ストラップ、切れた。

武江成緒

ストラップ、切れた。




「なに考えてんのよ、あなた! こんな危ないもの振り回して!」


 40ぐらいのおばさんが、目、つりあげて怒鳴ってくる。


 怒鳴る口から雨粒みたいなこまかいツバが飛んできそうで。湿気も吐きかけられてきそうで。

 あたしは眉と眉のあいだが、ぎゅっ、と締まるのを止められなかった。




 悪いのは、たぶんアレが始まりだ。

 学校が終わるころに、窓の外は一目でやばいってわかるくらいどんよりしてて。

 天気予報じゃ晴れのち曇り、降水確率30パーって言ってたのに、スマホで見てもそうだったのに。

 家へ走って帰るとちゅうでいきなりザアザア振り出した。


 雨やどりにかけ込んだこのコンビニで、あちこち濡れた服とか髪とかカバンとか、必死になってふいたハンカチはもうベチャベチャ。


 せめて一息つこうと思って、飲み物売ってるショーケースに行ったんだけど。

 決済アプリを確かめたくて、スマホをポケットから出そうと思ったら、ストラップがどこかに引っかかったのか、雨でぬれたポケットがヘンな具合になってたのか、なかなかうまく出てこなくって。

 やっと出せたと思ったら、ストラップのヒモ、よりによってこんな時に切れちゃって。

 ちょい大きめのメタルのアクセが、これもまたよりによって、隣に立ってたこのおばさんのおでこにぶつかっちゃったんだ。




 そりゃ、あたしだって謝ろうと思ったよ。

 でもさ、その前にこんな大声で、こんなコンビニの店内で怒鳴られたら。

 謝るまえにカチンてくるし、だいたいあたしも、わざとおばさんの広いおでこにぶつけたわけじゃないし。


「そんな大声で言うことないじゃないですか!?

 別にわざとやったわけじゃないんですけど!」


 悪かったかなー、とは思ったよ。

 思ったけど、言葉が止まんなくってさ。

 雨が降りだしてからずっと、じくじく服や体にしみ込んでたイヤーな感じが、一気にはじけたみたいになって。


「なんなのあなた! 謝ることもできないの!?

 どういう教育してんのよ親は! ロクでもない親に育てられたんでしょうね!」


 カチン、を通りこして、カッとなった。

 あのアクセ、誕生日のプレゼントにママからもらったものだったんだ。

 こんなことでヒモが千切れてショックだったのに、ママの悪口みたいなこと怒鳴られたら、カッとならないって無理じゃない?




「いい加減にしろよオバサン!

