其の陸

「こんなところから覗いてやがったのか。手下どもを見張っていたのか知らんが、まったく、結構なご趣味だなァ」


 オレの声音がいささか怒気を含んでいたのは、賭場に潜んでいたの気配に気がつかなかった、己の不甲斐なさを誤魔化す為であったのかもしれない。

 夕陽があと少しでチオンター川の向こうへと沈もうかという頃、再び件の賭場へ赴くと、ウィーゼルはすでに地下へと潜る準備を整えて、オレを待っていたのだった。

 地下室の壁に張りつくように置かれていた棚の一部が移動しており、更に奥へと続く通路があらわになっていた。ウィーゼルが隠れてオレのを見ていたといったのは、この場所からだったのだろう。


「フン。うちがあの場に居合わせたんはたまたまやけど、まァ、そんなところや」


 鼻をひとつ鳴らし、ウィーゼルはまさにいたちのように、しなやかにオレの嫌味をスルリとかわして、真っ直ぐにオレを見据えた。


「……下水道に潜る前に話しておきたいことがある」

獣憑きライカインスロープへの対抗手段のことかい」

「その人鼠ワー・ラットのことや……あれはうちらのやねん。わけあって獣人と成り果てて、悪事を働くようになってもうた……」

「まさか、助けろっていうんじゃないだろうな。オレに呪いを解くことなんてできないぞ」

「高位の僧侶クレリックが〈解呪リムーヴ・カース〉の魔法を使こうても、本人に受け入れる気がなければ無駄や……だから最後に、もう一度だけ説得をしてみたいんや」

「説得ねェ。それで相手が聞き入れる可能性はあんのかい」

「まだ、少しは……あると思う」


 ウィーゼルは眉根を寄せ、苦しそうにいう。改心させることができる可能性は皆無ではないと、そう信じたいのだろう。相手が身内ということならば、その気持ちはわからなくはない。


「もし、それでもかったら、その時はこれを使つこうて楽にしてやって欲しい……」


 そういってハーフリングの娘はオレに小瓶を手渡した。トロリとした透明な液体の中に、輝く銀色の小片が浮かんでいる。魔法の香油オイルだ。


「……いいんだな、とどめをさしても」


 そういったオレを真っ直ぐに見つめかえす少女の瞳は、溢れんばかりの悲しみをたたええていた。


     *


 賭場から伸びる暗く狭い通路をしばらく進むと、不意に開けた空間が出現した。辺りに漂う腐った臭い。風はなく湿気を含んだ空気が淀んで、葡萄酒ワインおりのように堆積している。


「まさか、この先を進むのかよ……」


 そう小さく呟いたオレの眉間に刻まれた皺は、ドワーフの伝説の地下都市ミスラル・ホールに横たわるという、大地の裂け目グラウンド・リフトの如き深かさだったに違いあるまい。

 眼前には、悪臭を放ちながら汚水が淀み流れる下水道があった。オレは出発前に「程度でいいから、何か腹に入れるものを作ってくれないか」と店主の親父に頼んでみたのだが、「うちはしかやってねェ」とあっさりと切り捨てられていた。減りすぎて腹の虫も鳴くことを止めてしまったようだが、これほど悪臭凄まじい場所に潜るのだから、何も喰わなくて正解だったのかもしれない。

 ドワーフの仕事と思われる緻密な隧道トンネルは、幅およそ十五、六フィートほどで、石材と煉瓦で作られている。中央の溝を濁った水が流れ、両岸には一段高い側道があり、壁にはほのかな光を放つ石が所々に据えてあって、整備や点検を容易にする魔法の仕掛けなのだろうと思われた。

 ここはまだ広い主道だから、長靴や鎧を汚さず乾いた側道を歩くことができるが、この先、巨大鼠との近接戦となった時、いかなる事態になるのか考えるだにおぞましい。なぜこんな厄介事を引き受けてしまったのか、オレは早くも後悔していた。 

 すると、その後悔をあざ笑うかのように、前方の暗がりに光る双眸が見えた。犬猫などよりは遥かに大きな体躯で、長く伸びたひげをひくつかせながら、汚水に浮かぶ残飯を貪っている。巨大鼠ジャイアント・ラットだ。人を恐れる素振りも見せずに食事を続ける様に嫌悪を感じた。


「こいつらが蔓延はびこるせいで、溝鼠ドブネズミなんかは駆逐されてもうたんや。下水掃除夫たちもたびたび襲われとる」

「気色悪いな。手早く仕留めるぞ。逃がすと厄介だ」


 オレは刀を抜くとつかを両手で握り、切っ先を獲物に定め、つばが顔の横にくるまで刀を引いて半身に構えた。弐厳ジゲン流の基本となる型は諸手もろて操法である。

 そして、地面を滑るように素早く近づいて、刀を巨大鼠へと突き出した。確かな手ごたえ。刃は獣の体をスルリとつらぬく。

 巨大鼠はその痛みに残飯を取り落とし、ギィーギィーと大きな声で鳴いたが、ウィーゼルが投げ放った短剣ダガーが頭に突き刺さって絶命した。暴れて辺りに汚水をまき散らしたので、早くも鎧は泥水だらけとなった。

 足元の得体のしれないヌルリとした感触に、オレの嫌悪は増すばかりである。

 

