第6話 「久しぶり、初めまして」
今日も風が吹いている。何故だかとてもおとなしいくらいに。旅立ちにはもってこいなくらいのいい日だ。遠くの空には最後の試験飛行を行っている『小さな翼』が浮かんでいる。本当に飛んでいるところを見るのは…何年振りくらいかな。子供のころに一度見た事があったかもしれないくらいだった。
私は危ないから、という事で乗せてもらえなかった。ベクルやリオン、ペスケにラウドがあそこに乗っている。壊れた箇所が直っているのが確認できたら旅立つ手筈にはなっているのだけれど…。
三尾白狼の件があってから、その旅立ちに反対する声が少なくない。突然、『天界』から降りてきた魔物。しかも、その強さはリオンやペスケに匹敵するくらいでベクルやノーエルがいないと倒す事は難しい。私は皆が身近にいたから、一緒に旅立つ事に何の疑問も抱かなかったけど。この星の戦力全部が一斉にこの国からいなくなってしまう事は大問題だった。
数え間違いもあったし、いつこの国が危機に晒されるとも分からない。ノーエルはその事を含めて、王様に相談しに行っている。あの人が出した答え、という事ならこの国の人は納得するしかない。相談して出した結果、を皆が欲しがっている。もうちょっと時間はかかるだろう。
ミリルさんは追加で持ち出す本や物資の見定めをしている。『シリウス』で何が起こっても大丈夫なように何かすごい物を持っていくらしい。複合した魔術式の…なんとか。保険に持っていくだけだから使わないだろう、って本人は言っていたけど。
私は、と言うと何もやる事がないのだった。今は昼の18時くらい。場所は噴水広場。お腹が空いてきたかもしれない。一人でご飯を食べたって構わないが、どこで食べるかはちょっと悩むところだ。家にあった食料は足しになると思って船に向けて運んでもらったし…。そうなると、どこかで食べてこなきゃいけない。
肩に乗ったロップを見ていると、こちらにご飯を催促するかのように頬に顔を寄せてくる。君のご飯はいっぱいあるんだけどなぁ。鞄の中の草を適当にひとつまみ、彼に差し出すとそちらには見向きもせず、急に肩から降りて走り出した。
「あっ!待って!!」
噴水広場は人がまばらにいる。誰かに蹴られたり、踏んづけられたりするかもしれない。
慌てて追いかけると、だれかの足元に辿り着いた途端、顔を見上げて動かなくなった。
「…おっ。ウサギか。魔物じゃないのは久しぶりに見るな」
そう言ってロップを抱え上げたのは、ベクルにも引けを取らないくらいの高身長の…女性?だった。声は何だか…中性的な感じもしたけれど。たぶん、女性だ。姿はそうだから間違いない。違和感があるのは声だけで…。
…声だけ?いや、この人とは、どこかで、『会った気がする』…。
「あ…あのっ!その子…私が飼ってて…」
「…あぁ!そうか!飼ってる…意味が合ってるならこのウサギはお前の物だな?」
物…。物ではないのだけれど。とりあえず頷いて預かる事にした。
「返すよ。『フォーアス』。中々可愛い趣味があるやつじゃないか」
…私は名乗った覚えがない。もちろん、その名前だけは有名で人々に広く知れ渡っているのは分かっているのだが。私の名前を知っている、というのは限られる。
だって、私はただの薬草摘みで、仕事をくれる『エーワンス』の人と、つい最近に挨拶した『小さな翼』の乗組員くらいしか私の名前を覚える必要すらないからだ。
私は戦えない、ただの薬草摘みでしかない。お父さんと兄さんの名がいくら偉大でも私の価値は薬草摘みにしかならないから初対面の人に名前を当てられるなんて事は…。いや、初対面じゃないのかも。だって、一度は会った気がする。名前も憶えていないけど…。
「え…えぇっと…。ありがとう…ございます…」
彼女は大切そうに、こちらにロップを差し出してくれた。悪い人ではない、気はするんだけど。何だか心の中に引っかかっているものがある。正体が分かれば、すっと吐き出せるのだけれど。
「久しぶり、初めましてになるな。『フォーアス』。この星も変わったな…」
…何だか、変わった人だ。率直にそう思った。
「…ひ、久しぶり。なのに。初めまして…ですか?」
私が質問を投げかけると、顎に手を当てて少し考え込んだあと、手をたたいた。
「言葉の使い方を間違えたか!いやー。私はそういう所があるからな」
確かに間違えている、間違えているのだが、会った気がするから本当は間違いでもないような気もする。不思議な感じだ。
「あの…。どこかで、会った事があると思う…んですけど…」
「ああ、つい最近。会ったな」
最近?こんな印象の強い人、会ってたら絶対に覚えてると思うのだけど…。残念ながら記憶にない。
「覚えてなくとも無理はない。私は…えーっと…。お前の母親の弟の…」
お母さんの…弟?そんな人がいた、って話は聞いたことがない。話をされなかっただけかもしれないけど。
「いや…違うな。母親の姉の『メリュー・フォーアス』だ!…合ってるよな?」
「わ…私に聞かれても…」
そう聞かれてもお母さんは一人っ子…だった気がする。だからお墓だって私の家の近くにあるんだし。それに、なによりの問題がある。
「…あの…お母さんはお父さん…『フォーアス』に嫁入りしたので元の名前は違います…よ?」
お母さんは嫁入りして『フォーアス』の姓になったが元は違ったはずだ。姉なのなら元の名前か、或いは違う名字になっているはず。もちろん、違う『フォーアス』に嫁入りしてるって可能性だってあるけれど。
「…!そうか!人の名前はどっちがどっちに行くかで変わるんだから…」
何だか変わった人…で済ませてはいけないような気がする。
「いやー。でも私の名前は『メリュー・フォーアス』なんだよ。それは間違いがない!」
「そ…そうなんですか」
ミリルさんに聞けば親族の名前まで全部覚えているだろうから確認が取れるだろう。今から確認を取った方がいいかもしれない。
「そうだ!『フォーアス』!会ったらお礼を言わないといけないんだったな」
「…お礼?私、何もしてないんですけど…」
さっきから、この人は同じ名字を名乗っているはずなのに私の事を『フォーアス』呼びしてくる。まるで自分はそうじゃないかのようだ。
「お前の『勇気』のお陰で私は目覚める事が出来たからな。本当なら寝たままでも良かったのだが…」
心当たりがさっぱりない。こういう時、私はどうすればいいのか分からない。今、私はどういう表情ができているのだろうか。
「それ以外の、『良くない物』も目覚めてしまったようだ…。その辺りについても情報共有を…。『フォーアス』?顔色が優れないぞ?」
「あっ。えっ、えーっと。ご、ごめんなさい。どうすればいいか分からなくって…」
心の内をそのまま喋ってしまった。どう対応したものか、何も分からない。
「…レストくん?そちらの方は?」
「…!ミリルさん!!」
気づけば私はミリルさんの肩をつかんで引き寄せていた。こういう時に頼れるのは年長者だ。絶対に間違いがない。
「わぁ!?わわ!どうしたんだ!?何か困った事でも…」
「…?ミリル…?『ミリル・アートヴァンス』か?」
流石に『大魔導士』の名前は分かっているようだ。それならなおさら話が通じやすいだろう。
「いかにも…。私が『ミリル・アートヴァンス』だが…」
「…魔力がまったく感じられないな。まさかいつぞやみたくその辺の小娘の体を乗っ取っているのか?」
何だか物騒な事を言い始めている。確かに今のミリルさんの姿は小娘そのものであるのだけれど。
「ひ、一目で魔力が無い事を見抜くとは。だが、私は別に誰かの体を使っている訳では…」
「本当かー?あのミリルの名を継いでるのならこんな弱っちいはずはないんだが…」
「すまないな。私は魔法が使えない『大魔導士』として30年以上…」
