も『カントリーヒル』には…」
ミリルさんの口からよく分からない単語が出てしまうのは今に始まった事ではない。私は苦笑いしながらロップの頭を撫でて落ち着くのを待った。
「この辺りの施設は私が操作する。中に誰かが住んでいたら…ここが稼働しているはずだ。『マギニカ』に送られていた操作ログ…履歴には施設の稼働を停止した、とあった。私が確認したのはもう何十年も前だから、誰かがいればここを稼働させているはずだ」
「食べ物の確保もそうだけど、海の水って飲めないんだよね?」
「そうだ。だから『滅竜』の言う通りに誰かがいるのならここを動かさないと人は生活できない。操作方法は…私の教えを受けていたようなもの好きがいたら…動かせると思うが」
少し、言葉を濁した。それだけでは動かないような事を言いたそうだ。
「『シリウス』は古代の遺物だ。ちょっと動かし方を教わった程度で簡単に動かせるはずがない。ミリルさんの教えを受けた、優秀な弟子…俺はそんな人を…」
「そんなに優秀な弟子を取ってないはずだとでも言いたいのだろう?実際、それはそうだ。老けるまで孤高を気取っていたし、ライトから貰った役割を失いたくないから後進の育成というのはした覚えがない。欠点であると自覚しているから臆せず指摘してもらって構わないよ」
私もそれなりの付き合いをしているが、ミリルさんから弟子の話は聞いた覚えがない。そもそも、『ミリル・アートヴァンス』という人自体が弟子を取らない、みたいな話をミリルさん本人がしていたような気がする。
『大魔導士』の称号も、先代が後進に教えを説くものではなくて誰からも認められる実力が必要だ、というような事を言っていた。そんな事を言っておきながら、皆にはよく勉強を勧めてたりするからこの人は『ミリル・アートヴァンス』の中でも変わり者なのだろう。
「ただ…まぁ。『マギニカ』の調査隊…一部の者には古代遺物の調査の為にIDカードを作ったから…。それを使えば簡単に操作できるはずだ」
「なにそれ。遺物の操作を簡単にするものなの?」
私は初めて聞いた。ベクルも初めて聞いたみたいだ。ノーエルは…表情からじゃ分からない。ペスケは何考えてるのか分からない。たぶん、まだ30年くらい前の事を思い出してる。
「一部の機械は一定の権限がないと操作できない仕組みになっている。認証に必要なのがIDカードだ。責任者である事を簡単に示すと同時にそれ以外を簡単に弾けるようになっている」
「…俺も、確か貰ったな。部屋の中に置きっぱなしになっているが」
「どんなものなの?大きい機械?」
私は分からないから素直に聞いた。ペスケにちょっと笑われた、ような気がする。
「いや、小さくて薄い板だ。差し込むと認証する…と言っていたな」
実物が見られるなら見てみたいが、取ってきてもらうのも気が引ける。自分の両手でどれくらいか想像してみる。古代の技術、という事は小さいやつはすごい小さいからこれくらいあるだろうか。指で形を作ろうとする度にペスケの方から笑いが零れているような気がする。
「『マギニカ』に着いたらレストくんにも作るさ。製造する機械を修復して、私を最高責任者として登録したから量産は可能だ。特定以下の権限しか与えられないし、パネルの操作方法とパスコードも知らないと大型の機械は動かせないが…ドアの開け閉めくらいは簡単にできるはずさ」
ドアの開け閉め…かぁ。わざわざ板を差し込むくらいなら自分の手で開けられた方が早い気がするんだけど。昔の事情というやつはよく分からない。
「私も確か持ってたけど、アレってそんなに使えるやつだったの?どこに置いたか忘れちゃったな…」
「実際に動かすのはさっき言った通り私がやるさ。それに作った時点で君達の生体情報も登録されるからIDカードは無くても大丈夫だよ。カードが必要なのは大型の機械を動かす時にカードと生体情報の両方を使う二重認証になっているからその時だけだね」
「…まさか、作っても私達、ドアの開け閉めしか出来ない?」
ミリルさんは朗らかに笑った。どうやらその通りらしい。
「昔の技術というのは当然だがその当時の知識や技法を基準に作られている。知っていれば便利だが、知らなければ何も出来ない」
「…という事は、『シリウス』にいる人間は知っている側か…」
ベクルやノーエルも『マギニカ』にいた時間は長いだろうけど、戦闘が主な役割の二人にとっては勉強するより戦う時間の方が多かったのだろう。
「…調査隊の一部隊員には、古代言語のレクチャー…もとい教えを授けた事はある。大体の機械は暗号化された古代言語を読み解いていけば操作方法が分かるようになっているからな。マニュアル…説明書を内蔵しているものも多いから…IDカードと古代言語をかじっていれば『シリウス』で生きていく事は不可能な事ではない」
「ただ一つ、不可解なのは…」
それまで黙っていたペスケが突然、口を開いた。
「わざわざそんなとこで、何してんのかって話だな。渡るのにも一苦労、ライフラインと食料を確保できたとしても、海に漂う孤島に住む理由はねぇ」
「…確かに。私達は死んでる、って教えられてたし、わざわざそんなとこに住もうだなんて発想は持たないわ」
説明を聞く限り、生活はできると判断できる材料はあるかもしれない。でも、そんな所にいったとしても未来はない。もうその街は死んでいる事が分かっているし、治せるとしてもこの星に再生できるだけの材料はないはずだ。『星の心臓』だってまだ見つかってないんだから。
「…たまたま流されちゃったとか…?」
ベクルはちょっと呆れ顔で、ペスケはちょっと考え込む表情で視線を外した。
「レスティ。あの海に入ろうだなんて馬鹿はいないわ。ただっぴろいだけで他には何にもないんだから」
「仮に調査の為に上陸していたとするのなら、『マギニカ』の調査隊がその事を了承しているはずだ」
会話の途中にドアが静かに開かれる。それと同時に、嗅いだことのあるいい匂い。という事は間違いなく、リオンだ。
「おかわり、持ってきましたよ。どうせだから皆さんの分も…」
大き目のトレイに乗せられるだけ敷き詰められている。そのどれもが美味しそうな湯気を立ち上がらせて私の鼻腔をくすぐる。一杯、食べたらお腹も膨れたつもりだけど目の前に出てくると食べたくなるね。
「モテる男は気遣いが出来るねぇ。参考にしたほうがいいぞ?ノーエル?」
「いちいち俺に突っかかるな」
二人は軽く言い合いをしながらトレイの上のシチューを一つずつとっていった。私の分と、ベクル、ミリルさんの分でちょうど…ちょうど?
「リオンさんのがないけど…」
「ああ、僕はいいんです。元々、そんな食べないですから」
そう言われてしまうと困る。男の人より食べる、みたいな印象はきっと良くない。ただでさえ私はそんなに役に立たないし。ここは我慢してリオンさんに渡すべきだろうか。
「…あ、あの。リオンさん…」
「当ててやろうか?取りに行くときに食っただろ?」
「僕はそんな食い意地張ってないですよ!それより、何の話をしてたんですか?」
ペスケが間に入って流れてしまった。私は仕方なく手に持ったシチューを睨むことにした。
「大した話はしてないよ。『シリウス』についての説明をしてた所で…、調査隊の誰かがいるかもしれないと言った所だったかな?」
「調査隊の…そういえば、『行方不明者』の件って解決してたんでしたっけ?」
「あれは別件だ。ラムダのやつがあれこれやってんだろ」
ペスケは悪態をつきながら答えた。見るからに不機嫌だ。
「『行方不明者』って…それじゃあその人達がいるって事じゃないの?」
「はっ!どうせそういう事にしてるだけだよ!私の弟だぞ?どんな趣味してるのか、だいたい想像がつくだろ?」
ラムダは確か…ペスケの弟だ。調査隊の隊長らしい。ミリルさんからちょっと聞いた話だとペスケの言う通りの変わり者らしい。それでも実力は折り紙付きで、ベクルに並ぶくらいには強い…とは聞いた。
この星の強さを並べるとすると、ノーエルが一番で次がベクルだ。ペスケやリオンはそこからもう少し下の格になる。ベクルと二人には結構な差があって、ミリルさんの説明によるとノーエルを90としてベクルを80。ペスケとリオンが50という数字で説明してくれた。ごく一般的な私は数字にすると5くらいだと言っていた。ベクルと同じというのは相当すごい事だ。
「自分の家族について、こんな堂々と悪口言えるのは才能ですよね…」
「同じ血が流れてるからこそ分かるものもある。あいつは救えないやつだよ、私が落ちないようにしてた所に落ちやがった」
ベクルやノーエルからはまったく話に聞いていなかったけど、そんなに悪い人なら皆そう言っているはずだ。だって、調査隊の隊長になってからそれなりに時間が経っているはずだから。
「そこまで言う?私は…正直ラムダの事ほとんど見たことないから擁護できないけど」
「ベックは見たことないの?」
かつてはノーエルやペスケと一緒に『星の左手』に潜っていたはずだ。調査隊も同行していないはずはないから隊長の事は知っているはずなんだけど。
「んー…。名前と顔は知ってるんだけど…。全然、前に出てこないんだよね」
「あいつにはあいつの仕事がある。そう思って深く追求はしなかったが、隊長として仕事をしている所はあまり見たことがないな」
意外にも二人とも全然知らないような口ぶりだ。ミリルさんなら…知ってるのではないかと思って視線を移すと、私の視線に気づいた後に腕を組んで唸りだした。
「…私も、彼が隊長になる所には居合わせたがここ十年くらいはずっと『カントリーヒル』にいたからな…。最近の彼の事は詳しくは…リオンくん、君は?」
「えっ?僕も知らないですよ…。確かにあの人とは同門というか…同じ師から学んだ身ではありますけども」
