第14話 思ってたのとまったく違う



 ◇



 狸の岩屋は立地がいい。今日もさんさんと降り注ぐ陽射しは柔らかに空気をぬくもらせ、心地よい風が遅い朝の居室を軽やかに吹き過ぎていく。暑さにうだる現世の苦痛など、微塵も解さぬよい陽気だ。


 それを人の身でありながら、たんまりと堪能しながら、青年はぺらりと手元の紙面をめくった。ひょいと同じ手でテーブルに広げていたお菓子をつまむ。

「オウ! 首なし遺体遺棄事件、犯人逮捕! 残念ながら一面は飾れなかったようダヨ」


「貴様、菓子で汚れた手で我が物顔で読んでるようだが……誰がその新聞を取ってやってると思ってる」

 チラッと青年の向かいから冷たい金色の視線が刺さった。それに、悪びれるという言葉を知らぬ緑のたれ目が見開かれる。


「……こんな異界のモノノ怪ポストに新聞だなんて、薄々おかしいとは思ってたケド――狐、君だったのカイ……いつも新聞が届くようにしてクレテたのは」

「銃殺されたように言うな」


「もう終わったことじゃん、一面だろうが二面だろうがどうでもいいよ」

 興味もなく、彼らの間で狸があくびをする。気だるげに椅子に腰かけながら、彼はさきほどから手元の液晶になにやらかかりきりだ。


「狸はさっきからナニしてるんダイ? 事前予約は光の速さでもう終わらせてたダロ」

「タヌキのもふもふ画像やほっこりエピソードを人間のSNSに流して、タヌキ愛好家を増やす活動をしてる」

「ステマか」

「草の根運動と言ってほしいね」

「なら、私はタヌキのせいで農作物が荒らされた被害報告を流しておいてやろうか?」

「そんなもの、ハクビシンのせいにしてやるから、ダメージにならないね!」


 勝ち誇った様でせせこましいことを宣言する。その得意満面な面構えをなんとも微妙な目で眺めやる狐に、狸は携帯に夢中で気づいていないようだった。

 フリックする手を一瞬止めて伸ばしたのは、手近な皿の菓子。それを適当につまんでポイと口に頬り込む。と、青年が抗議の声をあげた。


「それボクの!」

「俺のだよ! 君は勝手に食い荒らして、あ、これキノコだ。なんであるの? 俺、タケノコ派なんだけど」

「多勢にすり寄ることしか出来ぬ愚民が」

「少数弱者がいきがるな。里の元にひれ伏せ」


 すかさず脇から入った愚弄を好戦的に睨みつけ、狸が威嚇する。青年が大仰に肩をすくめた。


「不毛な戦いはやめようヨ~! ボクどっちもスキ~」

「中途半端に日和見するな」

「どっちの陣営か腹くくれ、」

 優柔不断な態度に二匹はむっとして振り返り――一瞬、言葉を失った。


「なに……してんの?」

「モチロン! どっちも美味しくいただいているんダヨ! ポテトに挟んでね!」


 彼らの目の前に飛び込んできたのは、芋をマッシュしてチップしてサクッとあげたみたいな菓子に、キノコとタケノコ型のチョコをたんまり挟んで咀嚼している男の姿だった。


「愚弄だ! 里山への愚弄だ!」

「貴様、尊厳を蹂躙するのがそんなに楽しいか!」

「オウ! なにを言うんダイ! これが最高の食べ方ダヨ! 甘いのしょっぱいの、一緒に食べる! みんな好きデショ! 雪景色の中の露天風呂みたいなもんダヨ! そういうのがツウってやつなんでしょ、キミたちの!」

「違う! 絶対それとは違う!」

「あ、ソウダ! 思い出した!」


 全力の否を叫んだ狸の勢いを、まったく意に介さずに呑気な響きがいきなり叩き折った。


「唐突だな! なんだよ、今の流れでなに思い出したの!」

 行き場を失くしたなにかに手をわなつかせながらも、律儀に狸が聞いてやる。と、青年はいそいそと席を立って、岩屋の片隅で荷物入れの用を成すようになってしまった登山用リュックから、紙切れを取り出してきた。


「コレコレ!」

「なに、それ?」

「温泉旅行に当選したんダヨ!」

 ふふん、と青年は胸をはる。

「SNSの秘境、秘湯マニアの情報を見てたら、DM送ってきた人の中から抽選で温泉旅行ペアチケットが当たるっていうのがあってネ! 見事、当選サ!」


「あっやしい! 怪しいしかない案件なんだけど」

「どうせ貴様、私の事務所とここが繋がるシステムを悪用して送らせたんだろうが……このご時世に紙のチケットの郵送というのも胡散臭いな」

「キミたち人を騙してばかりだから、そういう捻くれた考え方しかできなくなるんダヨ~」

 不信感たっぷりの妖怪たちに、人間はそう不満げに唇を尖らせた。


「ともかく! そういうことだから、狸、一緒にイコ!」

「なんでだよ! そんな怪しげな旅行、俺はごめんだから、」

「狸は、温泉つかってほんのり色づくたれ目なボクや、湯上りぽわわんたれ目のボクを、見たくないって言うのカイ!」


 ぐっと、そこで狸は詰まった。彼をまっすぐに見つめる緑のたれ目。そこだけ見れば、『はあわわわ』がとても似合う、可憐で幼げなたれ目。湯煙に揺れるそれはさぞかし、魅力的だろう。


