其の伍

「あ、あんたァ、本当に取り戻してくれたのかい……」


 オレが蕎麦屋へ麺切り包丁を持ち帰ると、店主の親父は斧嘴鳥アックス・ビークの如く目を丸くして驚いていた。震える手で麺切り包丁を捧げ持ちながら、目に薄っすらと涙さえ浮かべている。


「そんなに大事なモンだったかい? 麺切り包丁だろう……」


 そうオレが口にするや否や、親父は「なァにいってやがんでいッ!」と、こんどは血相を変えて怒り出す。泣いたり怒ったり、まったく忙しいことだ。


「……そしたら、あんたらおサムライが『武士の魂』といっている刀だって、人切り包丁じゃないか! それにこいつは、あの天國アマクニ作と伝わる業物だぞ」

「天國ィだあ!?」


 親父は眉間に皺を寄せ、口角泡を飛ばさんばかりに力説した。

 天國といえば、故郷くににおける作刀技術を編み出した開祖といわれる伝説の人物である。麺切り包丁なんぞ打つかァと訝しくは思ったが、オレに確かめる術はない。何より今はゼラチナス・キューブのように腹が空いていたので、疑問は口にせずにおいた。


「こいつをひと振りすりゃあなァ、やわいのかてェのどんな生地でも、蕎麦そばだろうが饂飩うどんだろうがどんな太さでも、かどのピイィンと立った美味い麺が出来上がるって寸法でい!」

「わかった、わかった。包丁の素性にゃ異論はねェよ。じゃあその逸品でよう、自慢のモリ蕎麦作ってくんな」


 石臼で蕎麦の実を挽いて粉にしていた親父は、ようやく仕事への意欲を取り戻したようで、オレにカウンター席につくよう促すと「儂からの礼じゃ、一杯奢ろう」といった。

 どうやら、ようやく飯にありつけそうである。オレはカウンター越しに親父の手さばきをっと見守った。


 こね鉢に挽いたばかりの蕎麦粉をふるい入れ、少しづつ加水しながら全体を馴染ませていく、水回し。

 次第に大くなる蕎麦玉をひとつにまとめ上げ、手早く何度もね上げて、滑らかなツヤコシを出す、り。

 へそのように突き出した先を押しつぶして丸く伸ばす、丸だし。続いて麺棒で四角い生地へと形を変えていく、角だし。更には厚みを薄く均一に伸ばしていく、本延しまで。


 その所作のひとつひとつが無駄なく洗練されていて、美しい。オレは驚き、感心し、感動に打ち震えていた。やはりこの親父、ただ者ではない。

 ――そんな風にオレが親父の手つきに見とれていた時だった。背後から、聞き覚えのある声が近づいてきたのである。


「……姉御こちらでさァ」

「あそこです。あのチンケな麺屋の親父が寄こした……」


 聞き覚えがあるというよりは、つい先ほどまで聞いていた声。オレは背中に悪寒が走るのを感じた。恐る恐る背後を振り返ってみる。

 果たしてそこには、肩を怒らせ足を踏み鳴らしながら近づいてくる、ヒューマンとハーフオークの姿があった。細目と牙折れである。

 ハァ、ようやく飯にありつけるって時に、面倒なことになってきやがった。


「やっぱりここにいやがったな、手前テメェ!」

「こんの野郎、よくもやってくれたなァ」


 冒頭のっけから悪意を全開に振りまく、懲りない奴らである。すわ、にきやがったのかと思いきや、


「やめな。誰彼かまわず噛みつくんやないって、いつもいってるやろ」

「けど、ウィーゼルのあねさん」

「だってよォ、姉御ォ」

 

 ――と、いきり立つ男たちをたしなめる女の声がした。

 不満の声を制しながら手下の背後から現われたのは、小さきものハーフリングという種族名が示すように身長は三フィートに満たない、まるでヒューマンの子供のように見えるであった。

 ウィーゼルの名(おそらく通り名なのだろう)が表すように明るい栗色の髪の毛、まだそばかすの残る幼い顔立ちは、我らヒューマンより長命な種族ながら、明らかに年若くみえる。


「手下どもがになったようやね」

「たいしたは受けてないさ」

は〈組合ザ・ギルド〉から、ここいらの賭場を預かっとるもんや」

「〈同職組合ギルド〉だってェ!? ……はァん。組合ってェのは〈盗賊組合シーブス・ギルド〉のことかい」

はその呼び名は使わない。ここいらで〈あのthe組合〉と呼ばれるんはうちらだけや」


 奇妙な訛りアクセントのある共通語ながら、女は落ち着いた口調で話した。なるほど、場数を踏んできた者の余裕が感じられる。手下に命を下すには十分な貫録を備えているというわけだ。見かけに騙されてはいけない、特に女は。