これまでミリルさんが過ごしてきた時間は本物だ。名前負けしている、と言われればそうなってしまうが、この星で彼女の名前を認めない人はいない。『カントリーヒル』に住まう数百人の魔女が首を垂れて従うような人なのだ。あの兄さんだって敬意を払っているし言う事をよく聞く。知識役としての信頼はお父さんの頃から変わっていない。
ミリルさんが説明している間、考え込んだ表情を見せていると指を一本、こちらに向けた。
「分かった。一つ確認させてくれ。惚れた男は思いを告げる前に死んだか?」
「…………っ!!?」
ミリルさんはこれ以上ないほどに目を見開いて体を硬直させている。何かを言葉に出したいけれど一生懸命我慢している感じだ。そういう話は聞いた覚えがないのだけど…。長く生きているから一つや二つ、あるのかも…しれない。
「ははははっ!!その男運の無さは間違いなく『ミリル・アートヴァンス』だ!!疑って悪かった!すまんすまん!」
「なっ…!何なんだおま…君はっ!!名を名乗れっ!!」
顔を真っ赤にしているミリルさんにすかさず私はそっと、耳打ちした。
「『メリュー・フォーアス』って言うらしいんですけど…知ってますか?」
「…メリュー?『滅竜』なら知ってるが…。彼にそんな名前の親族がいたはずはないな…」
どうやらお父さんの親族ではない、というのは確定らしい。兄さんは親族とかそういう話をあまりしないし、一番この血筋について知っているのはミリルさん以外にいないだろう。
だとしたら、この人は一体なんなのだろう?私の名前を知っているのは間違いがない。名乗る前に先に言ったのだから。一度会ったような気もするし、近しい人でもあるような気もするのだけれど。
「…よく聞き間違えられるんだ。それで合ってるよ、今の私はメリューだ」
「…疑いたい所はいくらでもあるが、まずは落ち着いて話をしないか?飯でも食いながらな」
ミリルさんが歩き出し、先導しようとしたとき、噴水広場にいつもの詩人がやってきたようで歌声が響き渡る。メリューはそれを懐かしいものを見るような目で見ていた。
「この星にはまだ、歌が残っていたのだな」
「それはそうだ。君の事情は知らないが…。歌くらいはな」
少し、目を閉じた後に彼女はため息を吐くかのように呟いた。
「…流石にソラノの歌には及ばないな。よし!飯にしよう!」
先導しようとしたミリルさんを追い抜いて、メリューは勝手に歩いて行った。何だかこの辺りに詳しくなさそうだけど、あの人を先頭にしていいのだろうか。
「ソラノ…。ソラノ?どこかで聞いたような…」
「ミリルさんが聞いた事あるなら…昔の人の名前とか?」
「うーむ…。歌…何か関連があったような…。彼女から直接、聞く方が早いかもしれんな」
何にせよ、話ができない人ではない気がする。こちらから歩み寄れば知りたい事を教えてくれるような…深く知っている人ではないけれど、そんな気がした。
ほとんどの人は寝ている19時。私はその前に少しお昼寝をしていたので目が冴えていたけれど、ミリルさんはあくびをしながら『エーワンス』の傍にある酒場に入った。向こうでも飲食をできるけれど、メリューはこちらに入っていったのでそれを追いかける形になった。こっちはお酒を中心に出すから私もミリルさんも普段は入らない場所だ。お父さんはよく通ってたらしいけど、その時の話をミリルさんはあまりしてくれない。
酒場には予想通りお酒の匂いで溢れかえっている。お酒は苦手だ。自分が自分でなくなる感覚がする。酔うという行為は気持ちがよくなるものらしいけど、私はそんなに気持ちよく酔う事ができない。ノーエルもあまり飲まない…と思うけど、想像だけで言うのならお酒にだって強そう。
メリューはその辺のカウンターに座ると、店主に向けて指を一本だけ立てて小さく振った。何かの合図らしい。店主は訳もわからず目を白黒させている。
「…?注文方法変わったのか?まぁいいや。強いの一本くれー!」
ミリルさんはメリューの左に、私はミリルさんに促されるままにメリューの右に座る事になった。私としては、ミリルさんの隣が良かったんだけど…。
「君…もしかして、とは思うが金はあるのか?」
「うん?何だ…死にかけの星の癖に貨幣があるのか…。どうせいにしえの国の真似事だろう?」
「ああ、そうだ。やはり知っていなかったのだな。貴様、なにも…」
「なら奢りたくなるようなものをくれてやろう。ほれっ」
そう言うと、メリューは小さな何かをミリルさんに向かって投げた。一瞬の事だからよく分からなかったけど、黒い何かだ。手のひらよりちょっと大きいくらいの堅そうな何か。
「なっ。なんだこれは?鱗か…?恐らく魔物の…」
「『滅竜』の鱗」
「はぁっ!?なっ?!?そっ…!そんな訳…!?」
ミリルさんは鱗を見つめたまま固まってしまった。必死に頭の中で分析しているようだ。お父さんと数多くの冒険してきたから…今、この星にいる魔物のどれかの鱗だったらそれだと言い当てる事ができるはずだ。ペスケも魔物については詳しいけれど、ミリルさんの知識はそれ以上だ。知識だけなら、絶対に上だ。
「…『滅竜』って結構大きかったから、鱗がこんなに小さいはずはないと思うけど…」
「…確かに!!レスト君のいう事も、もっともだ!!だが、しかし…」
見たことがない、と言いたげだが何かを悩んでいるようだ。
「参考資料は見た覚えがあるはずだ。昔にいっぱい剝がしてたからなー」
「…そうっ!…だな!…そう……っ!なんだよっ!!!」
必死に何かつっかえを取ろうとしている。
「見た覚えは…あるんだっ!!確かに…古文書で!!それで…!今の星にはこの鱗の持ち主は…っ!」
…どうやら『滅竜』の鱗で間違いないみたい。ミリルさんは認めたくないみたいだけど。
そんなに簡単に出てくるはずのものでもない。それこそ、本人でも無ければほいほいと差し出すものでもないはずだ。これ程の貴重品でお酒の代金を支払おうとしているのだから。
「分かったっ!!私の奢りだ!いくらでも飲むといい!!」
「話の分かる女は好きだぞ?サニアを思い出すな…」
誰だか分からないけれど、同じような人と交流があったのだろう。遠くを見つめるその目は、確かに存在している記憶を辿っている気がした。
「その代わり!!こちらの質問にも答えてもらうぞ?」
「いいさ、いいさ。好きなだけ聞くといい。人と話をするのは好きだからな」
いまいち掴みどころのない人だけれど、悪い人ではないのは確かだ。初対面だというのにこちらを嫌う様子がまったくない。疑いの目はいっぱい向けたのにも関わらずだ。たぶん、この人は…。人…、じゃないかもしれない。
私の直感でしかないけれど。
「まずひとつ!君の生まれと年齢を聞こうじゃないか」
まずは素性を明らかにする所から始めるらしい。怪しいところだらけなので一番分かりやすい質問にしたようだ。
この星で生まれた人間ならば出身地は『カントリーヒル』か『マギニカ』しかない。それ以外の土地はすべて死の大地であり、作物はろくに育たず、食料になるような動物もいない。海のほうへ行けば魚がいっぱいとれるらしいが周辺に人が住んでいるという話は聞いたことがない。
「うーん…正確な生まれは知らないんだよなぁ…。強いて言うなら『天界』?」
「…えっ?『天界』で生まれた…?」
喋る事のひとつひとつが予想外だ。ミリルさんは「もう驚かないぞ」と言わんばかりの渋い顔をしている。
「そんで一度死んでから…、一万年は経ってるから…二万年前くらい…?年齢はそんな感じだ」
「ははーん?さてはただのほら吹きだな?この鱗だって古文書を参考に作った偽物だ!!」
私には嘘をついているようには見えない。本気で喋っている…ような気がするのだけど、全部うのみにしてしまうとやはり人間ではない。
たぶんだけど、この人は形容するのなら…。私は少しだけカウンターから身をそらしてメリューの奥にいるミリルさんに話しかけた。
「一度戻って硬度や成分を調べてみたらどうですか?偽物とわかればお酒の代金払わなくていいんですから」
「レストくん!冷静でいい意見だ!!だが、こんなにも怪しい人物と君を二人きりにする訳には…」
