其の捌

「けッ! なんとも汚らしい恰好なりだなァ、オイ」


 そう吐き捨てるようにいった細目で向こう傷の男(たしか川獺オッターとかいう名前だったか)は、まるで鷲獅子グリフィンが吐きだした未消化の吐瀉物ペリットを見るような目でオレを睨んだ。「おまけにくせェ」と余計なひとことをつけ加えるのも忘れない。

 迷いながらもなんとか出口を見つけ、下水道から地上へと戻ってくると日はすでに落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。地上の店舗に灯りは点っておらず、ひとり居残っていたオッターに、オレは帰還するや否や盛大にというわけである。こいつ、もう片方の手首も折ってやろうか。 


「あいつを……アーミンをできたのか?」

「ああ。とどめを刺したのはウィーゼルだ」

「そうか……世話になったな。あねさんひとりで片をつけるのは、難しかったろう」


 オッターは口の悪さからすれば意外なほど直截ちょくせつに礼をいった。この連中が常に虚勢を張るのは、界隈かいわいで侮られないための自衛手段であって、案外その本心は率直であるだけなのかもしれない。仲間の死を悼む気持ちはこいつも同じなのだろう。今日のところは無礼な振る舞いも勘弁してやることにした。


「これも仕事でやったことだ。オレはオレにできることをし、そして対価を受け取る。それだけさ」

「ふん、そうだな。店の裏手に水を張ったタライと桶がある。清潔な浴巾タオルも用意しておいた。その恰好を何とかしてから帰んな」

「そうさせてもらおう」


 素っ気ないものいいの中にも微かな気遣いを感じたオレは、素直に好意を受けることにした。

 いわれたとおり店の裏手に回り、タライに張られた水で具足や衣服の汚れを洗い流して身も清める。西方大陸フェイルーンでは蒸し風呂サウナが一般的だが、オレは熱い湯を張った湯船にザブンと肩まで浸かる故郷くにの湯屋を懐かしく思った。

 濡れた体を木綿の浴巾で拭きながら、冷たい夜風に吹かれたオレは「へくしッ」とひとつ、大きなくしゃみをしたのだった。


     *


 月も頭上に輝き夜も更けた頃であったが、〈門外アウター・シティ〉の蕎麦屋へ戻ると、店主の親父は神妙な面持ちでオレを待っていた。


「あんたには、ずいぶんと迷惑をかけてしまったな。礼をいわねばならん。これ、このとおりだ」


 そういって親父は深々と頭を下げた。改まって感謝をされると、オレもムズムズと尻の座りが悪くなってしまう。


「まァ気にすんな、オレはただ美味い蕎麦が喰いたかっただけなんだ」

「あんたが出かけて行った後、すぐにあの目つきの悪い男が営業許可証を届けにやってきたんだ。『借金もチャラにしてやるから、もう二度と賭場には来るんじゃねェ』といっていたよ」

「ウィーゼルの計らいなんだろうな。年若いのにたいしたタマだよ。奴らに頼まれた仕事は片がついた。もう心配いらねえぜ。それよりだ……」

「ああ、わかってるわかってる。一杯二杯とケチなことをはいわねェ。何杯でも好きなだけ、腹ァいっぱいになるまで食べてくんな」


 そういって親父は、ずはとばかりにモリ蕎麦とカケ蕎麦を一杯ずつ、カウンターの上にのせたのだった。


 茹で上がったばかりの麺は冷水できりりと締められて。

 出汁を効かせた甘辛いツユの香気はぷうんと立ち上り。

 おろしたての山葵ワサビはとびきりの薬味となって。

 小さな器にうず高く盛られたモリと。

 熱々の湯気が立ち上るカケとが。

 今まさに、オレの眼の前に。


 こうしてオレは待望にして念願の懐かしき味、素朴にして鮮烈な、極上の蕎麦にようやくありついたのである。その味が如何なものであったかは――いうまでもあるまい。


     *


 さて、ここから先の話は、後から人伝ひとづてに聞いた物語である。

 昔々、ある港町に幼いハーフリングの姉弟がいた。両親に先立たれたふたりは棲む家もなく、汚い下水道をとし、毎日残飯を漁ってなんとか生きているような有様だった。そこへ救いの手を差し伸べたのが地下の街に棲む、猫好きな太った男だった。