「その〈組合ザ・ギルド〉のお偉いさんがなんの用だい。イカサマには目をつぶってやったんだ、包丁の一本くらい返してもらってもかまわんだろう?」

「なにィ、い、い、イカサマぁ? 儂ァ、騙されとったんか!?」


 またもや怒りだす親父をなだめながら、相手の出方をみる。「せん」は弐厳ジゲン流の極意のひとつである。すると、意外なところから一撃が飛んできた。

 ハーフリングがピン!と指を弾くや、何かがオレに向かって放たれた。つぶてか暗器か。

 オレは瞬時に機動を見切り、それが顔にあたる寸前でつかみ取った。握った拳を開くとそこには、一枚の金貨ドラゴンがあった。これは――。


「その金は、あんたに返す。そこの親父がこしらえた借金も、棒引きにしてやってもいい」

「なんだと?」


 「ぼうびきィ?」と色めき立つ親父を押さえつけながら、オレは眉根を寄せ思案した。いくら破落戸ごろつきたちとは格が違うかしらとはいえ、気前が良すぎる。しかもオレは手下どもを痛めつけているのだ。むしろオレの方に非があると、難癖をつけてくると思ったのだが。


「……そのかわり」


 そらきた。やはり、だ。


「そのかわり、あんたにやってもらいたい仕事があるんや」

「仕事ってなんだい。盗みか、荒事か……どちらにしろ非合法な仕事なら……」

「その腕を見込んで、鼠退治を頼みたい」

「鼠?」

「そう……とても大きな、鼠や」


 ウィーゼルと呼ばれたハーフリングの女は、なぜか少しに答えた。


     *


「嫌だね、断る。あれはいつだったか、夜に沼地で野営した時だ。休んでいたところを野鼠に鼻を齧られそうになって以来、オレはげっ歯類ねずこうが大の苦手なんだ!」

「……そこを曲げて頼む」

「無理なんだよ! あの飛び出た歯をみるだけで背筋に寒気が走る」


 オレは申し出をすぐさま断った。親父が恨みがましそうな目でこちらを睨むが、知ったことではない。

 ウィーゼルの手下たちも、上役を前に罵詈雑言は吐かないが「姉さんの頼みを断るたァ、許せねえ」と、刺すような視線をオレへと向けてくる。


「あんたは、こいつらを一瞬でてもうた。うちは隠れてみててん」

「あの狭い賭場に隠れる場所なんかあったかァ?」

「あんたくらい腕が立つ剣士を、うちらは他に知らんねん……もうあまり時間がないんや。もし、もしもやで……この仕事が上手くいったら、許可証を返してやってもいい」

「許可証……って、なんだそりゃ」


 振り返って親父の方を見れば、突然に降って湧いた幸運に目を輝かせながら、


「本当か! 返してくれるんだな、〈大広場ザ・ワイド〉の営業許可証を!」


 ――と、大声で叫んだ。

 ははァ、そういうことか。最初に親父がいっていた「やる気がねェ」という事情には、こういう経緯があったわけだ。大方、博打でった借金のカタに、業物の包丁ばかりか出店許可まで渡してしまった、ということなのだろう。まったく、しょうがねェ親父だ。

 今度はオレがキッと睨むが、親父はオレとウィーゼルに交互に目を走らせつつ、すがるような視線を向けてくる。オイオイオイ、よしてくれよ。オレはただ腹が減っているだけなんだ。


「〈剣の海岸ソード・コースト〉にゃァ、『銅貨ニブを手に入れる仕事を始めたなら、金貨ドラゴンも手に入れよ』ってことわざがあるぜ」


 親父は悪びれずにそういう。「きっとあんたなら、んだろう?」と確信しているようですらある。オレは腕を組み、空を仰ぎ見ながら逡巡した。たった一杯の蕎麦を喰う為に、随分とややこしい話になってきた。


「乗り掛かった舟ってわけかい……」


 ここまできて飯にありつけないのもしゃくだし、コトを起こしながら途中で投げ出すというのも信条に反する――ならば不本意ではあるが、致し方あるまい。


「……はァ、よしわかった。仔細を話してみな。とりあえず話だけは聞いてやる」


 オレが溜め息混じりに小さく首肯すると、ウィーゼルは他の誰にも気づかれないように、ほんの少しだけ口の端を緩めた。


     *


 ウィーゼルのいう鼠退治とは、バルダーズ・ゲート市内の下水道に巣くう巨大鼠ジャイアント・ラットを駆除すること。その数は確認されているだけで五、六匹ほどで、最大でも十匹には満たないが、病気持ちの個体も混じっているらしく下水掃除夫たちも手を焼いているらしい。しかも更に厄介なことに、群れを人鼠ワー・ラットが統率しているというのだ。

 獣憑きライカンスロピーの呪いを受けた者は、荒ぶる獣性と恐ろしい再生能力を身につける。通常の兵具では致命傷を与えられず、魔法的な手段か銀の武器がなければ退治は困難だ。

 愛刀の神威奏弦カムイ・ソウゲンは業物ではあるが、そのどちらでもないから、何らかの対抗手段が必要となるが、さて――。


「誰か腕の立ちそうな、魔法の使い手マジック・ユーザーに心当たりがあるか? 魔術師ウィザード僧侶クレリックか」

「助っ人は他におらんけど、道具なら手配ずみや」

魔法の道具マジック・アイテムか? オレはカタナ以外は上手くつかええないぞ」

「それはわかっとる。夕刻までにあの賭場まできてくれるか」


 いつの間にか鼠退治をすけることになってしまったが、あの頼りない手下ふたりでは歯が立たないだろうし、オレは「おう」とだけ短く答えたのだった。

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