「私なら大丈夫です。この人も乱暴な人ではありませんから」
店の奥の方へ強いお酒を取りに行っていた店主が目の前でとくとくとお酒を注いでいく。強いだけあって匂いがちょっときついけど、何とか我慢する事にした。
「…確かに、暴力に訴えるようには見えないが…」
「いいさ、いいさ。調べてきな!私は『フォーアス』と話がしたいしな!」
注がれて前に置かれたお酒を勢いよく呷ると、空のジョッキを軽く放り投げて帰りかけていた店主を呼び止めた。
「ちょい、ちょい。その瓶、置いてきな。弱くて話にならん」
ミリルさんは呆れた様子で顔を左右に振ると、静かに席を立った。
「危なくなったらこれに魔力を込めるといい」
そう言って、小さな体に不釣り合いな大きな鞄から取り出したのは大きめの石…石板だった。何かの文字が長々と刻まれている。
「…?何ですか、これ…?」
「万が一を考えて持ち出した秘密兵器だ。ありとあらゆる攻撃を防ぐ、仕組みは…いや、解説している暇はないな。ではな」
大きさは私の体より一回り横に太いくらい。膝の上に乗せても重みは感じないくらい軽いのが不思議だが、あのミリルさんが託してくれたものなら相当なものなのだろう。
「ほー。てっきり名前とダメ運だけ継いだのかと思いきや…しっかりしてるじゃないか」
メリューは石板をじっくりと見つめている。その目はどこか懐かしさを感じているかのようだった。
「私は『魔術式』については詳しくないが、古の『大魔導士』、『ミリル・アートヴァンス』本人が書いたもので間違いない。筆跡は本人のものだ」
筆跡…。文字通り書いた跡、って事だ。ミリルさんは名前を称号と共に受け継いだ。だから、メリューが言っているのは今、生きているミリルさんではなく、何万年も前に生きていた『ミリル・アートヴァンス』が書いた物だということだ。
「…筆跡が分かるだけで、すごいものだって分かるんですか?」
「当然さ。『役割』が分からなければ物は使えない。あのミリルはそれの『役割』を知っているんだろう?」
ミリルさんはこれが何なのかを知ってて私に託した。その事自体がミリルさんの能力の高さを示している…らしい。私にはただの石の板にしか見えないのだけれど。
「二つとないものだろう。安易に使うなよ?『シリウス』に行くまでとっておけ」
「…え?『シリウス』って…」
普通の人は知らないはずだ。私達の主目的は『マギニカ』に行くこと。『シリウス』に向かうのはあくまでそのついでで、何か起きているらしいから確認してから行くというだけの事だ。
詳しい事情を知っているのは『エーワンス』の冒険者、『小さな翼』の乗組員、王室の関係者…くらいしかいないはず。メリューは、私達が『シリウス』に行く事を知っている?
「あそこにお前たちの兄妹がいる。名前は聞かなかったが、気配は確かに感じた。気を付ける事だ…、そんな貧弱な装備で勝てる相手じゃない」
「貧弱…」
私は鎧を付けての動きに慣れていないから軽装だ。革鎧くらいは付けるべきなのだけど、『天光斬月』を振り回すので精一杯だ。命を守るためにはもうちょっと重装備でいたほうがいいのかもしれない。ただ、それ以上に気になるのは…。
「…兄妹なのに…装備に気をつけろと…?」
単純に気になった。血の繋がったもの同士で戦う事は考えられない。兄妹の定義が分からないが、もし、本当に兄妹だったとしたら、戦う理由なんてない。石板をとっておけという事は、仮に『シリウス』に何かが待っているとしたら、それは敵で…。
兄妹が…敵?
「なんだ、お前たち…。もしかして知らないのか?あそこには…あぁ、そうか…。だから…」
メリューはお酒をもう一回、呷った後に空っぽになった瓶を静かに置いてこちらの方にゆっくりと目線を移した。
「『フォーアス』。遠くからでよく見てなかったが…、恐らく兄がいただろう」
「遠く…?えぇーっと…。ノーエルっていう兄が…」
「良かったな。因果が正しく動いていたのなら、その兄が『魔王』にでもなっていただろう」
…話がさっぱり分からない。ポカンと口を開けていると、メリューは私の事を意にも介さず店主に向けて指を一本立てて小さく振った。
『魔王』。陰でそう言われていたのは知っている。でも私は、あの兄さんがそんな存在になるとは到底思えない。だって、あの人は。本当にすごい人だから。
強すぎる存在である兄さんは、たくさんの、それはたくさんの人から疑いの目を持たれた。だって、あの人に勝てる人間は存在しないのだ。
お父さんは、比肩する存在が常にいた。みんなで支えあい、みんなで戦っていた。だから欠けてはいけないと、家に見舞いに来た人みんなが口を揃えた。
兄さんは一人で良かった。だって、あの人がいればどんな困難でも乗り越えられると思えるくらいに強かったから。
すべての人が諦めるくらいの強さだった。だから陰で色んな事を言われていた。『魔王』だの『化け物』だの、少なくとも人間ではない、そんな言われ方をしていた。
今から思い返せば、兄さんはどこまでも普通の人間だった。生まれてからまず、カッコいい父親に憧れて、優しい母親の愛情を受けて育った。父親の跡を継ごうと自分を鍛え、父親の真似をして、常に「憧れの父親のようになりたい」と口にするくらいに普通の人間だった。
いつからだろう。あの人が『救世主』になってしまったのは。気づいたらそうなっていた。誰かから憧れる事を嫌い、この座には一人でいいと孤独を好み、この星のすべてを護ると背負うようになっていた。
お父さんはみんなで背負っていたはずなのに、兄さんはそれに憧れていたはずなのに。いつの間にか道を違えてしまった。同じ道を歩もうと思えば歩めたはずなのに。
兄さんが16になった頃の夜の日。私は鮮明に覚えている、あの日の兄さんは酷く憔悴していたような気がしたから。気のせい…だったかもしれないけど。
その日は兄さんが旅立ちを許された日。5歳のころにはお父さんと並ぶくらいに強かったのだけど、お父さんからの遺言で「16になるまで旅立つな」と言われていたらしい。『救世主』がようやく星を救う旅に出られるとあって『カントリーヒル』はお祭り騒ぎだった。残念ながら、そんな日になっても大した強さが目に見えなかった私には関係のない事だったけど。
私は『エーワンス』の二階で軽くご飯を食べていた。そのころには、もうお母さんもいなかったから『エーワンス』に残されていたみんなが第二の家族みたいなものだった。兄さんは家には帰らないでずっと私ひとりでいたからよく覚えてる。みんなが兄さんを祝福して、みんなが兄さんを讃えていた。ご飯を食べ終わった後、外から兄さんが『エーワンス』に入ってきて私を迎えに来た。
珍しい、って思った。私から探す事は多くあったけど、兄さんから私を探す事なんて滅多に無かった。妹として、放っておかれてるなんて思った事はないけど、兄さんにはやるべき事がいっぱいあるっていうのは理解していたから。私が兄さんの邪魔になっちゃいけないと思っていた。
「レスト。ここにいたのか」
「…ど、どうしたの?兄さん…何だか目が…」
怖い。そう思ったけど、口にしたらいけないと思った。私は椅子に座ったまま、立ち上がる事が出来なかった。
「いや…。何でもない。お前は…幸せになれよ」
急にどうしたのだろう。素直にそう思った。
だから、率直に聞き返した。
「…どうしたの?兄さんだって幸せに…」
まるで、自分は今、幸せではないかのような物言いだった。ようやくお父さんと同じ、旅ができる年齢になったのに。そのお祝いを先ほどまでしていたはずなのに、兄さんも一人の、人間であるはずなのに。
「俺は…。俺は、幸せになってはいけないんだ」
何かを決めた、顔だった。きっと『覚悟』。
幸せになってはいけないと決めたのだろう。兄さんの中で、そう確かに。
「この星には不幸な人間がたくさんいる。その不幸を全て背負う為には、俺は幸せになってはいけないんだ」
