第4話 墓前

 新垣麻衣子が、正則の昔から知っている「麻衣ちゃん」なのかどうか、すぐには分からなかった。しかし、席が隣り合わせということもあり、話をする機会は増えた。しかも、正則も最近引っ越してきたという共通点がある。いろいろ話をしているうちに打ち解けてきて、彼女が本当に「麻衣ちゃん」なのかどうかも、そのうちにハッキリとしてくる予感があった。

 昼休み、購買部でパンを買って食べる正則は、いつも一人、校庭の奥にある木陰のベンチにいた。そこには誰も近づけないオーラがあるのか、正則に近づく人はいなかった。

 もっとも新参者ということで、自分から溶け込まない限り、他の人との関わりは持てないだろう。正則は孤独が好きなので、別に無理して他人と関わる必要もない。却って放っておかれる方が気が楽だった。

 麻衣子も別に自分から他の人と関わりを持ちたいと思っているわけではなさそうで、最初の頃は教室で一人お弁当を食べていた。そんな麻衣子が正則と一緒に校庭の奥で昼食を一緒に食べるようになるまでに、それほどの時間は経たなかった。

「サンドイッチ作ってきたんだけど、一緒に食べない?」

 麻衣子に声を掛けられた正則はビックリして、顔を上げた。自分が一人の時に誰かに声を掛けられるなど今までにないことだったからだ。

 最初の日に感じた麻衣子の無表情な雰囲気は、その時だけだった。きっと正則の中で、

――彼女も俺と同じように、孤独を嫌だとは思っていないんだろうな――

 と感じたからだ。

「いつもお弁当だけど、自分で作っているのかい?」

「ええ、お母さんが作ってくれる時もあるけど、私の時が多いの。お母さんお仕事で忙しいからね」

「お父さんは?」

「お父さんはいないの。私が子供の頃になくなったらしいのね」

 少し寂しそうな顔になったが、それも一瞬だった。

「ごめん、余計なことを聞いてしまったね」

「いいのよ。私は気にしていないわ」

「俺も両親がいないので、君の気持ち、分かる気がするよ」

 そう言いながら、正則は両親の顔を思い浮かべた。

 父親の顔はすぐに思い浮かんだが、母親の顔は写真でしか見ていないので、どこかぼやけている。ただ、そのぼやけた写真から感じる表情は、最近にも感じたことがあるような気がしていた。

「母一人子一人なので、結構大変なことも多いわ」

「お母さんのお仕事も大変なんでしょうね?」

「ええ、昼パートして、夜も居酒屋でバイトしているの。でも、お休みの時は私とお買い物に行く時もあれば、昔からやっている趣味があるので、それをしているわ」

「寂しくないの?」

「ええ、実は私もお母さんの影響からか、同じ趣味があるのよ」

「というと?」

「絵を描くんだけどね。と言ってもデッサンのようなものなんだけどね」

「デッサンなら僕もするよ」

 正則は高ぶってきた気持ちを何とか抑えるように、冷静さを装って何とか返事をすることができた。

 しかし、自分もデッサンをしているということを告げると、高ぶった気持ちが次第に覚めてくるのを感じた。

――今の高ぶりは何だったんだろう?

 という思いもあったが、その理由は麻衣子と母親が隣に座って、デッサンをしている姿を思い浮かべようとしたが、どうしても思い浮かばなかった。彼女の母親の顔が、前に父親から見せられた母親の写真とかぶってしまったからだった。

――お母さん――

 そう思うと、思わずこの間行った神社にいた女性を思い出した。

――今から思うと、あの時に見た女性の雰囲気は、写真の母親に似ていたんだ――

 母親の写真が十何年も前のものなので、似ているというイメージは、

――どこかで見たような――

 と感じた時、母親の写真を思い出したことで、強引にそして勝手に自分の中で結び付けただけだとも思えた。

「お母さんは、今でも絵を描いているんですね?」

「ええ、描いている場所まではよく知らないんだけど、なるべくお母さんの邪魔にならないようにしたいって思うんですよ」

 と言いながら、少し寂しそうな表情になった。

「どうしたんだい?」

「いえ、私はお母さんのことを考えていると、急に寂しい思いがしてくることがあるんですよ。なぜなのかしらね?」

「僕はお母さんのことを知らないのでよく分からないけど、お父さんと二人で暮らしている時、お父さんのことを考えると、やっぱり寂しく感じることがあったんだ。それは、父親の顔が寂しそうに見えたから、その思いが移ったんじゃないかって思っていたんだよ」

 父親の寂しそうな表情は、珍しいことではなかった。普通にしていても寂しそうに見えるのは、やはり家の中が男だけだからであろうか。母親だったり、姉妹がいれば、少しは違ったのかも知れない。

「女性は、女性だけで一緒にいても、さほど寂しく感じることはないんだけど、男性の場合は、男性ばかりだと、哀愁を感じるというのは、私だけなのかしら?」

「そんなことはないと思う。男の俺も同じことを感じることがあるよ。特に父親を見ているとそう思うもんね。でも、ということは父親から見ると、俺もそんな風に寂しく思えるんだろうか?」