「へー、そうだったんだ。知らなかった」
ベクルは興味なさげに、声の抑揚を無くして喋った。流石に可哀そう。
「…ごほん。まぁ彼の方が優秀だったので、実戦も立場も上をいかれてしまいましたが。癖の強い人ではあったと思いますけど…」
性格に難があるとは思っているらしい。そこはペスケと同意見だ。でも声色から悪人だとは思ってないような気がする。
「はっ!まーそこまで言われるのなら私が間違ってるのかもしれないな?それじゃあこの話は終わりだ!悪かったな!」
「そんな露骨に拗ねなくったっていいじゃないですか…」
「確かに調査隊にはちょくちょく『行方不明者』が出てた。だけど、それが全部『シリウス』に行ってたとしてもおかしい話なんだ」
確か、何らかの『異常』が起きているらしい。『魔力』の消費が激しいとかなんとか…。ここまでの話から整理すると、死んでいた『シリウス』が流れ着いた誰かによって起動させられていたら『魔力』が消費されるはずだ。それを使って人間が生きられる環境にするらしい。だとすれば、おかしい部分はないはずなのだけれど。
「数値は数百…数千でも足りないくらいだ。設計図のとこに書いてあった消費スペックから逆算しても計算が合わない」
「…『シリウス』は過剰な魔力は使わないように設計されているはずなんだ。あくまで売り物だからね。でも、まるで『蘇ろう』としてるかのような…」
一度、死んだものは蘇らない。間近な人が死んでしまうとよく分かってしまう。お父さんだけでなく、お母さんが死んでしまった時に理解した。お父さんが死んだ時はまだ、いつか帰ってくるんじゃないかと心のどこかで思っていた。
蘇る、なんて有り得ない。
「…死んだものは『蘇らない』」
私から出るはずだった言葉が、いつの間にか出ていた。その言葉は、ノーエルから出ていた。
「よく分かってるじゃないか。死ぬのは最も無意味だ、『救世主』サマは分かってるねぇ~」
ペスケは厳しい言葉を軽く言ってのける。命の重みが分かっているからじゃない、死の意味が軽いと思ってるからそう言っているんだ。
「両親が死んでる二人に対してよくそんな事言えるわね」
「ベクル。気遣いはいい。こいつの軽口は慣れている」
兄さんは強がっているけれど、きっと傷ついている。お父さんが死んだ時に一番傷ついてたのは兄さんだ。
何か言い返そうとしたけど、上手く言葉に出来ない。兄さんは強がらなきゃいけない人間だから。弱い所を見せちゃいけない、人だから。
「ともかく、『蘇らそう』としてる奴がいるかもしれないっつー話だ。そんな事して何になるのかって話なんだが…」
「…街が一つ『蘇る』のなら、一応の意味はあるのでは?」
リオンが疑問を口にした。確かに、人が生活できる場所が一個『蘇る』だけでも大きな価値がある。今、まともに人が暮らせるのは『カントリーヒル』と『マギニカ』だけだ。どれほど大きい街なのか分からないけど、きっと何万もの人が暮らせる街だろう。それが『蘇る』のなら、意味はある。
「今、この星が死にかけてるのは『魔力』が枯れかけてるからだ。あんな『魔力』頼りの街が『蘇った』ところで星が死ぬだけだぞ」
「…『永遠の黄昏』…じゃないの?」
思わず口から出た。『予言』によれば『永遠の黄昏』が起きて星が死ぬ。そのはずだったのだけれど…。
「それ以前の問題なんだよ。『永遠の黄昏』が起きる前に『魔力』が枯れて死ぬ」
私は思わずミリルさんに視線を送った。
「…この星の全盛の頃と比べて、今、この星にある魔力は一割にも満たない。原因は不明だ、古文書に一切の記述がない。『予言』にも…」
私も『予言』に『魔力』の類の言葉が出ている事を聞いていない。確か、以前に全ての物に『魔力』が込められていると聞いた気がする。だとすると…。
「…もしかして、この星のほとんどが死の大地なのは…」
ミリルさんは静かに頷いた。
「大地に栄養も…『魔力』もない状態では生き物はもちろん植物も栄えることも出来ない。『魔力』が残っているのは…」
『カントリーヒル』と『マギニカ』だけ。だからそこに人が住める、という理屈なのだろう。なのに『シリウス』で『魔力』が消費されてしまうと…。
「だからこそ、確かめに行かにゃならねぇ。…そろそろ着いたんじゃねぇか?」
ペスケは空になった器を机に置くと立ち上がった。私も立てるかな、ふと思って毛布をどけるとベクルが何も言わずに肩を貸してくれた。
足に力は入る、ずいぶん久々に立った気がする。そういえば、今、この船は飛んでるんだった。どういう景色が待っているんだろう。心が少しだけ、沸き立つのを感じていた。
少し長い廊下を抜けて、甲板に出ると髪を揺らす程度の小さな風が起きた。視界に広がるのはひたすらに青い、大きな空。ちょっと見上げれば雲が見えるくらい、あの雲より高く飛べれば『天界』にだって行けるはずなんだけど。
甲板の右舷、少し遠くに『シリウス』があった。図面で見せて貰った通りの狼の頭が見える。その正反対側には崩れ落ちている『セントラル』の塔が見える。高いとこんなにもよく見える。お父さんはずっと、こんな景色を見ながら旅をしていたんだなぁ。
南の方には焦げたような大地が見える。目を凝らすと、枯れ木がいっぱい並んでいる。川のように抉れた大地が這っていて、もしかしたら、昔は緑豊かな大地だったのかもしれない。そんな想像が出来た。
自由に空を飛べたなら、そんな夢想は何度もした覚えがあるけれど、実際の景色は格別だ。視線をあちこちに動かす私が珍しいのか、ベクルはくすりと笑った。
「向こうに見えるのが『シリウス』だ。あと半刻もあれば着陸できるな、見た限りでは…人の気配は感じないが」
ミリルさんは単眼鏡を覗き込んで確認していた。他の乗組員もこぞって『シリウス』を監視している。動きがないのはたしかなようだ。遠目に見ても、何か生きているような気配はない。死骸、という言葉が似あうように干からびている巨大な狼だ。元は白かったように思えるが、くすんだ体表はこれまでの時間の経過を示唆している。本当なら全て腐り落ちて、穴だらけになってもおかしくはないと思うんだけど。
「こんな近くで見るのは初めてね。いつもならこっち側に寄る事すらないから」
「辛うじて形を保ってるって感じだなぁ…?本当にあの中で人が生活できんのか?」
私達からしたらそう思うしかないけれど、形として実際に存在しているのならできるのだろう。昔の人が設計して、組み立てたからあの場所にいる。そして組み立てられた理由はさっきまでに説明された通りだ。
「稼働停止のログが送られてきたのは今から一万年は前だ…。理由は緊急事態につき、とだけ書かれていた。内部が崩壊している可能性はある」
「結局は、それから今の今まで一度も確認した事がないから分かんねぇよな」
お父さんがあそこを旅した、という話を聞いた事もない。恐らく、一万年前に動きを止めてから中に入った人間は一人もいないだろう。そこから、外へ出た人も。
今まで誰も足を踏み入れた事が無い場所に入るのだ、と思うと身震いがする。ワクワクする、という気持ちは嘘ではない。兄さんも『星の左手』の最下層を開けた時に同じ気持ちだったのだろうか。そんな子供の様な人ではないと思うけど。
扉が勢いよく開けられる音がした。振り返ってみると、飛び出してきたのはラウドだ。
「いた!ここにいた!!間もなく着陸態勢に入るので船の中に入っていただけると…!」
「危ないの?」
「中から何が飛び出すか分かりませんから…。いえ!いざという時は俺が盾になって…」
「発着場は当時の設備がそのままなら安全に降りられるが…。私達が確認してから、の方が安全だろう」
地図を片手に持ちながら、ミリルさんは『シリウス』から目を離さなかった。近づくにつれ、奥から光が漏れているような気がした。だとすると、中に何かがいることは間違いがないのだろう。
ついでだから、機関室の中に入れて貰った。中には今まで、ラウド家の人以外は入った事がないらしい。ベクルも心配だからって一緒に入ったけど。
中央には光り輝く結晶が透明な壁に囲まれて置かれていた。いくつかの紐のようなものが結晶に向かって伸びている。手前には…よく分からない機械がいっぱい。
「へー。ここから外が見えるんだ」
ベクルの視線の先には、つい先ほどまで見ていた外の景色が映っていた。ミリルさんがいたらもっと詳しい解説が聞けたのだけど、それを見ながらラウドは何かを操作していた。
「このモニターを見ながら、こっちで出力を操作しながら接岸していくんです。この着陸の時の操作がほんと難しくって!いやー!俺にしか出来ないなー!?」
「…聞く限りじゃ、ミリルさんやペスケにも出来そうな気がするけど」
「そんな事ないよ。ラウドくんにしか出来ない事だからみんな任せてるんだよ?」
ラウドは何故か顔を手で覆いながら震えていた。褒められたのが恥ずかしかったのかな?私の周りでよく褒めてくれる人はミリルさんくらいしかいないからきっと褒められ慣れていないんだろう。
部屋の中を改めて見回すと、不自然に空いた空間があった。透明な壁があって、周りに紐がいっぱいぶら下がっている。見た限りでは、中央の結晶と同じ構造だ。ここに同じようなものが入るのだろう、と想像は出来るけど、何故空いているのかが気になった。無くても飛んでいるということは、今は必要ないって事かもしれないけど。
「…あそこは?何か入るの?」
指差して尋ねてみた。ラウドはまだ震えたままだ。
ベクルが勢いよく、はたくと私が指差した先を同じように無言で指差した。
「へ?…あ、あぁ…。そこには『星の心臓』が…」
「『星の心臓』…」
『天界』に行くために必要な物。『星の心臓』。想像図としては見たことがある。中央に置いてある結晶と似たような鉱物だったように思う。採掘施設だった『星の左手』の最下層に生まれるという記述から、鉱物である事は間違いがないのだろう。
