呑み込まれ、一部となった

うり北 うりこ

海のような人


 『海のような人』と聞くと、優しい心の広い人物を連想するらしい。


 私の母は、海のような人だと周囲から言われていた。いつも笑顔で怒らず、穏やか。友達にもよく羨ましがられた。

 そんな時、いつもどんな表情かおをすれば良いのか分からず、曖昧に笑うことしかできなかった。


 私から見ても、母は海のような人だった。基本的には穏やかという名の良き母像を保てていた。

 だが、私が少しでも母の思い描く娘から外れると、大きな波が押し寄せ、私は波に呑まれないようにするのに必死だった。



 母の理想の娘。それはポンコツな私。


 だから私は、皆ができることができないをして生活した。


 苦手なものが多く、抜けている。鞄や提出書類なんかも日常的に忘れ、母が届けてくれる。

 そんな母に対して、申し訳なさそうな、母が来てくれて嬉しそうな表情を作らなくてはならない。


 良い母親を演じるための道具。それが私だ。


 母の言う大学に入り、母の言う会社に就職した。休みの日は、母と共に出掛け、母のご機嫌とりをする。

 大人になったのだから、どこにでも自由に行ける。それなのに、母の傍から離れられない。

 私自身がどう行動すればいいのか、自分のことなのに分からないのだ。


 私に分かることは、母がどうすれば喜び、怒るのか。それだけだ。


 幼い頃から思考を捨てきたためだろうか。……いや、今更自分で考えて生きる意味を見出だせないのだ。

 母という海に浸かり、生きていく。母が死ねば、私も死ぬ。それで良いのかもしれない。だって、考えるのはひどく面倒だ。



 それなのに、母は私を裏切った。見合いをするように言うのだ。


 私を散々利用してきたくせに、捨てるのか?


 生まれて始めての大きな感情に呑まれた。大きな波のように、その感情は私を呑み込んで、私が私でなくなった。


 いや、私ではあったのだろう。なぜなら、私の手にはきちんと母を赤く染めたそれが握られているのだから。


 あぁ。自由になった。自由になってしまった。


 赤く染まる水の上に私は座る。そして、首にそれをあてると突き刺した。


 私の周りにも赤が広がっていく。母と同じ赤に染まる。薄れていく意識のなかで思う。


 母はやはり海のような人だったと。優しくもあり、理不尽でもあった。

 そして私は母という海に溺れ、いつの間にか母の一部となっていたのだ。


 それが、幸か不幸かは分からない。けれど、生が流れ出ることに幸せを感じずにはいられなかった。




 

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