「…そんなの関係ないよ。兄さんは」
「だから…。お前は幸せになるんだ」
一度、出そうとした左手を引っ込めてから右手で私の頭を撫でた。10歳の私には大きすぎる、優しい右手だった。
「それが、きっと…。お前の『役割』だ」
あの兄さんが、『魔王』である訳がない。私は確信をもって違うと言いきれた。
「兄さんは…誰よりも、他の人の幸せを考えて。だから…」
強い言葉でメリューの言葉を否定したかったが、私は生憎、そういった言葉を学んでいなかった。上手くまとまらない、でも、否定だけはしたかった。
「『魔王』ではない…。なるほど?『フォーアス』はそう言いたい訳だな?」
無言で頷いた。間違った言葉が出てしまうかもしれないから、その方がいいと思ったから。
「…きっと、私が見てきた形から因果も変わりゆくものなのだろう。ただ、私の言葉はしっかりと頭に入れておけ?」
メリューはいつの間にかおかわりしていたお酒の瓶をもう一本、直接呷ると空になった瓶を軽く置いて私の目を見つめた。
「あそこにいるお前の兄妹は話が通じない…いわゆる『悪魔』だ。情けや容赦はかけない事を勧めておく」
「『悪魔』…。そんな人が…」
私の周りには幸運にも良い人しかいなかった。悪い人、というのもいる事は知っているし、本だってそれなりに読んできたからどういうのが悪い人なのかも知っている。『エーワンス』の冒険者の中には『悪魔』の二つ名を持っている人だっていたような気さえする。
それでも、メリューの言う『悪魔』がどんな人物なのかは想像がつかない。何を基準にして悪の心を持っているのか。本当に、それは悪なのか。
「肝心な時になったら思い出せ。時には『絶望』こそが『勇気』なのだとな」
「それは…」
どういうことなのか。聞き返そうとも思ったが、何か掴めそうな気がした。
きっと、この人は無意味になるような事は言わない。そんな気がしたから。
「分かる時になったら分かるさ。メリュー姉さんは頼れる人だからな!信じておけよ?」
よく分からないけど、とりあえず頷いておいた。メリュー…姉さん?は何故だか頼れる人な気がする。信じ込みすぎるのは良くないとは思うけど。
「とりあえず…『シリウス』にいる兄妹が『良くない物』…でいいんですか?」
メリューは渋い顔をした。どうやら違ったらしい。口にしてから思った事だが、『良くない物』は目覚めた、と言っていた。だとしたら古代の何かしらで、それは兄妹にはならないだろう。…でも、私達以外に兄妹がいるなんて話も聞いた事がないんだけど。
「いや…かなり厄介なのが『天界』にいる。不運にも、私と同じ『勇気』によって目覚めるように設計されていたようだ」
『天界』…そういえば、三尾白狼が地上に降りてきたのも何か強大な敵が現れたから…とか何とかペスケが言っていたような気がする。
「何より気を付けなければいけないのは…『フォーアス』。お前だけを狙っている事だ」
「…私を?」
『フォーアス』の名前だけなら兄さんも含めると思ったが、特に私を見て言ったような気がした。そこにきっと意味があるんだ。
「あれは『勇気』を特に憎んだ存在のようだ。使えるお前を殺しにかかるだろう」
「使える…私を…」
兄さんには使えないのか。そう言いたかった。でも、メリューの中で答えは決まっている気がして、怖くて聞けなかった。
「ああ、使えるお前を、だ。残念ながら、お前に戦闘の才能はないようだが…兄の方は鍛えればなんとかなりそうだ」
…鍛えれば?あの兄さんがこれ以上、強くなるなんて考えれない。最初から頂点にいるような人だ。
「兄さんを…鍛える?」
「でないと死ぬぞ。今のままではな」
『天界』で目覚めた『良くない物』。それは今の兄さんでも勝てない、途方もない何からしい。あくまで、メリューの見立てではあるけれど。
これまでの話から、それは…『滅竜』なんじゃないか。と思った。星を滅ぼすために生まれた竜。それなら兄さん一人でも敵わないと言われても納得できる。でも、私の目の前にいる人は…。
「それは…『滅竜』…ではないんですよね?」
「ああ、そうだ。私の正体について、もう分かっているようだな『フォーアス』」
確証なんてない。話の内容からそう察する事ができるだけで、ミリルさんだって可能性には気づいていただろう。言わなかったのは、証拠がないから。
たとえ『滅竜』の鱗を持っていたとしても、偶然拾ったものかもしれない。どこかの遺物として、埋もれていたものかもしれない。本人証明にはならない。あの人が断言するにはもっと証拠が必要だった。迂闊に認めてしまっては大変な事になるから。
私には不思議な確信があった。人間に化ける魔物なんて遥か昔の逸話でしか聞いた事がないくらいだけど、間違いない、ってどこかで確信がある。
――「あなたが…『滅竜』…」
「はははははっ!!何を冗談言い出すんだい!?程々にしてくれよ?!まったく!!」
突然、メリューは私の背中をバシバシと叩くと、空の瓶を手に取って店主に向けて振った。
「おーい!!もう一本!もう一本だ!!」
「お客さん…。その酒はもう…」
「じゃあ代わりの!!次に強い酒でいいからさ!!」
私の肩を二回ほど、軽く叩くと顔を耳に寄せてきた。
「公にはしないでくれよ?不安がらせるつもりはないんだ」
それだけ呟くと、素早く顔を離して空になった瓶のふちをなぞって遊びだした。
本当なのかどうか、疑うべきだとは思ったが、きっとミリルさんも同じ結論に至るだろう。何より、この人は隠そうという気がまったくない。気づいた人はいくらでも言いふらせばいい、これくらい思ってそうだ。
公にするなというのも建前だけだろう。ここに『滅竜』がいる、と言っても信じる人はいない。それが分かっているから隠そうとしないのだ。
「…まぁ、話を戻すとだな。お前の言う通り、『天界』で目覚めたのは『滅竜』ではない。確か…『元』人間だ」
「『元』…?」
どこまで知っているのか、と思うほどに情報が出てくる。まるで、直接見てきたかのような…。『天界』なんて、行く手段が…。
「…見てきたんですか?」
「もちろん。起きたらまず、自分の家の中くらい一通り見ていくだろう?」
『天界』のある高度まで上昇するのは訳ないだろう。あれだけの巨体を空に浮かばせる力が気になるけれど、実際に自由に飛んでいる所を見てしまったからには信じるしかない。
ここまで言うからには本当に見てきたのだろう。そして、どうやってか、『良くない物』を感知し、こうして私に教えてくれている。
「…どうして、私に協力するんですか」
単純に思った。私には協力されるようないわれはない。ミリルさんはかつて『滅竜』と『勇者』は共に戦った…みたいな事を言ってはいたけれど。何年前の話だ、っていう事だ。反故にされてもおかしくないし、私にはきっと『勇者』の面影なんて微塵もない。
力を貸そうと思われるような、人間じゃない。
「んー…。私は人間には肩入れしすぎないように…とは考えていたんだ」
今やってる事は、すごい肩入れしてるような気がするけど。
「ただ、まぁ…。弱すぎる物にはつい、手を差し伸べてしまうだろう?そんな風にさ」
メリューが指さしたのは肩に乗ったロップだった。弱すぎるから…なんて理由で面倒を見ている訳ではないのだけど。でも、守りたいから、とは思ったかもしれない。
「私はあくまで、手を差し伸べるだけだ。問題解決は『フォーアス』に任せるよ」
奥から出てきた店主が新しい酒瓶を困り顔をしながら持ってきた。おずおずと差し出されたそれを受け取ると、少し大げさに、丁寧に蓋を開けた。
「私達に…」
「何とかしたいんだろう?なら、何とかすればいい。お前達の力でな」
私達の、力で。それが出来れば苦労はしない。目下の大問題である『星の心臓』さえ見つかるのなら。
「これ以上の協力は出来ないんだ。『星の心臓』はもう『マギニカ』にあるからな」
「…えっ?」
今…『マギニカ』にあるって言った?
