第2話 密約と副作用

 メルシーの出現は、事態を急転させた。その序曲になったのが、マーガレットの誘拐事件だった。

 マーガレットは、しばらくの間、他の人と接触を断っていた。以前からマーガレットは自分から人に接触することはあっても、なぜか他の人がマーガレットに接触するということはなかった。一緒に暮らし始めたジャクソンにしてもそうだった。男女の関係として一緒に暮らし始めてはいたが、夫婦になったわけではなく、お互いに夫婦になりたいという意思は欠片もなかったようだ。

 二人は何も言わなかったが、お互いに一緒にいることで、デメリットよりもメリットの方が大きいということでの同棲だった。

「利害関係の一致」

 それが、同棲の理由であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 二人にとっての利害関係が何であったのかは、この際詳しくは説明しなくてもいいだろう。下手に説明をすると読者が混乱してしまうという恐れがあるので、敢えて触れることはない。ただ、その二人の利害関係の一致する共通点に、ジョイコット国が絡んでいるということだけは確かだった。

 ジョイコット国は、元々アクアフリーズ王国の同盟国として知られていた。だが、その関係は宗主国と属国という関係でもあり、朝貢は義務付けられていた。表向きには植民地ではないが、植民地に限りなく近かったのに、対外にそうしなかったのは、あくまでジョイコット国の対面を重んじたからだとアクアフリーズ国側では思っていた。

 では、ジョイコット国側ではどうだっただろう?

 植民地でもないというのであれば、なぜ朝貢などしなければいけないのか?

 確かに国としては中途半端な勢力によって保たれている国であり、いつクーデターや内乱が起こってもおかしくない状態が続いていた。強力な勢力がそれを抑えない限り、そのうちに国家としての対面どころか、政府は空中分解してしまい、列強に分割支配されかねない状態でもあった。その状況に目をつけたのが、宗主国であるアクアフリーズ国であった。

 植民地にしなかったのは、植民地にしてしまうよりも宗主国としての地位さえ保つことができれば、朝貢を受けることで、植民地支配するよりも利益を得られると考えたからだ。 植民地にしてしまうと、インフラ整備や軍事に関してまで、すべてを担わなければならなくなるが、属国であれば、相手国の政府を容認することで、その国のインフラ整備や軍事にかかる費用などは、その国が受け持つことになる。

「別に植民地支配する必要がどこにあるというのかね?」

 というのが、先代の考え方だった。

 先代は、温厚派に見られていたが、実際には現実的な人であり、理想論よりも現実主義であり、それを隠すために温厚に見せていた節があった。

 政府高官はよく分かっていて、そのため、いつ粛清されるか分からないという恐れを抱いていたことで、先代に逆らうこともできず、穏健派であるという印象を国民に植え付けることで、自分への粛清の目を逸らすことしか考えていなかった。

 そのため、先代は君主として、

「平和主義者で、彼ほど君主にふさわしい人間はいない」

 と、国際社会からも一目置かれていた。

 だが、一部ではアクアフリーズ王国が秘密主義を貫いていることを看過していたこともあって、国王の評判に疑問を呈している人もいた。世間一般の意見に背いてまで自分の意見を貫くだけの勇気もなく、その人の一存で過ぎてしまったが、アクアフリーズ国でクーデターが起こったのは、そんな先代への不満が息子のチャールズの代になって噴出したと言えなくもなかった。

 もちろん、息子のチャールズはそんなことを知る由もない。知っている人はごくわずかで、その中にシュルツがいるのは言わずと知れたことだった。

 チャールズは国王としては、まだまだ先代の域に達するまでには行っていなかった。ただシュルツが見る限り、先代ほどではないまでも、その片鱗を垣間見ることはできていたようだ。

――遅かれ早かれ、チャールズ国王も先代のような現実主義者の君主として、君臨することになるだろう――

 と考えていた。

 シュルツは現実主義的なところがないわけではなかったが、

――俺は、現実主義者にだけはなりたくない――

 と考えていた。

 それは先代を見ていて感じたことで、

――現実主義者である以上、その国家がそれ以降の発展はありえない――

 と考えたからだ。

 個人としての発展はあるかも知れないが、個人よりも巨大なものにはその影響力はなく、影響力があると過信してしまうと、今度はその思いが国を滅ぼしてしまうと考えたからだった。

 この思いを最初に感じたのは、まだチャールズが子供の頃のことだった。

 ちょうど先代の脂がのりきった時期であり、国としての発展が一番望まれる時で、対外的にも大々的に出ていこうということで、閣議でも決まっていたのだが、実際にふたを開けてみると、対外的な成果はそれほどでもなかった。

 逆に認めてもらうために出資した額が大きかっただけに、国としては全体的に見て損をしたことになった。国民にはそのことは知らされておらず、情報統制が敷かれていたこともあって、誰も疑問に思う人はいなかった。

 政府では粛清のウワサが水面下であり、政府高官は恐れおののいていた時期でもあったことで、国家分裂の危機でもあった。そんな状態でも国家の体制が保たれたのは、先代の虚空が国民に浸透していたからだったというのは、皮肉なことであろうか。

 政府高官が恐れおののいている時期に、国民の間では国王の人気が定着していた。中には疑心暗鬼になって自殺を企てた高官もいて、国の政治は一時期荒廃に喫していた。

 その状態を救ったのは、シュルツだった。

 彼は国王に自分の意見を具申し、政府の情勢を説いて見せた。もちろん、粛清されるのは覚悟のうえで、一世一代の覚悟だったに違いない。

 その意図をくみ取った国王は、それからシュルツを自分の相談役に据えて、政治の第一線から遠のいた。

 表向きは国王の裁可だったが、実際には実権を掌握していたのは、シュルツだったのだ。

 彼は、執政だったと言ってもいい。国王がいなければ、彼が確実に国家元首でもあった。だが、国家元首は別にいた。シュルツは国王を覗けば、国のナンバーツーに収まっていたのだ。

 シュルツはそれでいいと思っていた。自分は表舞台に出るわけではなく、影の部分すべてを取り仕切る元締めが一番自分に似合っていると思っていた。国王が君臨する国では、その地位が一番動きやすい。なぜなら下手に国家元首になってしまうと、国民と国王の間に挟まれて、結局は自分の意見が通らない存在になる。

 会社や学校でも実権を握っているのは、ナンバーツーだったりするではないか。ナンバーツーが一番の実権を握っている国というのは、意外と発展するものである。ただ、その先に権力争いが待っていることもあるが、発展という意味ではナンバーツーの存在が不可欠で、そのことをシュルツはよく分かっていたのだ。

 その後、予想通りというか、まさか先代の時には何も起こらなかったのに、チャールズが国王になった途端、クーデターが明るみに出てしまうというのは、皮肉なことだった。シュルツとしても後手に回ったことは否めなく、

――もう少し早く情報を得ていれば――

 という後悔の念がないわけでもなかった。

 クーデター対策は取っていた。しかし、それも情報があって、十分な時間を掛けることで未然に防ぐことができるものだった。実際にクーデターの予兆を感じたのは、クーデターが起こる寸前であり、何とか亡命に成功するだけの時間しかなかったのが現実だった。

「シュルツ、私はこれでよかったのか?」

 チャールズが、亡命後、ジョイコット国でやっと落ち着きを取り戻した時に、ボソッと呟いた。

「ええ、これしかありません。暴動が大きくなると、犠牲が出るのは国民ですからね」

 と、あくまでも国民が主であることを説くシュルツに、

「そうか。私はお飾りのようなものだったんだな」

 とまたしてもため息交じりに呟くと、

「そんなことはありません。国王として立派に君臨されていましたよ」

 とシュルツはいった。

 その言葉にもカチンときたチャールズだったが、

「国民なんか、もうどうでもいい」

 と、今度は投げやりになった。

 今までのシュルツなら、

「そんなことをおっしゃらないでください。国王は国王らしく、毅然とした態度を取ってください」

 とでもいうのだろうが、もうすでに国王ではない自分に対してシュルツがどんなことを言うか、チャールズは興味があった。

 聞き耳を立てていたが、すぐには答えられないシュルツに、

―ーそれはそうだろう。そう簡単に答えられたんじゃあ、私の立場なんてあったもんじゃない――

 とチャールズは考えた。

 結局、その時、シュルツから回答は返ってこなかったが、チャールズは複雑な気持ちになった。

――簡単に返事が返ってこなかったのはよかったが、何も意見が聞けなかったのは、私にとっては不完全燃焼したような気分だ――

 とチャールズは感じた。

 シュルツはチャールズを国王としてふさわしい人物だと思っていた。これは表向きだけではなく、自分の本音としてもそう思っていた。そういう意味では、先代よりも相手にしにくい相手であることは否めなく、

――どこか一線を画さなければいけない――

 とも考えていた。

 クーデターが起こって二人揃ってジョイコット国に亡命した。それまでの二人のプライドは完全にズタズタにされてしまった。特に国王として君臨していたチャールズのプライドは、取り戻すにはできてしまったトラウマをぶち破らなければいけない状態になっていた。

 ジョイコット国は二人を快く受け入れてくれた。

 しかし、それはかつての属国としての気持ちからではない。もし属国としての気持ちがあるならば、二人を受け入れたかどうか、疑問である。

 当然新生アクアフリーズ国には新しい国家元首がいて、表向きにはその国家元首との対話になるだろう。

 当然、今後もアクアフリーズ国と平和的な関係を続けていくには、亡命者を受け入れるなどということは許されない。そんな暴挙を犯してまで受け入れたということは、それだけ新生アクアフリーズ国に見切りをつけたということなのか、それともシュルツという男をそこまで買っているということなのかのどちらかであろう。

 そのどちらも言えることではあるが、その関係は同等ではない。どちらか強い方が存在することで、力の均衡が保たれるという矛盾のような関係がそこにはあった。

 ジョイコット国にも、その時、二大勢力が存在していた。

 二大政党がしのぎを削るという民主国家だったのだが、アクアフリーズ国にクーデターが起こる寸前に、一党独裁の風が急に吹いていたのだ。

「いよいよジョイコット国を我々の政党が、一党独裁を敷けるだけの力を掴むことができた」

 と言って、党総裁が党幹部を集めて会議の席で宣言していた。

 実際に、情勢はそのように傾いていた。

「あと一歩で一党独裁という夢を掴むことができるところまでやってきてから、さらにそれから幾数年。短いようで長かった。それだけあと一歩からが本当に遠かったということだろう。『百里の道を行くのに、九十九里を行って半ばとす』という言葉があるが、まさにその通りではないか。ただ、その期間を苦しみと考えるか、発展のためにためてきた力を温存する時期だったと見るかによって変わってくる。私は今がその時だと思っているがみんなはどうだ?」

 という言葉に、党員全会一致で賛成というのを匂わせる、

「おおー」

 という男の低いだみ声が響いていたが、密閉された会議室だけしか響いておらず、誰も知らないことだった。

 ジョイコット国の一党独裁の夢は、その時だけで本当に夢に終わってしまった。隣国のアクアフリーズ国にクーデターが起こったことで、政府は自国への警戒態勢を強めたのだった。

 そのため、迂闊に動くことができなくなってしまい、結局そのまま政府は総辞職、国民に真意を問うことになった。

 そうなってしまっては、一党独裁をこの機に行うことは絶望だった。最初から綿密に組まれた計画は、初手から狂ってしまっては、うまく行くはずもない。もし成功したとしても、クーデター扱いをされ、せっかく掌握した政権も、白い目で見られてしまうに違いない。

 その目を逸らすためには、国民に対しての絶対的な権力を持つ必要がある。かつての世界大戦の教訓から、一人に権力の集中が一番の悪だとして、

「独裁政権は長続きしない」

 というレッテルが国際社会の間で貼られていて、そんな状況が起ころうものなら、せっかく成立した政権は、世界で孤立してしまい、国家の存続にかかわる重大なことになるのは必至だった。

 チャーリア国建国から三年が経ったある日、ちょっとした事件があった。その頃には建国後の混乱は収まっていて、アレキサンダー国やアクアフリーズ国からの干渉もひと段落していた。

 茶^リア国の憲法もある程度整備されてきて、建国が最優先であったために遅れていた法整備も整ったことで、チャーリア国という国のメンツも、国際社会で認められようとしていた。

 WPCが渋っていた常任理事国入りも審議され始めていた。WPCが渋っていた理由は、元々の母国であるアクアフリーズ国に対しての配慮があったかあで、アクアフリーズ国が何も言わなくなれば反対する意見もなくなり、チャーリア国への門戸も開かれてくるのだった。

 だからと言ってチャーリア国には、解決しなければいけない問題は山積していた。もっともこの問題はチャーリア国に限ったことではなく、どこの国も抱えていることで、まだ建国間近な国だけに注目を浴びているのだった。

 チャーリア国は、アクアフリーズ国の亡命国家とはいえ、元々のアクアフリーズ国の法律を継承しているわけではない。アクアフリーズ国は、あくまでも専制君主の王国だったからだ。

