其の肆

「よう、待たせたな。今帰ったぜ」


 オレが鼻唄まじりに、両肩に大きな麻袋を担いで〈門外アウター・シティ〉の蕎麦屋へ戻ると、店主の親父は少々面喰ったようで、


「あんたァ、おサムライさんだったのかい」


 ――と、視線を何度も上下に動かしながら、値踏みするようにいった。


「おう……んまァ、未だ仕えるべき主君あるじはおらず、浪々ろうろうの身ではあるが、な」

「そういう身分てェのは、浪人ローニンというんじゃなかったかい」

「そうともいったかな。こいつは釣銭だ。荷運び賃はおくよ」


 そういって、釣りの硬貨をカウンターに置くと、親父は鼻先でフンとわらった。早速、蕎麦がつまった麻袋の封を解いて、中身をみせてやる。

 親父は真剣な眼差しで蕎麦殻をつぶして中身を取り出すと、指先についた白い蕎麦粉をペロリと味見した。


「うん……悪くねェ。だがなァ……」


 ちらりとこちらにる視線には、まだ不審の色が見て取れる。「何故そこまでして他人に係ろうとする」と眼がいっている。そうだなァ、オレは腹が減ってるんだといっても、納得はしないだろうが。


「さて、これで材料は揃ったか。あとはなんだったか……そうか、包丁だったな。料理人にとっちゃ大事なもんだろう、どこかでなくしたのか」

「いや、まァ、そのなんだ……」


 親父はいい辛そうにモゾモゾとしている。これは何か容易ならざる事態が出来しゅったいしたんだなと、すぐにわかった。料理人が大事な商売道具をなくす――男が身持ちを崩すといえば、酒か女か、あるいは。


「大酒かっ喰らった挙句に、酔っ払ってどこかで落っことしてきたかい」

「いやァ、そんなんじゃねェ」

「なら女……絡みで包丁が出てくるなら、今頃は刃傷沙汰にんじょうざたか」

「儂がなくしたのは麺切り包丁だわい」


 麺切り包丁で人を切りつけるというのも難儀な話だ。となると。


「なら博打ばくちかい。借金のカタに持っていかれたとか……」


 親父の目の色がサッと変わった。驚いたような、怯えたような、それでいてどこか安心したような。

 なるほどな、そういうことか。


賭場とばはどこにあるんだ」

「えッ!?」

「博打でったんだろう。どこで打って幾ら負けたんだ」

「違う……いや、違わねェが……」

遊戯札カードかい、骰子サイコロかい、それとも動物の競争レースかい? 走らせたり戦わせたり」

「……骰子をちょっとばかり、な」

「ほう、珍しいな。こっちじゃ遊戯札のほうが主流だと思ったがな」

「そうなんだ。儂も故郷くにが懐かしくなって、ついな。最初は調子が良かったんだ。儲けが種銭たねせんの倍くらいになって……けどそこから急に負けが続いて、取り返そうと躍起になって、気がついたら……」


 重い口をようやく開いた親父は、堰を切ったように話はじめた。

 酒場でホロ酔い気分のところに声をかけられ、ついていった先で小博打を打つ。最初は気持ちよく勝たせてもらえるが、調子に乗って大きく賭けようとすると途端に負け始める。躍起になって取り返そうとするが深みにまるばかり。気がついた時には、借銭しゃくせんが到底返せぬほどに大きくなっている。

 博打で大損する素人の典型だが――あるいは、狙われてカモられたのかもしれない。


「そうか、わかった。じゃあ、賭場の場所を教えてくんな」

「そりゃいいが、奴ら堅気かたぎじゃねェぜ。返してくれっていって、ハイ、そうですかといくかどうか」

「職人から商売道具奪っちゃ、返せる金も返せなくなるだろう。仕事ができなくなるんだから。談判だんぱん次第じゃ、くらいはできると思うがな」

交渉ねェ……」


 再びオレの恰好なりを疑わし気に眺めて、


「はァ、どんな交渉をするつもりなんだか……せめて、そのお面は外していきな」


 ――と、親父は溜息まじりにいった。


     *


 その酒場は〈石蜥蜴門バジリスク・ゲート〉近くにあって、巨大な花崗岩の岩山〈塵鷹の丘ダストホーク・ヒル〉に寄りかかるように建っていた。看板などは見当たらず、店名などは定かではない。