だとすれば、あの場所に接続することで『小さな翼』は『天界』に行くだけの浮力を得られる…。これで間違いがないのだろう。
「…なんか所々焦げてない?」
ベクルが指摘したように、壁の中は焦げたような跡が見える。匂いは感じないからつい最近に出来たものではないのは確かだ。というか、旅に出る前に直したはずなんだけど。
「あれはライト…。レストさんのお父さん、『ライト・フォーアス』さんが無理矢理『天界』に行くために試行錯誤した跡ですよ」
「…お父さんが?」
お父さんが『天界』を見た事は知っていた。けれど、どうやってそこまでたどり着いたのかは聞いた事がなかった。あのスケッチから、高度をギリギリまで上げる事が出来たのは分かるのだけど、そんな方法があるのならもう一回やれば『天界』に辿り着ける。
「船の出力を限界まで上げて、上げ過ぎてあそこに繋いでた結晶が発火したからこのままじゃ船が燃えるってんで『星の心臓』がちゃんと手に入るまではあの場所を空けてるんです」
「…『星の左手』からは、まだ結晶の採掘が出来るからそれを無理矢理使ったのね」
『星の左手』でとれる結晶は低質だが燃料になっている。普段はそれを使って『小さな翼』は飛行しているし街の生活にも使っている。
要は質の悪い燃料を大量に使う事で強制的に出力を上げたのだろう。炭を使わず枯草の燃焼だけで浮力を得たようなものと考えればお父さんがした無茶がどれだけの無茶なのかよく分かる。実際にやろうと考える事も実行に移した事も凄いんだけど。
「一回『天界』に着けばそれで終わるって話でも分からんもんだから…どうやって帰るんだって話もあるしね。その場の皆で何とか言いくるめてスケッチだけで済ませて降りたって話。何せ!この船が唯一の移動手段かつ!『天界』に辿り着ける方法だからさ!!」
やろうと思えば一回だけ、『天界』に行くことは出来たのだろう。でも、ラウドの言葉の通り、帰る手段も『小さな翼』しかないのだ。この船がなくなってしまうことだけは一番避けなくてはならない。そう思うと、よくもまぁ一万もの年月を無事でいられたと思うけど。
「…たぶん、ミリルさんが一番反対したんじゃない?」
「親父がよく言ってたよー。「あの時のミリルの剣幕が一番怖かった」って!」
下手をしたら自分たちが死んでしまいかねない。確かにあの人が怒りそうな手段だ。
話を聞きながらラウドが船を操作しているのを見ていると、僅かに船が揺れた。思わず体勢を崩すと、ベクルが素早く腰を支えてくれた。どうやら着いたみたい。
機械には完全に接岸した様子が映っている。そこから一人、二人と降りていく様子まで見える。安全が確認されるまでは出てはいけないとは言われているけれど。
「昔の船だからか…係留できそうな場所もない」
突然、機械から声が聞こえてきた。ミリルさんの声だ、たぶん。
「必要最低限の人数だけ降りて、船には一旦、離れて貰った方がいいかもしれないな」
「えー?そんなの中で何かあったら…」
ラウドはこちらを見ながら心配そうな声で言った。
「むしろ帰りの手段が無くなってしまう事の方が怖い…。ああ、君の腕を信じてない訳じゃないよ?だが何時間かかるか分からない調査に付き合わせるよりも…」
「…どういうこと?」
「…今は手動で寄せてるだけで、なんかの拍子にぶつかったりして壊れたら直しようがないでしょ?」
もしかしたら、『シリウス』の最深部まで立ち入るかもしれない。そうなったとき、時間にして何時間かかるか分からないのに繊細な操作をずっとさせる訳にもいかないだろう。ラウドはこの船を操縦できる唯一の人材なのだし。
「少し離れたとこに飛ばしてる…だけなら楽なの?」
「まぁ…。空に浮かんでるだけなら難しい操作はないから…。いや、でも…」
「大丈夫だ。この船の少数精鋭でダメなら星の救いようもないだろう?」
いま、この船には星の最高戦力が集まっていると言っても過言ではない。調査隊の隊長であるラムダと…協力してくれるらしい『滅竜』がいないけど。その二人には今は別々の仕事があるから仕方がない。
もし、何かあったら。というのはそれだけ集まっても無理なら星は救えない、という話だ。これだけの戦力がいて…例えば『魔王』がいて、負けてしまうのなら星だって救えるはずがないのだ。
「…分かりました。でも、レストさんは…」
「いや、レストにも来てもらう」
声はミリルさん、じゃなくてノーエルだった。
「兄さん?…でも、私が行っても…」
「お前の感覚は探索に役立つかもしれない、とミリルさんも言った」
これまでの話から、私は他の人より魔力に対する感覚…嗅覚といっても間違いないのだろうけど、それが鋭いらしい。私でも、役に立つ事があるのなら。どんな危険な事だってやってやりたいとは思う。
「わ、わかった!頑張る!」
「…まぁノーエルに私もいるし。心配はいらないわ。私が命に代えても…」
「いや!ベクルの命じゃ釣り合いが…」
言葉が終るよりも早く、ラウドのポケットから飛び出していたハンマーの先端が突き飛ばされて宙に浮き、ラウドの足の甲に正確に落ちた。
「いったっっ!!!!」
「行こう、レスティ。『私も何か出来たら私がやる』」
「うん。ベック、『頼りにしてる』」
今までも、一緒に仕事をしてきた期間は長いけど、危険な事は始めてだ。新しい事は何だってワクワクする。ずっと同じ時間を流してきただけに。
停滞していた全てが、動き出しそうな気がする。そんな気がするだけ…だけなんだけど。
船から降りた不自然に長いタラップを渡り、発着場に辿り着く事が出来た。ミリルさんの話では規格が合っていないらしい。『小さな翼』自体がかなり初期の時代に出来た船の初期モデルだからだとかなんとか…難しい話はよく分からない。知識がある人にとってはその言葉が分かりやすいから使ってるんだろうけど、無い人には分からないのだ。
探索に出るのはノーエル、ベクル、リオン、ペスケ、ミリルさん、私…とロップ。ラウドは船に残って貰う。残りの乗組員の皆と一緒に。少し歩くと船が静かに離れていった。外で聞いていると、さすがに船の駆動音が僅かに響くもので、ほんのちょっとだけの騒音を残して空の方へ向かった。
ミリルさんはずっと、口惜しそうに先ほどまで船が止まっていた所にいた。機械をなにか操作しながら歯噛みしている。
「もう少し後の時代の船であれば、自動係留をこちら側から設定できるのだが…」
「仕組みは分かってるんだから作っちまえばいいのに」
「ここに係留する為だけにか?そんな資材も余ってる訳じゃない。船の修理だってかかったんだぞ」
ついこの間に船が何かに…確か、『滅竜』の話によれば黒竜がぶつかったんだっけ。初期の初期、の船でも今の時代で修理するには物資が足りない、人手だって足りないのだ。
「…光ってる」
私はずっと気になっていた事を口にした。奥から、なにやら光が漏れている。狼の口の中、その喉へと向かう天井、内部と発着場を隔てる壁、そこら中にランプが灯っている。光はなんだか白い。きっと火による灯りではないのだろうな、というのは想像がつく。
「資料によれば…。稼働停止命令が下されると排水以外の全てのシステムがダウンする、と書いてある。再起動されたのは間違いがないみたいだ」
ミリルさんは鞄の中から本を取り出してパラパラと捲った。ある場所で止めると、目で文章を追っていきながら二回ほど頷いた。
「電力、水道、栄養循環の全てが停止する命令…。確か、それがログにあった」
本のあるページを指さすと、何かを書き写した紙が上から貼り付けられていた。きっと、それがログに書いてあった文言なのだろう。私には読めない言語で書かれているけど…、参照しやすいように貼り付けたのだろう、貼り付けた紙のすぐ下にまったく同じ言葉が綴られているのが見えた。紙とページを照らし合わせてこの…ログに書かれた言葉の意味を分かりやすくしたのだ。
「この命令にはかなり上位の権限が必要で…。一応、現代では私でも皆でも出来るようにはしたのだが。当時には区長クラスの…まぁ『魔法特区』の一番偉い人が出せる命令だ」
私達でも出来るんだ。と思うと何でもないような気がするが、何でもないようにしたミリルさんは私達には想像がつかないくらい凄いのだろう。
歩きながら、本をめくりながらミリルさんは続ける。
「実際には…本当に操作したことがないから、理論上はそう出来るようにしたのだが。念のため、私が機械のコンソールを操作する。稼働ログと照らし合わせれば、『あの子』なのかどうかが分かるだろう」
「『あの子』…?」
ミリルさんはまるで見当がついているかのような物言いだ。何でも知ってる人だから知っててもおかしくはないのだけど。
「思い出したっ!『ミリアム』だな!?」
ペスケはその単語で思い出したかのように手を叩いた。
ミリルさんは振り向かずに無言で頷いた。
「そうだ。彼女だ。『培養槽』から生まれた彼女」
壁の前までたどり着くと、本をしまい、片手で機械を操作しながらもう片方の手で鞄をまさぐりながら…恐らくIDカードを取り出して機械に差し込んだ。
「でも…あいつが『フォーアス』を名乗る訳がない。だってあいつの親代わりは確かユリーシィだったろ?」
「…君は興味が無いから知らないかもしれないが。彼も『行方不明者』の一人だ。ちょうど、彼女が『死んだ』時にな」
「『死んだ』…?」
死んでいるのなら、いるはずがない。『死んだ者は蘇らない』。
「ああっ!僕も知ってますよ!『ミリアム』!確かすごい言われようの…」
「『悪魔の子』…だったよなぁ?」
話している間に扉が自動で開かれ、中から光が漏れてくる。その奥に、彼女がいる?