 チャーリア国は民主制の国であり、大統領制を敷いている。国家主席がそのまま大統領というわけで、首相であるシュルツも大統領であるチャールズほどの権力を持っていなかった。

 だが、実質的な権力はシュルツが確保している。建前上の国家元首であるチャールズは本当は面白くないだろうと思われていたが、そんなことはなかった。

「シュルツ首相がいてくれるから、私が大統領でいられるんだ。しかも、実務の責任者はシュルツ首相であり、私の分まで働いてくれている。本当の実力者は、彼のような人のことをいうんだろうね」

 とチャールズは、自分の立場をわきまえていて、不満らしいことは一切ないと言った様子だった。

 遅ればせながらやっと憲法が正式に公布されることになり、民主制ではあるが、まだ立憲君主の形を残したままであるチャーリア国だったが、大統領の権利が確立されたことで、国民も安心できるだろうと思っていた。

 ただ、今のチャーリア国での一番の問題は、

「貧富の差が激しいこと」

 であった。

 それに付随して、差別も公然と行われているのが現状だが、差別に関しては憲法で禁止が明記され、幾分か変わっていくであろうことは容易に想像がついた。

 貧富の差の激しさは、土地の位置において、ある程度確立されているようだ。山沿いの場所は、比較的裕福な家庭の住居が立ち並び、海に近いところは、昔からの漁村の雰囲気が、まだ色濃く残っていた。

 貧富の差に比例して、人民の感情や意識も開きがあるようだ。その証拠に差別が公然と行われていて、その意識は差別する側に大きく表に出ていた。

 差別されている方は、半ば諦めているのか、言われるがままに差別を受けている。反発する意識すら、希薄になっているほど、公然とした差別なのだろう。

「これが我が国の現状です」

 シュルツは、そのことを分かっていながらどうすることもできない自分に腹立たしさを感じていた。

 最初は自分だけの胸に収めていくつもりでいたが、どうしても我慢できなくなり、チャールズに話してしまうこともあった。

「憂慮に堪えない状況だね。でも、それをシュルツ首相が責任として感じる必要はサラサラないんじゃないか?」

 と。チャールズにはシュルツが感じている重さを分かっているようだった。

 そういう不満やストレスは、普段なら決してシュルツは口にすることはなかった。しかも相手がチャールズであればなおさらのこと、口が裂けても言える相手ではないと思っていたに違いない。

 それなのに、思わずとはいえ口にしてしまったということは、それだけ憂慮が自分の中で整理できないほど大きくなってしまったのか、シュルツ自身が今までのような彼ではなく、衰えが見えてきた証拠なのか、ずっと一緒にいるチャールズにもそこまでは分かりかねていた。

 シュルツ本人は、これを自分の中の衰えだと思っている。

「私も、老いてきたんだよね」

 と、たまにチャールズに愚痴をこぼすようになったが、昨年くらいまでは、そんなことを口にするなど考えられないほどにエネルギッシュな性格だった。

 シュルツが懸念しているのは、差別もそうだが、貧富の差をどうにかしないと、根本的な解決にはならないと思っていた。それは正解であり、差別が貧富の差から生まれるというのが表向きで一番の理由になっているだけに、まずは貧富の差を解決することが必須だった。

 貧富の差を解決さえしてしまうと、それまで見えていたいくつかの問題も一気に解決されることだろう。つまりは貧富の差という事象は、避けて通ることのできないものだということである。

 だが、この貧富の差だけは、なかなか一筋縄ではいかない。明らかに原因として金銭という媒体が存在するからだ。

 貧富の格差をなくすということは、経済政策に似ているところがある。

 一つのことだけに目が向いてしまい、目に見えている上っ面の部分だけしか見ずに解決策を実行しようとすると、今度はそれが行き過ぎてしまって、歯止めが利かなくなってしまうこともある。

 たとえば、インフレを解決しようと物価を操作すれば、行き過ぎて不況に陥ったりしてしまう。ちょうどいいところで止めようと無理をすると、今度は不況とインフレの複合が発生し、抜けられなくなってしまうかも知れない。

 手探り状態で結果を模索していると、無理が必ず生じてきて、落としどころを見失ってしまう。落としどころが完璧でないと、この問題は解決しない。対策を取れば取るほど泥沼に放ってしまう可能性があるのが、経済問題なのだ。

 この場合の貧富の差も同じことが言えるのかも知れない。要するに、両極端のどちらもを凌駕できるような対策など、そもそも存在しているのかすら見えてこない。そんな状態で果たして手を付けることができるかどうか、難しい問題だ。

 だから、かつての歴史上の政治家たちが挑もうとして失脚してしまったという例を、いくつも見てきているシュルツには、迂闊に取り掛かることのできない問題だという意識は重々持っていた。

 財務大臣を誰にするかが建国当時大きな問題であった。

 アクアフリーズ国からの亡命政治家を登用するのも考えたが、それではこの国の現状を知らない人に任せることになる。それも難しく、かといってジョイコット国から連れてきた、元々貧富格差問題を研究していた人を大臣に据えるかということも考えたが、彼は政治家と言っても議員ではない。大臣にするのは無理があった。

「では、元々アクアフリーズ国から連れてきた人を大臣にして、副大臣をジョイコット国での研究者にするというのはどうかな?」

 という意見をチャールズは持っていて、シュルツはその意見に従うことにした。

 今までシュルツはいくつかチャールズの意見を取り込んだことがあった。だがそれは一部のことで、実際にチャールズが口にした意見のほとんどは握り潰されていた。

 だが、今回は素直にチャールズの意見を受け入れたのは、ひょっとして自分の意識の衰えを感じていたからなのかも知れない。

 チャールズとしても、こうも簡単にこんなに難しい問題を、シュルツが自分の意見を受け入れてくれたのか疑問だった。

――まさか、そんなことがあるなんて――

 とチャールズは考えたが、答えは見つからなかった。

「年を縮めることはできないからね」

 と、以前にシュルツが言っていた言葉だったが、その言葉を口にした前後から、シュルツは自分の考えに不安を覚えるようになった。

 それが、同じ距離で見ているチャールズが、近くなったり遠くなったりと一定していないことに気付いたからだ。

――私の方が、きっと揺れ動いているからなんだろうな――

 とシュルツは考えた。

 しかし、チャールズの方も、いきなり国家元首にさせられて、国王としての教育しか受けてこなかったこともあって、最初からチャールズが大統領という地位を確保できるかどうか疑問だった。

 シュルツはチャールズとの距離が一定していないことに気付き始めると、これまでの自分の決定権をゆっくりとチャールズに移行していった。

 ゆっくりと静かに行ったのは、その行為が誰にも知られてはいけなかったからだ。チャールズはもちろんのこと、他の人に知られてしまうと、自分の権力の限界を見透かされたようで、今はまだ絶対的な国の実権者としての地位を脅かされるのは、よろしくないことだった。

 それでもチャールズに権力が集中するのも問題があった。シュルツが次第に老いてくる状態で、歯止めを聞かせる人もおらず、下手をするとシュルツは自分の保身に走るかも知れないと自分で感じている時点で、精神的な怪しさを醸し出していた。

 シュルツは自分の権力を限定的にしようと思っていた。全体的にまんべんなく影響力を保ってきたシュルツだったが、今のような状態で、あらゆる事態に権力を持ち続けることができるほど、自分に自信が持てないでいた。

 シュルツは気付いていなかったが、この自信が持てない、不安が募っているという状態はまわりに対して緊張感を与えているようだった。

 この緊張感は、実は悪いものではなかった。緊張感を持つことで、まわりにピリッとした空気を植え付けて、緊迫した空気を張りつめらせることができる。

 必要以上な緊迫は問題外であるが、適度な緊迫は問題ない。むしろ緊迫することでお互いを鏡にして自分を見つめなおすことができるからだった。

 一部の政治家の意識をいくら集中させても、民衆の一人一人の意識が変わらなければ、決していい方向には好転しないだろう。シュルツは緊迫感をまわりに与えることで、潜在している力を一人ずつ表に出させようとしていた。

「一人では何もできないけど、十人、百人と集まれば、容易に問題を解決することができる」

 と、以前誰かが言った言葉を思い出していた。

 この言葉は、誰かが言ったわけではなく、シュルツ本人が言った言葉だった。バリバリの頃のシュルツはいちいち格言を思い出すことはなかったが、最近は思い出すようになった。

 それも、まさかその言葉の出所が自分であるということに気付いていないという一種滑稽な状態だったのだ。

「年というのは取れば取るほど、年に対して意識したくないという思いが強くなるけど、そのくせ、先が見えていることで、諦めの感情が背中合わせになってあるということを忘れてはいけないんだ」

 と、最近になって、シュルツは感じるようになった。

「私がこんなことを考えるようになったなんて」

 と感じていた。

 その理由は、最近まで自分が二十歳代だという意識を持っていたからだ。今でもその意識が残っていて、そのくせ年相応の自分を想像している。両者が結びつくことはないだろうが、それだけに意識が希薄になっていく。

「物忘れが最近すごくて」

 と年を取ると忘れっぽくなると思っていたが、実際には自分への思いが希薄になり、他人事のように感じるようになったからではないだろうか。

 チャールズとシュルツの年齢差は、親子ほどである。何しろシュルツの娘が側室だったくらいだからだ。

 シュルツは、この年になって、娘のマーガレットを気の毒に感じるようになっていた。

「本当なら普通に恋愛をして幸せな結婚ができたかも知れないのに」

 という後悔の念があった。

 クーデターが起こってから、何とかマリアと一緒にジョイコット国へ亡命させることに成功したが、その後のことはなかなか掌握できていなかった。まず最優先で守らなければいけないのは、亡命国王であるチャールズだった。

 相手が国王だからという理由だけではなく、自分にとって盟友だと思っているチャールズは必ず自分が守るという思いがあったからだ。

 実際にチャーリア国建国から、アレキサンダー国やアクアフリーズ国の内政干渉から、余計な時間を使わされてしまったという意識が強かった。

――この間に、本当なら国内を纏める時期だったにもかかわらず、他国からの侵略に緊張状態を保っていなければいけないというのは、本当にストレスだったんだ――

 と、今の自分の衰えの遠因に、侵略を恐れるストレスが関係していたことに気付いたのは、かなり後になってのことだった。

 シュルツが頭を悩ませている貧富の差と差別問題、チャールズがどれほど意識しているのかというと、シュルツほどではないが、意識から離れることはなかった。

 ただ、シュルツほど意識を深入りすることのない状況に、

――チャールズ様は、本当に国家元首としての誉れを持たれた方なんだろうな――

 と、シュルツは感じ、自分がこの人のために、人生のほとんどを捧げたという事実に誇りを感じてもいいと思っていた。

 国家元首というのがどんなものなのか、シュルツは先代を見ていて分かった。先代は決して人として褒められる人間ではなかったが、シュルツの目には、

――この人こそ、国家元首にふさわしい――

 と写った。

 贔屓もにも意識があったに違いないが、シュルツには、自分の意識がそれ以上でもそれ以下でもないと感じていることを理解していた。

 それから少しして、ジョイコット国に漂流するボロ船が見つかった。領海としてはジョイコット国とアクアフリーズ国の国境とも言える海域近くで、ジョイコット国は秘密裏に彼らを保護し、外務省に引き渡された。

「君たちはどこから来たんだい?」

 と外務省の職員に聞かれても、少しの間、何も答えなかった。どうやら怖がっているようである。

 見つかった人は家族のようで、お母さんと思しき人と、まだ未成年の子供が三人、そして父親はいなかった。

「君たちはずっと四人だったのかい?」

 という質問に、母親は黙って頷いた。

 彼らは一人一人別々の部屋での尋問を受けた。示し合わせができないようにである。

 漂流民の話は即座にジャクソンに伝えられた。ジャクソンは外務省に雇われていて、通訳のような仕事をしていた。密告者などへの尋問も任されることが多く、尋問の機会を重ねるうちに、外務省の役職に就いていた。

 尋問の指揮を執っている人にジャクソンはいろいろと聞いてみた。

「彼らはどこから来たのか、言わないのかい?」

「ええ、ハッキリとは言いませんが、あの船の装備では、遠くから漂流したとは思えません。アクアフリーズ国からの難民の可能性もあります」

 当時ジョイコット国は、アクアフリーズ国とは絶縁関係にあった。政治体制の違いから、WPCの会議で意見が真っ二つに割れ、お互いに意地を張りあって、距離を詰めようとはしない。国交の断絶までは行っていないが、いつ国交断絶しても仕方のない状態だった。