『星の左手』の最深部にあるっていうのはミリルさんやペスケから何度も聞いた事がある。ベクルだってそう言ってた。見つからないのが一番の問題だって事も。それが…『マギニカ』に?
「本当に…あるんですか?『マギニカ』に…?」
「ああ、あるよ。私が目覚めたらまず、これを探すよう書置きがあったから…真っ先に探したよ。『滅亡予報士』の書置きだったな」
「えっ?あっ…?えっ??」
次から次へと予想外の情報が来てしまって混乱する。
「知らないのか?私もよく知らない男…だと思うんだが、現代に何か情報を残していたりしないか?」
「えっ…えーっと…。『黄昏の予言』っていうのを書いたのが…確か…」
つい最近、聞いたばかりの情報だったが間違いないはず。『滅亡予報士』が書いたのが『黄昏の予言』だ。予言には『滅竜』の事なんて書いてなかったってミリルさんは言ってたけど…。
「はははっ!!『黄昏の予言』か!中々洒落がきいてるな!!あいつが来た時にはもう終わりだったのに!!」
「??…???」
「ああ…分からないか。すまない、一万年は前の話だ。お前達には関係ない」
よく分からない事ばかり言う人ではあるけれど、輪をかけて分からない…。
「まぁその『黄昏の予言』に『星の心臓』が必要っていうのは書いてあっただろう。タイニィ…おっと、『小さな翼』がまだ飛べるのも確認したし…」
「はい…『星の心臓』を使えば『天界』に飛べて…」
「『天光斬月』があれば、あとは楽なんだが…」
…………。
「…あの…『天光斬月』は…これ…」
私はお店の中である事は承知しつつも、腰にさげている『天光斬月』を静かに抜いた。ノーエルの『陽光灼蘭』と比べれば派手さはないが鈍く光る刀身は、現代の鍛冶技術で出来る逸品であるといえるはずだ。
「…何か冗談でも言っているのか?」
メリューは悪気が無さそうに言った。まさか。
「それは…私の方から説明しよう」
「!…ミリルさん!」
いつの間にか、私達の後ろにミリルさんが立っていた。その手に『滅竜』の鱗を持って。
「ライトは私が解読した文献から『天光斬月』の名を借りて、自分の剣に名付けたのだ。名前を借りるのは彼の常套手段だったからな」
という事はつまり、メリューの言っている『天光斬月』と私が持っている『天光斬月』は違う。冗談、と受け取られたのもそのせいだろう。とりあえず剣はしまっておこう。
「本物は見つけなかったのか?『マギニカ』にあったはずだ」
「…残念ながら。見つける事は出来なかった。最後の一本が培養槽の中にセットされていたらしいが、それは空になっていた」
「…空…ねぇ…。起動したのか?あいつ…。そうか、だから兄妹が…」
二人の間だけで会話が進行していく。多少なりとも解説が欲しい、私でもついていけるように。
「起動…『マギニカ』で数十年前にもう片方の培養槽の起動に成功した事はある。それが君の言う兄妹か?」
「一つだけ聞こう、興味本位で起動した訳じゃあないよな?」
メリューの目には、若干の殺気がこもっているような気がした。
「『フォーアス』に関する何かがあると読み取ったから起動した…。ライトも起動すべきだと言ったからな」
「ほう…何故だ?」
「培養槽にセットされていたのは人…恐らく、いにしえの言葉で言う『クローン』だ。命があるのなら『役割』があるはずだ、それが彼の生き方だったからな」
『クローン』…。話だけなら聞いた事がある。昔には人を複製する事が出来て、優秀な人を作り出したり、新たな人の命をゼロから作る事だって出来たらしい。ミリルさんが何度か話をしてくれたような気がする。
「…『フォーアス』のやったことなら仕方ないな。それで…信用する気になったか?」
ミリルさんは苦い顔をして、手に持った『滅竜』の鱗を見つめた。
「今のところはな…。現存するサンプル全てに該当しなかったから、新種の魔物のものである事は確定だ」
本物の『滅竜』の鱗でなくとも新種のものであると分かっただけでミリルさんにとっては価値のあるものだったらしい。鞄に手をつっこむと、大きな金貨袋を取り出してカウンターの上にドンと置いた。
「信頼するかどうか…よりも君の情報が面白いかどうかを選ぶ事にした。つまらない話を聞くよりも選択肢が増えるという意味で有意義である」
「ほう…面白い、性格をしているな。私の話にそんな判断基準を用いるのはお前が初めてだ」
「だからと言って、君の全てを信用する訳ではない。つまらない情報だったら聞き流す、金貨もその分差し引くぞ」
これは全てを肩代わりする訳ではないぞ、という意思表示らしい。情報の価値はこちらで決める、主導権を取ろうと交渉しているのだ。あの『滅竜』相手に。
「構わないよ。もう一袋、追加するくらいまで言ってもいいんだろう?」
「…っ!!そんな強気でいられるのなら…」
鞄からもう一袋、取り出した。ミリルさんはそこまで交渉される事を読んでいた。
「聞かせて貰おうじゃないか…。酒を飲むなら次の昼まで付き合えるぞ?」
少し、冷や汗を垂らしながらミリルさんはメリューを見定めている。この支離滅裂な発言をする、身元不明な人物がどの程度、面白い事を言えるかどうか。
「いいねぇ、いいねぇ。酒飲みは好きだ。ただ、その身体では控えた方がいいな?」
メリューは左手でミリルさんの頭をポンポンと叩く。少しムッとしながらもミリルさんは席に着いた。
「えっと…ミリルさんがいない間に色々、大事な事を…」
「『フォーアス』。それはダメだ。線引きはしっかりしないとな?」
「…はい?」
メリューは右手で私を制すると小さく首を振った。何を言っているのか相変わらずわからない。
「彼女はこれからの情報に金貨を出した。さっきまでお前に教えた情報に、じゃない。それは後で共有しておけ」
私が今まで教えてもらった事を口にする事で、金貨の行方が変わってしまう事について線引きをしろ、という事らしい。確かにミリルさんは何も聞いてない状態なのに二つも金貨袋を出して交渉に臨んだ。それは私がある程度、教えてもらったから出した訳じゃない。
メリューは酒瓶を軽くつかむと一度呷ってからミリルさんの方へ向いた。
「『滅竜』の他にも二匹、大きな竜がいる。白竜と黒竜だな。この前はすまなかった」
「…この前…?」
「あいつらは過去に実験で作られた新種の魔物で、上手く飛び方を分かってなかったんだ。黒竜の方がぶつかってしまった」
ぶつかった…。確か『小さな翼』が大きな物にぶつかって壊れた。航行機能を損傷するほどではなかったにしろ、旅立ちが遅れた要因にはなってしまった。
「なるほど…確かめようがないが、竜の報告は一つや二つではない。『滅竜』はこの目で見たがそれ以外の竜についても見た、という報告はある」
『エーワンス』でもそれらしき噂は聞いていた。『滅竜』はだいぶ派手に飛んでいたから私達でもすぐに『滅竜』だと分かった。確かに、今思い返せば竜について噂していただけで、それが『滅竜』だとは言っていなかった。彼らが私達が見てたあれを見ればすぐに『滅竜』だと分かっていただろう、だとしたら、違う竜がいる事は不自然ではない。
ミリルさんは袋の中から金貨を取り出していくと、十枚ほど出してメリューの前に置いた。
「私はそれがどれだけの価値か分からないんだが…。酒瓶一本分はあるんだよな?」
「ここで嘘を吐くと次の情報の信用度が下がる。四本分だ、間違いない」
ミリルさんは店主に視線を移し、「そうだな?」とでも言いたげに目に力を込める。店主は頭を掻きながら一度頷くと、あまり関わりたくないのか奥へと引っ込んでいった。
「いいねぇ。いい交渉の仕方だ、私が上だって分かってるやり方だ」
「私は貰う立場だ。ここで間違えるわけにはいかない」
メリューは大きくケラケラと笑った。ミリルさんの事が気に入ったらしい。ミリルさんの方は冷や汗たらたらだ。
「分かった分かった。次の情報だ。『天界』に行くだけじゃ星は救えない」
「…なんだと?」
ミリルさんの顔色が変わった。元からずっと冷や汗を流していたけれど、それが引いていくくらいの。
「専用の転移装置を使って、違う場所に行くんだ。起動できる人員が必要だが…」
古代の装置なら、ミリルさんが使えるはず。ペスケだってある程度は分かっているかもしれない。それなら何の問題もないような気がするが、ミリルさんの顔は青ざめたままだ。
「…ライト。お前はこれを知っていたのか…?」
「専門家はいるか?その先でも、古代の言語が使われたデバイスがあるから解読も必要だ」
「…私が…、両方…、可能だ…」
ミリルさんはどこか、泣きそうになりながら答えた。出来るんだから泣くような所はどこにも無いはずなんだけど。お父さんの名前を出した所に何か、理由はあるのかもしれない。
顔を伏せながら、金貨袋を丸々一つをメリューの前へ差し出した。星を救う為にとても重要な情報だったから、これは納得できる。
「そうか…っ…。私が…、必要か…」
「おいおい、どうした?まるで惚れた男にそう言われたみたいな反応じゃないか」
「…その通りだな…」
ミリルさんは薄っすら浮かんでいた涙を拭うと、メリューに向き直った。
「……次の情報だ。あるんだろう?」
「はっ、泣き止むまで待ってやってもいいぞ?」
「残念ながら、泣く姿が美しいような女ではないのでな。私は私の『役割』を果たす。絶対に…」
その顔には、どこか決意のような、覚悟のようなものが見えた。自分に与えられたものを果たす。それだけを決めたかのような。
「…そうか。まぁいい。次の情報だ、『滅竜』と戦う覚悟をしておけよ」
――!!