『ミリアム・フォーアス』…?
違う…。
彼だ…。
『エスト・フォーアス』…?
「レスティ…?どうしたの?」
「えっ?…いや…」
突然、頭の中に名前が流れ込んできた。私は最初、『ミリアム』が『フォーアス』を名乗っているのなら、って考えてた。
でも、途中から違う名前が頭に…。なんで急に男の人の名前が…。
男の人?なんで…男の人って分かったんだろう…?
「…ミリルさん。あの…『エスト・フォーアス』って知ってます…か?」
聞いた方がいいと思って思わず聞いてしまった。少なくとも、私は聞いた事がない。かなり古い名前な気がする。だから、知っているとしたらミリルさんだ。
「…エスト?聞いた事がないな…。誰だ?」
首をかしげてこちらを見る瞳には、嘘はないように見えた。本当に、知らないんだ。
「もしかしたら…。昔の『勇者』の一人だったかも…」
「まぁ…『フォーアス』の姓ならそうなんだろうが…私の記憶には…」
メリューと話してた時にも彼女が挙げる名前には逐一反応を示していたミリルさんが、本当に知らないような反応をしている。
「…確か、『魔王』の側にも『フォーアス』がいただろう。そっちじゃないか?」
ノーエルが、一番言いたくないであろう事を言った。自分が『魔王』側であると色んな人から言われていたのに。
「あれは!…きっと、『魔王』の方も名を失って『フォーアス』という姓でまとめられたんだ…。同じ一族であるはずがないさ」
「それにしても急だな?さては…何か感じたな?」
ペスケがにやにやしながらこちらを見ている。その通りなんだけど、それ以上の事が分からなくって。それで困ってるんだけど。
私があたふたしていると、ベクルが間に入ってくれた。
「感じたのはその名前だけ…でしょ?誰も心当たりがないなら先に進んで調べるしかないんじゃない?」
ベクルの提案に皆は次々に頷いた。分からないなら、進むしかない。この先にきっと答えがある。
ロップが不意に、顔を寄せてきた。お前はいつまでその時計を首に巻いてるんだか。
もしかしたら、自分で外せなくて苦しいのかもしれない。ちょっと外してあげようか。
私はロップの首元の時計に手をかけ――
――我ながら馬鹿な事をしている。この世に魔法などという夢のエネルギーがあるものか、行き詰った研究成果を投げ捨てるとコーヒーメーカーのスイッチを入れた。目を覚ますにはこれが一番だ。
「…イラついていますね。博士」
彼がこちらを見もしないで言い放つ。当然だろう。手に入った成果はキラキラ光った不思議な石片。巨額の費用を投じて古代の遺跡を調査した結果がこれでは何の意味も持たない。時計をメンテナンスした際に無くした部分にちょうど良くハマったので補強の意味で入れてやった。問題なく動くようだ、ならいいか。
彼も飲むだろうと思い、マグカップをもう一つ、用意する事にした。彼は相変わらずこちらを見ない。
きっと、そんな興味も持っていないのだろう。
「私は…苦いのは…」
私は思わず笑ってしまった。
「なんだ?ミルクがお好みか?」
「そうです」
若干、馬鹿にしながら言った言葉に馬鹿正直に答えられるとこちらがうろたえてしまう。彼が牛乳好きなのは今に始まった事ではない。コーヒー用のミルクをあるだけ入れてしまおうか…そんな悪戯もよぎったが、冷蔵庫には幸いにも一本ある。
「ホットがいいか?それともアイス?」
「…ホットで」
注文の多い相棒だ。今のところ頼れるのは彼しかいないから付き合ってやるしかない。
牛乳をカップに注ぎ、レンジに入れて温めているうちに散乱した資料を一つ、拾って見直してみる。
これだけ科学が発展した世の中で、求められたのは魔法なんてファンタジーなもの。まだ車が空を飛んでもいないのに。
行き詰った研究にはリフレッシュが必要だとは思うが、解決不能な難題はリフレッシュにはならない。空想絵巻の話を実現しろだなんて金を貰わない限り誰も引き受けはしないが、払うやつがいるからこうして私達は馬鹿な研究をしているのだ。
「見つかると思うか…?魔法…」
時間つぶしに私は問いかけた。コーヒーも、ミルクも、すぐには温まらない。魔法があればあっという間だろうけど。
「見つからなければ。仕事は失敗です」
それはそうだ。本当に存在しない、となったら自分たちの首が飛ぶのだろうか。少なくとも、まだ給料は支払われている。妻子がいる身としては無駄に金払いのいいこの仕事は辞めたくはない。ずっと続けばいいとさえ思う。無理な話ではある。
「仮にだ…。仮に見つかったとしたら…エスト。君なら何に使う?」
小さい彼なら身長を伸ばす魔法でも求めるだろうか。黒髪の色を変えて金髪にするのも面白いかもしれないな。牛乳とパンの生活から脱する魔法とか。ちょっと小馬鹿にし過ぎだな。聞こえてないからいいだろう。
彼はようやくこちらを見てくれた。今まで空返事だったが、本心からの言葉が聞ける…だろう。
「私は…自分の為に使いますよ」
自分の為…?随分と曖昧だ。はぐらかされた感じがする。まぁハッキリとした答えを求めてる訳でも無しに。
「あなたは何の為に使うんですか…」
「シード博士――」
「レスティ!レスティ!!」
問いかけにハッとした。私は、今、何を…。
「また何か感じたのか。ミリルさん、いったんここで休憩して…」
「大丈夫。だいじょうぶだから、兄さん…」
よく分からない感覚だった。まるで、本当に自分が、体験したみたいな…。
あの時代に、戻ったみたいな感覚だった。見たものを後から思い出すと違和感しかない。だけど、あの時はずっと、懐かしいと思っていた。
ロップをもう一度、見る。時計、あの時計だ。まったくおんなじ。時計の針の奥、微かに光る何かがあるように見えた。
「ベック…この時計…大事なものって…」
「へ?あ…あぁ…。うん。何万年も前から手直しして動く機械時計って…」
本当かどうかは定かではない。でも、この時計は、あの時の時計とそっくりだ。何年前かも分からない、あの時と。
エスト…仮に、あの人が『エスト・フォーアス』だとすると、私達は『また』相棒になった事になる。
でも…私には、あの人が…『怖く』…見える…。
「…分かったぞ。『エスト・フォーアス』だな?そいつについて何か分かったのか?」
ペスケは相変わらず鋭い。下手に隠してもいい事にはならないけど、何と言い表していいのかも分からない。
「えーっと…何も分からないのが…」
「はー?何だよそれー…」
姿は見えた。声も聞こえた。私と同じ、牛乳好きで背が低くて黒髪で。私と違いそうな所は何でも出来そうな所。いかにも仕事が出来る男って感じで目が鋭かった。きっと私と兄さんを足してもう一つ足したみたいな人だろう。
でも、そんな人の名前が…。名前と記憶が何故、今になって?必要だから出てきたのだろう。もしかして…『この奥にいる?』
「たぶん…まだその人が…」
いる…。と言いたかったけど、言い切れる自信は無かった。人より感覚が鋭いのはこれで十二分に理解できた。でも、全部信じられるかって言ったらそれはない。だって、あまりに唐突すぎる。
「…ベックは…」
「うん?なぁに?」
聞いてみたくなった。その後の答えを聞いてなかったけど。
「もし…『魔法』が使えたら…何に使う?」
今や『魔法』を使うのは当たり前の手段で、私だってちょっとした火を起こすだとかはやった事がある。生活の一環で手を洗うのに水が欲しくなって水を出したりだとか、暗くなったから光を点けるとかは何度もやった。私ですら出来るのだから他の人はいくらでもやった事があるだろう。
ベクルだって、そんな事。それ以上の事だってやった事があるはずだ。もう使った事のある人に聞く質問ではないのは分かってる。けど。
「私は…私は『人の為に使う』よ。ありきたりでつまらないけどね」
言い切った彼女の笑顔は眩しかった。きっと、本心からそう言ってくれているのだろう。
「あの人も…そう答えるのかな」
思わず零れたのは『最初の人』への言葉。きっとあの博士は…『人の為に使う』って答えた気がする。
「どの人だよ…ったく。行くなら行こうぜ」
ペスケはさっさと歩いていってしまった。大きい外壁の中の細い通路の奥へ奥へと行ってしまう。初めて来る場所のはずなのに、すごい勇気だ。
もしかしたら、作戦会議の時に地図を頭に叩き込んでいたかもしれない。彼女なら出来るだろう。