「まさか戦争になったりはしないよな」

 という世間の不安もあったが、今のところ戦争をしても、どちらの国に得になるということもなく、こう着状態は緊張状態となって、国際社会では、近郊の海の名前から、

「カルザス海峡危機」

 と呼ばれていた。

 軍事クーデターを起こしてからのアクアフリーズ国は、急進的な改革を推し進め、時には敵対国との戦争も辞さない構えを国際社会に見せ、

「カルザス海峡のバスーカ」

 と呼ばれていた。

 だが、危機と呼ばれることはあっても、そこから戦争に突入することはなかった。彼らには戦争をする意思はないのだ。だが、危機に陥るたびに国家は、

「非常事態宣言」

 を宣告し、国民総動員で危機に立ち向かうという姿勢を国民に見せていた。

 国民は、軍事政権を表向きは支持していた。支持しなければ、秘密警察による拷問が待っていたり、権力を少しでも持っている人間であれば、

「反乱分子」

 というレッテルを貼られ、粛清される運命にあった。

 ただ、自分たちに従う連中を厚くもてなす国民性で、味方も多かった。それだけに軍事政権の地盤は次第に盤石になっていて、最初の頃にはいくつかあった軍事政権に対しての人民解放運動だったが、

「今はまだその時期ではない。我々はもっと力をつけなければ」

 と言って、時期尚早と考えていたが、実際にはその逆だった。

 彼らは、軍事政権の強引なやり方に、

「そのうちに息切れするさ。その時に一致団結して軍事政権を倒すんだ」

 と思っていたが、軍事政権のやることなすことは成功していった。

 確かに彼らは急進的な改革を推し進めていたが、決して無理をしていたわけではない。敵も多く作ってはいたが、それ以上に足元を盤石にすることに徹していたのだった。

 そのせいもあってか、反乱分子と軍事政権の力の差は広がるばかりだ。時期尚早などというのは考えが甘かった。やるなら最初だったのだ。

 盤石な体制を整えた軍事政権は国内では独裁政権を敷いていた。

 しかし、対外的にはそうもいかない。新生アクアフリーズ国を承認しない国もかなりあり、それまで国交があった国が大使館を引き上げて、国交断絶したという例も少なくはなかった。

 次第にアクアフリーズ国の情報は入ってこなくなってきた。国交を継続している国にも、アクアフリーズ国での活動には制限が設けられ、情報は限られたものしか国外に流出しなかったのだ。

 それでもアクアフリーズ国と貿易を続けることで利益を得られる国も少なくないので、国交は結ばれていた。

 そんな時、アクアフリーズ国と一番親交のあるアレキサンダー国の誘いもあって、チャーリア国に先制攻撃を掛けた戦争を経験したが、元々アクアフリーズ国は乗り気ではなかった。

 一度先制攻撃を加え、すぐに引き上げる。その間にアレキサンダー軍が進駐して、チャーリア国を蹂躙してくれるだろうと思っていた。

 もし、失敗してもすぐに撤退したことで、さほどの国際社会からの非難は受けないだろう。いざとなれば、アレキサンダー国を悪者にすればいいというくらいにまで考えていたのだ。

 新生アクアフリーズ国が対外戦争を行ったのは、後にも先にもこの時だけだった。その後再度アレキサンダー国から、

「もう一度攻撃を」

 と言われたが、その時には丁重にお断りしていた。

 アレキサンダー国としても、これ以上アクアフリーズ国を刺激したくはなかった。内情が分からないだけに、彼らを刺激してしまって、自分たちの計画を根本から覆されても困るという考えがあったのだ。

 アクアフリーズ国はそれ以来、国内情勢を固めることに力を注いだ。

 独裁国家としての体裁を整えることで、国が国民生活を監視するという政治体制である。ほとんどの企業は国営化され、経済界は国家によって牛耳られることになる。

 国民も国家の監視体制の中にあり、権利という言葉は存在はしているが、あくまでも義務を行ったうえで行使できる権利という建前だった。

「実際に権利なんて、言葉だけのもので、行使できる人は特権階級のごく限られた連中だけだ」

 というのが、国民の思いだった。

 封建的な考えもこの体制にはあった。

 名目上は、

「すべての国民は平等で、経済において競争などありえない。自由に経済を運営できる国と違って、貧富の差はほとんどなく、国家によって守られる世界の構築が、我が国の国家理念なんだ」

 という謳い文句だった。

 だが、実際には国家の中で身分制度的なものが存在し、差別は公然と行われていた。政府の力が絶対だと言っておきながら、差別で生じた問題は、すべて国家には関係のないこととして処理される。

 警察機関も二つ存在した。

 一つは他の世界のような治安維持を目的にした警察で、法律によって公平に裁かれるものである。

 そしてもう一つは、国民を監視する警察だ。もっというと、これは警察を監視する警察だとも言える。こちらは完全に非公開になっていて、秘密組織であった。他国に侵入することもあったが、彼らはそんなスパイ行動がバレてしまった時、死を覚悟することをいとわない人種であった。

 アクアフリーズ国は独裁国家であるが、かつての独裁国家とまったく違った体制だった。

 彼らには、他国を侵略する意図はない。あくまでも自国内だけでの体制である。もし、他国が干渉してくることになれば、WPCに、

「内政干渉だ」

 と言って提訴することもいとわない。

 実際にかつて一度内政に干渉してきた国を提訴したことがあったが、WPCの裁断としては、

「内政干渉であることを認める」

 という結論が出てしまったため、迂闊にアクアフリーズ国への干渉が事実上無理になってしまったのだ。

 彼らに他国を侵略する意図がないことが一番の理由だろう。WPCという組織はあくまでも国家間の紛争や危機を解決するために、そして加盟国の利益を守るために組織されたものである。

「我々は内政に力を入れている」

 と言われれば、アクアフリーズ国の国家としての存在意義を脅かすようなことは、WPCにはできないのだ。

 アクアフリーズ国の内政は、ほとんど完了していた。漂流民が見つかったのは、そんな頃だったのだ。

「彼らがアクアフリーズ国からの漂流であることは間違いないと思うのだが、ここまで口を閉ざすということは、それだけ今まで迫害を受けてきた証拠だということでしょうね」

 と外務員がジャクソンに話した。

「我々の想像を超えたところで、彼らの存在意義があったのかも知れないな。もしそうであれば、もう少し彼らの存在を他国に知られないようにしないといけない。彼らを外務省から出すんじゃないぞ」

 と言われて、

「分かりました」

 と言って、二人は漂流民の様子を伺っていた。

 すると、二週間ほどした頃からであろうか。母親が少しずつ自分たちのことを話し始めた。

「私たちは、アクアフリーズ国の漁村に住んでいました。ある日いきなりの台風が襲って、村が崩壊の危機に直面したんです。村民は皆漁船に乗って非難しました。私たちも非難したんですが、結局漂流民となってしまい、今に至っています」

「あなた方の村にはどれほどの人間が住んでいたんですか?」

「百人ほどではないでしょうか? 隣の村にも同じくらいの人がいたと思います。同じように漂流していると思います」

「台風ともなると、もっと広い範囲ではないんですか?」

「いいえ、我が国の台風は、局地的な被害が多いのが特徴なんです。中心部の被害は甚大ですが、それも半径十キロほどの被害ですね」

 この証言を気象学者に問い合わせると、

「彼らの言うことは本当です。アクアフリーズ国の地形は独特で、台風が発生してから発達するのは中心部に偏ってしまう。だから発達はしても、大きくはならないんです」

 と言われた。

「私たちの住んでいた村の二つ隣には村はなく、そこには大きな施設がありました。そこには誰も出入り禁止になっていて、異常な数の警備員が施設の周りに配置されていました」

 母親の情報に、ジャクソンは心当たりがあった。

「アクアフリーズ国には秘密工場の施設がたくさんあるんです。何を研究しているのか分からないが、一説には核兵器ではないかと……」

「核兵器? あの国は侵略をしないのでは?」

「いや、彼らが目指すのは、専守防衛の国なんだよ」

「ということは、チャーリア国と同じイメージなんですか?」

「そうだよ」

「なるほど、だから侵略をしないと言われたアクアフリーズ国が唯一、チャーリア国に先制攻撃を加えたんですか?」

「そういうことになる。彼らにとって攻撃を加えて相手にダメージを与えることは二の次だったんだ。きっと何かのメッセージだったんじゃないかな?」

「そういうことなら分かります」

 ジャクソンにも、何となくだが、アクアフリーズ国の輪郭が見えてきたような気がしてきた。

 母親の顔色は次第によくなってきた。

 最初は血色も悪く、どうしていいのか分からない状況からも、今にも倒れそうだったが、今では笑顔も出てくるほどになっていた。

 その頃には子供たちも落ち着いてきていて、一日に限られた時間だけではなるが、家族が一緒に過ごせるようにもなっていた。

 それから少ししてのことだった。

「ジャクソン部長大変です」

 と、外務員がジャクソンのところに飛んできた。

「これを見てください」

 と、そこにあるのはジョイコット国の新聞だった。

 いくつかある新聞社の中で、スクープに掛けてはずば抜けていて、漂流民の問題も、ここだけにはひた隠しにしてきたつもりだったのだが、一面を見ると、

「衝撃! 国家を揺るがす秘密を暴露」

 と書かれて、少し小さな文字で、

「漂流民漂着発覚。国家ぐるみで隠ぺい工作か?」

 と続いている。

「どういうことなんだ?」

 ジャクソンはまだ状況を把握し切れていない。

 最初に感じたのは、

――国民が我々に重大な不信感を抱かせるようなことになってしまった――

 ということだった。

 だが、実際の問題はそれだけではない。頭の整理がつかないというのも、当然のことであろう。

 恋コット国で漂流民を隠ぺいしているというウワサは、国際社会に広まってしまった。さっそくwpcが調査に来たが、ジョイコット国はあっさりと漂流家族をWPCに引き渡した。

 WPCでも漂流民に対していろいろ言尋問が行われたようだが、目新しい情報は何もなかった。

 ジョイコット国の漂流民事件に関しては、最初に炎上したほど、その後は何もなかった。ろうそくが消えゆくように、最後には白い線が立ち上ったくらいで、そのことを意識する人も記憶する人もいないと思われた。

 ジョイコット国では、スパイ活動が行われていたが、これは国外に向けての活動ではなく、自国民に対しての活動である。つまりは、他の国とは一線を画していくのがジョイコット国の考えで、その根底には、

「我が国は、どの国の体制にも属さない」

 という考えがあった。

 同盟は結んでいても、決して国家体制が同じ国は存在しない。ジョイコット国ほど独創的な国はなく、実はそのことに最初に気付いていたのは、シュルツ長官だった。

 シュルツは、まだアクアフリーズ王国が存在していた頃から、ジョイコット国に注目していた。

 まだその頃は発展途上国というのもおこがましいくらいの未開の国だった。国家が成長しない理由には、政府が一党独裁を敷いていて、他の国の影響を受けないようにしていたからだった。

 実際に発展しなかった理由は、自分たちの国が中途半端に成長すれば、植民地として蹂躙されると思ったからだ。まったくの未開地であれば、植民地にしたとしても、最初から開発しなければいけないことが多く、その費用も人員も莫大に必要になるからだった。

 そんなことをしてまで植民地として支配するにふさわしい国でなければ、侵略の意図はないだろう。幸いにその頃はまだ、ジョイコット国の地下資源に何があるのか分からなかったこともあって、どの国も植民地として注目していなかった。

 逆に非武装地帯を作ることで、国際的に承認されたことは、ジョイコット国としても想像していなかっただけにありがたかった。

 そんなジョイコット国は、密かにそしてしたたかに生き抜いてきた。世界大戦の時代にも、侵略されないようにひっそりと生き抜いてきた。

 どこかの国がジョイコット国に侵攻しようものなら、

「非武装地帯に侵攻は許されない」

 として、別の国が侵攻国に宣戦布告して、助けてくれようとする。

 何とか世界大戦を乗り切ることができると、世界全体が疲弊した中、いよいよジョイコット国が進化を見せ始める。

 物資の乏しい国に対して、安価で物資を提供し、その国からありがたがれることで、国際社会に対しての入り口をたやすいものにできるという作戦を取った。

 その作戦が功を奏して、ジョイコット国はそれまで他の国が経験したこともないほどの発展を遂げることができた。

 それでもまだまだ大国には追いつけるはずもない。

 世界大戦の時代もジョイコット国と秘密裏に関係を保っていたのがシュルツだった。

 シュルツは、影でジョイコット国の非常勤顧問のような状態だった。アクアフリーズ国にクーデターが起こって、国外退去を余儀なくされたシュルツを迎え入れたのも、当然のことである。

 しかし、考えてみれば、シュルツほどの人間が、クーデターに気付かなかったというのは解せない気もする。そのことを一番疑問に感じていたのは、ジャクソンだった。

「シュルツ長官ほどのお人が、どうしてクーデターに気付かなかったんですか?」

 と、ジャクソンはシュルツに直接聞いてみた。

「どうしてなんだろうね? クーデターというのは、奇襲だから成功するんだよ。成功しなければクーデターとは言わないからね」

 とシュルツは答えた。

「どういう意味ですか?」

 シュルツの言葉には、必ず意味があると思っているジャクソンは、その言葉から何かを探ろうとした。

「言葉通りさ」

 と言葉少なく、そしてそれがすべてであるかのようにシュルツは答えた。

 シュルツのその言葉は真実であり、ウソはない。もちろんジャクソンにも分かっている。額面通りに受け止めれば、

「クーデターが起こることは分かっていたさ」

 としか聞こえない。

 とすれば、起こることは分かっていても、それを防ぐことはできなかった。したがって、起こると分かっていて、最小限の被害に食い止めるにはどうすればいいかということを考えただけに過ぎないと言っているかのようである。

