其の三

「はッ! なんとまァ、大きな市場いちばだこりゃァ」


 オレは思わず、人喰い鬼オーガの如く大口を開けて驚嘆の声を洩らしていた。商人ハキームの勧めに素直に従って、オレは〈大広場ザ・ワイド〉へと仕入れにやって来たのだった。

 「期待はするな」といわれていた〈バルダーの門バルダーズ・ゲート〉は、街の創設時からあるという古い壁と石作りの門で、やはり「まァ、こんなものか」という程度の感慨しか抱けなかったが、潜る時には目つきの悪い衛兵にしっかりと銅貨ニブ二枚を徴収された。懐の硬貨袋がますます軽くなっていく。

 と呼ばれるだけあって、巨大な市場で占められたこの一角は、〈門外アウター・シティ〉に劣らない市民の熱気で溢れていた。市場のあちこちに色とりどりの天幕が立ち並び、穀物や野菜などの食料品、刻み煙草や酒などの嗜好品、香辛料や香料などの贅沢品、果ては衣類に武器や防具(しかもヒューマン、エルフ、ドワーフ等々あらゆる種族用)が売り買いされている。

 食物といえば、香辛料を効かせた肉の串焼きや、港で水揚げされたのであろう海産物を煮込んだスープを売る屋台もあって、不覚にもまた腹がグウウと犬のような唸り声を上げた。買った軽食や飲料を座って飲み食いする椅子とテーブルも各所に用意されていて、あちこちで食事を楽しみながら商談やら街の噂話やらに花が咲いている。

 広場の隅では、金を取って簡単な魔法をまじなう魔術師や、星みの占星術師などが天幕を張っているし、逆さにした木箱に登って下手くそなリュートを奏でる吟遊詩人は「心のこもった手紙」を書く代書屋なのだそうだ。

 とにかく〈大広場〉には、物でも人の奉仕サービスでも「売ってないものがない」というのが適切で、市場中を人波が黒い影の如く蠢いておりとどまるところを知らない。〈門外アウター・シティ〉の粗野で荒っぽい活気とはまた別な、整然とした無秩序とでもいうべき場所である。

 その活力にオレも負けじと一歩を踏み出すと、いきなり、買物中らしきヒューマンのご婦人に足の甲を踏まれた。


「あーら、ごめんあそばせ」


 ――と、謝罪の言葉もあればこそ、痛みによろめいた先で今度は背後からドンッという衝撃があって、


「やだァもう、邪魔ねェ」


 ――と、材料調達に来たのであろうドワーフ職人の巨大な尻に突き飛ばされて、頭から地面に倒れこんでしまう。

 すると、そこへ急ぎ足のハーフオーク配達屋がやってきて、ドスッという鈍い音とともに、


「あッ、踏んじまった。すまねえな」


 ――と、オレを足蹴にして行き、去り際にそんなところで寝てると怪我するぞ忠告をのたまう。

 上品そうな黒猫がどこからともなく現れて、倒れ伏したままのオレに憐れむような声音で、


「にゃぁ」


 ――と、ひと鳴きした。

 グヌヌヌ、なんという醜態か。


 西方大陸フェイルーン剣の海岸ソード・コーストに住まう人々と比べれば、小兵こひょうで存在感の薄いオレなどは、人波にのまれて溺れてしまいそうだ。

 これでは見つけられるものも、なかなか見つけられぬかも知れぬ。


     *


 そこでオレは一計を案じた――遥か東方大陸カラ・トゥアの人々を、西方大陸人は知る由もない。ましてや鎖国を続ける〈〉国人となればなおさらだ。故郷を離れて西へ下るにつれ、奇異の目で見られることが多くなった。これを逆手さかてにとってみてはどうか――オレは旅装を解いて、敢えて衆目の視線に晒されることにした。


 フードつきの外衣マントを脱ぎさり、あらわになるのは赤き具足ぐそく

 腰には名工神威奏弦カムイ・ソウゲンの業物を、刀と脇差の二本差し。

 額には鉢金はちがね月代さかやきを剃らない総髪を後ろで


 そして――悪戯心が沸いたオレは、背嚢バックパックから赤鬼をかたどった面頬めんほおを取り出し身に着けた。今まさに出陣せんとする武者モノノフの如き物々しい出で立ちであるが、周囲に与える影響は絶大であった。