「…『魔力』には『記憶』がある。ここに『魔力』の異常消費が見られた…という事はここに『魔力』が集まっている事の裏返しでもある」
ミリルさんは顎に手を当てながら呟いた。
「普通の手段では見られない事でも、この環境ならば起きる…。『可能性』だけではあるがな。君の感応性なら、もっと多くの物を感じる事が出来るだろう」
先ほどまでの『記憶』…。頭に閃く『物語』にしては鮮明すぎたし、世界が違いすぎた。私の『記憶』から閃くものではない。こーひーめーかー…という単語があの機械を見た時に溢れてきたけど、私はアレを現在に至るまで見たことがない。それっぽいのなら…『セントラル』の瓦礫の中にあったかもしれないけど…。
「『記憶』を取り出す『魔法』…。今では失われた手段です。『マギニカ』の大がかりな装置でなら今も可能ですが…。レストさんの『魔力を聞く耳』のようなものがあれば手段は…近くにある、触れるだけで可能かもしれません」
リオンが腕を組みながら呟いた。
「僕よりもラムダの方がその辺りは詳しいでしょう。彼は実践が出来る分、ミリルさんよりも『古代の魔法』についての理解が深い。きっと力になってくれますよ」
それだけ言うとリオンもペスケの後についていった。彼女がいたら話しづらいから、このタイミングを待っていたのだろう。
「私のさっきの話は、ここではない、どこかの『魔力』の『記憶』を見たのではないか、という仮定だ。この街の歴史は浅い…。実働は数百年でその生涯を終えていたらしいからな」
「数百年…」
数字にしてみると大きい気がする。けれど、この街が生まれてから今に至るまでと比べてしまうと、とても短く感じてしまう。
ミリルさんの仮定が正しければ、私のさっきまでの『記憶読み』はここではないどこかの『記憶』だという事になる。
例え、偶然でも。私が見られる事に何か意味はあるはずだ。
『エスト・フォーアス』…。その名前だけはしっかりと憶えておこう。きっと彼も『覚えて欲しかった』だろうから。
鋼鉄で作られた廊下を歩んでいくと一歩一歩の足音がよく響く。誰かいるのならその音が聞こえてやいないかと心配になるくらい。みんな足音に対しては無遠慮だ。もちろん、それに裏付けされるだけの強さがあるからだろうけど。
ミリルさんが教えてくれた。ライフライン…生活に必要な装置が入口近くにあるのは整備に必要な部品を搬入後、すぐに交換や更新が出来るように、という配慮らしい。
そんなものが必要だとは思えないくらいに光が煌々としているけど…。時折、耳に独特な音がする。虫の羽音にも似ているような…『あの記憶』の時にも聞こえてた気がする。確か同じような光を放つ管があったはずだ。
…もう一度、時計に触れてみた。
…何も聞こえない。
ロップは何も言ってくれないし、『記憶』が蘇るような感覚もない。聞こえないように小さくため息を吐いて、みんなの後をついていく。
道中、扉はいくつもあったけど、ひと際大きい扉の前でミリルさんの足が止まった。ここに入るまえと同様、IDカードを差し込んだ後に手際よく操作していくと扉が静かに開かれた。きっと相応に重要な施設なのだろう。
中には…ラウドがモニターって言ってたような物がそこら中に貼り付けられていた。街の中が良く見える。幾つかは光が点いていない。たぶん…稼働してないかそもそも光が点いていないか。ミリルさんが入るより前にノーエルが進んで入り、辺りを見回した後にこちらに手招きをした。安全を確認するうえでこれほど頼もしい人はいない。
私も、何か感じられるものはないか恐る恐る足を運んでいく。感知する類のものだったら…もうちょっと早くから感知できそうなもの。人より優れていると言われたからには精度を高めたいものだが、何も感じない。
「ここの電源が点いてる時点で、もう誰かいるのは決まったようなもんだ」
ペスケは手慣れた様子で機械を操作している。何せ、ミリルさんの背だと機械の操作する部分に手が届かない。
一生懸命、背伸びをしているがモニターに視線が合う所までいかず、手は届くが出力結果が見られないようだ。背が低い私よりも小さいもんなぁ。
「…バリアフリーの概念が無いのか!困ったな…抱きかかえられての操作は…不安定になるから…」
「ベックはこういうの得意じゃない?」
「…うーん…。手をブラさないのは得意だけども…」
小さく「失礼します」と呟くと、両脇に手を入れて持ち上げた。最初は驚いたように手足をジタバタさせたが、次第に落ち着いた。
「…案外、悪くないかもしれん…」
少し顔を赤らめながら、ミリルさんは機械に向き直った。両手を忙しなく動かしながら機械を叩いている。叩く音が心地いい。
「僕は外を見張ってます。誰か来るかもしれませんから」
リオンは見張りを申し出ると、扉のちょっと外に立って通路の向こう側を睨んだ。その先は、私達が通らなかった道、つまり、『シリウス』の内部だ。
「椅子くらい、どこかにあるだろう。レスト、探してみよう」
「えっ!?あっ…うん」
ノーエルから名前を呼ばれたのに思わずビックリしてしまった。私も仲間の一員…なのかな。そりゃそうだけど。
今まで、誰かに必要とされる事は少なかった。ノーエル…兄さんは一人で何でもできる人だから。もちろん、出来ない事だってあるけれど。でも、機械の操作だって教えられたら出来てしまえそうな…。全能感、って言ったらいいのだろうか。あの父さんよりも強いのだから思われてしまっても仕方がない。
『救世主』、なんて言葉は重すぎる。この星を救うには『予言』に書いてある通りにしなきゃいけないっていうのに。それに相応しいだけの実力があるのが何より厄介だ。一人にかかる負担が…。
…私も…。『相棒』と言われるくらいにならなければ。
考えながら辺りの机…?の上や下を探ってみるが何も出てきやしない。机の上に椅子があるのは変か…。でも、壁の辺りにちょうど指で引っ掛けて開けられそうな所がいくつかある。金属で出来たそれに人差し指を引っ掛けて引くと、「カチッ」と音がして壁が剥がれるかのように落ちて途中で止まった。よく見たら細い金属の棒が支えになっている。
明かりが点いているから壁の中が見えるけど、読めない本…?やよく分からない機械でいっぱいだ。ペンのようなもの…。掌にすっぽり収まる…ネズミ?みたいな細くて丸いものもある。線が伸びているけど、何に使うのかさっぱりだ。『セントラル』のがらくただったか…さっきの『記憶』でも見たような見なかった様な…。あれは一瞬の事だったから曖昧でも仕方ない。
本の中に何かあるかもしれない。この辺りの地図とか…、椅子を探していたはずだけどな?まぁでも、どこに何がしまってあるとかあるかも…。
昔の時代の本は不思議な素材で出来ている。手に吸い付くような、紙とは違った素材だ。ページを指で挟んでめくろうとすると、ページが歪むような感触を指に覚えた。
…透明なページの間に紙が挟んである…。ミリルさんが言ってたような気がする。古代資料の中には透明な袋を何百も束ねた…ファイル…?だったっけ…。たぶん、これは本じゃなくてファイルなのだろう。『セントラル』に残っていたファイルを前に見せて貰ったような記憶が…薄っすらとある。紙や写真をいい状態で保存しておく手段の一つ…だったかな。
試しに一枚取り出してみると、確かに新品同様。いや、それ以上の紙質だ。今の時代にこんなサラサラの紙は作れない。書いてある文字はやっぱり読めないけどね。
何か記号や絵が描いてあれば私でも分かるんだけど…。ページをめくっていくがどれもこれも文字だらけ。絵…らしきものはあるけれど、たぶん、何かの設計図だ。出発前にミリルさんが見せてくれたやつと同じ様な感じで線がいっぱい引かれている。
…もしかして、本当にミリルさんはそのまま書き写したのだろうか。まぁ乗り込む予定もなかった場所だし…。地図代わりに出来るっていう点で使ったのかもしれない。
ページの一番最後、一枚の写真があった。これまでカラーしか無かったのにこれだけ白と黒だ。
取り出してみる。一人の…たぶん、男性だ。顔の辺りはぼやけてる…。女性が笑顔で子供を抱えている。きっと、夫婦の間に子供が生まれた記念写真だ。
今の時代にもカメラ…というものは残っている。この白黒写真よりも質は悪いけど、でも何でこれだけ白黒なのだろう…?それにぼやけてるのは不自然だ。まるで…何かに『焼かれた』ように…。
……?
――『エスト』?
