プリンセスと魔法の解けるキス
津川肇
プリンセスと魔法の解けるキス
太陽くんは、私の王子様だ。五人組のアイドルグループの緑担当。グループではいつも端から二番目にいるけど、私には一番輝いて見える。太陽くんがいる場所がセンターなんだもの。甘い歌声も、ダンスの時の表情管理も、胸キュンセリフも、ぜんぶ完璧な王道アイドルなんだもの。
「待って、ビジュが良すぎる。どうしよう、待って」
渋谷駅の太陽くんの巨大広告を前にして、私は思考回路がショートしてしまっていた。センター分けしたアッシュの髪に、少し離れた並行二重の大きな目。男の子らしいしっかりとした鼻筋と、横に大きくにかっと笑った口元。間近で見ても毛穴ひとつない。まさに私の好みどストレートな顔面だ。
「はいはい、人増えてきたからさっさと撮って行こう」
隣のりっちゃんは私の興奮モードには慣れっこで、早くしてと言わんばかりにスマホを向けている。私は太陽くんの大きな顔面の左下にしゃがみ、トートバッグからうちわを取り出した。うちわで顔を隠すとりっちゃんが何度かシャッターを押す。推しのご尊顔とまともにツーショットを取るほどの勇気は私にはない。もしも太陽くんと付き合えたとしても、私は二人の写真より太陽くんを撮るのに夢中になる自信がある。いや、もしもの話ね。
「次、あたしのも撮って」
りっちゃんは太陽くんの隣、真ん中に映る光星くんの隣に立った。周りにいるオタクのことなど気にする様子もなく、手で作ったハートを光星くんに向ける。りっちゃんは悔しいけど芸能界に入れるんじゃないかと思うほど美人だ。すらっと長い手足に、光星くんのメンカラの赤いワンピース、そして綺麗なEラインの横顔。りっちゃんが太陽くん推しじゃなくてほんとによかったと思う。
私たちは近くのカフェに入って、撮ったばかりの写真を見返した。SNSにあげる写真を選ぶときはいつだって真剣だ。
「いつまでも眺めてられる、この顔面」
私は写真をスクロールしながら呟いた。
「そう? 太陽の顔ってカエルみたいじゃん」
りっちゃんは何でもずけずけと言う。容姿に反して男らしい性格なのはもう慣れた。
「確かにメンバーにもいじられてるけど、私はタイプなの!」
遠心顔で口が大きいからか、太陽は同じグループのメンバーからけろちゃんと呼ばれている。かわいいあだ名だから許すけど。かえるの歌うたってって無茶振りされるとき、いつもの美声と違って三歳児みたいな赤ちゃん太陽くんの声聞けるから許すけど。
「そう……あ、ねえ、これ」
りっちゃんがスマホの画面をこちらに向ける。と思いきや、「いや、待って、見ない方がいいかも」と言い、すばやくスマホを引っ込めた。
「え、何? 新曲出たとか? 私も見てみよ」
私が太陽くんの写真で埋め尽くされた画面を切り替えようとすると、りっちゃんがぐいと腕を引っ張って止めた。
「違うの、ほんとに、多分見ない方がいい」
「何、もしかして太陽くんの個人仕事?」
「まあ、そんなような、うちもさらっとしか見てないけど」
言葉を濁されたのは気になったが、りっちゃんは珍しく真剣な顔をしてみせた。そうして結局、りっちゃんと解散するまでスマホを見ることはできなかった。
電車の中でSNSを更新しようとスマホを開いた。タイムラインは太陽くんの話題で持ち切りなのに、誰も肝心のその内容に触れていない。太陽くんの名前で検索して、私は酷く後悔した。
『池田太陽、地下アイドルと夜の密会』の見出しの下に、夜の公園で女の子とキスする太陽くんの写真。そして、たくさんのコメント。
―前から思ってたけど太陽はプロ意識なさすぎ。
―グループが軌道に乗ってきた時に撮られるとか勘弁して。
―たあくん、嘘って言ってよ……。
―光星の足引っ張んな!
―反省して帰ってきてね。待ってます。
私は思わず「はあ?」と声を出してしまって、周りの乗客の視線を集めた。苦笑いをして、記事の写真をもう一度見てみる。悲しみも怒りも湧いてこない。そこに映っているのはきらきらした王子様の太陽くんなんかじゃなくて、ただの恋に恋したその辺の男の子だった。
だいたい、推しの初のキスシーンがこんなんってありなの? よく見たらなんか半目じゃん、気持ち悪。どこがかっこよかったんだっけ。どう見てもカエルじゃん。メンカラもカエルの緑ってか? てか、二十四歳にもなって公園デートとか引くんだけど。胸キュンセリフもこの子に向けて言ってたのかな。あと週刊誌に撮られる個人仕事って何よ。サプライズすぎるって。
しばらくぼーっと画面をスクロールしていると、りっちゃんから『もう見ちゃったかな。大丈夫? 泣くなら胸貸すよ』とメールが届いた。溢れ出た色んな気持ちは、投稿するのも、りっちゃんに伝えるのも躊躇われた。『わんちゃん担降りするかも』と返事を打ってみたら、なぜか急に涙腺が緩んだ。
プリンセスと魔法の解けるキス 津川肇 @suskhs
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