ティアドロップ

香坂 壱霧

 💧  💧  💧

 こどもたちが遊ぶ公園のベンチで、少女はうつむいていた。合服あいふくになったばかりの長袖のブラウスは、ぬぐう涙でぬれている。

 砂場で遊んでいるこどもが時折、少女のほうを見ているけれど、彼女はそれに気づいていない。周りを気にすることなく泣いているらしい。

「どうしてないているの?」

 砂場で遊んでいたこどもの一人が、少女に近づく。

「……ほっといて」

 ──なんにも知らないこどもに、冷たくあたるっておとなげないよね。

 少女はそう思いながら、その手で顔を覆った。

「泣いてたらね、かなしい涙をかなしいきもちといっしょにぜーんぶすいとってくれる妖精さんにあえるんだよ」

 こどもは無邪気に、少女に話しかける。

 ──妖精なんているわけないじゃん。

 そう思いながら少女は顔を覆う手で、再び涙をぬぐった。

「ママがいってたんだよ! ここで泣いていたら、妖精さんがかなしいきもちをたすけてくれたんだよって。ママ、うそいわないんだから!」

「へぇ」

 純粋なこどもの気持ちを馬鹿にするつもりはないけれど、少女は適当な相槌を打っておいた。

「ほんとなんだから!」

 こどもはそう言って、砂場に戻っていった。

「妖精なんているわけないじゃない」

 少女は、つぶやく。

「悲しい気持ちだけなくなるなんて、そんな都合いいこと、あるわけないじゃん……」

 放課後、少女は見てしまった。付き合い始めて半年の彼氏が知らない女の子と歩いているところを。

 失恋なんかで泣いたりしない。そう思っていた。でも、気が付いたら涙があふれていた。

「ずっとずっと好きだったんだから。中学の頃から、ずっと。告白されて調子にのっちゃったのかな……」

 中学からの想いが通じたのは、高校入学して間もないころだった。同じ高校に入学できたもののクラスは離れてしまい、これでまた片思いのままだと思っていたとき、彼からの告白があった。

「悲しい、ですか?」

 少女の前に帽子を目深にまぶった少年が立っていた。知らない少年に声をかけられて、少女は身構えた。

「失恋というものは苦い涙らしいですね。でも、ただ苦いだけじゃない。その涙と悲しみ、あなたは消してしまったほうがいいですか? 消し去りたいですか?」

 いきなりそんな言葉をかけられてもなんといえばいいかわからず、少女は黙り込む。

「長い間、心の中にあったものは、涙で洗い流してしまうのがいいとは思いますが、あなたはその涙、いまのその悲しみ、消してしまいたいですか? 今までの想いを忘れてしまいたいですか?」

「どういう事ですか?」

「ぼくは、悲しみの涙を集めています」

「涙を?」

「あなたのその涙と悲しみを、ぼくが消し去ってあげると言ったら、……あなたはどうしますか?」

「ほんとうに、彼氏のこと、全部忘れられますか?」

「信じていませんね。その顔」

 少女は、当然と言った顔をして頷いた。

 少年は、ポケットから小さな小瓶をいくつか取り出す。

「ほら、この中見てください。悲しみの涙にも種類があって、憎しみが混ざっていればこんな風に濁ったものが沈殿してしまいます。こちらの涙は、きれいな色をしています。でも、これも悲しみの涙なんです」

 少女は、少年の言葉を少しだけ気味が悪いと思い、そこから立ち去ろうとベンチから立ち上がった。

「あなたは、彼氏の隣にいた少女を恨みますか? それとも、彼氏を恨みますか? それとも、彼氏を忘れるまで泣いて過ごしますか?」

「あなたに何がわかるの?」

「わかりません」

 少年は、感情のない声でかぶせ気味に言い切った。

「感情は、その人だけのものです。ぼくにはわからない。でも、悲しみの涙は、ぼくたちの国を救うんです」

「涙が、国を救う?」

「人間の醜い争いに疲れたぼくたちの国の王様が、ぼくが集めてきた悲しみの涙をのむと、心にぽっかり空いた穴を埋めることができるそうです。そうすると疲れはなくなり、王様はたみのために国を立て直す強い気持ちを思い出すんです。妖精の涙では駄目なんです。人間の涙だけが王様を救い、そしてぼくたちの国も救う。それを知ってから僕たちは、人間から悲しみの涙を集めるようになりました」

 少女に近づいてきた砂場のこどもが言っていた妖精というのは、この少年のことなんだろうか? 

 ──信じていいのかな。でも、この子の妄想かもしれないよね? 

 少女は少年の話を信じようかなやんでいた。

「私の涙で、あなたの国は幸せになるの?」

 少女の質問を聞いて、少年は目深にかぶっていた帽子かぶりなおす。その時、少年の青い瞳と尖った耳が見えた。妖精らしい容貌に見えなくもない。

「醜い争いに疲れ、その憂いが心の奥深くに沈殿すると、王様は国の事を考えられなくなります。人間から集めた涙が、いろんな感情を王様に再び思い出させてくれるようです」

 ──この話が妄想だとしても、涙を集めさせてあげることでこの少年を救えるかも、だよね?

 そう思った少女は、その少年の妄想ことばに付き合ってみることにした。

「いいよ。悲しみが消えるとは思えないけど、誰かがらくになれるのなら」

 少女がそう言うと、少年は少女の目にうかぶ涙を手ですくい、そっと小瓶に涙をうつした。少年の手にすくわれた涙は、ほんの僅かだったはずなのに、小瓶には淡い水色の涙がいっぱいに詰まっていた。

「これが私の涙の色?」

「はい」

「悲しい気持ちがなくなったかどうか、まだ実感できないんだけど……」

「それは明日になったら、わかります」

「もし、今日の夜、また泣くようなことになったら?」

「大丈夫です。あなたは泣いたりしない」

「ほんとうに?」

「ええ」

 少年は青い瞳で、少女をみつめた。少女は、青い瞳に吸い込まれるような気持ちになりながら、ベンチから立ち上がる。

「大丈夫です。明日には笑っていられます。今晩は、雨になるでしょう。その雨があなたを救ってくれます。優しい雨になります」

 少女は、少年の言葉を背に家に戻っていった。少女の心に、青い少年の優しい声が響いている。

 少女が家に戻ると、外は雨が降り始めた。




 半月くらいしたある日。

 とある国の長く続いていた戦争に終止符が打たれた。その国の王様はその後、賢王と呼ばれるようになったらしい。


<了>


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