 ジャクソンは考えたが、考えれば考えるほど、堂々巡りを繰り返してしまう。それは、自分が窮地に陥った時に考えることとよく似ている。シュルツは絶えず自分の中で、ギリギリの選択を迫られる地位にいるということを思い知らされた。

――俺にはそんな状況、耐えることなんかできないだろうな――

 と、改めて、シュルツの偉大さに気付かされた。

 特にシュルツほどの人物は、世界情勢にしても、国内のことにしても、誰よりも分かっていて、予見もできる立場にいる。だから、彼以上に状況を好転させることのできる人はいない。そう思うと、それだけでプレッシャーというものだ。

――上にいけばいくほどプレシャーが強いことは分かっていたが、さらに孤独さも伴って、誰に相談することもできなくなるんだ――

 と、いまさら当たり前のことに気付かされた。

 上にいけばいくほど、自分よりも上はいない。アドバイスしてくれる人もいないというわけだ。一番上ともなれば誰もいないのは当たり前のことで、それを自覚するということは、孤独との戦いを意味している。その立場にならなければ、きっとその孤独の意味を理解することはできないのだろう。

 シュルツは、自分の孤独を分かってくれる人はいないと思っていたが、ここにn唯一分かる人がいるということを、ずっと知らないでいた。

 ジャクソンは、ジョイコット国が国際批判を受けてしまったことをまるで自分のせいのように抱え込んでしまって、落ち込んでいた。表舞台に出る人物ではないだけに彼の苦悩を知る人はいなかったが、彼の落ち込みはそのまま国家の落ち込みに変わって行った。

 それまで順風満帆に見えたジョイコット国だったが、今回の事件で国際社会から批判されたのは仕方のないことだった。だが、その言い訳のための記者会見を開くことはなかった。ジョイコット国を批判していた連中も、記者会見がないことから、急に攻撃が冷めてしまった。

「人のウワサも七十五日というが、今回のジョイコット国への批判は、思ったよりも短い期間で過ぎてしまうようだ」

 とWPCでも、安堵の気持ちだった。

 WPCは表立って、ジョイコット国を処罰するつもりはない。

「彼らには警告だけでいいだろう」

 というのが、大方の意見だった。

 なぜなら、他の国としても、これくらいのことで処罰を受けるのであれば、自分たちの国も、もっと処断されるべきことが眠っていることを知っているからだ。下手に藪をつついてヘビを追い出す必要もない。余計な騒動はその場で抑えておくに限るとほとんどの国が考えていた。

 WPCと言っても、基本は個々の国家の集まりである、国家間の忖度や事情が、WPCの裁断に関わってくるということは、誰もが分かっていることだった。

 漂流民を匿ったことは別に問題ではなかったのだが、それを隠ぺいしようとした行動が批判の対象になった。

 では、隠ぺいしようとしたという事実がどこに存在しているのか、それがそもそもの問題であるはずなのに、いきなり情報が拡散してしまったことで、そもそもの問題から目が逸れてしまっていた。そのため、拡散した時のコメントの中にあった、

「ジョイコット国が漂流民を匿っていたことを隠ぺいしようとした」

 という表現が勝手に暴走したのだ。

 そういう意味では、ジョイコット国が弁明のための記者会見を開いていると、さらに誹謗中傷が拡散していたかも知れない。彼らが行ったように、何も語らずに引き籠ってしまったことで、騒ぎをやり過ごすというやり方が、功を奏したのだ。

 この作戦はジャクソンが裏で手をまわしたものだった。

 かつてのシュルツの苦悩を知った時、耐えることを覚えたジャクソンだったが、その感情が今、ジョイコット国を救うことになったのだ。

 やはりジャクソンにとって尊敬すべき相手はシュルツであり、シュルツのことを考えると、おのずと自分の進むべき道が見えてきたような気がしたジャクソンは、漂流民事件をきっかけに、

――ジョイコット国の運命を自分が握っているのかも知れない――

 と考えるようになった。

 ジャクソンは、しばらくジョイコット国を離れ、チャーリア国に滞在していた。その時には一緒にマーガレットを同行させたが、シュルツとマーガレットの親子対面が数年ぶりに実現したのだ。

「すっかり大人っぽくなったな」

 とシュルツがいうと、

「お父さんこそ、すごく立派になって、見違えたようだわ」

「そうかい? お父さんは変わっていないよ」

 というと、マーガレットは何も言わずに微笑んだ。

 その表情は、

――それ以上何も言わなくても、私には分かっている――

 ということを言っているのと同じことのように思えた。

「お前には苦労を掛けたな」

「大丈夫よ」

 シュルツが娘の誘拐事件を知っているかどうか知らないが、マーガレットの誘拐事件というのがメルシーによる狂言誘拐だった。

 何の意図があったのかマーガレットには分からなかったが、メルシーからは狂言誘拐の話を持ちかけられ、その話に乗った。

「大げさになる前に解決することになっているから」

 と言われて話に乗ったが、その影響は影を大きく動かしたのだが、表にはまったく出てきていない。大きな密約がそこにはあった。

 実はマーガレットのチャーリア国への「帰国」は、その一環でもあった。ジャクソンがこの誘拐計画に関わっていたわけではないが、マーガレットを帰国させるというメルシーの計画を、曲がりなりにも達成させたのだった。

 ジャクソンのような百戦錬磨の男性を、意識させないで誘導できるメルシーという女性は、どれほどの人間であるかということだが、それを実際に把握している人間は、この世には存在していない。

 唯一存在していたのはメルシーの父親だけだが、彼はクーデターの犠牲になってこの世を去っている。

 彼の死がどれほどの損失であったのかということを知る人はどこにもおらず、メルシーがスパイとしていかんなく実力を発揮できる理由を分かる人もいないということだった。

 マーガレットとシュルツが親子対面をすることで、ジョイコット国とチャーリア国との間に密約が結ばれることになる。

 内容を知っている人はごくわずかであり、ここに登場している人物の中で、当事者であるシュルツ以外は、誰もその内容を知ることはなかった。

 それぞれの国家での最高国家機密に属していて、それを知ろうとすることは、極刑にも値することでもあった。

 この密約は、チャールズもジョイコット国の大統領も知らない。シュルツ自身も、ジョイコット国の誰と結んだ密約なのか分からない。この密約は少し変わっているのだ。

 この密約は、一種の「遺言書」のようなものだった。

 どちらかの国が滅亡してしまった時、初めて効力を発揮するというもので、それだけはチャールズだけは知っていた。

「私は知らない方がいいということかい?」

 とチャールズはシュルツに訊ねた。

「ええ、知らないに越したことはありません。何しろこれは『遺言書』のようなものなんですからね」

 とシュルツが答えると、本当は知りたくて仕方のない気持ちを抑えるようにして、

「しょうがないな。シュルツ長官の言うとおりにしよう」

 と、チャールズは引き下がった。

 これまでシュルツの言い分を無視したことのないチャールズは、何が怖いと言って、シュルツの提言することに逆らうことであった。

「ありがとうございます。チャールズ様にそう言っていただけると、嬉しく思います」

 シュルツのおなじみの答えであるが、チャールズには決して皮肉には聞こえない。

――シュルツの苦悩している菅谷など見たこともないので、見たいとも思わない。もしそう思うことがあるとすれば、その時に私がシュルツを救ってあげられる時ではないだろうか?

 と感じていた。

 そしてそんな時が来ないことを一番祈っているのはチャールズ自身であった。

「国際社会にしても、自国の中での社会にしても、まるで我々の縮図を見ているような気がするよ」

 とチャールズがいうと、

「まさしくその通りですね」

 とシュルツが返した。

 密約は、シュルツの思いとともに、シェルターの奥深くの金庫の中に収められることになったのだ。

 この密約の存在をどうしてマスコミが知ってしまったのか分からなかったが、マスコミが報道した密約は、実はもう一つの方だった。実際には密約は二つ存在したのだ。

「木を隠すには森の中って言いますからね」

 と、実際に密約を交わしたシュルツとジョイコット国の密使は、お互いにほくそ笑んでいた。

「こっちの密約は、それぞれの国が攻撃された時、お互いに参戦するという、同盟を結ぶだけのものですからね。別に知られたからと言って困るものではない。逆に木を隠すための森だと考えれば、発覚させるためのものであって、囮と言ってもいい」

「まったくその通りです。でも、実際の密約の方も、そんなに重要ではないような気がするんですが、いかがなんでしょうか?」

 と、ジョイコット国の密使がそういうと、

「そうでもないですよ。私にとっては、重要に感じます。お互いにという意味では、少し立場の違う密約になっているかも知れませんね」

 密約が結ばれてからというもの、しばらくの間、両国の間では友好な関係が結ばれていた。

 チャーリア国が建国してからというもの、こんなに平和な時期はなかったかも知れない。そのことを痛感しているのはチャールズであり、チャールズの中には、かつての国王であった頃の自分が、いまさらながらに思い出されていた。

――マリアと幸せな生活だったな――

 思い出されるのはマリアのことだった。

 なぜかマーガレットのことは思い出すことはなかった。

――実際に一緒にいて楽しかったのはマーガレットの方だったはずなのに、どうしてなのか、マーガレットの顔さえ今では思い出せないようになってしまった――

 と、チャールズは感じていた。

 チャールズは自分が忘れっぽくなってしまっていることに最近になって気付いた。

「あれは昨日のことだったのか、一昨日のことだったのか、それすら覚えていない」

 と、まわりの人に愚痴のようにこぼしていた。

 だが、このことをシュルツに話したことはなかった。もしシュルツに話すと、

「大統領としては、大きな問題ですね」

 と言いかねないと思ったからだ。

 チャーリア国を建国してすぐくらいは、大統領という職に不満があった。

「俺は国王でなければ嫌だ」

 と不満を漏らしたが、実際にはそうではなく、権力というものの傘に入ることを嫌ったのだ。

 国王も確かに権力の傘の下にいるのだろうが、元々が世襲であり、自分が望んだものではないのに与えられたものだった。

 しかし、大統領ともなると、国民から選ばれることになる。権力というものを国民から与えられたということで、権力を行使する相手からの信任があってこその地位である。国王であったチャールズには、その矛盾が信じられなかった。

 自分が国王でなければ嫌だと言ったのは、決して我儘からではない。国王としての地位と大統領としての地位とは、最初から比べることのできない次元の違うものに思えたからだ。

 それでも、首相にシュルツが就任してくれたから、何とかやってこれた。大統領だけに権力が集中することはチャールズの望むところではない。そのことをシュルツも分かっていたのだろう。

 チャーリア国はジョイコット国と同盟を結ぶことで、まわりのアクアフリーズ国であったり、アレキサンダー国と言った、因縁のある国から守られる気がしていた。

 実際にアレキサンダー国がアクアフリーズ国を煽動し、先制攻撃を仕掛けてきた時も、ジョイコット国の存在が大きかった。チャーリア国にとってジョイコット国の存在は運命共同体のように思えたのだ。

 だから、ジョイコット国が侵略を受ければ、全力でチャーリア国も助けなければならない。それが表に見えた密約であり、チャールズが一番望んでいた同盟状態の確約だったのだ。

 ちょうどその頃、チャーリア国は周辺の国に対して開放的になっていた。あの宿敵であるアレキサンダー国に対しても、国交を結ぼうとして大使を派遣したりしていた。実際にシュルツが出向いて、政府高官と話をする機会もあったのだが、話は物別れになってしまい、友好関係を築くことはできなかった。

「お互いの国家の事情もあるでしょうが、国交を結んでおけば、お互いの利益に繋がることもあるはずです。特に軍事面での協力は不可欠だと私は考えます」

 と、シュルツがいうと、アレキサンダー国の高官はフット笑ったかと思うと、

「それはどうでしょう? 交わることのない平行線に終わってしまうような気がしますが……」

 と言った。

 それはまるで相手を蔑む目であり、あからさまな態度にシュルツは、アレキサンダー国とは、本当に交わることはないと感じたのだ。

 シュルツも最初から、国交が樹立できるなどと端から考えているわけではない。お互いの国民を納得させるためのお芝居に近いという認識がそれぞれにあった。

 立憲君主の国であるアレキサンダー国は、権力の一極集中を国民に納得させるために、憲法にのっとった権力の行使によってさらなる権力保持の持続を保たなければいけなかった。

 その時、

――アレキサンダー国は、我が国への侵攻を本格的に決めたかな?

