第4話 夜に目覚める




 手の中にはスマホがあった。


 ……スマートフォン。そうだ、おれはそういうものがあるところにいたんだ。


 おれの名前は……イスク。それしか思い出せない。


 頭上には皿のような白い満月。他には何もない、一面の黒。星もなければ雲もない。

 それがスポットライトのように地上を、おれの周囲を照らしている。


 下にはざらざらと、しかしふわふわとした灰色の砂。その下には固い地面があるのだろう。


 ここはどこで、おれはどうしてこんなところに?


 気が付いたらここにいて、他に何も思い出せない。


 辺りを見回していると、近くに光が見えた。誰かが倒れている。おれはそちらに近づいた。光の正体はスマホだった。


「おい……大丈夫か?」


 声をかけ、ゆすると、そいつが目を覚ます。おれと同じくらいの年齢の少年だ。知らないやつだし、一緒に倒れていたのだからきいても仕方ないかもだけど、いちおうおれは名乗ってから、ここがどこか分かるかたずねた。

 するとそいつは軽く目を見開いて、何か言おうとして、


「たーすーけーてー!」


 ――と、どこからか甲高い声がして、少年の言葉を遮った。


 おれたちは思わず顔を見合わせてから、目の前のちょっとした丘になっているところをよじ登った。少し離れたところを誰かが走っている。何かに追いかけられているようだ。


 犬――パラボラアンテナみたいなものを首につけている、大型の動物だ。おれはとっさに、


「ライオン……」


 とつぶやいたが、隣の少年は「恐竜……」と口にして、おれたちはまた顔を見合わせた。


 その時だ。


「ボクに任せて!」


 また別の声が聞こえた。そちらを見ると、長い髪をはためかせた少女が謎生物めがけて丘を駆け降りていく。


 少女は謎生物の前に立つと、追われていた女の子を庇うようにしながら、両手を前に突き出した。その手の中に光が生まれる。炎だ。


「ファイアー!」


 猛烈な勢いで炎の玉が飛び立つ――しかしそれは、立ち止まった謎生物の頭に当たるかどうかといったところで、


「あ、あれー……?」


 唐突に消えてしまったのだ。


「……アンテナだ」


 少年のつぶやきにおれが振り返ったそばで、謎生物が少女たちを追いかけ始める。たすけての声がハモって聞こえた。見ると、謎生物の勢いはさっきよりも二割り増しな感じだった。


「助けないと……!」


 とっさに、声が出ていた。でもどうやって?


【足元の灰を握って。集めて、固めて】


 ――そうだ、と思い出す。


 おれは立ち上がり走り出しながら、足元の灰を掴んで握りしめる。


 それはおれの手の中で硬く、鋭くなって――集めて固めるだけの、単純な魔法。


「これでもっ、喰らえ……!」


 思いつきのピッチングで、金属の塊を投げつけた。


 自分でも驚くほどの勢いでそれは謎生物めがけて飛んで行ったが、声に反応したのか謎生物は足を止めこちらを振り向いていて――さっきの火の玉同様、その頭に届くかどうかといったところで、金属の塊は砂のようになって飛び散った。


「アンテナだ!」


 少年が叫んだ。さっきよりも力強く、高い声を上げながら、そいつは駆けだしている。


「あれが魔法を打ち消してる!」


 手にしたスマホを振り回し、その光で謎生物を引き付ける。謎生物が少年を追いかけ、おれに背を向ける。おれはすぐにその意図を理解した。


 狙うなら、後ろからだ。

 そして、さっきよりも大きくて、強いもの。あのアンテナを突き破って、頭にぶつけなければ。


 灰を握りこむと手の平に痛みを感じたが、気にしてはいられなかった。


 投球フォームではなく、もっと力強い――砲丸投げとか槍投げのイメージ。テレビでちらっとしか見たことないけど!


 思いっきり踏み込み、投てきする。


 ナイフのように鋭いそれは閃光と化して、一瞬後には謎生物の頭部を貫いていた。


 ばたん、とそいつは倒れ、そのまま動かなくなった。


 え……死んだ?


