第2話 素晴らしき人生

 あぁ、今までの人生は、如何に素晴らしかったのだろう!

 これからの会社人間としての生活も如何に素晴らしいのだろう!

 こんな現実は、嘘だ。嘘でしかない。素晴らしく、美しい人生の一つの汚点に過ぎない。

 何故なら、あれほどまでに素晴らしいことが、嘘になるはずがないだろう。

 こっちの方が嘘に決まっている。誰だってそう言う。


 素晴らしい! 素晴らしい生活が待っている! 待っているのだ!

 早くこの汚らわしく、不潔で、不快で、気持ちの悪い嘘よ解けろ! 解けろ! 解けろ! 解けろ!

 嘘はお呼びではないのだ。俺は現実を望んでいる。

 美しい、素晴らしい、最高の人生を。

 会社に行って、仕事をし、眠り、寿命でくたばる。

 その最高で、素晴らしい、掛け替えのない素晴らしき人生を。


 ...なんで? どうして? なんで? どうして? どうして嘘は、消えない。

 まるで、現実のように振る舞ってる?

 意味が分らない? 嘘は早く、早く現実に淘汰されるべきだ。

 ありえない。ありえない。こんなのが、こんなのが現実だなんて、ありえない。あり得るはずがない。俺の人生は、これ程まで不快で、不潔で、気持ちの悪い物ではないんだ。

 もっと、美しくて、素晴らしい物のはずなんだ。気持ちが悪い。

 早く消えろよ! 消えろ! 消えろ! 嘘なんて、消えてしまえ。


 如何に素晴らしい生活、人生を妄想し、騙っても、世の中は無情だ。

 結局は、嘘も、妄想も何もかもを、ぶち壊し、嘲笑う。

 現に俺の部屋には、

『ピンポーン』

 と言うチャイムの音が鳴り響いている。


 どうして? どうしてチャイムが鳴るんだ? まるで、これが現実だって、言ってる見たいじゃ無いか? なぁ、嘘なんだろ? そうなんだろ、だって、こんなの、こんなの有り得ないじゃないか。

 こんな不潔な物が、素晴らしき人生を汚すなんて、有り得ない。ありえない。有り得ない。


 チャイムの音が鳴り響き、俺が混乱を増幅させていると、

「先輩、大丈夫ですか? 電話にも出ないから、心配で、心配で来ちゃったんですけど、大丈夫ですか? お酒飲みませんか? 」

 扉を叩く音が響き、追従するようにそんな事を言う声が聞こえてきた。


 どうして! どうしてお前は、そんなに簡単に、まるで何もないように言うんだ! こっちは、努力をして、それを嘲笑われ続けているんだぞ! ふざけるなよ。ふざけるな! ふざけるな!

 自分に対しての怒りが、一気に後輩に向いた。


 心の奥底、頭の冷静な部分では、

 もしかしたら、後輩が救いを差し伸べてくれるかも知れない。

 もしかしたら、受け入れてくれるかも知れない。

 後輩に怒りを向けるのなんて、絶対に間違っている。

 等々と、考えているのだが、心の殆どは、どうしようもない、燃えるような怒りに支配されていた。


 ふざけるな! ふざけるなよ。お前。

 叫び、玄関に向けて、フラフラとする気持ちの悪い足を動かし続けた。

 心の中は、グツグツ、フツフツと音を立てるように、ドロドロとした怒りがマグマのようだ。


「グギ」

 小さく声が漏れた。

 不快だ。気持ちの悪い。


「おーい。先輩居ますか? 居るのなら、返事をして貰いたいんですが、その、大丈夫ですか? 」

 再度扉が叩かれた。

 煩い。不快だ。気持ちが悪い。


 扉に近づこうと足を動かした。動かし続けた。

 動かし続けたはずだったのだが、何故か俺の体は、ベッドから玄関の動線の中央辺りで、動かなくなってしまった。


 どうして! どうしてだよ! 可笑しいだろ! なんで! どうして!

 心の中で、何度も怒りを爆発させる。

 その声は、誰にも届かなければ、届くはずはない。


 現に、俺の怒りは、

「ハァ、先輩。また明日来ますね」

 と言う後輩の声で、掻き消されてしまった。


 どうして? 行かないで、行かないでくれ。頼む。お願いだから。神様。

 と先程まで、強い怒りを抱いていた存在に対し、懇願をするように、叫ぶ。

 叫び続けた。叫び続けたのだ。叫んで、叫んで、叫んだ。

 声は出せないが、声が枯れるほどに叫んだ。


 だが、

「グギ」

 と汚い音が漏れるだけに終わり、

『コツコツコツ』

 どんどん遠くに去って行く足音が聞こえてきた。


 どうして? どうして? どうすれば? どうすれば良いんだ? 気持ちが悪い。お腹が空いた。気持ちが悪い。俺は、どうすれば良いんだ? 何処に行けば良いんだ? どうすれば良いんだ。

 目の前が、暗く染まり、よく分らなくなってしまった。


 もうこれでいいのかも知れない?

 朦朧とした意識で、最後に呟き、意識が完全に途絶えた。



 令和三年8月23日。

 世間を一つのニュースが、賑わせることとなった。

 数ヶ月前より会社に、出勤していなかった男の家に、人ほどの大きさの巨大な虫のような、獣が見つかった。と言う物だ。

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名もなき虫螻に絶望を 橋立 @hasidate

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