リリアとフリーシア

 前世の夢を見始めたある日、突然気づいた。

 この国は滅びる。

 名君と讃えらた前王は、その華々しい戦争の勝利とともに、手の付けられない負債を残した。

 民衆の飢えは抑えきれない。商売をしない貴族たちは生き残れない。金を持つ商人たちが力を持つ。そんな時代が来る。

 そしてその時代の終焉を象徴するのが、悪の王様と王妃。


 王族は淫売やら冷血やら、そんな悪評をなすりつけられ、後世に渡るまで憎まれ続ける。

 そんな存在を、時代は望むのだ。

 血の河は流れ、正義は手の付けられない暴力となり、やがて人は人を簡単に殺せる時代が来る。

 それはもう、回避できない。


「めでたしめでたし」のその向こうの現実に、私は気づいてしまった。








 雲ひとつない空が広がっていた。

 血が固まったような重い足で、ギロチンの台へ向かう。

 海の波のような人の群れ。船に繋ぐ桟橋のような道を、踏み外さないように歩く。誰かが投げた石が、足元に転がった。

 足が止まる。ポタリ、と額から液体が落ちる。ぐらぐらする頭をなんとか支えながら、また私は歩き出した。


「王妃を殺せ――!」

「さきの婚約者を貶めて、成り上がった売女め!」


 民衆たちの罵声が、あちこちから飛び交う。

 どこからか、「あの方の方が、ずっと王妃にふさわしかった!」という声も聞こえた。

 ぎ、と私は睨み、辺りを見渡す。だが、誰が言ったのかまでは、わからなかった。ほとんど白く濁った世界にしかみえないのに、民衆の顔は、黒く塗りつぶされている。

 嘘つき。

 王妃という時点で、あなた方は貶め、殺す気でいたでしょう。

 ここに立っているのが、彼女じゃなくて本当に良かった、と私は思った。


 吟遊詩人に明けの明星と讃えられる彼女。

 宮廷で麗しの君と讃えられる彼女。

 バルコニーから手をふれば、民衆に万歳! と両手を広げて讃えられる彼女。

 その彼女の代わりが、私だ。


 清らかな彼女を蹴落とし、贅沢を満喫した。内容に乏しい罪を着せられた彼女より、ずっとギロチンに掛けられる悪役にふさわしい。


「このイカれたーーが! 地獄に落ちろ!」


 男の声がした。

 私の罪状の中には、同性愛も含まれているらしい。そのお相手は、とんと見当違いな者ばかりだった。

 

 どんな男とでも結ばれるのに、彼女とだけは結ばれない主人公。

 自分のものにならない、王妃になる彼女を見たくなかった。最初はそんな、子どものわがままそのもので、無闇矢鱈と妨害していた。彼女と二人で、ハッピーエンドになる方法を、探していた。

 でもこの展開に気づいた時、憎まれても嫌われてもいいから、本物の悪役としてではなく、人間としての彼女を守りたいと思った。

 ねえ、神様。

 男女だけの愛が讃えられ、女同士の愛が罪であるなら、どうか罰は私だけにしてください。

 純粋で無垢な彼女は、裏切った私のことなどもう忘れたことでしょう。彼女は、救ってください。


 ……なんてね。

 神様は私たちを罰しない。

 人間を罰するのは、人間だ。


 憎悪と狂気の声が響き渡る。

 殺せ、殺せ、殺せ!

 殺意を帯びた、むわっとした熱気。なのに空は寒々しく灰色だ。

 長い裁判と投獄で、脳がおかしくなったのだろう。私の視界は色をなくした。目の前にあるものがどんな色だったかも忘れてしまった。

 空って、本当はどんな色だっけ。

 一羽の鳥が、空を飛んでいた。目で追いかけると、ギロチンが視界に入る。ギロチンは、既に私の目の前にあった。

 私は自分の腕に付けられた、重い手錠を見る。

 そうして前を向いて、処刑台の階段を登ろうとした時。



「――フリーシア!!」


 私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 色を失ったはずなのに、星のような瞳を見つけて、思わず息を飲んだ。

 どんなに同じような顔をした群衆の中にいても、色彩を失った世界にいても、輝きを失わない一番星。

 頬には煤がついている。あの頃の肌の透き通る白さはなく、日焼けしていた。あの美しい髪はまとめられて、大きな帽子に覆われていた。彼女が纏っているのは、私が着ていた動きにくいドレスじゃなくて、大きなポケットがついた白いコートに、膝丈くらいの黄色のプリーツスカートだった。

 それは彼女が考案した、新しい時代のドレスだった。本当に、よく似合っている。彼女にふさわしい、最強のドレスだ。

 隣には、彼女より少し背の低い女性が、あなたの肩に手を添えている。

 その人が、彼女を愛してくれているのだ、とわかった。


 よかった。

 それがわかれば、もう何も惜しくは無い。


 急かすように、処刑人が動かなくなった私を引っ張った。

 その時私は、笑ったのかもしれない。自分がどんな感情をしているのか、もはや何も分からない。感覚はなくなってしまった。今は熱いのか寒いのかもわからない。

 レースの手袋を身につけた手が、私の方に伸びる。

 彼女の口が動く。

 一生懸命叫んでも、群衆の熱狂にかき消される。

 なのに、どうしてかな。

 彼女の声が、頭に直接聞こえる。




「――なんで! 私の手を取らなかったの!」



 暴れる彼女を、女性が抑える。そして人の波の中へと消えた。

 誰も彼女のことを気にしない。よかった、と私は安心した。

 そして、こんなに、必死になってくれる姿を見た途端、すべてが満たされた気がした。


 私は彼女を裏切ったのに、きっとあの子は、私を生かすためにあらゆる手段を尽くしてくれた。

 知っていた。あの劣悪な牢獄で香る、百合の香りの意味を。あれは、私宛に届けられた手紙の残り香だ。監視の目をくぐりぬけた、亡命の誘いだった。

 それを見ない振りしたのは、私だ。

 愛していたのは彼女だけだった。でも、私の都合でこの世に産み落とされ、私のせいで巻き込まれた子どもたちのことを考えると、自分だけが幸せになるわけにはいかなかった。

 自分勝手な悪役の、せめてもの恥だ。

 なのにその言葉が、空っぽだった私の身体を満たしてくれた。

 どんな睦言より、愛の言葉より、すてきだった。

 あの時の指先の温度も、素肌の感触よりも、吐息や唇の甘さよりも、血と涙が、すべてが私の体を巡りはじめる。

 息をしたいと思った。

 彼女に与えられた分の、息をしたいと思った。

 ギロチンに掛けられて、今から死ぬというのに、私は今ようやく生まれた気がした。


 ――ああ。

 私、やっぱり、あなたにはなれなかったな。


 リリア。

 私は彼女の名前を、声に出さずに呼んだ。

 ここから声が届くことは無い。

 声に出すつもりもない。

 それでも私は、一生懸命、口にした。


 拝啓、親愛なるあなたへ。



「あなたが、大好きだよ」


 

 

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拝啓、親愛なる悪役令嬢へ。 肥前ロンズ @misora2222

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