第3話 クズヤロー
西川くんは、明日香の彼氏。けれど、明日香以外の女の子とキスしてた。
これが意味するのはなんなのか。なんて、考えなくてもわかる。
浮気。それ以外ありえない。
実は勘違いでした、なんてオチを期待するには、目撃したものがあまりにも決定的すぎた。
見た瞬間は、衝撃が大きすぎて、思わず逃げ出した。だけどそれから一夜明けた今は、もう少し冷静に受け止められる。
なんて言いたいけど、実際は冷静とは正反対。今私の中に渦巻いてるのは、どうしようもない怒りだ。
そして目の前には、怒りをぶつける相手、西川本人がいる。
「なに? 急に呼び出して、きみ誰?」
ここは、学校の校舎裏。
いつもより早くに登校してきた私は、西川に話があると言って呼びつけた。
本当は、こいつより先に明日香に話さなきゃいけないことなのかもしれない。だけど、なんて言ったらいいかわからなかった。西川が浮気してるって知って、明日香がどんな顔をするかと思うと、告げるのが怖かった。
それと比べると、西川と話をする方がある意味ずっと楽だ。
いざとなれば、怒りと罵詈雑言をぶつければいいだけなんだから。
「急に呼び出して、話ってなに?」
私のことなんて知らない西川は、呑気そうに言う。だけど、それもこれまでだ。
「あなた、明日香の彼氏よね」
「そうだけけど。君、明日香の友達──」
「彼氏なら、どうして昨日の夜、他の子とキスしてたの? 真剣に付き合う気がないなら、今すぐ別れて」
西川が喋るのを遮って告げた、私の言葉。それを聞いて、彼の表情が固まる。
さあ、次はどんは反応が来る? 人違いだってしらを切る? 誤解だって言ってごまかそうとする? それとも、素直に謝ってくる?
その、どれでもなかった。
表情が固まったのは、ほんの一瞬。すぐにヘラヘラした笑みを浮かべ、あっさりと言う。
「あーあ、見られちゃったなら仕方ない。別れるよ」
あまりにあっさり言いすぎて、呆気にとられる。
もちろん、別れるというなら私にとっては望むところ。だけどこんなにも簡単になんとかなると、それはそれで、本当に大丈夫かと思ってくる。
「ずいぶん物分りいいのね」
もしかすると、口では別れると言っておきながら、ズルズルと付きまとうつもりじゃないでしょうね。
だけど、それから西川が言ったのは、もっとゲスなことだった。
「どのみち、あいつにももう飽きてきたからね。ちょっと可愛いかなって思って彼女にしてみたけど、全然おもしろくないし、もういいや」
「なっ!?」
次の瞬間、私の平手が、このクズの頬を目掛けて放たれた。
だけど、それは当たらない。命中する直前、西川は大きく体を反らし、あっさりそれをかわす。
しかもだ。全力の平手打ちを思いっきりスカした私は、その勢いで大きく体勢が崩れる。さらに足が滑って、その場で派手にすっころんでしまった。おまけに、メガネまで落っことす。
それを見て、西川が吹き出した。
「うわっ。ダセッ」
悔しさと腹立たしさが、これでもかってくらい湧き上がってくる。
「クズヤロー」
ボソリと呟き、睨みつける。
だけどその時だった。私を見る西川の目が、少しの間、丸く見開かれる。
そして何を思ったのか、急にこっちに向かって手を伸ばし、私のつけていたマスクを剥ぎ取った。
「んっ──!」
な、なに!?
驚く私を見て、西川は今まで以上に下卑た笑みを浮かべる。
「へぇ、驚いたな。君、顔はけっこう可愛いじゃん」
ニタニタと笑いながら、舐め回すような視線を向けられる。ゾクリと、背筋に冷たいものが走る。
以前も、こんな目を向けられたことがあった。そしてそんな時は、いつもろくなことにはならなかった。
思い出したくもない記憶が蘇り、微かに体が震える。
「そうだ。明日香とは別れるからさ、君が俺の相手をしてよ。今度はバレないように、ちゃんと気をつけるからさ」
耳がおかしくなったかと思ったけど、おかしいのはこいつの頭だ。
「そんなことするわけないでしょ」
「それじゃ、明日香とは別れない」
「浮気したこと言うよ」
「言えば? 明日香って単純だからさ、そんなの知らないって言って、優しい言葉のひとつもかけてやれば、俺の方を信じるかもね」
「ふざけんな」
もう一度、平手を打とうとする。だけど今度は、伸びてきた西川の手によって阻まれた。
それどころか、それから私の手を掴んで、強引に引き寄せる。身動きがとれなくなる。
「はなせ、この!」
暴れるけど、掴まれた手は振り解けず、身動きがとれなくなる。西川が、愉快そうにわらう。
「そうだ。君が俺に色目使った、なんて設定はどうかな。明日香が聞いたら、どう思うだろうね」
「──っ!」
多分西川は、ほんの思いつきで言ったこと。だけどその言葉は、私の中にある、苦い記憶の扉をこじ開ける。
人の彼氏をとった。男に色目を使った。淫乱。ビッチ。
何度そんな言葉をぶつけられ、何度友達を失った?
そうして残ったのは、明日香だけ。だけどもし明日香がこれを聞いたら、私より、この男を信じたら。
そう思うと、どうしようもなく怖かった。
いつの間にか手から力が抜け、罵声の言葉ひとつ出なくなる。
「おっ。大人しくなった?」
西川が、勝ち誇ったように言う。どう考えても、悪いのはこいつのはず。なのにどういうわけか、完全に私がやられる側。
そんな自分が惨めで、ガクリと首を落とす。
だけど、だけど──
その時、西川の肩を、後ろから誰かがポンと叩いた。
「ん?」
振り返る西川。その瞬間、肩を叩いた誰かが、西川の股を思いっきり蹴り上げた。
「◆□※◎★▽∀♯っ!!!」
言葉にできない声をあげながら、その場に崩れ落ちる西川。
今の蹴り、かなりの勢いだったよね。私にはどんな痛みかなんて知らないけど、それはもう、もの凄いものだってのくらいはわかる。
けど、驚いたのも束の間だ。
「千里、行くよ!」
「あ、明日香。どうしてここに?」
「いいから、早く!」
急に現れたその子、明日香は、私の手を引っぱると、有無を言わさず走り出す。
ああ、そうだ。昔、私がひとりになりかけた時も、明日香がこうして手を引っぱってくれたんだっけ。
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