「きっとそうなんでしょうね」

 ここで一息ついたので、麻衣子が話題を変えた。

「校庭の奥から校庭全体を見渡すと、思ったよりも狭く感じるものよね。不思議な感じがするわ」

「隅から見渡すということは全体をくまなく見ているということだから、本当なら広く見えていいような気がするのにね」

「でも、全体を見渡せるということは、逆に言えば、一つ一つは小さく見えているということよね。全体が主体で一つ一つはパーツに過ぎない。だから、全体を見ているつもりでパートを見ると、思ったよりも小さく感じる。だから、全体も狭く感じられるのかも知れないわ」

「いや、逆じゃないかな?」

「というと?」

「パーツが小さいだけに、全体を見渡すと大きく見えるのではないかということですよ。それなのに小さく見えるというのは、自分が想像しているよりも小さかったことで小さく感じるという、まるで事後判断のような感じだと言えばいいのかな?」

 この考えは、デッサンをしている時に、時々感じていたことだった。

 正則は自分に絵の才能があるとは思っていない。バランス感覚も遠近感も長けているわけではないのにデッサンを続けられるというのは、この感覚が備わっているからではないかと思うようになっていた。

――でも、この感覚は才能に結びついているというよりも、錯覚に近いものではないだろうか? 錯覚が趣味に結びついているというのも面白いもので、芸術に造詣を深めるというのはこういうことではないか――

 と思うようになっていた。

 それはまるで麻衣子が自分の母親を自由にやらせているという感覚に似ているのかも知れない。自由な発想が錯覚であっても、造詣を深めるのに役立っていれば、それでいいのではないかと思う正則だった。

「お母さんは、どんな絵を描くんですか?」

「そうですね、風景画が多いですね。私もそうなんですが、私と母親で決定的な違いがあるんです」

「どういうところですか?」

「私は、ズームして描くことが多いんです。例えば、被写体になる桜の木を見つけたとすると、私はその中で一番気になっている一輪の花を描くんですよ。でも母親は、木全体を描こうとする。実は、そこに母親のすごいところがあるような気がするんです」

「どういうことですか?」

「私は、気になる花を見つけるとすぐに描き始めるんですよ。見つけるまでに少し時間は掛かるけど、描き始めると早いですよね。でもお母さんは全体を描こうとしているから、なかなか描き始めることをしないんです」

「焦点をどこに置いていいのか分からない?」

「そうだと思います。木全体が主体なんだけど、その背景をどこから描くかというのが、母親にとっての一番難しいところなんですよ。もっとも、私もそれが分かっているから、全体の絵を描かないんですけどね」

 と言って笑った。

「あまり背景を広げすぎると、どこからどこまでが自分の絵なのか分からなくなりそうですよね。少しでも広げていくだけで、まったく違った主題が出来上がってしまいそうな気がしてきました」

 正則は、自分がスケッチブックのどこに焦点を当てるかが苦手だった。バランス感覚と遠近感、まさしくそこに行き着く問題だからだ。

「お母さんの絵を最初に見た時、私はドキッとしました。主題になっている場面と背景とがまったく違った世界のように見えたからなんですよ。それが油絵だったら色がついているからまだ分かるんですけど、デッサンでモノクロですからね。よくそれで別世界を想像できたと自分でも思うくらいですよ」

「僕も確かに全体を描くのは苦手なんです。理由はあなたと同じで、バランス感覚と遠近感が掴めないからなんですが、改めて話を聞かされると、何かきするものがありますね」

 正則はこの間境内で見た女性の絵を思い出した。夕日に照らされたであろう境内と、その横半分は暈かしの掛かった絵だった。それを幻想的だと思ったが、考えてみれば、バランス感覚と遠近感を感じさせない絵だったと言えなくもない。そういう意味で夕日というのは幻想的であると同時に、ごまかしにも使えるようで、改めて夕日の幻想的な雰囲気を想像させられた。

 正則は麻衣子の話を思い出しながら、その絵を思い出していた。

「お母さんは、幻想的な絵を描くような人なんですか?」

「幻想的というと?」

「例えば夕日を逆光から見たような光景を描いたような感じですね」

 少し想像していたようだが、考えが纏まったのか、

「いいえ、そんな感じはないと思います。見た目もそうなんですが、真面目な人なので、忠実に描くことを常としているみたいですよ」

「そうなんですね」

 正則は、あの時の女性の言葉を思い出した。

――確か、省略するところは省略するというような話をしていたような気がしたけどな――

 何を省略するというのか、見えない部分をぼかして、幻想的に描いているだけだった。しかし、その芸術性はハッキリ言って、自分にはないもので、尊敬に値するものでもあった。麻衣子のいう母親のように、杓子定規に目の前に見えるものを忠実に描いているだけではあのような幻想的で芸術性に富んだ作品を描くことは永遠にできないのではないかと思えた。

――永遠にできない?