 オレは「邪魔するぜ」と一声かけて、鍵のかかっていない扉を開けた。

 薄暗い店内はいかにも大衆向けの安酒場といった作りで、テーブル席がいくつかとカウンター席が五席ほど。カウンター後ろの棚には酒瓶が並んでいるが、どれも庶民用――つまり値段は安いが手っ取り早く酔っ払える類の品ばかりである。辺りには気の抜けたエールの香りと、刻み煙草の匂いと、灯りの獣油が焦げた臭いが入り混じって堆積している。〈門外アウター・シティ〉にある他の建物と同じく外観は粗末ではあるものの、長年ここにあって庶民の喉を潤しささやかな娯楽を提供してきたようだ。案外、良い店なのかもしれない。

 蕎麦屋の親父の話では、酒場の雇われ主人と女給仕がいるはずだが、今は姿がみえない。普段は夕方からしか開けないらしいから、まだ店には来てはいないのだろう。他に人の気配は感じられない。

 この店の奥に――カウンター脇の階段を降りて行った先に――くだんの賭博はあるらしい。ここに目的のものが、借金のカタに奪われた包丁があるはずなのだが――そもそも親父の愛用している包丁そのものでなくとも、代わりの包丁が用意できれば調理自体はできるはずで、というのは――まァ、言い訳なのだろう。ならば、詳しい事情を聴いた上で、賭けの胴元とをつける必要がありそうだ。

 オレはそっと地下へと続く階段を降りて行った。


     *


 堅い花崗岩を削りだしたままの階段を降り切ると、そこは酒瓶や食料がつまった木箱が置かれた狭い倉庫となっていて、更に奥へと続く扉がある。

 扉越しに中の様子を探ると、かすかに人の気配がする。

 ゆっくりと扉を開け部屋の中に入る。

 大きさは上階の半分ほど。

 博打に使うのであろう円卓がふたつ。

 壁の一面には棚が備えつけてあって、酒瓶やら遊戯版ゲームボードやら遊戯札が置かれている。

 ――そして、明らかに堅気とは思えない強面こわもての男たちがふたりいた。

 テーブルに突っ伏してだらしなく寝こけるハーフオークの大男がひとり。長椅子に横たわって静かな寝息をたてているヒューマンの男がひとり。ハーフオークの唇から突き出た犬歯は欠けていて、もうひとりは右目の脇に白い傷痕が走っている。荒事もいる証拠だ。

 床には酒瓶が転がっており、酔いつぶれて寝てしまったようだが、聞くまでもなくこいつらがこの賭場を預かっているのだろう。親父の話によれば、ひとりがディーラーでひとりが用心棒ということだった。

 牙折れのハーフオークが覆いかぶさる卓上には、博打で使われると思しき骰子が幾つか転がっている。オレはそっとテーブルに近づき、そのひとつを手に取って仔細に観察してみた。材質は動物の牙か骨のようだが――フム、これは。事情を聞くまでもないかもしれない。


「……何だ、テメエは!?」

「んんン、どうした、兄貴ィ……だ、誰だオメエ!」


 長椅子で寝ていた男が不意に起き上がって誰何すいかの声を上げた。細い目にはあからさまな不審の色が浮かんでいる。兄貴分の声に目を覚ましたハーフオークも、目の前にいるオレに気がついて驚き、すぐさま立ち上がった。


「ああ、オレは……蕎麦屋の客、いやまァ、この賭場に借りがある者の代理ってところだ」


 オレは顎に指を添え首を傾げつつ答えた。我ながら奇妙な返答であるが、まぎれもない真実ではある。


「ハァ、蕎麦? 何しにきやがった。まだ営業はしてねェんだよ、さっさと帰んな!」

「遊びにきたわけじゃないんだ。そいつを返してもらおうか」


 棚の上に、これみよがしに、まるで戦利品トロフィーのように飾られた麺切り包丁を指差して、オレはいった。


「あああァん!? こいつはいわばだ。『返してください』といわれて、『ハイどうぞ』って渡すわけねェだろうが、ボケッ!」


 牙折れのハーフオークが、文字通り牙を剥きだしにして凄んだ。荒事は手慣れているのだろう、場数を踏んだ者の余裕が感じられる。こんな、脅せばすぐ逃げ帰るだろうと思っているのだろうか。やれやれ、見くびられたもんだぜ。


で巻き上げた借金のカタだろう。ひとめで判ったぜッ……っとォ!」


 オレは素早く鞘の内側に仕込んだ小柄コヅカを抜き、卓上に無造作に転がっていた骰子サイコロのひとつを斬った。骰子は綺麗に二つに割れ中身があらわになる。内側は空洞になっており、しかも面の厚みが違っていた。特定の目を出やすくする、グラさいというイカサマ骰子である。