 と感じた。

 相手の政府高官の顔を見ていると、一瞬鏡を見ているような気がしてゾッとした。

――私も相手に同じことを感じさせる顔をしているのかも知れないな――

 それは、自分の本意がどこにあるのかどうかは別にして、相手が勝手に感じることを自分で理解できたということである、どちらにしても、このままただで済むことはないだろう。

 シュルツは最初、アレキサンダー国との国交を結ぼうとしたことを後悔した。元々アレキサンダー国と国交を結ぶことに賛成したのは自分だけだった。大統領であるチャールズやその他の議員は、反対に回っていた。

 しかし、

「立憲君主の国であるアレキサンダー国と国交を結び、彼らの考え方を学んでおくことは、いずれアクアフリーズ国と国交を結ぶ時のための教訓になるのではないか?」

 というシュルツの意見に、最初に賛成したのがチャールズだったので、他の議員も賛成せざるおえなくなってしまったのだ。

 シュルツはアレキサンダー国との国交を、あくまでも一つのステップだとしてしか思っていなかった。確かに一度攻め込まれそうになった相手だが、お互いに国交を結ぶことで見えてこなかったことが見えてくることは、悪いことではないと思ったからだ。

 ちゃーえうずもその考えに賛同したのだろう。お互いに主義主張が決定的に違っているわけでもなく、国土的な野心もそれほど強いものではない。それよりも味方につけておく方が、お互いのメリットが感じられ、デメリットがあっても、それを凌駕できるほどの関係を築けると考えたからだ。

「では、実際の交渉は、シュルツ長官にお願いできますでしょうか?」

 というのは、外務大臣の意見だった。

「私には、アレキサンダー国とまともに交渉できる自信がありません。まさかシュルツ長官が、アレキサンダー国との国交を言い出すとは思ってもみませんでしたよ」

 と外務大臣はさらに続けた。

 外務大臣は、元々アクアフリーズ国からの亡命者ではない。チャーリア国建国のためにシュルツが勧誘してきた大臣だった。

 彼は、子供の頃、アレキサンダー国の前身であるグレートバリア国に住んでいたことがあった。

 父親が外交官で、グレートバリア国に駐在していたのだ。一緒にいたのは子供の頃だけで、大臣が高校入学とともに、母親と一緒に母国に戻っていた。

 母国で彼も政治家としての経験を積み重ね、いよいよ外務次官にまで上り詰めた時には、史上最年少での外務次官として注目を浴び、父親もさぞや鼻が高いだろうと思われていたが、その父親もいよいよその翌年に定年を迎えるというその時、軍事クーデターが起こったのだ。

 その時の混乱で父親は行方不明、今もその消息は分かっていない。あれから十数年という月日が経っているので、今までまったくの消息が不明であるということは、十中八九、この世にはいないだろうと想わせた。

 その思いが彼をアレキサンダー国への恨みに変えた。シュルツから新生チャーリア国の外務大臣への大抜擢の話を貰った時、二つ返事で引き受けたのは、

――やっと自分の力が本当に認められた――

 と感じたからだ。

 彼はシュルツのウワサは聞いていた。

――いずれはシュルツ長官の下で働くことができれば、どんなに幸せだろう――

 と思ったほどだった。

 新生国家の外務大臣に大抜擢されたことよりも、誘ってくれたのがシュルツだったことが即決の一番の原因だった。

――だが、まさか尊敬するシュルツ長官が、あのにっくきアレキサンダー国と国交を結ぼうなどと言い出すなんて――

 と、目の前が真っ暗になった気がした。

 だから、この件に関しては、あからさまに投げやりな態度になった。

――更迭されても、それならそれでいいんだ――

 とまで感じたが、シュルツには彼を更迭する気などまったくなかった。

「よし分かった。アレキサンダー国のことは私に任せて、君はアクアフリーズ国の方への根回しをお願いしたい」

 と言い出した。

 アクアフリーズ国とは、この政府自体がアクアフリーズの亡命政権である。まともに相手できる相手ではないことは分かりきっていることだった。

――アレキサンダー国との交渉よりも、こっちの方が難しい――

 と感じたが、相手だけを見ると、アレキサンダー国よりもくみしやすいと考えたのは外務大臣だけだろうか。

「分かりました。少し時間はかかるかも知れませんが、アクアフリーズ国との交渉は私がやります」

 この時期、外務大臣を彼がやっているこの時期に、宿敵である二国を相手に国交を結びたいと考えたのは、ジョイコット国との間で密約が結ばれたからであった。

 逆を言えば、シュルツはアクアフリーズ国、アレキサンダー国との間に国交を結びたいという思いから、ジョイコット国と密約を結んでおく必要があったのだ。

 そのことを知っている人は誰もいない、チャールズも密約の事実は最初から知っていたが、その本意がどこにあるのかまでは分かりかねていた。

 密約と言うだけに内容まで知っているのは、シュルツとジョイコット国の直接交渉した相手だけだった。そういう意味ではジョイコット国内で、密約の事実を知っている人はいないはずだ。チャーリア国だけどうして漏れたのか、不思議で仕方がなかった。

 チャーリア国は外国からの大使館がいない。国交が樹立されていても、相手国に対しての情報操作が行われていたり、極度に秘密主義の国であった。そういう意味ではチャーリア国は開かれた国に見えるが、実際には謎多き国として、国家研究員には総じて、そう思われていた。

 結果的にではあったが、アクアフリーズ国との交渉を、外務大臣にやらせることができたのも、シュルツがアレキサンダー国との交渉に乗り出したことのメリットだった。

「普通であれば、こんな難しいことを、慎重派で知られる外務大臣が交渉に出かけるなど考えられないからな」

 と、あとになってシュルツはその時の会議のことをチャールズに話した。

「確かにそうですね。シュルツ長官がアレキサンダー国と交渉すると言い出した時もビックリしましたが、それ以上に外務大臣がアクアフリーズと交渉してくれると言い出すとは正直思ってもいませんでした」

「彼にはアレキサンダー国にたいしてのトラウマがあるんだ。クーデターの時に、父親が行方不明になっている。もしこれがその場で殺害されたという事実であれば、もっと違っていたんだろうが、行方不明になったことで、彼の中にトラウマが蓄積されていったんだな」

 とシュルツが話した。

 その通りだった。

――もし、あの時、おやじが死んだという報告だったら、私は新生チャーリア国の外務大臣になどなっていなかっただろうな。もう少し慎重になって、母国の外務大臣にゆっくりでいいから昇格し、ジョイコット国あたりと国交を樹立していたかも知れない――

 と考えていた、

 彼の母国はジョイコット国とは国交がなかった。ここも主義主張が違っているわけではなかったのだが、それぞれの友好国との関係に問題があり、いずれ同盟国となる相手の機嫌を損ねることはあきらかな自国の損失を招くことになるのは必至だったからだ。

 当時の国家間、社会情勢は世界が独立戦争を繰り返している最中で、国交を結びたくとも同盟国との立場上、そうもいかないということが多く見受けられた。

――国際社会は、お互いの国家の内情を胸に秘めながら、国交を断絶したり、新たに結んだりと、相手のことを探り合う歪な国際関係を形成していた――

 と、外務大臣はグローバルな意味でも、そう回想していた。

 シュルツは外務大臣を決定する時、何を持って彼を抜擢したのか誰にも分からなかったが、この時のことを最初から考えていたとすれば、すごいことだ。チャーリア国の大臣人事の候補選定は、ほぼ実権を握っていたのはシュルツである。彼がその時何を考えていたのか、そばにいたチャールズにも分かりかねるところは十分にあったのだ。

 最終的には、アクアフリーズ国とも、アレキサンダー国ともどちらとも国交を結ぶことができたのだが、最初に国交を結ぶことができたのは、アクアフリーズ国の方だった。

「アレキサンダー国とアクアフリーズ国は裏で話し合いながら我々と交渉していたと思うんだ」

 と、シュルツは外務大臣に話した。

「確かにそうですね。でも私にはもう一つ別の見方があるんです」

「どういうことだい?」

「それぞれの国はお互いに我が国を相手にしている時は行動謀議を重ねていたのかも知れませんが、どこまで相手国を信用していたのかということに疑問を感じます。特にアレキサンダー国の場合、他の国と協調するイメージがどうしてもないんです。表向きには協調しているように見えても、心の底では相手を探っているのではないかと思うんです」

「なるほど、それは私も感じていますよ。でも、逆にいえば、それだけにやりやすい相手だとも言えるかも知れない」

「どうしてですか?」

「行動パターンが読めるからさ。極端な考え方を持っている者を相手にする時は、こちらも考え方を極端にしてみると、行動パタンは容易に読めてくるんじゃないかな?」

 とシュルツがいうと、

「それは言えるかも知れません。私もアクアフリーズ国との交渉の中で、時々そのことを考えていることがあります。しかも無意識に感じていると言った方がいいのか、あくまでも意識の中でのことになります」

 という外務大臣の意見に、シュルツは黙って頷いていた。

「それにしても、あのアクアフリーズ国をうまく丸め込んだものだね」

「ええ、アクアフリーズ国は我が国を必要以上に意識しているようなんです。元々の支配層だったというだけではなく、今のチャーリア国の中に可能性を見出しているかのように見えているようで、それも私のようにアクアフリーズ国出身者でない人間でなければ分からない何かだって思うんです」

「だから、私は君にアクアフリーズ国を任せたんだ。確かに私が行くと角が立つというものだが、彼らにとって気になるのはっ私とチャールズ大統領だけなので、君だったら大丈夫だとも思っていたbだ。かつてアレキサンダー国の挑発に乗って、我が国に先制攻撃を加えたという後ろめたさもあるからね。意固地にさえならなければ、彼らの気持ちを掌握するのは難しいことではないと感じたんだ」

 シュルツと外務大臣の二人は、外交に関しては他の誰にも口を出させなかった。

 他の国との関係は実に良好で、アレキサンダー国とアクアフリーズ国との間で国交が正常化すれば、チャーリア国はWPCの中でもいよいよ世界の大国と肩を並べるだけの名実ともに実力を得ることになる。

 外務大臣は、シュルツの狙いがそこにあると分析していた。

――やはりWPCでの発言力というのは絶大な権力に繋がる。国内を纏めるにも外交的な手腕が大きな宣伝になるというのは、どの国にとっても同じことだからな――

 と考えていた。

 そんな時、ちょうどジョイコット国にて漂流民事件が起こった。外務大臣は正直、

――余計なことを――

 と感じたのだが、シュルツはまったく逆のことを考えていた。

――これは好機だ――

 と捉えたのだ。

 世間の目をジョイコット国がさらってくれている間に、ジョイコット国と結んだ密約の存在をあえてアレキサンダー国に悟らせるようなことをした。

 アレキサンダー国は、もちろん密約の存在を知っても、その内容が分かるわけはなかった。

「あのシュルツが目論んだのだから、相当な密約なんだろうな」

 と、密約は存在しているだけで大きな抑止力になった。

 それは、核の傘においてのうわべだけの世界平和に似ていた。

「核を保有しているだけで、直接的な全面戦争になることはない」

 という考えだ。

 しかし、それは薄氷を踏む平和であり、直接戦争をすることが愚かであるという最低限の法則に乗っ取っただけで、代理戦争であったり、それぞれの体制を牽制しあうという、一触即発を匂わせる、実にキナ臭い情勢が世界に蔓延ってしまっていた。

 世界を二分、あるいは三分している体制は、二分の時より三分になった方が、より一層の抑止にはなるだろう。しかし、睨みあいを続けるだけではなく、それぞれの力の均衡がカギになってくる。あくまでも三すくみの状態は、一番崩れにくいように思えるが、それぞれの力の均衡が保たれてこその崩れにくさなのだ。力の均衡は大前提であり、社会秩序を作り出していた。

 核による平和への抑止力は、

「持っていることが正義」

 と考えられていた。

 一つの国が核開発に成功し、その威力を実践にて国際社会に見せつける。

 ここまでは、開発国の一連のシナリオにあったはずだ。自国のみが最終兵器を持つことで、圧倒的な力を、国際社会に持つことができる。

 しかし、自国で開発できたのだから、他の国が開発するのも時間の問題である。他の国が同じ兵器を持ってしまうと、それまでの自分たちが保持していた圧倒的な力や発言力はなくなってしまう。

 しかも、次に開発する国が自国と同じ破壊力のものを開発するとは限らない。

「最低でも、同程度の破壊力」

 を目指して開発を続けている。

 同程度の破壊力を開発できたとしても、まだ世界に公開することを控えていれば、実際に公開した時には相手よりもさらに破壊力の大きなものである可能性は高い。

 しかし、最初に開発した国も、そのまま黙って見ているわけではない。最初に開発した国としてのプライドからか、さらに破壊力の大きな兵器を開発できるという自信に繋がり、開発が抑止力に繋がっているという大前提を忘れてしまっている。

 だが、結果としては抑止力に繋がっている。ただ、抑止力になっているという意識はない。あくまでも抑止力というのは、相手国が同じ力を持っていて、お互いに牽制することから成立するものだ。

 お互いに相手よりも高度なものを開発しようとする開発競争は、抑止力に繋がるものではない。

「愚かにも、人類の滅亡というパンドラの匣を開ける結果に近づいている。全世界を巻き込む集団自決にほかならない」

 とも言えるのではないだろうか。

 世界史的に、今までの歴史は戦争の歴史でもあった。

 その戦争の原因にはいろいろあるが、まずは領土的な野心。民族の自給自足のためにやむおえす領土をほしがる場合も領土的な野心と言ってもいいだろう。いわゆる、

「侵略」

 というものである。

 もう一つは宗教がらみのものである。

 今でいう政治体制の二分、あるいは三分は、かつての宗教による細分化された世界を凝縮したものだと言ってもいいだろう。いろいろな宗教が存在し、中には一つの宗教から派閥となって別れたものが、それぞれに独立して、元々の宗教に宣戦を布告することもあっただろう。