 正則も、どちらかというと杓子定規なところがあった。

 まわりの絵を描いている人を見ていても、中には省略して描いている人もいる。人によっては、改ざんと思えるほど、ないものまで描いている人もいる。デッサンとしてありえないと思うほどだった。

 そんな連中を正則は軽蔑していた。

――芸術を志すものとしては情けない――

 と感じていて、許せないとまで思っていたほどだ。

 正則は、その思いをこの間の境内で少し変えられたような気がしていた。

――何かが変わった――

 とは思ったが、何が変わったのか分からなかった。

 確かに、

「省略するところは省略する」

 ということは目で見て分かっていたが、実際に言葉で聞いたのは初めてだった。

 他の人から言われたのであれば、

――何を言っているんだ――

 と、最初から相手にしなかっただろうが、その女性から言われた時は、説得力を感じた。それは自分を納得させられるかも知れないと思ったほどで、完全に納得させられないにも関わらず、麻衣子と話すまで忘れていた。

 麻衣子がそれを思い出させてくれたわけだが、話を聞いているうちに、

――その時の女性が、麻衣子の母親ではないか?

 という思いに駆られたのも事実で、次第にその信憑性は高くなってくる。

 しかも、いずれ近いうちにその母親と会うことになるだろうという予感が自分の中にあり、これも信憑性の高いものであった。

 それには、もう少し正則の中で頭を整理する必要があるのと、麻衣子のことをもっとよく知りたいという思いとが交錯した。

 母親のことだけではなく、麻衣子のことを知りたいと思うのは、男としての本能のようなものだった。

「麻衣子さんは、絵を描く時、見えているものを忠実に描く方ですか?」

 麻衣子は少し驚いたような表情をした。

「ええ、私はなるべく忠実に描ければいいと思っています。だから全体を描くのではなく、被写体を絞って描くことが多いんですよ」

「被写体を絞ると、忠実に描けますか?」

「……」

 麻衣子は返事に困ってしまっていた。

「ゆっくり考えればいいからね」

 というと、麻衣子は少し安心したような表情になり、

「私は、元々絵を描くというよりも、詩を書くことが好きだったんです。自然に囲まれたところで詩を思い浮かべていると、楽しい気分になります。特に詩や俳句というのは、ある程度短い文章で、自分の気持ちを最大限に表現するという意味で、とても楽しかった。結構嵌ってしまいましたね」

「僕も中学の頃、俳句に少し興味を持った時があったんですよ。今言われたように、限られた言葉で表現することが好きだったんだけど、それでも絵の方が好きだったんでしょうね。俳句よりも絵の方に集中するようになり、俳句に興味を持っていたのが、かなり前の記憶になってしまいました」

「私は、今でも絵を描くこともしていますし、詩を書くことをやめてはいないんですよ。両立というよりも、絵を描いていることで、詩を書くアイデアが生まれてくるし、詩を書くことで、絵を描く上での視点が見えてくるゆな気がするんです。それはいい意味での相乗効果と言えるんでしょうね」

 まさしくその通りだった。

 正則も、俳句を考えている時、被写体を見る目が絵を描いている時と違っていることは分かっていた。そして、違った視線ではあるが、俳句を考えている時に見ていた視線から、

「今度、ここでデッサンしてみたいものだ」

 と感じたこともあった。

 正則が俳句を考えている時、舞台となっているのは、草木が生えているところが多かった。最初から意識していたようにも思うが、それは今になって思うことで、その時はハッキリとした意識の中にはなかったことだった。

 理由の一つとして、

「草木であれば、四季折々の違った情景がクッキリと分かれているからだ」

 と思っていた。

 俳句というのは、季語があっての俳句なのだ。季節感がハッキリしてこそ、俳句を考える土壌に立つことができると言っても過言ではないだろう。国語の授業などでは教室にいて俳句を作ることになるが、一度自然に触れて俳句を作ってみると、教室で作る俳句など、まるで絵に描いた餅のようなものに思えて仕方がなかった。

 俳句の場合は、詩に比べれば制限が多い。季語が入っていなければいけないという制限と、もちろん、五・七・五という文字数の制限もある。他の和歌に比べても、一番文字数が少ないものである。それだけに、比喩も難しいが、逆に比喩ができなければ、俳句ではないと言ってもいいかも知れない。

 だが、詩などと違って俳句を勤しんでいるなどというと、

「若いのに、やけに辛気臭いものに興味を持って」

 という眼で見られたものだ。

 もっとも、詩を書いていたとしても、男であれば、あまりいい目では見られていないかも知れない。詩というと、「ポエム」と英語で表現されるように、メルヘンチックなイメージが強い。どうしても、女性っぽさを感じさせるものだ。

 しかし、考えてみれば、昔からの詩人というのは、皆男ではないか、百人一首や和歌集のような平安貴族の世界であれば、女流もいたが、なかなか近代文学ではお目に掛かれない。現代のように男女兵頭のイメージが広がった時代だからこそ、女性のイメージが強いのかも知れないが、ポエムというと女性っぽさを思い浮かべるのは、歴史を知らないからだと言えなくもないだろう。

 正則が詩に走らなかったのは、まさしく、

「歴史を知らなかった」

 という理由が一番であろう。

 正則は、麻衣子には「ポエム」というよりも「詩」という方が似合っているような気がした。

 麻衣子がメルヘンチックではないというわけではないが、詩を書いているという話を聞いた時、凛々しさしか思い浮かばなかったからだ。それはやはり絵を描いているイメージが頭の中にあったからかも知れない。しかも、その後に、絵を描くことと詩を書くことの自分の中での関連性を聞かされたことで、余計にそう思うようになったのだ。