「あ……うっ、くっ……! み、くっそ! 見たい! 行く!」

「イエーイ! ボクと狸でラブラブ温泉デート!」

「誰が貴様と狸だけと決めた」

 屈した狸にガッツポーズを決める青年の浮かれた笑顔の上に、冷ややかな微笑みが降った。

「私も行くが?」


「なんでダイ! 無理ダヨ! ペアだって言ったダロ!」

「やだ! 君が来るとなんか色々余計ややこしくなる!」

 双方から上がる非難の声にも涼しげな顔は崩れることなく、口端を引き上げる。


「そのチケットがペアだとして、私が同じところに宿をとることが出来ないわけでもないだろう? 金さえ積めば、アップデートで同じ宿の三人部屋にしてもらうことも可能かもしれないしな。それに狸、さすがの私も旅先では多少気も緩む。酒も多く煽って、ほろ酔いのいい具合になるかもしれないが……そんな希少な私の目元には興味はなしか?」


「金に物言わせる、ひどい手口ダヨ!」

「あ、うっ、酔った金色の、たれ目……くっ、あ、それ……駄目だ、好き! 好きなやつ! 狐、来て!」

「ホラ! 狸は堪え性がないヨ! あっという間に狐の悪の口車に乗りまくりダヨ!」

「欲望に抗えない哀れな様も可愛いものだな」

「くそっ! 言い方が完全に悪役なんだよ! この性悪が! でもほろ酔いたれ目は見たい! くそっ! こいつがこんな顔のいいたれ目でさえなければ……! ちゃんと酔えよ!」


 ぎゃあぎゃあとかしましい青年と狸の抗議なのだか負け惜しみなのだかを聞き流し、狐は青年の手からチケットを奪い取った。どこの宿なのかを確認するためだ。

 それは実に牧歌的なチケットで、印刷業者の一番廉価な印刷物ですらない。手製の香りがする文字のずれと染みのあるものだった。文字のフォントも実に飾り気のない、その辺でよく見る安易な書体だ。


 が、だからこそ、余計に狐の表情は固まった。その安っぽさが、温泉地がどんなところであるかに、妙な真実味を与えて迫ってきたからだ。

 手作りチケットに踊る温泉地の名は『夜美名喜よみなき村』。明らかに昔ながらの村名に、見た目のいい別の漢字を最近当て直しました、みたいな字面であった。


 狐はひとつ、ため息をついた。どこか諦めた風に狸に向き直る。


「……狸。確か北陸地方の山間部あたりに、昔から人間たちがあまり近寄りたがらない辺鄙な村がなかったか?」

「ああ……なんか、あったかな? 俺たちの間でもあんま評判よくなかったじゃん。人身御供とか、謎儀式とかあって、黄泉から泣き声が聞こえてくるって噂がたってさ。実際、やばい祠に《ケガレ》がたんまり溜まってるって評判で、近づくと厄介そうだなって……って?」

「『黄泉泣き村』……そこが温泉旅行の行き先だ」


「いやだーー! 行かない! 俺、行かない!」

「一度『行く』と約しておいて、撤回は厳しいだろうな」

「二言はないシステム~! ほんっと、くそっ!」


「え? なんかまた楽しいモノノ怪モンスターがいそうな場所なのカイ? 温泉にモンスターなんて最高ジャナイカ!」

「いまの会話でなんでそんなにワクワクできるの! 君、ほんと信じらんない! あ~、厄介ごとばかり持ってきて! 拾うんじゃなかった! 早く処分しないと!」

「この前高齢のイノシシが死んで、また死穢が増えたからな。順番はさらに先伸ばしだ」

「あ~! もう本当に……!」

 ガシガシと狸は、その美しい髪の毛をかきむしった。


 一難去ってまた一難。青年をうっかり誑かしてから、ろくなことがない。殺人事件捜査のあとは、不穏な気配しかない温泉旅行がもはや不可避に開幕決定だ。

 狸はただ、『はあわわわ』するたれ目を手に入れたかっただけなのに――


「本当に――思ってたのとまったく違う……!」


 響きわたる狸の悲嘆の声は、岩屋にこだまして消えていった。






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狸と狐とホモサピエンス ~ろくでなしボーイズのなしくずし事件簿~ かける @kakerururu

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