時代劇だよデン子ちゃん
神原
時代劇だよデン子ちゃん
「庄之助! 庄之助ぇ!」
鳥のさえずりが聞こえる朝もまだ早い時間に、広い城内の一室から姫の大きな声が響き渡った。。長い廊下を焦った庄之助が駆け抜ける。
「もっと早く来んか。ばかものっ」
跪いて障子を開け、一歩を踏み込んだ後ぽかりと殴られた。頭を手で押さえて、安堵から苦笑いを浮かべた庄之助の裾を、しっかと握る姫はまだ十歳程だろう。俯いた拍子に長い髪が顔を隠す。それだけで彼女の寂しいと言う心が垣間見える様だった。
「またあの夢を見たのじゃ。自分が自分でなくなる様な。庄之助。わらわは、わらわじゃよな」
「はい、姫様」
その不安そうな声に応える庄之助もまだ十五歳。これから一生をこの方に尽くすのだろう。内心では自分の若さに対する不安もあるが、精一杯お仕えしたい気持ちに嘘はない。
「最近夢と現実が分からなくなるのじゃ。わらわは……」
「大丈夫ですよ。庄之助は何時もそばに居りますから」
少しだけ落ち着いてきたのか姫は笑って顔を上げた。薄紅色の頬に朱を差していなくても赤い唇。柔らかな一重の瞼があいらしい。思わず可愛いと考えてしまったのはしょうがない事だろう。
「知っておるか? 庄之助。淀姫の淀にはデンという読み方があるのじゃ」
「はあ?」
得意そうに最近習ったであろう事を、胸をはり説明しながら後を続ける。
「で、じゃ。おデン、では下町娘みたいじゃな。うん。これからはわらわの事を、『デン』に『おなご』の子をつけてデン子と呼べ」
そこでようやく庄之助もその意図を理解したのだった。
「デン子様ですね。分かりました」
ちょっとだけ不満そうに姫が眉をひそめた。何かが気に食わないらしい。
「様付けは嫌じゃ。もっと、こう。親しみのある……。そう、デン子ちゃん。デン子ちゃんじゃ」
「はい。デン子ちゃん」
他愛ない事ではあるが、なんとも嬉しそうに姫は笑った。つられて庄之助も笑う。二人の間を優しい空気が漂った。
突如、笛の高い音が屋敷内で響き渡った。
「何事!」
叫んだ庄之助の後ろに姫が隠れる。あちらこちらで混乱している様な物音が聞こえてくる。それに気づいた庄之助の判断は早かった。
「姫様っ!」
庇いながら身を翻したのがもう一瞬遅かったなら、庄之助は生きていなかったに違いない。袖を切り裂いて畳に突き刺さったクナイから黒い染みが広がる。恐らく毒が塗ってあるのだろう。
懐から素早く引き抜いた小刀を茂みへと投擲する。二の手で脇差しを引き抜いた。
ざわりとした反応が起こり、現れたのは漆黒の衣装に包まれた賊だった。この手際の悪さが下忍だと思わせる。寝所を毎回変えているのが幸いしたらしい。
「間違いない、淀姫だ」
確信した様な賊の呟きが聞こえた。
「ち、ちがっ」
「姫っ!」
それだけは言ってはいけなかった。姫が『影姫』である事だけは。咄嗟に口を挟んだ庄之助の後にいる姫にそれ以上の言葉はない。その事に思いあたったのだろう。
先の一撃で負傷したらしい敵はうかつには踏み込んでこない。
緊張した時が流れる。敵も、毒撃を皮一枚で受けている庄之助も、時間がさほど残されていない。
「姫様を、この庄之助より先には逝かせませんから」
「うん」
頷き、気丈に微笑む姫。ぽたりと庄之助の腕から血が床に滴った。
それが敵の動き出す切っ掛けを作った。一息で近づいて来て庄之助と切り結ぶ。そして、離れ際にクナイを二本放った。一本は微妙にそれ、もう一本は庄之助が打ち落とした。
機先は制せなかったと、任務失敗を意識したのだろう。賊が再びクナイを投擲して翻り、逃げ出していく。それを打ち落とした庄之助も跪いていた。周囲から人の声や物音が聞こえだしていた。
「庄之助! 庄之助!」
姫の声が響く中、安堵したのか穏やかな顔で意識を失ったのだった。
目を閉じたまま、深い眠りから醒めた事を庄之助は感じた。瞼が重い。悪い夢をみていた様な気分だ。どれ位の時間が経過したのか分からない。頭がぼんやりとしている。身体がだるかった。
傍らに人の気配がする。温かい気配が。だからやっとの思いで瞳を開いた。
「庄之助!」
ずっと見守っていたらしい姫の顔に、花が咲いた様な笑みが広がる。
(えっ? 姫様?)
安堵と寝ていないのだろうと思える疲労がその笑顔に垣間見えた。ふらふらと慌てて起き上がろうとした庄之助を姫が手で制す。
「もっと寝ておれ。早く元気にならないと承知しないからなっ!」
照れて言っているのを見て、庄之助の顔にも笑顔が浮かんだ。
「はい。デン子ちゃん」
姫の顔が泣き笑いの様に歪む。張り詰めていた気が弛んだのだろう。悩みながら考えた、ようやく彼女が自分だと認識出来る名前を庄之助が呼んだから。
姫が布団の上から覆い被さる様に抱きついた。
「あ、ひ、姫様……」
思わずそう口にした後で、頭をぽかりと殴られたのは言うまでも無い。
時代劇だよデン子ちゃん 神原 @kannbara
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