 被害者ぶってえらそうにしてんじゃねえよ!」


 あたしがそう怒鳴ったら、おばさんそのまますっ転んだ。


 いや、ちょっと後ろに下がっただけだったんだろうけど。

 この雨で、コンビニの床も濡れてたんだ。

 そういやここ、店員の数が足りなくって、管理わるいって評判の店だった。


「なにすんのよ! 警察よ! 警察!!」


 おばさんの中じゃ、あたしに突き飛ばされたみたいになってたのかな。

 そう叫びながら、手、のばしてあたしの足をおもいっきり、なぐりやがった。

 いや、パニクって、手、振り回しただけだったのかもわかんないけど。

 おばさん、その手にお酒のビンをつかんでた。

 すぐ横にお酒のコーナーあったんだ。だからこれも、ついつかんだってだけかもだけど。


 でも、ガラスのビンで足なぐられたんだから。

 すっげえ痛い。あれ、ベンケイのなんとか、ってやつ。

 んで、今度はあたしがビショビショの床ですべって、思っきし頭ぶつけた。




 頭が痛い。足が痛い。

 それに濡れた。なんとかハンカチでふいたばっかの髪と服が、床のビショビショでまた濡れた。

 いろんな客の足でふまれた、きったない床のビショビショで。


「なにしやがるこの人殺し!!」


 立ち上がってカバンぶん投げる。

 カバンぶん投げたつもりだったんだ。

 でも手に引っかかったのは、なんか冷たくて硬いモノで。

 あっ、これ、違う、と思ったときにはもう遅かった。


 引っ掛かったのは雑誌のスタンド、これまたつるつる滑っちゃって。 

 おばさんに直撃はしなかったけど、お酒の棚にぶつかって。 

 ビンがぜんぶころげ落ちて、ガチャンって音がした。

 お酒のにおいが立ちこめて、思わずウェッてなったけど。

 おばさんビンに足とられて、さっきよりもすごい勢いですっ転んだ。


 あっ、これやばい。下手したら割れたガラスでケガするんじゃ。

 その予感が当たったのかな。おばさんすごい声で叫んで。


 割れたビンをひっつかんで、こっちへなぐりかかってきた。

 ウソだろ。あんなもんでなぐられたら殺される。


 あたしは雑誌のスタンドもう一つつかむと、おばさんの方へ押しやった。

 おばさんスタンドとショーケースとに挟まれて、ぐえっ、てキモい声だした。

 でもそれで止まってくれるわけじゃない。

 ますますやばい顔つきになって、ビンをむちゃくちゃに振り回す。




「おいやめろ!

 なにやってんだお前らぁ!」


 いきなり後ろから抱きつかれた。

 なんていうか、濡れた、イヤぁな臭いが鼻をつく。

 べっちょりとした感じが体をつつみこむ。


「ひいぃぃぃぃぃぃ!!」


 振りはらおうと必死であばれる。

 頭にガツンと痛みが走る。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 後ろのヤツも、濡れた床ですっ転ぶ。

 振り向くと、すっごい汚れた感じの作業服きたおじさんが、鼻から血だして倒れてた。




 あのガツンって、あたしの頭が鼻に当たったやつだったんだ。

 このおじさん、いまこの店に入って来たのか。

 それであたしとおばさんを見て、引き止めようとしたのかな。




 そんな風に落ち着いて考えるのは、いまのあたしにはムリだった。

 おばさん怖いし、この汚れて濡れたおじさんが後ろから抱きついてきたっていうのが、もう何ていうかムリだった。

 チカンされたって感じのほうが強かった。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 出口へ逃げようとしたら、スカートが引っ張られた。


「なにしやがるこのガキ!」


 そう怒鳴ったおじさんの声は、すぐに悲鳴になっちゃった。

 おじさんをあたしが蹴ったからだけじゃない。

 雑誌スタンドを横へ倒したおばさんが、なにを思ったか、ビンでおじさんをなぐったからだ。


 もうあたしはひたすら怖かった。

 逃げることしか考えてない。

 後ろのドタドタいう音に、通りがかった健康ドリンクコーナーのビンを投げつけながら、カウンターへと走りよった。




 カウンターには店員さんの姿がなかった。

 いや、いることはいたんだけど。

 カウンターの向こうの床にくずれ落ちてて、頭から血をながしてた。




 ああ、なるほど。

 店員さんが止めにこなかったハズだよねこれ。

 あわてて駆けこんで来たから、今の今まで気がつかなかった。


 一体だれがこんなこと。

 コンビニ強盗ってやつかな。


 それとも。

 あたしたちがああなった、そんな事故みたいなことが。


 そんなことを考えているヒマはなかった。




 だれか倒れた、ビンが割れた、雑誌スタンドがひっくり返った、それどころじゃないすっごい音が爆発して。


 出口がいきなりはじけ飛んだ。


 ガラスがばらばら降ってくる。

 おばさんか、おじさんか、それともあたしがあげたのか、悲鳴がそれに重なって。


 カウンターのすぐ近くにまでめり込んで、クルマが一台、店に突っ込んできてた。

 フロントガラスのむこうには、目を丸くしたおじいさんの顔があった。

 ああ、この前もニュースで聞いたよ。

 ブレーキとアクセル踏みちがえたとか、方向わからなくなったとか、そんな感じのやつだねきっと。


 ぼんやり考えていたら。

 あっちは何をどう考えたか。おじいさん、めちゃくちゃ怒った顔になって。

 ゆっくりバックしたかと思うと。


 ほんと何を考えたのか、すごい勢いでまたクルマを店の中へと突っ込ませてきた。




 雨はまだ弱まりもしない。




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ストラップ、切れた。 武江成緒 @kamorun2018

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