「詩を書いている時、目の前に見えるものを関連付けて見てしまうことがあるんですよ。本当は一つ一つが単独であるにも関わらずですね。だから、何とか単独になるように見方を変えてから、それから詩の題材に組み込もうとする。どうして関連付けるのかというと、どうしても、絵を描いている時というのは、すべてを一気に描くことはできない。見ることはできても、集中しなければいけないのは一点だけなんですよ。だから、何度も被写体を見つめることになる。そして、関連付けを最初に感じたそのままに描いていかないと、違ったものが出来上がってしまう気がするんです」

「そうですよね。絵を描いていく上で難しいところだと思います。一気に描けない分、気持ちを切らさずに、最初から最後まで同じように集中しておかないといけないという考えは、僕にもあるからですね」

「ええ、だから私は絵を描く時、全体を描かないんです。被写体を最初に決め、集中させると、そこから先はずっと同じ集中力を保とうと考えます。それが絵を描いていく上で、一番最初に乗り越えなければいけないことだと思い、そして、それが本当は一番難しいことなんだって思います」

「麻衣子さんは、その時に、絵を省略して描こうと思ったことはありましたか?」

 また同じ質問をしてみた。

 一度、思いを吐き出した後に聞いてみることなので、今度は少し違った意見が聞けるかも知れないと思ったからだ。

 しかし、それは麻衣子を迷わせることになったが、それでも、麻衣子は口を開いた。

 麻衣子のような女の子は、考えに入ってしまって迷った後に開いた口から出てくる言葉は、ハッキリと自分納得させることではないかと思っている。中途半端な気持ちで答えを出すようなことを、麻衣子はするはずがなかった。

「ええ、確かに省略して描こうと思ったことはありました。というよりも、一度そう感じてしまうと、それから以降、省略して描くということが当たり前のようになってしまった気がするんですよ。だから一時期私は絵を描くのを止めていた時期がありました。実は母にもあって、私はそれが自分と同じ理由ではないかと思っているんです。親子なんだなって思いましたよ」

 そういって、麻衣子は苦笑いをした。

「親子?」

「ええ、親子だから母が同じように絵をしなくなった理由が分かった気がするし、その理由が自分と同じで、母も自分と同じように、また絵を描き始めるんじゃないかって思うようになりました。あれから母が絵を描いているところを私は見たことはないんですが、きっと今はもう絵を描き始めているのではないかと思っています」

「それは、見ていて分かるものなんですか?」

「ええ、絵を描いている時の母のイメージが普段の母から想像できる時は、絵を描いている時で、想像できなくなると、絵をやめている時なんです。言葉でいうと簡単に聞こえるかも知れませんが、結構難しいんですよ」

 正則はその話を聞いて、自分を自分が絵を描いている時のことを想像してみた。

 子供の頃から、絵を描いている自分の姿を、客観的に見ることができていた。

――絵を描くことに集中していないのだろうか?

 集中していれば、自分を客観的に見るなどできるはずはないと思っていた。

 しかし絵を描いている自分の姿を想像している時、実は結構筆の動きは好調だった。見えている視界も良好で、普段よりも遠近感、あるいはバランス感覚という絵を描く上で重要な資質を感じることができるのだ。

――「人のふり見て、我がふり直せ」ということわざがあるが、「自分のふりを見て、自分を再認識する」ということもありなんじゃないかな?

 と思うようになっていた。

 正則にとって、絵を描くことは自分を顧みることだと感じたのはその時だった。

 ちなみに、俳句を描いている時というのも、同じように自分の姿を客観的に見れるようになった。

――俳句を書くようになったから、自分を客観的に見ることができるようになったんだろうか?

 と思ったほどだが、本当はそれ以前から自分を客観的に見ることができていた。

 しかし、そのことを意識はしていなかった。見ることができていたのに、それが自分のためになることだとは到底思えなかったので、

――邪魔な意識――

 として、記憶に封印することもなく、その時に漠然と感じたこととして、スルーしていただけだった。

 そういう意味では俳句を書くようになったのは、自分の中での一つの転機だった。絵を描いているだけでは感じることのできなかった思いを感じることができたのだ。その時の正則は、

――これを感じることができるのは俺だけではなく皆できることなんだ――

 と思っていた。

 思春期の「成長の証」としての経験なのだと思っていたのだ。

 正則は自分を客観的に見ることができるようになったことで、絵の中に思わず自分が描いている姿を描こうとしてハッとしたことがあった。

 その時は、自分を客観的に見ているという意識がなかったので、自分が目の前の光景を改ざんして描いているような気になったのだ。

 ただ、なぜ自分を描こうとしたのかということを考えた時、

「自分の姿が思い浮かんだからだ」

 と、自分に言い聞かせたが、その理由までは分からなかった。

 それが俳句を書くようになってからのことなのか、それ以前からのことだったのか、ハッキリとしなかった。

 今までに何作品の絵を描いてきたことだろう。毎日のように絵を描きに出かけていたこともあったし、一日で描き上げた作品もあれば、数日かかったものもあった。数日かかったものの中には、途中で投げ出してしまおうかと思ったものもあったが、ほとんどは最後まで描き上げた。

「プロじゃないんだから、最後まで描き上げることが先決なんだ」

 と自分に言い聞かせてきた。

「麻衣子さんは、絵を描いている時、自分を意識したことってありますか?」

「私はないですね。でも、お母さんは、自分を描きそうになってビックリしたことがあるって言ってました。何を言っているのか分からなかったんですが、正則さんがまさかその話題を出してくるとは驚きです」

