其の漆

「……新手がきよったで。身を隠して、まずは向こうの出方を探るんや」


 そう声を押し殺して囁いたウィーゼルの身のこなしは、まるで大山猫リンクスのようにしなやかで隙がなかった。

 たたずまいとでもいうべきか。オレはかつて山中で、腹を空かせた大山猫に一晩中つけ回されたことを思い出して身震いした。小さな賭場とはいえ〈組合ザ・ギルド〉からを預かるだけのことはある、ということか。

 オレたちは〈地下の地下アンダー・セラー〉への入り口が隠されていると推測される壁面が見える位置、支道の暗がりに身を潜めて、薄明りに照らされた下水主道を監視していたのだった。

 ウィーゼルの警告後、しばらくして奥から現われたのは、明らかに皮膚を病に冒されていると思われる灰色の個体と、体毛が黒く通常より大きな個体の、二匹の〈巨大鼠ジャイアント・ラット〉であった。二匹はスンスンと鼻をひくつかせ、周囲を警戒しつつ数フィートおきに壁際の様子を探っている。人の痕跡や、食料の臭いを嗅ぎまわっているのかもしれない。まるでお互いの動きを援護カバーしあうかのように、行きつ戻りつ少しづつこちらへ向かってくる。どことなく人に訓練された動きを思わせた。

 しばらく様子を窺っていると、側道のある場所でそれまでとは異なる動きを見せ始めた。しきりに同じ場所の臭いを嗅ぎまわり、壁によりかって二足で立ち上がって辺りをキョロキョロと見回している。

 そして、二匹は猛然と壁の一部を齧り出したのである。ぼろぼろと表層の漆喰が剥がれ落ち、すぐに煉瓦の構造物が露になる。


「おい、あれを放置しておくのはまずいんじゃないか」

「しっ。静かに……が、すぐ近くにおる」


 小声で注意を呼びかけると、ウィーゼルは立てた人差し指を口許に引き寄せて、反対にオレに警戒を促した。

 ――と、その時である。ジャバジャバと汚水に濡れながら、中央の水路を歩く影が現れたのだ。

 背格好はヒューマンの子供くらいの大きさで、粗末な衣服から伸びた手足には薄汚れた体毛がびっしり。フードからのぞく顔はまさしく巨大鼠のそれだが、薄闇の中で双眸が怪しく赤く光った。腰には錆びた小剣ショート・ソードを吊るしているが、鼻と口を小刻みに動かしながら少し前かがみになって歩く姿はまさに獣である。人型生物と鼠を掛け合わせたような半獣人姿の、人鼠ワーラットが現れたのだ。


「そこか、よくやった……あとは、俺にまかせろ。くくくッ。ついに、ついに見つけたぞ……」


 人鼠はカチカチと歯を鳴らしながら、巨大鼠に共通語で言葉をかけた。二匹の巨大鼠はまるでその意を解したかのように喜び、足元にまとわりついている。げっ歯類ねずこうが大の苦手なオレはその仕草に、微笑ましさではなく気色の悪さを感じてしまう。

 「うげッ」と、思わず口をついて出てしまった小さな呟きを聞き逃さなかったのか、二匹の巨大鼠どもがこちらの方へ顔を向け、ガチガチと歯をこすりあわせて威嚇しはじめた。すまない。とてもじゃないが、お前らとは仲良くできそうな気がしない。


「……ハーフリングとハーフオークと……この臭いはヒューマンか。自分では手を下せず殺し屋でも雇ったか。そこに隠れているんだろう、ウィーゼル?」


 スンスンスンと鼻を鳴らし髭をひくつかせながら、人鼠は落ち着きはらってそういった。臭いで個体識別されたのもなんだか気にいらないし、こちらの出現を予期していたかのような口ぶりも気にかかる。


