第13話 汚れた金は盗難届も出せないだろ?



 ◇



 山林の奥の奥。夜の闇抱く樹々の影を、人工の光が一筋、引き裂くようにして照らしている。無造作に地面に転がされた、キャンプ用の懐中電灯の明かりだ。

 その不自然な光の中で蠢くふたつの人影は忙しなく、どこか苛立たしげな空気をまき散らしていた。


「ちょっと、もっとしっかり掘りなさいよ!」

「やってるだろ! そもそもお前が大丈夫だって言ったから、協力したのに……! なんでこんなことになったんだよ!」

「知らないわよ! そもそもあんたが私が言った場所じゃなくて、あんな見つかりやし場所に捨てるから、」

「俺はちゃんと、山奥に捨てた! わざわざあんな気味の悪い重い死体を背負って!」


「じゃあなんでキャンプ場で見つかったのよ!」

 金切り声をあげて女は手にしていた大きなシャベルを放り棄てた。

「それは……わかんねぇけど……」

 しゃがみこみ頭を抱えてしまった女の姿に、困惑を滲ませて男がこぼす。


「土地勘がある人にも見つからない場所をちゃんと選んだのに……。どうして三つも離れた山から死体が出てくるのよ……。訳わかんない……」

「だから! ……見つけた誰か、が、運んだ、とか……」

「誰が! 地元の人だって、あそこは足を踏み入れないのよ! しかも万一見つけたのだとしても、なんで別のところに運んで捨てておくのよ!」

「知るかよ! そいつに聞けよ!」

 咎めだてるように叫ぶ女に言い捨てて、男は怒りをぶつけるように、より深くシャベルを地面へ突き立てた。


「死体さえ見つからなければ、警察が私のところに来るなんてこと、なかったはずなのに……」

 汚れた指先を気にもとめず、女は震える肩を抱く。


 堅実な宝石販売員の手取りだけでは金に困り、夜職に手を出した。あの組員の男は、それがきっかけで知り合った相手だった。


 よくない世界と繋がった。宝石強盗の件は、男の方から振ってきた話だった。貢いでもらうだけの相手だったが、彼にとっての彼女は違ったらしい。一緒に海外へ飛ぼうと誘われた。

 それで、ふっと、深く深く魔が差した。欲望は引き返す理性をいつの間にか食い殺していた。


 男の策に加担するふりをして、裏切った。信頼で預けられた金と宝石を奪い、本命の恋人とともに男を殺した。探す相手がいる男だったので、見つからないよう隠した。胴は万が一に備えて、手掛かりを消して山の奥へ。

 そして、首と盗品も、別の山の奥へ――。


 強盗の件が男の失踪により、犯人の海外逃亡として片づけられ、ほとぼりが冷めたころに金と宝石を思うままにする予定であった。


 その計画が、あっけなく崩れ去った。なぜか隠したはずではない場所から、男の遺体が見つかったためだ。


 そこからどう、彼女にまた繋がりをおぼえたのだろう。今朝方、警察官が彼女の家を訪ねてやって来たのだ。


 二人組の刑事だった。強盗事件の聴取の時には会ったことのない顔だ。揃いもそろってずいぶんと見目の麗しい青年であったから、一度見たなら覚えていただろう。細身で、涼やかな切れ長の瞳が印象的な男と、すらりと長身の甘く怜悧なたれ目の男だった。


 強盗事件のことにつてはもう話すことはないはずだと、しおらしく答えた彼女に、彼らは今回は別件だと首を振ったのだ。


『ニュースでご覧になりませんでしたか? 先日キャンプ場で見つかった首なし遺体。あれが強盗事件の主犯だったのですが……彼のことを、なにかご存じではないか、伺いたくて』

 微笑んだ甘い笑顔。なのにそのふわりとたれた目元はなにも笑っていないようで、うすら寒さを感じた。


 なにか――そう、気づかれてはいけないこと、ばれてはならないはずのことを、警察に掴まれているのではないかと不安に駆られた。

 その場は辛うじて知らぬ存ぜぬで通したが、納得はさせられなかっただろう。警察は彼女の周りを嗅ぎまわるはずだ。


 だから、ほとぼりが冷めるまでと埋めていた金と宝石を、急ぎ掘り起こしに来た。それに、不安だったのだ。首もちゃんと――埋めたはずの場所にあるかどうか。


「おい! あったぞ! ちゃんとあった!」

 男の疲れた声が弾んだ。自分が掘りおこしたものの意味を、もはや正常な感覚で認識できなくなっているらしい。そこには腐りかけた首と、段ボール箱がのぞいていた。


「よかった……! こっちはまだ見つかってなかったのね。念のためもっと深く埋めて、箱の中身出してさっさと、」

 ぐらり、と首が動いた。


 声を詰めて、女は息をのむ。見間違いかもしれない。男の握ったシャベルの先が、頭の先を小突いただけかもしれない。けれどそう思い込むにはそれは明らかに、ナニカ意思を持って動いて見えた。