「先へ進もう。こいつらの数を減らせば、必ずが出てくるはずや」


 ウィーゼルは鼠の頭蓋に突き刺さった短剣を抜きながら、なぜか自信を持ってそういった。

 この下水道は勝手知ったる庭なのか、ウィーゼルは迷うことなくスタスタと先を歩いていく。オレの背後からは、あの牙折れハーフオークが灯りのランタンを持って続き、前後を油断ならない相手に挟まれた状態なのが面白くない。穴熊バジャーという名のこの大男の、フゴォーフゴォーと荒い鼻息が、背後からたまに聞こえてくるのも不快である。川獺オッターと呼ばれた、もうひとりの細目の手下は、どうやら上で留守番らしい。

 途中で何度か巨大鼠と遭遇し、その度に切って捨ててきたが、その都度バジャーが鼠の尻尾を短剣で切り落とし、革袋につめていたのがなんとも不気味であった。数を把握する必要があるのだろうか。

 合計ですでに五、六匹は倒したはずだが、ウィーゼルは広い主道からより狭い支道をいくつか経由しつつ、どんどん奥へと進んでいく。どうやらあらかじめ向かうべき場所がわかっているようだ。

 方角から大雑把に判断すると、なだらかに傾斜する道を〈灰色港グレイ・ハーバー〉方面に降ったあと、再び〈市上層アッパー・シティ〉方面へと緩やかに昇っている。地図を描きながらでなければ、道に迷ってしまいかねない複雑な構造だ。


ザ・ゲートが腕の立つ石工いしくたちを使ってずっと整備を続けてきたから、この主道は広いし手入れも行き届いとる。けど、度重なる拡張工事で中は迷宮のようだから気をつけるんや。迷ったら下流、港方面を目指したらええ」

「ほう。ずいぶん詳しいな」

「まァ、昔ここに住んどったからな」

「はァ、嘘だろォ!? こんなところに!?」

「生きるために残飯だって、残飯をあさる溝鼠だって、何でも喰うたもんや」

「……どうやら冗談でいってるわけじゃなさそうだな」

は幼い頃に両親を亡くしてな。に拾われるまで、毎日必死に生きっとったんや」


 育ての親が非合法な商売に手を染めていただろうことは想像に難くないが、口にはださずにおいた。背後からいつ飛んでくるかわからない拳に警戒しながら歩くのも億劫である。オレはそっと後ろを振り返って、無遠慮にこちらを睨みつけてくるバジャーの顔色をうかがう。まァこいつも混血ハーフというだけで偏見の目に晒されたろうし、それなりの苦労も重ねているのだろう。相手を無闇に威嚇するのはどうかと思うが。

 ゆるやかな坂を登り切って〈市上層〉の下辺りに辿り着いたころだろうか、ウィーゼルは立ち止まってオレたちを制した。


「あのの向こうは〈地下の地下アンダー・セラー〉や」

「なんだそれは」

「〈市上層〉の足下に広がる地下の街や。ただの酒場もあるけど、賭場を兼ねた酒場もあるし非合法の品を扱う商店や娼館もある。もちろん〈組合ザ・ギルド〉の縄張りや」

「ほう。大都市の地下にもうひとつの街があるとはねェ」

「〈市上層〉から〈地下の地下〉へ降りる入口はいくつもあって、そのうちいくつかは公然の秘密になっとる。けど、下水道から侵入する通路は秘密の扉シークレット・ドアで隠されとる」

「つまり、このあたりのどこかに秘密の扉があると?」

「頑固なドワーフの石工が隠し扉を作って、生真面目なノームの職人が開閉装置をこしらえたから、まず何処にあるのかわからんし、たとえ場所がわかっても鍵がなければ開けられん……のやが」

「やが?」


 次第に奇妙な訛りアクセントにも慣れ始めたが、いったい誰に習った共通語なんだろうか。美しい発音ではないのだが、なぜか真似てしまう。


は〈組合〉から銀の鍵シルバー・キーと称えられたほどの錠前破りなんや」

「そんな腕利きなら鍵を開けちまうかもしれないって?」

「せや。奴は下水道掃除夫たちに危害を加えるだけやのうて、〈地下の地下〉への入口を開けようとしてんねん。秘密の扉は〈組合〉幹部しか知らへんし、その存在自体を他者に知られることを嫌うとる」

「秘密を暴露されるだけでも都合が悪いのに、鍵を破られて地下街へと侵入されたら目も当てられないわけか。よほど組織への恨みが深いんだろうな」

「恨まれている……やろうな、うちも〈組合〉も。もし奴が錠前を破って〈地下の地下〉へ侵入したり、中で巨大鼠と暴れでもしたら……それどころか、〈市上層〉へ鼠どもを引き連れて雪崩れ込もうものなら、市衛兵隊シティ・ウォッチも黙っちゃいない」

「最悪の場合、公権力に〈組合〉が潰されかねないと?」

「お互いにコトを構えるのは得策やないとわかっているし、権力側にも〈組合〉のはおる。ただ、いつまでも嗅がせたが効いてるわけやない。その最悪の事態を避けるためにも……」

「身内の不始末は身内に解決させるってわけかい」

「……そういうことや」


 そう答えたウィーゼルの瞳には、ついに覚悟を決めた者の、静かな意思の炎が宿っていた。

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