其の四
「よう、待たせたな。今帰ったぜ」
オレが鼻唄まじりに、両肩に大きな麻袋を担いで〈
「あんたァ、お
――と、視線を何度も上下に動かしながら、値踏みするようにいった。
「おう……んまァ、未だ仕えるべき
「そういう身分てェのは、
「そうともいったかな。こいつは釣銭だ。荷運び賃はまけておくよ」
そういって、釣りの硬貨をカウンターに置くと、親父は鼻先でフンと
親父は真剣な眼差しで蕎麦殻をつぶして中身を取り出すと、指先についた白い蕎麦粉をペロリと味見した。
「うん……悪くねェ。だがなァ……」
ちらりとこちらに
「さて、これで材料は揃ったか。あとはなんだったか……そうか、包丁だったな。料理人にとっちゃ大事なもんだろう、どこかでなくしたのか」
「いや、まァ、そのなんだ……」
親父はいい辛そうにモゾモゾとしている。これは何か容易ならざる事態が
「大酒かっ喰らった挙句に、酔っ払ってどこかで落っことしてきたかい」
「いやァ、そんなんじゃねェ」
「なら女……絡みで包丁が出てくるなら、今頃は
「儂がなくしたのは麺切り包丁だわい」
麺切り包丁で人を切りつけるというのも難儀な話だ。となると。
「なら
親父の目の色がサッと変わった。驚いたような、怯えたような、それでいてどこか安心したような。
なるほどな、そういうことか。
「
「えッ!?」
「博打で
「違う……いや、違わねェが……」
「
「……骰子をちょっとばかり、な」
「ほう、珍しいな。こっちじゃ遊戯札のほうが主流だと思ったがな」
「そうなんだ。儂も
重い口をようやく開いた親父は、堰を切ったように話はじめた。
酒場でホロ酔い気分のところに声をかけられ、ついていった先で小博打を打つ。最初は気持ちよく勝たせてもらえるが、調子に乗って大きく賭けようとすると途端に負け始める。躍起になって取り返そうとするが深みに
博打で大損する素人の典型だが――あるいは、狙われて
「そうか、わかった。じゃあ、賭場の場所を教えてくんな」
「そりゃいいが、奴ら
「職人から商売道具奪っちゃ、返せる金も返せなくなるだろう。仕事ができなくなるんだから。
「借りる交渉ねェ……」
再びオレの
「はァ、どんな交渉をするつもりなんだか……せめて、そのお面は外していきな」
――と、親父は溜息まじりにいった。
*
その酒場は〈
オレは「邪魔するぜ」と一声かけて、鍵のかかっていない扉を開けた。
薄暗い店内はいかにも大衆向けの安酒場といった飾らない作りで、テーブル席がいくつかとカウンター席が五席ほど。カウンター後ろの棚には酒瓶が並んでいるが、どれも庶民用――つまり値段は安いが手っ取り早く酔っ払える類の品ばかりである。辺りには気の抜けたエールの香りと、刻み煙草の匂いと、灯りの獣油が焦げた臭いが入り混じって堆積している。〈
蕎麦屋の親父の話では、酒場の雇われ主人と女給仕がいるはずだが、今は姿がみえない。普段は夕方からしか開けないらしいから、まだ店には来てはいないのだろう。他に人の気配は感じられない。
この店の奥に――カウンター脇の階段を降りて行った先に――
オレはそっと地下へと続く階段を降りて行った。
*
堅い花崗岩を削りだしたままの階段を降り切ると、そこは酒瓶や食料がつまった木箱が置かれた狭い倉庫となっていて、更に奥へと続く扉がある。
扉越しに中の様子を探ると、かすかに人の気配がする。
ゆっくりと扉を開け部屋の中に入る。
大きさは上階の半分ほど。
博打に使うのであろう円卓がふたつ。
壁の一面には棚が備えつけてあって、酒瓶やら
――そして、明らかに堅気とは思えない
テーブルに突っ伏してだらしなく寝こけるハーフオークの大男がひとり。長椅子に横たわって静かな寝息をたてているヒューマンの男がひとり。ハーフオークの唇から突き出た犬歯は欠けていて、もうひとりは右目の脇に白い傷痕が走っている。荒事も手慣れている証拠だ。
床には酒瓶が転がっており、酔いつぶれて寝てしまったようだが、聞くまでもなくこいつらがこの賭場を預かっているのだろう。親父の話によれば、ひとりがディーラーでひとりが用心棒ということだった。