「僕は、絵を描くということ以前に、自分が普段見ている視線とは別に、自分を客観的に見ているもう一人の自分を感じることができるんですよ。中学生くらいの頃にそれを最初に感じたんですが、それは私に限らず、皆同じことを思っているんじゃないかと思っていたんですが、そうじゃないということに気づくまで、結構時間が掛かったような気がします」

「お母さんとお話してみたいですね」

 というと、麻衣子は笑顔を浮かべ、

「ええ、ぜひそうしてあげてください。お母さんはいつも一人で孤独にしているんですが、見ていて違和感はないんです。寂しさは感じられないので、私もずっと安心していたんですが、最近は楽しそうにしている母の顔を見てみたくなったんですよ」

「それはどうしてですか?」

「私も、いつも孤独を感じているんですが、寂しさは感じていません。笑顔をあまり見せることもないし、さっき正則さんが言われたように、私も絵を描いている時以外で、自分を客観的に感じることはあるんだけど、その時、自分が笑顔を見せたことがなくて、笑顔の自分を想像することができないんですよ。正則さんといると、私も笑顔になれそうな予感がしているので、きっとお母さんも正則さんとお話をすることで、笑顔になれそうに思うんですよ」

 正則の顔を真正面から覗き込む麻衣子の顔は、今までにないくらい輝いていた。

――この顔、懐かしい気がするな――

 最近、懐かしいと思うことが多いような気がしてきた。

 以前、読んだ本の中に、

「懐かしいと思うことが多くなったり、昔を思い出すことが多くなれば、死期が近づいたことになるんだよ」

 というセリフがあったのを思い出した。

 当たり前のことを言っているように思えたので、読んでいる時はさほど気にすることもなくスルーしたが、思い出してみると、ゾッとするセリフだったということにいまさらながら気が付いた。

「ねえ、麻衣子さんはお母さんに何か遠慮があるのかい?」

「どうしてですか?」

「いや、さっきのセリフで、『そうしてあげてください』ってあったでしょう? どこかよそよそしさを感じたものだからね」

「そんなことはないですよ。ただ、お母さんは時々、急に支えてあげなければいけないと思うほど頼りなく見えることがあるんです。さっき正則さんとお話していて、母の顔を思い出したんですが、その時の表情が、いかにも頼りなさそうに感じたので、思わずそういう表現になってしまったんだと思いますわ」

 麻衣子のその表情は、頼りない人を前に、自分がしっかりしなければいけないという意識が溢れているように見えた。

 麻衣子の母親と会う機会を得た正則は、父親から見せてもらった写真を手にしていた。その写真は父親が死んだ時、形見として正則が自分で持っていた。父親が死んでから少しの間は時々見ていたが、次第に見なくなった。おじさんの家の居心地の悪さから、写真を見る気分にもなれず、やっとその居心地の悪さから解放されると、今度は、写真を見ることが億劫になってきた。以前の息苦しい生活を思い出しそうで嫌だったからだ。

 それなのに、気が付けば母親のことを思い出していた。麻衣子の母親がどんな人なのか分からないが、それは自分が母親というものを知らないからだと思っていた。世の中にはいろいろな母親がいるが、どんな母親でも子供に対しての想いは変わらないと思いたい。しかし、それができないのは、おばさんを見ていたからだろう。

――自分の息子には過保護なくせに、他人の子供となると、露骨に嫌味なことをする。そんな人がどの面下げて、母親だなどと名乗れるというのだ――

 と思った。

 この時にそう思ったのは、表に出ている正則ではなく、客観的に自分を見ている正則だった。そのことをハッキリと自覚できるというのは、表に出ている正則は、決して人を憎むことのできない性格だということだった。

「汚い部分は、もう一人の自分がすればいいんだ」

 心の声がそう言っているのを、正則は自覚していなかった。しかし、実際には人を憎んだり、蔑んだり、妬んだりするような部分は、明らかにもう一人の自分の仕事だった。

――もう一人の自分は嫌な気分にはならないのだろうか?

 もう一人の自分の存在を意識するようになってから、正則は今まで感じていなかったような露骨な感情を抱くようになった。

 恨み、蔑み、妬み、ハッキリと意識している。しかも、それを自分の中で正当化できているような気がするのだった。

 いくら客観的に見ているもう一人の自分の感情だとはいえ、「他人事」のように思っているのは、逃げではないかと思う。そう思った時、自分が孤独であることを一番自覚していた。

 孤独だからこそ、露骨な感情を抱くことができる。もし、少しでも他の人と感情を通わせてしまっていれば、露骨な感情を抑えなければいけない。孤独であっても、感情を自由に解放できるということは、正則にとって喜びである。

 正則は、麻衣子から連絡をもらった。

「お母さんも、あなたに会ってみたいと言っていましたよ」

「それはありがたい絵のお話などで三人、話が盛り上がればいいですね」

「ええ、母も絵を描いている人といろいろお話してみたいって以前から言っていたので、よかったです」

「お母さん、楽しそうでしたか?」

「ええ、あまり感情を表に出す人ではないので、私もビックリしたんですが、それだけ誰かとお話をしたかったのかも知れませんね。新鮮な気持ちになったんだって思います」

「そういってもらえると嬉しいです」

「三日後、母はパートがお休みなので、その時がいいって言ってますけど、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「じゃあ、三日後、私と待ち合わせをして、私が正則さんを家に連れていきますね」