――まさかまさかとはこの事だ。彼が結婚して、子供まで持つなんて。お世話になってるから記念に、なんて写真を送られたが…。彼にそんな気遣いが出来るとは思えないんだがな?彼女の入れ知恵か…はたまた…。
結婚して人が変わる、なんていうのはよくある話ではある。彼に限って、そんな事はないだろうと思える変人なのが大問題なだけで。ちゃっかり子供まで作ってるもんだから、疑う方が無粋というものなのだろう。私は廊下から響いてくる足音にニヤニヤしながら頬杖をついて待ち受けた。
扉が開くと、彼がいた。足しげく通うのは私達だけだから当然だ。私は写真を指に挟んで彼に見せつけた。
「…もう届くとは」
「配達人も暇なんだろ?それとも休日出勤でもしたかな」
開かれた封筒ごと、ここに持ってきている。中身は至極単純に「結婚しました」のウェディングカードだ。思い返したら彼が書いたとしたらデザインに捻りがないな。あまりにもありきたりだ。ありきたり過ぎる…と疑ってしまうくらいに。
「正直、驚きだよ。君に人を愛する心があるなんてね」
「そうですね…。そう思われても仕方ありません」
まるで興味なさげに呟くと、資料の山へ向かった。
……。
「変わってないなぁ!?」
「はい?」
驚くほど、彼は変わってなかった。だとすると、写真を送ってきたのはやっぱり彼女の…。まぁそうだよな。他人に幸せのお裾分けをするような人は彼女くらいだろう。
「はは…理解ある彼女で良かったな。つくづくそう思うよ」
「…理解ある、とは?」
こちらの言っている意味を理解してないかのような聞き返し方だった。これは意外だ。てっきり、あの『悪癖』を含めて受け入れられたのかと思ってた。
彼女は優しい、優しすぎるくらいに。きっとそれしか取り柄がないのだろう。常々、自分に魅力が無いというような事を言っていた。そして、彼。エストの良き理解者でありたいと。
「ほら…君の…生まれ持ったサガみたいなやつさ。私は目撃した訳ではないが…」
相談された時は信じられなかった。今も半信半疑だ。私は彼からそんな兆候があった気配すら感じていない。不気味さがないかといえばそうではないが…。
「…話したんですか。あいつ」
珍しく彼が感情を出したような気がした。…まぁ幼少の頃にやった事を大人になってから言われたら気分がいいわけもない。数少ない彼に同情できるシーンだ。
「いや、子供の頃に奇行の一つや二つはあるものさ。私だって昔は木の枝を手に持って冒険の旅に出かけたものさ」
懐かしい。小さい頃は万能感に溢れ、自分が見たものは何でも自分にも出来ると思い込んでしまう。バットを持てばホームランが打てる気になるし、バスケのゴールがどんなに高くともダンクを決められると思ってしまう。ちょうどいい木の枝を使って隣町の林に乗り込んだ時は道をふさぐ倒木を斬れないか何回も振り下ろしたものだ。
…今、思い返すと痛々しいな…。わんぱくな心が今の仕事に役立っているという事にしよう!
「奇行…そう言われても仕方ありません。少なくとも、あの時の私には必要な行動でした」
そうだな。あの時の自分がいたからこそ今の私がいる。その後、盛大に空振りしたのも、ジャンプが全然足りなくてゴールの下を通り抜けてしまっても、その失敗があったからこそ今の私がいる。彼にはあの時、あれが…。
本当に必要だったのだろうか?
…いや…疑ってはいけない。
今、手元にあるこの写真は…。
「…必要、か」
「…疑っていますか」
隠し事はできないな。妻からも嘘が下手だと笑われたものだ。いっその事、正直にぶつけてしまったほうがスッキリするかもしれないな。
「まぁな。…今でも崩したいと思っているのか?」
正直に行き過ぎたか?でもこれくらい直接的じゃないと、彼も本音を出さないだろう。
「博士は豪胆ですね…。きっと貴方の様な人が『勇気』ある人なのでしょう」
踏み込みすぎれば嫌われる。
リスクは承知の上で君に問いたい。
君は、今でも、『積み木』を――
――腕が落ちる感覚で目を覚ました。
周りを見回すと、まだノーエルが椅子を探している。私の異常に気付いている人は…いないみたい。みんながみんなの仕事をしている。
私の手にはまだ写真がある。『記憶』の中にあった写真とは…ちょっと違う。ぼやけている部分は、ハッキリと『エスト』の顔だった。あの時と同じ、同じ顔だったはず…。少しふらつくような感覚があるが、見た『記憶』は前のよりも鮮明だった気がする。『積み木』…?今の時代にもあるし、私だって遊んだ事はあるけれど、それがどれだけ重要なのかが分からない。酷く強く…意識されてたような気がする…。
椅子は見つからなかった。けど、聞きたい事があったので静かにノーエルの傍に寄った。私がすぐ後ろまで寄ると、探しているような動きを止めた。
「…何だ。レスト」
名前まで当てられるなんて思わなかった。私は…なるべく、写真を見えないように後ろ手に持って訊ねた。
「兄さんは…『積み木』は…」
遊んでいた…記憶はない。だって、私が生まれた時には兄さんはお父さんと同じくらい強くって、ずっと剣を持っていた。だから本人から聞くしかないのだ。あなたは…『積み木』を…。
「…急にどうした」
「あっ!いや…。その…」
答えが出るのが少し、怖い。別に同じ答えでも『エスト』という人の事はまだ分かっていない。同じ答えだから、駄目という事でもないはずだ。
でも、あの時…『博士』は…、怖がっていたような…。
「…俺は積み木で遊んだような記憶はない。これで満足か?」
…そっか、そうだよね。
「う…うん…」
今、思い返したらお母さんは私に積み木を渡した時に「家から持ってきた」って言ってたような気がする。たぶんだけど、私が生まれてからあの積み木は私の家に運ばれたのなら兄さんが遊んでなくても何もおかしくはない。
だけど…。本当に聞きたいのは積み木の事じゃなくて…。
「あったぞ!稼働ログ!」
ミリルさんの声が響く。どうやら進展があったみたい。ペスケはその手を止めて真っ先に傍に駆け寄った。ベクルはすごい嫌そうな顔をしていたけれど。
私も何となく、傍に向かう。書いてある文字は何もかも読めないけれど、これがお目当てのものだったみたい。
「私がここに来て、真っ先にここを調べるという事を先読みしていたな…?わざわざ暗号化したファイルの中に移すとは」
「…待てよ。っつーことは時間稼ぎか?知られたくないなら消せばいい話だよな?」
二人がよく分からない話をしている。これは二人に任せよう。
「時間稼ぎはしたいだろうな。恐らくだが、彼らの目的は『シリウス』の再起動だ」
「彼ら…って事は、もう検討がついてるんだな?」
ミリルさんは力強く頷いた。まだベクルに持ってもらってるけど。
「ああ。ログには16年前に稼働開始とある。彼女と彼がいなくなったのも16年前だ」
「16年前…『ミリアム』が死んだ年と同じだな。ユリーシィが行方不明になったのも…」
だとすれば、この街にいるのは二人…。たった二人で何をしようとしているのだろう。
「もう一人いる。名前は不明だが…、間違いなくもう一人」
ペスケは流石に驚いたような顔をしていた。
「ユリーシィのやつが変態だったとしても無理な話じゃないか…?『ミリアム』は16年前には9歳くらいだったはずだが…」
どうやらペスケはもう一人は『ミリアム』とユリーシィとの間の子供だと考えているらしい。私も、そう考えるのが自然なような気がするけど。
「わざわざ居住区の家を三つだけ稼働させている。16年前に、だ。もう一人いると考えておかしくない」
『シリウス』は家すらも生きている部品だとミリルさんは言っていた。だとすると、家を稼働させるのは三つの家が必要だった、という事だ。もし二人の間の子だと思い込むのなら最初に分ける必要はない。三つの家はそれぞれに必要だった。がしっくり来る。でも、だとすると誰がいるのだろう…。
「二人の名前は間違いなく、『ミリアム』とセイバ・ユリーシィで確定だ。もう一人は不確定要素になってしまうが…。『行方不明者』の誰かだろう」
『ミリアム』…。ずっと、『ミリアム』とだけ言っているのが気になる…。
「あの…『ミリアム』さんの名前って…」
ミリルさんは少し目を白黒させた後に、顎に手を当てながら考え込んだ。
「…そうか。レストくんにはちゃんと言ってなかったかな?彼女は『培養槽』から生まれた誰かのクローンだ。だから姓はないのだよ」
姓はない…。そういうものなのだろうか…?
