最終話 もう限界
クズ野郎から逃れた私たちは、そのまま走って、人気のない校舎の片隅までやってきたところで、足を止める。
と言うか、私が疲れて走れなくなった。
ゼーゼーと息をきらせながら、それでもさっきから思っていたことを聞いてみる。
「明日香、どうしてあそこにいたの?」
「クラスの子に、千里が西川くんを呼び出したって聞いて、様子見に行った」
「な、なんで?」
またしても、嫌な記憶が蘇る。中学の頃そんな言葉が出てくると、決まって私が、男を誘惑しただのという、尾ひれがついていた。
けれど、今回は違った。
「千里、もしかしたら西川くんの悪い噂を聞いて、揉めてるんじゃないかって思って」
「悪い噂って、まさか明日香、あいつが浮気してること知ってたの!?」
思わず叫ぶと、明日香は少しだけバツの悪そうな顔をする。
「噂でね。それに、デートした時もちょっと会うだけですぐに解散するし、おかしいかもって、ちょっと思ってた」
そうだったの?
私にデートの話をする時には、そんな話ちっともしてなかったのに。
「けど、信じてはいなかったよ。ううん、信じたくなくて、聞かないふりをしてたかな。その手の話って、本人がそんな気なくても勝手に湧い出てくるものだからさ」
うん。その手の噂が勝手に湧い出てきた身としては、それはよくわかる。そして明日香が、そういうのを信じようとしないってのもわかってる。そのおかげで、私は救われたんだから。
だけど、今回は悪い噂は真実だった。
そのまで話したところで、明日香は私に向かって、勢いよく頭を下げる。
「千里、迷惑かけてごめん。嫌だったよね。怖かったよね。私のせいで、ごめんね」
謝る明日香は、さっきよりもずっとずっと辛そうで、今にも涙がこぼれそう。私を気遣ってばかりだけど、彼氏からあんな酷い裏切りを受けたんだから当然だ。それが、私を苛立たせる。
迷惑かけてごめんって、本当に迷惑よ。
「勝手に付き合いはじめて、人に寂しい思いをさせて、その挙句にそんな悲しい顔しないでよ。そんなんじゃ、私が幸せにしなきゃって思っちゃうじゃない」
「──千里?」
ボソボソと呟く私に、困惑する明日香。
きっと明日香は、私の言ってるのことの意味なんてわからない。私がどんな気持ちを向けてるかなんて、見当もつかない。
それでもいいって思ってた。下手なこと言って困らせるくらいなら、今までの関係が壊れるくらいなら、何も言わない方がいいって思ってた。
けど、もう限界。
「ねえ、明日香。西川とは、まだ付き合うつもり?」
「はぁっ。そんなわけないでしょ」
「だよね。ってことは、明日香はもうフリーってわけだ。なら、私が次の相手に立候補してもいいよね」
「…………どゆこと?」
ますます困惑する明日香。そんな彼女に、私はそっと自分の顔を、唇を近づける。
そして私たちの距離は、ほぼゼロになる。
「ん────っ!」
明日香が小さく声をあげ、目を見開く。できることならこのまま時を止めたいけれど、それは無理だから、仕方なく唇を離す。
「こういうこと。ここまですれば、いくらなんでもわかるでしょ。ふざけでも冗談でもないんだから」
明日香にしてみれば突拍子もない話だし、長年続けてきた私の無表情を思うと、言葉にしただけじゃ、どれだけ本気か伝わらないかもしれない。
だったら、百回言うより、一回の実力行使の方がいい。
そうして改めて見た明日香は、顔を真っ赤に染め、口をパクパクさせていた。
ああ、可愛い。こんな姿が見られるなら、もっと早くに言っていたらよかった。
いつも側にいてくれた明日香。私が一番苦しい時、支えてくれた明日香。そんな彼女を、幸せにしてやるんだ。西川のようなクソヤローでも、他の誰でもない、この私が。
長い長い沈黙の後、ようやく明日香が口を開く。
「な、なんで──?」
「なんでって、私があんたを好きになったらおかしい?」
「いや、そうじゃないの。そりゃ、すぐには受け止められないけど、嫌じゃない。千里がそんな風に思ってくれて嬉しい。それは、間違いないから」
よかった。明日香、その言葉で私がどれほど喜んでるかわかってる?
好きって言って、なんて思われるか。ずっと不安だった私にとって、嬉しいって聞けただけでも、伝えてよかったって思える。
だけど明日香は、それから声を大きく張り上げ、叫んだ。
「それよりも。なんで、なんであそこまでやってキスはしないのよ!」
そう。私は明日香に唇を近づけはしたけど、触れる直前で寸止めた。私たちの距離はほぼゼロだったけど、完全なゼロじゃなかった。
「あれ、キスしてほしかったの? それじゃ、今からやるね」
「ちょっ、ちょっと待って! そういうことじゃないけどさ、普通あそこまでやったらキスまでするでしょ。なんで寸止めなのよ!」
「だって、ファーストキスは合意の上じゃなきゃ嫌だから」
私だって、本当は無理やりにでも明日香の唇を奪いたい。だけど、せっかくのファーストキス。明日香の、私の一番大事な人の気持ちを無視してするのは嫌だった。
「そ、そりゃ、私もキスなんてまだしたことないし、初めてを奪われるのは嫌だけどさ……」
ん? 明日香がなんか、聞き捨てならないことを言っている。
「はぁっ? キスがまだって、あんた西川と付き合ってたのよね」
「うん。どうせなら、ムードたっぷりのところでやりたいなって思って。今思うと、やらなくて正解だったけど」
うん。あのクズ野郎とキスしてなかったのは、本当によかった。けど二人って、付き合ってからまあまあ経ったよね。
なのに、キスもまだだったんだ。
「じゃあさ、いつか私の気持ちに応えていいって思ったら、明日香からキスしてよ。明日香が思うような、ムードたっぷりの状況でさ」
「ふぇぇぇっ!? か、からかわないでよ。千里なんてもう知らないから!」
あらら、怒っちゃった? だけど、真っ赤になってそっぽを向く明日香は、やっぱりかわいい。
なんて思ってたら、すぐにまたまたこっちを見て、恥ずかしそうに言う。
「で、でも、からかいじゃなくて本気で言ってるなら、私も真剣に考えてみていいから。い、言っとくけど、どうなるかなんてわからないからね。なかなか答え出せなくて、千里の方が先に愛想つかすかもしれないからね」
「ん。待ってる」
私が明日香に愛想つかすなんて、考えられないけどね。
顔が赤くなってるのは、多分私も同じ。イタズラっぽく攻めてはいるけど、心臓はバクバクいってる。
果たして明日香が、私と同じ気持ちになってくれるかはわからない。けどこうなった以上、もう後戻りはできないし、する気もない。
「明日香が答えを出すまで、一番近くで、いつまでだって待ってるからね」
【了】
百合の間に挟まる男にも劣るクズヤローに、私の大切な人は渡さない 無月兄 @tukuyomimutuki
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