「俺を誘い出すために敢えてやっていたんだろう? これだけ鼠どもを殺されたら嫌でもわかる。せっかくのに台無しだ。さぁ、出て来いよ」


 獣を召喚サモン・ビーストする手段を持っているのか、人鼠は不穏なことをいった。もしそうだとすると、このままではバルダーズ・ゲート中が巨大鼠で溢れかねない。

 ウィーゼルの顔を見ると、決意を秘めた表情は硬く、極度の緊張が窺えた。ウィーゼルはオレを見つめ返して軽く頷くと、薄明りの下へと姿を現した。オレとバジャーも後に続く。


! もう、こんなことはやめるんや! 組織に逆ろうては、バルダーズ・ゲートでは生きてはいけん」

「やめろだって? ようやく〈組合〉に復讐する力と機会を手にしたんだぞ。この壁の奥でのうのうと酒を喰らい惰眠を貪っている連中に、ひと泡ふかせてやるまでは止められるわけないじゃないか」

「無益なことをするんやない。〈地下の地下〉や地上にかて堅気カタギの衆はおる。関係のない人らを巻きこんでまう。あんたひとりではどないもできん……わかってるやろ」

のためさ、多少の犠牲はやむを得ない。それに、俺ひとりだけで動いていたと思っていたのかい?」

「どういう意味や?」

「どんな汚い手を使ってでも、ってことさ……お前たち、姿を現せッ!」


 白鼬アーミンと呼ばれた人鼠がそう命じると、二匹の巨大鼠たちは姿を変じ始めた。すなわち人型生物と鼠が混ざった半獣人形態へと、である。人鼠は一体だけではなかったのだ。


「まさか…………しかも、子供を?」

「……仲間を増やしていたんだな」

「地下を彷徨っていた哀れな浮浪児たちを、俺が救ってやったのさ」


 まるで聖人のような口ぶりであるが、その顔には酷薄な笑みが浮かんでいる――ような気がした。虚勢を張っているとも受け取れるが、実際には本能に従っただけなのかもしれない。獣憑きにはそうやって仲間を増やしていく、本能的な野生があると聞く。灰と黒の二匹の人鼠はまだ変身に慣れていないのか、鋭い鉤爪を己の二の腕に喰いこませ、息も荒く苦しそうに悶えている。


「そんな……無理矢理に仲間に引き入れるなんて。なんちゅうことしてんねん」


 ウィーゼルは我がことのように、苦しそうに身を震わせている。


「なんと惨いことを。最早もはや許せぬ」


 こいつは、このまま放置しておくにはあまりにも危険な存在であると、オレも確信した――ならば不本意ではあるが、致し方あるまい。

 オレは刀の鯉口を切り、先祖伝来の名刀・神威奏弦カムイ・ソウゲンを抜き放った。上段に構えた刀を、ゆっくりと後ろへ倒しながら右肩へ担ぐように引き、蜻蛉トンボの構えへと転じる。

 へその下、丹田たんでんに力をこめて、深く吸った息を「コオォォォォォォオッ」とゆっくりと吐き出しながら、全身に血を巡らせて己の内なる力を解放してゆく。闘争本能ファイティング・スピリットを物理的な力へと変換する武士モノノフわざ。これぞ〈侍魂さむらいだましい〉である。


弐厳ジゲン流、秋津菊千代アキツ・キクチヨ。参るッ!」


 二匹の雑魚には目もくれず、

 汚水を飛び散らせながら一気に間合いをつめる。

 そして渾身の力をこめて刀を振り下ろした。

 オレの斬撃は確かに人鼠を切り裂いた。

 しかし――。

 肩口から脇腹まで走る傷口がすぐに塞がってしまう!

 致命傷を与えられぬどころか、傷跡すら残っていない。

 恐るべき再生能力。

 人鼠はさして痛がる様子もなく、カチカチカチと嘲笑うように歯を鳴らすと、錆だらけの小剣を抜いてオレを切りつけてきた。

 力まかせの雑な太刀筋だが、小柄な体格を生かしてこちらの下半身を狙ってくる。時折、具足を身に着けていない部位を狙って、鉤爪で切り裂いたり噛みつこうとしてくるのが厄介である。