 その効果たるや、である。まず目が合ったヒューマンの女は「ひッ」と小さな悲鳴を上げたし、手を握って歩いていた娘らしき少女は目に薄っすらと涙を浮かべている。

 ――そんなに怖い恰好なのか。

 前方よりこちらへ歩いてくる者たちは皆オレを避けるし、周囲の不審な視線に気がついた者たちもまた、オレに気づくとあんぐりと口を開けて驚きの表情を浮かべる。よほど珍しいのか、「ショウ人か?」「イヤ、オニとかいう怪物なんじゃないか」なんていう囁きも耳にした。

 ――しかし、凡そだれからも声をかけられない。

 古の大魔法使いが、杖の一振りで大海をふたつに割り、歩いて海を渡ったという御伽噺おとぎばなしの如く、オレが行く先には人波が二つに分かれ眼前には道ができるのだった。

 ――なんとも便利な事である。

 これで足を踏まれて顔をしかめることも、押されて転び怪我をする恐れも、道を塞がれて先へ進めぬ心配もあるまい。

 驚きと呆れと僅かな恐怖が、奇妙な空気の障壁とでもいうべき隙間を作り、賑わう市場の中にあってもオレの周囲だけは、なんだか妙に静かな気がした。 


     *


「えッ!? あんた、もしかしてショウ人かい? カラ・トゥアから来なさった?」


 オレの姿を見るなり、粉屋の店主は矢継ぎ早にそういった。

 まァ、これが東方大陸カラ・トゥア人を見かけた西方大陸フェイルーン人の一般的な反応である。彼らにしてみれば、東方各地に住まう民族の違いなど気にはならず、出身国がどこであっても大抵ショウ人と呼ばれる。小さな島国である、〈倭〉国となればなおのこと。


「ふむ。まァ、そんなところだ」

「ヘえぇぇェ! ショウ人のお客さんとは、珍しいねェ」


 いちいち勘違いを訂正しても仕方がないので、オレはいつもそう曖昧に答える。人生においては、妥協の精神と寛容の心がきもであると心得ている。それが世間を上手く渡るための、そう処世術――イヤ、今はそんなことよりも重要なことがある。


「それで、何が入り用なんだい。うちは小麦、大麦、ライ麦、燕麦エンバク。珍しいところでカラ・トゥアの米まで、粉になるモンなら手広く扱っているよ」

「市場をあちこち聞いて周ってきたんだ。ここで新鮮な蕎麦の実が手に入るってな。オレにも売ってくれないか」

「蕎麦ねェ。ああ、もちろん構わないが――それより、仕入れたばかりの乾麺もあるぜ。こいつでどうだい」


 店主はそういって店の戸棚から、〈倭〉の蕎麦やら〈小桜コザクラ〉の饂飩うどんやら〈ショウ・ルン〉の拉麺ラーメンなど、束になった乾麺を取り出してきた。いずれも一束十五金貨ドラゴンと値が張る代物ばかりだ。こうしてみると、蕎麦屋の親父が一杯三金貨の値をつけているのも、まんざらばかりではなさそうだ。風体からして料理人でも下働きでもないと踏み、オレが欲しているのは材料ではなく、故郷の味なのだろうと察したようだが、


「ああ、いや違うんだ。まだいていない実が欲しいんだよ」


 ――オレはそう断り、山と積まれた麻袋の方を指差した。まァ、故郷の味が懐かしくなったからといって、わざわざ材料から仕入れにやってくるとは思うまい。


「そうかい。じゃあ良いのがあるよ。今朝、近隣の村から仕入れたばかりさ。粒の揃った上物だよ」

「おう、じゃあそいつを二袋もらおう」

「毎度あり……でも、アンタひとりで大丈夫かい。一袋、六十ポンドはあるよ。荷運び屋を呼ぶこともできるけれど?」

「心配、御無用」


 親父から預かった(もとはオレの金ではるが)金貨で支払いを済ませると、オレは肩に一袋づつ、ひょいひょいと蕎麦の麻袋を担ぎ上げた。粉屋の店主はホォォォウと驚きとも賞賛ともつかない声を上げた。小兵ゆえ侮られがちではあるが、子供ガキの時分から腕っ節には自信があるのだ。

 こうしてオレは意気揚々と、〈大広場〉の市場を後にしたのである。

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