第4話
小走りに部活にむかう生徒たち。その流れから外れて、私はゆっくり歩いた。
そして、駐輪所で自転車を取って、校門まで押して歩いて行ったとき……
その隅、通行の邪魔にならないように、はじのほうで寄りかかっている一人の少女を見つけた。
「東雲……」
私に気づいたらしい東雲は、ゆっくりと歩いてくる。
逆に、私の足は止まった。後ずさりそうにさえなったけど、それはなんとか堪える。
なにを言えばいいのか分からなくて、私は立ち尽くす羽目になったけど、私の代わりに東雲が口を開いた。
「一緒に帰らない?」
いつもは自転車に乗っている道を、今日は歩いて帰る。違いはそれだけじゃない、もう一つ。
ちらりと横を見れば、自転車を挟んで東雲がいる。けど会話はない。一緒に帰らないと言っておいて、東雲はそれ以降一度も口を開いていなかった。
「ねえ」
と思っていた矢先、東雲が言った。
「な、なに……?」
なるべくぎこちなくならないよう、気をつけながら私はゆっくり口を開く。
「足、どうかしたの?」
「えっ?」
「絆創膏、貼ってあるから」
「ああ……」
なにを言うつもりなのかと思っていたから、私は拍子抜けしてちょっと息まで吐いてしまった。
「転んだの。体育で」
「そうなんだ……」
会話終了。
いつもみたいに、とりとめのない、中身もない、短い会話。
いつもとおなじ、はずなのに……
なぜか、今日は空気が重い。こんなこと初めてだ。
いや、なぜか、じゃない。理由なんて一つしかない。
「昨日のことなんだけど」
私の考えを裏付けるみたいに、また東雲の声が聞こえてきた。いつもよりも、早口な言葉が。
「ごめん……あんな風に言うつもりはなかったの。カッとなっちゃって、その……ごめん」
「べ、べつに……」
思ってもみなかった言葉に、私はとっさになにも言えなかった。
謝ろうかと思ったけど、それは違う気がした。だって、私はどうして東雲が怒ったのか、理由が分からなかったから。
焦りばかりが募っていったけど、
「私、ちいさいころからピアノが得意だったの」
東雲が言った。昨日のことが夢だと思うくらい、いつもとおなじ、落ち着いた声で。
「弾くたびにみんなは褒めてくれて、天才少女だとか、呼ぶようになったの」
独り言みたいな言葉だった。すくなくとも、返答が欲しいわけではなさそう。だから、私は黙って聞くことにした。
「私は、それがすっごく嫌だった……うぅん、イヤ」
冷静な、冷静すぎとさえ言える言葉に、ちょっと熱がこもった気がした。
「私は、自分が好きな曲を好きなときに、好きなように弾いているだけ。だからそれに対して、勝手に評価をつけてほしくない」
「評価……?」
「そう、評価。人が人に点数をつけるって行為自体、私はあんまり好きじゃない。だから、ピアノは好きだけど、それへの評価はキライ。もう、うんざり……」
そこで東雲は、なんとなく、息を整えたような気がした。自分の言葉に熱がこもっているのを、自覚したのかもしれない。
「まあ、いいこともあったけどね。そのおかげで、学園では自由だし」
「優秀だからって、よく言ってたけど……」
「そう。私特待生なの。私が在籍してるってだけで学校の名前に箔がつくから、授業には出なくてもいいんだって。単位は貰えるし、生活態度も悪くは書かれない。よくも書かれないけど」
そうだったんだ。てっきり適当に誤魔化してるんだと思ってたけど、そうじゃなかったらしい。
「じゃあ、このあいだ校長室に呼ばれたっていうのは……」
「番組の打ち合わせ。出たくなんてなかったけど、どうしてもって頼まれたから……」
それから、東雲は疲れたみたいにため息をついた。
「ごめん」
私の口からは、ほとんど無意識のうちにその単語が出てきた。
「ちょっと無神経だった。そんな気持ちだったなんて、全然知らなくて、だから……うぅん、ごめん」
「いいよ、べつに。怒ってない」
「え、ホントに?」
「うん。ていうか、こっちこそごめんだよね。いきなり大声出しちゃって、あんな、みっともない……」
「そんなふうには思ってないけど」