牙折れのハーフオークが覆いかぶさる卓上には、博打で使われると思しき骰子が幾つか転がっている。オレはそっとテーブルに近づき、そのひとつを手に取って仔細に観察してみた。材質は動物の牙か骨のようだが――フム、これは。事情を聞くまでもないかもしれない。
「……何だ、テメエは!?」
「んんン、どうした、兄貴ィ……だ、誰だオメエ!」
長椅子で寝ていた男が不意に起き上がって
「ああ、オレは……蕎麦屋の客、いやまァ、この賭場に借りがある者の代理ってところだ」
オレは顎に指を添え首を傾げつつ答えた。我ながら奇妙な返答であるが、まぎれもない真実ではある。
「ハァ、蕎麦? 何しにきやがった。まだ営業はしてねェんだよ、さっさと帰んな!」
「遊びにきたわけじゃないんだ。そいつを返してもらおうか」
棚の上に、これみよがしに、まるで
「あああァん!? こいつはいわば質草だ。『返してください』といわれて、『ハイどうぞ』って渡すわけねェだろうが、ボケッ!」
牙折れのハーフオークが、文字通り牙を剥きだしにして凄んだ。荒事は手慣れているのだろう、場数を踏んだ者の余裕が感じられる。こんなちっこい奴、脅せばすぐ逃げ帰るだろうと思っているのだろうか。やれやれ、見くびられたもんだぜ。
「イカサマで巻き上げた借金の
オレは素早く鞘の内側に仕込んだ
細目は露骨に「しまった」という表情を見せ、
「道具は出しっぱなしにしておくんじゃねえといっただろ!」
――と、牙折れにむかって怒鳴った。
親父の話を聞いて最初から疑っていたが、やはりイカサマ賭博だったのだ。よく見ればテーブルには他にも四五六賽(四・五・六がそれぞれ二面づつあるイカサマ骰子)も転がっている。こうした
「おうおう、どうしてくれるんだ。胴元がイカサマで客から金を巻き上げるとは」
「チッ……うるせぇ! サマと見抜けない奴がマヌケなんだよッ!」
細目の向こう傷が、居直って無茶苦茶なことをいう。それは強者の論理というヤツだが、
「それが
「駄目だね! 本人が頭を下げにくるならともかく、代理を寄こしたのが気に入らん……それに、俺はテメエみてえな
「そうだ、そうだ、兄貴のいうとおりだ。オイラも無駄がキライだ」
牙折れが細目に追従して威嚇するような大声を出す。コイツらには
「どうしてもってんなら……力ずくで奪ってみせろよ、ええ?」
細目は眉間に皺をよせ、静かに凄んでみせた。手にはいつの間にか鈍く光る
「オイオイ、無闇に刃物を抜くんじゃねェよ、気の短い奴だな。隣のデカブツも引っ込みがつなかくなるだろう」
牙折れはこれみよがしにバキボキと指を組んで鳴らし、丸太のように太い腕に青筋を浮かばせている。卓上での細かい手技よりは、どうみても腕力に物をいわすのが本業のようだ。鼻息荒くいきりたっている。
そちらがその気ならば――不本意ではあるが、致し方あるまい。
狭い室内、長物を振り回すのは、いかにも不利な状況ではある。そこでオレは
オレの剣術は、
腰を落として、親指で鍔を弾くように
「先に抜いたのは、そちらだぞ」
「減らず口を叩けなくしてやるぜ!」
細目が牙折れに視線で合図を送った。ふたりはゆっくりと左右に分かれてオレを囲む布陣を取る。どちらにも油断なく気を遣り、動きを、待つ。
牙折れがゴクリと喉を鳴らした、その刹那――。
細目が逆手に隠し持っていた
オレは脇差を抜きざまに刀身で弾き、刃を返す。
繰り出された短剣の突きを、刀の峰で叩き落とした。
細目は衝撃に腕を痛めて片膝をつく。
背後から迫る牙折れの殺気を感じ、咄嗟に体を沈めた。
頭のすぐ上を、薙ぐように鉄拳が過ぎる。
沈ませた体を半回転しながら、脛を激しく打つ。
牙折れは呻き声を漏らしながら体を折った。
怯んだ隙に脇をすり抜け、首筋に怒涛の一撃を見舞う。
――バタリ、と巨体が床に倒れ伏した。
オレはパチリと音を鳴らし、脇差を鞘に仕舞った。
「こいつァ、返済の足しにしてくんな!」
――そういってオレが投げた一
オレは棚に飾られた麺切り包丁をつかむと、低い呻き声を上げる細目と気絶した牙折れを後に残して、素早く賭場から立ち去った。
扉が閉まる間際、細目が何か怨みの言葉を吐いたようだったが、生憎とよく聞こえなかった。
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