「ええ、それがいいです。僕も楽しみですよ」

「よかったです。普段からあまり人と話すことのない母なので、娘としても楽しみなんですよ」

「日頃の募る思いを話してくれればいいので、気楽にいきましょうね」

「ええ」

「じゃあ、三日後ですね」

「はい、その時はよろしくお願いいたします」

 そういって、電話を切った。

 三日というのは、あっという間のようで、なかなか過ぎてくれないこともあった。最初の一日はあっという間に過ぎるのだが、二日目にどんな気分になるかで、三日後があっという間だったのか、それとも結構過ぎてくれなかったと思うのかが決まるのだ。

 正則は、翌日会社の帰りに、この間の境内に立ち寄ってみることにした。なぜ立ち寄ろうと思ったのか分からないが、急に思い立ったかと思うと、あっという間に、行かなければ気が済まないくらいの気分になっていた。

 仕事が終わって夕日を背に浴びながら、前に来た時のように足元の影を気にしていた。長く伸びた影を追いかけるように歩いていると、気が付けば、目の前に赤い鳥居が見えてきているのに気が付いた。

 その日は前の時のように踵を返して後ろを振り向いたりしなかった。前の時は鳥居に最初から気づいていたが、その日は、鳥居というよりも自分の足元から伸びる影を見ながらだったので、鳥居が目の前にあったという印象だった。だが、突然現れたという印象ではない。最初からそこにあるという意識を持って頭を上げたのだ。まだ二回目の来訪なのに、もう何度も訪れているような感覚に、正則は違和感を持っていなかった。

 背中に熱いものを感じた。首筋あたりから、汗が背中を流れているのを感じた。それは一筋ではなく、幾筋もあった。背中を掻きたい気持ちもあったが、そのうち慣れてくるという気持ちが芽生え、そう思うと、意識しなくても気持ちが悪くなくなってきた。

――気の持ちようなんだわ――

 と感じるようになったのだ。

 石段を上がっていると、少し違和感があった。前に上った時と少し違ったからである。最初はどこから来ている感情か分からなかったが、歩いているうちに、なぜか疲れを感じるようになったことで分かってきた。

「以前来た時は、この石段が不規則な段差になっていると思ったのに、今日は、本当の階段のように、規則的な段差になっているんだ」

 と感じたのだ。

 それなのに疲れを感じるのは、もっと楽なはずなのに、思ったよりも足にだるさを感じたからだろう。規則的な階段を上っている時に得てして疲れを感じるのは、動きが同じなので、昇っていくうちに足が重たくなっていくはずであることに気づいていないからではないだろうか。

 特に以前はもっと疲れたはずだった。その思いが意識というよりも身体が覚えていて、意識が身体の記憶を理解していないと、こういうことになるのだ。石段を昇っていくうちに、本当は重たくなっているはずの足を感じていないつもりでいる。それがもどかしさになり、

「理由のない疲れ」

 を引き起こしているのだろう。

 それともう一つ、

「昇っても昇っても、上の鳥居が近づいてこない」

 と感じたこともあった。

 石段を昇り終えたところに境内に向かうための敷石の前に、石でできた鳥居があったのは覚えていた。だから石段を昇る時に目標にするのは上の鳥居だということを最初から意識していた。

 前の時もそうだったが、今回も石段を昇りながら見ているのは、上の鳥居だった。これは前の街にもあった同じような神社の境内に昇る時から一緒だったことだ。

――前の街でも同じ感覚に陥ったことがあった――

 それは、正則にお兄さんから、

「一緒に住まないか?」

 と言われて、今まで住んでいたおじさんたちも、厄介払いができると思ったのか、二つ返事で了承が出て、とんとん拍子に話が進んだ時のことだった。

 もちろん、正則にとっても願ったり叶ったりで、誰もが喜ぶべき、最高の着地点だった。

 正則は、次の日さっそく、境内にお参りに来た。

 実は、いつもここに来て、

「少しでいいので、今よりもマシな生活ができますように」

 とお願いしていた。それが実ったのである。

 しかも、「少しでも」どころではない。最高の形ではないか。自由も手に入れることもでき、嫌な人たちとも別れることができる。やっと人並みの扱いを受けることができ、

「人生これからだ」

 と思った。

 学校で、

「人は皆平等なんだよ」

 などという言葉を先生の口から聞かされて、先生を嫌いになった。

 近所のおばさんたちとの「井戸端会議」で、いかにも正則のことも平等に扱っていると言わんばかりのくせに、口から出てくるほとんどは、自分の子供のことだ。

 おばさんの家では差別待遇を受けていた。

 それを当然のように思っていたのは、そう思うようにまわりから仕向けられていたこともあったが、

――そう思って、何も感じないようにすることが、一番楽だ――

 ということを正則自身分かっていたからだ。

 この感覚には大きな矛盾があった。

 本当は、平等に扱ってくれないことへの恨みや、贔屓される人に対しての妬みを感じていながら、自分が黙っていることで平静を装って、自分が必要以上の負い目を感じることがないという思いを抱いたからだ。