「でも、誰かが作ったんですよね?それなら…」
「作成者は最高ランクのセキュリティ・クリアランスで秘匿されている。私でもアクセス…えっと。情報を見る事は出来なかった」
クローンは前に聞いた。人工的に作られた生命…。普通の子供作りだって人が作っているものだと思うけど、それより高度な技術を使って作られたのだろう。
「必要以上に隠されていた…。取り出す時も反対意見が多かったって聞いたぜ」
「ああ…。レストくんが生まれて間もない頃…だったかな。ライトがあそこに来て取り出そう、と言ったんだ」
前に聞いた時には…。命があるからには『役割』があるはずだ、と言ったらしい。私にとっては救いの言葉だ。彼女にとっても…救いの言葉になったのだろうか。
「関連する資料には『魔王』、『フォーアス』の単語が多く見られた。私も…良くないものではないかと…、考える事はあった」
「それでも、彼女を『生んだ』のだな。殺さずに」
ミリルさんは無言で頷いた。ノーエルは『生んだ』と表現した。殺さずに取り出したのなら『生んだ』が正しいのだろう。現に彼女は生きている。
「恐らく、ではあるが『培養槽』では0歳の状態で保持されていた。乳母を見繕って育てていたのだが…成長すると『奇行』が目立つようになった」
『奇行』。その単語が耳に入った時、背筋がゾワッとした。
「彼女は…よく同年代の子供達が『積み木』遊びをしていると『崩す』のだ。理由を聞いても分からない。ただ、『崩したい』とだけしか言わない…」
『積み木』。『崩す』。単語が符号していく。彼女は…もしかして…『エスト』と…。
「他にも修復している遺物もわざと『分解』したり、作られた料理をわざと『溢したり』…。作られたものを頻繁に『壊す』子供で…」
「『破壊衝動』を抑えられない『悪魔の子』。大人は滅茶苦茶恨んでたねぇ…あいつに台無しにされたのは一つや二つじゃない」
そんな…そんな人と『エスト』が一緒?…私には…どうも…。
「…?レスティ?どうしたの?」
「あ!…いや…なんでもない…」
少なくとも、『エスト』がそんな…。『破壊衝動』を抑えられないような子供には見えなかった。それに、『記憶』の中では…『博士』も否定しようとしていたはずだ。
…でも、疑っていたのは事実だ。疑いだけは捨ててなかった。私も…疑いだけは…捨てきれないような気がしている…。
「…そうか。だから…」
「『培養槽』はもう一つ、あったのだが…。一万年ほど前に誰かが取り出したようなのだ。そちらには『勇者』、『フォーアス』…の他にも『天光斬月』の文言があった。もしかしたら、星を救う為に誰かが起動したのだろうが…失敗したのだろうな」
救われているのなら、『予言』なんてないし『天界』にも行けているはず。そう考えるのが自然だろう。
「…だからこそ、ライトは残された子に『役割』があると思ったのかもしれない。いわば選ばれなかった子だ。彼は…そういったものに弱かったからな」
「はっ!こっちはいい迷惑だったぜ。何個おもちゃを壊されたか数えられないね」
ペスケはケラケラ笑いながら答える。被害を受けた側からしたら確かに迷惑だっただろう。でも、お父さんのそういう考えは共感する所がある。選ばれなかったからこそ、誰かが手を伸ばさなければならない。もしかしたら、彼女も救う手段があるかもしれない。
…そのためには、『エスト』について詳しくならないといけない…。彼が『ミリアム』に一番近い人だからこそ、答えを持っているはずだ。
「…ともかく、これで相手の戦力は把握できた訳だ」
「私とリオンで何とかなるんじゃないか?『ミリアム』のやつ、『破壊衝動』は立派だったけど弱かったしな」
「そうなの?でも、年月は経ってる訳だし…」
「こんな何もないとこで強くなる手段なんてゼロだ。教えてくれる先生はユリーシィしかいないんだぜ?あいつに叩かれて伸びるとしても私より下だ」
随分と強気だ。裏付けされた何かがあるような気がした。
「だって、あの時に大人だったユリーシィに勝ってたからな。私」
…そう考えるのが自然かもしれない。
「ところで、レストくんが持っている…その写真だが」
ハッとした。隠そうとしていたのだが、いつの間にか普通に体の前に持っていた。
「あ!…あの…これ…!たぶん…『エスト』の写真…」
もう仕方ないので正直に話す事にした。自分だけで持っていても仕方ない事ではあるし、皆で共有して話し合うべきだ。そう思った。
「へー…。たぶんだけど男の方が『エスト』?でも顔の部分が…」
「…まるで焼けたようにぼやけている…。もしかしたら、ではあるが…」
ミリルさんはベクルの腕を二回ほど、軽く叩いて降ろすよう促すと、鞄の中をまさぐって適当な石ころを取り出した。
何に使うのか、と不思議がっていると、扉の前で見張りをしているリオン目掛けて勢いよく投げた。
小さい体から放たれた石ころはそれなりに高い放物線を描いて綺麗にリオンの頭に当たった。…呼ぶだけで良かったのでは。
「いてっ!!…な、なんですか…?もう…」
頭をさするリオンに対してミリルさんは無言で写真を突き出した。
「…これは…。もしかしたら、『魔力』による『記憶の転写』かもしれませんね」
「『記憶の転写』…?どういうこと?」
「『魔力』、というものは『記憶』を持っているんです。先ほどお話しましたが『記憶』の取り出しは古代技術で可能になっていて…。この写真はどこかの『魔力』が持っていた『記憶』を転写したものではないかと」
つまり、これはどこかの『魔力』が見ていたものを複製したもの。この写真は遥か昔に撮られたものではなく、遥か昔の記憶だけ複製して現代に形として残されたものになる。
…ということは、焼けた部分にも『意味』がある?
「…一部、焼けたように見える部分がありますが…。上手く現像できなかった、でも説明はつきます。『記憶』というものは曖昧でもありますから。この写真自体も『魔力』を帯びているので…」
そこまで言うと私に視線が向いた。何か読んだだろう、そう言いたいんだね。
「…焼けてる部分に関しては、ちょっと見えなかった…」
私は正直に話した。何故、そこだけ焼けているようにぼやけているのか。あの『記憶』だけではまったく説明がつかない。『記憶』の中では確かにハッキリと見えていたのだ。『エスト』の顔が。
「そうか…。仕方あるまい。『マギニカ』ならばもっと精密に精査もできるだろう。今はさっさとここの調査を終わらせよう」
「何が見えたのか、あとでじっくりと尋ねさせてもらうからな!」
ペスケに軽く頭を叩かれながら、みんなは足を進めていく。
ノーエルだけ、私の隣で止まった。
「…俺は、『積み木』を『崩しはしない』」
思わずその顔を見上げた。その顔はどこか、悲しそうだった。
「俺が『積み上げたもの』なら…幾らだって『崩されてもいい』」
駄目だよ。そんな事いっちゃ。
例え、それが正しい事でも。
「…俺のじゃないと…『意味がない』…」
それだけ言うと、ノーエルは先に進んだ。
兄さんはもう、壊れかけている。
誰かが…。誰かが助けなきゃ…。
鋼鉄で出来た廊下を抜けると、そこが居住区らしい。一気に開けた空間に来た。ここは体内であるにも関わらず、まるで太陽があるかのように眩しい。内部はもっと…臓器みたいな感じを想像していたのだが、思ってたより機械的だ。ほとんどのものは鋼鉄で出来ているように見えるし、壁を触ってみても鉄にしか思えない。叩いてもコンコンと甲高い音がするので本当に鉄か何かで出来ているのだろう。
稼働を確認できた三つの家はかなり奥。遠くからでもそこだけ灯りがついているので目指すことは困難ではない。ただ、歩く間、何が起こるかは分からない。
道中、街の警備用だろうか、『セントラル』でも見たようなゴーレムがチラチラと目に入る。もしかしたら、起動してるかも。そう思ったがこちらには何の反応も示さない。
公園のような場所もあった。商店のような場所もあった。噴水…らしきものもあった。その全てが死んだように眠っていた。
ただの廃墟…のようではない。まるで血の通っていない生き物のように死んでいるように見えた。稼働すればまた、この子達も蘇るのだろうか。そんな事を考えながら。
『記憶』を読み取れそうなものは見当たらない。
「…あのファイル。もう一度、見させて貰ってもいいだろうか」
歩いている途中、不意にミリルさんが言葉を発した。断る道理もないし、私はまだ手に持っていたファイルを渡した。
部屋から出た後、簡単にだけどミリルさんとペスケに中身を見て貰った。その時は問題ないと言って貰ったんだけど、何か気になる事があったみたい。
その時には、主に居住区奥の工場に使う機械の設計図が入ってるって言ってた。不思議な事はない。ここで使うのだから故障した時に設計図がないと応急処置もできないだろうとミリルさんもペスケも言っていた。ペスケがペラペラ捲っている間、ミリルさんはちょっと唸ってたけど。
ファイルを改めて眺めているミリルさんがあるページで手を止めた。自然と歩みが止まり、私達も立ち止まる。
「……まさか。そんな……」
「…どうしたんですか?ミリルさん」
「私も見たけど、役立ちそうなの無かったぜ?」
ミリルさんは震える手で、あるページの一点を指さしてなぞった。
「…関係ないと思って読み飛ばしていた部分を改めて見直した…。その結果、恐ろしい事が分かった…」
ペスケはその部分を上から覗いて復唱した。
「…極点、南にて採掘された純度の高い結晶石を利用した工場施設…。何か変なとこあるかぁ?」
「場所が問題だ!座標軸まで丁寧に書いてある…!まさか…!」
ミリルさんは慌てて今までめくったページを一つ、一つと戻していく。
「これも、これも!これも!!…彼女がここに引き寄せられたのは…!」
――「『運命』、でしょ?」
遠くから声がした。
ノーエルが咄嗟に剣を握った。
そこにいたのは、『エスト』によく似た黒色の髪に、小さい背、どこまでも黒い眼を持つ…私?
「『ミリアム』!!てめぇ!」
ペスケは既に『デスサイズ』を構えていた。切っ先は真っ直ぐに、『ミリアム』の元へ。
「ここで何をしている。返答次第では…」
「来たな…!『救世主』!」
閃きが見えるより先にノーエルは抜刀していた。喉元を狙った一閃は『陽光灼蘭』が的確に防いでいた。
すこし年をとった男性。ミリルさんが言っていた、セイバ・ユリーシィだ。
「敵対するのか。俺と」
「でなければ彼女を護れない!!」
剣筋は鬼気迫るものがある。
私でも分かる、この人は…強い…。
「君が敵対する理由はないはずだ!落ち着いて話し合う選択はないのか!?」
ミリルさんが呼びかけているが、表情で分かる。いつか、この時が来る事を理解していたと。その『覚悟』が出来ていると。
「ミリルさん…。個人的には尊敬しているが、私には私の『役割』がある!!」
「『役割』…」
「気をつけろよ!!もう一人!いるんだからな!!」
ペスケの呼びかけにハッとする。そういえば、もう一人、いるはずだ。
「相変わらずやかましいねぇ。私がおもちゃを壊したときもピーピー喚いてたっけ」
「はっ!見え透いた挑発はやめな!!そういうのは何か策がある時に…」
ミリアムの視線が、ペスケを捉えた。
――危ない!!