 細目は露骨に「しまった」という表情を見せ、


は出しっぱなしにしておくんじゃねえといっただろ!」


 ――と、牙折れにむかって怒鳴った。

 親父の話を聞いて最初から疑っていたが、やはりイカサマ賭博だったのだ。よく見ればテーブルには他にも四五六賽(四・五・六がそれぞれ二面づつあるイカサマ骰子)も転がっている。こうした手練手管てれんてくだを使って酔客を騙し、していたんだろう。酔っ払いほど金離れが良く騙しやすい相手もいない。


「おうおう、どうしてくれるんだ。胴元がイカサマで客から金を巻き上げるとは」

「チッ……うるせぇ! と見抜けない奴がマヌケなんだよッ!」


 細目の向こう傷が、居直って無茶苦茶なことをいう。それは強者の論理というヤツだが、博徒ばくとの間では、まァ常識なのだろう。そこでオレは少々、下出にでてみることにした。


「それが仕事シノギのお前たちには、当たり前なのかもしれないがなァ。職人から商売道具を取り上げちゃあ、借金を返す手立てもなくなっちまうだろ。返す金を稼ぐためにも、返してやってくれよ、その包丁」

「駄目だね! 本人が頭を下げにくるならともかく、代理を寄こしたのが気に入らん……それに、俺はテメエみてえな意気イキった野郎が大ッ嫌いだ。だから、いくら頼もうが無駄なんだよ」

「そうだ、そうだ、兄貴のいうとおりだ。オイラも無駄がキライだ」


 牙折れが細目に追従して威嚇するような大声を出す。コイツらには堅気カタギの衆を相手に、脅すという手段以外は思い浮かばないのか。まったく――呆れ果てた奴らだぜ。


ってんなら……力ずくで奪ってみせろよ、ええ?」


 細目は眉間に皺をよせ、静かに凄んでみせた。手にはいつの間にか鈍く光る短剣ダガーが握られている。


「オイオイ、無闇に刃物を抜くんじゃねェよ、気の短い奴だな。隣のデカブツも引っ込みがつなかくなるだろう」


 牙折れはこれみよがしにバキボキと指を組んで鳴らし、丸太のように太い腕に青筋を浮かばせている。卓上での細かい手技よりは、どうみても腕力に物をのが本業のようだ。鼻息荒くいきりたっている。

 そちらがその気ならば――不本意ではあるが、致し方あるまい。

 狭い室内、長物を振り回すのは、いかにも不利な状況ではある。そこでオレは脇差ワキザシの鞘を左手で握り、右手をそっと柄に添えた。

 オレの剣術は、弐厳ジゲン流――波濤はとうに立ついわおの如く、その波風じょうきょうを読んで大刀も小刀も使い分ける、変幻自在の剣――多勢を相手にする時も、怯むことはない。

 腰を落として、親指で鍔を弾くように鯉口こいくちを、切った。


「先に抜いたのは、そちらだぞ」

「減らず口を叩けなくしてやるぜ!」


 細目が牙折れに視線で合図を送った。ふたりはゆっくりと左右に分かれてオレを囲む布陣を取る。どちらにも油断なく気を遣り、動きを、待つ。


 牙折れがゴクリと喉を鳴らした、その刹那――。


 細目が逆手に隠し持っていた投げ矢ダーツを放ってきた。

 オレは脇差を抜きざまに刀身で弾き、刃を返す。

 繰り出された短剣の突きを、刀の峰で叩き落とした。

 細目は衝撃に腕を痛めて片膝をつく。

 背後から迫る牙折れの殺気を感じ、咄嗟に体を沈めた。

 頭のすぐ上を、薙ぐように鉄拳が過ぎる。

 沈ませた体を半回転しながら、脛を激しく打つ。

 牙折れは呻き声を漏らしながら体を折った。

 怯んだ隙に脇をすり抜け、首筋に怒涛の一撃を見舞う。


 ――バタリ、と巨体が床に倒れ伏した。

 オレはパチリと音を鳴らし、脇差を鞘に仕舞った。


「こいつァ、返済の足しにしてくんな!」


 ――そういってオレが投げた一金貨ドラゴンは、くるくる円を描くように転がってテーブルの上に倒れた。

 オレは棚に飾られた麺切り包丁をつかむと、低い呻き声を上げる細目と気絶した牙折れを後に残して、素早く賭場から立ち去った。

 扉が閉まる間際、細目が何か怨みの言葉を吐いたようだったが、生憎とよく聞こえなかった。

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