 宗教における戦争の中には、過激な集団もあり、そもそも考えてみれば、

「すべての人間は平等に生きる権利がある」

 というのが、宗教の考えであるべきなのに、簡単に違う派閥の宗教を攻撃し、殺傷している。大前提すら崩れた状態で、何を信じればいいというのか、きっと戦争になってしまうとそこまで頭が回らないのだろう。自分の信じる宗派を守るという考えが主流となって、自爆テロなどの普通では信じられない行動に出たりする。

 かつての戦争は、大量殺戮などない戦争で、武士道、騎士道などと呼ばれた紳士の戦いがあった。まるでスポーツ感覚の戦争だったのだが、大量殺戮が可能になってから、そんな理念はどこかに吹っ飛んでしまった。

 今も昔も侵略は横行しているが、宗教がらみの戦争は次第に鳴りを潜めてきた。

 確かに燻っているような状態で宗教戦争も行われているが、それ以上に抑止力を頭の上に控えさせての代理戦争が多く散見され、攻め込まれた方とすれば、完全な侵略にしか思えない。

 攻める方と攻め込まれる方とで見解の違うという戦争も、現代戦争における一つの形なのかも知れない。代理戦争であり、しかも攻め側と攻められる側とで見え方が違っているのだから、こんな異様な状態もないだろう。

「戦争は始めるよりも終わらせる方が、何倍も難しい」

 と言われるがまさにその通りだ。

 しかも、今のように、異様な状態であれば、終わらせることの難しさがどれほどのものか、思い知らされたことだろう。

「その特徴として、まだ戦争が継続中のものが少なくはない」

 という状態になっていた。

 休戦状態という名前の元、完全な終戦となっていない戦争がたくさん散見される。

 しかも、複数の戦争を掛け持っている国もあって、和平条約を結んでいないまま睨みあっているという状態である。

 和平上宅には、相手のあることだ。相手も同じ考えでなければ、和平交渉はできないだろう。

 少なくとも第三国の介入がなければ、和平協定など結ばれることはない。それぞれの国がお互いに少しでも都合のいい第三国を推してしまうと、収拾がつかなくなるのも無理もないことだ。

 第三国が現れないまま、結局和平を拒否する相手を説得しながら、休戦状態が数十年と続いている戦争も少なくない。その場合、世間ではまだ戦争が継続中であるという危機感は薄れてしまっているだろう。

 だが、今はそんなことはない。

 一度休戦協定が行われないままの状態で、武装解除した国があったが、相手国はまだ武装を解除していなかった。

 相手国の国民はそのほとんどが和平は結ばれたと思っていて、攻撃はないとタカを括っていたが、実際には戦闘状態が続いていたので、国境沿いの小競り合いが、全面戦争への火ぶたとなったが、実際には武装解除してしまっていたので、戦闘は始まった時からどちらに有利かは一目瞭然だった。

 あっという間に侵略され、その状態で和平は結ばれた。結んだと言っても、相手国は政府だけを残して、国土はすべて蹂躙されていたのだ。すぐに政府は解散し、傀儡国家が作られたことで、戦争は終わった。一つの民族が滅亡したようなものである。その国には身分制度が復活し、敗戦民族の運命は、奴隷同然だった。

 そんな状況を目の当たりにした国際社会は、休戦状態であっても、完全に気を抜いてはいけないという思いを抱くようになった。

 それでも、それから数十年経ってしまい、国民のほとんどがかつての状況を知らない人が治める社会になると、皆の気が緩んできてしまったのも仕方のないことである。

 チャーリア国では、休戦に関してシビアになっていた。

 ジョイコット国やアクアフリーズ国ではその逆に、あまり意識している様子はない。しかしアレキサンダー国は、自らが軍事クーデター政権なので、普通の政権とは違うというコンプレックスのようなものがあった。

「普通の政権では意識しないようなことを意識するのが我々軍事政権だ」

 というスローガンを持った政府なので、休戦状態を気にすることのない他国とは違うというところを見せるという意味で、休戦に対してシビアであった。これはチャーリア国の感じているシビアさとはまた違ったものである。

 そんな中、休戦状態である中で、国家間での正式な条約は結んでいないが、裏で密約が結ばれている場合が多い。

 その多くは、相手国をいきなり侵略しないというものであったり、そのペナルティに対しての規定だった。

 密約は、結んだ人はそれが公開されるまで、その秘密を明かしてはいけないことになっている。

 もし明かした場合は、極刑が課せられ、まるで国家反逆罪のような厳しいもので、その影響は本人だけではなく、家族や子孫にも及ぶものだったりする。

 それだけ密約の存在は不可欠なものであり、公布の瞬間までに、明らかにされることがどれほどの罪かということを暗示していた。

 休戦状態にしておくというのは、最初に始めた国同士、それぞれに利害が一致したことでよかったのだが、それが慣習のようになってしまうと、元々の主旨が忘れられてしまい、表に見えている部分だけが強調されることで、厳しい裁量になってしまうのだった。

 シュルツと外務大臣はそのことをよく分かっていた。

 特にシュルツは、密約を結ぶことに最初は抵抗があったが、この世で蔓延っていると思える、

「核兵器による戦争の抑止力」

 に対抗する抑止力が、ここでいう密約に値すると思っていた。

 それだけに厳しいものでなければいけない。核兵器による抑止力がもたらした弊害として残った休戦状態。それを解消するための密約は、

「遅かれ早かれ、そこかでこのような体制にしなければいけないんだ」

 というシュルツの意見を知っているのは、外務大臣だけだった。

 外務大臣がこれまでに国交を正常化させた国はアクアフリーズ国でちょうど五国目になる。それまでの国とも密約はすべて結んでいて、中には密約を結ぶことを強硬に拒否した国もあった。

 その時、休戦状態と核の抑止力の話をすることで、

「うーん、致し方ないか」

 と相手国の全権大使をうならせて、最終的に国交を正常化させたのだ。

「ところで、休戦状態を終わらせることってできるんですか?」

 と、アクアフリーズ国の全権大使はそう言った。

「具体的には、まだそこまで詳しくは戦略を練っていません。元々、どうして休戦状態になったのかということを考える必要があるかも知れませんね」

「その通りなんですよ。私も今言われて、自分たちが休戦状態であるということに気付かされたくらいですので、政府の他の連中や国民には、休戦という意識はないでしょうね」

「そうなんです。私はどうして休戦状態になったのか、その時のことをいろいろ調べてみました。我が国に先制攻撃を掛けてきたと言っても、別に侵略する意図があったわけでもなく、アレキサンダー国の口車に乗っただけでやむなくの行動だったと思っています。だからお互いに休戦というと、少々の条約でも飲むのではないかと思っていました」

「実際にどちらかの国がそれを飲まなかった?」

「いえ、そうじゃなくて、最終的にはどちらの国も休戦協定に調印することを拒否したんですよ」

 というと、全権大使はビックリして、一瞬後ずさりしたようだった。

「どういうことなんですか? どちらかが休戦を言い出したから休戦協定が具体化されたんですよね? それを両方が拒否するというのは、普通の外交だったら、考えられないことですよ」

「私も不思議に思って、その時の戦争状態を調べてみたんですが、具体的な事例は出てきませんでした。戦闘状態というのは流動的なので、少しでも戦果があれば、自国に有利な条件を相手に突き付けて、そのせいで和平が遠のくということもあるんでしょうが、残っている資料からは、そんな状態は垣間見ることはできませんでした」

「結構、調査されたんですか?」

「ええ、その調査から、アクアフリーズ国のバックにアレキサンダー国がいたことは明白になりました。なんとなくですが分かってはいたんですが、資料を確認するまでは、半信半疑でしたからね」

「でも、よく調査できましたね。チャーリア国だけの情報では、ここまで調査できなかったでしょう?」

「もちろん、調査は我が国だけのことでしたが、その時の休戦協定には、実は第三国が関与していたんです。そこで資料を見せてもらいました」

 世界大戦前までは、休戦協定を行う場合、第三国が間に入って、調停委員の役目をしていた。しかし、大戦後に起こった戦争に関しては、必ずしも第三国の調停を必要としないという慣習が一般的になった。

 その理由は、独立戦争のような小競り合いが頻発していた時期があって、第三国を立てるとなると、一時期に複数の紛争や戦争を抱えている時代だったので、第三国が当事国に対して急に中立の立場ではなくなってしまうことが往々にしてあった。そのため、第三国としての存在意義が薄れてしまった。

 WPCが誕生した背景には、こうした休戦条約などに対しての第三国的な立場を示すための役割もあったのだ。

 今までに結ばれた協定で、第三国としてのWPCの存在は、八割に達していた。今回のような休戦協定の調査に関しては、WPCに問い合わせたり、直接調査に赴いたりするのが最初のとっかかりになるだろう。

 外務大臣もまずはWPCに調査に向かった。

 WPCでの調査は、依頼しても自分で調査しても構わないというのが、加盟国であれば権利として認められていた。

 ただ、依頼の場合はその時の状況によって後回しにされる可能性もあるので、自分から調査する国も結構あったりする。

 WPCの調査が公開されているとはいえ、まったく関係のない国の情報を得ることはできないようになっていた。それくらいのセキュリティがなければ、情報開示などできるはずもなかった。

 そういう意味では、WPCの技術力は、世界最高レベルと言ってもいいだろう。

 だが、今回の調査はかなり難航した。最終的にはWPCにジョイコット国とチャーリア国との休戦協定に対しての情報が残っていなかったのだから、調査が難航したというのも仕方のないことだろう。

「どういうことなんだ?」

 外務大臣は頭を抱えてしまった。

 空戦協定のような大事なことをWPCや第三国からの調停がなければ決められるはずもなかった。

 調停委員があったからこそ、お互いに拒否をしても、暫定的な休戦条約が慣習として残ったのだ。

 WPCという組織に、当時のアクアフリーズ国が疑問を抱いていたということは、外務大臣も聞いたことがあった。

「調停をWPCに委ねるのであれば、我々はその要求に応じることはできない」

 と、言っている光景が目に浮かんでくるようだ。

「外務大臣、あなたはWPCで調査されたんでしょう?」

「ええ、しました。でも、何らWPCにアクアフリーズ国とチャーリア国の間で話し合われた休戦についての記録が何も残っていなかったんですよ」

「ということは、故意に記録を残さなかったのか、それとも別の第三国が介在していることで、WPCには無関係として記録されなかったのかのどちらかなんでしょうね」

「私は、別の第三国が存在していると思います」

「あなたはそれがどこだとお考えですか?」

 と全権大使の問いに、

「私は、それはジョイコット国だったのではないかと考えます。そう考える方が一番しっくりくるように思うんですよ」

 と外務大臣は答えた。

「なるほど、ジョイコット国ならありえるかも知れませんね」

「ええ、ジョイコット国なら、お互いの国に関わりはあるが、利害関係という意味で、ジョイコット国から見て、チャーリア国もアクアフリーズ国も、均等な距離に見えるからですね」

「その通りです。でも私が考えるに、その時、それぞれの国は自分たちの方がジョイコット国に近い存在だと思っていたのではないかと考えています。だから、ジョイコット国がそれぞれの国との交渉の際に、相手国を少しでも擁護する発言をすると、あからさまに嫌な顔をしたのではないかと感じています」

「まるで男女間の三角関係における嫉妬のようなものですかね?」

「そうです。それが国家という疑似人格なので、余計に分かりにくいところがあるのでしょうが、当時のジョイコット国の国家元首と、アクアフリーズ国の国家元首を比べてみると、相手が第三国でありながら、いつの間にか、自分たちの利益のことばかり考えてしまっているように思えたんですよ」

「チャーリア国はどうなんです?」

「我が国も正直、ジョイコット国には打算的な考えがありました。もし、打算的な考えがジョイコット国にではなく、アクアフリーズ国に対して持っていたのだとすると、私はチャーリア国の方に、休戦協定を拒否する理由はないと思っているんですよ」

「じゃあ、アクアフリーズ国が打算的なものを持っていたのはチャーリア国にではなく、ジョイコット国に対してだと言われるんですか?」

「ええ、そうです」

「だとしたら、どうしてここでジョイコット国が関わってくるんです? ジョイコット国になど休戦条約を任せずにWPCにしておけば、こんなことにはならなかったのではないですか?」

「それはあくまで結果論です。WPCにしていれば、休戦条約は締結していたかも知れない。でも、その時得られた平和は、まるで絵に描いた餅のように、いつどちらに転んでも仕方のないような軟弱なものに感じられてしまうんです」