「……それは、絶対なのか?」
「ああ、絶対だ。超えられないようでは星は救えないからな」
目の前で行われた宣戦布告。それは情報であり、挑発でもあった。
「他の二匹には手出しはさせない。あいつらはまだ戦いが分かってないからなぁ。戦うのは、『滅竜』だけだ」
「それは…。本気なんですか…」
確認したかった。この人は、私達を、殺そうとしているのかどうか。
『覚悟』の話もしていた、もし、本気で、お互いを殺しあわなければいけないのなら、私は…。
「本気な訳あるもんか。お前達は可愛い子供みたいなもんだ」
これ以上ないくらい、明るい笑顔で答えた。嘘偽りが微塵も見えないくらい。
心の底から、私達の事を子供と思っている。それが確信できるくらいの笑顔だ。
「ただ…子供には『成長』が必要だ。その為なら、私はいくらでもお前達を殴る事が出来るさ」
その眼も本気だった。厳しさではない、優しさのこもった眼だった。
「殴る…って親代わりのつもりなら殴るなんて…」
「人間に限らず、生き物というのは痛みで成長する。全てから保護された家畜はせいぜいが味が良くなる程度だ」
「か、家畜とは極端な例えを出すな…」
メリューは不敵な笑いを浮かべながらこちらを見つめた。彼女からしたら、私達は共に生きる生物ではないのだという事を暗示している気がした。
「失望させるなよ?私はお前達の『成長』が楽しみだから協力してるんだ」
「『成長』…」
「私の言う『成長』は基準に達する事じゃない。基準を『超える』事を言っている。お前らは私に並ばないが、並ぶのではなく、ちゃんと『超えて』くれよ?」
星一つを滅ぼすと言われている、彼女を、『超える』。そんな事ができるのは…。
「ふん…っ。私達には『救世主』がいる。彼の実力は間違いなく本物で…」
「うん…。兄さんなら、いや…兄さんしか、あなたを『超えられない』」
それだけは共通認識だった。この星で一番強い人、お父さんがいない今、兄さんしかいない。私は『勇気』が使えるだけで、この後いくら成長しても兄さんには追い付けない。
お父さんは昔は弱かった、って自分で言ってたけど、たとえその血が私に流れていたとしても、兄さんには絶対に…追いつけない。
「おいおい、まるでそっちが本物の『勇者』みたく言ってくれるじゃないか」
「…レストくんには失礼な言葉になるが、この星が認めている『勇者』は彼だ」
間違いない。16年前にそうなった。星のみんながあの人を『勇者』と、『救世主』と認めたのだ。異論なんかある訳がない、だって、一番強い人だから。
16年前のあの時、成長を確かめる為として『エーワンス』に所属している冒険者全員と手合わせをした。結果は無敗どころじゃない『無傷』だった。相手の攻撃を全て受けた上で一撃で勝負を決めたのだ。兄さんのやり方で全てが決まった。
その結果に後から文句が付けられる訳がない。だから『化け物』呼ばわりされたのだから。この星に勝てる人間はいないとみんなの前で証明されたのだから彼がこの星で一番強いのだ。
「ふーん…。そうか、そんな『勇者』は…私は初めて見るが…。だからこそ、楽しみになる…かもしれないな…?」
メリューはまるで私の心の中を見透かしているかのようだった。私の目を見て、その言葉に揺らぎがないことを悟ったのだ。私は兄さんの事を微塵も疑った事がない。つい最近に、ちょっとした力は得られたかもしれないけれど、そんな程度であの人を超えられる訳がないのだ。
「わかった。そんな『救世主』がいるのならこの情報にはちょっと価値が足りないな…?もう一袋分を出させると言ったからには…」
「いや、十分だ。君に対してはこちらも敬意を払わねばならないから金貨二袋くらい…」
「それでは私の気が収まらないのさ…。よし!最後の情報だ!しっかりと目に焼き付けておけよ?」
目に…焼き付ける?メリューは軽快に立ち上がった。
「むかしむかし、ある所に哀れな小動物がいた。自分がどこで生まれたのかも分からない、自分が何者なのかも分からない、そいつはただ、無辜に生きていた。きっと何かを食べた記憶も、歩いた記憶すら持っていなかっただろう」
語りだしながらメリューは右手をなまめかしく伸ばした。空に向けて。視線を腕の付け根から手の先へ、ゆっくりと動かしながら何を掴むでもなく伸ばした。
「ある時、突然、大地が動いた」
その手は何かを握った。無ではない、何か、手の中に入っていた。
感覚で分かった。もしかしたら、私にしか見えていない、なにか…。
「何が起こったかも分からない。哀れな小動物は必死に逃げ出そうとした所までは覚えていたのさ」
――どくん。
ゆっくりと、自分の目の前まで握った拳を運ぶと、
自分の頭の横に、小さく、掲げた。
――怖い。
―――怖い!!怖い!!!
「…!レストくん…?!」
「緩やかに天に昇る大地、そこから逃げたそいつは…。当たり前だが奈落に落ちてしまったんだ」
――身体が震える!
止められない!――いやだ!!まだ、死ぬのは――!!
まだ、いやだ、
まだ。まだ。まだ。
やだ、やだ、やだ、やだやだやだ。
「何が起こったか、分からない。ただ自分が死ぬ、というのは理解できたのさ」
壊れる。
何かが、
壊れる。
壊される。
「そこに一滴の『落とし物』が落ちてきた。己が死ぬ絶望と、その『力』は奇跡的にリンクしてしまった」
手は
ドアをノックするように
軽く
ひねられて
「『滅び』に必要な感覚と言葉、理解すればいつだって使えてしまう」
――ピキッ!