「はぁ?」
私は咄嗟に、ペスケを突き飛ばした。
目の前で小さな爆発が起こるのが見える。
それは瞬きをする暇も無く、大きく、大きく…。
気付けば私は宙に舞っていた。
爆音が私を浮かせたのだと耳が教えてくれた。
服のあちこちについた炎が、その正体を教えてくれた。
あれは…あれは…。
「レスティ!!」
地面に落ちる寸前、ベクルが私を受け止めた。まだ燃えている服をパンパンと叩いて消してくれている。
「いたた…!」
爆発をもろに受けたせいか、受け止めて貰っても体のあちこちが痛む。私は何故…何故、危ないと判断できたのだろう…。
「やはり…!『魔王の力』!!」
「なんだよ!?何をしたんだ?!?」
ペスケは何とか上体を起こして埃を払った。ミリルさんは…あの力に覚えがあるみたい。
「『キャストキャンセル』だ!無詠唱…、頭の中で念じただけで任意の座標に魔法を実行できる!!」
「すごーい。本当に物知りだったんだ。ミリル・アートヴァンスって」
渇いた拍手の音が辺りに響く。
念じただけで…?そんなの避けられっこない…。
でも…私にはほんのちょっとだけ…予兆が分かったかのような…。
「はぁ!?正気かよ!!さっきの、『大魔法式』を使った…」
「『炎解・エクステンドフレア』…。ですよね」
リオンが私を含め、ミリルさんまで囲うように『結界式』で防御の姿勢をとった。
「参ったな…。僕が使うと相当疲弊する魔法を…それも無詠唱で…」
明らかに動揺していた。実力差を感じたのだ。相手と、自分に。
「だが、その力は何万年も前の残滓だ!連続では出来ないはず!」
「なら!斬りこむしかねぇよなぁ!!?」
ペスケは言葉が終わるより前に駆け出していた。最初から聞く気などないとでも言いたいかのように。
ミリアムは構えていない。視線すら向いていない。まるで、自分に危機など迫っていないかのように…。
――そうだ、もう一人…!
「…ふっ!」
「なっ!?」
『デスサイズ』を振りかぶって振り下ろす、その寸前、小さな体が飛び込んできたのが見えた。
「…『雷撃掌』」
ペスケの脇腹目掛けて、雷の如き一撃が放たれた。
派手に吹っ飛んだペスケは一回、二回、と地面に跳ねられると自分の手で地面を掴み、持ちこたえた。
「三人目か!?」
「…敵、確認…」
左腕が…異様だ。鱗のようなもので覆われている。たぶん、女性だ。長い前髪からは視線の行先が見えない。
私を見た?分からないが、こちらを数えたのは間違いない。
「戦力はこれで全部か…。戦闘要員だけでもこちらの方が上だ!血を流す必要は…!」
「この星、死ぬんでしょ?」
ミリアムはミリルさんに問いかけた。彼女でも知っているはずだ、『マギニカ』にいたのなら『予言』の話は嫌というほど聞かされているはず。この星はやがて死にゆく運命らしい、というのは。
「あ、ああ…。それを救う為に私達は…」
「どうせ死ぬなら、もういらなくない?」
笑っていた。彼女はきっと、心の奥底から笑っていた。
それが真理だと、それこそが必然だと。
お前達がおかしいのだ、と裏に隠したかのように。
「何を…言っているんだ…」
「『シリウス』は星の名前…。この星は、あそこにあるべきなの」
ゆっくりと指を掲げた先、その先は、間違いなく空だった。
機械仕掛けの空の奥、実在の空、更に先を示していた。
「教えただろう!?『シリウス』はもう死んでいるんだ!蘇る事はないし空の上など…どうやって…」
途中で語気が弱まった。まるで、方法を思いついたかのように。
「いらない…?この星が…」
「そう。だから『食べる』の。この星に残った全部」
『食べる』…?何をしようとしているんだ、わからない。わからない。
わかりたくない。
「私は『星食み(ほしはみ)の魔女ミリアム』。この星の全てを食らい尽くし、私だけの星、…『シリウス』と共に宇宙を泳ぐの」
一方的に言葉を吐くと、背を向けて歩き出した。
「どこへ向かうつもりだ!!」
「もうお喋りしてる時間は無いの。早く飛ばしてあげなきゃ」
「まさか…!」
ミリルさんは設計図を取り出して広げた。指で一つ、一つ、場所をなぞっていく。それが彼女が歩む道…?
「この先のエレベーターから上層に上がって…確か、この設計図の!魔力吸引装置を起動させてから上層のコントロールエリアに向かって過剰に集めて…」
「宇宙を泳ぐって言ってましたよね?可能なんですか?そんなことが」
宇宙、私は見たことが無いが実際にあるらしい。この星の空のもっと先には宇宙というものが広がっていて、私達が夜空に眺めている星々は全て宇宙にあるものが光っていてその光を私達は星と表現しているらしい。
「…この星の魔力を全て吸い尽くせば、引力が消える」
「…引力?」
「僕達はこの星に引っ張られて地面に立っているんです。重力とも言いますけど」
「上昇する力さえあれば後は勝手に宇宙へ…。或いは、まだ見つけていない設計図に飛行ユニットが存在した?空を泳ぐ魔物だっている…。後期に…いや、それだと宇宙までの出力を確保するには不足だ。全部吸い尽くしてどうか…」
ミリルさんは思考の迷路に迷い込んだ。私だって、何が何だか分からない。
ともかく、放っておくとまずい。誰かが追いかけなきゃ。
「レスティ。追いかけよう」
私が言おうと思った事を、ベクルが言ってくれた。
「ベック、私もそう思ってた」
幸いにも傷は浅い。たぶん、威力も少なく調整したんだろう。本気で殺そうとはしてなかった気がする。
「本気ですか!?僕は勝てる気がしないんですけど…」
「男の君が情けない事を言うな!!ちゃんと君にしか出来ない事が…」
ベクルは私の手を取ると、ぎゅっとしっかり握ってくれた。
「私とレスティ、二人で追いかけます」
「えぇ!?でも、彼女には…!」
『キャストキャンセル』がある。でも、前兆が私には分かるみたいだ。大怪我をする事はない…はずだ。
「……彼らから聞かなければいけない話もある。私とリオンくんはここで待とう」
ミリルさんの視線の先には組み合ったノーエルとセイバ。
そこから離れた所に距離を取って対峙したペスケと謎の女性がいる。
「ミリルさん!!でも、僕は、その…」
「君が『結界式』を使ってくれないと私に攻撃が来たら危ないだろう!?」
「いや!分かってるんですけども!!…あぁ~あ!!分かりましたよ!!」
リオンはたぶん、私の事を心配してくれてるのだと思う。気持ちは有難いし、自分の力量を分かった上で盾になろうとしてくれるのはとても嬉しい。
「ごめんね、リオンさん。私なら大丈夫」
体に痛みは若干、残ってはいるが。走って追いかけるのはなんとか出来そうだ。
道順は教えて貰った、後はそれをなぞるだけ。
――「気をつけろよ。レスト」
遠くから、兄さんの声が聞こえた気がした。
小さく頷いてから、私達は駆け出した。
「分かってるんでしょ?レスティ」
走ってる途中、不意にベクルが話しかけてきた。
「さっきの…。ペスケを突き飛ばした時」
…私に、『キャストキャンセル』を察知できるかどうか。聞いてるんだ。
「うん…。何となく、だけど」
絶対の自信があるか、と言われれば答えは違う。
不思議と、危ないと思っただけで正確に攻撃を予測した訳ではない。体だって…防御姿勢をちゃんと取れてなかった。
「…ごめん。私、レスティの事…ちゃんと信じてなかった」
不意に謝られた。
彼女に謝られるのは一回や二回ではない。
でも、その言葉には少し強い…想いがこもっているような気がした。
「ううん。仕方ないよ。私、今まで何にも出来なかったし…」
…正確には、何もやろうとしなかった。かもしれない。
できないのに兄さんやお父さんの真似ばかりして、できない事に過剰に憧れてしまった。他に出来る事を…薬草摘みにしか向けられなかった。
「あなたは『勇者』の娘。何か『役割』があっていいと思って然るべきなのに」
ベクルは俯いていた。私に…微塵も可能性を感じてなかった、って感じの物言いだ。そんなの、誰だって同じだと思うけどね。
「むしろ、嬉しかったな。ベックは私に期待しなかったから」
私も甘えている部分があった。何せ、お父さんも兄さんも何でも出来過ぎた。
お父さんは皆の長所を素早く見抜いて的確な指示が出せた。活躍は聞くことしか出来なかったけど、皆がお父さんを信じてるんだな、っていうのは小さい私でも分かるくらいに愛されていた。剣の稽古でいつも勝ってたって言ってたあの人も、もう冒険家を引退してたあの人も、指示に反発して怪我してしまったあの人も。病気になった時は皆がお見舞いに来てくれた。
兄さんはこれまでの概念を全て覆した。一人では勝てない相手には多数で挑めばいい、という常識が通用しない。あの人に傷を付けた人物どころか生物、自然現象ですら存在しないのだ。本当に血が流れているのか、古代の遺物から産まれたのではないかとか色々と言われた。
二人は私が手を伸ばしてもかすりもしない高みにいる人物だ。そんな二人の家族。
期待されない訳が無かったし、自分で自分自身に期待していた。二人と同じ血をひいているのだから、と。
微塵も期待してくれなかったのは実は貴女が初めてだよ、お母さんですら、ちょっと期待していた。私にも出来る事があるって。
「…それは良い事なの?」
ベクルは思わず聞いてきた。他人にとっては、良い事ではないから。
「良い事だよ。私にとって」
私を『勇者の娘』として見なかった。私を、レスト・フォーアスだと知って、その価値を自分で見た上で一緒にいてくれる。こんな幸せな事なんてない。
自分の選択に自信がないみたいだけど、私が肯定してあげなきゃ迷ったままだ。全力の笑顔で正しいと教えてあげた。
「…ありがとう、レスティ」
走りながら思うのは、ミリアムの事。あの子も、認めてくれる誰かが必要だったのかもしれない。きっとそうだ。『記憶』の中では『博士』が認めてくれていた。同じ事をベクルにしてくれなんて思わないけど、私が代わりに出来るのであればしてあげなければならない。
彼女を理解できるのは、私だけかもしれないのだから。
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