「それにしても、どこでどのようにジョイコット国が絡んできたんでしょうね?」

「多分ですが、ジョイコット国の方から、アポイントがあったのかも知れませんね。『第三国を探しているのだったら、我々が仲裁に入りますよ』とかなんとかいって、この話に入り込んできたんじゃないかって思うんです」

「その理由は?」

「ハッキリとは分かりませんが、彼らの狙い通りに最終的には決したのではないかと思うんです。つまり休戦協定をハッキリと結んでいないことで、ジョイコット国は利益を得るというようなですね」

「武器の供給でもあったんでしょかね?」

「いえ、それはないと思います。それよりも国際社会の中で、ジョイコット国の立場を確固たるものにできればと考えていたのかも知れませんね」

「じゃあ、ジョイコット国が仲裁に入って、二つの国が休戦を結べばジョイコット国の株が上がるとでも?」

「いいえ、それはないと思うんですよね。もし両国が休戦したとしても、ジョイコット国が表に出てくることはない。そう考えると別の仮説も生まれてくるんですよ」

「というと?」

「最初から、休戦協定は結ばれないようにしようという意図がジョイコット国にあったのではないかという考えですね」

「どうしてですか? 休戦が成立すれば、地域の平和が維持できて、ジョイコット国も安心できるんじゃないかって思うんですけど」

「確かにその通りです。でも、この休戦は協定が結ばれたわけではないが、戦闘状態にはないという中途半端な状態を作り出しているわけです。このような中途半端な関係は、よほど天秤が綺麗に平行が保たれていて、均等な力が働いていなければ、いつ戦争になってもおかしくない状況でもあるんですよ。しかもその状態が長引けば長引くほど、お互いに戦争状態であることなど誰も気にしなくなってきますよね。狙いがあるとすればその時だと思うんですよ。その時のために、ジョイコット国は自分たちがこの和平に関わった第三国であるということは伏せておく必要がある。これは彼らがその時になって起こそうとしていることへの大義名分にも繋がることでしょうからね。その時が来たらジョイコット国がどのような宣言をするか、非常に興味のあるところではあります」

「うーん、ジョイコット国は何を考えているんだろう?」

 と全権大使に聞かれて、

「私にも分かりませんが、休戦が途切れたからと言って、いきなりの軍事行動に出るとは思えません。そう思うと、何が災いして何が幸いするのか、他人事のような目で見ている方が分かってくるのではないかとも思えます」

「アレキサンダー国が何か関係していたりしませんか?」

 と全権大使は言った。

 その言葉にその日初めてと言っていいほど、外務大臣は反応を示した。その雰囲気は明らかに驚いていた様子だったが、普段は冷静沈着な外務大臣、他の人であれば、その変化を見逃してしまうところではないだろうか。この日は、他の人が見ても、明らかに変化したことが分かるほど大げさだった。

「アレキサンダー国というのは私も考えました」

 と外務大臣は言ったが、それは嘘である。

 初めて気付いたように相手に思わせる結果になったが、一番いい結果になった。相手から見て、大げさに見えるほどの驚きであれば、

「疑う余地のない」

 という言葉が頭につくほど、彼のそれ以降の話にはすべて信憑性を感じたに違いない。

 だが、これも彼一流の作戦であった。相手に自分の意図とは別の発想に導くための彼の常とう手段でもあった。

「アレキサンダー国が最初にこの紛争をたきつけたんですよね。だったら、休戦に何か支障があるのだとすれば、そこに介在しているのが当事国でもあるアレキサンダー国だと考えるのは別に無理もないことですよね」

 と、全権大使は当たり前のことを淡々と話した。

 それを聞いて外務大臣も納得したように聞いていたが、心の底では、

「何をいまさら」

 と、鼻で笑うくらいの気持ちになっていた。

「アレキサンダー国が直接何かをそれぞれの国に対して示したことで、それぞれ自分たちの立場の中でアレキサンダー国に対して警戒すべきことが決まってきたんじゃないでしょうか? アクアフリーズ国としては彼らに対しての警戒と、そして我々チャーリア国としては、彼らに対して何か挑発的なことを示していたと思います。理由はそれぞれに立場が違うからここまで極端に違っても見えてこないのでしょうが、アレキサンダー国に対して示し合わせることへの利害関係は一致した。これが、お互いに休戦協定を結ばなかった最大の理由だと思うんです」

「つまりは、休戦協定を結んでしまうと、お互いに利害を一致させることができないということですか?」

「ええ、休戦状態を隠れ蓑にして、それぞれの利害を追求する。相手もこちらの真意をつかみ切れていないから、今まで見えていたことも見えなくなってくる。これが本当の休戦を拒否した理由ではないかと私は考えています」

「よく分かりました。でも、どうしてそこまでチャーリア国はアレキサンダー国を敵対するんです? 意識が半端ではないと思うんですが、何か因縁のようなものがあるんですか?」

「実はあの国には、以前から拉致問題というのがありまして、表立って問題にしてはいませんが、国家として秘密裏に調査を進めています」

「それは、信憑性の高い事実なんですか?」

「ええ、ほぼ間違いないと思います。チャーリア国は、ジョイコット国やアレキサンダー国のようなクーデター政権ではなく、クーデター政権に追い出されて、まったく新しい国家を建設した本当の意味での独立国家なので拉致が行われたとしても、確たる証拠がなければWPCに提訴もできません。もっとも、WPCに提訴しても解決するとは我々はまったく思っていません、気休め程度にしかならないのであれば、隠している方がマシだということです。結局利害の一致を最優先に考えたということになりましたね」

 と、外務大臣は言った。

 密約の効果は本当にあったのだろうか?

 しばらくしてチャーリア国とアクアフリーズ国との間に小競り合いが始まった。そのうちにジョイコット国が絡んでくることで、全面戦争の危機に発展していた。

「このままだったら、泥沼の戦争に入らないとも限りません」

 と外務大臣はシュルツに話した。

 チャーリア国側にジョイコット国がついてしまうと、アクアフリーズ国はきっとアレキサンダー国を味方に引き入れるに違いない。

「先の世界大戦は、それぞれの同盟国が複雑に絡み合ったことで世界大戦になったんだ。このままだと世界大戦になりかねない」

 と、シュルツがいうと、

「それが分かっていて、どうして人間は同じことを繰り返すんでしょうね?」

 と外務大臣がいうと、

「それは仕方がないさ。世界大戦の泥沼に嵌るかも知れないが、その前に自分の国が瞑れてしまっては、元も子もないからね。『国破れて山河あり』なんて言葉、国家のトップにとっては洒落にならないからね」

 とシュルツが言った。

「このまま全面戦争になったら、完全に消耗戦になりますよ。我が国だけではなく、どっちが勝ったにしても、その後は国土は荒廃し、他の国から侵略されないとも限りません。今の世の中、どこも黙って何も言いませんが、解放された土地であれば、ハイエナのように群がってくるのは必至だと思うんです」

「君は、そんなに他の国が信用できないのかね?」

 とシュルツに言われて少し黙り込んでしまった外務大臣だったが、

「長官はどうなんですか? 今の世界情勢を見て、皆黙りこくっているけど、淡々と何かを狙っているように感じませんか?」

 とシュルツに訴えた。

「君の言いたいことは分かっている。しかし、それにしたって周りに流されて同じようにその波に乗り遅れてはいけないとばかりに他の国と同じことをしていては、まわりに飲み込まれるだけで、まったく時間を無駄に過ごしているだけだって思うんだ。きっと今の君の考えは、他の国でも感じていることじゃないかな? だから、どこかの国が滅亡したり、国土が焦土になったりすると、すかさずそこに殺到するかのように侵攻してくる国が結構あるんじゃないかな? そうなるとまた紛争が起こる。そう簡単に分割させてくれるほど、世界情勢は甘くないからね」

「シュルツ長官は、アクアフリーズ国と戦争になると思っているんですか?」

「ああ、もう避けられないところまで来ていると思う。君も外務大臣として、調停してくれる国を探して、結局見つからなかったんだろう? 普通ならもう最後通牒を出してもいいところまで来ているんじゃないか? 私は海上封鎖をしてもいいと思っているくらいだ」

 と、シュルツは言った。

 国際条約上、海上封鎖というのは、宣戦布告を意味している。

 国際条約では、戦闘行為を開始するにあたって、必ずしも宣戦布告というのが行われなければいけない義務はないと規定している。宣戦布告に値する今回話に出た海上封鎖であったり、最後通牒、国交のある国であれば、大使館や公使館員の国外退去、宣戦布告の代わりにいろいろと考えられる。

 また戦争において、宣戦布告を義務としない理由の一つに、戦略上、政策上の考えがあるのを国際的に広範囲に認めたと言えるかも知れない。

 世界大戦の前は、宣戦布告は必ず行わなければいけないものと規定されていた。宣戦布告が戦争の抑止力になると考えられていたからである。

 しかし実際には抑止力になることはなく、当たり前に戦争が起こってしまった。

 宣戦布告の効力というのは、戦争を開始することを内外に知らしめることが目的である。当事国間に限って言えば、宣戦布告はさほど大きな意味はない。意味を持ってくるのは、戦争当事国と第三国の関係にあった。

 宣戦布告が行われると、諸外国は戦争当事国に対して自分たちの姿勢を表明しなければいけない。

 つまりは、A国につくのか、あるいはB国につくのか、同盟を結んでいればどちらかに就くのだろうが、その場合はすでに戦争当事国だったということである。しかし、軍事同盟を結んでいるわけではなく、経済援助だったり、兵器の輸出入を行っている関係であったり、戦争当事国にとっては切っても切り離せない国が存在している場合、その国が、

「我が国は、紛争にはまったく無関係なので、中立を宣言します」

 と言ってしまうと、おおっぴらに戦争の援助を受けられなくなってしまう。

 中立を宣言するということは、片方の国に対して贔屓できないということを意味しているので、戦争で困窮し、人民の困窮や難民問題に発展すれば手を差し伸べることができる程度である。

 それはあくまでも人道的な問題というだけで、戦争に加担することは許されない。

 では、それらの国に今まで通り援助を頼みたいとすればどうすればいいか、宣戦布告をしなければいい。宣戦布告さえしなければ、第三国が贔屓的に援助しても問題ないということになるからだ。

 先の世界大戦では、宣戦布告を義務としていたため、第三国が中立を宣言すると、援助を断たれた国は、国家が疲弊してしまっていた。

 ただ、その状態は相手国にも同じことが言えて、同じように国家が困窮していきながら、戦争を続けていたことになる。

 つまりは、

「血を吐きながら続ける終わりのない拳闘」

 と同じであった。

 どちらかが倒れるまで続くのが戦争なのだが、宣戦布告を義務としていたために、対戦国との戦力も国家としての体力も完全に拮抗していた。その状態では終わりが来るわけもなく、結局どちらの国も滅亡の危機に瀕した状態で、戦闘不可能になり、休戦を迎えることになった。

 そのため、ほとんどの国は人口が半分以下になり、国土は荒れ果ててしまっていた。『国破れて山河あり』などという言葉は、昔の古きよき時代の戦争のことであった。

 宣戦布告を義務としないと定義したのはWPCだった。彼らが国際的に決めた条約、つまりは万国共通の条約にはいろいろな種類があるが、こと戦争に関しては理不尽に感じられるようなことも多い。

「かつての世界大戦での教訓が生きていないのだろうか?」

 と思わせることも多く、この宣戦布告に対しての条約も、参加国から、

「何を考えてこんな条約を」

 と言われ、反発を受けていた。

 それでも多数決という民主主義の定義の元、過半数を上回る人が宣戦布告を廃棄させたのだ。きっと彼らには戦争への欲があり、その時に自分たちがいかに有利に進められるかということを考えてのことだろう。

 相手がどの国になるかなど分かるはずもないのに、そんなに簡単に容認していいものなのかどうか、シュルツは疑問だった。

 だが、さすがにシュルツといえど、WPC参加国すべてに影響力を持つことはできるはずもない。

 特にチャーリア国の存在意義については賛否両論あり、シュルツのことをあまりよく思っていない国家も少なくなかった。

 そんな国のほとんどは、アレキサンダー国と国交を結んでいる。アレキサンダー国はここ十年ほどで大国としての地位を確立していて、かつてのグレートバリア国がどうしてもなれなかった大国と呼ばれる地位にアレキサンダー国はのし上がったのだ。

 そのおかげで、アレキサンダー国に共鳴する国家も少なくはなく、一時期、軍事クーデターが横行していた。何を隠そう、アクアフリーズ国で起こった軍事クーデターも、彼らを模倣したにすぎなかった。

「まさか、そんな単純な理由で我々の王政が崩されたなんて」

 と、シュルツはそれを聞いた時、少しショックだった。

 ただ、シュルツはいずれ時代は王政がなくなるという流れになってくるということは予見していた。そして、その時のための準備は着々と進めていた。ただ、その時期がシュルツが考えていたよりもほんの少し早かっただけのことだったのだ。

 そのおかげで亡命もそれほど困難なことはなかった。ジョイコット国との間に受け入れの状況は整っていたのだが、これはあくまでも最悪のケースを考えてのことで、まさか本当に最悪のケースになるなど、シュルツは思ってもいなかった。