 太った男は姉弟に衣服と食料を与え、そのうえ雨風をしのげる場所まで世話をしてくれた。決して快適な生活とはいえなかったが、両親と死別してから初めて大人に優しくしてもらった。それまでは誰ひとり、姉弟を気に掛ける者などいなかったのだ。

 姉弟はその恩義を忘れず、太った男の代わりに様々な品物を街中から、買ったり、拾ったり、ちょっとして、調達してくるをするようになった。太った男が可愛がる浮浪児たちは他に何十人もいたが、中でも姉弟は抜きんでた才覚を発揮した。

 その才を見抜いた男は、知人の中でも最高の技術をもつ者たちを師に就かせて、姉弟を鍛え上げていった。姉弟は期待通りに、否それ以上の能力を開花させ、特に弟の腕前は他に類を見ず、〈銀の鍵シルバー・キー〉と称えられるほどになった。弟の髪の色が珍しい銀髪だったからとも、師となった男が〈黄金の鍵〉と呼ばれていたからだ、ともいわれている。

 やがて長じた姉弟は、太った男やその知人たちが組織する〈組合〉の中でも、一目置かれる存在となるが、ある時悲劇が訪れる。

 弟が何者か獣憑きライカンスロープに噛まれたのである。遥か北方の町ラスカンからやってきた盗賊団の仕業ともいわれるが、詳細はわかっていない。

 姉は弟を救おうと必死になって、治療を施せそうな高位の僧侶クレリック治療師ヒーラーを探した。しかし、そうした人材はたまたま街から遠く離れていたり、伝手つてを辿る手段がなかったりして、なかなか手当ができなかった。

 業を煮やした姉は、街はずれに住む隠者に相談したのだった。隠者は古より治療薬として伝わるベラドンナウルフスベインの薬を処方した。しかし、である。ベラドンナの薬は獣憑きライカンスロピー感染の極初期段階しか効力を発揮しなかったのだ。しかも、ベラドンナは薬にもなるが紛れもない毒草でもあるので、弟は毒にさいなまれながらも呪いによって死ぬこともなく、拷問のような苦しみを味わったのだそうだ。まる一昼夜、地獄のような苦しみを耐えた弟は、最初の満月の夜、望まぬ変身を遂げると、そのまま〈組合〉を出奔して二度と帰らなかった。

 その後、いかなる経緯があったのか定かではないが、弟は〈組合〉によって粛清されてしまったのだそうだ。〈組合〉はどんな理由であれ足抜けを許さないのだ。

 その死を嘆き悲しんだ姉は、弟の為に小さな墓を建ててやった。ふたりがまだ幼かった頃、いつか街中に小さな家を買ってふたりで住もうと約束した、その街並みがよく見える丘の上に、その墓はあるのだという。


     *


 オレがその後、何処でどう過ごしてきたかというとだ。実は今もこの街、バルダーズ・ゲートに滞在している。あの蕎麦屋がある長屋にたまたま空き部屋があったので、借りてそのまま居座り続けているのである。部屋は狭いが、店賃たなちんは宿に滞在するよりも遥かに安い。しかも大家はあの蕎麦屋の親父である。

 オレは今日も今日とて、店主の親父と世間話をしながら、朝飯がわりに蕎麦を手繰たぐっているという具合である。


「……あのなァ、キクさん。儂は前々から気になってたんだが、この街ザ・ゲートは世界の果てってわけじゃないぞ」

「んなこたァわかってるぜ。この街から半日くらい船で下りゃァ、西方大陸フェイルーンの端っこに辿り着くんだろう?」

「そりゃあそうだが、〈ソード海シー・オブ・ソード〉の沖にも島々があるし、その遥か先には、エルフたちの〈常春の楽園エヴァーミート〉が浮かぶと聞くぜ」

「な、なんだってェ!? だって親父オヤッさん、この地図は先祖代々通事つうじを仰せつかった我家に伝わる……」

「そりゃあ、アレだな。その地図に描かれた端がこの街だったってだけだな」

「そんな、まさか……嘘だろ……なんてこったッ!」


 どうやら〈世界の果てワールズ・エンド〉を目指すオレの旅は、まだまだ終わらないようだ。


(菊と刀と蕎麦・了)

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菊と刀と蕎麦 猫丸 @nekowillow

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