 そんなことは分かっている。だからこそ、余計に自分の殻に閉じこもっていた。境内でお参りした時も、

「少しでも」

 という謙虚なお祈りになってしまった。

 しかし、謙虚な気持ちというのは、それ以上波風を立てないという思いが含まれている。余計なことをすることで、今よりも事態を悪くしてしまうことを嫌う。それは蔑まれている人の捻くれた感情の歪みであり、決して表に向けられるものではなかった。

 そんな感情を思い出しながら、石段を昇っていくと、やっと昇り切れるという思いがしてきて、気が付けば、鳥居を抜けていた。

「昇り切ったという意識はなかったのにな」

 と感じたが、昇り切ってしまうと、さっきまでの疲れは消えていた。そのかわり、息切れを感じていて、疲れよりも息切れから、すぐに立ち上がることができないでいたのだ。

 座り込んでいる状態から境内を見ると、以前に感じた左右対称の建物が見えてきた。賽銭箱の前まで続く石畳が異常に長く感じられたのは一瞬だったが、立ち上がってみると、確かに前に来た時よりも境内までの距離を長く感じた。

 さすがに今日は以前のように絵を描いている人はいなかった。その分、境内に広さを感じ、しばし、そのまま見つめていたいという気分になった。

 金縛りに遭っているわけではなかったはずなのに、そのままじっと見つめていると、ある瞬間、ふっと身体が軽くなった。

――やはり金縛りに遭っていたのかな?

 と思ったが、正面を見ていたはずの正則は急に背中に視線を感じ、思わず踵を返して、今昇ってきた方に振り返ってみた。

 鳥居がまるでキャンバスの枠のように、街の光景が見えてきた。

 海が思ったよりも近くに見え、その光景は、見慣れたものだったのだ。

――あれ?

 この光景は、前に住んでいた街の光景ではないか。思わず目を疑った正則は、腕で目をこすってみた。

「夢じゃない」

 夢を見ているはずなどないと分かっているのにどうして、

「夢じゃないんだ?」

 と、簡単に夢のせいにしてしまうのか、不思議な光景を見た時、いつも正則は感じていた。

 考えてみれば、いつも感じていたということは、それだけ何度も不思議な光景を目の当たりにしてきたということになる。

 ただ、それは定期的に感じたことではなく、ある一定の期間、何度も不思議な光景を見た時期があったというだけで、その一定の期間というのも、今思い返してみれば、あっという間のことだったように思えている。

「少しでいいので、今よりもマシな生活ができますように」

 と思ったのは、その頃だったのではないだろうか。

 不思議な感覚を味わっていた時期、

「何でもできるんじゃないだろうか?」

 と思ったのも事実で、その時、少なからず、感覚がマヒしていたのかも知れない。

「夢と現実の狭間に、今まで見たことのない世界が存在しているとすれば、その世界を覗くことはできるのだろうか?」

 と思ったことがあったが、

 その時にいろいろ感じた結論として、

「一生のうちに一度だけ見ることのできるものなのかも知れない」

 と思った。

 そして、正則が前の悲惨な生活から抜け出し、自由を手に入れた時、再度同じ命題について考えてみたが、その結果として、

「確かに一生のうちに一度だけ見ることができるが、それを見てしまうと、自分の死期を近づけてしまったことになるのではないか」

 という思いを抱いたのだ。

 ということは、

「見てはいけないことなんだ」

 という意識が頭にあり、この発想が昔から言われている、

「死神の発想」

 に結びついてくるのではないかと思われた。

――そういえば、前に住んでいた街の神社では、裏に墓地があったな――

 正則は、ふいにそのことを思い出した。

 いきなり思い出したように思ったが、この神社に足を踏み入れた時から意識があったような気がしていた。それは今日というわけではなく、最初に来た時にも感じたことだった。

 赤い鳥居を見た時にはすでに意識していたような気がする。そう思うと、あの時踵を返して後ろを見たのも、何か予感めいたものがあったのかも知れない。

 一度境内の方に向き直り、それからもう一度踵を返した。鳥居から見える光景は、もう前の街の光景ではなかった。ただ、二度目に見るはずの光景だったはずなのに、やけに懐かしく感じるのは気のせいだろうか。ただ、これによって前に住んでいた街との縁が、本当に切れたような気がしてホッとしていた。

「俺は、これからこの街で生きていくんだ」

 この間、やっと高校生になったことで、少し大人に近づいたような気になっていただけなのに、今はすでに大人の仲間入りしたくらいの気分になっている。ここから見る光景に懐かしさを感じることで、以前から住んでいたような思いは錯覚なのだろうが、錯覚でもいいから、大人の仲間入りをしたと自覚している自分は、今までの波乱万丈な人生が、これからの自分に大きな影響を与えるように思えてならなかった。

――これが自信というものか――

 正則は今までとは違う孤独を感じていたが、この孤独は大人になった自分を感じているようで、頼もしく見えていた。

――何か、吹っ切れたようだ――

 今までの自分は、孤独の中に鬱憤をため込んでいたことを自覚していた。

 ため込んだ鬱憤はいつの間にか消えていて、鬱憤というものは、自然消滅するものだと思い込んでいた。

 だが、本当にそうだったのだろうか?