 それだけ当時のアクアフリーズ国のクーデター政権は、音かな連中ばかりだったのだろうとシュルツは感じた。

 まさか、模倣とまでは思っていなかったが、シュルツが考えていたよりも時期尚早だったのだ。

 クーデターは考えよりも早ければ、それは愚かな考えであり、遅すぎるとチャンスを逸するというその連中には最初からクーデターを引き起こすだけの器ではなかったということになる。早い場合は、ただの音かな考えを持っているだけということになるが、遅い場合は、クーデターなどおこがましいほど立場をわきまえていない連中のあがきだとしか思えなかった。

 シュルツは、早かったことで少し胸を撫で下ろした。

 もし、早すぎたことで政権を握っても、漬け込む隙は十分にあると思っていたのだ。

 さすがに旧態依然の状態に戻すことは不可能だと思っていたが、それができないにしても彼らを利用することはできると考えたのだ。

 その考えが密約に繋がっている。シュルツの考えをすっかり分かっている外務大臣が交渉を引き受けてくれたことで、自分はもっと難航するであろうアレキサンダー国との交渉に入ることができる。

「いいか、アクアフリーズ国とアレキサンダー国と、同じタイミングで交渉に入ることが大切なんだ」

 とシュルツがいうと、

「それはどういうことで?」

「アレキサンダー国にはアクアフリーズ国との間で交渉が行われていること、アクアフリーズ国にはアレキサンダー国と交渉が行われていることを知らしめてはいけないんだ。公表するまで黙っておかなければいけない。つまりは、公表する時には対象国とすでに最終段階の交渉に入っているか、それとも交渉を結んでいるかのどちらかでなければいけないんだ」

「なるほど」

「そして、それは戦争を行う時に、宣戦布告をしなくてもいいという国際条約が先の大戦の後に成立しただろう? あれと密接に関係があるんだ」

「それは、中立の問題からですか?」

「ああ、そうだ。アクアフリーズ国とアレキサンダー国は一見、関係のないように見えるが、それぞれ利害はいつも一致している。だが、それを表に出さないことで、時として一触即発になることがある。だが、それをどちらの国も意識していない。つまりは、それぞれの国の一触即発の瞬間を狙うと、この二国を戦争状態に入らせることができるんだ」

「この二国の戦争状態なんて考えにくいですけどね」

「そうなんだ。考えにくいんだ。だから、本当に戦争が起こると、考えられないことをするかも知れない。私はそれが怖いと思っている反面、我が国にとっては起死回生を狙うことができる場面ではないかとも思うんだ。かといってこの両国を戦争に引き入れることが危険なことに変わりはない。だから、私はアクアフリーズ国との間の密約を重視したいんだ」

 と言って、シュルツは密約の内容を外務大臣に示した。

「まだ草案の段階なので、いずれ修正は必要になってくるだろうけどね」

 と言って話をしたが、それを聞いて外務大臣は、

「ううむ」

 と言って唸ってしまった。

「そういえば、かつて先の大戦中の軍人の方に、『世界最終戦争論』を唱えている人がいましたね」

「ああ、知っているよ。その説は宗教観から来ているものだったね。世界大戦が起こって、それぞれの国が消耗戦を繰り返す中、全世界が荒廃した中で、強大国の二国が最終戦争を起こすというものだろう? その勝者によって、世界は再建され、そこから先は恒久平和はやってくるというものだった」

「ええ、そうです。本当に宗教っぽい考えですが、戦争を宗教があっせんするというのもおかしなものですよね?」

「そんなことはないさ。この世で起こっている戦争のほとんどは、民族間紛争か、あるいは宗教戦争と呼ばれるものなんだからね。私は宗教というのはしょせん、人間が作り出したものに過ぎないと思っているんだ。だからいろいろな宗派が生まれる。宗派が生まれれば、そこから闘争が生まれるのも必然だからね」

 とシュルツが言ったが、その言葉は外務大臣にとっては意外に聞こえた。

――シュルツ長官は、もっと宗教的な考えに陶酔している人だと思っていたけど、これは意外だった――

 と感じた。

 シュルツは、外務大臣にアクアフリーズ国へのアドバイスを行った。アクアフリーズ国の政府高官は、以前は自分の部下だった連中だ、考えていることは分かっている。

 外務大臣にアクアフリーズ国を任せたのも、対人関係としても当然のことだった。シュルツよりも相手国の方が恐縮してしまい、条約どころではない。相手は、

――シュルツ長官にはこちらの手の内をすべて読まれてしまいそうだ――

 と、交渉前からそう考えるに違いない。

「大丈夫ですか?」

 シュルツが黙り込んで何かを考えていたので、外務大臣はそう声を掛けたが、

「ああ、大丈夫だ」

 と答えたシュルツだったが、実はこの時、シュルツは身体的に病んでいることに本人も気付いていなかったのだ。

 シュルツは、一つの仮説を立てていた。その仮説というのは、『世界最終戦争』を成功させられるかというものであった。彼はいつ頃からであろうか、それまで平和主義一辺倒であった考えから、

「この世の正義は唯一、戦いによって支配されるものである」

 と考えるようになった。

 彼が小型の核兵器を開発したのもそのためである。別に彼はこれを平和利用のために開発したわけではない。その理由にはいくつかあるが、彼がそこまで考えていたなどということに気付いていた人はいたのだろうか?

 今の世の中で、核兵器というのは完全に使用しないことで平和を守るという、

「核の抑止力」

 によって成り立っている。

 それを平和という言葉で表すのであれば、平和というのは、本当に正義なのだろうか?

 シュルツも、核の抑止力には疑問を感じながらも、それ以外に今の平和を確立することなどできるはずがないと思っている。

 そんな核兵器は、大型であっても小型であっても、核は核。シュルツは核兵器を保有していることに変わりはないのだ。

 その核兵器の存在を、まわりに隠しているということが普通なら解せないのではないだろうか。核兵器を抑止力と考えるならば、核兵器の存在はオープンでなければ、その存在意義はないだろう。

「今は隠しておいて、実際の戦闘で隠し玉として使うつもりなんだ」

 と考えていたとしても、それはおかしいのではないだろうか。

 なぜなら、他の通常兵器であれば隠し玉にしておいても何も言われないだろう。しかし核兵器は使用しただけで非難の対象になる。確かに相手を殲滅することはできるかも知れないし、それ以上に戦意を喪失させることに絶大な効果を示すだろう。しかし、世間からの風当たりは強いものとなり、挽回不可能になる可能性もある。それだけに核兵器というのは、

「使わないことが必須であり、抑止力として以外に使い道はない」

 と言えるものだったはずだ。

 それをひた隠しに隠しているというのは解せない。

 密約を結ぶ際も、

「核兵器の存在を決して相手に悟られないようにするんだぞ」

 というのが、シュルツ長官の絶対命令だった。

「了解しました」

 と、外務大臣は言ったが、言いながら、

――どうしてなんだ?

 と頭を傾げていた。

 シュルツ長官は、時々自分たちには理解不能の考えを占示すことがあるが、結局最後には間違っていなかったことを、結果が証明していた。だから、外務大臣以外でも、シュルツ長官の考え方に逆らうという考えを持っている人はいないのだ。

 アレキサンダー国も、アクアフリーズ国も、チャーリア国が核兵器を保持していることは知っている。シュルツも知られていることは認識していたはずだ。だからこそ、敢えて交渉に核兵器を用いることはできない。なぜなら用いてしまったら、高圧的な外交になってしまい、脅迫になるだろう。脅迫が悪いというわけではないが、脅迫してしまうことで相手が心を開いて話をしなくなると、交渉は一方的になる。どうしても交渉を成功させるという事実だけを示したいのであれば、脅迫も仕方のないことだろう。だが。それは時間稼ぎにしかすぎず、本当の外交という意味ではたとえ条約が結ばれたとしても、成功とは言えないのではないだろうか。

 アレキサンダー国も、アクアフリーズ国も、今はシュルツ長官を敵対視しているわけではない。今の世の中のがんじがらめになってしまった抑止力に縛られている世界を解放してくれるのはシュルツだけだと思っているからだ。

 確かに軍事クーデターは成功し、アレキサンダー国、新生アクアフリーズ国、そしてシュルツの国家であるチャーリア国、さらにはジョイコット国と、発展しながら、個性豊かな国家が形成されてきた。

「今の世の中は、次第に個性があったはずの国が、条約を結ぶことで相手に合わせようとしてしまって、どこも似たり寄ったりの国になってしまっているような気がします」

 これを最初に感じたのは、アレキサンダー国の軍部の長官だった。

 政治家の連中には気付かない。軍部の人間だから気付いたと言えるのではないだろうか。

 密約が結ばれてから五年後、ジョイコット国がアクアフリーズ国に宣戦布告を行い、戦闘状態になった。

 それをきっかけに、チャーリア国がアクアフリーズ国に、そして、アレキサンダー国がチャーリア国に宣戦布告を行った。

 四か国での戦争だったが。それ以上の他の国や地域は参戦することはなかった、ほとんどの国は早々と中立を宣言し。それはまるで最初から戦争が始まることが分かっていて、中立を宣言することが決まっていたかのようだった。

「これはシュルツ長官との約束だからな」

 と、中立を宣言した国は、皆そう思っている。

 いつの間に他の国とそんな約束をしたのか、それがシュルツの手腕だった。

 彼は別に各国に赴いたわけではなく、ほとんどが電話で済ませたことだった。

「もし、我がチャーリア国を巻き込む戦争があった時、貴国は中立を宣言してください」

 と言った。

「どうしてですか?」

 と聞くと、

「世界大戦にしたくないという思いと、たぶん四カ国での戦闘になると思います。この四か国は四つ巴の戦闘になると思うので、すぐには収束しないと思います。でも、それを打開するために、一つの秘策が打たれます。それは実に衝撃的なことなのですが、その時参戦や援助などをしていれば、貴国は世界から孤立する運命を辿りますよ」

 と語った。

 これが、抑止力になった。

 どこの国も戦争には加担することなく、四カ国での戦争を静観していた。すべての国が中立を宣言したことで一番ビックリし、あてが外れたのがジョイコット国だった。先制攻撃の決断は、自分たちに賛同して一緒に戦ってくれる国を期待してのことだった。

 そのためにジョイコット国はそれまでいろいろな国と交渉を続けてきた。密約も結んでいたが、密約だけに公にできないだけに、相手が一方的に破っても、糾弾する手段がなかった。そのことに気付かなかったジョイコット国は愚かであるが、それ以上にシュルツの計画は、ずっと前から入念に練られていたということである。

 チャーリア国は、これまでひた隠しに隠してきた核兵器を、この時とばかりに使った、戦闘はチャーリア国の優勢で戦局もチャーリア国有利に見えてきたが、国際社会での評判はすこぶる悪くなり、戦争を終えた後での交渉は、相当厳しいものとなった。

「やはりシュルツ長官がいないと我が国はダメなんだ」

 シュルツ長官は、二年前に他界していた。

「二年後に、私の遺書を公開してくれ」

 と言って、息を引き取ったのだが、その中の遺書に示されたのが、今回の戦闘の予言だった。

 もし、戦闘状態になれば、

「核兵器を使って、世界に一石を投じてほしい」

 と書いてあった。

 シュルツは、世界最終戦争論のことも書いていたが、それはやはり絵に描いた餅のようなものだと表現している。

 核兵器を使うことで一時期はチャーリア国に非難が浴びせられるが、それによって、いかに核の抑止力が脆いものであるかということを世間に知らしめることができる。

「私が死んでから何年かすれば、小さな核兵器が、各国の保有する核兵器の処分に役立つ発明がなされているかも知れない」

 と書かれていた。

 シュルツが小型の核兵器を開発したのは、別にそれを使用することが目的でもなく、最後までひた隠しに隠しておくことが目的でもない。

「いかにセンセーショナルな登場を演出できるか?」

 というのが、シュルツの狙いだった。

 このセンセーショナルな登場は、シュルツの提唱していた世界最終戦争に変わる考え方で、二大大国が、実際の各国で保有されている大型の核兵器で、もう一つが開発された小型の核兵器であった。

 その間に他のものを介在させてはいけない。そのため、他の国を巻き込むことはしなかったのだ。

 他の国も、

「これを私の遺言として聞いてくれ」

 と言われれば、シュルツを尊敬している人が多いこともあって、彼の説得に応じたのも頷けるというものだ。

「平和というものが戦争によって成り立たないとどうして言えるのか? この世は戦争から始まったと言っても過言ではない。戦争というものから逃げていては、何も解決しないのではないか?」

 というのがシュルツの考え方だった。

 休戦状態の国は、すべてに武装解除し、世界平和が訪れた。

 それをもたらしたシュルツはもうこの世の人ではないが、この平和がいつまで続くのか誰が知っているというのだろう。

「この世の正義は唯一、戦いによって支配されるものである」

 と今でもシュルツの墓前には、その言葉が飾られていた……。


                  (  完  )

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ジャスティスへのレクイエム(第4部) 森本 晃次 @kakku

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