 ウィーゼルとバジャーはこの為に用意した銀製の短剣ダガーを抜き、灰と黒の人鼠たちと切り結んでいるようだが、こちらも噛みつきを警戒してなかなか決着がつかないようであった。

 ウィーゼルは灰色の人鼠を相手にしながら、必死にアーミンに語りかけ続けた。身内のしでかした不始末を、嘆き悲しみながら、同時に怒ってもいた。いや、その声音はどこか子供を叱るようでもあった。


「なんでみたいな、可哀想な子供を増やすような真似してんねん。嘘ついて騙して連れてきたんか」

「嘘をついて騙したのはお前のほうだろう! 薬だと偽って毒を盛ったくせに!」

「違う、あれは……嘘やのうてホンマに……」

「呪いを解く方法はまだあったかも知れんのに、俺を殺そうとしたのはのほうやないか!」


 激高した人鼠は、眼前にいるオレを無視して横を通り過ぎ、ウィーゼルに襲いかかろうとした。オレの得物えものが魔法の武器ではないと油断していたのもあるだろう。

 しかし、オレの腰には二本の刀が差してある――波濤はとうに立ついわおの如く、その海の波風を読んで大小を使い分け、時にに振るう変幻自在の剣――それこそが弐厳流の極意。

 オレは左手で素早く脇差ワキザシの鯉口を切って、逆手に抜きざま、脇を通り過ぎようとした人鼠を斬りつけた。手応えあり。

 人鼠は突然襲ってきた傷の痛みに驚き、顔だけをこちらに振り向けた。「なぜ傷つけられた!?」という驚愕の表情を浮かべている。

 オレの左手に握られた脇差は魔法の霊気オーラを放ち光り輝いている。あの時――下水道に潜る前、ウィーゼルから手渡された魔法の香油は〈鋭さのオイルオイル・オブ・シャープネス〉であり――オレはそれを脇差に塗っておいたのだ。

 隙あり。無防備に晒された背中に、オレは怒涛の追撃を放つ。逆手に握った柄を手の中でクルリと回して順手に持ち替えると一閃、真横に薙ぎ払う。

 オレの無慈悲な一撃は確かに人鼠の体を切り裂いた。駆けていた人鼠はその衝撃にもんどりうって倒れこむが、血を吐きながら気丈にも立ち上がった。その瞳には憎悪の炎が宿っている。


「バラバラの細切れにして、鼠どもの餌にしてやるぞ貴様ッ!」


 怒りにまかせ呪詛の言葉を吐きだす人鼠。しかし、戦場いくさばでは常に周囲に気を配り、冷静さを欠いてはならない。激情に身をまかせては、致命的な隙を生む。

 その背後には――。

 人鼠を間に挟んで、オレとウィーゼルの視線が交差した。その瞳には哀切の念が宿っていた。

 不意に背後からドンとぶつかられた人鼠は、しばし呆然としたあと、音もなく膝から崩れ落ちた。

 ウィーゼルはそんな人鼠を、否おそらく実のの体を優しく受け止めてやり、頭を膝の上に載せてやった。人鼠の肉体が、人型生物と巨大鼠を掛けあわせたようなおぞましい半獣人から、ゆっくりと年若いハーフリングの姿へと戻ってゆく。やはり二人のハーフリングの顔立ちはよく似ていた。弟の髪の色は珍しい銀髪で、下水道の薄明りに照らされて白く輝いて見えた。

 眼をつむり不思議と穏やかな表情で、白鼬アーミンと呼ばれたハーフリングの少年は、最後に「姉ちゃん……」とだけ呟いて事切れた。

 その冷たく蒼ざめた顔を、姉の熱い涙が濡らした。


     *


 後に残された灰と黒の人鼠は、バジャーがひとりで片づけていたようだ。とはいっても、最後まで追いつめて殺すことはせず、二体とも気絶させて無力化したようだ。子供相手とはいえ、二体の人鼠を同時に相手にした上での手柄だから、これはほまれであるといえよう。

 いつまでも弟の亡骸から離れられないでいるウィーゼルと、その姿をそっと見守るバジャーを残し、オレはひとり下水道を後にした。

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