「あ――」


 思いもしなかった結果に、少しのあいだ呆然となる。


「死ぬかと思ったー……!」


 と、横から聞こえたのんきな声が、おれを現実に引き戻した。


「助かった、ありがと!」


 さっきの……髪の長い少女だ。その後ろには追われていた女の子もいる。そっちはふてくされたように顔を背けながら、


「別に、助けてなんて言ってないですわ!」


「いや、言ってただろ。叫んでた」


「あんたには言ってないのですわ! 不特定多数なのよ!」


 ……態度もそうだけど、なんだかイラっとくるな。


 おれがムッとしていると、さっきの少年が肩で息をしながら戻ってきた。だいぶ苦しそうだ。そっちに気を取られていると、不意におれの手が持ち上げられた。いつの間にか目の前に、あの少女が立っている。


「怪我してるじゃん。このボクが治してあげよう」


 と、エラそうに言うと、おれの手が……というより、少女の手が光を放った。するとみるみるうちにおれの手の平から痛みが消えていく。血をぬぐうと、傷らしいものも見当たらなかった。


「ど、どうも……」


 今のは、回復魔法的なものか?


「どういたしまして! ……ところでキミたち、なんでこんなところに? そんな軽装備で……」


 軽装備。言われて気付くが、おれはジャージ姿だった。やってきた少年も、かくいう少女も、そして女の子の方も若干デザインは異なるが、同じジャージを着ていた。




 おれの名前はイスク。それしか覚えていない――


 そう説明すると、女の子……アルシュと名乗った小生意気なやつも、同じように気付いたらここにいた、と話した。それを聞いていた少女は、


「そうなんだ……。ボクはミカ、訳あって旅してる一般人だよ」


 と、コメントに困る自己紹介をする。


 お互いに名乗りあったところで、おれたちの視線はおのずと、もう一人の少年に集まる。そいつはさっきから困ったような表情をしていたが、


「オレは……オリト。うん、オレも……自分の名前しか、覚えてない」


 やっぱり、立場はみんなだいたい同じようだった。少しのあいだ、その場に沈黙が下りたが、やがてオリトがおずおずと、


「たぶんオレたちは……異世界、的なところに来たんじゃないかと、思う。少なくとも、ここはオレの知ってる世界じゃないし――」


 それにはおれも異論はなかった。異世界。にわかには信じがたいが――おれは、魔法を習う学校に通っていたのだ。世の中で流行りの『異世界転移』……そういうことも、あり得るのかもしれない。


「同じジャージ、着てるから。たぶん、オレたちは同じ学校にいた……クラスメイトとか、なんじゃないかな」


 その言葉に思わずハッとなる。そう言われても何も思い出せないけど、言われてみればその通りだ。こいつ、頭が良い。


 そうなると――同じジャージを着ていながら、一人だけ妙なことを言っていた彼女に視線が集まる。


「え? 何?」




 ――おれたちの身に何が起こったのか、これからどうなるのか。


 何も分からないけど、とりあえずの方針として、おれたちはミカの言う「旅」に付き合うことになった。


 しかしそのためにはどうしても解決しなければいけない問題があって、


「食料、足りないんだけど。ボク、一人用しか」


「……あの恐竜……」


 オリトの言葉におれは耳を疑った。まさか、食べるつもりで?


「火ならおこせるはずだし、」


「いやいや、丸焼きにすんの?」


「……バラして、食べられそうなところを。刃物があれば……」


「言ってること恐いって! ていうか刃物って、おれがつくるの!?」


「イヤですわイヤですわ! お腹こわしたらどうしますの!」


「そしたらボクが魔法で治してあげるよ。あっちに水場オアシスもあったし、焼くだけじゃなくて煮たり出汁とったりもできるかも!」


「なんでノリ気なの!?」


 ――そうして、おれたちの前途多難な旅は始まった。


 自分たちがどこから来て、どこへ行くのか、何一つ分からないままに――



「……ピッ!」



 ちょっと待て、今なにか声しなかった?


「恐竜の中に何かいますの!」


「いや、あれライオンだって――え、待って、誰か丸飲みにされてる?」



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ハイド・アンド・シーカーズ 人生 @hitoiki

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