音が――聞こえた――
「『滅』」
私は彼女が何をしているのか、分からなかった。ただ本能で理解できた、『恐怖』を。己がそれに殺される、『威圧』を。自分が『滅竜』である事を微塵も隠さなかったのに納得がいく。自分が恐れられる事を恐れてないのだ。
ひりつくような悪寒を感じながらも私は何とか立っていられる事が出来た。レストくんは、様子をみたいが、目を離してはいけない気がする。彼女が何をするのか分からない。
――ガタッ。
何かが倒れる音がした、さすがに視線を動かすとレストくんが倒れていた。
「レストくん!!大丈夫か!?」
彼女の持っている石板は重要なものだ。起動できなければ二人とも死ぬ。
「…なんだ、近くに来てたのか」
メリューが視線を…いや、『滅竜』が店の外へと視線を移す。こんな時、彼が。彼が来てくれたのなら。
勢いよく店の扉が蹴破られて、奥から現れたのは…間違いない。この状況でもっとも居てほしい人物。
『救世主』だ。
「ミリルさん!!何が起きた!?急に背筋に…」
「よぉ。久しぶり、初めましてだな『フォーアス』」
『滅竜』はゆっくりとノーエルに向き直った。この場で立っていられるのは私と、ノーエルと、『滅竜』だけだ。酒場の店主も、たまたま居合わせた客たちも、みんな意識を失っているかのようだった。…レストくんも。
「…誰だ。俺はお前を知らない」
ノーエルは『陽光灼蘭』を抜いた。敵が『滅竜』である事を彼は知らない。
「ダメだ!ここで戦うな!!」
何とかその判断ができるくらいには冷静さを保てていた。本当に『滅竜』であるのなら、その姿を現してしまうはず。あの巨体をこの街で暴れさせる訳にはいかない。ノーエルが負ける…とは考えていない。いないが、被害が大きくなる。
不安がよぎったのは…。隠してはいけない。彼を一瞬、負けるのではないか、と疑ってしまったのは。
「ミリルさん!…しかし…っ!」
「いいんだ、いいんだ。いま戦う必要はない」
メリューは手をひらひらと力なく動かして戦う意思がない事を示した。
その奥、つい先ほど、何か空間をノックしたその場所に、何か見える。
小さな亀裂。物理的に有り得ない、だってその空間には『何もない』のだ。
『何もない』場所に亀裂は生じない。その空間には空気しかないはずだ、もし、それが、壊されるような事態が発生しなければ。
「世話になったな。金貨二袋分にはなったか?」
「…十分すぎるくらいさ…」
メリューは私の言葉を聞くと、店の外へ向かって歩き出した。歩様にまったく乱れがない、まるで、普通に酒を飲んで、いや、酒すら飲まなかったかのように歩き方は軽快だ。
ノーエルのすぐ前まで歩くとメリューは僅かにはにかんだ。その顔はまるで母親のように穏やかだった。その事自体がおかしいのにも関わらず。
「『フォーアス』。お前達は『シリウス』に行くんだろ?その間は私がこの『カントリーヒル』を護っておこう」
「…何故、その事を」
ノーエルは私に目配せをした。私は無言で頷いた。頼む、疑ってくれるな。そのまま受け入れてくれ。彼女がその気になっているのなら、そうしてくれていた方がいい。気が変わらないうちに、その提案を飲め。
「『天界』から襲ってくる魔物が不安なんだろう?見たところお前達はみな弱いみたいだからな。心配するなよ」
「…そうか」
メリューはつかつかと外へ向かって歩き出す。
ノーエルの左横を通り過ぎ、そのまま外へ出ようとした。
その時。
「…俺がお前を信用する筋はない」
ノーエルは左手に『陽光灼蘭』を持ち、メリューの首筋に向けていた。本気だ。
「…担保でも必要か?そこの袋が私の全財産なんだがな」
恐らく、わざと置いていった金貨袋に視線を向けた。彼女にはそれは最初から必要なかったのだ。
「ノーエル…っ!」
「ミリルさん。俺はこいつが味方だとは思えない」
君の気持ちは分かる。これほどの強さを持っている人間ならば『エーワンス』にいないはずがない。だとしたら人間以外になってしまう。それは得てして敵であった。この星には今現在、人間以外の味方はいないのだ。
だが、今は信用してくれと願うしかない。こいつは危険だ。味方として置いておく事が最善なのだ。完全に敵として置いてしまうと、ダメだ。
「好きにしてくれ。私も好きにするさ」
「…それはこのまま、剣を振り切ってもいいという事か?」
メリューは不敵に笑った。
「そんな『なまくら』じゃ、私の尻尾すら斬れないぞ?」
ノーエルの腕に力がこもったように見えた。ダメだ、乗るな!
「『なまくら』かどうか。確かめてもいいんだぞ」
「本当か?確かめていいんだな?」
メリューは首の右側に突き付けられた剣を人差し指で小さく小突いた。
――「」
何か、小言で呟いていた気がするが、聞き取れなかった。
「ほら、やっぱり『なまくら』じゃないか」
「何を…」
「お前の力に剣が追いついていない。もっとも、死にかけの星だから仕方のない事だがな」
ノーエルは自分が持っている剣に違和感を感じたのか、目はメリューから切らさないようにしているが『陽光灼蘭』の方を気にしているようだった。
「一つだけ問おう。『フォーアス』、お前にとって『強さ』とはなんだ?」
泳ぎかけた視線が真っ直ぐに彼女へ向かった。
彼にとって、答えは決まっているからだ。
「…『強さ』とは、絶対的なものだ。後から変わる事は出来ない」
「…そうか。それがお前の答えなら尊重しよう」
メリューは振り返る事なく、歩き出した。ノーエルは剣を下げた。
「また会おう、『フォーアス』。その時にはもっと『強く』なってくれよ?」
彼女はそのまま、噴水広場の方へ消えていった。
私はため息を一つ吐くと、傍に倒れていたレストくんの身体を揺さぶった。
「レストくん、起きてくれ。息は…あるな」
「ミリルさん、何が起きたんだ?ここにいる全員、意識を失っているようだが…」
そう言いながらノーエルが剣を収めようとした時、視線が一か所に留まった。その先を辿ると、『陽光灼蘭』の刀身。真ん中にヒビが入っていた。恐らく、彼女が小突いた場所だ。
「これは…」
「の、ノーエルくん!これまでずっと戦ってきた疲れが剣にもあるのだろう!」
彼に負けてしまうかも、と思わせてはならない。この星の人間で、一番強いのは彼なのだ。万が一にも諦められたら、だれがその後を引き継げる。
「…そうか。鍛冶屋が予備を用意していたな…。持っていくか」
今の技術で作れる最高峰の武器だ。失伝しないうちに作れるだけ作ってくれと頼んであった。私が見た時には三、四本は予備があったはず。彼女と戦う時にも、必要になるだろう。
「…『なまくら』…か…」
少なからず、彼に傷を負わせてしまったようだ。あの剣は父親から貰った大事な剣。けなされる事など今まで一度も無かった。何せ、あの父親と同じ性能の武器だ。出力に追いついていないのではないか、という事を考えなかった訳ではない。ただ、それ以上を作る事が出来ないのも事実だ。
彼はこの星で一番強いのだが、それ以外の人々は弱いのだ。全てが揃っていたのなら、この星は救われているはずだ。
「…彼女は何か、特殊な力を持っているようだ。『滅竜』…何かを滅ぼす?」
私にはよく分からなかったが、レストくんは事前に何かを察知していたようだった。体が震えていたし、視線は彼女の手元に固定されていた。感じていたのは、おそらく『恐怖』だ。人は本当に恐れを抱いた時は視線を逸らせない。私がそれほど、『恐怖』を抱かなかったのは…それにも理由があるはずだ。
全てのものに理由はある。全てのものに…。『恐怖』?