「ね、ねぇ、ちょっと……いま、その首……」

「首?」

 震える女の指が示す先へ、男が視線を落とした。瞬間。首がぐるりと男の方を仰いだ。


 悲鳴すら上げられず、男がシャベルを投げ出す。腐りかけの唇の間から歯を打ち鳴らして、首はガタガタと揺れ動いた。黒い影のようなものがそこから漏れ出る。

 青白い火がぽっとその隣にふいに浮かび上がった。ひとつ、ふたつ、みっつ――不気味に揺れる青い火は、男と女を取り囲むようにどんどんと数を増していく。


 夜のしじまを引き裂いて、ふたりの絶叫が響きわたった。言葉にもならぬ言葉をわめきたてながら、慌てて逃げようとする。その足が、ぴくりとも動かない。動かせない。


 どうしてどうしてと、せり上がる混乱と恐怖に我が身をかきむしりながら足元へと目をやれば、見たこともない蔦植物がふたりの足首をがっしりと絡めとっていた。しゃがみこみ、叫びながら千切ろうにも、まるで荒縄のように硬く、爪すら立てられない。


 その間にも青白い炎はふたりを責め立てるように重なりゆき、がたがたと歯を鳴らした首が、黒い影を胴にしてむくりと起き上がる。


 その腐った眼窩に見据えられ――ふたりの精神は、大絶叫を最後に限界に達した。



 +




「器用だね。立ったまま気絶してるよ」

「知ってるヨ! モノノフは仁王立ちで死ぬんでショ! この国デハ!」

「こいつらは武士でもなければ、死んでもいないが?」

「一緒にしてやるなよ。ファンに怒られるぞ? この国ではわりとずっと人気があるんだからね? 立往生」

「人気があるのは立往生ではないがな……」


 天を仰ぎ、顔から出せる液体はすべて出して情けなく立ち尽くす男女を、暗闇から現れ出た二匹とひとりが眺めやる。

 首は胴体にした《ケガレ》をとっとと狐に祓われ、いい様に利用されたのち、哀れにも転がっていた。


「しかしこうも思った通りに動くとは小気味いい。どうせ小悪党だ。ゆさぶりをかければ不安がって、首や金を隠した場所に向かうと思っていたが、同じ場所に埋めていたとはな。手間が省けた」

「この女の携帯から百十番ひゃくとおばんしてさっさとずらかろう? 電波弱いけど、君の妖力でなんとかしてよ」

 ごそごと無遠慮に女のポケットを漁り、狸は彼女らが掘った穴の方を振り返った。


「――首があれば、犯人の証拠としては充分だよね?」

「オウ……わるダヌキダヨォ。そんな性根でいるから背中をカチカチされるんダヨォ」

「あれは全部人間に加担しやがったウサギが悪い」


「宝石は、ないとなると他の共犯者を疑われる可能性もある。こいつの嫌疑が晴れきらないと面倒だ。置いていけ」

「やだ~! 欲しい円盤が各店舗別々の特典付きで近々出るの! 軍資金が欲しい!」

 じだんだを踏む狸の肩をぽんと太い腕がおおらかに抱き寄せた。


「ボクが買ってあげるヨ? ベッドに並んで仲良く見ヨ?」

「俺、推しにはいつだって真摯でありたいから。ベッドでだらだらしながら推しの映像見るなんて、中途半端な真似はしないタヌキなの。戦闘態勢で本気で挑むから、遠慮しとくね」


「だいたい貴様、自分で稼いでもいないくせに、太い実家の金で偉そうにするな。狸、私にしておけ」

「君の金も褒められた営業で手に入れてないでしょうが。悪徳高利貸しが」

 すりよる青年の巨体を押しのけ、相変わらずの狐に舌打ちをして狸は名残り惜しげに宝石入り段ボールを見やった。


「あ~あ……せっかくの換金材料が……」

 と、そこで、はたと気づいたらしい。しょんぼり顔がきゅっと引き締まって狐を振り向いた。


「宝石、?」

「そう。宝石、置いていけと言った」

 にんまりと実に人の悪い笑みが秀麗な口元にのった。


「じゃあ、金の方は?」

「汚れた金は盗難届も出せないだろ?」

 ひゅ~と、青年が口笛を軽快に吹き鳴らす。

「さすがずる賢いキツネ! ロンダリングする気満々ダヨ~!」

「前も言ったが、汚い金を清浄な目的のために投資しているだけだ。人聞きの悪い言い方をするな」

「建前はどうでいいから。ともかくそれじゃ今回は山分けね! 山分け! やったね! 円盤全部予約しとこっと!」

 いそいそと段ボールへ向かう狸の尾が嬉しそうにふわふわ揺れる。


 犯人を見つけ出した功績も霞むほど、まったくもって褒められない所業を重ねるあやかしと人間を、ただ山林の暗闇だけが呆れた様子で見つめていた。










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