自由な私と、カモ団子。

西奈 りゆ

自由って、何?

「コーヒーのお代わりは、いかがですか?」


「あ、はい。お願いします」


3杯目のコーヒーを頼んでしまって、店内が混みあっているのにやっと気づいた。

ああ、あれは「そろそろ出ろ」っていう意味だったのか。


気分転換に。

そう思って、読みかけの本と書きかけのノートを持ち出したのが、まずかった。

私は今、どっぷりと沼に浸かっている。


31歳。開発部に異動になり、ぜんぜん怒涛の仕事量に追われているうちに、そんな年齢になっていた。

ちなみに彼氏は4年前に別れたきりで、それきりアップグレードされていない。


「やめられないけどとまらない~」


どこかで聞いたお菓子のテーマを無意識に口ずさんでいたら、ちょうどコーヒーを運んできたウエイトレスの女の子に、網戸についた蛾でも見るような目で見られた。

あ。これ使えないかな。使えないんだろうな。


何も考えずにコーヒーをあおったら、口の中をやけどした。

おまけに軽くむせてしまったので、テーブルクロスに染みまでつけてしまった。

とっさにハンカチをあてようとすると、そもそもそんなものを持ってきていないことに気づいて、また気持ちが沈んだ。これでは、何をしに来たのかわかったものじゃない。


「とりあえず、自由な発想で」


私はこういう言葉が一番苦手だ。

前任の上司のような、「このようなコンセプトに沿って」と言われれば、まだいい。

先月赴任してきた上司のように、無駄に「自由な」を持ち出されると、かえって引き出しが閉じてしまうのだ。


望月もちづきさんさ、遊んでこなかったでしょ」


何度目かの企画書の提出の後、会議室に呼ばれた私に上司は言った。

いったい何の話だといぶかっていると、上司は勝手に納得したように頷いた。


「遊びがないんだよね、望月さんの発想には。杓子定規なところがあるとまでは言わないけど」


それはもう「杓子定規」だと言ってるんじゃないかと思いながら、何度目かに繰り返される「自由な発想」という言葉を、あれ以来牛のように反芻している。

たしかに、私は「遊び」だとか、「娯楽」というものがあまりピンとこない。そんなことをしている暇があったら、実のある何かをしていたほうが数段いい。


とはいえ、WEB辞書で「自由」の意味を調べ始めたあたり、私もたいがい重症なのかもしれない。自由という不自由。そんな皮肉が、頭をかすめた。

「とりあえず、自由に」。言われたその言葉が、くさびのように胸に食い込んだ。


さすがにコーヒーだけで居座るのには限界があるので、もう一口口をつけて、詰め込むようにして片づけをし、逃げるように店を出た。

祭日だというのに、ちっとも嬉しくない。


幼いころから、遊ばない子だった。それよりも自分の世界に没頭するタイプで、成長してからは仲間外れにならない程度に人づきあいをして、もっと成長してからは自分の興味関心に没頭して、それが功を奏して就活もクリアして、社会人もやれている。

でもそういえば、最近笑った記憶がない。愛想笑いなら、求められる場であればいくらでもしてきたけれど。


絶対零度という言葉が、頭をかすめた。

そんなことはないとは思っているけれど、笑うこともできない私は、案外とても冷たい人間で、どこかで何かが欠落しているのかもしれない。

仕事には、やりがいを感じている。仕事に必要だから、コミュニケーションは円滑に進めるようにしているし、私だけがそう思っているだけなのかもしれないけど、特段周りともめ事を起こしたこともない。なのに、この冷たさは何なんだろう。

夏と冬の間で置き去りにされた、秋の寒風のような。


「ママ―、カモさんだよー!」


ふと目を向けると、子供連れの親子がいた。

女の子が指さす先には、池から出たブロックの上で丸くなって日を浴びている、夫婦めおとカモがいた。茶色のメスと、首の上から緑のオス。2羽とも、背中に頭と首を突っ込んで、目を閉じている。あれは眠っているときの体勢だと、どこかで読んだ気がする。


「ほんとだねー、カモさんだねー。かわいいねー」


何がおかしいのか、どこにでもいる、どこかで見たようなその女の子は、きゃっきゃきゃっきゃと笑っている。

ふらふら歩いているうちに、いつのまにか広間に出ていたことに気がついた。


「カモさん、まーるくなってるねー。おだんごさんだねー」


言われてみれば、普段持ち上げている首をすぼめて丸くなっているカモは、お団子というか、おはぎというか、お饅頭まんじゅうというか。そういうものに見えなくもない。子どもの発想は自由だなと思って、微笑ましい気持ちにもなったけれど、それが今はそれ以上に、無性に、羨ましかった。


「・・・・・・おだんごさん?」


一瞬、感知したその感覚の正体がつかめなかったけれど、不意に私の脳裏に、その記憶が蘇った。

「カモさん、まーるくなってるねー。おだんごさんだねー」。


急いで振り向くと、通りを歩く人にまぎれてしまったのか、さっきの親子連れはどこにも見つからなかった。不意に、甘い香りが鼻をくすぐった。足元をみると、花壇にコスモスが植えられている。柔らかな甘い香り。


お団子を食べたいと思った。

普段は特に好きでも嫌いでもないけれど、今はとにかく。


Googleマップを見てみると、もう少し歩けば個人の和菓子屋さんがあるらしい。

みたらし団子とヨモギ団子が、とにかく美味しいらしい。


私は、自由が分からない。

けれどとりあえず、わたしは空をあおいで、歩き始めた。

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自由な私と、カモ団子。 西奈 りゆ @mizukase_riyu

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