「レストくん以外は…あれがあるまで彼女に視線を向けてすらいなかった」
軽く空間をノックするまで、私は一応の視線を向けていたが店主も居合わせた客も、彼女に注目している様子はなかった。当然だ、事前に大声を出していた訳でもないし目立つ場所にいた訳でもない。あの動作をするまでは何の変哲もなかったのだ。
だとしたら重要なのはあの動作?空間をノックしているように見せかけて広範囲に魔力の衝撃波を浴びせていた可能性はある。だが、それでは私が気を失わないのはおかしい。そんな行動は攻撃だ。攻撃に対して一番無力なのは私だ、私は魔力の悉くを使う事ができない。自分で調べ上げて、自分で実証したのだから間違いがない。
だとすれば、私は真っ先に気を失わなければならない。あの行動は攻撃ではない。何かに見せかけた、という可能性は捨てるべきだ。あれは恐らくトリガーに過ぎない。空間を軽くノックする、という事で何かの事象を引き起こしたのだ。そう、例えばレストくんが使える『勇気』のように。
全てのものが『恐怖』する…。『魔法』で感情をコントロールできる、というのは今は失われた魔術だ。人間等の感情が強い生き物相手ならば効果が期待できるが今は必要がない。だから研究もされてないのだが…。その線は薄い気がする。
先ほども挙げたように魔力に対して防御が出来ないのが私なのだ。『魔法』による感情操作ならばやはり私が一番『恐怖』しなければおかしい。それこそ、周りの全員が失神しているのだ。気を失わなかったのがたまたまだったとしても、こんな冷静に状況分析できているはずがない。
だとすると…。『魔法』の『外』にあるものを使った…としか思えない。『魔法』はあくまで『魔力の法』だ。『魔力』にある命令を与えると、『法』に従って動く。『法』は『法則』であったり、大原則である『法』そのものだったりする。そこから『外れた』もの…。簡単に想像がつかないが…。
「おい、大丈夫か…」
「う、うぅ…」
ノーエルが客の一人に声をかけると気を取り戻したようだ。頭を押さえて上体を起こしている。
「何があった?俺が駆け付けた時にはみんな…」
「…あぁ。『救世主』。…普通に…酒を飲んでただけなはずなんだが…」
周りからもうめき声が小さく聞こえる。見回すと、次々に意識を取り戻してきているようだ。
だが、傍らのレストくんは未だ、その様子がない。
「なんだろう…。急に、全身から悪寒が走ったような…。びっくり?したんだと…思う。…分からないんだが…」
「無理に思い出すな。ゆっくりでいい、俺も背筋に…いや、何でもない」
ノーエルはまだ遠くにいたはずだ。確かに…ここに入ってくる時に何かを感じたとは言っていたな。駆け付けた速度からいって、噴水広場よりも遠い所にいたのは間違いがない。陛下との話がそこまで長くならなかったとしても…街の入り口までだろう。優れた能力から察知した可能性だってあるが、それでも…彼が…。『恐怖』を感じたのだと仮定すると、更に絞り込めそうだ。
彼は生半可な『魔法』では影響を受ける事はない。『エーワンス』の魔法使いが束になっても『無傷』でいられるほどに彼は耐性があるのだ。距離からしても、減衰していなければおかしい。彼が何かを感じた、という事はおかしいのだ。それほど離れていても違和感を感じるほどの何か。
やはり『勇気』のような現象が正しい気がする。名付けるのなら…彼女の名からとって『滅』か…?滅ぼす…何を…?
感情に対する攻撃ではない気がする。滅ぼす、という名前から外れているからだ。消える事はあっても滅ぶ事はない。何より、滅んだのなら気を取り戻すはずがない。現に人々は立ち上がり、店主は片付けを、客もこぼした酒を拭いたりして平常を取り戻そうとしている。
全員に共通して…私に無いものを挙げた方が早いかもしれない。私だけ被害が軽微だ。確かに『恐怖』は感じたが気を失うほどではない。あのヒビに何か…、いつの間にか空間のヒビは消えていた。まるで何もなかったかのように。調査が出来れば一番だったのだが…これは仕方がない。だとすると仮定は…。
「…『魔力』に対する攻撃…」
全てのものに『魔力』は宿る。私にだって、使いこなす才能がないだけで微量には存在している。それはささやかながら私の身体を構成している一部だ。そして、それらは…『生きている』…。
「…そうか!あいつは『魔力』を『滅ぼせる』んだ!」
身体に流れている『魔力』が『恐怖』したのだ。このままでは『死ぬ』と。空間に入ったヒビは『魔力』が死んだ残骸だ。あのヒビの中で確かに『魔力』は死んだのだ。目の前で同じ『生き物』が『死んだら』、『恐怖』という感情を抱く。それは自然の摂理であり、『現象』だ。
詳しい仕組みは分からない。そもそも、『魔力』を『殺す』という発想をしたことがない。『魔力』は『魔法』に必要なエネルギーだ。あの『滅竜』だって『魔力』で生きているはず。だって『魔物』なのだから。それがどういう訳か『滅』の力を手に入れている。
『落とし物』の話をしていたな。『天界』の浮上には確か『魔王』が関わっていたはずだ。遥か古代に『魔王』が生まれた時、人々はそれを恐れて天に逃げ道を見出した。浮上を察知した『魔王』がそれを阻止しようと『天界』に向けて攻撃をしたという記述があった筈だ。
そして、当然それを計算に入れていた人々は『魔王』を退けるための兵器を用意していた。強力な攻撃に『魔王』は倒されこそしなかったが何発か直撃を受けて『天界』の浮上を阻止する事ができなかったのだ。確かその辺りからだ、『滅竜』の記述が始まったのは。
古文書には突如現れた『滅竜』は『魔王』と交戦を開始し、『天界』はそのどさくさに紛れて安全に浮上する事が出来た。もし、彼女がこの瞬間に生まれたのなら。恐らく、人々の攻撃によって『魔王』の力の一部が彼女に流れ落ちたのだ。生みの親の事などいざしらず、彼女は身近にいた『魔王』に攻撃…或いは衝動のまま食おうともしたのかもしれない。だとすれば彼女の発言の一つ一つが繋がっていく。
「…『魔力』を…『滅ぼす』…?」
「ああ!そうだ!詳しい話は…あぁ~っ!!纏まってからしよう!今話すと長くなってしまう!!」
本当は全部、順を追って説明したいのだが誰にでも理解できるようにしなくては意味がない。
ともかく、今一番、話を聞きたいのはレストくんだ。彼女の感受性は恐らくこの星で一番強い。気を失っている時間が長いのも、至近距離で見てしまったからだ。レストくんの感受性から言って、常人より大きい傷を負ったに違いない。震える事前動作もあった、私には考えられないほどの衝撃を受けただろう。
「氷嚢はあるか?店主。彼女の頭を冷やしてあげたい」
「あ、ああ…。ちょっと、待っててくれよ…」
確かに息はある。心臓もちゃんと動いているようだ。脈も…正常だ。ペスケくんがいてくれたのなら、もうちょっと正確に診断してくれるのだが。
「レスト…目を覚まさないのか」
「仕方もないさ…だが安心してくれ。脈はある。安静にしていれば…」
ふと、思い出した。彼女の肩にはロップという兎が乗っていたはずだ。倒れてしまったら下敷きになっていたりしないだろうか?
思わず探していたが、店の中にその影は見当たらない。となると、レストくんが…その考えがよぎったとき、倒れた彼女の長い黒髪の一部が盛り上がっているのに気付いた。そっとどけるとそこにロップはいた。変わらずに草を食んでいる、可愛いものだ。
撫でようとした時に気づいた、彼には一切の傷がない。肩に乗ったまま気を失われたのなら、安全に着地するのは難しそうなものだ。何せ、彼も一緒に気を失った…はず…。
周りの人間はみな目を覚ましてしまった。万が一…、可能性があるのなら、彼は気を失わずに倒れそうなレストくんの肩から飛び降りて安全な場所に逃げた?彼女が倒れてちょうど髪に隠れるような場所を狙う事は難しい。恐らくは、レストくんが倒れてから髪の下に潜り込んだ…。何のために?
…深く考えすぎるのはよくない事だ。今は彼女の治療を優先しよう。
「もうすぐ『小さな翼』も着陸する。治療設備もあるからそこでペスケに診せよう」
「ああ…そうだな」
目を覚ましたのなら聞きたい事はいっぱいある。だが、体調も考えてあげなければならない。彼女はそこまで強くないのだから。
私も、もっと…強くあらねば…。
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