 自然消滅したというよりも、どこか自分の意識の外にある空間に、捨ててきたという意識を今は持っている。意識の外にある空間は、次元の違う空間で、そばにあっても見ることができないものだ。

 そんな都合のいい空間が存在していていいものかと思ったが、次元の違う空間は本当に存在していて、見ることができる人とできない人の二種類いるだけなのかも知れない。

 今まで見ることができなかった人でも、今回の正則のように、何かのきっかけで見ることができるようになるなるのだろうが、一度見えるようになると、ずっと以前から見えていたような錯覚を覚えることで、

――自分は、次元の違う空間を見ることができる人間なのだ――

 という自覚をずっと持ち続けることになる。

 途中から見えるようになる人は正則に限らず、少ないわけではない。年齢的にも様々で、誰にでもいくつかは持っている人生の分岐点が、今まで見えなかった世界の空間を見せるきっかけになるのであろう。

 正則にとってのきっかけは、移り住んだ街に、以前いた街と同じような神社が存在したことだった。石段の最上段から見た光景が、前の街で見た時と、今回移り住んだ街で見る今とでは、まったく心境が違っている。その心境の違いが大きければ大きいほど、一度前の光景を見せつけられることで、記憶の奥に封印するための意識を生み、さらに新しい街で見た光景を、以前から知っていたかのように思わせるために必要な状況を生み出したのだ。

 正則は、石段の上から見た前の街の光景を意識できなくなっていたが、境内の裏にある墓地の記憶はハッキリと残っていた。その光景は子供の頃にも感じたことのあるもので、

――その頃って、まだ父親が生きていた頃だったはずなので、この街のはずはないんだけどな――

 と、前の街にいた時から不思議に思っていた。

 裏にある墓地には、時々立ち寄った。別に用があるわけでもない。デッサンをしたという意識もない。ただ、線香の匂いが漂っている空間を歩くのが好きだったという意識だけは残っている。

 正則が墓地に立ち寄った時、墓参りをしている人に出会ったことは一度もないが、線香の匂いはしっかりと残っている。

――ついさっきまで、誰かのお参りに来ていたんだな――

 と、漠然と思っていたが、いつもニアミスを繰り返していることに対して、さほど不思議に感じることはなかった。

 誰かと出会うのが、あまり好きではなかったからであった。

 とりあえず、無言で頭を下げるくらいのことはするだろう。相手も会釈をしてくれるかも知れないが、形式的な挨拶だという意識になってしまうのが分かったからだ。

 場所が墓地だということを意識しているからなのかも知れない。ただいつも同じ場所に線香が焚かれている。白い煙が風になびくように立ち上っているのを見ると、静寂を余計に感じるのだった。

 正則は、境内への石畳をゆっくり歩き、狛犬の前を横切ると、その向こうに見える境内の裏への道を見つけた。この道も、前の街の墓地までの道にそっくりに思えたが、さっき石段から見えたと思った前の街で感じていた光景が意識の中から消えてしまったことを思えば、今感じている記憶も、本当に前の街のものだったのか、疑問に感じていた。

――ここにいれば、前の街の記憶がどんどん消されて行っているような気がする――

 それは嫌なことではなかった。

 消えてくれて結構なものであり、新たな生活を始める上では、却って好都合と言えるのではないだろうか。

 消えてしまったと思っている記憶は、封印されてしまったのか、本当に抹消されたのか分からない。しかし、思い出したくない記憶であることは確かだった。正則の今までに消えてしまったと思っている記憶の中で、思い出したくない記憶というのがどれほどあったのか、考えるのが怖いほどたくさんあった気がした。

 そんなことを考えながら、正則は境内の裏に回り込むと、自分が思っていた通りの墓地が現れた。

 仄かに匂ってくる線香の香り、

――懐かしい――

 思わず、目を閉じて、顎を突き出すようにしながら、軽く上を向いて感無量の気分になっていた。

 ただ、今までになかったものをその時正則は感じた。

――誰かいる――

 人の気配を感じたのだ。

 人の気配を感じたことで、そこにいるのが、誰なのか想像ができた。

 手を合わせる二人の女性。

 一人は中年の女性で、もう一人は若い女性だった。明らかに親子だった。

 娘の方は見覚えがあった。

「麻衣子さん」

 思わず声を出してしまったが、お参りに集中しているのか、相手は気づかない。

 そして、その横で手を合わせている中年女性の横顔は、以前父親から見せてもらった母親の写真だった。

 そこまで感じると、またしても、懐かしさが募ってきた。

 目の前にいるのが、自分であっても、別に違和感がないように思えてきたのだ。

――むしろ、そこにいるのは俺じゃないといけないんだ――

 そう思って二人を見ていた。

 この墓地の雰囲気、そして二人が手を合わせているお墓の位置、そこは自分の聖域だと思っていた。何度も何度も毎日のようにお参りした場所……。

 そう思っていると、

「お父さん……」

 そう言って、目を瞑って手を合わせている麻衣子がいた。

 次の瞬間、目の前の墓地で手を合わせている正則を、静かな目で見ているもう一人の自分がいたのだった……。


                  ( 完 )

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記憶の中の墓地 森本 晃次 @kakku

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