「とにかく、今日はそれを言いたかったの。三時間目、いつもは来るのに来なかったから」
「あー、うん……」
いちおう、行くことは行ったんだけどね。中には入らなかっただけで。
「ねえ」
私は誤魔化すように言う。なにを誤魔化そうとしているのかは、自分でもよく分からないけど……
「カバン、カゴにいれたら?」
「え? うん。じゃあ……」
東雲はちょっとためらったような気もしたけど、結局、カバンをカゴに入れた。
自転車が、ちょっと重くなる。
「ていうかさ、安芸って、カバンちいさいよね。教科書はいらないでしょそれ」
「うん。私、テスト期間中以外は置き勉だし」
「じゃあ、なに入ってるの? そこ」
「えーと、化粧道具とか、財布とか……?」
「なにしに学校行ってるの?」
「それ、東雲にだけは言われたくない」
それから、私たちはしばらく無言だった。東雲は言いたいことを言ったから満足って感じ。
でも、私はまだだ。東雲には言いたいことがある。ちょっと恥ずかしい気もするけど。でも言わなきゃ。いま言わないと、ずっと言えない気がしたから。
「ねえ」
「なに?」
話しかければ、東雲はもういつもみたいに答えてくれた。
「ちょっときわどいこと言うかもだから、とりあえず最後まで聞いてほしいんだけど……」
「うん? ……うん」
「私は、東雲のピアノ好きだよ。だれの曲とか、音がどうとか、専門的なことは『はあ』って感じだけど。でも、好き。アレ聞いてると……よく眠れるし」
しばらくの間、いや、ひょっとしたらほんの数秒だったかもしれないけど、東雲は無言だった。私はまた怒らせちゃったらどうしようとか考えてたけど、
「そっか」
そんな短い言葉に、思考を遮られた。
「そっか、うん……ありがとう。そのくらいの言葉が、一番心地いいかな」
そう言ってくれた。
よかった怒っていないみたいで。
「やっぱり安芸はいいな。これからも、音楽には無知な安芸でいてね」
「…………」
言い方。もうちょっと考えてほしい。
コイツはたまにこういうところがある。
……まあ、いいんだけどさ。このくらい、いまさらだし。
「東雲の家ってさ、ちかいの?」
「うぅん、私、電車で来てるから」
「え、そうなんだ」
知らなかった。
「電車でさ、気づかれたりしないの? テレビに出てた子だとか言われて」
「全然。芸能活動してるわけじゃないし、テレビに出たのだって、何回かだけだし」
「ふーん」
それから、私たちは黙ったり、適当に短い会話をしたりした。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか駅についていた。
「じゃあ、私こっちだから」
「うん」
答えてから、私はなんとなく駅を見た。
そこでは、ちょうど帰宅ラッシュらしく、多くの人でごった返している。
「なんか大変そう。電車って」
「そうでもない。二駅だけだし」
そこで会話は終わり、すこしの沈黙の後で、東雲は「じゃあ」と言って背中を見せて歩き出した。
その背中を見送りつつ、私はちょっと後悔する。
訊いておけばよかったかも。明日、行ってもいいかって。
でも、いままで一度も訊いたことないのに、いきなりいうのも変な話か。
「ねえ」
とか思っていたら、東雲は足を止めて、振り向いてくる。
「なに?」
「明日、なんだけど」
「うん」
「あるの? 体育」
その瞬間に、さっきの後悔なんてどこかに消えていた。
「うん。四時間目」
「わかった」
言ったと思ったら、東雲は小走りで駅に行ってしまった。
……あれ、いまなんか、違和感があった。東雲が、いままで見たことない顔をしてたような……?
あいつ、笑って……?
まさかね。もう一度東雲を見る。でも、そのときには、雑踏の中にのまれてしまっていて、その背中を見つけることはできなかったから、やっぱり気のせいだったかもしれない。
ふたりだけの特別授業 タイロク @tairoku
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