わたしのキモオタ君Ⅱ

朝吹

わたしのキモオタ君Ⅱ


 くだらない勇気の筆頭といえば、玉砕必定の告白だろう。後悔するよりもこくる方がいいともいうが大反対だ。げろ吐いてのた打ち回っても忍んで耐えろ。自己満足の告白など、相手のことを考えない自慰行為でしかない。

 無言だった。

 拒絶表現テンプレート上から三つ目くらいを披露すると歌姫は黙って俺の前から速足に立ち去った。

 当然だ。彼女と歳がいくつ離れてると想ってるんだ。十八歳差だ。

 三人組アイドルの右翼の君。武道館に彼女の愛称を呼ぶ歓声が沸き上がる。フリージア姫。


「それでは聴いて下さい。アニメ主題歌『フレイヤ・プレイヤー』」


 舞台袖で胸に手をあて、静かに集中力を高めていた姫君。直前にゴミみたいなキモオタから告白されたことで動揺し、今ごろ胸中では俺への嫌悪感と怒りが渦巻いていることだろう。

 終わった。

 世間一般では既に妻子がいて、管理職から一つ上に行くか行かないかの岐路に立ち、後人を育成しながら世界情勢の動向と家庭内の平和に眼を配っているはずの歳。

「子ども部屋おじさんなの?」

 親戚の高校生が法事の席で俺の方を見つめながら母親に訊いていた。年の離れた、『はとこ』の慧太けいた。優秀らしい。

 俺だって君の歳の頃には未来はあると想っていたさ。いつかちゃんと出来る、変われる、まだ『間に合う』ってな。


 子ども部屋おじさん

 アイドルおたく 

 仕事は設営バイト


 舞台裏でふと気が付くと歌姫が近くにいた。二度とこんな機会はない。衝動的に告白して見事にふられた。キモオタのオナニーをぶっかけられた姫君は、氷のような無表情で、無言で頭を下げてステージに立ち去ってしまった。

 俺は多分、自分のことをまだ若いとでも勘違いしていたんだろう。女と一度も交際したことがないせいで、部下を抱える縦社会に所属していないせいで。

 鏡に映るのはこの世で最も醜く、汚く、ゲスで自己中な、汚物の化け物。ついでに天涯孤独。

 消え失せろ。

 


 慧太が俺の部屋にいた。学生服の高校生を前にして俺はうろたえた。さえない中年の負い目だ。俺の親の四十九日が過ぎていた。玄関に鍵をかけなくなってもうだいぶ経つ。

「お母さんと一緒に来たのか」

「違います。ぼくひとり」

 子ども部屋。回転する学習椅子をくるくる回し、座面の擦り切れた古ぼけた椅子の上で慧太は笑い声をあげた。

「うちはリビング学習なんだ。こんな学習机と回る椅子がぼくも欲しかったな。宇宙飛行士の訓練ごっこ」

「何の用だ」

「考査中の気分転換。ねえ、西暦1111年の出来事を調べてみたんだけど、たいしたことは起こってないんだよね。アンティオキア公国初代君主の没年なんてどうでもいい。略奪のことを十字軍は『回復』だと詐称するんだ。狡いよね」

「家に帰れ」

「歴史年表に特記すべきことは何もない。だけどその裏には当時の人々の営みがあったはずだよ」

 それは、そうだろう。

「次のゾロ目の西暦2222年には何が刻まれるかな」

 回る椅子から慧太はひらりと下りてきた。ながい脚。慧太は俺よりも背が高い。

「百年後にはこの世にいないんだ。ぼくもおじさんも」

「そうだね……」

「こんなもの壁に飾っちゃって」

 武道館のコンサートパネルを慧太は一瞥した。

「右の子。フリージア姫だっけ。この子いいよね。でも人生を放棄した廃人の眼には眩しすぎない?」

「慧太くん」

「おじさんのことを軽蔑したりしないよ」

 若い喉ぼとけが俺にあたっている。腕力と引き換えに悪魔に寿命でも売り渡したのかと想うほどの力だ。いま何が起こっているのかよく分からない。

 慧太が俺の下半身を探っている。


 行方不明になった宝物。それは俺自身の人生。

 生き甲斐を求めて漂ううちにアイドルに行き着いた。キモオタになると世間は勝手に俺をカテゴライズしてくれる。最低の人生。本当は俺はどうしたかったのか。

 濃紺の空に金星が光る。

 慧太が囁いた。

「惨めなおじさんを見ると、飼い殺しにしたくなる」

 さっき、わたし、或る方から告白されたんです。

 武道館に満ちた男たちの悲鳴。

 配信されたあの日の動画。フリージア姫はきらきらした笑顔で会場に集った男たちに告げていた。白雪姫と小人たち。

 お気持ちに応えることは出来ませんが、好きになってくれてありがとう。あまりにも愕いて、開演前のいつもの過呼吸が止まっちゃいました。

 男たちの笑い声。きっと二百年後のゾロ目の年にも俺みたいな誰かが空を見上げて嘆くのだ。

「では次の曲です。『星間のアルカス』から挿入歌、『愛を送って何度でも』」

「元気あるじゃん。安心したよ」

 最後の意地で家から叩き出してやった。追い出された慧太はほろ苦い笑みを浮かべて俺を見た。慧太は俺だ。かつての俺と同じ眼をしてこくっていた。

 本当は男が好きなんだろ、おじさん。分かるよぼくには。

 夜空には星がまたたいている。

 お前に何が分かる。

 最初は偽装だったが、歌姫は、本当に俺のアイドルになっていたのだ。

 お前に何が分かる。

 玄関に鍵をかけてへたり込みながら、俺はむせび泣いた。



[了]

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